破戒(11〜最終章) 島崎藤村

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   第拾七章
 
       (一)
 
 勘定を済まして笹屋を出る時、始めて丑松は月給のうちを幾許いくらたもとに入れて持つて来たといふことに気が着いた。それは銀貨で五十銭ばかりと、外に五円紙幣さつ一枚あつた。父の存命中は毎月為替かはせで送つて居たが、今は其をる必要も無いかはり、帰省の当時大分つかつた為に斯金このかねが大切のものに成つて居る、彼是かれこれを考へると左様無暗には費はれない。しかし丑松の心は暗かつた。自分のことよりは敬之進の家族を憐むのが先で、かく省吾の卒業する迄、月謝や何かは助けてりたい――斯う考へるのも、畢竟つまりはお志保を思ふからであつた。
 酔つて居る敬之進をうちまで送り届けることにして、一緒に雪道を歩いて行つた。ふるへるやうな冷い風に吹かれて、寒威さむさ抵抗てむかひする力が全身に満ちあふれると同時に、丑松はまた精神こゝろ内部なかの方でもすこし勇気を回復した。並んで一緒に歩く敬之進は、と見ると――釣竿を忘れずにかついで来た程、其様そんなひどく酔つて居るとも思はれないが、しかし不規則な、覚束ない足許あしもとで、彼方あつちへよろ/\、是方こつちへよろ/\、どうかすると往来の雪の中へ倒れかゝりさうに成る。『あぶない、あぶない。』と丑松が言へば、敬之進は僅かに身を支へて、『ナニ、雪の中だ? 雪の中、結構――下手な畳の上よりも、結句是方このはうが気楽だからね。』これには丑松も持余してしまつて、是雪このゆきの中で知らずに寝て居たら奈何どうするだらう、斯う思ひやつて身を震はせた。斯の老朽な教育者の末路、彼の不幸なお志保の身の上――まあ、丑松は敬之進親子のことばかり思ひつゞけ乍らいて行つた。
 敬之進の住居すまひといふは、どこから見ても古い粗造な農家風の草屋。もとは城側しろわきの広小路といふところに士族屋敷の一つを構へたとか、其はもうずつとふるい話で、下高井の方から帰つて来た時に、今のところへ移住うつりすんだのである。入口の壁の上に貼付けたものは、く北信の地方に見かける御札で、烏の群れて居る光景さまを表してある。土壁には大根の乾葉ひば唐辛たうがらしなぞを懸け、粗末な葦簾よしずの雪がこひもしてあつた。丁度其日は年貢ねんぐを納めると見え、入口の庭にむしろを敷きつめ、堆高うづだかく盛上げたもみは土間一ぱいに成つて居た。丑松は敬之進を助け乍ら、一緒に敷居を跨いで入つた。裏木戸のところに音作、それと見て駈寄つて、いつまでも昔忘れぬ従僕しもべらしい挨拶。
『今日は御年貢おねんぐを納めるやうにツて、奥様おくさんおつしやりやして――はい、弟の奴も御手伝ひに連れて参じやした。』
 斯ういふ言葉を夢中に聞捨てゝ、敬之進は其処へ倒れて了つた。奥の方では、怒気いかりを含んだ細君の声と一緒に、叱られて泣く子供の声も起る。『何したんだ、どういふもんだ――めた(幾度も)悪戯わるさしちや困るぢやないかい。』といふ細君の声を聞いて、音作は暫時しばらく耳を澄まして居たが、やがて思ひついたやうに、
『まあ、それでも旦那さんの酔ひなすつたことは。』
 とむかしの主人を憐んで、助け起すやうにして、暗い障子しやうじの蔭へ押隠した。其時、口笛を吹き乍ら、入つて来たのは省吾である。
『省吾さん。』と音作は声を掛けた。『御願ひでごはすが、彼の地親ぢやうやさん(ぢおやのなまり、地主の意)になあ、早く来て下さいツて、左様言つて来て御呉おくんなんしよや。』
 
       (二)
 
 間も無く細君も奥の方から出て来て、其処に酔倒れて居る敬之進が復た/\丑松の厄介に成つたことを知つた。周囲まはりに集る子供等は、いづれも母親の思惑おもはくはゞかつて、互に顔を見合せたり、ふるへたりして居た。流石さすがに丑松の手前もあり、音作兄弟も来て居るので、細君は唯夫を尻目に掛けて、深い溜息を吐くばかりであつた。毎度敬之進が世話に成ること、此頃こなひだはまた省吾が結構なものを頂いたこと、それこれやの礼を述べ乍ら、せか/\と立つたりすわつたりして話す。丑松はこの細君の気の短い、忍耐力こらへじやうの無い、愚痴なところも感じ易いところもすべ外部そと露出あらはれて居るやうな――まあ、四十女にくある性質をて取つた。丁度そこへ来て、座りもせず、御辞儀もせず、とぼがほに立つた小娘は、斯細君の二番目の児である。
『これ、お作や。御辞儀しねえかよ。其様そんな他様ひとさまの前で立つてるもんぢや無えぞよ。奈何どうして吾家うちの児はう行儀が不良わるいだらず――』
 といふ細君の言葉なぞを聞入れるお作では無かつた。見るからして荒くれた、男の児のやうな小娘。これがお志保の異母はらちがひ姉妹きやうだいとは、奈何しても受取れない。
『まあ、斯児このこ兄姉中きやうだいぢゆうで一番仕様が無え――もうすこし母さんの言ふことを聞くやうだと好いけれど。』
 と言はれても、お作は知らん顔。何時の間にかぷいと駈出して行つて了つた。
 午後の光は急に射入つて、暗い南窓の小障子も明るく、幾年張替へずにあるかと思はれる程の紙の色は赤黒くすゝけて見える。『あゝ日があたつて来た、』と音作は喜んで、『先刻さつき迄は雪模様でしたが、こりや好い塩梅あんばいだ。』斯う言ひ乍ら、弟と一緒に年貢の準備したくを始めた。薄く黄ばんだ冬の日は斯の屋根の下の貧苦と零落とを照したのである。一度農家を訪れたものは、今丑松が腰掛けて居る板敷の炉辺ろばたを想像することが出来るであらう。其処は家族が食事をする場処でもあれば、客を款待もてなす場処でもある。庭は又、勝手でもあり、物置でもあり、仕事場でもあるので、表から裏口へ通り抜けて、すくなくも斯の草屋の三分の一を土間で占めた。彼方あちらの棚には茶椀、皿小鉢、油燈カンテラ等を置き、是方こちらの壁には鎌を懸け、種物の袋を釣るし、片隅に漬物桶、炭俵。台所の道具は耕作の器械と一緒にして雑然ごちや/\置並べてあつた。高いところに鶏のねぐらも作り付けてあつたが、其は空巣も同然で、鳥らしいものが飼はれて居るとは見えなかつたのである。
 の草屋はお志保の生れた場処で無いまでも、蓮華寺へ貰はれて行く前、敬之進の言葉によれば十三の春まで、斯の土壁の内に育てられたといふことが、ひどく丑松の注意を引いた。部屋は三間ばかりも有るらしい。軒の浅い割合に天井の高いのと、外部そとに雪がこひのして有るのとで、何となくうちの内が薄暗く見える。壁は粗末な茶色の紙で張つて、年々とし/″\の暦と錦絵とが唯一つの装飾といふことに成つて居た。定めしお志保も斯の古壁の前に立つて、幼い眼に映る絵の中の男女をとこをんなを自分の友達のやうに眺めたのであらう。思ひやると、其昔のこともおもかげに描かれて、言ふに言はれぬ可懐なつかしさを添へるのであつた。
 其時、草色の真綿帽子を冠り、糸織の綿入羽織を着た、五十あまりの男が入口のところにあらはれた。
地親ぢやうやさんでやすよ。』
 と省吾は呼ばゝり乍ら入つて来た。
 
       (三)
 
 地主といふは町会議員の一人。陰気な、無愛相ぶあいそな、く/\口の重い人で、一寸丑松に会釈ゑしやくした後、黙つて炉の火に身を温めた。ういふ性質たちの男は克く北部の信州人の中にあつて、理由わけも無しに怒つたやうな顔付をして居るが、其実怒つて居るのでも何でも無い。丑松は其を承知して居るから、格別気にも留めないで、年貢の準備したく多忙いそがしい人々の光景ありさまを眺め入つて居た。いつぞや郊外で細君や音作夫婦が秋の収穫とりいれに従事したことは、まだ丑松の眼にあり/\残つて居る。の庭に盛上げた籾の小山は、実に一年ひとゝせの労働の報酬むくいなので、今その大部分を割いて高い地代を払はうとするのであつた。
 十六七ばかりの娘が入つて来て、筵の上に一升ますを投げて置いて、やがてまた駈出して行つた。細君は庭の片隅に立つて、腰のところへ左の手をあてがひ乍ら、さも/\つまらないと言つたやうな風に眺めた。泣いて屋外そとから入つて来たのは、斯の細君の三番目の児、お末と言つて、五歳いつゝに成る。何か音作に言ひなだめられて、お末は尚々なほ/\身をふるはせて泣いた。頭から肩、肩から胴まで、泣きじやくりする度に震へ動いて、言ふことも能くは聞取れない。
『今に母さんが好い物を呉れるから泣くなよ。』
 と細君は声を掛けた。お末はすゝり上げ乍ら、母親の側へ寄つて、
『手がつめたい――』
『手が冷い? そんなら早く行つて炬燵おこたへあたれ。』
 う言つて、凍つた手を握〆にぎりしめながら、細君はお末を奥の方へ連れて行つた。
 其時は地主も炉辺ろばたを離れた。真綿帽子を襟巻がはりにして、袖口と袖口とを鳥の羽翅はがひのやうに掻合せ、半ば顔をうづめ、我と我身を抱き温め乍ら、庭に立つて音作兄弟の仕度するのを待つて居た。
奈何どうでござんすなあ、もみのこしらへ具合は。』
 と音作は地主の顔を眺める。地主の声は低くて、其返事が聞取れない位。やがて、白い手を出して籾をすくつて見た。一粒口の中へ入れて、掌上てのひらのをもながながら、
空穀しひなが有るねえ。』
 と冷酷ひやゝかな調子で言ふ。音作は寂しさうに笑つて、
『空穀でも無いでやす――雀には食はれやしたが、しかし坊主(稲の名)が九分で、目は有りやすよ。まあ、一俵こしらへて掛けて見やせう。』
 六つばかりの新しい俵が其処へ持出された。音作はの中へ籾を抄入すくひいれて、其を大きな円形の一斗桝へうつす。地主は『とぼ』(丸棒)を取つて桝の上を平にはかつた。俵の中へは音作の弟が詰めた。もつとも弟は黙つて詰めて居たので、兄の方は焦躁もどかしがつて、『貴様これへ入れろ――声掛けなくちや御年貢のやうで無くて不可いけない。』と自分の手に持つを弟の方へ投げて遣つた。
『さあ、沢山どつしり入れろ――一わたりよ、二わたりよ。』
 と呼ぶ音作の声が起つた。一俵につき大桝で六斗づゝ、外に小桝で――娘が来て投げて置いて行つたので、三升づゝ、都合六斗三升の籾の俵が其処へ並んだ。
『六俵で内取に願ひやせう。』
 と音作は俵蓋さんだはらおほひ冠せ乍ら言つた。地主は答へなかつた。目を細くして無言で考へて居るは、胸の中に十露盤そろばんを置いて見るらしい。何時いつの間にか音作の弟が大きなはかりを持つて来た。一俵掛けて、兄弟してうんと力を入れた時は、二人とも顔が真紅まつかに成る。地主ははかりざを平均たひらになつたのを見澄まして、おもりの糸を動かないやうに持添へ乍ら調べた。
『いくら有やす。』と音作はのぞき込んで、『むゝ、出放題ではうでえあるは――』
『十八貫八百――是は魂消たまげた。』と弟も調子を合せる。
『十八貫八百あれば、まあ、好い籾です。』と音作は腰を延ばして言つた。
『しかし、へうにもある。』と地主はどこまでも不満足らしい顔付。
左様さうです。俵にも有やすが、其は知れたもんです。』
 といふ兄の言葉に附いて、弟はまた独語ひとりごとのやうに、
おらがとこは十八貫あれば好いだ。』
『なにしろ、坊主九分交りといふ籾ですからなあ。』
 斯う言つて、音作は愚しい目付をしながら、傲然がうぜんとした地主の顔色をうかゞひ澄ましたのである。
 
       (四)
 
 光景ありさまを眺めて居た丑松は、可憐あはれな小作人の境涯きやうがいを思ひやつて――仮令たとひ音作が正直な百姓気質かたぎから、いつまでも昔の恩義を忘れないで、斯うして零落した主人の為に尽すとしても――なか/\細君の痩腕で斯の家族が養ひきれるものでは無いといふことを感じた。お志保が苦しいから帰りたいと言つたところで、『第一、八人の親子が奈何どうして食へよう』と敬之進も酒の上で泣いた。あゝ、実に左様さうだ。奈何して斯様こんなところへ帰つて来られよう。丑松は想像してふるへたのである。
『まあ、御茶一つお上り。』と音作に言はれて、地主は寒さうに炉辺へ急いだ。音作も腰に着けた煙草入を取出して、立つて一服やり乍ら、
『六俵の二斗五升取ですか。』
『二斗五升ツてことが有るもんか。』と地主はあざけつたやうに、『四斗五升よ。』
『四斗……』
『四斗五升ぢや無いや、四斗七升だ――左様だ。』
『四斗七升?』
 斯ういふ二人の問答を、細君は黙つて聞いて居たが、もう/\こらへきれないと言つたやうな風に、横合から話を引取つて、
『音さん。四斗七升の何のと言はないで、何卒どうか悉皆すつかり地親ぢやうやさんの方へ上げて了つて御呉おくんなんしよや――わしはもう些少すこしりやせん。』
其様そんな、奥様おくさんのやうな。』と音作はあきれて細君の顔を眺める。
『あゝ。』と細君は嘆息した。『何程いくら私ばかり焦心あせつて見たところで、肝心かんじんうちひとなんにも為ずに飲んだでは、やりきれる筈がごはせん。其を思ふと、私はもう働く気も何も無くなつてしまふ。加之おまけに、子供は多勢で、与太よた(頑愚)なものばかり揃つて居て――』
『まあ、左様さうおつしやらないで、わしに任せなされ――悪いやうにはねえからせえて。』と音作は真心籠めて言慰いひなぐさめた。
 細君は襦袢じゆばんの袖口で※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶちを押拭ひ乍ら、勝手元の方へ行つて食物くひもの準備したくを始める。音作の弟は酒を買つて帰つて来る。大丼が出たり、小皿が出たりするところを見ると、何が無くとも有合ありあはせのもので一杯出して、地主に飲んで貰ふといふ積りらしい。思へば小作人の心根こゝろね可傷あはれなものである。万事は音作のはからひ、酒のさかなには蒟蒻こんにやく油揚あぶらげの煮付、それに漬物を添へて出す位なもの。やがて音作はさかづきすゝめて、
れいですよ、かんではごはせんよ――地親ぢやうやさんは是方こつちでいらつしやるから。』
 と言はれて、始めて地主は微笑ほゝゑみもらしたのである。
 其時まで、丑松は細君に話したいと思ふことがあつて、其を言ふ機会も無く躊躇ちうちよして居たのであるが、斯うして酒が始つて見ると、何時いつ是地主が帰つて行くか解らない。御相伴おしやうばんに一つ、と差される盃を辞退して、ついと炉辺を離れた。表の入口のところへ省吾を呼んで、物の蔭に佇立たゝずみ乍ら、袂から取出したのは例の紙の袋に入れた金である。丑松は斯う言つた。後刻あとで斯の金を敬之進に渡して呉れ。それから家の事情で退校させるといふ敬之進の話もあつたが、月謝や何かは斯中このなかから出して、是非今迄通りに学校へ通はせて貰ふやうに。『いゝかい、君、解つたかい。』と添加つけたして、それを省吾の手に握らせるのであつた。
『まあ、君は何といふ冷い手をしてゐるだらう。』
 斯う言ひ乍ら、丑松は少年の手を堅く握り締めた。じつと其の邪気あどけない顔付を眺めた時は、あのお志保の涙にれたすゞしいひとみを思出さずに居られなかつたのである。
 
       (五)
 
 敬之進の家を出て帰つて行く道すがら、すくなくも丑松はお志保の為に尽したことを考へて、自分で自分を慰めた。蓮華寺の山門にちかづいた頃は、灰色の雲が低く垂下つて来て、た雪になるらしい空模様であつた。蒼然さうぜんとした暮色は、たゞさへ暗い丑松の心に、一層の寂しさ味気なさを添へる。僅かに天の一方にあたつて、遠く深くくれなゐを流したやうなは、沈んで行く夕日の反射したのであらう。
 宵の勤行おつとめかねの音は一種異様な響を丑松の耳に伝へるやうに成つた。それは最早もう世離れた精舎しやうじやの声のやうにも聞えなかつた。今は梵音ぼんおん難有味ありがたさも消えて、唯同じ人間世界の情慾の声、といふ感想かんじしか耳の底に残らない。丑松は彼の敬之進の物語を思ひ浮べた。住職を卑しむ心は、卑しむといふよりは怖れる心が、胸をいて湧上つて来る。しかしお志保は其程のある花だ、其程人を※(「女+無」、第4水準2-5-80)ひきつける女らしいところが有るのだ、と斯う一方から考へて見て、いよ/\其人を憐むといふ心地こゝろもちに成つたのである。
 蓮華寺の内部なか光景ありさま――今は丑松も明に其真相を読むことが出来た。成程なるほど、左様言はれて見ると、それとない物のはしにも可傷いたましい事実は顕れて居る。左様さう言はれて見ると、始めて丑松が斯の寺へ引越して来た時のやうな家庭の温味あたゝかさは何時の間にか無くなつて了つた。
 二階へ通ふ廊下のところで、丑松はお志保につた。あをざめて死んだやうな女の顔付と、悲哀かなしみあふれた黒眸くろひとみとは――たとひ黄昏時たそがれどきほのかな光のなかにも――直に丑松の眼に映る。お志保もた不思議さうに丑松の顔を眺めて、丁度喪心さうしんした人のやうな男の様子を注意して見るらしい。二人は眼と眼を見交したばかりで、黙つて会釈ゑしやくして別れたのである。
 自分の部屋へ入つて見ると、最早そこいらは薄暗かつた。しかし丑松は洋燈ランプを点けようとも為なかつた。長いこと茫然として、独りで暗い部屋の内にすわつて居た。
 
       (六)
 
『瀬川さん、御勉強ですか。』
 と声を掛けて、奥様が入つて来たのは、それから二時間ばかりつてのこと。丑松の机の上には、日々にち/\思想かんがへ記入かきいれる仮綴の教案簿なぞが置いてある。黄ばんだ洋燈ランプの光は夜の空気をさみしさうに照して、思ひ沈んで居る丑松の影を古い壁の方へ投げた。煙草たばこのけむりも薄くこもつて、の部屋の内を朦朧もうろうと見せたのである。
何卒どうぞ私に手紙を一本書いて下さいませんか――みませんが。』
 と奥様は、用意して来た巻紙状袋を取出し乍ら、丑松の返事を待つて居る。其様子が何となく普通たゞでは無い、と丑松もて取つて、
『手紙を?』と問ひ返して見た。
『長野の寺院てらに居る妹のところへりたいのですがね、』と奥様は少許すこし言淀いひよどんで、『実は自分で書かうと思ひまして、書きかけては見たんです。奈何どうも私共の手紙は、唯長くばかり成つて、肝心かんじんの思ふことが書けないものですから。いつそこりや貴方あなたに御願ひ申して、手短く書いて頂きたいと思ひまして――どうして女の手紙といふものは斯う用がもとらないのでせう。まあ、私は何枚書き損つたか知れないんですよ――いえ、なに、其様そんなむづかしい手紙でも有ません。唯解るやうに書いて頂きさへすれば好いのですから。』
『書きませう。』と丑松は簡短に引受けた。
 斯答このこたへに力を得て、奥様は手紙の意味を丑松に話した。一身上のことに就いて相談したい――この手紙着次第ちやくしだい、是非々々々々出掛けて来るやうに、と書いて呉れと頼んだ。蟹沢から飯山迄は便船もつ、もし舟が嫌なら、途中迄車に乗つて、それから雪橇に乗替へて来るやうに、と書いて呉れと頼んだ。今度といふ今度こそは絶念あきらめた、自分はもう離縁する考へで居る、と書いて呉れと頼んだ。
『他の人とは違つて、貴方ですから、私も斯様こんなことを御願ひするんです。』と言ふ奥様の眼は涙ぐんで来たのである。『訳を御話しませんから、不思議だと思つて下さるかも知れませんが――』
『いや。』と丑松は対手あひての言葉をさへぎつた。『私も薄々聞きました――実は、あの風間さんから。』
『ホウ、左様さうですか。敬之進さんから御聞きでしたか。』と言つて、奥様は考深い目付をした。
もつとも、左様委敷くはしい事は私も知らないんですけれど。』
『あんまり馬鹿々々しいことで、貴方なぞに御話するのも面目ない。』と奥様は深い溜息をき乍ら言つた。『あゝ吾寺うちの和尚さんも彼年齢あのとしに成つて、だ今度のやうなことが有るといふは、全く病気なんですよ。病気ででも無くて、奈何して其様な心地こゝろもちに成るもんですか。まあ、瀬川さん、左様ぢや有ませんか。和尚さんもね、彼病気さへ無ければ、実に気分の優しい、好い人物ひとなんです――申分の無い人物なんです――いえ、私は今だつても和尚さんを信じて居るんですよ。』
 
       (七)
 
奈何どうして私はう物に感じ易いんでせう。』と奥様はすゝり上げた。『今度のやうなことが有ると、もう私はなんにも手に着きません。一体、和尚さんの病気といふのは、今更始つたことでも無いんです。先住は早くくなりまして、和尚さんが其後へ直つたのは、やうやく十七の年だつたといふことでした。丁度私が斯寺このてらかたづいて来た翌々年よく/\とし、和尚さんは西京へ修業に行くことに成ましてね――まあ、若い時にはく物が出来ると言はれて、諸国から本山へ集る若手の中でも五本の指に数へられたさうですよ――それで私は、其頃未だ生きて居た先住の匹偶つれあひと、今寺内に居る坊さんの父親おとつさんと、斯う三人でお寺を預つて、五年ばかり留守居をしたことが有ました。考へて見ると、和尚さんの病気はもう其頃から起つて居たんですね。相手の女といふは、西京のうをたなあぶら小路こうぢといふところにある宿屋の総領娘、といふことが知れたもんですから、さあ、寺内のせんの坊さんも心配して、早速西京へ出掛けて行きました。其時、私は先住の匹偶つれあひにも心配させないやうに、檀家だんかの人達の耳へも入れないやうにツて、奈何どんなに独りで気をみましたか知れません。やつとのこと、お金を遣つて、女の方の手を切らせました。そこで和尚さんも真実ほんたうりなければ成らないところです。ところが持つて生れた病は仕方の無いもので、それから三年つて、今度は東京にある真宗の学校へ勤めることに成ると、た病気が起りました。』
 手紙を書いて貰ひに来た奥様は、用をそつちのけにして、種々いろ/\並べたり訴へたりし始めた。淡泊さつぱりしたやうでもそこは女の持前で、聞いて貰はずには居られなかつたのである。
『尤も、』と奥様は言葉を続けた。『其時は、和尚さんを独りでつては不可いけないといふので――まあ学校の方から月給は取れるし、留守中のことは寺内の坊さんが引受けて居て呉れるし、それに先住の匹偶つれあひも東京を見たいと言ふもんですから、私も一緒に随いて行つて、三人して高輪たかなわのお寺を仕切つて借りました。其処から学校へは何程いくらも無いんです。く和尚さんは二本榎にほんえのき道路みちを通ひました。丁度その二本榎に、若い未亡人ごけさんうちがあつて、斯人このひとは真宗に熱心な、教育のある女でしたから、和尚さんも法話はなしを頼まれて行き/\しましたよ。忘れもしません、其女といふは背のすらりとした、白い優しい手をした人で、御墓参りに行くところを私も見掛けたことが有ます。ある時、其未亡人ごけさんうはさが出ると、和尚さんは鼻の先で笑つて、「むゝ、彼女あのをんなか――彼様あんなひねくれた女は仕方が無い」とひどけなすぢや有ませんか。奈何どうでせう、瀬川さん、其時は最早和尚さんが関係して居たんです。何時の間にか女は和尚さんの種を宿しました。さあ、和尚さんもあをく成つて了つて、「実はまないことをした」と私の前に手を突いて、謝罪あやまつたのです。根が正直な、好い性質の人ですから、悪かつたと思ふと直に後悔する。まあ、はたで見て居ても気の毒な位。「頼む」と言はれて見ると、私も放擲うつちやつては置かれませんから、手紙で寺内の坊さんを呼寄せました。其時、私の思ふには、「あゝこれは私に子が無いからだ。若し子供でも有つたら一層もつと和尚さんも真面目な気分に御成おなんなさるだらう。いつそ其女の児を引取つて自分の子にして育てようかしら。」と斯う考へたり、ある時は又、「みす/\私が傍に附いて居乍ら、其様そんな女に子供迄出来たと言はれては、第一私が世間へ恥かしい。いかに言つても情ないことだ。今度こそは別れよう。」と考へたりしたんです。そこがそれ、女といふものは気の弱いもので、優しい言葉の一つも掛けられると、今迄の事は最早もう悉皆すつかり忘れて了ふ。「あゝ、御気の毒だ――私が居なかつたら、奈何どんなに不自由を成さるだらう。」とまあ私も思ひ直したのですよ。間も無く女は和尚さんの子を産落しました。月不足つきたらずで、加之おまけに乳が無かつたものですから、満二月まるふたつきとは其児も生きて居なかつたさうです。和尚さんが学校を退くことに成つて、飯山へ帰る迄の私の心配は何程どれほどだつたでせう――丁度、今から十年前のことでした。それからといふものは、和尚さんも本気に成ましたよ。月に三度の説教は欠かさず、檀家の命日には必ず御経を上げに行く、近在廻りは泊り掛で出掛ける――さあ、檀家の人達も悉皆すつかり信用して、四年目の秋には本堂の屋根の修繕も立派に出来上りました。彼様あゝいふ調子で、ずつと今迄進んで来たら、奈何どんなにか好からうと思ふんですけれど、少許すこし羽振が良くなるとすぐに物に飽きるから困る。倦怠あきが来ると、た病気が起る。そりやあもう和尚さんの癖なんですからね。あゝ、男といふものは恐しいもので、彼程あれほど平常ふだん物の解つた和尚さんで有ながら、病気となると何の判別みさかへも着かなくなる。まあ瀬川さん、考へて見て下さい。和尚さんも最早もう五十一ですよ。五十一にも成つて、其様そんな気で居るかと思ふと、実に情ないぢや有ませんか。成程なるほど――今日こんにち飯山あたりの御寺様おてらさんで、女狂ひをないやうなものは有やしません。ですけれど、茶屋女を相手にるとか、妾狂ひを為るとか言へば、またそこにも有る。あのお志保におもひを懸けるなんて――私はあきれて物も言へない。奈何どう考へて見ても、其様な量見を起す和尚さんでは無いはずです。必定きつと、奈何かしたんです。まあ、気でもちがつて居るに相違ないんです。お志保は又、何もかも私に打開けて話しましてね、「母親おつかさん、心配しないで居て下さいよ、奈何どんな事が有つても私が承知しませんから」と言ふもんですから――いえ、彼娘あのこはあれでなか/\毅然しやんとした気象の女ですからね――其を私も頼みに思ひまして、「お志保、確乎しつかりして居てお呉れよ、阿爺おとつさんだつても物の解らない人では無し、お前と私の心地こゝろもちが屈いたら、必定きつと思ひ直して下さるだらう、阿爺さんが正気にかへるも復らないも二人の誠意まごゝろ一つにあるのだからね」う言つて、二人でさん/″\きました。なんの、私が和尚さんを悪く思ふもんですか。何卒どうかして和尚さんの眼が覚めるやうに――そればつかりで、私は斯様こんな離縁なぞを思ひ立つたんですもの。』
 
       (八)
 
 誠意まごゝろ籠る奥様の述懐を聞取つて、丑松は望みの通りに手紙の文句をしたゝめてやつた。幾度か奥様は口の中で仏の名をとなながら、これから将来さきのことを思ひわづらふといふ様子に見えるのであつた。
『おやすみ。』
 といふ言葉を残して置いて奥様が出て行つた後、丑松は机の側に倒れて考へて居たが、何時の間にかぐつすり寝込んで了つた。寝ても、寝ても、寝足りないといふ風で、斯うして横になれば直に死んだ人のやうに成るのが此頃の丑松の癖である。のみならず、深いところへ陥落おちいるやうな睡眠ねむりで、目が覚めた後は毎時いつも頭が重かつた。其晩も矢張同じやうに、同じやうな仮寝うたゝねから覚めて、暫時しばらく茫然ぼんやりとして居たが、やがて我に帰つた頃は、もう遅かつた。雪は屋外そとに降り積ると見え、時々窓の戸にあたつて、はた/\と物の崩れ落ちる音より外には、しんとして声一つしない、それは沈静ひつそりとした、気の遠くなるやうな夜――無論人の起きて居る時刻では無かつた。階下したでは皆な寝たらしい。不図ふと、何か斯うしのに泣くやうな若い人の声が細々と耳に入る。どうも何処から聞えるのか、其はく解らなかつたが、まあ楼梯はしごだんの下あたり、暗い廊下の辺ででもあるか、誰かしら声をむ様子。なほ能く聞くと、北の廊下の雨戸でも明けて、屋外そとながめて居るものらしい。あゝ――お志保だ――お志保の嗚咽すゝりなきだ――斯う思ひ附くと同時に、言ふに言はれぬ恐怖おそれ哀憐あはれみとが身をおそふやうに感ぜられる。尤も、丑松は半分夢中で聞いて居たので、つと立上つて部屋の内を歩き初めた時は、もう其声が聞えなかつた。不思議に思ひ乍ら、浮足になつて耳を澄ましたり、壁に耳を寄せて聞いたりした。しまひには、自分で自分を疑つて、あるひは聞いたと思つたのが夢ででもあつたか、と其音のほんとうそかすらも判断が着かなくなる。暫時しばらく丑松は腕組をして、油の尽きて来た洋燈ランプの火を熟視みまもり乍ら、茫然とそこに立つて居た。夜は更ける、しんは疲れる、軈て押入から寝道具を取出した時は、自分で自分の為ることを知らなかつた位。急に烈しく睡気ねむけして来たので、丑松は半分眠り乍ら寝衣ねまきを着更へて、直に感覚おぼえの無いところへ落ちて行つた。
 
 

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