ゲーテ ファウスト

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ライプチヒなるアウエルバハのあなぐら

 

面白げなる連中の酒宴

    フロッシュ
おい。誰も飲んだり、笑ったりせんか。
陰気なつらをしていると、僕が承知しないぞ。
いつでも好く燃えるくせに、
 
きょうはなぜ湿ったわらのようになっているのだ。 
 
    ブランデル
それは君のせいだ、君がなんにも提供しないからだ。
いつもの馬鹿げた事か、下卑た事を遣れば好い。 
 
    フロッシュ(ブランデルの頭の上に一杯の酒をそそぐ。)
そんならこれでどっちも済まそう。 
 
    ブランデル 
 
               ぶたに倍した所行だ。 
 
    フロッシュ
君が下卑た事を遣れと云ったじゃないか。
  
 
    ジイベル
誰でも喧嘩をする奴は、戸の外へ出て行け。
胸襟を開いてルンダ・ルンダでも歌わんか。飲め、騒げ。
さあ、遣れ遣れ。ホルラア。ホオ。 
 
    アルトマイエル 
 
               溜らない。参った参った。
誰か綿があるならくれえ。あいつのお蔭で聾になる。 
 
    ジイベル
馬鹿言え。天井が反響をする位でなくては、
 
バッソオの根本的威力は発揮せられないのだ。 
 
    フロッシュ
賛成々々。苦情を言う奴は逐い出してしまえ。
アア。タラ。ララ。ダア。 
 
    アルトマイエル
アア。タラ。ララ。ダア。 
 
    フロッシュ 
 
           さあ、のどの調子は合った。

(歌ふ。)

愛すべき、神聖なるロオマ帝国よ。
 
いかにしてなおわずかに維持せらるゝぞ。 
 
    ブランデル
いやな歌だなあ。いやはや。政治的の歌と来ている。
くだらない歌だ。ロオマ帝国がどうなろうと構わない。
難有ありがたい身の上だと、君方は毎朝神に謝するがい。
僕なんぞは国王でもなけりゃあ、宰相でもないのを、
 
兎に角よほどの利益だと思っている。
しかし我々だって首領なしではいられない。
さあいつもの法皇を選挙しようじゃないか。
どんな資格が大事だとか、その人を高めるとか云うことは、
君方は知っているなあ。
  
 
    フロッシュ(歌ふ。)
飛び立てや、鶯。
恋人に言伝てよ、百千度。 
 
    ジイベル
恋人に言伝ことづてなんかいらん。そんな事は聞きたくない。 
 
    フロッシュ
恋人に言伝をする。キスをする。君のお世話にはならない。

(歌ふ。)

門の戸けよ。静けき夜はに。
 
門の戸けよ。風流男みやびおいねず。
門の戸させ。朝まだきに。 
 
    ジイベル
ふん。沢山歌うがい。あんな女を褒めるがい。
今に僕の笑って遣る時が来る。
僕を騙したとおりに、今に君を騙すのだ。
 
あいつの色にはの精か何かがなって、
夜の四辻でふざけるがい。
そこへブロッケンの山から駆けて帰る、年の寄った山羊やぎおす
通り掛かって、あいつに今晩はと挨拶すると丁度い。
正真正銘の血や肉を持っている立派な男は、
 
あいつの相手には惜しいのだ。
あいつに言伝なんぞをすることがあるものか。
窓に石でもっ附けて遣るがい。 
 
    ブランデル(卓の上を打つ。)
東西東西。僕の言うことを聞き給え。
僕が附合つきあいを心得ていることには、諸君同意だろう。
 
ここに女に迷った人達がいます。
その人達に今晩の告別に、身分相応の忠告を
僕がして遣ろうと思います。
東西。最新の調子の歌だぞ。
合唱の所をしっかり頼むぞ。
 

(歌ふ。)

牡鼠が穴倉に巣食って、
えさあぶらにバタばかり。
ルテル先生見たように
でっぷり太ってしまった。
そいつにおさんが毒を飼った。
 
鼠は世間がせもうなった。
胸に恋でもあるように。 
 
    合唱者(讙呼かんこする如く。)
胸に恋でもあるように。 
 
    ブランデル
そこらを廻って飛び出して、
どのどぶからも水を飲んだ。
 
かじる、引っ掻く、家中いえじゅうを。
どんなに荒れても駄目だった。
苦しまぎれに飛び上る。
とうとう程なく荒れ止んだ。
胸に恋でもあるように。
  
 
    合唱者
胸に恋でもあるように。 
 
    ブランデル
昼の日なかによろよろと
台所まで駆けて出て、
へっついの隅にっ附かり、
びくつき、倒れて虫の息。
 
おさんは見附けて噴き出した。
ききよ、笛の吹きじまい。
胸に恋でもあるように。 
 
    合唱者
胸に恋でもあるように。 
 
    ジイベル
凡俗どものあの面白がりようはどうだ。
 
可哀そうに。鼠に毒を食わせる位が
丁度はたらきだろう。 
 
    ブランデル
君はひどく鼠が贔屓ひいきだね。 
 
    アルトマイエル
太っ腹の禿頭奴。
運が悪くて気が折れて、お情深くおなり遊ばした。
 
病み腫れた鼠の姿が
丁度先生そっくりだ。

ファウスト、メフィストフェレス登場。

    メフィストフェレス
極面白がっている連中を
何よりさきにお目に掛けよう。これを御覧になると、
世間がどの位気楽に渡れると云うことがお分かりになる。
 
この連中にはどの日も同じ祭日です。
小才を利かせて、大満足をして、
尻尾しっぽくわ[#「口+(「行」のぎょうにんべんにかえて「金」)」、U+20F2B、150-19]えてくるくる廻る小猫のように、
てんでに狭いあいだを踊っています。
かけ[#「貝+(人がしら/示)」、U+8CD2、151-2]が借りていられる間は、
 
頭痛でもする日の外は、
心配なしに楽んでいます。 
 
    ブランデル
そこに来た奴等の様子を見給え。
旅から来た奴等だと云うことがすぐ分かる。
まだ著いてから一時間も立つまい。
  
 
    フロッシュ
なるほど、君の云う通だ。僕はライプチヒに謳歌する。
小パリイと云うだけあって、ここにいると品が好くなる。 
 
    ジイベル
君はあの旅人どもを何者だと思う。 
 
    フロッシュ
僕が行って来るから見てい給え。一杯飲ませて、
あいつ等の鼻の穴からうじを引き出すのは、
 
子供の歯を抜くより優しいのだ。
なんでもい家柄の奴にはちがいない。
高慢げで、そして物事に満足しない様子だから。 
 
    ブランデル
なに。僕は賭をしよう。あいつ等は山師だよ。 
 
    アルトマイエル
そうかも知れないなあ。 
 
    フロッシュ 
 
          気を附けて見ていろ。さぐりを入れて遣るから。
  
 
    メフィストフェレス(ファウストに。)
悪魔はあいつ等には分かりません。
うぬが領髪えりがみつかまれていても分からないのです。 
 
    ファウスト
皆さん、今晩は。 
 
    ジイベル 
 
       今晩は。

(メフィストフェレスを横より覗き、小声にて。)

おや、あいつは片々の脚が短いようだぜ。 
 
    メフィストフェレス
どうでしょう。そちらへ割り込んでもお邪魔ではないでしょうか。
 
どうせ旨い酒なんぞはなさそうですから、
面白いお話でもかわりに伺いたいのですが。 
 
    アルトマイエル
君達は大ぶ口が奢っていると見えますね。 
 
    フロッシュ
君達はおお方リッパハのしゅくを遅く立ったのだろう。
あの駅のハンス君と一しょに夕飯を食ってから立ったのじゃないか。
  
 
    メフィストフェレス
生憎きょうは逢わずに通って来ましたよ。
この前の度にわたし共が逢って話した時、
あなた方の事をいろいろ噂をしましてね、
どなたにも宜しく申してくれと云いましたよ。

(メフィストフェレスはこのことばと共にフロッシュに会釈す。)

    アルトマイエル(小声にて。)
一本参ったな。向うが旨く遣りおった。 
 
    ジイベル 
 
                 食えない奴だ。
  
 
    フロッシュ
まあ、黙って見ていろ。今に遣っ附けるから。 
 
    メフィストフェレス
先刻大ぶお稽古の詰んだ声で
合唱をしていられたようでしたね。
ここでお歌いになったら、
あの円天井から旨く反響することでしょう。
  
 
    フロッシュ
君達は音楽家ででもあるのかね。 
 
    メフィストフェレス
どういたしまして。下手の横好よこずきです。 
 
    アルトマイエル
何か一つ歌い給え。 
 
    メフィストフェレス 
 
        おのぞみなら幾らでも歌います。 
 
    ジイベル
極新しいのでなくちゃあいけない。 
 
    メフィストフェレス
わたしどもは丁度スパニアから帰ったところです。
 
あそこは酒と歌を本場にしている美しい国ですからね。

(歌ふ。)

昔昔王がいた。
大きなのみを持っていた。 
 
    フロッシュ
聞いたか。蚤だとよ。諸君分かったかい。
蚤と来ちゃあ、僕なんぞは随分清潔なお客だと思う。
  
 
    メフィストフェレス(歌ふ。)
昔昔王がいた。
大きな蚤を持っていた。
自分の生ませた子のように
可哀がって飼っていた。
ある時服屋を呼んで来た。
 
服屋が早速遣って来た。
「この若殿の召すような
上衣うわぎとずぼんの寸を取れ。」 
 
    ブランデル
服屋に好くそう云わなくちゃいけないぜ。
寸尺を間違えないようにして、
 
笠の台が惜しけりゃあ、
ずぼんにひだの出来ないようにするのだ。 
 
    メフィストフェレス
天鵞絨為立じたて、絹仕立、
仕立おろしを著こなした。
上衣にゃ紐が附いている。
 
十字章さえ下げてある。
すぐ大臣を言い附かる。
大きな勲章をぶら下げる。
兄弟までも宮中で
立派なお役にあり附いた。
 
 
文官武官貴夫人が
参内すれば責められる。
きさきさまでも宮女でも
ちくちくされる、かじられる。
押さえてぶつりと潰したり、
 
掻いたりしては相成らぬ。
己達ならば蚤なぞが
ちょぴりと螫せばすぐ潰す。 
 
    合唱者(歓呼する如く。)
己達ならば蚤なぞが
ちょぴりと螫せばすぐ潰す。
  
 
    フロッシュ
旨い旨い。こいつは好かった。 
 
    ジイベル
蚤なんぞはそんな風に遣っ附けべしだ。 
 
    ブランデル
指を伸ばして旨くつままなくちゃいかん。 
 
    アルトマイエル
自由万歳だ。酒万歳だ。 
 
    メフィストフェレス
わたくしも自由の光栄のために一杯飲みたいのですが、
 
それにつけてもも少し酒が好ければいと思いますよ。 
 
    ジイベル
そんな事は二度とは聞きたくないものだ。 
 
    メフィストフェレス
ここの主人が小言を言わない事なら、
わたくし共の酒蔵にあるのを、何か一つ
あなた方に献上したいのですが。
  
 
    ジイベル
さあ、さあ、遠慮なしに出し給え。小言は僕が引き受ける。 
 
    フロッシュ
旨い奴を一杯飲ませてくれれば、僕は感謝するね。
ことわって置くが、あんまりぽっちりではいけない。
僕に利酒をさせようと云うには、
口へたっぷり一ぱい入れてくれなくちゃあ出来ない。
  
 
    アルトマイエル(小声にて。)
なんでもあいつ等はライン地方の奴だぜ。僕の目利めききでは。 
 
    メフィストフェレス
ちょいと錐を持って来させて下さい。 
 
    ブランデル 
 
                錐をなんにするのだね。
まさかその戸の外まで樽が来ているわけでもあるまい。 
 
    アルトマイエル
それ、あそこの背後うしろに亭主が道具箱を置いている。 
 
    メフィストフェレス

(錐を手に取り、フロッシュに。)

あなたの飲みたい酒を伺いましょう。
  
 
    フロッシュ
聞いてどうしようと云うのだね。そんなに色々あるのかね。 
 
    メフィストフェレス
どなたにもおのぞみの酒を献じます。 
 
    アルトマイエル(フロッシュに。)
ははあ。君はもう口なめずりをし始めたな。 
 
    フロッシュ
宜しい。僕が所望して好いなら、ラインの葡萄酒にしよう。
なんでも本国産が一番の御馳走だ。
  
 
    メフィストフェレス

(フロッシュの坐せる辺の卓の縁に、錐にて穴を揉みつゝ。)

少し蝋を取り寄せて下さい。すぐに栓をしなくちゃあ。 
 
    アルトマイエル
ははあ。手品だね。 
 
    メフィストフェレス(ブランデルに。)
そこであなたは。 
 
    ブランデル 
 
       僕はシャンパンにしよう。
好く泡の立つ奴でなくてはいけない。

(メフィストフェレス錐を揉む。一人蝋の栓を作りて塞ぐ。)

どうも外国産の物を絶待に避けるわけにはいかんて。
 
好い物が遠国に出来ることがあるからなあ。
本当のドイツ人はフランス人は好かないが、
フランスの酒なら喜んで飲むね。 
 
    ジイベル

(メフィストフェレスの坐せる辺に近づきつゝ。)

正直を言えば僕は酸っぱい酒はきらいだ。
僕には本物の甘い奴を一杯くれ給え。
  
 
    メフィストフェレス(錐を揉む。)
そんならあなたの杯にはすぐトカイ酒を注がせます。 
 
    アルトマイエル
ねえ、君達、僕の方を真っ直に見て返事をし給え。
君達は僕なんぞを騙すのにちがいない。 
 
    メフィストフェレス
飛んだ事です。あなた方のような立派なお客に
そんな事をするのは、少し冒険過ぎますからね。
 
お早く願います。どうぞ御遠慮なく仰ゃい。
どんな酒を献じましょう。 
 
    アルトマイエル
なんでも宜しい。うるさく問わないで下さい。 
 
    メフィストフェレス

(穴をことごとく揉みおわり、栓をなしたる後、怪しげなる身振にて。)

「葡萄は葡萄の蔓になる。
角は山羊やぎの額に生える。
 
酒は水で、葡萄は木だ。
木卓きづくえからも酒は涌く。
自然の奥を窺う一目。
これが奇蹟だ。信仰なされい。」
さあ、皆さん、栓を抜いて召し上がれ。
  
 
    一同

(栓を抜けば各自の杯に所望の酒涌きて入るゆゑ。)

やあ。これは結構な噴水だ。 
 
    メフィストフェレス
兎に角こぼさないように願います。 
 
    一同

(皆反覆して飲み、さて歌ふやうに。)

愉快だ、愉快だ。人のにくえびすのように。
五百のぶたの群のに。 
 
    メフィストフェレス
御覧なさい。自由の民だ。あれが鼓腹の楽だ。
  
 
    ファウスト
己はそろそろ行きたいがなあ。 
 
    メフィストフェレス
いや。これから気を附けて見ておいでなさい。
盛んに獣性が発揮せられるのですからね。 
 
    ジイベル

(手づつなる飲み様をし、酒を床に飜す。※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)ほのお燃え立つ。)

助けてくれ。火事だ。助けてくれ。地獄が燃える。 
 
    メフィストフェレス(※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)かえんに向ひて唱ふ。)
「鎮まれ。親しき一大いちだい。」
 

(人々に。)

まあ、こん度は一滴の業火ごうかで済みました。 
 
    ジイベル
これはなんだ。待て。只では済まんぞ。
全体我々をなんだと思っている。 
 
    フロッシュ
もう一遍あんな真似をして見ろ。 
 
    アルトマイエル
僕はこっそりあいつ等を追っ払ってしまおうと思うのだが。
  
 
    ジイベル
おい。そこの先生。利いた風な。
我々の目をくらますつもりか。 
 
    メフィストフェレス
黙れ。酒樽の古手奴。 
 
    ジイベル 
 
         なに。ほうきが。
我々に失敬な事を言うつもりか。 
 
    ブランデル
待っていろ。拳骨が雨のように降るぞ。
  
 
    アルトマイエル

(残りたる一つの栓を抜けば、火※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)面を撲つ。)

やあ。僕は火傷やけどをする。 
 
    ジイベル 
 
          魔法だ。
遣っ附けろ。そいつは無籍者だ。

(皆々小刀の鞘を払ひて、メフィストフェレスに掛かる。)

    メフィストフェレス(真面目らしき態度にて。)
仮現けげんの形。虚妄こもうの詞。
心を転じ、きょうを転ず。
ここにあれ。またかしこにあれ。」
 

(一同驚きて立ちをり、互に顔を見合す。)

    アルトマイエル
ここはどこだ。好い景色だなあ。 
 
    フロッシュ
葡萄畑だ。本当か知らん。 
 
    ジイベル 
 
           それに葡萄に手が届く。 
 
    ブランデル
この青い屋根の下に
こんない蔓がある。こんない葡萄がある。

(ジイベルの鼻をつまむ。外の人々も互に鼻を撮み合ひて、手に/\小刀を閃す。)

    メフィストフェレス(同上の態度にて。)
「迷惑のともがら。目を覆うきんを去れ。
 
記念せよ。魔の遊戯の奈何いかんを。」

(ファウストと共に退場。人々互に手を放す。)

    ジイベル
どうしたのだ。 
 
    アルトマイエル 
 
      これはどうだ。 
 
    フロッシュ 
 
            今のは君の鼻だったか。 
 
    ブランデル(ジイベルに。)
僕は君のを撮まんでいたのか。 
 
    アルトマイエル
なんだかこうぴりっと来て、節々に響いたようだ。
その椅子を借してくれ。僕は倒れそうだから。
  
 
    フロッシュ
一体どうしたと云うのだろう。 
 
    ジイベル
あいつはどこへ行った。こん度見附けたら、
生かしては置かないつもりだ。 
 
    アルトマイエル
あいつが酒樽に騎って、この店の戸を出て行くのを
僕はこの目で見たよ。
 
僕は足が鉛にでもなったように重くてならない。

(卓の方へ向く。)

ああ。酒はまだ出るか知らん。 
 
    ジイベル
※(「言+墟のつくり」、第4水準2-88-74)うそさ。目を昏ましたのだ。 
 
    フロッシュ
僕は実際酒を飲んでいるような気がしたが。 
 
    ブランデル
それはそうとあの葡萄はどうしたのだろう。
  
 
    アルトマイエル
どうだい。これでは不思議と云うものがないとは云われまい。