山羊の歌 中原中也

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 無題
 
 
 
 

   

 ※(ローマ数字1、1-13-21)
 

こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまへと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまへのやさしさを思ひ出しながら
私は私のけがらはしさを歎いてゐる。そして
正体もなく、今ここに告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといつて正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂ひ廻る。
人の気持ちをみようとするやうなことはつひになく、
こひ人よ、おまへがやさしくしてくれるのに
私はかたくなで、子供のやうに我儘わがままだつた!
目が覚めて、宿酔ふつかよひいとふべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配を感じながら
私はおまへのやさしさを思ひ、また毒づいた人を思ひ出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、みづから信ずる!

 

   

 ※(ローマ数字2、1-13-22)
 

彼女の心は真つ直い!
彼女は荒々しく育ち、
たよりもなく、心を汲んでも
もらへない、乱雑な中に
生きてきたが、彼女の心は
私のより真つ直いそしてぐらつかない。
 
彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きてゐる。
あまりにわいだめもない世の渦のために、
折に心が弱り、弱々しくさわぎはするが、
しかもなほ、最後の品位をなくしはしない
彼女は美しい、そして賢い!
 
かつて彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめてゐたかは!
しかしいまではもう諦めてしまつてさへゐる。
我利々々で、幼稚な、けものや子供にしか、
彼女は出遇であはなかつた。おまけに彼女はそれとらずに、
唯、人といふ人が、みんなやくざなんだと思つてゐる。
そして少しはいぢけてゐる。彼女は可哀想だ!

 

   

 ※(ローマ数字3、1-13-23)
 

かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがへば
なが心、かたくなにしてあらしめな。
 
かたくなにしてあるときは、心にまなこ
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなはれしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。
 
おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂ひ心地に美をもと
わが世のさまのかなしさや、
 
おのが心におのがじし湧きくるおもひもたずして、
人にまさらん心のみいそがはしき
熱を病む風景ばかりかなしきはなし。

 

   

 
 

私はおまへのことを思つてゐるよ。
いとほしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸つてゐるよ、
まるで自分を罪人ででもあるやうに感じて。
 
私はおまへを愛してゐるよ、精一杯だよ。
いろんなことが考へられもするが、考へられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽さうと思ふよ。
 
またさうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
さうすることは、私に幸福なんだ。
 
幸福なんだ、世のわづらひのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまへに尽せるんだから幸福だ!

 

   

 ※(ローマ数字5、1-13-25) 幸福
 

幸福はうまやの中にゐる
わらの上に。
幸福は
和める心には一挙にして分る。
 
  かたくなの心は、不幸でいらいらして、
  せめてめまぐるしいものや
  数々のものに心を紛らす。
  そして益々ますます不幸だ。
 
幸福は、休んでゐる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでゐる。
 
  頑なの心は、理解に欠けて、
  なすべきをしらず、ただ利に走り、
  意気銷沈して、怒りやすく、
  人に嫌はれて、自らも悲しい。
 
されば人よ、つねにまづ従はんとせよ。
従ひて、迎へられんとには非ず、
従ふことのみ学びとなるべく、学びて
汝が品格を高め、そが働きのゆたかとならんため!