破戒 島崎藤村

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   第七章
 
       (一)
 
 それは忘れることの出来ないほど寂しい旅であつた。一昨年をとゝしの夏帰省した時に比べると、うして千曲川ちくまがはの岸に添ふて、可懐なつかしい故郷の方へ帰つて行く丑松は、まあ自分で自分ながら、殆んど別の人のやうな心地がする。足掛三年、と言へば其程長い月日とも聞えないが、丑松の身に取つては一生の変遷うつりかはりの始つた時代で――もつとも、人の境遇によつては何時変つたといふことも無しに、自然に世を隔てたやうな感想かんじのするものもあらうけれど――其精神こゝろ内部なかの革命が丑松には猛烈に起つて来て、しかも其を殊に深く感ずるのである。今は誰をはゞかるでも無い身。乾燥はしやいだ空気を自由に呼吸して、自分のあやしい運命を悲しんだり、生涯の変転に驚いたりして、無限の感慨に沈みながら歩いて行つた。千曲川の水は黄緑の色に濁つて、声も無く流れて遠い海の方へ――其岸にうづくまるやうな低い楊柳やなぎの枯々となつた光景さま――あゝ、依然としてもとの通りな山河の眺望は、一層丑松の目をいたましめた。時々丑松は立留つて、人目の無い路傍みちばたの枯草の上に倒れて、声を揚げて慟哭どうこくしたいとも思つた。あるひは、其をたら、堪へがたい胸の苦痛いたみ少許すこしは減つて軽く成るかとも考へた。奈何いかんせん、きたくも哭くことの出来ない程、心は重く暗く閉塞とぢふさがつて了つたのである。
 漂泊する旅人は幾群か丑松のわきを通りぬけた。落魄の涙に顔を濡して、ゑた犬のやうに歩いて行くものもあつた。何か職業を尋ね顔に、垢染あかじみた着物を身にまとひ乍ら、素足のまゝで土を踏んで行くものもあつた。あはれげな歌を歌ひ、鈴振鳴らし、長途の艱難を修行の生命いのちにして、日に焼けて罪滅つみほろぼし顔な巡礼の親子もあつた。または自堕落な編笠姿あみがさすがた流石さすがに世を忍ぶ風情ふぜいもしをらしく、放肆ほしいまゝに恋慕の一曲を弾じて、銭を乞ふやうないやしい芸人の一組もあつた。丑松は眺め入つた。眺め入り乍ら、自分の身の上と思ひ比べた。奈何どんなに丑松は今の境涯の遣瀬やるせなさを考へて、自在に漂泊する旅人の群を羨んだらう。
 飯山を離れて行けば行く程、次第に丑松は自由な天地へ出て来たやうな心地こゝろもちがした。北国街道の灰色な土を踏んで、花やかな日の光を浴び乍ら、時には岡に上り時には桑畠の間を歩み、時にはまた街道の両側に並ぶ町々を通過ぎて、汗も流れ口も乾き、足袋たびも脚絆も塵埃ほこりまみれて白く成つた頃は、かへつて少許すこし蘇生の思に帰つたのである。路傍みちばたの柿の樹は枝もたわむばかりに黄な珠を見せ、粟は穂を垂れ、豆はさやに満ち、既に刈取つた田畠には浅々と麦のえ初めたところもあつた。遠近をちこちに聞える農夫の歌、鳥の声――あゝ、山家でいふ『小六月』だ。其日は高社山一帯の山脈も面白くかたちあらはして、山と山との間の深い谷蔭には、青々と炭焼の煙の立登るのも見えた。
 蟹沢かにざはの出はづれで、当世風の紳士を乗せた一台の人力車くるまが丑松に追付いた。見れば天長節の朝、式場で演説した高柳利三郎。代議士の候補者に立つものは、そろ/\政見を発表する為に忙しくなる時節。いづれ是人も、選挙の準備したくとして、地方廻りに出掛けるのであらう。と見る丑松のわきを、高柳は意気揚々として、すこし人を尻目にかけて、挨拶もずに通過ぎた。二三町離れて、車の上の人は急に何か思付いたやうに、是方こちらを振返つて見たが、別に丑松の方では気にも留めなかつた。
 日は次第に高くなつた。水内みのちの平野は丑松の眼前めのまへに展けた。それは広濶ひろ/″\とした千曲川の流域で、川上から押流す泥砂の一面に盛上つたところを見ても、氾濫はんらんすさまじさが思ひやられる。見渡す限り田畠は遠く連ねて、けやきもりもところ/″\。今は野も山も濃く青い十一月の空気を呼吸するやうで、うら枯れた中にも活々いき/\とした自然の風趣おもむきく表して居る。早くの川の上流へ――小県ちひさがたの谷へ――根津の村へ、斯う考へて、光の海を望むやうな可懐なつかしい故郷の空をさして急いだ。
 豊野と言つて汽車に乗るべきところへ着いたは、午後の二時頃。車で駈付けた高柳も、同じ列車を待合せて居たと見え、発車時間の近いた頃に休茶屋からやつて来た。『何処どこへ行くのだらう、あの男は。』斯う思ひ乍ら、丑松は其となく高柳の様子をうかゞふやうにして見ると、先方さきも同じやうに丑松を注意して見るらしい。それに、不思議なことには、何となく丑松を避けるといふ風で、成るべく顔を合すまいと勉めて居た。唯互ひに顔を知つて居るといふ丈、つひぞ名乗合つたことが有るではなし、二人は言葉を交さうともしなかつた。
 軈て発車を報せる鈴の音が鳴つた。乗客はいづれもらちの中へと急いだ。さかん黒烟くろけぶりを揚げて直江津の方角から上つて来た列車は豊野停車場ステーションの前で停つた。高柳は逸早いちはや群集ひとごみの中を擦抜すりぬけて、一室のを開けて入る。丑松はまた機関車近邇よりの一室をえらんで乗つた。思はず其処に腰掛けて居た一人の紳士と顔を見合せた時は、あまりの奇遇に胸を打たれたのである。
『やあ――猪子先生。』
 と丑松は帽子を脱いで挨拶した。紳士も、意外な処で、といふ驚喜した顔付。
『おゝ、瀬川君でしたか。』
 
       (二)
 
 夢寐むびにも忘れなかつた其人の前に、丑松は今偶然にも腰掛けたのである。壮年の発達に驚いたやうな目付をして、可懐なつかしさうに是方こちらを眺めたは、蓮太郎。敬慕の表情を満面に輝かし乍ら、帰省の由緒いはれを物語るのは、丑松。実に是邂逅めぐりあひの唐突で、意外で、しかも偽りも飾りも無い心の底の外面そと流露あらはれた光景ありさまは、男性をとこと男性との間にたまに見られる美しさであつた。
 蓮太郎の右側に腰掛けて居た、背の高い、すこし顔色の蒼い女は、丁度読みさしの新聞をめて、丑松の方を眺めた。玻璃越ガラスごしに山々の風景を望んで居た一人の肥大な老紳士、是も窓のところに倚凭よりかゝつて、振返つて二人の様子を見比べた。
 新聞で蓮太郎のことを読んで見舞状まで書いた丑松は、この先輩の案外元気のよいのを眼前めのまへに見て、喜びもすれば不思議にも思つた。かねて心配したり想像したりした程に身体からだ衰弱おとろへが目につくでも無い。強い意志を刻んだやうな其大な額――いよ/\高く隆起とびだした其頬の骨――殊に其眼は一種の神経質な光を帯びて、悲壮な精神こゝろ内部なか明白あり/\と映して見せた。時として顔の色沢いろつやなぞを好く見せるのはの病気の習ひ、あるひは其故そのせゐかとも思はれるが、まあ想像したと見たとは大違ひで、血を吐く程の苦痛くるしみをする重い病人のやうには受取れなかつた。早速丑松は其事を言出して、『実は新聞で見ました』から、『東京の御宅へ宛てゝ手紙を上げました』まで、真実を顔に表して話した。
『へえ、新聞に其様そんなことが出て居ましたか。』と蓮太郎は微笑ほゝゑんで、『聞違へでせう――不良わるかつたといふのを、今不良わるいといふ風に、聞違へて書いたんでせう。よく新聞には左様さういふ間違ひが出て来ますよ。まあ御覧の通り、斯うして旅行が出来る位ですから安心して下さい。誰がまた其様そん大袈裟おほげさなことを書いたか――はゝゝゝゝ。』
 聞いて見ると、蓮太郎は赤倉の温泉へ身体を養ひに行つて、今其帰途かへりみちであるとのこと。其時同伴つれの人々をも丑松に紹介した。右側に居る、何となく人格の奥床おくゆかしい女は、先輩の細君であつた。肥大な老紳士は、かねてうはさに聞いた信州の政客せいかく、この冬打つて出ようとして居る代議士の候補者の一人、雄弁と侠気をとこぎとで人に知られた弁護士であつた。
『あゝ、瀬川君とおつしやるんですか。』と弁護士は愛嬌あいけうのある微笑ほゝゑみを満面に湛へ乍ら、快活な、磊落らいらくな調子で言つた。『私は市村です――只今長野に居ります――何卒どうかまあ以後御心易く。』
『市村君と僕とは、』蓮太郎は丑松の顔を眺めて、『偶然なことから斯様こんなに御懇意にするやうになつて、今では非常な御世話に成つて居ります。僕の著述のことでは、殊にこの市村君が心配して居て下さるんです。』
『いや。』と弁護士は肥大な身体をゆすつた。『我輩こそかへつて種々いろ/\御世話に成つて居るので――まあ、年だけは猪子君の方がずつと若い、はゝゝゝゝ、しかし其他のことにかけては、我輩の先輩です。』斯う言つて、何か思出したやうに嘆息して、『近頃の人物を数へると、いづれも年少気鋭の士ですね。我輩なぞは斯の年齢としに成つても、未だ碌々ろく/\として居るやうな訳で、考へて見れば実に御恥しい。』
 ういふ言葉の中には、真に自身の老大を悲むといふこゝろが表れて、創意のあるものをむやうな悪い癖は少許すこしも見えなかつた。そも/\は佐渡の生れ、斯の山国に落着いたは今から十年程前にあたる。善にも強ければ悪にも強いと言つたやうな猛烈な気象から、種々さま/″\な人の世の艱難、長い政治上の経験、権勢の争奪、党派の栄枯の夢、または国事犯としての牢獄の痛苦、其他多くの訴訟人と罪人との弁護、およそありとあらゆる社会の酸いと甘いとをめ尽して、今は弱いもの貧しいものゝ味方になるやうな、涙脆い人と成つたのである。天の配剤ほど不思議なものは無い――この政客が晩年に成つて、学もあり才もある穢多を友人に持たうとは。
 なほ深く聞いて見ると、これから市村弁護士は上田を始めとして、小諸、岩村田、臼田なぞの地方を遊説する為、政見発表のみちに上るのであるとのこと。親しく佐久小県地方の有権者を訪問して草鞋穿わらぢばき主義で選挙を争ふ意気込であるとのこと。蓮太郎はまた、この友人の応援の為、一つには自分の研究の為、しばらく可懐なつかしい信州に踏止まりたいといふ考へで、今宵は上田に一泊、いづれ二三日の内には弁護士と同道して、丑松の故郷といふ根津村へも出掛けて行つて見たいとのことであつた。この『根津村へも』が丑松の心を悦ばせたのである。
『そんなら、瀬川さんは今飯山に御奉職おいでですな。』と弁護士は丑松に尋ねて見た。
『飯山――彼処からは候補者が出ませう? 御存じですか、あの高柳利三郎といふ男を。』
 じやの道はへびだ。弁護士は直に其を言つた。丑松は豊野の停車場ステーションで落合つたことから、今この同じ列車に乗込んで居るといふことを話した。何か思当ることが有るかして、弁護士は不思議さうに首をかしながら、『何処へ行くのだらう』を幾度となく繰返した。
『しかし、是だから汽車の旅は面白い。同じ列車の内に乗合せて居ても、それで互ひに知らずに居るのですからなあ。』
 斯う言つて弁護士は笑つた。
 病のある身ほど、人の情のまこといつはりとを烈しく感ずるものは無い。心にも無いことを言つて慰めて呉れる健康たつしや幸福者しあはせものの多い中に、斯ういふ人々ばかりで取囲とりまかれる蓮太郎のうれしさ。殊に丑松の同情おもひやりは言葉の節々にも表れて、それがまた蓮太郎の身に取つては、奈何どんなにか胸にこたへるといふ様子であつた。其時細君は籠の中に入れてある柿を取出した。それは汽車の窓から買取つたもので、其色の赤々としてさも甘さうに熟したやつを、つて丑松にもすゝめ、弁護士にも薦めた。蓮太郎も一つ受取つて、秋の果実このみのにほひをいで見乍みながら、さて種々さま/″\な赤倉温泉の物語をした。越後の海岸まで旅したことを話した。蓮太郎は又、東京の市場で売られる果実くだものなぞに比較して、この信濃路の柿の新しいこと、甘いことを賞めちぎつて話した。
 駅々で車の停る毎に、農夫の乗客が幾群か入込んだ。今は室の内も放肆ほしいまゝな笑声と無遠慮な雑談とで満さるゝやうに成つた。それに、東海道沿岸などの鉄道とは違ひ、この荒寥くわうれうとした信濃路のは、汽車までも旧式で、粗造で、山家風だ。其列車が山へ上るにつれて、窓の玻璃ガラスに響いて烈しく動揺する。しまひには談話はなしく聞取れないことがある。油のやうに飯山あたりの岸を浸す千曲川の水も、見れば大な谿流の勢に変つて、白波を揚げて谷底を下るのであつた。濃く青く清々とした山気は窓から流込んで、次第に高原へちかづいたことを感ぜさせる。
 やがて、汽車は上田へ着いた。旅人は多くこの停車場ステーションで下りた。蓮太郎も、妻君も、弁護士も。『瀬川君、いづれそれでは根津で御目に懸ります――失敬。』う言つて、再会を約して行く先輩の後姿を、丑松は可懐なつかしさうに見送つた。
 急に室の内は寂しくなつたので、丑松は冷い鉄の柱にもたれ乍ら、眼をつむつての意外な邂逅めぐりあひを思ひ浮べて見た。慾を言へば、何となく丑松は物足りなかつた。彼程あれほど打解けて呉れて、彼程隔ての無い言葉を掛けられても、まだ丑松は何処かに冷淡よそ/\しい他人行儀なところがあると考へて、奈何どうして是程の敬慕の情が彼の先輩の心に通じないのであらう、と斯う悲しくも情なくも思つたのである。ねたむでは無いが、の老紳士の親しくするのが羨ましくも思はれた。
 其時になつて丑松もあきらかに自分の位置を認めることが出来た。敬慕も、同情も、すべて彼の先輩に対して起る心の中のやるせなさは――自分も亦た同じやうに、『穢多である』といふ切ない事実から湧上るので。其秘密をかくして居る以上は、仮令たとひ口の酸くなるほど他の事を話したところで、自分の真情が先輩の胸にこたへる時は無いのである。無理もない。あゝ、あゝ、其を告白うちあけて了つたなら、奈何どんなに是胸の重荷が軽くなるであらう。奈何に先輩は驚いて、自分の手を執つて、『君も左様さうか』と喜んで呉れるであらう。奈何に二人の心と心とがハタと顔を合せて、互ひに同じ運命を憐むといふ其深い交際まじはりに入るであらう。
 左様さうだ――せめて彼の先輩だけには話さう。斯う考へて、丑松は楽しい再会の日を想像して見た。
 
       (三)
 
 田中の停車場ステーションへ着いた頃は日暮に近かつた。根津村へ行かうとするものは、こゝで下りて、一里あまり小県ちひさがたの傾斜を上らなければならない。
 丑松が汽車から下りた時、高柳も矢張同じやうに下りた。流石さすが代議士の候補者と名乗る丈あつて、風采おしだしは堂々とした立派なもの。権勢と奢侈とでゑたやうな其姿の中には、何処どことなくう沈んだところもあつて、時々盗むやうに是方こちらを振返つて見た。成るべく丑松を避けるといふ風で、顔を合すまいと勉めて居ることは、いよ/\其素振そぶりで読めた。『何処へいくのだらう、彼男は。』と見ると、高柳は素早くらちを通り抜けて、引隠れる場処を欲しいと言つたやうな具合に、旅人の群に交つたのである。深く外套に身を包んで、人目を忍んで居るさへあるに、出迎への人々に取囲とりまかれて、自分と同じ方角を指して出掛けるとは。
 北国街道を左へ折れて、桑畠くはばたけの中の細道へ出ると、最早もう高柳の一行は見えなかつた。石垣で積上げた田圃と田圃との間の坂路を上るにつれて、烏帽子ゑぼし山脈の大傾斜が眼前めのまへに展けて来る。広野、湯の丸、籠の塔、または三峯さんぽう、浅間の山々、其他ところ/″\に散布する村落、松林――一つとして回想おもひでの種と成らないものはない。千曲川ちくまがはは遠く谷底を流れて、日をうけておもしろく光るのであつた。
 其日は灰紫色の雲が西の空にむらがつて、飛騨ひだの山脈を望むことは出来なかつた。あの千古人跡の到らないところ、もし夕雲のへだてさへ無くば、定めし最早もう皚々がい/\とした白雪が夕日を帯びて、天地の壮観は心を驚かすばかりであらうと想像せられる。山を愛するのは丑松の性分で、斯うして斯の大傾斜大谿谷の光景ありさまを眺めたり、又は斯の山間に住む信州人の素朴な風俗と生活とを考へたりして、岩石の多い凸凹でこぼこした道を踏んで行つた時は、若々しい総身の血潮が胸をいて湧上るやうに感じた。今は飯山の空も遠く隔つた。どんなに丑松は山の吐く空気を呼吸して、暫時しばらく自分を忘れるといふ其楽しい心地に帰つたであらう。
 山上の日没も美しく丑松の眼に映つた。次第に薄れて行く夕暮の反射を受けて、山々の色も幾度いくたびか変つたのである。赤は紫に。紫は灰色に。しまひには野も岡も暮れ、影は暗く谷から谷へ拡つて、最後の日の光は山のいたゞきにばかり輝くやうになつた。丁度天空の一角にあたつて、黄ばんで燃える灰色の雲のやうなは、浅間の煙のなびいたのであらう。
 ういふ楽しい心地こゝろもちは、とは言へ、長く続かなかつた。荒谷あらやのはづれ迄行けば、向ふの山腹に連なる一村の眺望、暮色に包まれた白壁土壁のさま、其山家風の屋根と屋根との間に黒ずんで見えるのは柿のこずゑか――あゝ根津だ。帰つて行く農夫の歌を聞いてすら、丑松はもう胸を騒がせるのであつた。小諸の向町から是処こゝへ来て隠れた父の生涯しやうがい、それを考へると、黄昏たそがれの景気を眺める気も何も無くなつてしまふ。切なさは可懐なつかしさに交つて、足もおのづからふるへて来た。あゝ、自然の胸懐ふところ一時ひととき慰藉なぐさめに過ぎなかつた。根津にちかづけば近くほど、自分が穢多である、調里(新平民の異名)である、と其心地こゝろもちが次第に深くおそひ迫つて来たので。
 暗くなつて第二の故郷へ入つた。もと/\父が家族を引連れて、この片田舎に移つたのは、牧場へ通ふ便利を考へたばかりで無く、僅少わづかばかりの土地を極く安く借受けるやうな都合もあつたからで。現に叔父が耕して居るのは其畠である。流石さすがに用心深い父は人目につかない村はづれをえらんだので、根津の西町から八町程離れて、とある小高い丘のすそのところに住んだ。
 長野県小県郡根津村大字姫子沢――丑松が第二の故郷とは、其五十戸ばかりの小部落を言ふのである。
 
       (四)
 
 父の死去した場処は、の根津村の家ではなくて、西乃入にしのいり牧場の番小屋の方であつた。叔父は丑松の帰村を待受けて、一緒に牧場へ出掛ける心算つもりであつたので、兎も角も丑松を炉辺ろばたゑ、旅の疲労つかれを休めさせ、例の無慾な、心の好ささうな声で、亡くなつた人の物語を始めた。炉の火はさかんに燃えた。叔母もすゝり上げながら耳を傾けた。聞いて見ると、父の死去は、老の為でもなく、病の為でも無かつた。まあ、言はゞ、職業の為に突然な最後を遂げたのであつた。一体、父が家畜を愛する心は天性に近かつたので、随つて牧夫としての経験も深く、人にも頼まれ、牧場の持主にも信ぜられた位。牛の性質なぞはなか/\く暗記して居たもの。よもやの老練な人が其道に手ぬかりなどの有らうとは思はれない。そこがそれ人の一生の測りがたさで、不図ふとある種牛を預つた為に、意外な出来事を引起したのであつた。種牛といふのは性質たちが悪かつた。もつとも、多くの牝牛めうしの群の中へ、一頭の牡牛をうしを放つのであるから、普通の温順おとなしい種牛ですら荒くなる。時としては性質が激変する。まして始めから気象の荒い雑種と来たからたまらない。広濶ひろ/″\とした牧場の自由と、誘ふやうな牝牛の鳴声とは、其種牛を狂ふばかりにさせた。しまひには家養の習慣も忘れ、荒々しい野獣の本性ほんしやうに帰つて、行衛ゆくへが知れなくなつてしまつたのである。三日つても来ない。四日経つても帰らない。さあ、父は其を心配して、毎日水草の中をさがして歩いて、ある時は深い沢を分けて日の暮れる迄も尋ねて見たり、ある時は山から山をあさつて高い声で呼んで見たりしたが、何処にも影は見えなかつた。昨日の朝、父はまた捜しに出た。いつも遠く行く時には、必ず昼飯ひるを用意して、例の『山猫』(かまなたのこぎりなどの入物)に入れて背負しよつて出掛ける。ところが昨日に限つては持たなかつた。時刻に成つても帰らない。手伝ひの男も不思議に思ひ乍ら、塩を与へる為に牛小屋のあるところへ上つて行くと、牝牛の群が喜ばしさうに集まつて来る。丁度其中には、例の種牛もとぼがほに交つて居た。見れば角は紅く血に染つた。驚きもし、あきれもして、来合せた人々と一緒になつて取押へたが、其時はもう疲れて居たせゐか、別に抵抗てむかひも為なかつた。さて男は其処此処そここゝと父を探して歩いた。やうやく岡の蔭の熊笹の中に呻吟うめき倒れて居るところを尋ね当てゝ、肩に掛けて番小屋迄連れ帰つて見ると、手当も何も届かない程の深傷ふかで。叔父が聞いて駈付けた時は、まだ父は確乎しつかりして居た。最後に気息いきを引取つたのが昨夜の十時頃。今日は人々も牧場に集つて、番小屋で通夜と極めて、いづれも丑松の帰るのを待受けて居るとのことであつた。
『といふ訳で、』と叔父は丑松の顔を眺めた。『私が阿兄あにきに、何か言つて置くことはねえか、と尋ねたら、苦しい中にも気象はしやんとしたもので、「俺も牧夫だから、牛の為に倒れるのは本望だ。今となつては他に何にも言ふことはねえ。唯気にかゝるのは丑松のこと。俺が今日迄の苦労は、皆な彼奴あいつの為を思ふから。日頃俺は彼奴に堅く言聞かせて置いたことがある。何卒どうか丑松が帰つて来たら、忘れるな、と一言左様さう言つてお呉れ。」』
 丑松は首を垂れて、黙つて父の遺言を聞いて居た。叔父はなほ言葉を継いで、
『「それから、俺はの牧場の土と成りたいから、葬式は根津の御寺でしねえやうに、成るなら斯の山でやつてお呉れ。俺がくなつたとは、小諸こもろの向町へ知らせずに置いてお呉れ――頼む。」と斯う言ふから、其時わしが「むゝ、解つた、解つた」と言つてやつたよ。すると阿兄あにきは其がうれしかつたと見え、につこり笑つて、やがて私の顔を眺め乍らボロ/\と涙をこぼした。それぎりもう阿兄は口を利かなかつた。』
 斯ういふ父の臨終の物語は、言ふに言はれぬ感激を丑松の心に与へたのである。牧場の土と成りたいと言ふのも、山で葬式をして呉れと言ふのも、小諸の向町へ知らせずに置いて呉れと言ふのも、畢竟つまるところは丑松の為を思ふからで。丑松は其精神を酌取くみとつて、父の用意の深いことを感ずると同時に、又、一旦斯うと思ひ立つたことは飽くまで貫かずには置かないといふ父の気魄たましひの烈しさを感じた。実際、父が丑松に対する時は、厳格を通り越して、残酷な位であつた。亡くなつた後までも、なほ丑松は父をおそれたのである。
 やがて丑松は叔父と一緒に、西乃入牧場を指して出掛けることになつた。万事は叔父の計らひで、検屍けんしも済み、棺も間に合ひ、通夜の僧は根津の定津院じやうしんゐんの長老を頼んで、既に番小屋の方へ登つて行つたとのこと。明日の葬式の用意は一切叔父が呑込んで居た。丑松は唯出掛けさへすればよかつた。此処から烏帽子ゑぼしだけの麓まで二十町あまり。其間、田沢の峠なぞを越して、寂しい山道を辿らなければならない。其晩は鼻をまゝれる程の闇で、足許あしもとさへも覚束なかつた。丑松は先に立つて、提灯の光に夜路を照らし乍ら、山深く叔父を導いて行つた。人里を離れて行けば行くほど、次第に路は細く、落ち朽ちた木葉を踏分けて僅かに一条ひとすぢの足跡があるばかり。こゝは丑松が少年の時代に、く父に連れられて、往つたり来たりしたところである。牛小屋のある高原の上へ出る前に、二人はいくつか小山を越えた。
 
       (五)
 
 谷を下ると其処がもう番小屋で、人々は狭い部屋の内に集つて居た。灯は明々あか/\と壁をれ、木魚もくぎよの音も山の空気に響き渡つて、流れ下る細谷川の私語さゝやきに交つて、一層の寂しさあはれさを添へる。家の構造つくりは、唯雨露あめつゆを凌ぐといふばかりに、きもし囲ひもしてある一軒屋。たまさか殿城山の間道を越えて鹿沢かざは温泉へ通ふ旅人が立寄るより外には、ふ人も絶えて無いやうな世離れたところ。炭焼、山番、それから斯の牛飼の生活――いづれも荒くれた山住の光景ありさまである。丑松は提灯ちやうちんを吹消して、叔父と一緒に小屋の戸を開けて入つた。
 定津院の長老、世話人と言つて姫子沢の組合、其他父が生前懇意にした農家の男女をとこをんな――それらの人々から丑松は親切な弔辞くやみを受けた。仏前の燈明は線香のけぶりに交る夜の空気を照らして、何となく部屋の内も混雑して居るやうに見える。父の遺骸なきがらを納めたといふは、く粗末な棺。其周囲まはりを白い布で巻いて、前には新しい位牌ゐはいを置き、水、団子、外には菊、しきみ緑葉みどりばなぞを供へてあつた。読経も一きりになつた頃、僧の注意で、年老いた牧夫の見納めの為に、かはる/″\棺の前に立つた。死別のなみだは人々の顔を流れたのである。丑松も叔父に導かれ、すこし腰をこゞめ、薄暗い蝋燭らふそくの灯影に是世の最後の別離わかれを告げた。見れば父は孤独な牧夫の生涯を終つて、牧場の土深く横はる時を待つかのやう。死顔は冷かにあをざめて、血の色も無く変りはてた。叔父は例の昔気質むかしかたぎから、他界あのよの旅の便りにもと、編笠、草鞋わらぢ、竹の輪なぞを取添へ、別に魔除まよけと言つて、刃物を棺の蓋の上に載せた。やが読経どきやうが始まる、木魚の音が起る、追懐の雑談は無邪気な笑声に交つて、物食ふ音と一緒になつて、哀しくもあり、騒がしくもあり、人々に妨げられて丑松は旅の疲労つかれを休めることも出来なかつた。
 一夜は斯ういふ風に語り明した。小諸の向町へは通知して呉れるなといふ遺言もあるし、それに移住ひつこし以来このかた十七年あまりも打絶えて了つたし、是方こちらからも知らせてやらなければ、向ふからも来なかつた。昔の『お頭』が亡くなつたと聞伝へて、下手なものにやつて来られては反つて迷惑すると、叔父は唯そればかり心配して居た。斯の叔父に言はせると、墓を牧場に択んだのは、かねて父が考へて居たことで。といふは、もし根津の寺なぞへ持込んで、普通の農家の葬式で通ればよし、さも無かつた日には、断然謝絶ことわられるやうな浅猿あさましい目に逢ふから。習慣の哀しさには、穢多は普通の墓地に葬る権利が無いとしてある。父は克く其を承知して居た。父は生前も子の為に斯ういふ山奥に辛抱して居た。死後もまた子の為に斯の牧場に眠るのを本望としたのである。
『どうかして斯の「おじやんぼん」(葬式)は無事に済ましたい――なあ、丑松、俺はこれでも気が気ぢやねえぞよ。』
 斯ういふ心配は叔父ばかりでは無かつた。
 翌日あくるひの午後は、会葬の男女をとこをんなが番小屋の内外うちそとに集つた。牧場の持主を始め、日頃牝牛を預けて置く牛乳屋なぞも、其と聞伝へたかぎりは弔ひにやつて来た。父の墓地は岡の上の小松のわきと定まつて、やがていよいよ野辺送りを為ることになつた時は、住み慣れた小屋の軒をかつがれて出た。棺の後には定津院の長老、つゞいて腕白顔な二人の子坊主、丑松は叔父と一緒に藁草履穿わらざうりばき、女はいづれも白の綿帽子を冠つた。人々は思ひ/\の風俗、紋付もあれば手織縞ておりじまの羽織もあり、山家の習ひとして多くは袴も着けなかつた。斯の飾りの無い一行の光景ありさまは、素朴な牛飼の生涯にく似合つて居たので、順序も無く、礼儀も無く、唯真心まごゝろこもる情一つに送られて、静かに山を越えた。
 式もた簡短であつた。単調子なかね、太鼓、※(「金+祓のつくり」、第3水準1-93-6)ねうはちの音、回想おもひでの多い耳には其も悲哀な音楽と聞え、器械的な回向と読経との声、悲嘆なげきのある胸には其もあはれの深い挽歌ばんかのやうに響いた。礼拝らいはいし、合掌し、焼香して、軈て帰つて行く人々も多かつた。棺は間もなく墓と定めた場処へ移されたので、そこには掘起された『のつぺい』(土の名)が堆高うづたかく盛上げられ、咲残る野菊の花も土足に踏散らされてあつた。人々は土をつかんで、穴をめがけて投入れる。叔父も丑松も一塊ひとかたまりづゝ投入れた。最後にくはで掻落した時は、崖崩れのやうな音して烈しく棺の蓋を打つ。それさへあるに、土気の襄上のぼ臭気にほひぷんと鼻をいて、堪へ難い思をさせるのであつた。次第に葬られて、小山の形の土饅頭が其処に出来上るまで、丑松は考深く眺め入つた。叔父も無言であつた。あゝ、父は丑松の為に『忘れるな』の一語ひとことを残して置いて、最後の呼吸にまで其精神を言ひ伝へて、斯うして牧場の土深く埋もれて了つた――もう斯世このよの人では無かつたのである。
 
       (六)
 
 かくも葬式は無事にんだ。後の事は牧場の持主に頼み、番小屋は手伝ひの男に預けて、一同姫子沢へ引取ることになつた。の小屋に飼養かひやしなはれて居る一匹の黒猫、それも父の形見であるからと、しきりに丑松は連帰らうとして見たが、住慣すみなれた場処に就く家畜の習ひとして、離れて行くことを好まない。物を呉れても食はず、呼んでも姿を見せず、唯縁の下をあちこちと鳴き悲む声のあはれさ。畜生ながらに、亡くなつた主人を慕ふかと、人々も憐んで、これから雪の降る時節にでも成らうものなら何を食つて山籠りする、と各自てんでに言ひ合つた。『可愛さうに、山猫にでも成るだらず。』斯う叔父は言つたのである。
 やがて人々は思ひ/\に出掛けた。番小屋を預かる男は塩を持つて、岡の上まで見送り乍らいて来た。十一月上旬の日の光は淋しく照して、この西乃入牧場に一層荒寥くわうれうとした風趣おもむきを添へる。見れば小松はところ/″\。山躑躅やまつゝじは、多くの草木の中に、牛の食はないものとして、かへつて一面に繁茂して居るのであるが、それも今は霜枯れて見る影が無い。何もかも父の死を冥想させる種と成る。うれひつゝ丑松は小山の間の細道を歩いた。父をの牧場に訪れたは、丁度足掛三年前の五月の下旬であつたことを思出した。それは牛の角のかゆくなるといふ頃で、斯の枯々な山躑躅が黄や赤に咲乱れて居たことを思出した。そここゝにわらびる子供の群を思出した。山鳩のく声を思出した。其時は心地こゝろもちの好い微風そよかぜが鈴蘭(君影草とも、谷間の姫百合とも)の花を渡つて、初夏の空気を匂はせたことを思出した。父は又、岡の上の新緑を指して見せて、斯の西乃入には柴草が多いから牛の為に好いと言つたことを思出した。其青葉を食ひ、塩をめ、谷川の水を飲めば、牛の病は多くなほると言つたことを思出した。父はまた附和つけたして、さま/″\な牧畜の経験、類を以て集る牛の性質、初めて仲間入する時の角押しの試験、畜生とは言ひ乍ら仲間同志を制裁する力、其他女王のやうに牧場を支配する一頭の牝牛なぞの物語をして、それがいかにも面白く思はれたことを思出した。
 父は烏帽子ゑぼしだけの麓に隠れたが、功名を夢見る心は一生火のやうに燃えた人であつた。そこは無欲な叔父と大に違ふところで、そのおさへきれないやうな烈しい性質の為に、世に立つて働くことが出来ないやうな身分なら、いつそ山奥へ高踏ひつこめ、といふ憤慨の絶える時が無かつた。自分で思ふやうに成らない、だから、せめて子孫は思ふやうにしてやりたい。自分が夢見ることは、何卒どうか子孫に行はせたい。よしや日は西から出て東へ入る時があらうとも、この志ばかりは堅くつて変るな。行け、戦へ、身を立てよ――父の精神はそこに在つた。今は丑松も父の孤独な生涯を追懐して、の遺言に籠る希望と熱情とを一層力強く感ずるやうに成つた。忘れるなといふ一生の教訓をしへの其生命いのち――あへぐやうな男性をとこ霊魂たましひの其呼吸――子の胸に流れ伝はる親の其血潮――それは父の亡くなつたと一緒にいよ/\深い震動を丑松の心に与へた。あゝ、死は無言である。しかし丑松の今の身に取つては、千百の言葉を聞くよりも、一層もつと深く自分の一生のことを考へさせるのであつた。
 牛小屋のあるところまで行くと、父の残した事業が丑松の眼に映じた。一週ひとまはりすれば二里半にあまるといふ天然の大牧場、そここゝの小松のわきにはたり起きたりして居る牝牛の群も見える。牛小屋は高原の東の隅に在つて、粗造そまつな柵の内にはだ角の無いこうしも幾頭か飼つてあつた。例の番小屋を預かる男は人々を款待顔もてなしがほに、枯草を焚いて、なほさま/″\の燃料たきつけを掻集めて呉れる。丁度そこには叔父も丑松も待合せて居た。男も、女も、斯の焚火の周囲まはりに集つたかぎりは、昨夜一晩寝なかつた人々、かてゝ加へて今日の骨折――中にはもう烈しい疲労つかれが出て、半分眠り乍ら落葉の焼ける香を嗅いで居るものもあつた。叔父は、牛の群に振舞ふと言つて、あちこちの石の上に二合ばかりの塩を分けてやる。父の飼ひ慣れたものかと思へば、丑松も可懐なつかしいやうな気になつてながめた。それと見た一頭の黒い牝牛は尻毛を動かして、塩の方へちかづいて来る。眉間みけんと下腹と白くて、他はすべて茶褐色な一頭も耳を振つて近いた。もうと鳴いてこうしぶちも。さすがに見慣れない人々を憚るかして、いづれも鼻をうごめかして、塩の周囲まはりを遠廻りするものばかり。めたさは嘗めたし、烏散うさんな奴は見て居るし、といふ顔付をして、じり/\寄りに寄つて来るのもあつた。
 斯の光景ありさまを見た時は、叔父も笑へば、丑松も笑つた。斯ういふ可愛らしい相手があればこそ、寂しい山奥に住まはれもするのだと、人々も一緒になつて笑つた。やがて一同暇乞ひして、斯の父の永眠の地に別離わかれを告げて出掛けた。烏帽子、角間かくま四阿あづまや、白根の山々も、今は後に隠れる。富士神社を通過とほりすぎた頃、丑松は振返つて、父の墓のある方を眺めたが、其時はもう牛小屋も見えなかつた――唯、蕭条せうでうとした高原のかなたに当つて、細々と立登る一条ひとすぢの煙の末が望まれるばかりであつた。
 
 

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