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十二
代助は嫂の肉薄を恐れた。又三千代の引力を恐れた。避暑にはまだ間があった。凡ての娯楽には興味を失った。読書をしても、自己の影を黒い文字の上に認める事が出来なくなった。落付いて考えれば、考えは蓮の糸を引く如くに出るが、出たものを纏めて見ると、人の恐ろしがるものばかりであった。仕舞には、斯様に考えなければならない自分が怖くなった。代助は蒼白く見える自分の脳髄を、ミルクセークの如く廻転させる為に、しばらく旅行しようと決心した。始めは父の別荘に行く積りであった。然し、これは東京から襲われる点に於て、牛込に居ると大した変りはないと思った。代助は旅行案内を買って来て、自分の行くべき先を調べてみた。が、自分の行くべき先は天下中何処にも無い様な気がした。しかし、無理にも何処かへ行こうとした。それには、支度を調えるに若くはないと極めた。代助は電車に乗って、銀座まで来た。朗かに風の往来を渡る午後であった。新橋の勧工場を一回して、広い通りをぶらぶらと京橋の方へ下った。その時代助の眼には、向う側の家が、芝居の書割の様に平たく見えた。青い空は、屋根の上にすぐ塗り付けられていた。
代助は二三の唐物屋を冷かして、入用の品を調えた。その中に、比較的高い香水があった。資生堂で練歯磨を買おうとしたら、若いものが、欲しくないと云うのに自製のものを出して、頻に勧めた。代助は顔をしかめて店を出た。紙包を腋の下に抱えたまま、銀座の外れまで遣って来て、其所から大根河岸を回って、鍛冶橋を丸の内へ志した。当もなく西の方へ歩きながら、これも簡便な旅行と云えるかも知れないと考えた揚句、草臥れて車をと思ったが、何処にも見当らなかったので又電車へ乗って帰った。
家の門を這入ると、玄関に誠太郎のらしい履が叮嚀に并べてあった。門野に聞いたら、へえそうです、先方から待って御出ですという答であった。代助はすぐ書斎へ来て見た。誠太郎は、代助の坐る大きな椅子に腰を掛けて、洋卓の前で、アラスカ探険記を読んでいた。洋卓の上には、蕎麦饅頭と茶盆が一所に乗っていた。
「誠太郎、何だい、人のいない留守に来て、御馳走だね」と云うと、誠太郎は、笑いながら、先ずアラスカ探険記をポッケットへ押し込んで、席を立った。
「其所にいるなら、いても構わないよ」と云っても、聞かなかった。
代助は誠太郎を捕まえて、例の様に調戯い出した。誠太郎はこの間代助が歌舞伎座でした欠伸の数を知っていた。そうして、
「叔父さんは何時奥さんを貰うの」と、又先達てと同じ様な質問を掛けた。
この日誠太郎は、父の使に来たのであった。その口上は、明日の十一時までに一寸来てくれと云うのであった。代助はそうそう父や兄に呼び付けられるのが面倒であった。誠太郎に向って、半分怒った様に、
「何だい、苛いじゃないか。用も云わないで、無暗に人を呼びつけるなんて」と云った。誠太郎はやっぱりにやにやしていた。代助はそれぎり話を外へそらしてしまった。新聞に出ている相撲の勝負が、二人の題目の重なるものであった。
晩食を食って行けと云うのを学校の下調があると云って辞退して誠太郎は帰った。帰る前に、
「それじゃ、叔父さん、明日は来ないんですか」と聞いた。代助は已を得ず、
「うむ。どうだか分らない。叔父さんは旅行するかも知れないからって、帰ってそう云ってくれ」と云った。
「何時」と誠太郎が聞き返したとき、代助は今日明日のうちと答えた。誠太郎はそれで納得して、玄関まで出て行ったが、沓脱へ下りながら振り返って、突然、
「何処へいらっしゃるの」と代助を見上げた。代助は、
「何処って、まだ分るもんか。ぐるぐる回るんだ」と云ったので、誠太郎は又にやにやしながら、格子を出た。
代助はその夜すぐ立とうと思って、グラッドストーンの中を門野に掃除さして、携帯品を少し詰め込んだ。門野は少なからざる好奇心を以て、代助の革鞄を眺めていたが、
「少し手伝いましょうか」と突立ったまま聞いた。代助は、
「なに、訳はない」と断わりながら、一旦詰め込んだ香水の壜を取り出して、封被を剥いで、栓を抜いて、鼻に当てて嗅いでみた。門野は少し愛想を尽した様な具合で、自分の部屋へ引取った。二三分すると又出て来て、
「先生、車をそう云っときますかな」と注意した。代助はグラッドストーンを前へ置いて、顔を上げた。
「そう、少し待ってくれ給え」
庭を見ると、生垣の要目の頂に、まだ薄明るい日足がうろついていた。代助は外を覗きながら、これから三十分のうちに行く先を極めようと考えた。何でも都合のよさそうな時間に出る汽車に乗って、その汽車の持って行く所へ降りて、其所で明日まで暮らして、暮らしているうちに、又新らしい運命が、自分を攫いに来るのを待つ積りであった。旅費は無論充分でなかった。代助の旅装に適した程の宿泊を続けるとすれば、一週間も保たない位であった。けれども、そう云う点になると、代助は無頓着であった。愈となれば、家から金を取り寄せる気でいた。それから、本来が四辺の風気を換えるのを目的とする移動だから、贅沢の方面へは重きを置かない決心であった。興に乗れば、荷持を雇って、一日歩いても可いと覚悟した。
彼は又旅行案内を開いて、細かい数字を丹念に調べ出したが、少しも決定の運に近寄らないうちに、又三千代の方に頭が滑って行った。立つ前にもう一遍様子を見て、それから東京を出ようと云う気が起った。グラッドストーンは今夜中に始末を付けて、明日の朝早く提げて行かれる様にして置けば構わない事になった。代助は急ぎ足で玄関まで出た。その音を聞き付けて、門野も飛び出した。代助は不断着のまま、掛釘から帽子を取っていた。
「又御出掛ですか。何か御買物じゃありませんか。私で可ければ買って来ましょう」と門野が驚ろいた様に云った。
「今夜は已めだ」と云い放したまま、代助は外へ出た。外はもう暗かった。美くしい空に星がぽつぽつ影を増して行く様に見えた。心持の好い風が袂を吹いた。けれども長い足を大きく動かした代助は、二三町も歩かないうちに額際に汗を覚えた。彼は頭から鳥打を脱った。黒い髪を夜露に打たして、時々帽子をわざと振って歩いた。
平岡の家の近所へ来ると、暗い人影が蝙蝠の如く静かに其所、此所に動いた。粗末な板塀の隙間から、洋燈の灯が往来へ映った。三千代はその光の下で新聞を読んでいた。今頃新聞を読むのかと聞いたら、二返目だと答えた。
「そんなに閑なんですか」と代助は座蒲団を敷居の上に移して、縁側へ半分身体を出しながら、障子へ倚りかかった。
平岡は居なかった。三千代は今湯から帰った所だと云って、団扇さえ膝の傍に置いていた。平生の頬に、心持暖い色を出して、もう帰るでしょうから緩くりしていらっしゃいと、茶の間へ茶を入れに立った。髪は西洋風に結っていた。
平岡は三千代の云った通りには中々帰らなかった。何時でもこんなに遅いのかと尋ねたら、笑いながら、まあそんな所でしょうと答えた。代助はその笑の中に一種の淋しさを認めて、眼を正して、三千代の顔を凝と見た。三千代は急に団扇を取って袖の下を煽いだ。
代助は平岡の経済の事が気に掛った。正面から、この頃は生活費には不自由はあるまいと尋ねてみた。三千代はそうですねと云って、又前の様な笑い方をした。代助がすぐ返事をしなかったものだから、
「貴方には、そう見えて」と今度は向うから聞き直した。そうして、手に持った団扇を放り出して、湯から出たての奇麗な繊い指を、代助の前に広げて見せた。その指には代助の贈った指環も、他の指環も穿めていなかった。自分の記念を何時でも胸に描いていた代助には、三千代の意味がよく分った。三千代は手を引き込めると同時に、ぽっと赤い顔をした。
「仕方がないんだから、堪忍して頂戴」と云った。代助は憐れな心持がした。
代助はその夜九時頃平岡の家を辞した。辞する前、自分の紙入の中に有るものを出して、三千代に渡した。その時は、腹の中で多少の工夫を費やした。彼は先ず何気なく懐中物を胸の所で開けて、中にある紙幣を、勘定もせずに攫んで、これを上げるから御使なさいと無雑作に三千代の前へ出した。三千代は、下女を憚かる様な低い声で、
「そんな事を」と、却って両手をぴたりと身体へ付けてしまった。代助は然し自分の手を引き込めなかった。
「指環を受取るなら、これを受取っても、同じ事でしょう。紙の指環だと思って御貰いなさい」
代助は笑いながら、こう云った。三千代はでも、余りだからとまだ躊躇した。代助は、平岡に知れると叱られるのかと聞いた。三千代は叱られるか、賞められるか、明らかに分らなかったので、やはり愚図々々していた。代助は、叱られるなら、平岡に黙っていたら可かろうと注意した。三千代はまだ手を出さなかった。代助は無論出したものを引き込める訳に行かなかった。已を得ず、少し及び腰になって、掌を三千代の胸の側まで持って行った。同時に自分の顔も一尺ばかりの距離に近寄せて、
「大丈夫だから、御取んなさい」と確りした低い調子で云った。三千代は顎を襟の中へ埋める様に後へ引いて、無言のまま右の手を前へ出した。紙幣はその上に落ちた。その時三千代は長い睫毛を二三度打ち合わした。そうして、掌に落ちたものを帯の間に挟んだ。
「又来る。平岡君によろしく」と云って、代助は表へ出た。町を横断して小路へ下ると、あたりは暗くなった。代助は美くしい夢を見た様に、暗い夜を切って歩いた。彼は三十分と立たないうちに、吾家の門前に来た。けれども門を潜る気がしなかった。彼は高い星を戴いて、静かな屋敷町をぐるぐる徘徊した。自分では、夜半まで歩きつづけても疲れる事はなかろうと思った。とかくするうち、又自分の家の前へ出た。中は静かであった。門野と婆さんは茶の間で世間話をしていたらしい。
「大変遅うがしたな。明日は何時の汽車で御立ちですか」と玄関へ上るや否や問を掛けた。代助は、微笑しながら、
「明日も御已めだ」と答えて、自分の室へ這入った。そこには床がもう敷いてあった。代助は先刻栓を抜いた香水を取って、括枕の上に一滴垂らした。それでは何だか物足りなかった。壜を持ったまま、立って室の四隅へ行って、そこに一二滴ずつ振りかけた。斯様に打ち興じた後、白地の浴衣に着換えて、新らしい小掻巻の下に安かな手足を横たえた。そうして、薔薇の香のする眠に就いた。
眼が覚めた時は、高い日が縁に黄金色の震動を射込んでいた。枕元には新聞が二枚揃えてあった。代助は、門野が何時、雨戸を引いて、何時新聞を持って来たか、まるで知らなかった。代助は長い伸を一つして起き上った。風呂場で身体を拭いていると、門野が少し狼狽えた容子で遣って来て、
「青山から御兄いさんが御見えになりました」と云った。代助は今直行く旨を答えて、奇麗に身体を拭き取った。座敷はまだ掃除が出来ているか、いないかであったが、自分で飛び出す必要もないと思ったから、急ぎもせずに、いつもの通り、髪を分けて剃を中て、悠々と茶の間へ帰った。そこではさすがにゆっくりと膳につく気も出なかった。立ちながら紅茶を一杯啜って、タオルで一寸口髭を摩って、それを、其所へ放り出すと、すぐ客間へ出て、
「やあ兄さん」と挨拶をした。兄は例の如く、色の濃い葉巻の、火の消えたのを、指の股に挟んで、平然として代助の新聞を読んでいた。代助の顔を見るや否や、
「この室は大変好い香がする様だが、御前の頭かい」と聞いた。
「僕の頭の見える前からでしょう」と答えて、昨夜の香水の事を話した。兄は、落ち付いて、
「ははあ、大分洒落た事をやるな」と云った。
兄は滅多に代助の所へ来た事のない男であった。たまに来れば必ず来なくってならない用事を持っていた。そうして、用を済ますとさっさと帰って行った。今日も何事か起ったに違ないと代助は考えた。そうして、それは昨日誠太郎を好加減に胡魔化して返した反響だろうと想像した。五六分雑談をしているうちに、兄はとうとうこう云い出した。
「昨夕誠太郎が帰って来て、叔父さんは明日から旅行するって云う話だから、出て来た」
「ええ、実は今朝六時頃から出ようと思ってね」と代助は嘘の様な事を、至極冷静に答えた。兄も真面目な顔をして、
「六時に立てる位な早起の男なら、今時分わざわざ青山から遣って来やしない」と云った。改めて用事を聞いてみると、やはり予想の通り肉薄の遂行に過ぎなかった。即ち今日高木と佐川の娘を呼んで午餐を振舞う筈だから、代助にも列席しろと云う父の命令であった。兄の語る所によると、昨夕誠太郎の返事を聞いて、父は大いに機嫌を悪くした。梅子は気を揉んで、代助の立たない前に逢って、旅行を延ばさせると云い出した。兄はそれを留めたそうである。
「なに彼奴が今夜中に立つものか、今頃は革鞄の前へ坐って考え込んでいる位のものだ。明日になってみろ、放って置いても遣って来るからって、己が姉さんを安心させたのだよ」と誠吾は落付払っていた。代助は少し忌々しくなったので、
「じゃ、放って置いて御覧なされば好いのに」と云った。
「ところが女と云うものは、気の短かいもので、御父さんに悪いからって、今朝起きるや否や、己をせびるんだからね」と誠吾は可笑い様な顔もしなかった。寧ろ迷惑そうに代助を眺めていた。代助は行くとも、行かないとも決答を与えなかった。けれども兄に対しては、誠太郎同様に、要領を握らせないで返してしまう勇気も出なかった。その上午餐を断って、旅行するにしても、もう自分の懐中を当にする訳には行かなかった。やはり、兄とか嫂とか、もしくは父とか、いずれ反対派の誰かを痛めなければ、身動が取れない位地にいた。そこで、即かず離れずに、高木と佐川の娘の評判をした。高木には十年程前に一遍逢ったぎりであったが、妙なもので、何処かに見覚があって、この間歌舞伎座で眼に着いた時は、はてなと思った。これに反して、佐川の娘の方は、つい先達て、写真を手にしたばかりであるのに、実物に接しても、まるで聯想が浮ばなかった。写真は奇体なもので、先ず人間を知っていて、その方から、写真の誰彼を極めるのは容易であるが、その逆の、写真から人間を定める方は中々むずかしい。これを哲学にすると、死から生を出すのは不可能だが、生から死に移るのは自然の順序であると云う真理に帰着する。
「私はそう考えた」と代助が云った。兄はなるほどと答えたが別段感心した様子もなかった。葉巻の短かくなって、口髭に火が付きそうなのを無暗に啣え易えて、
「それで、必ずしも今日旅行する必要もないんだろう」と聞いた。
代助はないと答えざるを得なかった。
「じゃ、今日餐を食いに来ても好いんだろう」
代助は又好いと答えない訳に行かなかった。
「じゃ、己はこれから、一寸他所へ廻るから、間違のない様に来てくれ」と相変らず多忙に見えた。代助はもう度胸を据えたから、どうでも構わないという気で、先方に都合の好い返事を与えた。すると兄が突然、
「一体どうなんだ。あの女を貰う気はないのか。好いじゃないか貰ったって。そう撰り好みをする程女房に重きを置くと、何だか元禄時代の色男の様で可笑しいな。凡てあの時代の人間は男女に限らず非常に窮屈な恋をした様だが、そうでもなかったのかい。――まあ、どうでも好いから、なるべく年寄を怒らせない様に遣ってくれ」と云って帰った。
代助は座敷へ戻って、しばらく、兄の警句を咀嚼していた。自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考えられない。だから、結婚を勧める方でも、怒らないで放って置くべきものだと、兄とは反対に、自分に都合の好い結論を得た。
兄の云う所によると、佐川の娘は、今度久し振に叔父に連れられて、見物旁上京したので、叔父の商用が済み次第又連れられて国へ帰るのだそうである。父がその機会を利用して、相互の関係に、永遠の利害を結び付けようと企てたのか、又は先達ての旅行先で、この機会をも自発的に拵えて帰って来たのか、どっちにしても代助はあまり研究の余地を認めなかった。自分はただこれ等の人と同じ食卓で、旨そうに午餐を味わって見せれば、社交上の義務は其所に終るものと考えた。もしそれより以上に、何等かの発展が必要になった場合には、その時に至って、始めて処置を付けるより外に道はないと思案した。
代助は婆さんを呼んで着物を出さした。面倒だと思ったが、敬意を表するために、紋付の夏羽織を着た。袴は一重のがなかったから、家に行って、父か兄かのを穿く事に極めた。代助は神経質な割に、子供の時からの習慣で、人中へ出るのを余り苦にしなかった。宴会とか、招待とか、送別とかいう機会があると、大抵は都合して出席した。だから、ある方面に知名な人の顔は大分覚えていた。その中には伯爵とか子爵とかいう貴公子も交っていた。彼はこんな人の仲間入をして、その仲間なりの交際に、損も得も感じなかった。言語動作は何処へ出ても同じであった。外部から見ると、其所が大変能く兄の誠吾に似ていた。だから、よく知らない人は、この兄弟の性質を、全く同一型に属するものと信じていた。
代助が青山に着いた時は、十一時五分前であったが、御客はまだ来ていなかった。兄もまだ帰らなかった。嫂だけがちゃんと支度をして、座敷に坐っていた。代助の顔を見て、
「あなたも、随分乱暴ね。人を出し抜いて旅行するなんて」と、いきなり遣り込めた。梅子は場合によると、論理を有ち得ない女であった。この場合にも、自分が代助を出し抜いた事にはまるで気が付いていない挨拶の仕方であった。それが代助には愛嬌に見えた。で、直そこへ坐り込んで梅子の服装の品評を始めた。父は奥にいると聞いたが、わざと行かなかった。強いられたとき、
「今に御客さんが来たら、僕が奥へ知らせに行く。その時挨拶をすれば好かろう」と云って、やっぱり平常の様な無駄口を叩いていた。けれども佐川の娘に関しては、一言も口を切らなかった。梅子は何とかして、話を其所へ持って行こうとした。代助には、それが明らかに見えた。だから、猶空とぼけて讎を取った。
そのうち待ち設けた御客が来たので、代助は約束通りすぐ父の所へ知らせに行った。父は、案のじょう、
「そうか」とすぐ立ち上がっただけであった。代助に小言を云う暇も何も無かった。代助は座敷へ引き返して来て、袴を穿いて、それから応接間へ出た。客と主人とはそこで悉とく顔を合わせた。父と高木とが第一に話を始めた。梅子は重に佐川の令嬢の相手になった。そこへ兄が今朝の通りの服装で、のっそりと這入って来た。
「いや、どうも遅くなりまして」と客の方に挨拶をしたが、席に就いたとき、代助を振り返って、
「大分早かったね」と小さな声を掛けた。
食堂には応接室の次の間を使った。代助は戸の開いた間から、白い卓布の角の際立った色を認めて、午餐は洋食だと心づいた。梅子は一寸席を立って、次の入口を覗きに行った。それは父に、食卓の準備が出来上った旨を知らせる為であった。
「ではどうぞ」と父は立ち上がった。高木も会釈して立ち上がった。佐川の令嬢も叔父に継いで立ち上がった。代助はその時、女の腰から下の、比較的に細く長い事を発見した。食卓では、父と高木が、真中に向き合った。高木の右に梅子が坐って、父の左に令嬢が席を占めた。女同志が向き合った如く、誠吾と代助も向き合った。代助は五味台を中に、少し斜に反れた位地から令嬢の顔を眺める事になった。代助はその頬の肉と色が、著じるしく後の窓から射す光線の影響を受けて、鼻の境に暗過ぎる影を作った様に思った。その代り耳に接した方は、明らかに薄紅であった。殊に小さい耳が、日の光を透しているかの如くデリケートに見えた。皮膚とは反対に、令嬢は黒い鳶色の大きな眼を有していた。この二つの対照から華やかな特長を生ずる令嬢の顔の形は、寧ろ丸い方であった。
食卓は、人数が人数だけに、さ程大きくはなかった。部屋の広さに比例して、寧ろ小さ過ぎる位であったが、純白な卓布を、取り集めた花で綴って、その中に肉刀と肉匙の色が冴えて輝いた。
卓上の談話は重に平凡な世間話であった。始のうちは、それさえ余り興味が乗らない様に見えた。父はこう云う場合には、よく自分の好きな書画骨董の話を持ち出すのを常としていた。そうして気が向けば、いくらでも、蔵から出して来て、客の前に陳べたものである。父の御蔭で、代助は多少この道に好悪を有てる様になっていた。兄も同様の原因から、画家の名前位は心得ていた。ただし、この方は掛物の前に立って、はあ仇英だね、はあ応挙だねと云うだけであった。面白い顔もしないから、面白い様にも見えなかった。それから真偽の鑑定の為に、虫眼鏡などを振り舞わさない所は、誠吾も代助も同じ事であった。父の様に、こんな波は昔の人は描かないものだから、法にかなっていないなどという批評は、双方共に、未だ甞て如何なる画に対しても加えた事はなかった。
父は乾いた会話に色彩を添えるため、やがて好きな方面の問題に触れてみた。ところが一二言で、高木はそう云う事にまるで無頓着な男であるという事が分った。父は老巧の人だから、すぐ退却した。けれども双方に安全な領分に帰ると、双方共に談話の意味を感じなかった。父は已を得ず、高木にどんな娯楽があるかを確めた。高木は特別に娯楽を持たない由を答えた。父は万事休すという体裁で、高木を誠吾と代助に託して、しばらく談話の圏外に出た。誠吾は、何の苦もなく、神戸の宿屋から、楠公神社やら、手当り次第に話題を開拓して行った。そうして、その中に自然令嬢の演ずべき役割を拵えた。令嬢はただ簡単に、必要な言葉だけを点じては逃げた。代助と高木とは、始め同志社を問題にした。それから亜米利加の大学の状況に移った。最後にエマーソンやホーソーンの名が出た。代助は、高木にこう云う種類の知識があるという事を確めたけれども、ただ確めただけで、それより以上に深入もしなかった。従って文学談は単に二三の人名と書名に終って、少しも発展しなかった。
梅子は固より初から断えず口を動かしていた。その努力の重なるものは、無論自分の前にいる令嬢の遠慮と沈黙を打ち崩すにあった。令嬢は礼義上から云っても、梅子の間断なき質問に応じない訳に行かなかった。けれども積極的に自分から梅子の心を動かそうと力めた形迹は殆んどなかった。ただ物を云うときに、少し首を横に曲げる癖があった。それすら代助には媚を売るとは解釈出来なかった。
令嬢は京都で教育を受けた。音楽は、始めは琴を習ったが、後にはピヤノに易えた。ヴァイオリンも少し稽古したが、この方は手の使い方がむずかしいので、まあ遣らないと同じである。芝居は滅多に行った事がなかった。
「先達ての歌舞伎座は如何でした」と梅子が聞いた時、令嬢は何とも答えなかった。代助にはそれが劇を解しないと云うより、劇を軽蔑している様に取れた。それだのに、梅子はつづけて、同じ問題に就いて、甲の役者はどうだの、乙の役者は何だのと評し出した。代助は又嫂が論理を踏み外したと思った。仕方がないから、横合から、
「芝居は御嫌いでも、小説は御読みになるでしょう」と聞いて芝居の話を已めさした。令嬢はその時始めて、一寸代助の方を見た。けれども答は案外に判然していた。
「いえ小説も」
令嬢の答を待ち受けていた、主客はみんな声を出して笑った。高木は令嬢の為に説明の労を取った。その云う所によると、令嬢の教育を受けたミス何とか云う婦人の影響で、令嬢はある点では殆んど清教徒の様に仕込まれているのだそうであった。だから余程時代後れだと、高木は説明のあとから批評さえ付け加えた。その時は無論誰も笑わなかった。耶蘇教に対して、あまり好意を有っていない父は、
「それは結構だ」と賞めた。梅子は、そう云う教育の価値を全く解する事が出来なかった。にも拘わらず、
「本当にね」と趣味に適わない不得要領の言葉を使った。誠吾は梅子の言葉が、あまり重い印象を先方に与えない様に、すぐ問題を易えた。
「じゃ英語は御上手でしょう」
令嬢はいいえと云って、心持顔を赤くした。
食事が済んでから、主客は又応接間に戻って、話を始めたが、蝋燭を継ぎ足した様に、新らしい方へは急に火が移りそうにも見えなかった。梅子は立って、ピヤノの蓋を開けて、
「何か一つ如何ですか」と云いながら令嬢を顧みた。令嬢は固より席を動かなかった。
「じゃ、代さん、皮切に何か御遣り」と今度は代助に云った。代助は人に聞かせる程の上手でないのを自覚していた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理窟臭く、しつこくなるばかりだから、
「まあ、蓋を開けて御置なさい。今に遣るから」と答えたなり、何かなしに、無関係の事を話しつづけていた。
一時間程して客は帰った。四人は肩を揃えて玄関まで出た。奥へ這入る時、
「代助はまだ帰るんじゃなかろうな」と父が云った。代助はみんなから一足後れて、鴨居の上に両手が届く様な伸を一つした。それから、人のいない応接間と食堂を少しうろうろして座敷へ来て見ると、兄と嫂が向き合って何か話をしていた。
「おい、すぐ帰っちゃ不可ない。御父さんが何か用があるそうだ。奥へ御出」と兄はわざとらしい真面目な調子で云った。梅子は薄笑いをしている。代助は黙って頭を掻いた。
代助は一人で父の室へ行く勇気がなかった。何とかかとか云って、兄夫婦を引張って行こうとした。それが旨く成功しないので、とうとう其所へ坐り込んでしまった。所へ小間使が来て、
「あの、若旦那様に一寸、奥までいらっしゃる様に」と催促した。
「うん、今行く」と返事をして、それから、兄夫婦にこういう理窟を述べた。――自分一人で父に逢うと、父がああ云う気象の所へ持って来て、自分がこんな図法螺だから、殊によると大いに老人を怒らしてしまうかも知れない。そうすると、兄夫婦だって、後から面倒くさい調停をしたり何かしなければならない。その方が却て迷惑になる訳だから、骨惜をせずに今一寸一所に行ってくれたら宜かろう。
兄は議論が嫌な男なので、何んだ下らないと云わぬばかりの顔をしたが、
「じゃ、さあ行こう」と立ち上がった。梅子も笑いながらすぐに立った。三人して廊下を渡って父の室に行って、何事も起らなかったかの如く着坐した。
そこでは、梅子が如才なく、代助の過去に父の小言が飛ばない様な手加減をした。そうして談話の潮流を、なるべく今帰った来客の品評の方へ持って行った。梅子は佐川の令嬢を大変大人しそうな可い子だと賞めた。これには父も兄も代助も同意を表した。けれども、兄は、もし亜米利加のミスの教育を受けたというのが本当なら、もう少しは西洋流にはきはきしそうなものだと云う疑を立てた。代助はその疑にも賛成した。父と嫂は黙っていた。そこで代助は、あの大人しさは、羞耻む性質の大人さだから、ミスの教育とは独立に、日本の男女の社交的関係から来たものだろうと説明した。父はそれもそうだと云った。梅子は令嬢の教育地が京都だから、ああなんじゃないかと推察した。兄は東京だって、御前みた様なのばかりはいないと云った。この時父は厳正な顔をして灰吹を叩いた。次に、容色だって十人並より可いじゃありませんかと梅子が云った。これには父も兄も異議はなかった。代助も賛成の旨を告白した。四人はそれから高木の品評に移った。温健の好人物と云う事で、その方はすぐ片付いてしまった。不幸にして誰も令嬢の父母を知らなかった。けれども、物堅い地味な人だと云うだけは、父が三人の前で保証した。父はそれを同県下の多額納税議員の某から確めたのだそうである。最後に、佐川家の財産に就ても話が出た。その時父は、ああ云うのは、普通の実業家より基礎が確りしていて安全だと云った。
令嬢の資格が略定まった時、父は代助に向って、
「大した異存もないだろう」と尋ねた。その語調と云い、意味と云い、どうするかね位の程度ではなかった。代助は、
「そうですな」とやっぱりえ切らない答をした。父はじっと代助を見ていたが、段々皺の多い額を曇らした。兄は仕方なしに、
「まあ、もう少し善く考えてみるが可い」と云って、代助の為に余裕を付けてくれた。