それから 夏目漱石

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 八
 
 代助があによめに失敗して帰った夜は、大分けていた。彼は辛うじて青山の通りで、最後の電車をつらまえた位である。それにもかかわらず彼の話している間には、父も兄も帰って来なかった。尤もその間に梅子は電話口へ二返呼ばれた。しかし、嫂の様子に別段変った所もないので、代助は此方こっちから進んで何にも聞かなかった。
 その夜は雨催あめもよいの空が、地面と同じ様な色に見えた。停留所の赤い柱のそばに、たった一人立って電車を待ち合わしていると、遠い向うから小さい火の玉があらわれて、それが一直線に暗い中を上下うえしたに揺れつつ代助の方にちかづいて来るのが非常に淋しく感ぜられた。乗り込んで見ると、誰も居なかった。黒い着物を着た車掌と運転手の間に挟まれて、一種の音にうずまって動いて行くと、動いている車の外は真暗である。代助は一人明るい中に腰を掛けて、どこまでも電車に乗って、ついに下りる機会が来ないまで引っ張り廻される様な気がした。
 神楽坂かぐらざかへかかると、ひっりとしたみちが左右の二階家に挟まれて、細長く前をふさいでいた。中途までのぼって来たら、それが急に鳴り出した。代助は風がの棟に当る事と思って、立ち留まって暗い軒を見上げながら、屋根から空をぐるりと見廻すうちに、たちまち一種の恐怖に襲われた。戸と障子と硝子ガラスの打ち合う音が、見る見るはげしくなって、ああ地震だと気が付いた時は、代助の足は立ちながら半ばすくんでいた。その時代助は左右の二階家が坂を埋むべく、双方から倒れて来る様に感じた。すると、突然右側のくぐり戸をがらりと開けて、小供を抱いた一人の男が、地震だ地震だ、大きな地震だと云って出て来た。代助はその男の声を聞いてようやく安心した。
 家へ着いたら、ばあさんも門野も大いに地震のうわさをした。けれども、代助は、二人とも自分程には感じなかったろうと考えた。てから、又三千代の依頼をどう所置しようかと思案してみた。然し分別を凝らすまでには至らなかった。父と兄の近来の多忙は何事だろうとすいしてみた。結婚は愚図々々にして置こうと了簡りょうけんを極めた。そうして眠にった。
 その明日あくるひの新聞に始めて日糖事件なるものがあらわれた。砂糖を製造する会社の重役が、会社の金を使用して代議士の何名かを買収したと云う報知である。門野は例の如く重役や代議士の拘引されるのを痛快だ痛快だと評していたが、代助にはそれ程痛快にも思えなかった。が、二三日にさんちするうちに取り調べを受けるものの数が大分多くなって来て、世間ではこれを大疑獄の様にはやし立てる様になった。ある新聞ではこれを英国に対する検挙と称した。その説明には、英国大使が日糖株を買い込んで、損をして、苦情を鳴らし出したので、日本政府も英国へ対する申訳に手を下したのだとあった。
 日糖事件の起る少し前、東洋汽船という会社は、一割二分の配当をした後の半期に、八十万円の欠損を報告した事があった。それを代助は記憶していた。その時の新聞がこの報告を評して信を置くに足らんと云った事も記憶していた。
 代助は自分の父と兄の関係している会社に就ては何事も知らなかった。けれども、いつどんな事が起るまいものでもないとは常から考えていた。そうして、父も兄もあらゆる点において神聖であるとは信じていなかった。もしやかましい吟味をされたなら、両方共拘引にあたいする資格が出来はしまいかとまで疑っていた。それ程でなくっても、父と兄の財産が、彼等の脳力と手腕だけで、誰が見ても尤と認める様に、作り上げられたとはうけがわなかった。明治の初年に横浜へ移住奨励のため、政府が移住者に土地を与えた事がある。その時ただ貰った地面の御蔭おかげで、今は非常な金満家になったものがある。けれどもこれはむしろ天の与えた偶然である。父と兄の如きは、この自己にのみ幸福なる偶然を、人為的にかつ政略的に、暖室むろを造って、こしらえ上げたんだろうと代助は鑑定していた。
 代助はこう云う考で、新聞記事に対しては別に驚ろきもしなかった。父と兄の会社に就ても心配をする程正直ではなかった。ただ三千代の事だけが多少気に掛った。けれども、徒手てぶらで行くのが面白くないんで、そのうちの事と腹の中で料簡をさだめて、日々にちにち読書にふけって四五日しごんち過した。不思議な事にその後例の金の件に就いては、平岡からも三千代からも何とも云って来なかった。代助は心のうちに、あるいは三千代が又一人で返事を聞きに来る事もあるだろうと、実は心待に待っていたのだが、その甲斐かいはなかった。
 仕舞にアンニュイを感じ出した。何処どこか遊びに行く所はあるまいかと、娯楽案内を捜して、芝居でも見ようと云う気を起した。神楽坂から外濠そとぼり線へ乗って、御茶の水まで来るうちに気が変って、森川町にいる寺尾という同窓の友達を尋ねる事にした。この男は学校を出ると、教師はいやだから文学を職業とすると云い出して、ほかのものの留めるにも拘らず、危険な商売をやり始めた。やり始めてから三年になるが、いまだに名声も上らず、窮々云って原稿生活を持続している。自分の関係のある雑誌に、何でも好いから書けとせまるので、代助は一度面白いものを寄草した事がある。それは一カ月の間雑誌屋の店頭にさらされたぎり、永久人間世界から何処かへ、運命の為めに持って行かれてしまった。それぎり代助は筆を執る事を御免こうむった。寺尾はうたんびに、もっと書け書けと勧める。そうして、おれを見ろと云うのが口癖であった。けれども外の人に聞くと、寺尾ももう陥落するだろうと云う評判であった。大変露西亜ロシアものがすきで、ことに人が名前を知らない作家が好で、なけなしの銭を工面しては新刊物を買うのが道楽であった。あまり※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)きえんが高かった時、代助が、文学者も恐露病にかかってるうちはまだ駄目だ。一旦日露戦争を経過したものでないと話せないと冷評ひやかし返した事がある。すると寺尾は真面目まじめな顔をして、戦争は何時いつでもするが、日露戦争後の日本の様に往生しちゃつまらんじゃないか。やっぱり恐露病に罹ってる方が、卑怯ひきょうでも安全だ、と答えてやっぱり露西亜文学を鼓吹していた。
 玄関から座敷へ通って見ると、寺尾は真中へ一閑張いっかんばりの机を据えて、頭痛がすると云って鉢巻をして、腕まくりで、帝国文学の原稿を書いていた。邪魔ならまた来ると云うと、帰らんでもいい、もう今朝から五五、二円五十銭だけ稼いだからと云う挨拶であった。やがて鉢巻を外して、話を始めた。始めるが早いか、今の日本の作家と評家を眼の玉の飛び出る程痛快に罵倒ばとうし始めた。代助はそれを面白く聞いていた。然し腹の中では、寺尾の事を誰も賞めないので、その対抗運動として、自分の方ではひとけなすんだろうと思った。ちと、そう云う意見を発表したら好いじゃないかと勧めると、そうは行かないよと笑っている。何故なぜと聞き返しても答えない。しばらくして、そりゃ君の様に気楽に暮せる身分なら随分云ってみせるが――何しろ食うんだからね。どうせ真面目な商売じゃないさ。と云った。代助は、それで結構だ、しっかりりたまえと奨励した。すると寺尾は、いやちっとも結構じゃない。どうかして、真面目になりたいと思っている。どうだ、君ちっと金を貸して僕を真面目にする了見はないかと聞いた。いや、君が今の様な事をして、それで真面目だと思う様になったら、その時貸してやろうと調戯からかって、代助は表へ出た。
 本郷の通りまで来たが倦怠アンニュイの感は依然としてもとの通りである。何処をどう歩いても物足りない。と云って、人のうちを訪ねる気はもう出ない。自分を検査してみると、身体からだ全体が、大きな胃病の様な心持がした。四丁目から又電車へ乗って、今度は伝通院前でんずういんまえまで来た。車中で揺られるたびに、五尺何寸かある大きな胃嚢いぶくろの中で、腐ったものが、波を打つ感じがあった。三時過ぎにぼんやりうちへ帰った。玄関で門野が、
先刻さっき御宅から御使でした。手紙は書斎の机の上に載せて置きました。受取は一寸ちょっとわたくしが書いて渡して置きました」と云った。
 手紙は古風な状箱の中にあった。その赤塗の表には名宛なあても何も書かないで、真鍮しんちゅうの環に通した観世撚かんじんよりの封じ目に黒い墨を着けてあった。代助は机の上を一目見て、この手紙の主は嫂だとすぐ悟った。嫂にはこう云う旧式な趣味があって、それが時々思わぬ方角へ出てくる。代助ははさみの先で観世撚の結目を突っつきながら、面倒な手数てかずだと思った。
 けれども中にあった手紙は、状箱とは正反対に簡単な、言文一致で用を済していた。この間わざわざ来てくれた時は、御依頼おたのみ通り取り計いかねて、御気の毒をした。後から考えてみると、その時色々無遠慮な失礼を云った事が気にかかる。どうか悪く取って下さるな。その代り御金を上げる。もっともみんなと云う訳には行かない。二百円だけ都合して上げる。からそれをすぐ御友達の所へ届けて御上げなさい。これは兄さんには内所だからその積りでいなくっては不可いけない。奥さんの事も宿題にするという約束だから、よく考えて返事をなさい。
 手紙の中に巻き込めて、二百円の小切手が這入はいっていた。代助は、しばらく、それを眺めているうちに、梅子に済まない様な気がして来た。この間の晩、帰りがけに、向うから、じゃ御金は要らないのと聞いた。貸してくれと切り込んで頼んだ時は、ああ手痛てきびしく跳ね付けて置きながら、いざ断念して帰る段になると、かえって断わった方から、掛念けねんがって駄目を押して出た。代助はそこに女性にょしょうの美くしさと弱さとを見た。そうしてその弱さに付け入る勇気を失った。この美しい弱点をもてあそぶに堪えなかったからである。ええ要りません、どうかなるでしょうと云って分れた。それを梅子は冷かな挨拶と思ったに違ない。その冷かな言葉が、梅子の平生の思い切った動作の裏に、何処にか引っ掛っていて、とうとうこの手紙になったのだろうと代助は判断した。
 代助はすぐ返事を書いた。そうして出来るだけ暖かい言葉を使って感謝の意を表した。代助がこう云う気分になる事は兄に対してもない。父に対してもない。世間一般に対してはもとよりない。近来は梅子に対してもあまり起らなかったのである。
 代助はすぐ三千代の所へ出掛けようかと考えた。実を云うと、二百円は代助に取って中途半端なたかであった。これだけくれるなら、一層いっそ思い切って、此方こっち強請ねだった通りにして、満足を買えばいいにと云う気も出た。が、それは代助の頭が梅子を離れて三千代の方へ向いた時の事であった。その上、女は如何いかに思い切った女でも、感情上中途半端なものであると信じている代助には、それが別段不平にも思えなかった。いな女のこう云う態度の方が、却って男性の断然たる処置よりも、同情の弾力性を示している点において、快よいものと考えていた。だから、もし二百円を自分に贈ったものが、梅子でなくって、父であったとすれば、代助は、それを経済的中途半端と解釈して、却って不愉快な感に打たれたかも知れないのである。
 代助は晩食ばんめしも食わずに、すぐ又表へ出た。五軒町から江戸川のへりを伝って、河を向うへ越した時は、先刻さっき散歩からの帰りの様に精神の困憊こんぱいを感じていなかった。坂を上って伝通院の横へ出ると、細く高い烟突えんとつが、寺と寺の間から、汚ないけむを、雲の多い空に吐いていた。代助はそれを見て、貧弱な工業が、生存せいそんために無理に呼吸いきを見苦しいものと思った。そうしてその近くに住む平岡と、この烟突とを暗々のうちに連想せずにはいられなかった。こう云う場合には、同情の念より美醜の念が先に立つのが、代助の常であった。代助はこの瞬間に、三千代の事をほとんど忘れてしまった位、空に散るあわれな石炭のけむりに刺激された。
 平岡の玄関の沓脱くつぬぎには女の穿く重ね草履が脱ぎ棄ててあった。格子こうしを開けると、奥の方から三千代がすそを鳴らして出て来た。その時上り口の二畳は殆んど暗かった。三千代はその暗い中に坐って挨拶あいさつをした。始めは誰が来たのか、よく分らなかったらしかったが、代助の声を聞くや否や、何方どなたかと思ったら……と寧ろ低い声で云った。代助は判然はっきり見えない三千代の姿を、常よりは美しく眺めた。
 平岡は不在であった。それを聞いた時、代助は話していやすい様な、又話していにくい様な変な気がした。けれども三千代の方は常の通り落ち付いていた。洋燈ランプけないで、暗いへやて切ったまま二人で坐っていた。三千代は下女も留守だと云った。自分も先刻さっき其所そこまで用達ようたしに出て、今帰って夕食ゆうめしを済ましたばかりだと云った。やがて平岡の話が出た。
 予期した通り、平岡は相変らず奔走している。が、この一週間程は、あんまり外へ出なくなった。疲れたと云って、よくうちている。でなければ酒を飲む。人が尋ねて来ればなお飲む。そうして善く怒る。さかんに人を罵倒する。のだそうである。
「昔と違って気が荒くなって困るわ」と云って、三千代は暗に同情を求める様子であった。代助は黙っていた。下女が帰って来て、勝手口でがたがた音をさせた。しばらくすると、胡摩竹ごまだけの台の着いた洋燈ランプを持って出た。ふすまを締める時、代助の顔をぬすむ様に見て行った。
 代助はふところから例の小切手を出した。二つに折れたのをそのまま三千代の前に置いて、奥さん、と呼び掛けた。代助が三千代を奥さんと呼んだのは始めてであった。
先達せんだって御頼の金ですがね」
 三千代は何にも答えなかった。ただ眼を挙げて代助を見た。
「実は、すぐにもと思ったんだけれども、此方こっちの都合が付かなかったものだから、つい遅くなったんだが、どうですか、もう始末は付きましたか」と聞いた。
 その時三千代は急に心細そうな低い声になった。そうしてえんずる様に、
まだですわ。だって、片付く訳が無いじゃありませんか」と云ったまま、眼を※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはってじっと代助を見ていた。代助は折れた小切手を取り上げて二つに開いた。
「これだけじゃ駄目ですか」
 三千代は手を伸ばして小切手を受取った。
難有ありがとう。平岡が喜びますわ」と静かに小切手を畳の上に置いた。
 代助は金を借りて来た由来を、ごくざっと説明して、自分はこういう呑気のんきな身分の様に見えるけれども、何か必要があって、自分以外の事に、手を出そうとすると、まるで無能力になるんだから、そこは悪く思ってくれない様にと言訳を付け加えた。
「それは、わたくしも承知していますわ。けれども、困って、どうする事も出来ないものだから、つい無理を御願して」と三千代は気の毒そうにわびを述べた。代助はそこで念を押した。
「それだけで、どうか始末が付きますか。もしどうしても付かなければ、もう一遍工面してみるんだが」
「もう一遍工面するって」
「判を押して高い利のつく御金を借りるんです」
「あら、そんな事を」と三千代はすぐ打ち消す様に云った。「それこそ大変よ。貴方あなた
 代助は平岡の今苦しめられているのも、その起りは、性質たちの悪い金を借り始めたのが転々してたたっているんだと云う事を聞いた。平岡は、あの地で、最初のうちは、非常な勤勉家として通っていたのだが、三千代が産後心臓が悪くなって、ぶらぶらし出すと、遊び始めたのである。それも初めのうちは、それ程はげしくもなかったので、三千代はただ交際つきあいやむを得ないんだろうとあきらめていたが、仕舞にはそれが段々高じて、程度ほうずが無くなるばかりなので三千代も心配をする。すれば身体が悪くなる。なれば放蕩ほうとうが猶募る。不親切なんじゃない。私が悪いんですと三千代はわざわざ断わった。けれども又淋しい顔をして、せめて小供でも生きていてくれたらさぞかったろうと、つくづく考えた事もありましたと自白した。
 代助は経済問題の裏面に潜んでいる、夫婦の関係をあらまし推察し得た様な気がしたので、あまり多く此方こっちから問うのを控えた。帰りがけに、
「そんなに弱っちゃ不可いけない。昔の様に元気に御成んなさい。そうしてちっと遊びに御出おいでなさい」と勇気をつけた。
本当ほんとね」と三千代は笑った。彼等は互の昔を互の顔の上に認めた。平岡はとうとう帰って来なかった。
 中二日置いて、突然平岡が来た。その日は乾いた風が朗らかなそらを吹いて、あおいものが眼に映る、常よりは暑い天気であった。朝の新聞に菖蒲しょうぶの案内が出ていた。代助の買った大きな鉢植の君子蘭くんしらんはとうとう縁側で散ってしまった。その代り脇差わきざし程も幅のある緑の葉が、茎を押し分けて長く延びて来た。古い葉は黒ずんだまま、日に光っている。その一枚が何かの拍子に半分はんぶから折れて、茎を去る五寸ばかりの所で、急に鋭く下ったのが、代助には見苦しく見えた。代助ははさみを持って縁に出た。そうしてその葉を折れ込んだ手前から、って棄てた。時に厚い切り口が、急に煮染にじむ様に見えて、しばらく眺めているうちに、ぽたりと縁に音がした。切口に集ったのは緑色の濃い重い汁であった。代助はそのにおいごうと思って、乱れる葉の中に鼻を突っ込んだ。縁側のしたたりはそのままにして置いた。立ち上がって、たもとから手帛ハンケチを出して、鋏の刃をいている所へ、門野が平岡さんが御出ですとしらせて来たのである。代助はその時平岡の事も三千代の事も、まるで頭の中に考えていなかった。只不思議な緑色の液体に支配されて、比較的世間に関係のない情調のもとに動いていた。それが平岡の名を聞くや否や、すぐ消えてしまった。そうして、何だか逢いたくない様な気持がした。
此方こっちへ御通し申しましょうか」と門野から催促された時、代助はうんと云って、座敷へ這入はいった。あとから席に導かれた平岡を見ると、もう夏の洋服を着ていた。襟も白襯衣シャツも新らしい上に、流行の編襟飾あみえりかざりを掛けて、浪人とは誰にも受け取れない位、ハイカラに取り繕ろっていた。
 話してみると、平岡の事情は、依然として発展していなかった。もう近頃は運動しても当分駄目だから、毎日こうして遊んで歩く。それでなければ、うちているんだと云って、大きな声を出して笑ってみせた。代助もそれがかろうと答えたなり、後は当らずさわらずの世間話に時間をつぶしていた。けれども自然に出る世間話というよりも、むしろある問題を回避する為の世間話だから、両方共に緊張を腹の底に感じていた。
 平岡は三千代の事も、金の事も口へ出さなかった。従って三日前代助が彼の留守宅を訪問した事に就ても何も語らなかった。代助も始めのうちは、わざと、その点に触れないで澄していたが、何時いつまでっても、平岡の方で余所よそ々々しく構えているので、却って不安になった。
「実は二三日にさんち前君の所へ行ったが、君は留守だったね」と云い出した。
「うん。そうだったそうだね。その節は又難有ありがとう。御蔭おかげさまで。――なに、君をわずらわさないでもどうかなったんだが、彼奴あいつがあまり心配し過ぎて、つい君に迷惑を掛けて済まない」と冷淡な礼を云った。それから、
「僕も実は御礼に来た様なものだが、本当の御礼には、いずれ当人が出るだろうから」とまるで三千代と自分を別物にした言分であった。代助はただ、
「そんな面倒な事をする必要があるものか」と答えた。話はこれで切れた。が又両方に共通で、しかも、両方のあまり興味を持たない方面にり滑って行った。すると、平岡が突然、
「僕はことによると、もう実業はめるかも知れない。実際内幕を知れば知る程いやになる。その上此方こっちへ来て、少し運動をしてみて、つくづく勇気がなくなった」と心底かららしい告白をした。代助は、一口、
「それは、そうだろう」と答えた。平岡はあまりこの返事の冷淡なのに驚ろいた様子であった。が、又あとを付けた。
「先達ても一寸話したんだが、新聞へでも這入ろうかと思ってる」
「口があるのかい」と代助が聞き返した。
「今、一つある。多分出来そうだ」
 来た時は、運動しても駄目だから遊んでいると云うし、今は新聞に口があるから出ようと云うし、少し要領を欠いでいるが、追窮するのも面倒だと思って、代助は、
「それも面白かろう」と賛成の意を表して置いた。
 平岡の帰りを玄関まで見送った時、代助はしばらく、障子に身を寄せて、敷居の上に立っていた。門野も御附合に平岡の後姿を眺めていた。が、すぐ口を出した。
「平岡さんは思ったよりハイカラですな。あの服装なりじゃ、少しうちの方が御粗末過ぎる様です」
「そうでもないさ。近頃はみんな、あんなものだろう」と代助は立ちながら答えた。
「全たく、服装なりだけじゃ分らない世の中になりましたからね。何処どこの紳士かと思うと、どうも変ちきりんなうち這入はいってますからね」と門野はすぐあとを付けた。
 代助は返事もずに書斎へ引き返した。縁側に垂れた君子蘭の緑のしたたりがどろどろになって、干上り掛っていた。代助はわざと、書斎と座敷の仕切を立て切って、一人へやのうちへ這入った。来客に接した後しばらくは、独坐にふけるが代助の癖であった。ことに今日の様に調子の狂う時は、格別その必要を感じた。
 平岡はとうとう自分と離れてしまった。うたんびに、遠くにいて応対する様な気がする。実を云うと、平岡ばかりではない。誰に逢ってもそんな気がする。現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上にいえを建てたら、たちまれになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった。文明は我等をして孤立せしむるものだと、代助は解釈した。
 代助と接近していた時分の平岡は、人に泣いてもらう事を喜こぶ人であった。今でもそうかも知れない。が、ちっともそんな顔をしないから、わからない。いなつとめて、人の同情をしりぞける様に振舞っている。孤立しても世は渡ってみせるという我慢か、又はこれが現代社会に本来の面目めんもくだと云う悟りか、何方どっちかに帰着する。
 平岡に接近していた時分の代助は、人のために泣く事の好きな男であった。それが次第々々に泣けなくなった。泣かない方が現代的だからと云うのではなかった。事実は寧ろこれを逆にして、泣かないから現代的だと言いたかった。泰西の文明の圧迫を受けて、その重荷の下にうなる、劇烈な生存競争場裏に立つ人で、真によく人の為に泣き得るものに、代助はいまかつて出逢わなかった。
 代助は今の平岡に対して、隔離の感よりも寧ろ嫌悪けんおの念を催うした。そうして向うにも自己同様の念がきざしていると判じた。昔しの代助も、時々わが胸のうちに、こう云う影を認めて驚ろいた事があった。その時は非常に悲しかった。今はその悲しみも殆んど薄くがれてしまった。だから自分で黒い影をじっと見詰めてみる。そうして、これがまことだと思う。已を得ないと思う。ただそれだけになった。
 こう云う意味の孤独の底に陥って煩悶はんもんするには、代助の頭はあまりに判然はっきりし過ぎていた。彼はこの境遇を以て、現代人の踏むべき必然の運命と考えたからである。従って、自分と平岡の隔離は、今の自分のまなこに訴えてみて、尋常一般の経路を、ある点まで進行した結果に過ぎないと見傚みなした。けれども、同時に、両人ふたりの間に横たわる一種の特別な事情の為、この隔離が世間並よりも早く到着したと云う事を自覚せずにはいられなかった。それは三千代の結婚であった。三千代を平岡に周旋したものは元来が自分であった。それを当時にくゆる様な薄弱な頭脳ではなかった。今日に至って振り返ってみても、自分の所作は、過去を照らす鮮かな名誉であった。けれども三年経過するうちに自然は自然に特有な結果を、彼等二人ににんの前に突き付けた。彼等は自己の満足と光輝を棄てて、その前に頭を下げなければならなかった。そうして平岡は、ちらりちらりと何故なぜ三千代を貰ったかと思うようになった。代助は何処かしらで、何故三千代を周旋したかと云う声を聞いた。
 代助は書斎に閉じこもって一日考えに沈んでいた。晩食の時、門野が、
「先生今日は一日御勉強ですな。どうです、と御散歩になりませんか。今夜は寅毘沙とらびしゃですぜ。演芸館で支那人ちゃんの留学生が芝居をってます。どんな事を演る積りですか、行って御覧なすったらどうです。支那人てえ奴は、臆面おくめんがないから、何でもる気だから呑気のんきなものだ。……」と一人で喋舌しゃべった。
 
 
 
 

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