ゲーテ ファウスト 森鴎外訳

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宮城内の大いなる中庭

 

松明たいまつ

    メフィストフェレス

(支配人として先に立つ。)

寄って来い。這入って来い。
よろめく死霊共しりょうども
骨と筋と紐とを繕い合せた
半端はんぱ物共。 
 
    死霊レムレス(合唱。)
御用を早速勤めましょう。
 
聞きはつりました所では、
どうやら広い地面があって、
それをわたくし共が戴くのだそうですね。
 
先を尖らせたくいも、測量に使う
長い鎖も、ここにあります。
 
だがなぜ呼ばれたのだか、
実はもう忘れました。 
 
    メフィストフェレス
ここではそんな技師のするような手数はいらぬ。
尺は自分の体で取るがい。
一番背の高い奴がそこへ横に寝ろ。
 
外の奴等は周囲まわりの草を取れ。
親爺共を葬る時にしたように、
長方形に掘り窪めろ。
御殿から出て、狭い家に這入る。
どうせしまいはこんな馬鹿気た事になる。
  
 
    死霊

(おどけたる態度にて土を掘る。)

己も若くて生きていて、色もした。
なんだか随分好かったかと思われる。
どこかでおとがして、面白そうだと、
己も出掛けて踊ったものだ。
 
そのうちおいと云う横著ものが、
 
杖を持って来てくれた。
己はちょっとつまずいて、墓の戸口へ転げ込んだ。
なぜまたあの戸が折悪おりわるいていたやら。 
 
    ファウスト

(宮殿より出で、戸口の柱を手もて摸索す。)

あの鋤のからから鳴るのが、実にい心持だ。
あれは己に奉公している物共だ。
 
土をその所に安んぜさせ、
波を程好き界に堰き留め、
海の周囲まわりおごそかな埒を結うのだ。 
 
    メフィストフェレス(独言。)
そのお前さんが土や木のたば※(「こざとへん+是」、第3水準1-93-60)つつみくのも、
詰まり己達のために骨を折るのだ。
 
なぜと云うに、お前さんは水の魔の
ポセイドンに大御馳走をするのだから。
どの道お前方は助からない。
四大は己達とぐるになっていて、
なんでもしまいには滅びるのだ。
  
 
    ファウスト
支配人。 
 
    メフィストフェレス
   ここにいます。 
 
    ファウスト 
 
         どんな手段をでもして、
人夫を集められるだけ集めて、
馳走とおどしとで元気を附け、
金も遣り、おびきもし、しいたげもせい。
そして計画した溝渠こうきょがどれだけ延びたか、
 
毎日己に知らせるようにせい。 
 
    メフィストフェレス(中音にて。)
こっちの聞いた知らせには、
溝渠の話なんぞはないが、薨去こうきょの話ならあるのだて。 
 
    ファウスト
あの山の麓に沼があって、
悪い蒸気がこれまで拓いた土地を皆汚している。
 
あのきたない水の決口はけくちを附けるのが、
最後の為事しごとで、また最上の為事だ。
そこで己は数百万の民に土地を開いて遣る。
安全ではないが、働いて自由に住まれる。
土地は肥えて草木が茂る。
 
大胆に働いた民等の築いた、高い丘を繞って、
新開地に面白そうに、すぐ人畜が居著いつくのだ。
よしやそとでは海の潮が、岸の縁まで騒ぎ立っても、
ここのなかは天国のような土地になっている。
海の潮が無理に土をき込もうとして、
 
意地きたなく岸をんでも、
衆人力を一つにして、急いでその穴をめに往く。
い。己の服膺ふくようしているのは、
人智の最上の断案で、それはこうだ。
凡そ生活でも、自由でも、日々これをち得て、
 
始てこれを享有する権利を生ずる。
だからここでは、子供も大人おとなも年寄も
そう云う危険に取り巻かれて、まめやかな年を送るのだ。
己はそう云う群を目の前に見て、
自由な民と共に、自由な土地の上に住みたい。
 
己は「刹那」に向って、
まれ、お前はいかにも美しいから」と呼びたい。
己のこの世に残す痕は
こうても滅びはすまい。
そう云う大きい幸福を予想して、
 
今己は最高の刹那を味うのだ。

(ファウスト倒る。死霊等支へ持ちて地上に置く。)

    メフィストフェレス
この男はなんのたのしみにも飽かず、なんのさいわいにも安んぜず、
移り変る姿を追うて、挑んで歩いた。
そしてこの気の毒な奴は、
最後の、悪い、空洞うつろな刹那を取り留めて置こうと思った。
 
己に随分手痛くさからったものだが、時は功を奏して、
親爺奴、今ここのすなの上に身を委ねた。
時計はまった。 
 
    合唱の群 
 
       まった。そして真夜中のように
黙っている。針は落ちる。 
 
    メフィストフェレス 
 
  落ちる。用は済んだ。 
 
    合唱の群
過ぎ去った。 
 
    メフィストフェレス 
 
     過ぎ去ったと。馬鹿な詞だ。
 
なぜ過ぎ去らせるのだ。
過ぎ去ったのと、何もないのとは、全く同じだ。
何のために永遠に物を造るのだ。
そして造られた物を「無」に逐い込むのだ。
今何やらが過ぎ去った。それになんの意味がある。
 
元から無かったのと同じじゃないか。
そして何かが有るように、どうどうめぐりをしている。
それよりか、己は「永遠な虚無」がすきだ。
 
 

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