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第拾七章
(一)
勘定を済まして笹屋を出る時、始めて丑松は月給のうちを幾許袂に入れて持つて来たといふことに気が着いた。それは銀貨で五十銭ばかりと、外に五円紙幣一枚あつた。父の存命中は毎月為替で送つて居たが、今は其を為る必要も無いかはり、帰省の当時大分費つた為に斯金が大切のものに成つて居る、彼是を考へると左様無暗には費はれない。しかし丑松の心は暗かつた。自分のことよりは敬之進の家族を憐むのが先で、兎に角省吾の卒業する迄、月謝や何かは助けて遣りたい――斯う考へるのも、畢竟はお志保を思ふからであつた。
酔つて居る敬之進を家まで送り届けることにして、一緒に雪道を歩いて行つた。慄へるやうな冷い風に吹かれて、寒威に抵抗する力が全身に満ち溢れると同時に、丑松はまた精神の内部の方でもすこし勇気を回復した。並んで一緒に歩く敬之進は、と見ると――釣竿を忘れずに舁いで来た程、其様に酷く酔つて居るとも思はれないが、しかし不規則な、覚束ない足許で、彼方へよろ/\、是方へよろ/\、どうかすると往来の雪の中へ倒れかゝりさうに成る。『あぶない、あぶない。』と丑松が言へば、敬之進は僅かに身を支へて、『ナニ、雪の中だ? 雪の中、結構――下手な畳の上よりも、結句是方が気楽だからね。』これには丑松も持余して了つて、若し是雪の中で知らずに寝て居たら奈何するだらう、斯う思ひやつて身を震はせた。斯の老朽な教育者の末路、彼の不幸なお志保の身の上――まあ、丑松は敬之進親子のことばかり思ひつゞけ乍ら随いて行つた。
敬之進の住居といふは、どこから見ても古い粗造な農家風の草屋。もとは城側の広小路といふところに士族屋敷の一つを構へたとか、其はもうずつと旧い話で、下高井の方から帰つて来た時に、今のところへ移住んだのである。入口の壁の上に貼付けたものは、克く北信の地方に見かける御札で、烏の群れて居る光景を表してある。土壁には大根の乾葉、唐辛なぞを懸け、粗末な葦簾の雪がこひもしてあつた。丁度其日は年貢を納めると見え、入口の庭に莚を敷きつめ、堆高く盛上げた籾は土間一ぱいに成つて居た。丑松は敬之進を助け乍ら、一緒に敷居を跨いで入つた。裏木戸のところに音作、それと見て駈寄つて、いつまでも昔忘れぬ従僕らしい挨拶。
『今日は御年貢を納めるやうにツて、奥様も仰りやして――はい、弟の奴も御手伝ひに連れて参じやした。』
斯ういふ言葉を夢中に聞捨てゝ、敬之進は其処へ倒れて了つた。奥の方では、怒気を含んだ細君の声と一緒に、叱られて泣く子供の声も起る。『何したんだ、どういふもんだ――めた(幾度も)悪戯しちや困るぢやないかい。』といふ細君の声を聞いて、音作は暫時耳を澄まして居たが、軈て思ひついたやうに、
『まあ、それでも旦那さんの酔ひなすつたことは。』
と旧の主人を憐んで、助け起すやうにして、暗い障子の蔭へ押隠した。其時、口笛を吹き乍ら、入つて来たのは省吾である。
『省吾さん。』と音作は声を掛けた。『御願ひでごはすが、彼の地親さん(ぢおやの訛、地主の意)になあ、早く来て下さいツて、左様言つて来て御呉なんしよや。』
(二)
間も無く細君も奥の方から出て来て、其処に酔倒れて居る敬之進が復た/\丑松の厄介に成つたことを知つた。周囲に集る子供等は、いづれも母親の思惑を憚つて、互に顔を見合せたり、慄へたりして居た。流石に丑松の手前もあり、音作兄弟も来て居るので、細君は唯夫を尻目に掛けて、深い溜息を吐くばかりであつた。毎度敬之進が世話に成ること、此頃はまた省吾が結構なものを頂いたこと、其や是やの礼を述べ乍ら、せか/\と立つたり座つたりして話す。丑松は斯細君の気の短い、忍耐力の無い、愚痴なところも感じ易いところも総て外部へ露出れて居るやうな――まあ、四十女に克くある性質を看て取つた。丁度そこへ来て、座りもせず、御辞儀もせず、恍け顔に立つた小娘は、斯細君の二番目の児である。
『これ、お作や。御辞儀しねえかよ。其様に他様の前で立つてるもんぢや無えぞよ。奈何して吾家の児は斯う行儀が不良いだらず――』
といふ細君の言葉なぞを聞入れるお作では無かつた。見るからして荒くれた、男の児のやうな小娘。これがお志保の異母の姉妹とは、奈何しても受取れない。
『まあ、斯児は兄姉中で一番仕様が無え――もうすこし母さんの言ふことを聞くやうだと好いけれど。』
と言はれても、お作は知らん顔。何時の間にかぷいと駈出して行つて了つた。
午後の光は急に射入つて、暗い南窓の小障子も明るく、幾年張替へずにあるかと思はれる程の紙の色は赤黒く煤けて見える。『あゝ日が照つて来た、』と音作は喜んで、『先刻迄は雪模様でしたが、こりや好い塩梅だ。』斯う言ひ乍ら、弟と一緒に年貢の準備を始めた。薄く黄ばんだ冬の日は斯の屋根の下の貧苦と零落とを照したのである。一度農家を訪れたものは、今丑松が腰掛けて居る板敷の炉辺を想像することが出来るであらう。其処は家族が食事をする場処でもあれば、客を款待す場処でもある。庭は又、勝手でもあり、物置でもあり、仕事場でもあるので、表から裏口へ通り抜けて、すくなくも斯の草屋の三分の一を土間で占めた。彼方の棚には茶椀、皿小鉢、油燈等を置き、是方の壁には鎌を懸け、種物の袋を釣るし、片隅に漬物桶、炭俵。台所の道具は耕作の器械と一緒にして雑然置並べてあつた。高いところに鶏の塒も作り付けてあつたが、其は空巣も同然で、鳥らしいものが飼はれて居るとは見えなかつたのである。
斯の草屋はお志保の生れた場処で無いまでも、蓮華寺へ貰はれて行く前、敬之進の言葉によれば十三の春まで、斯の土壁の内に育てられたといふことが、酷く丑松の注意を引いた。部屋は三間ばかりも有るらしい。軒の浅い割合に天井の高いのと、外部に雪がこひのして有るのとで、何となく家の内が薄暗く見える。壁は粗末な茶色の紙で張つて、年々の暦と錦絵とが唯一つの装飾といふことに成つて居た。定めしお志保も斯の古壁の前に立つて、幼い眼に映る絵の中の男女を自分の友達のやうに眺めたのであらう。思ひやると、其昔のことも俤に描かれて、言ふに言はれぬ可懐しさを添へるのであつた。
其時、草色の真綿帽子を冠り、糸織の綿入羽織を着た、五十余の男が入口のところに顕れた。
『地親さんでやすよ。』
と省吾は呼ばゝり乍ら入つて来た。
(三)
地主といふは町会議員の一人。陰気な、無愛相な、極く/\口の重い人で、一寸丑松に会釈した後、黙つて炉の火に身を温めた。斯ういふ性質の男は克く北部の信州人の中にあつて、理由も無しに怒つたやうな顔付をして居るが、其実怒つて居るのでも何でも無い。丑松は其を承知して居るから、格別気にも留めないで、年貢の準備に多忙しい人々の光景を眺め入つて居た。いつぞや郊外で細君や音作夫婦が秋の収穫に従事したことは、まだ丑松の眼にあり/\残つて居る。斯の庭に盛上げた籾の小山は、実に一年の労働の報酬なので、今その大部分を割いて高い地代を払はうとするのであつた。
十六七ばかりの娘が入つて来て、筵の上に一升桝を投げて置いて、軈てまた駈出して行つた。細君は庭の片隅に立つて、腰のところへ左の手をあてがひ乍ら、さも/\つまらないと言つたやうな風に眺めた。泣いて屋外から入つて来たのは、斯の細君の三番目の児、お末と言つて、五歳に成る。何か音作に言ひなだめられて、お末は尚々身を慄はせて泣いた。頭から肩、肩から胴まで、泣きじやくりする度に震へ動いて、言ふことも能くは聞取れない。
『今に母さんが好い物を呉れるから泣くなよ。』
と細君は声を掛けた。お末は啜り上げ乍ら、母親の側へ寄つて、
『手が冷い――』
『手が冷い? そんなら早く行つて炬燵へあたれ。』
斯う言つて、凍つた手を握〆ながら、細君はお末を奥の方へ連れて行つた。
其時は地主も炉辺を離れた。真綿帽子を襟巻がはりにして、袖口と袖口とを鳥の羽翅のやうに掻合せ、半ば顔を埋め、我と我身を抱き温め乍ら、庭に立つて音作兄弟の仕度するのを待つて居た。
『奈何でござんすなあ、籾のこしらへ具合は。』
と音作は地主の顔を眺める。地主の声は低くて、其返事が聞取れない位。軈て、白い手を出して籾を抄つて見た。一粒口の中へ入れて、掌上のをも眺め乍ら、
『空穀が有るねえ。』
と冷酷な調子で言ふ。音作は寂しさうに笑つて、
『空穀でも無いでやす――雀には食はれやしたが、しかし坊主(稲の名)が九分で、目は有りやすよ。まあ、一俵造へて掛けて見やせう。』
六つばかりの新しい俵が其処へ持出された。音作は箕の中へ籾を抄入れて、其を大きな円形の一斗桝へうつす。地主は『とぼ』(丸棒)を取つて桝の上を平に撫で量つた。俵の中へは音作の弟が詰めた。尤も弟は黙つて詰めて居たので、兄の方は焦躁しがつて、『貴様これへ入れろ――声掛けなくちや御年貢のやうで無くて不可。』と自分の手に持つ箕を弟の方へ投げて遣つた。
『さあ、沢山入れろ――一わたりよ、二わたりよ。』
と呼ぶ音作の声が起つた。一俵につき大桝で六斗づゝ、外に小桝で――娘が来て投げて置いて行つたので、三升づゝ、都合六斗三升の籾の俵が其処へ並んだ。
『六俵で内取に願ひやせう。』
と音作は俵蓋を掩ひ冠せ乍ら言つた。地主は答へなかつた。目を細くして無言で考へて居るは、胸の中に十露盤を置いて見るらしい。何時の間にか音作の弟が大きな秤を持つて来た。一俵掛けて、兄弟してうんと力を入れた時は、二人とも顔が真紅に成る。地主は衡の平均になつたのを見澄まして、錘の糸を動かないやうに持添へ乍ら調べた。
『いくら有やす。』と音作は覗き込んで、『むゝ、出放題あるは――』
『十八貫八百――是は魂消た。』と弟も調子を合せる。
『十八貫八百あれば、まあ、好い籾です。』と音作は腰を延ばして言つた。
『しかし、俵にもある。』と地主はどこまでも不満足らしい顔付。
『左様です。俵にも有やすが、其は知れたもんです。』
といふ兄の言葉に附いて、弟はまた独語のやうに、
『俺がとこは十八貫あれば好いだ。』
『なにしろ、坊主九分交りといふ籾ですからなあ。』
斯う言つて、音作は愚しい目付をしながら、傲然とした地主の顔色を窺ひ澄ましたのである。
(四)
斯の光景を眺めて居た丑松は、可憐な小作人の境涯を思ひやつて――仮令音作が正直な百姓気質から、いつまでも昔の恩義を忘れないで、斯うして零落した主人の為に尽すとしても――なか/\細君の痩腕で斯の家族が養ひきれるものでは無いといふことを感じた。お志保が苦しいから帰りたいと言つたところで、『第一、八人の親子が奈何して食へよう』と敬之進も酒の上で泣いた。噫、実に左様だ。奈何して斯様なところへ帰つて来られよう。丑松は想像して慄へたのである。
『まあ、御茶一つお上り。』と音作に言はれて、地主は寒さうに炉辺へ急いだ。音作も腰に着けた煙草入を取出して、立つて一服やり乍ら、
『六俵の二斗五升取ですか。』
『二斗五升ツてことが有るもんか。』と地主は嘲つたやうに、『四斗五升よ。』
『四斗……』
『四斗五升ぢや無いや、四斗七升だ――左様だ。』
『四斗七升?』
斯ういふ二人の問答を、細君は黙つて聞いて居たが、もう/\堪へきれないと言つたやうな風に、横合から話を引取つて、
『音さん。四斗七升の何のと言はないで、何卒悉皆地親さんの方へ上げて了つて御呉なんしよや――私はもう些少も要りやせん。』
『其様な、奥様のやうな。』と音作は呆れて細君の顔を眺める。
『あゝ。』と細君は嘆息した。『何程私ばかり焦心つて見たところで、肝心の家の夫が何も為ずに飲んだでは、やりきれる筈がごはせん。其を思ふと、私はもう働く気も何も無くなつて了ふ。加之に、子供は多勢で、与太(頑愚)なものばかり揃つて居て――』
『まあ、左様仰らないで、私に任せなされ――悪いやうには為ねえからせえて。』と音作は真心籠めて言慰めた。
細君は襦袢の袖口でを押拭ひ乍ら、勝手元の方へ行つて食物の準備を始める。音作の弟は酒を買つて帰つて来る。大丼が出たり、小皿が出たりするところを見ると、何が無くとも有合のもので一杯出して、地主に飲んで貰ふといふ積りらしい。思へば小作人の心根も可傷なものである。万事は音作のはからひ、酒の肴には蒟蒻と油揚の煮付、それに漬物を添へて出す位なもの。軈て音作は盃を薦めて、
『冷ですよ、燗ではごはせんよ――地親さんは是方でいらつしやるから。』
と言はれて、始めて地主は微笑を泄したのである。
其時まで、丑松は細君に話したいと思ふことがあつて、其を言ふ機会も無く躊躇して居たのであるが、斯うして酒が始つて見ると、何時是地主が帰つて行くか解らない。御相伴に一つ、と差される盃を辞退して、ついと炉辺を離れた。表の入口のところへ省吾を呼んで、物の蔭に佇立み乍ら、袂から取出したのは例の紙の袋に入れた金である。丑松は斯う言つた。後刻で斯の金を敬之進に渡して呉れ。それから家の事情で退校させるといふ敬之進の話もあつたが、月謝や何かは斯中から出して、是非今迄通りに学校へ通はせて貰ふやうに。『いゝかい、君、解つたかい。』と添加して、それを省吾の手に握らせるのであつた。
『まあ、君は何といふ冷い手をしてゐるだらう。』
斯う言ひ乍ら、丑松は少年の手を堅く握り締めた。熟と其の邪気ない顔付を眺めた時は、あのお志保の涙に霑れた清しい眸を思出さずに居られなかつたのである。
(五)
敬之進の家を出て帰つて行く道すがら、すくなくも丑松はお志保の為に尽したことを考へて、自分で自分を慰めた。蓮華寺の山門に近いた頃は、灰色の雲が低く垂下つて来て、復た雪になるらしい空模様であつた。蒼然とした暮色は、たゞさへ暗い丑松の心に、一層の寂しさ味気なさを添へる。僅かに天の一方にあたつて、遠く深く紅を流したやうなは、沈んで行く夕日の反射したのであらう。
宵の勤行の鉦の音は一種異様な響を丑松の耳に伝へるやうに成つた。それは最早世離れた精舎の声のやうにも聞えなかつた。今は梵音の難有味も消えて、唯同じ人間世界の情慾の声、といふ感想しか耳の底に残らない。丑松は彼の敬之進の物語を思ひ浮べた。住職を卑しむ心は、卑しむといふよりは怖れる心が、胸を衝いて湧上つて来る。しかしお志保は其程香のある花だ、其程人をける女らしいところが有るのだ、と斯う一方から考へて見て、いよ/\其人を憐むといふ心地に成つたのである。
蓮華寺の内部の光景――今は丑松も明に其真相を読むことが出来た。成程、左様言はれて見ると、それとない物の端にも可傷しい事実は顕れて居る。左様言はれて見ると、始めて丑松が斯の寺へ引越して来た時のやうな家庭の温味は何時の間にか無くなつて了つた。
二階へ通ふ廊下のところで、丑松はお志保に逢つた。蒼ざめて死んだやうな女の顔付と、悲哀の溢れた黒眸とは――たとひ黄昏時の仄かな光のなかにも――直に丑松の眼に映る。お志保も亦た不思議さうに丑松の顔を眺めて、丁度喪心した人のやうな男の様子を注意して見るらしい。二人は眼と眼を見交したばかりで、黙つて会釈して別れたのである。
自分の部屋へ入つて見ると、最早そこいらは薄暗かつた。しかし丑松は洋燈を点けようとも為なかつた。長いこと茫然として、独りで暗い部屋の内に座つて居た。
(六)
『瀬川さん、御勉強ですか。』
と声を掛けて、奥様が入つて来たのは、それから二時間ばかり経つてのこと。丑松の机の上には、日々の思想を記入れる仮綴の教案簿なぞが置いてある。黄ばんだ洋燈の光は夜の空気を寂しさうに照して、思ひ沈んで居る丑松の影を古い壁の方へ投げた。煙草のけむりも薄く籠つて、斯の部屋の内を朦朧と見せたのである。
『何卒私に手紙を一本書いて下さいませんか――済みませんが。』
と奥様は、用意して来た巻紙状袋を取出し乍ら、丑松の返事を待つて居る。其様子が何となく普通では無い、と丑松も看て取つて、
『手紙を?』と問ひ返して見た。
『長野の寺院に居る妹のところへ遣りたいのですがね、』と奥様は少許言淀んで、『実は自分で書かうと思ひまして、書きかけては見たんです。奈何も私共の手紙は、唯長くばかり成つて、肝心の思ふことが書けないものですから。寧そこりや貴方に御願ひ申して、手短く書いて頂きたいと思ひまして――どうして女の手紙といふものは斯う用が達らないのでせう。まあ、私は何枚書き損つたか知れないんですよ――いえ、なに、其様に煩しい手紙でも有ません。唯解るやうに書いて頂きさへすれば好いのですから。』
『書きませう。』と丑松は簡短に引受けた。
斯答に力を得て、奥様は手紙の意味を丑松に話した。一身上のことに就いて相談したい――是手紙着次第、是非々々々々出掛けて来るやうに、と書いて呉れと頼んだ。蟹沢から飯山迄は便船も発つ、もし舟が嫌なら、途中迄車に乗つて、それから雪橇に乗替へて来るやうに、と書いて呉れと頼んだ。今度といふ今度こそは絶念めた、自分はもう離縁する考へで居る、と書いて呉れと頼んだ。
『他の人とは違つて、貴方ですから、私も斯様なことを御願ひするんです。』と言ふ奥様の眼は涙ぐんで来たのである。『訳を御話しませんから、不思議だと思つて下さるかも知れませんが――』
『いや。』と丑松は対手の言葉を遮つた。『私も薄々聞きました――実は、あの風間さんから。』
『ホウ、左様ですか。敬之進さんから御聞きでしたか。』と言つて、奥様は考深い目付をした。
『尤も、左様委敷い事は私も知らないんですけれど。』
『あんまり馬鹿々々しいことで、貴方なぞに御話するのも面目ない。』と奥様は深い溜息を吐き乍ら言つた。『噫、吾寺の和尚さんも彼年齢に成つて、未だ今度のやうなことが有るといふは、全く病気なんですよ。病気ででも無くて、奈何して其様な心地に成るもんですか。まあ、瀬川さん、左様ぢや有ませんか。和尚さんもね、彼病気さへ無ければ、実に気分の優しい、好い人物なんです――申分の無い人物なんです――いえ、私は今だつても和尚さんを信じて居るんですよ。』
(七)
『奈何して私は斯う物に感じ易いんでせう。』と奥様は啜り上げた。『今度のやうなことが有ると、もう私は何も手に着きません。一体、和尚さんの病気といふのは、今更始つたことでも無いんです。先住は早く亡くなりまして、和尚さんが其後へ直つたのは、未だ漸く十七の年だつたといふことでした。丁度私が斯寺へ嫁いて来た翌々年、和尚さんは西京へ修業に行くことに成ましてね――まあ、若い時には能く物が出来ると言はれて、諸国から本山へ集る若手の中でも五本の指に数へられたさうですよ――それで私は、其頃未だ生きて居た先住の匹偶と、今寺内に居る坊さんの父親さんと、斯う三人でお寺を預つて、五年ばかり留守居をしたことが有ました。考へて見ると、和尚さんの病気はもう其頃から起つて居たんですね。相手の女といふは、西京の魚の棚、油の小路といふところにある宿屋の総領娘、といふことが知れたもんですから、さあ、寺内の先の坊さんも心配して、早速西京へ出掛けて行きました。其時、私は先住の匹偶にも心配させないやうに、檀家の人達の耳へも入れないやうにツて、奈何に独りで気を揉みましたか知れません。漸のこと、お金を遣つて、女の方の手を切らせました。そこで和尚さんも真実に懲りなければ成らないところです。ところが持つて生れた病は仕方の無いもので、それから三年経つて、今度は東京にある真宗の学校へ勤めることに成ると、復た病気が起りました。』
手紙を書いて貰ひに来た奥様は、用をそつちのけにして、種々並べたり訴へたりし始めた。淡泊したやうでもそこは女の持前で、聞いて貰はずには居られなかつたのである。
『尤も、』と奥様は言葉を続けた。『其時は、和尚さんを独りで遣つては不可といふので――まあ学校の方から月給は取れるし、留守中のことは寺内の坊さんが引受けて居て呉れるし、それに先住の匹偶も東京を見たいと言ふもんですから、私も一緒に随いて行つて、三人して高輪のお寺を仕切つて借りました。其処から学校へは何程も無いんです。克く和尚さんは二本榎の道路を通ひました。丁度その二本榎に、若い未亡人の家があつて、斯人は真宗に熱心な、教育のある女でしたから、和尚さんも法話を頼まれて行き/\しましたよ。忘れもしません、其女といふは背のすらりとした、白い優しい手をした人で、御墓参りに行くところを私も見掛けたことが有ます。ある時、其未亡人の噂が出ると、和尚さんは鼻の先で笑つて、「むゝ、彼女か――彼様なひねくれた女は仕方が無い」と酷く譏すぢや有ませんか。奈何でせう、瀬川さん、其時は最早和尚さんが関係して居たんです。何時の間にか女は和尚さんの種を宿しました。さあ、和尚さんも蒼く成つて了つて、「実は済まないことをした」と私の前に手を突いて、謝罪つたのです。根が正直な、好い性質の人ですから、悪かつたと思ふと直に後悔する。まあ、傍で見て居ても気の毒な位。「頼む」と言はれて見ると、私も放擲つては置かれませんから、手紙で寺内の坊さんを呼寄せました。其時、私の思ふには、「あゝ是は私に子が無いからだ。若し子供でも有つたら一層和尚さんも真面目な気分に御成なさるだらう。寧そ其女の児を引取つて自分の子にして育てようかしら。」と斯う考へたり、ある時は又、「みす/\私が傍に附いて居乍ら、其様な女に子供迄出来たと言はれては、第一私が世間へ恥かしい。いかに言つても情ないことだ。今度こそは別れよう。」と考へたりしたんです。そこがそれ、女といふものは気の弱いもので、優しい言葉の一つも掛けられると、今迄の事は最早悉皆忘れて了ふ。「あゝ、御気の毒だ――私が居なかつたら、奈何に不自由を成さるだらう。」とまあ私も思ひ直したのですよ。間も無く女は和尚さんの子を産落しました。月不足で、加之に乳が無かつたものですから、満二月とは其児も生きて居なかつたさうです。和尚さんが学校を退くことに成つて、飯山へ帰る迄の私の心配は何程だつたでせう――丁度、今から十年前のことでした。それからといふものは、和尚さんも本気に成ましたよ。月に三度の説教は欠かさず、檀家の命日には必ず御経を上げに行く、近在廻りは泊り掛で出掛ける――さあ、檀家の人達も悉皆信用して、四年目の秋には本堂の屋根の修繕も立派に出来上りました。彼様いふ調子で、ずつと今迄進んで来たら、奈何にか好からうと思ふんですけれど、少許羽振が良くなると直に物に飽きるから困る。倦怠が来ると、復た病気が起る。そりやあもう和尚さんの癖なんですからね。あゝ、男といふものは恐しいもので、彼程平常物の解つた和尚さんで有ながら、病気となると何の判別も着かなくなる。まあ瀬川さん、考へて見て下さい。和尚さんも最早五十一ですよ。五十一にも成つて、未だ其様な気で居るかと思ふと、実に情ないぢや有ませんか。成程――今日飯山あたりの御寺様で、女狂ひを為ないやうなものは有やしません。ですけれど、茶屋女を相手に為るとか、妾狂ひを為るとか言へば、またそこにも有る。あのお志保に想を懸けるなんて――私は呆れて物も言へない。奈何考へて見ても、其様な量見を起す和尚さんでは無い筈です。必定、奈何かしたんです。まあ、気でも狂つて居るに相違ないんです。お志保は又、何もかも私に打開けて話しましてね、「母親さん、心配しないで居て下さいよ、奈何な事が有つても私が承知しませんから」と言ふもんですから――いえ、彼娘はあれでなか/\毅然とした気象の女ですからね――其を私も頼みに思ひまして、「お志保、確乎して居てお呉れよ、阿爺さんだつても物の解らない人では無し、お前と私の心地が屈いたら、必定思ひ直して下さるだらう、阿爺さんが正気に復るも復らないも二人の誠意一つにあるのだからね」斯う言つて、二人でさん/″\哭きました。なんの、私が和尚さんを悪く思ふもんですか。何卒して和尚さんの眼が覚めるやうに――そればつかりで、私は斯様な離縁なぞを思ひ立つたんですもの。』
(八)
誠意籠る奥様の述懐を聞取つて、丑松は望みの通りに手紙の文句を認めてやつた。幾度か奥様は口の中で仏の名を唱へ乍ら、これから将来のことを思ひ煩ふといふ様子に見えるのであつた。
『おやすみ。』
といふ言葉を残して置いて奥様が出て行つた後、丑松は机の側に倒れて考へて居たが、何時の間にかぐつすり寝込んで了つた。寝ても、寝ても、寝足りないといふ風で、斯うして横になれば直に死んだ人のやうに成るのが此頃の丑松の癖である。のみならず、深いところへ陥落るやうな睡眠で、目が覚めた後は毎時頭が重かつた。其晩も矢張同じやうに、同じやうな仮寝から覚めて、暫時茫然として居たが、軈て我に帰つた頃は、もう遅かつた。雪は屋外に降り積ると見え、時々窓の戸にあたつて、はた/\と物の崩れ落ちる音より外には、寂として声一つしない、それは沈静とした、気の遠くなるやうな夜――無論人の起きて居る時刻では無かつた。階下では皆な寝たらしい。不図、何か斯う忍び音に泣くやうな若い人の声が細々と耳に入る。どうも何処から聞えるのか、其は能く解らなかつたが、まあ楼梯の下あたり、暗い廊下の辺ででもあるか、誰かしら声を呑む様子。尚能く聞くと、北の廊下の雨戸でも明けて、屋外を眺めて居るものらしい。あゝ――お志保だ――お志保の嗚咽だ――斯う思ひ附くと同時に、言ふに言はれぬ恐怖と哀憐とが身を襲ふやうに感ぜられる。尤も、丑松は半分夢中で聞いて居たので、つと立上つて部屋の内を歩き初めた時は、もう其声が聞えなかつた。不思議に思ひ乍ら、浮足になつて耳を澄ましたり、壁に耳を寄せて聞いたりした。終には、自分で自分を疑つて、あるひは聞いたと思つたのが夢ででもあつたか、と其音の実か虚かすらも判断が着かなくなる。暫時丑松は腕組をして、油の尽きて来た洋燈の火を熟視り乍ら、茫然とそこに立つて居た。夜は更ける、心は疲れる、軈て押入から寝道具を取出した時は、自分で自分の為ることを知らなかつた位。急に烈しく睡気が襲して来たので、丑松は半分眠り乍ら寝衣を着更へて、直に復た感覚の無いところへ落ちて行つた。