ゴリオ爺さん 訳注 バルザック

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ゴリオ爺さん
Le Pere Goriot
バルザック Honore de Balzac
中島英之訳

  訳注

[1] ネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通 現在はパリ第五区内のトゥルヌフォール通である。有名な市場があるムフタール街の西に並行して走っている。
[2] カタコンベ 地下の納骨堂。
[3] カプチン病院 この頃は性病科の病院だった。
[4] テレマック ホメロスの〈オデッセイア〉の英雄オデッセウスの息子テレマックを主人公とした物語〈テレマックの冒険〉は一六九九年にフェヌロンによって書かれた。
[5] カリュプソ ホメロスの〈オデッセイア〉に出てくる不死のニンフ。アトラスの娘でオギギア島に住む。
[6] ジョルジュあるいはピシュグリュ 王党派。密告により彼等のナポレオン暗殺計画が一八〇四年に発覚。ジョルジュはギロチンで処刑され、ピシュグリュは獄死した。
[7] ヤペテの息子の子孫 ホラテウスの詩にあるように、神のごとき子達を作ったといわれるヤペテの子であるプロメテウス。ポワレはそのプロメテウスの子孫であり、かつてはあの華やかなイタリア大通を蝶のように飛びまわっていたという。
[8] ユウェナリス ローマの詩人、西暦五五—六〇生まれ、古代ローマの金持ち、権力者をターゲットにした風刺詩を書いた。
[9] 登録台帳(グラン・リーヴル) 国債保有者登録台帳、国債保有者はすなわち年金受給者であって、人間喜劇中でしばしば出てくる年金という言葉は、フランス国債を意味している。
[10] ブフアラモード パレロワイヤル近辺にある有名なレストラン「ブフアラモード」の看板は肩掛けと帽子を被った牛の姿になっていた。ブフアラモードとは赤ワインでマリネした牛肉の蒸し煮。
[11] プリュネル 絹または羊毛の丈夫な繊維。女性用の靴によく使われた。
[12] レストラパド通 ネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通への急坂の手前になる。そこからは馬車が入りにくかった。
[13] プラド……オデオン プラドは学生に人気のダンスホール。オデオン座は一八一九年一〇月に再建された。
[14] フォーブール・サン・ジェルマン セーヌ左岸、パリ北西部、伝統的貴族階級の邸が多い区域。その中のグリュネル通にボーセアン子爵邸がある。
[15] コントルダンス フランス風スクゥエア・ダンス、四人で方陣を組んで踊る。
[16] 森でも……ブフォンでも 森はブーローニュの森を指す。パリの西にあり、上流階級の人々は馬車に乗って散歩に出かけた。ブフォンはイタリア座あるいはイタリアンの別称、着飾って出かけ、主にイタリア歌劇を楽しんだ。
[17] モンリヴォー侯爵……ランジェ公爵夫人 「ランジェ公爵夫人」はこの二人の恋愛小説である。
[18] ショセ・ダンタン 現在のオペラ通の東部の一帯。新興商人、銀行家あるいはセーヌ右岸の新興勢力(セーヌ左岸に住む伝統的貴族階級に対する)が多く住む地域。
[19] サン・ヨセフ〔聖書〕 聖ヨセフ、キリストの母マリアの夫で、ナザレの大工。
[20] ポーランドのアウグスタス王 三〇〇人の子供を持ったといわれる。
[21] サン・テチエンヌ・デュ・モン パンテオンの直ぐ脇、メゾン・ヴォーケからも近いところにある教会。
[22] ミショネット……ポワロ シルヴィがミショノーとポワレを茶化して呼んでいる。ミショネットは親しげな呼び方だが、ポワロ(Poireau)は「西洋ねぎ」でポワレの容貌を連想させたものと思われる。
[23] リャール銅貨 スーの四分の一、巻末の通貨の相関関係を参照
[24] 私は久しく世界を……出たとこ勝負 エチエンヌの詩をもとに、ニコロによって作曲された一八一四年初演のオペラコミック「ジョコンドまたは誘惑者達」からの数節である。
[25] ガル フランツ・ヨセフ・ガル(一七五八—一八二八)医者、博物学者、ドイツ人で一八〇七年からパリに住んだ。骨相学の創始者。
[26] そしてバラ……朝だけ咲いた ヴォートランは相手によって歌を選ぶ。ここではビアンションとの会話の中で、マレルブの詩句を口ずさんでいる。
[27] 三十スー銀貨 一七九一年に政令によって鋳造された。この貨幣(一・五〇フラン相当)は流通が悪く再鋳造されることはなかった。
[28] カーロ……ノン・ドゥビターレ チマローザの「秘密の結婚」より「愛しい人、愛しい人、愛しい人、安心しなさい」
[29] ウェルギリウス ウェルギリウスの次のような田園詩を連想させている。「君は見たか ほんの微かな香りの中に親しい匂いを嗅ぎつけた 馬たちの身体が打ち震えるのを?」
[30] ラマルチーヌ 一七九〇ー一八六九 詩人、政治家、一八二〇年「瞑想詩集」の成功で文筆生活に入り、ロマン主義詩の時代をもたらした。一八三〇年アカデミー会員に選ばれたが、同年の七月革命以後、政治への関心を深め、三三年国会議員に選出された。
[31] 公安委員会(フランス革命期の) 不当利得者を容赦なくギロチンに送った悪名高い委員会。
[32] 九三年時代 ルイ一六世とマリー・アントワネットが処刑され、革命が最も過激となっていた時期。
[33] サン・ラザール街とグルネル街 サン・ラザール街はセーヌ右岸のショセ・ダンタンに含まれる、一方のグルネル街はセーヌ左岸のフォーブール・サンジェルマンの中にあって、ボーセアン子爵邸がある。
[34] アリアーヌの糸〔ギリシャ神話〕 テセウスが人身牛頭の怪物ミーノータウロスを殺すために迷路に入ってゆく時、アリアーヌが導きの糸を与え、テセウスは怪物を倒した後、無事に迷路から戻ってくることが出来た。
[35] ドリバン 一七九〇年に作られたコメディーで婿達に担がれて馬鹿にされる間抜けな父親。
[36] オブリン通 この道路はコキーユェール通から穀物取引所周辺にまで続く道である。
[37] ヴェルティーユ シャラント県でアングレームから三七キロの距離に隣接した町。
[38] あの高貴な婦人……仰せでない コルネィユの戯曲中の次のような台詞からのもじり。「あのテヴェレ川の水の話はされるけれど それ以外は何も仰せでない」
[39] サンジャック通からサンペール通まで ソルボンヌを中心としたラテン区、学生街。
[40] ヨアヒム・ミュラ 一七六七ー一八一五 南西フランス出身、一七九九年のクーデターではナポレオンに従った。ミュラはこの年の戦いでは、大胆で勇敢な働きをして際立った存在となった。一八〇八年にはナポリ王となった。しかしボロジノの戦い後、彼のナポレオンへの忠誠心が揺らぎ始めた。オーストリア軍から自分の王国を救うために無駄な努力をした挙句、撤退兵を見捨ててしまった。一八一五年一〇月、彼はナポリを取り返すため無計画な企てをほとんど誰の援護もなく試みたが、逮捕され銃殺された。
[41] スウェーデン王 ヨアン・バプテスト・ベルナドット(一七六四—一八四四)を指す。ピレネー地方に生まれ、ナポレオンのかつての婚約者だったデジレ・クラリーと結婚した。一八一〇年にスウェーデンの皇太子兼摂政に選ばれた。フランスがスウェーデンのポメラニア州を占領した時(一八一二)、彼はナポレオンに背き、イギリス、ロシア、プロシア、スウェーデン、オーストリア、ドイツの六国同盟を結成した。彼は一八一八年にスウェーデン王チャールス一四世となり、現在の王室の基を築いた。
[42] セリーニ 有名なフローレンスの彫刻家で金細工師セリーニ(一五〇〇—一五七一)の回想録は一八二二年にフランスで発行された。ベルリオーズはセリーニの賛美者で、彼のオペラ「ベンヴェヌート・セリーニ」はパリで一八三八年に初演された。
[43] サンクルーの網 セーヌ川で水死した人が流されてくるのを引っ掛けるために、サンクルーに網が張られている。
[44] ヴィエール……マニュエル 虚偽の選挙結果が発生したことが報じられた。一八一九年は総選挙の年に当たっていた。ヴィエールは極右王党派で王政復古内閣の支持者、マニュエルは共和主義の法律家で反政府無所属または自由主義者。
[45] 一〇人くらいの男が バルザックの「十三人組物語」の中に、これを思い起こさせる記述がある。「彼等は一三人の王である。||名は秘すが、真に王である、王以上でさえある||判断し実行する。彼等は社会の上を高く飛ぶ翼を持っていて、社会の底深く潜ることさえ出来る。そして彼等は社会の中にある場所を占めることを軽蔑する。何故なら、彼等は社会を上回る無限の力を与えられているからだ」
[46] オーブリイ ボナパルトが公安委員会で軍事部門の責任者だった時(一七九五年の四月から八月)フランソワ・オーブリイはボナパルトから、イタリア軍の大砲指揮権を奪った。しかし彼自身が一七九七年九月四日のクーデターによって仏領ガーナに追放された。
[47] 奴隷 フランスでは一七九四年に奴隷は廃止されたが、一八〇二年執政政府によって復活した。一八四八年第二共和政府によって完全廃止とされた。バルザックの弟アンリはクレオール(西インド諸島生まれの白人)と結婚し、モーリシャス島で三〇人の奴隷を使っていたが、破産して一八三四年にフランスに帰還した。
[48] カドラン・ブロー タンプル大通りにあるレストラン、おしゃれな客よりもブルジョワ層の客が多い。
[49] アンビキュ・コミック タンプル大通りにあるパリ最大級の劇場。メロドラマで中産階級の客が多い。
[50] タイユフェール 「赤い宿屋」にこの男の前歴が語られている。
[51] ラファイエット (一七五七—一八三四)軍人政治家、アメリカの独立戦争に参加して名声を得、帰国後、一七八七年の名士会、八九年の全国三部会に入り、自由主義貴族としてフランス革命初期の指導者の一人となった。しかし革命の主導権が中産市民層に移ると共に保守化し、一時亡命、逮捕などの生活を送った。後、一八三〇年の七月革命に際し、国民軍司令官として活躍した。
[52] タレーラン (一七五四—一八三八)政治家、一七八九年、オータンの聖職者代表として三部会議員となり、フランス革命時には憲法制定議会議員として聖職者財産の国有化に貢献した。のち米国に亡命(一七九四—九六)、帰国後は総裁政府の外相となったが、ナポレオンの登場と共にこれと結び帝政下の外相となった。のちナポレオンを裏切り王政復古に奔走して、ルイ十八世の外相に任ぜられ、ウィーン会議ではフランスの代表としてフランスの被害を軽小に止めた。更に七月革命後は国王ルイ・フィリップのもとで英国大使(一八三〇—三四)となっている。
[53] どうして可哀想な子供から……徒刑場送りに バルザックが考察したノートが残っている。〈身分の低い者より身分の高い階級の者が犯した罪の方が実際は重い事が多い。しかし、教育のない人間は置時計一個を盗んだだけで加重情状で断頭台に送られ、それなりの身分のある人間は遺言書を燃やすような事をやっても往々にして軽い刑で済まされている〉
[54] 法規なんてみんな不条理なんだ バルザックが同様の考察をノートに残している。〈社会原則とされているもので不条理でないものはほとんどない。ボタンから六リヤール・コインを二枚偽造しただけでギロチンにかけられた男がいるが、余りにも残酷ではないか?〉
[55] デスカール公爵 王党派将軍で著名な食道楽。ルイ一八世に公爵の爵位を与えられ、その後、料理長になった。一八二二年に消化不良のため亡くなったと言われている。
[56] タンタロス 神話中の小アジアの古代国家フリジアの王。神の秘密を漏らした罪で、決して潤されない渇きと決して満たされない飢えを罰として課された。
[57] シェリュバン ボーマルシェ作歌劇「フィガロの結婚」の登場人物。ヒロインのスザンヌに言い寄る男。
[58] アルセスト……・ジェニー・ディーン アルセストはモリエールの「人間嫌い」(一六六六年)の主人公、彼は世間の常識を嘲弄し、正しい価値に率直であるという決然とした態度のために嫌われ者になっている。ジェニー・ディーンはウォルター・スコットの「エジンバラの牢獄」の貞節なヒロイン。彼女は罪のない嘘をつくよりも、妹が死刑を宣告されるのをやむを得ないことと考えた。
[59] リュクサンブール公園 パリ第六区にある広い公園、ソルボンヌから近い。
[60] ゴルディアンの結び目〔神話〕 フリジアの王ゴルディアスが結んだ結び目(非常に入り組んでいて、これを解いた者はアジアの王たるべしとの宣託であったのをアレクサンダー大王が聞いて一刀のもとに断ち切った)
[61] キュヴィエ (一七六九—一八三二)パリの自然史博物館の比較解剖学教授、のちパリ大学教授を兼任した。いわゆる実証主義生物学の基礎を確立し、一九世紀初頭以降の生物学に大きな影響を与えた。機能を重視した解剖学の創始は重要な業績である。
[62] ラ・フォドールとペルグリーニ フォドールはソプラノ、ペルグリーニはバスのオペラ歌手、二人ともロッシーニの「セヴィリアの理髪師」で人気を博した。
[63] プチシャトーの婦人達 王の兄弟(のちのシャルル一〇世)に近い上流貴族の婦人達の排他的な派閥。
[64] 結構毛だらけ……箪笥の管だよ パリの商人の呼び売りの声をヴォートランがおどけて真似る場面だが、訳者の独断により、日本の的屋の口上をアレンヂしたものに置き換えた。
[65] 永久年金……終身年金 二種類の国債である。共に毎年利息を債権所有者に支払うが、永久年金は半永久的に支払い続けられる代わりに利率が低い。終身年金は所有者の死とともに支払いは終了するが利率が高い。
[66] 民法典 一八〇四年に制定され、その後ナポレオン法典になった。この法典のもとで、総ての男性は平等となった。しかし女性については逆行して、女性を父親や夫に従属させた。男性は親権、財産権を持ち、離婚についても優先権を与えられていた。ヴィクトリーヌ・タイユフェールやゴリオの娘達がこの法典によって苦しめられていた。
[67] ドラゴナントの……為替手形 ドラゴナントという合成語にはドラゴン(ルイ十四世の竜騎兵)とドラゴナード(ドラゴンがプロテスタントに対して加えた迫害)という敵対的関係を統一した意味があるが、ここではラスチニャックが余程のことがない限り為替手形で支払いに当てることがなかったことを強調している。
[68] ミラボー (一七四九—九一)雄弁家で革命の初期段階で指導的政治家だったが、貴族階級出身、若い頃に放蕩生活をしてギャンブルで莫大な借金を抱えたり、スキャンダラスな恋愛沙汰を起こしている。
[69] サン・ユベール 狩猟の神
[70] ベンジャミン〔聖書〕 ヤコブの息子、父のお気に入りでえこひいきされて育った。
[71] ムシュー・ド・トュレンヌ ルイ一四世に仕えた偉大な元帥(一六一一—七五)
[72] 不滅のヴェニス トーマス・オトウェイ(一六五二—八五)の悲劇で一六八二年に初演された。二人の重要人物、ピェールという外国人兵士、ジャフィエというヴェネチアの貴族が深い絆で結ばれるが、それは自殺によって終わりを遂げる。ヴォートランはこれに言及することによって、生活のみならず愛というかたちにおいても男同士の間に重要な絆が存するという彼の価値観を披瀝する。この箇所は彼がホモセックスへの性向を持っていることを暗示している。
[73] イェルサレム通の警官 シテ島のオルフェーヴル河岸から警視庁に至るまでがイェルサレム通である。
[74] コニャール事件 ピェール・コニャールは脱獄囚で、セント・ヘレナから移民してきた伯爵と偽って、陸軍中佐にまで出世していた。彼は一八一九年に逮捕された。
[75] ラグロー……モラン 計画的殺人事件で当時話題になっていた。一八一二年モラン夫人はラグロー氏の殺人を企てた罪で二〇年の懲役刑を言い渡された。
[76] アルガス〔ギリシャ神話〕 百の目を持つ巨人、厳重な見張り人。アルガスはのちにスパイあるいは監視人を意味する言葉となった。
[77] 私のファンシェット……素直でいる限り 一八一三年にオペラコミックで初演されたアリエットが含まれる劇「二人の嫉妬者」の一節。ファンシェットをヴィクトリーヌに見立て「素直でいる限り」の歌詞は彼女に対応するが、実は蓮っ葉女の典型であるファンシェットの刺激的な容姿はヴィクトリーヌに相応しからず、ヴォートランの揶揄に他ならない。
[78] ドリバンの父っあん(参照 注35 ドリバン) ヴィクトリーヌの父のタイユフェールの財産を狙うヴォートランからすると、タイユフェールもまたドリバンのように好きなように利用すべき対象に過ぎないので、このような言い方になったのであろう。
[79] おーリシャール、世界は貴方を見捨てた グレットリイの有名なオペラ「獅子心王リチャード」の第一幕で歌われるアリア。ナポレオンはフランスからエルバ島に流される道中で、ダブランテ公爵夫人を偲んで、この歌を口ずさんだ。
[80] シャトー・ラフィット ジャック・ラフィット Jacques Laffitte(一七六七ー一八四四)は綴りの中にfとtが二つずつ入っているが、ボルドーの有名なワインの綴りはfとtが一つずつしか入っていない。ジャック・ラフィットは有名な銀行家で政治家でもあった。ルイ・フィリップ治下の最初の首相であった。
[81] 一万五千フランの年金……相続額が三〇万フラン以上 一万五千フランの年金は父から相続する国債の年間配当金のことであり、三〇万フラン以上というのは母から相続する国債の額面総額のことである。年金という言葉で話されていても、一般に巨額の場合は国債の額面総額、比較的小額の場合は国債から得られる年間の配当金を指していることが多い。
[82] 「野性の山」……「隠者」 「野性の山」(一八二一)はピゼレクールにより恋愛小説「隠者」(ダーリンクール子爵原作)を翻案したものである。ルネ・ピゼレクール(一七七三—一八四四)は当時の人気メロドラマ脚本家である。彼は「私は本を読めない人々のために脚本を書いている」と言う一方で、彼の劇の中では労働者階級にも理解されやすいような道徳的指針を追及している。ヴォーケ夫人は誤って原作をフランソワ・ルネ・シャトーブリアン(一七六八—一八四八)だと言っている。しかもそのファースト・ネームを彼の作品の題名に使われた名前「アタラ」と混同している。
[83] おやすみ……寝ずの番をします 一八一九に作られたヴォードヴィル「夢遊病者」のロマンス、ギュスターブとセシルの二重唱の一部をアレンジしたものである。これは愛する女性セシルとのアンサンブルであるギュスターブのパートだ。つまりラスチニャックに悪の契約を結ばせ、ヴィクトリーヌとの結婚を促しながら、青年の保護者としてのヴォートランの立場を歌ったものなのである。
[84] ポールとヴィルジニー ベルナダン・ド・サンピェール(一七三七—一八一四)の純愛物語、少年少女の悲恋を描いた。
[85] ケルビム 翼をつけた愛らしい子供の姿の天使。
[86] ゲテ ゲテ座はタンプル大通りにあった。繁華街であって、劇場、キャバレー、カフェ、そして大道芸人などで賑わっていた。
[87] ニノン……ペールラシェーズのヴィーナス ニノン・ド・ランクロ(一六二〇—一七〇五)は寵姫であるとともに高名なインテリ女性、セックスについて開放的姿勢をとり、元老の意見にも堂々と反駁をした。ポンパドール侯爵夫人(一七二一—六四)は富裕なブルジョワ階級の生まれで高い教養を身に付けていた。ルイ一五世の寵姫であって、哲学の擁護者であり、彼女の政治的文化的影響力はかなりのものであった。歴史はこれ等の女性への評価も塗り替えるものであるが、ヴォートランが言わんとしたことは、ミショノー嬢が盛りを過ぎた娼婦であることを匂わせるとともに、墓地の彫像を思わせる彼女の陰鬱な印象であった。ペールラシェーズはパリ東部にある有名な墓地。
[88] オルフェーヴル河岸 (参照 注七三 イェルサレム通の警官)有名なフランス版スコットランド・ヤード(犯罪捜査課)はシテ島の左岸寄りのこの河岸にあった。警視庁と裁判所も近い。
[89] ジャン・ジャック・ルソー (一七一二—七八)スイスの作家、思想家、彼が強い影響と議論を引き起こしたのは一七六二年に出版した「社会契約論」によっている。この中で彼は人間が他人の上に権力を振るうことを否定し、その代わりに市民が互いに契約をすることで社会を成り立たしめるという思想を提案した。彼の自由、美徳、法、そして平等に関する思想は数世紀にわたって影響を及ぼし続けている。
[90] フリコトー 学生の町カルチェ・ラタンにある大衆向け食堂、パンは食べ放題である。
[91] シリアに向かって……デュノワ 作曲オルタンス王妃(ナポレオンの継子)で第一帝政時代に作られ大流行していた歌。ボナパルティストの集会でもよく歌われた。
[92] カフェ・デザングレ イタリアン大通りにある有名なカフェ、美味な料理とワインで知られ、エリート・パリジャンが通っていた。
[93] マリウス……カルタゴ マリウスはローマの将軍、政治家(前一五六—八六)順調な出世街道を歩んでいたが、ライバルのスラによってローマを追われアフリカに避難した。マリウスが廃墟のカルタゴに座している姿は有為転変を象徴する典型となっている。カルタゴは北アフリカの古代都市で紀元前数世紀、西地中海で一大勢力を張ったがローマとの三次にわたるポエニ戦争の末、前一四六年には徹底的に滅ぼされた。マリウスが逃れて行ったのは滅亡後のカルタゴだった。
[94] タッソー 北イタリアの都市フェララの詩人、この都市は一三世紀から一六世紀にかけて北イタリア・ルネサンスの中心として栄えた。
[95] ルイ十四世の宮廷……ラ・ヴァリエール嬢 ラ・ヴァリエール嬢がルイ十四世の子供ド・ヴェルマンドワ公爵を産んだ時、彼女は陣痛の苦しみに耐えかねてルイ十四世の袖に繰り返しすがりつき、それを引きちぎってしまった。後に彼女はモンテスパン夫人に寵姫の地位を奪われ尼僧院に隠棲した。
[96] ルビコン キサルピナ・ガリアとローマの境界となる小さな川、ローマの将軍がこの川を渡ることは禁じられていた。シーザーはこの川を渡ったことにより、ポンペイに対して宣戦を布告したことになった。以後、ルビコンは決断と最終ステップを意味する言葉となった。
[97] グレーヴ広場 セーヌ右岸のこの広場で処刑が行われていた。最後に執行されたのは一八三〇年で、以後ここは名称も市役所前広場に改められた。
[98] サント・ペラジー 債務不履行者の刑務所
[99] 金の規定重量 ヨーロッパで金、銀の重量の指標と定められている八オンス。
[100] モンパンシェ公爵夫人 大妃殿下すなわちルイ一四世の姪モンパンシェ公爵夫人、一六七〇年一二月、王は彼女とド・ローザン公爵の結婚を許可した。しかし三日後にはそれを取り消し、逆に彼を牢に入れてしまった。
[101] ニオベ〔ギリシャ神話〕 タンタロスの娘、子供を自慢したために石に変えられた。
[102] 第三クラスの葬儀 フランスでは葬儀屋が料金に応じて儀式を九段階に格付けしていた。第三クラス葬儀はまずまず標準的な葬儀といえる。
[103] リベラ……プロフンディス リベラは死者のための祈り、プロフンディスは賛美歌、共に死者の為のミサ曲の一部。

 
 
 
 
  1819年頃のフランスの通貨の相関関係と通貨事情
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 1リャール(銅貨)=3ドゥニエ(古銭)[UpdateSavePoint]
 1スー(硬貨)=4リャール[UpdateSavePoint]
 1リーヴル(硬貨)=20スー[UpdateSavePoint]
 エキュ銀貨=5フラン=6リーヴル[UpdateSavePoint]
 ナポレオン金貨=20フラン[UpdateSavePoint]
 ルイ金貨=20フラン=24リーヴル
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 リーヴル・トルノワ(トゥールで鋳造されたリーヴル貨)については81リーヴル・トルノワ=80フランの換算レートがあり、フランとリーヴルは等価に近い見方をされていた。フランスの王政復古時代(1814−1830)にナポレオン金貨とその他の20フラン金貨は統一的にルイ金貨と呼ぶようになった。紙幣は1800年に500フランと1000フラン紙幣が発行されたが、紙幣の相次ぐ実質価格下落のため紙幣に対する不信感がフランスでは永く残った。紙幣は日常生活ではほとんど使われず、本編中でも、誘惑者ヴォートランがラスチニャックに手形への署名と引き換えに3,000フランを貸す場面、ラスチニャックがカジノで7,000フランを稼いだ場面にしか紙幣は登場しない。したがって当時のフランスの人々にとって、富の象徴的イメージはルイ金貨であり次いでエキュ銀貨だったのである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

底本:“〔Le Pe`re Goriot〕”
原作者:〔Honore’ de Balzac〕(1799-1850)[UpdateSavePoint]
   上記の翻訳底本は、日本国内での著作権が失効しています。
翻訳者:中島英之 1942年生まれ 国際基督教大学中退
※この翻訳は「クリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際 ライセンス」(https://creativecommons.org/licenses/by/4.0/deed.ja)の下で公開されています。
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※翻訳者のメールアドレスは zuq01413@gmail.com になります。最新情報やお問い合わせは、青空文庫ではなく、こちらにお願いします。
2015年3月1日翻訳
2015年10月10日作成
青空文庫収録ファイル:
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