いのちの声
もろもろの
――ソロモン
僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすつかり倦果てた。
僕は雨上りの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。
僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めてゐる、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。
しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著く一か八かの方途さへ、
時に自分を
それは女か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?
否
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値ひするものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!
人は皆、知ると知らぬに
勝敗に心
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!
併し幸福といふものが、このやうに無私の
かの
めしをくはねば生きてゆかれぬ
不公平なものであるよといはねばならぬ。
だが、それが此の世といふものなんで、
それに
然らば、この世に極端はないとて、一先づ休心するもよからう。
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!
さあれ、怒ることこそ
この
そは、熱情はひととき持続し、やがて
その社会的効果は存続し、
Ⅳ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。
底本:「中原中也詩集」岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年6月16日第1刷発行
1997(平成9)年12月5日第37刷発行
底本の親本:「中原中也全集 第1巻 詩 」角川書店
1967(昭和42)年10月20日印刷発行
初出:「山羊の歌」文圃堂
1934(昭和9)年12月10日
入力:浜野安紀子
1998年11月29日公開
2010年11月2日修正
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