それから 夏目漱石

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 十一
 
 何時の間にか、人がの羽織を着て歩く様になった。二三日、うちで調物をして庭先よりほかに眺めなかった代助は、冬帽をかぶって表へ出てみて、急に暑さを感じた。自分もセルを脱がなければならないと思って、五六町歩くうちに、あわせを着た人に二人出逢であった。そうかと思うと新らしい氷屋で書生が洋盃コップを手にして、冷たそうなものを飲んでいた。代助はその時誠太郎を思い出した。
 近頃代助は前よりも誠太郎が好きになった。外の人間と話していると、人間の皮と話す様で歯痒はがゆくってならなかった。けれども、顧みて自分を見ると、自分は人間中で、尤も相手を歯痒がらせる様にこしらえられていた。これも長年生存競争の因果にさらされたばちかと思うと、余り難有ありがたい心持はしなかった。
 この頃誠太郎はしきりに玉乗りの稽古けいこをしたがっているが、それは、全くこの間浅草の奥山へ一所に連れて行った結果である。あの一図な所はよく、あによめの気性を受け継いでいる。然し兄の子だけあって、一図なうちに、何処どこせまらない鷹揚おうような気象がある。誠太郎の相手をしていると、向うの魂が遠慮なく此方こっちへ流れ込んで来るから愉快である。実際代助は、昼夜の区別なく、武装を解いた事のない精神に、包囲されるのが苦痛であった。
 誠太郎はこの春から中学校へ行き出した。すると急に脊丈せたけが延びて来る様に思われた。もう一二年すると声が変る。それから先どんな径路を取って、生長するか分らないが、到底人間として、生存する為には、人間から嫌われると云う運命に到着するに違ない。その時、彼は穏やかに人の目に着かない服装なりをして、乞食こじきごとく、何物をか求めつつ、人の市をうろついて歩くだろう。
 代助は堀端へ出た。この間まで向うの土手にむら躑躅つつじが、団々と紅白の模様を青い中にいんしていたのが、まるで跡形もなくなって、のべつに草が生い茂っている高い傾斜の上に、大きな松が何十本となく並んで、何処までもつづいている。空は奇麗に晴れた。代助は電車に乗って、うちへ行って、嫂に調戯からかって、誠太郎と遊ぼうと思ったが、急にいやになって、この松を見ながら、草臥くたびれる所まで堀端を伝って行く気になった。
 新見付へ来ると、向うから来たり、此方から行ったりする電車が苦になり出したので、堀を横切って、招魂社の横から番町へ出た。そこをぐるぐる回って歩いているうちに、かく目的なしに歩いている事が、不意に馬鹿らしく思われた。目的があって歩くものは賤民せんみんだと、彼は平生から信じていたのであるけれども、この場合に限って、その賤民の方が偉い様な気がした。全たく、又アンニュイに襲われたと悟って、帰りだした。神楽坂へかかると、ある商店で大きな蓄音器を吹かしていた。その音が甚しく金属性の刺激を帯びていて、大いに代助の頭にこたえた。
 家の門を這入はいると、今度は門野が、主人の留守を幸いと、大きな声で琵琶歌びわうたをうたっていた。それでも代助の足音を聞いて、ぴたりとめた。
「いや、御早うがしたな」と云って玄関へ出て来た。代助は何にも答えずに、帽子を其所そこへ掛けたまま、縁側から書斎へ這入った。そうして、わざわざ障子を締め切った。つづいて湯呑ゆのみに茶をいで持って来た門野が、
「締めときますか。暑かありませんか」と聞いた。代助はたもとから手帛ハンケチを出して額をいていたが、やっぱり、
「締めて置いてくれ」と命令した。門野は妙な顔をして障子を締めて出て行った。代助は暗くしたへやのなかに、十分ばかりぽかんとしていた。
 彼は人のうらやむ程光沢つやの好い皮膚と、労働者に見出みいだしがたい様に柔かな筋肉をった男であった。彼は生れて以来、まだ大病と名のつくものを経験しなかった位、健康において幸福をけていた。彼はこれでこそ、生甲斐いきがいがあると信じていたのだから、彼の健康は、彼に取って、他人の倍以上に価値を有っていた。彼の頭は、彼の肉体と同じく確であった。ただ始終論理に苦しめられていたのは事実である。それから時々、頭の中心が、大弓の的の様に、二重もしくは三重にかさなる様に感ずる事があった。ことに、今日は朝からそんな心持がした。
 代助が黙然もくねんとして、自己は何の為にこの世の中に生れて来たかを考えるのはこう云う時であった。彼は今まで何遍もこの大問題をとらえて、彼の眼前に据え付けて見た。その動機は、単に哲学上の好奇心から来た事もあるし、又世間の現象が、余りに複雑な色彩をもって、彼の頭を染め付けようとあせるから来る事もあるし、又最後には今日こんにちの如くアンニュイの結果として来る事もあるが、その都度彼は同じ結論に到着した。然しその結論は、この問題の解決ではなくって、むしろその否定と異ならなかった。彼の考によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかった。これと反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであった。最初から客観的にある目的を拵らえて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、既に生れる時に奪ったと同じ事になる。だから人間の目的は、生れた本人が、本人自身に作ったものでなければならない。けれども、如何いかな本人でも、これを随意に作る事は出来ない。自己存在の目的は、自己存在の経験が、既にこれを天下に向って発表したと同様だからである。
 この根本義から出立しゅったつした代助は、自己本来の活動を、自己本来の目的としていた。歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考えたいから考える。すると考えるのが目的になる。それ以外の目的を以て、歩いたり、考えたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、自己の活動以外に一種の目的を立てて、活動するのは活動の堕落になる。従って自己全体の活動を挙げて、これを方便の具に使用するものは、自ら自己存在の目的を破壊したも同然である。
 だから、代助は今日まで、自分の脳裏に願望がんもう嗜欲しよくが起るたびごとに、これ等の願望嗜欲を遂行するのを自己の目的として存在していた。二個の相れざる願望嗜欲が胸に闘う場合も同じ事であった。ただ矛盾から出る一目的の消耗しょうこうと解釈していた。これをせんじ詰めると、彼は普通に所謂いわゆる無目的な行為を目的として活動していたのである。そうして、他を偽らざる点に於てそれを尤も道徳的なものと心得ていた。
 この主義を出来るだけ遂行する彼は、その遂行の途中で、われ知らず、自分のとうに棄却した問題に襲われて、自分は今何の為に、こんな事をしているかと考え出す事がある。彼が番町を散歩しながら、何故なぜ散歩しつつあるかと疑ったのはまさにこれである。
 その時彼は自分ながら、自分の活力に充実していない事に気がつく。えたる行動は、一気に遂行する勇気と、興味に乏しいから、自らその行動の意義を中途で疑う様になる。彼はこれをアンニュイとなづけていた。アンニュイにかかると、彼は論理の迷乱を引き起すものと信じていた。彼の行為の中途に於て、何の為と云う、冠履顛倒かんりてんとうの疑を起させるのは、アンニュイに外ならなかったからである。
 彼は立て切った室の中で、一二度頭を抑えて振り動かしてみた。彼は昔から今日までの思索家の、しばしば繰り返した無意義な疑義を、又脳裏に拈定ねんていするに堪えなかった。その姿のちらりと眼前に起った時、またかと云う具合に、すぐ切り棄ててしまった。同時に彼は自己の生活力の不足をはげしく感じた。従って行為その物を目的として、円満に遂行する興味も有たなかった。彼はただ一人荒野のうちに立った。茫然ぼうぜんとしていた。
 彼は高尚な生活欲の満足をこいねがう男であった。又ある意味に於て道義欲の満足を買おうとする男であった。そうして、ある点へ来ると、この二つのものが火花を散らして切り結ぶ関門があると予想していた。それで生活欲を低い程度に留めて我慢していた。彼の室は普通の日本間であった。これと云う程の大した装飾もなかった。彼に云わせると、額さえ気のいたものは掛けてなかった。色彩として眼をく程に美しいのは、本棚に並べてある洋書に集められたと云う位であった。彼は今この書物の中に、茫然として坐った。ややあって、これほど寐入ねいった自分の意識を強烈にするには、もう少し周囲の物をどうかしなければならぬと、思いながら、室の中をぐるぐる見廻した。それから、又ぽかんとして壁を眺めた。が、最後に、自分をこの薄弱な生活から救い得る方法は、ただ一つあると考えた。そうして口の内で云った。
「やっぱり、三千代さんに逢わなくちゃ不可いかん」
 彼は足の進まない方角へ散歩に出たのを悔いた。もう一遍出直して、平岡のもとまで行こうかと思っている所へ、森川町から寺尾が来た。新らしい麦藁帽むぎわらぼうを被って、閑静な薄い羽織を着て、暑い暑いと云って赤い顔を拭いた。
「何だって、今時分来たんだ」と代助は愛想もなく云い放った。彼は寺尾とは平生でも、この位な言葉で交際していたのである。
「今時分が丁度訪問に好い刻限だろう。君、又昼寐をしたな。どうも職業のない人間は、惰弱で不可ん。君は一体何の為に生れて来たのだったかね」と云って、寺尾は麦藁帽で、しきりに胸のあたりへ風を送った。時候はまだそれ程暑くないのだから、この所作はすこぶ愛嬌あいきょうを添えた。
「何の為に生れてようと、余計な御世話だ。それより君こそ何しに来たんだ。又『此所ここ十日ばかりの間』じゃないか、金の相談ならもう御免だよ」と代助は遠慮なく先へ断った。
「君も随分礼義を知らない男だね」と寺尾はやむを得ず答えた。けれども別段感情を害した様子も見えなかった。実を云うと、この位な言葉は寺尾に取って、少しも無礼とは思えなかったのである。代助は黙って、寺尾の顔を見ていた。それは、むなしい壁を見ているより以上の何等の感動をも、代助に与えなかった。
 寺尾はふところから汚ない仮綴かりとじの書物を出した。
「これを訳さなけりゃならないんだ」と云った。代助は依然として黙っていた。
「食うに困らないと思って、そう無精な顔をしなくっても好かろう。もう少し判然としてくれ。此方は生死の戦だ」と云って、寺尾は小形の本を、とんとんと椅子いすの角で二返たたいた。
何時いつまでに」
 寺尾は、書物のページをさらさらと繰って見せたが、断然たる調子で、
「二週間」と答えた後で、「どうでもこうでも、それまでに片付なけりゃ、食えないんだから仕方がない」と説明した。
「偉い勢だね」と代助は冷かした。
「だから、本郷からわざわざって来たんだ。なに、金は借りなくても好い。――貸せばなお好いが――それより少し分らない所があるから、相談しようと思って」
「面倒だな。僕は今日は頭が悪くって、そんな事は遣っていられないよ。い加減に訳して置けば構わないじゃないか。どうせ原稿料は頁でくれるんだろう」
「なんぼ、僕だって、そう無責任な翻訳は出来ないだろうじゃないか。誤訳でも指摘されると後から面倒だあね」
「仕様がないな」と云って、代助はやっぱり横着な態度を維持していた。すると、寺尾は、
「おい」と云った。「冗談じゃない、君の様に、のらくら遊んでる人は、たまにはその位な事でも、しなくっちゃ退屈で仕方がないだろう。なに、僕だって、本の善く読める人の所へ行く気なら、わざわざ君の所まで来やしない。けれども、そんな人は君と違って、みんな忙しいんだからな」と少しも辟易へきえきした様子を見せなかった。代助は喧嘩けんかをするか、相談に応ずるか何方どっちかだと覚悟を極めた。彼の性質として、こう云う相手を軽蔑けいべつする事は出来るが、怒り付ける気は出せなかった。
「じゃなるべく少しにしようじゃないか」と断って置いて、符号マークの附けてある所だけを見た。代助はその書物の梗概こうがいさえ聞く勇気がなかった。相談を受けた部分にも曖昧あいまいな所は沢山あった。寺尾は、やがて、
「やあ、難有ありがとう」と云って本を伏せた。
「分らない所はどうする」と代助が聞いた。
「なにどうかする。――誰に聞いたって、そう善く分りゃしまい。第一時間がないから已を得ない」と、寺尾は、誤訳よりも生活費の方が大事件である如くに天から極めていた。
 相談が済むと、寺尾は例によって、文学談を持ち出した。不思議な事に、そうなると、自己の翻訳とは違って、いつもの通り非常に熱心になった。代助は現今の文学者のおおやけにする創作のうちにも、寺尾の翻訳と同じ意味のものが沢山あるだろうと考えて、寺尾の矛盾を可笑おかしく思った。けれども面倒だから、口へは出さなかった。
 寺尾の御蔭おかげで代助はその日とうとう平岡へ行きはぐれてしまった。
 晩食ばんめしの時、丸善から小包が届いた。はしいて開けて見ると、余程前に外国へ注文した二三の新刊書であった。代助はそれをわきの下に抱え込んで、書斎へ帰った。一冊ずつ順々に取り上げて、暗いながら二三頁、はぐる様に眼を通したが何処どこも彼の注意をく様な所はなかった。最後の一冊に至っては、その名前さえ既に忘れていた。いずれそのうち読む事にしようと云う考で、一所にまとめたまま、立って、本棚の上に重ねて置いた。縁側から外をうかがうと、奇麗な空が、高い色を失いかけて、隣の梧桐ごとう一際ひときわ濃く見える上に、薄い月が出ていた。
 そこへ門野が大きな洋燈ランプを持って這入はいって来た。それには絹縮きぬちぢみの様に、たてみぞった青い笠が掛けてあった。門野はそれを洋卓テーブルの上に置いて、又縁側へ出たが、出掛でがけに、
「もう、そろそろ蛍が出る時分ですな」と云った。代助は可笑おかしな顔をして、
「まだ出やしまい」と答えた。すると門野は例の如く、
「そうでしょうか」と云う返事をしたが、すぐ真面目な調子で、「蛍てえものは、昔は大分流行はやったもんだが、近来は余り文士方が騒がない様になりましたな。どう云うもんでしょう。蛍だのからすだのって、この頃じゃついぞ見た事がない位なもんだ」と云った。
「そうさ。どう云う訳だろう」と代助も空っとぼけて、真面目な挨拶あいさつをした。すると門野は、
「やっぱり、電気燈に圧倒されて、段々退却するんでしょう」と云い終って、自から、えへへへと、洒落しゃれの結末をつけて、書生部屋へ帰って行った。代助もつづいて玄関まで出た。門野は振返た。
「また御出掛ですか。よござんす。洋燈はわたくしが気を付けますから。――小母さんが先刻さっきから腹が痛いって寐たんですが、何大した事はないでしょう。御緩ごゆっくり」
 代助は門を出た。江戸川まで来ると、河の水がもう暗くなっていた。彼はもとより平岡を訪ねる気であった。から何時もの様に川辺かわべりを伝わないで、すぐ橋を渡って、金剛寺坂を上った。
 実を云うと、代助はそれから三千代にも平岡にも二三遍っていた。一遍は平岡から比較的長い手紙を受取った時であった。それには、第一に着京以来御世話になって難有ありがたいと云う礼が述べてあった。それから、――その後色々朋友ほうゆうや先輩の尽力をかたじけのうしたが、近頃ある知人の周旋で、某新聞の経済部の主任記者にならぬかとの勧誘を受けた。自分も遣ってみたい様な気がする。しかし着京の当時君に御依頼をした事もあるから、無断ではよろしくあるまいと思って、一応御相談をすると云う意味が後に書いてあった。代助は、その当時平岡から、兄の会社に周旋してくれと依頼されたのを、そのままにして、断わりもせず今日まで放って置いた。ので、その返事を促されたのだと受取った。一通の手紙で謝絶するのも、あまり冷淡過ぎると云う考もあったので、翌日出向いて行って、色々兄の方の事情を話して当分、此方は断念してくれる様に頼んだ。平岡はその時、僕も大方そうだろうと思っていたと云って、妙な眼をして三千代の方を見た。
 いま一遍は、いよいよ新聞の方が極まったから、一晩緩り君と飲みたい。何日いくかに来てくれという平岡の端書が着いた時、折あし差支さしつかえが出来たからと云って散歩のついでに断わりに寄ったのである。その時平岡は座敷の真中に引繰り返って寐ていた。昨夕ゆうべどこかの会へ出て、飲み過ごした結果だと云って、赤い眼をしきりにこすった。代助を見て、突然、人間はどうしても君の様に独身でなけりゃ仕事は出来ない。僕も一人なら満洲まんしゅうへでも亜米利加アメリカへでも行くんだがと大いに妻帯の不便を鳴らした。三千代は次の間で、こっそり仕事をしていた。
 三遍目には、平岡の社へ出た留守を訪ねた。その時は用事も何もなかった。約三十分ばかり縁へ腰を掛けて話した。
 それから以後はなるべく小石川の方面へ立ち回らない事にして今夜に至ったのである。代助は竹早たけはや町へ上って、それを向うへ突き抜けて、二三町行くと、平岡と云う軒燈のすぐ前へ来た。格子こうしの外から声を掛けると、洋燈ランプを持って下女が出た。が平岡は夫婦とも留守であった。代助は出先も尋ねずに、すぐ引返して、電車へ乗って、本郷まで来て、本郷から又神田へ乗り換えて、そこで降りて、あるビヤー、ホールへ這入って、麦酒ビールをぐいぐい飲んだ。
 翌日眼が覚めると、依然として脳の中心から、半径の違った円が、頭を二重に仕切っている様な心持がした。こう云う時に代助は、頭の内側と外側が、質の異なった切り組み細工で出来上っているとしか感じ得られない癖になっていた。それでく自分で自分の頭を振ってみて、二つのものを混ぜようとつとめたものである。彼は今まくらの上へ髪を着けたなり、右の手を固めて、耳の上を二三度たたいた。
 代助はかかる脳髄の異状を以て、かつて酒のとがに帰した事はなかった。彼は小供の時から酒に量を得た男であった。いくら飲んでも、さ程平常を離れなかった。のみならず、一度熟睡さえすれば、あとは身体からだに何の故障も認める事が出来なかった。かつて何かのはずみに、兄とり飲みをやって、三合入の徳利とくりを十三本倒した事がある。その翌日あくるひ代助は平気な顔をして学校へ出た。兄は二日も頭が痛いと云って苦り切っていた。そうして、これを年齢としの違だと云った。
 昨夕ゆうべ飲んだ麦酒ビールはこれに比べるとおろかなものだと、代助は頭を敲きながら考えた。幸に、代助はいくら頭が二重になっても、脳の活動にくるいを受けた事がなかった。時としては、ただ頭を使うのが臆劫おっくうになった。けれども努力さえすれば、充分複雑な仕事に堪えるという自信があった。だから、こんな異状を感じても、脳の組織の変化から、精神に悪い影響を与えるものとしては、悲観する余地がなかった。始めて、こんな感覚があった時は驚ろいた。二遍目はむしろ新奇な経験として喜んだ。この頃は、この経験が、多くの場合に、精神気力の低落に伴う様になった。内容の充実しない行為を敢てして、生活する時の徴候になった。代助にはそこが不愉快だった。
 床の上に起き上がって、彼は又頭を振った。朝食あさめしの時、門野は今朝の新聞に出ていた蛇とわしの戦の事を話し掛けたが、代助は応じなかった。門野は又始まったなと思って、茶の間を出た。勝手の方で、
「小母さん、そう働らいちゃ悪いだろう。先生の膳は僕が洗って置くから、彼方あっちへ行って休んで御出おいで」と婆さんをいたわっていた。代助は始めて婆さんの病気の事を思い出した。何か優しい言葉でも掛ける所であったが、面倒だと思って已めにした。
 食刀ナイフを置くやいなや、代助はすぐ紅茶茶碗ぢゃわんを持って書斎へ這入はいった。時計を見るともう九時過であった。しばらく、庭を眺めながら、茶をすすり延ばしていると、門野が来て、
「御宅から御迎おむかいが参りました」と云った。代助はうちから迎を受けるおぼえがなかった。聞き返してみても、門野は車夫がとか何とか要領を得ない事を云うので、代助は頭を振り振り玄関へ出てみた。すると、そこに兄の車を引くかつと云うのがいた。ちゃんと、護謨輪ゴムわの車を玄関へ横付にして、叮嚀ていねいに御辞義をした。
「勝、御迎って何だい」と聞くと、勝は恐縮の態度で、
「奥様が車を持って、迎に行って来いって、御仰おっしゃいました」
「何か急用でも出来たのかい」
 勝は固より何事も知らなかった。
「御出になれば分るからって――」と簡潔に答えて、言葉のしりを結ばなかった。
 代助は奥へ這入った。婆さんを呼んで着物を出させようと思ったが、腹の痛むものを使うのがいやなので、自分で箪笥たんす抽出ひきだしき回して、急いで身支度をして、勝の車に乗って出た。
 その日は風が強く吹いた。勝は苦しそうに、前の方にこごんでけた。乗っていた代助は、二重の頭がぐるぐる回転するほど、風に吹かれた。けれども、音も響もない車輪が美くしく動いて、意識に乏しい自分を、半睡の状態で宙に運んで行く有様が愉快であった。青山のうちへ着く時分には、起きた頃とは違って、気色が余程晴々せいせいして来た。
 何か事が起ったのかと思って、上り掛けに、書生部屋をのぞいてみたら、直木と誠太郎がたった二人で、白砂糖を振り掛けたいちごを食っていた。
「やあ、御馳走ごちそうだな」と云うと、直木は、すぐ居ずまいを直して、挨拶をした。誠太郎は唇のふちらしたまま、突然、
「叔父さん、奥さんは何時もらうんですか」と聞いた。直木はにやにやしている。代助は一寸ちょっと返答に窮した。やむを得ず、
「今日は何故なぜ学校へ行かないんだ。そうして朝っ腹から苺なんぞを食って」と調戯からかう様に、しかる様に云った。
「だって今日は日曜じゃありませんか」と誠太郎は真面目まじめになった。
「おや、日曜か」と代助は驚ろいた。
 直木は代助の顔を見てとうとう笑い出した。代助も笑って、座敷へ来た。そこには誰も居なかった。替え立ての畳の上に、丸い紫檀したん刳抜盆くりぬきぼんが一つ出ていて、中に置いた湯呑ゆのみには、京都の浅井黙語あさいもくごの模様画が染め付けてあった。からんとした広い座敷へ朝の緑が庭からし込んで、すべてが静かに見えた。戸外そとの風は急に落ちた様に思われた。
 座敷を通り抜けて、兄の部屋の方へ来たら、人の影がした。
「あら、だって、それじゃあんまりだわ」と云うあによめの声が聞えた。代助は中へ這入った。中には兄と嫂と縫子がいた。兄は角帯に金鎖を巻き付けて、近頃流行はやる妙なの羽織を着て、此方こちらを向いて立っていた。代助の姿を見て、
「そら来た。ね。だから一所に連れて行って御貰おもらいよ」と梅子に話しかけた。代助には何の意味だか固より分らなかった。すると、梅子が代助の方に向き直った。
「代さん、今日貴方あなた、無論暇でしょう」と云った。
「ええ、まあ暇です」と代助は答えた。
「じゃ、一所に歌舞伎座へ行って頂戴ちょうだい
 代助は嫂のこの言葉を聞いて、頭の中に、たちまち一種の滑稽こっけいを感じた。けれども今日は平常いつもの様に、嫂に調戯からかう勇気がなかった。面倒だから、平気な顔をして、
「ええ宜しい、行きましょう」と機嫌よく答えた。すると梅子は、
「だって、貴方は、最早もう、一遍観たって云うんじゃありませんか」と聞き返した。
「一遍だろうが、二遍だろうが、ちっとも構わない。行きましょう」と代助は梅子を見て微笑した。
「貴方も余っ程道楽ものね」と梅子が評した。代助はますます滑稽を感じた。
 兄は用があると云って、すぐ出て行った。四時頃用が済んだら芝居の方へ回る約束なんだそうである。それまで自分と縫子だけで見ていたら好さそうなものだが、梅子はそれが厭だと云った。そんなら直木を連れて行けと兄から注意された時、直木は紺絣こんがすりを着て、はかま穿いて、むずかしく坐っていて不可いけないと答えた。それで仕方がないから代助を迎いにったのだ、と、これは兄が出掛の説明であった。代助は少々理窟りくつに合わないと思ったが、ただ、そうですかと答えた。そうして、嫂は幕の合間に話し相手がほしいのと、それからいざと云う時に、色々用を云い付けたいものだから、わざわざ自分を呼び寄せたに違ないと解釈した。
 梅子と縫子は長い時間を御化粧に費やした。代助はこんよく御化粧の監督者になって、両人ふたりそばに附いていた。そうして時々は、面白半分の冷かしも云った。縫子からは叔父さん随分だわを二三度繰り返された。
 父は今朝早くから出て、家にいなかった。何処へ行ったのだか、嫂は知らないと云った。代助は別に知りたい気もなかった。ただ父のいないのが難有ありがたかった。この間の会見以後、代助は父とはたった二度程しか顔を合せなかった。それも、ほんの十分か十五分に過ぎなかった。話が込み入りそうになると、急に叮嚀な御辞義をして立つのを例にしていた。父は座敷の方へ出て来て、どうも代助は近頃少しも尻が落ち付かなくなった。おれの顔さえ見れば逃げ仕度をすると云って怒った。と嫂は鏡の前で夏帯の尻をでながら代助に話した。
「ひどく、信用を落したもんだな」
 代助はこう云って、嫂と縫子の蝙蝠傘こうもりがさを提げて一足先へ玄関へ出た。車はそこに三挺ちょうならんでいた。
 代助は風を恐れて鳥打帽をかぶっていた。風はようやんで、強い日が雲の隙間すきまから頭の上を照らした。先へ行く梅子と縫子は傘を広げた。代助は時々手の甲を額の前にかざした。
 芝居の中では、嫂も縫子も非常に熱心な観客けんぶつであった。代助は二返目の所為せいといい、この三四日来の脳の状態からと云い、そう一図に舞台ばかりに気を取られている訳にも行かなかった。絶えず精神に重苦しいあつさを感ずるので、しばしば団扇うちわを手にして、風を襟から頭へ送っていた。
 幕の合間に縫子が代助の方を向いて時々妙な事を聞いた。何故あの人はたらいで酒を飲むんだとか、何故坊さんが急に大将になれるんだとか、大抵説明の出来ない質問のみであった。梅子はそれを聞くたんびに笑っていた。代助は不図二三日にさんち前新聞で見た、ある文学者の劇評を思い出した。それには、日本の脚本が、あまりに突飛な筋に富んでいるので、楽に見物が出来ないと書いてあった。代助はその時、役者の立場から考えて、何もそんな人に見て貰う必要はあるまいと思った。作者に云うべき小言を、役者の方へ持ってくるのは、近松の作を知るために、越路こしじ浄瑠璃じょうるりが聴きたいと云う愚物と同じ事だと云って門野に話した。門野は依然として、そんなもんでしょうかなと云っていた。
 小供のうちから日本在来の芝居を見慣れた代助は、無論梅子と同じ様に、単純なる芸術の鑑賞家であった。そうして舞台にける芸術の意味を、役者の手腕に就てのみ用いべきものと狭義に解釈していた。だから梅子とは大いに話が合った。時々顔を見合して、黒人くろうとの様な批評を加えて、互に感心していた。けれども、大体に於て、舞台にはもうあきが来ていた。幕の途中でも、双眼鏡で、彼方あっちを見たり、此方こっちを見たりしていた。双眼鏡の向う所には芸者が沢山いた。そのあるものは、先方むこうでも眼鏡の先を此方へ向けていた。
 代助の右隣には自分と同年輩の男が丸髷まるまげった美くしい細君を連れて来ていた。代助はその細君の横顔を見て、自分の近付のある芸者によく似ていると思った。左隣には男連が四人よったりばかりいた。そうして、それが、ことごと博士はかせであった。代助はその顔を一々覚えていた。その又隣に、広い所をたった二人で専領しているものがあった。その一人は、兄と同じ位な年恰好かっこうで、正しい洋服を着ていた。そうして金縁の眼鏡を掛けて、物を見るときには、あごを前へ出して、心持仰向く癖があった。代助はこの男を見たとき、何所どこか見覚のある様な気がした。が、ついに思い出そうとつとめてもみなかった。その伴侶つれは若い女であった。代助はまだ二十はたちになるまいと判定した。羽織を着ないで、普通よりは大きくひさしを出して、多くは顎を襟元へぴたりと着けて坐っていた。
 代助は苦しいので、何返も席を立って、後の廊下へ出て、狭い空を仰いだ。兄が来たら、嫂と縫子を引き渡して早く帰りたい位に思った。一遍は縫子を連れて、其所等そこいらをぐるぐる運動して歩いた。仕舞にはと酒でも取り寄せて飲もうかと思った。
 兄は日暮ひくれとすれすれに来た。大変遅かったじゃありませんかと云った時、帯の間から、金時計を出して見せた。実際六時少し回ったばかりであった。兄は例のごとく、平気な顔をして、方々見回していた。が、飯を食う時、立って廊下へ出たぎり、中々帰って来なかった。しばらくして、代助が不図ふと振り返ったら、一軒置いて隣りの金縁の眼鏡を掛けた男の所へ這入って、話をしていた。若い女にも時々話しかける様であった。しかし女の方では笑い顔を一寸見せるだけで、すぐ舞台の方へ真面目に向き直った。代助は嫂にその人の名を聞こうと思ったが、兄は人の集る所へさえ出れば、何所へでもかくの如く平気に這入り込む程、世間の広い、又世間を自分のいえの様に心得ている男であるから、気にも掛けずに黙っていた。
 すると幕の切れ目に、兄が入口まで帰って来て、代助一寸来いと云いながら、代助をその金縁の男の席へ連れて行って、愚弟だと紹介した。それから代助には、これが神戸の高木さんだと云って引合した。金縁の紳士は、若い女を顧みて、私のめいですと云った。女はしとやかに御辞義をした。その時兄が、佐川さんの令嬢だと口を添えた。代助は女の名を聞いたとき、うまく掛けられたと腹の中で思った。が何事も知らぬものの如くよそおって、好加減に話していた。すると嫂が一寸自分の方を振り向いた。
 五六分して、代助は兄と共に自分の席に返った。佐川の娘を紹介されるまでは、兄の見え次第逃げる気であったが、今ではそう不可いかなくなった。余り現金に見えては、かえって好くない結果を引き起しそうな気がしたので、苦しいのを我慢して坐っていた。兄も芝居に就ては全たく興味がなさそうだったけれども、例の如く鷹揚おうように構えて、黒い頭をいぶす程、葉巻をくゆらした。時々評をすると、縫子あの幕は綺麗きれいだろう位の所であった。梅子は平生の好奇心にも似ず、高木に就ても、佐川の娘に就ても、何等の質問を掛けず、一言いちごんの批評も加えなかった。代助にはその澄した様子が却って滑稽に思われた。彼は今日まで嫂の策略にかかった事が時々あった。けれども、只の一返も腹を立てた事はなかった。今度の狂言も、平生ならば、退屈紛らしの遊戯程度に解釈して、笑ってしまったかも知れない。そればかりではない。もし自分が結婚する気なら、却って、この狂言を利用して、自ら人巧的に、御目出度おめでたい喜劇を作り上げて、生涯自分をあざけって満足する事も出来た。然しこの姉までが、今の自分を、父や兄と共謀して、漸々ぜんぜん窮地にいざなって行くかと思うと、さすがにこの所作をただの滑稽として、観察する訳には行かなかった。代助はこの先、嫂がこの事件をどう発展させる気だろうと考えて、少々弱った。うちのものの中で、嫂が一番こんな計画に興味をもっていたからである。もし嫂がこの方面に向って代助に肉薄すればする程、代助は漸々家族のものと疎遠そえんにならなければならぬと云う恐れが、代助の頭の何処どこかに潜んでいた。
 芝居の仕舞になったのは十一時近くであった。外へ出て見ると、風は全くんだが、月も星も見えない静かな晩を、電燈が少しばかり照らしていた。時間が遅いので茶屋では話をする暇もなかった。三人のむかいは来ていたが、代助はつい車をあつらえて置くのを忘れた。面倒だと思って、嫂のすすめしりぞけて、茶屋の前から電車に乗った。数寄屋橋すきやばしで乗りえ様と思って、黒いみちの中に、待ち合わしていると、小供をおぶった神さんが、退儀そうに向うから近寄って来た。電車は向う側を二三度通った。代助と軌道レールの間には、土か石の積んだものが、高い土手の様に挟まっていた。代助は始めて間違った所に立っている事を悟った。
「御神さん、電車へ乗るなら、此所ここじゃ不可いけない。向側だ」と教えながら歩き出した。神さんは礼を云っていて来た。代助は手探てさぐりでもする様に、暗い所を好加減に歩いた。十四五間左の方へ濠際ほりぎわ目標めあてに出たら、漸く停留所の柱が見付った。神さんは其所そこで、神田橋の方へ向いて乗った。代助はたった一人反対の赤坂行へ這入った。
 車の中では、眠くてられない様な気がした。揺られながらも今夜の睡眠が苦になった。彼は大いに疲労して、白昼の凡てに、惰気を催おすにもかかわらず、知られざる何物かの興奮の為に、静かな夜をほしいままにする事が出来ない事がよくあった。彼の脳裏には、今日の日中に、かわがわあとを残した色彩が、時の前後と形の差別を忘れて、一度に散らついていた。そうして、それが何の色彩であるか、何の運動であるかたしかにわからなかった。彼は眼をねむって、家へ帰ったら、又ウイスキーの力を借りようと覚悟した。
 彼はこの取り留めのない花やかな色調の反照として、三千代の事を思い出さざるを得なかった。そうして其所にわが安住の地を見出みいだした様な気がした。けれどもその安住の地は、明らかには、彼の眼に映じて出なかった。ただ、かれの心の調子全体で、それを認めただけであった。従って彼は三千代の顔や、容子ようすや、言葉や、夫婦の関係や、病気や、身分を一纏ひとまとめにしたものを、わが情調にしっくり合う対象として、発見したに過ぎなかった。
 翌日代助は但馬たじまにいる友人から長い手紙を受取った。この友人は学校を卒業すると、すぐ国へ帰ったぎり、今日までついぞ東京へ出た事のない男であった。当人は無論山の中で暮す気はなかったんだが、親の命令でやむを得ず、故郷に封じ込められてしまったのである。それでも一年ばかりの間は、もう一返親父を説き付けて、東京へ出る出ると云って、うるさい程手紙を寄こしたが、この頃は漸く断念したと見えて、大した不平がましいうったえもしない様になった。家は所の旧家で、先祖から持ち伝えた山林を年々り出すのが、おもな用事になっているよしであった。今度の手紙には、彼の日常生活の模様がくわしく書いてあった。それから、一カ月前町長に挙げられて、年俸を三百円頂戴する身分になった事を、面白半分、殊更ことさらに真面目な句調で吹聴ふいちょうして来た。卒業してすぐ中学の教師になっても、この三倍はもらえると、自分と他の友人との比較がしてあった。
 この友人は国へ帰ってから、約一年ばかりして、京都在のある財産家から嫁を貰った。それは無論親の云い付であった。すると、少時しばらくして、すぐ子供が生れた。女房の事は貰った時より外に何も云って来ないが、子供の生長おいたちには興味があると見えて、時々代助が可笑おかしくなる様な報知をした。代助はそれを読むたびに、この子供に対して、満足しつつある友人の生活を想像した。そうして、この子供の為に、彼の細君に対する感想が、貰った当時に比べて、どの位変化したかを疑った。
 友人は時々あゆの乾したのや、柿の乾したのを送ってくれた。代助はその返礼に大概は新らしい西洋の文学書を遣った。するとその返事には、それを面白く読んだ証拠になる様な批評がきっとあった。けれども、それが長くは続かなかった。仕舞には受取ったと云う礼状さえ寄こさなかった。此方こっちからわざわざ問い合せると、書物は難有ありがたく頂戴した。読んでから礼を云おうと思って、つい遅くなった。実はまだ読まない。白状すると、読むひまがないと云うより、読む気がしないのである。もう一層露骨に云えば、読んでも解らなくなったのである。という返事が来た。代助はそれから書物をめて、その代りに新らしい玩具おもちゃを買って送る事にした。
 代助は友人の手紙を封筒に入れて、自分と同じ傾向をっていたこの旧友が、当時とはまるで反対の思想と行動とに支配されて、生活の音色を出していると云う事実を、切に感じた。そうして、命のいとの震動から出る二人の響をつまびらかに比較した。
 彼は理論家セオリストとして、友人の結婚をうけがった。山の中に住んで、樹や谷を相手にしているものは、親の取り極めた通りの妻を迎えて、安全な結果を得るのが自然の通則と心得たからである。彼は同じ論法で、あらゆる意味の結婚が、都会人士には、不幸を持ちきたすものと断定した。その原因を云えば、都会は人間の展覧会に過ぎないからであった。彼はこの前提からこの結論に達するためにこう云う径路を辿たどった。
 彼は肉体と精神に於て美の類別を認める男であった。そうして、あらゆる美の種類に接触する機会を得るのが、都会人士の権能であると考えた。あらゆる美の種類に接触して、そのたびごとに、甲から乙に気を移し、乙から丙に心を動かさぬものは、感受性に乏しい無鑑賞家であると断定した。彼はこれを自家の経験に徴して争うべからざる真理と信じた。その真理から出立しゅったつして、都会的生活を送るすべての男女なんにょは、両性間の引力アットラクションおいて、悉く随縁臨機に、測りがたき変化を受けつつあるとの結論に到着した。それを引き延ばすと、既婚の一対いっついは、双方ともに、流俗に所謂いわゆる不義インフィデリチの念に冒されて、過去から生じた不幸を、始終めなければならない事になった。代助は、感受性のもっとも発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓げいしゃを選んだ。彼等のあるものは、生涯に情夫を何人取り替えるか分らないではないか。普通の都会人は、より少なき程度に於て、みんな芸妓ではないか。代助はかわらざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた。
 此所まで考えた時、代助の頭の中に、突然三千代の姿が浮んだ。その時代助はこの論理中に、或因数ファクターは数え込むのを忘れたのではなかろうかと疑った。けれども、その因数ファクターはどうしても発見する事が出来なかった。すると、自分が三千代に対する情合も、この論理によって、ただ現在的のものに過ぎなくなった。彼の頭はまさにこれを承認した。然し彼のハートは、慥かにそうだと感ずる勇気がなかった。
 
 
 
 

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