こころ 夏目漱石

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こころ
夏目漱石
 
 
 
 
 

上 先生と私

 
 
   一

 わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間をはばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆をっても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。
 私が先生と知り合いになったのは鎌倉かまくらである。その時私はまだ若々しい書生であった。暑中休暇を利用して海水浴に行った友達からぜひ来いという端書はがきを受け取ったので、私は多少の金を工面くめんして、出掛ける事にした。私は金の工面に三日さんちを費やした。ところが私が鎌倉に着いて三日とたないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れという電報を受け取った。電報には母が病気だからと断ってあったけれども友達はそれを信じなかった。友達はかねてから国元にいる親たちにすすまない結婚をいられていた。彼は現代の習慣からいうと結婚するにはあまり年が若過ぎた。それに肝心かんじんの当人が気に入らなかった。それで夏休みに当然帰るべきところを、わざと避けて東京の近くで遊んでいたのである。彼は電報を私に見せてどうしようと相談をした。私にはどうしていいか分らなかった。けれども実際彼の母が病気であるとすれば彼はもとより帰るべきはずであった。それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
 学校の授業が始まるにはまだ大分だいぶ日数ひかずがあるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿にまる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子むすこで金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。したがって一人ひとりぼっちになった私は別に恰好かっこうな宿を探す面倒ももたなかったのである。
 宿は鎌倉でも辺鄙へんぴな方角にあった。玉突たまつきだのアイスクリームだのというハイカラなものには長いなわてを一つ越さなければ手が届かなかった。車で行っても二十銭は取られた。けれども個人の別荘はそこここにいくつでも建てられていた。それに海へはごく近いので海水浴をやるには至極便利な地位を占めていた。
 私は毎日海へはいりに出掛けた。古いくすぶり返った藁葺わらぶきあいだを通り抜けていそへ下りると、このへんにこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯せんとうのように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういうにぎやかな景色の中につつまれて、砂の上にそべってみたり、膝頭ひざがしらを波に打たしてそこいらをまわるのは愉快であった。
 私は実に先生をこの雑沓ざっとうあいだに見付け出したのである。その時海岸には掛茶屋かけぢゃやが二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行きれていた。長谷辺はせへんに大きな別荘を構えている人と違って、各自めいめいに専有の着換場きがえばこしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といったふうなものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息するほかに、ここで海水着を洗濯させたり、ここでしおはゆい身体からだを清めたり、ここへ帽子やかさを預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切いっさいてる事にしていた。

   二

 わたくしがその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでこれから海へ入ろうとするところであった。私はその時反対にれた身体からだを風に吹かして水から上がって来た。二人のあいだには目をさえぎる幾多の黒い頭が動いていた。特別の事情のない限り、私はついに先生を見逃したかも知れなかった。それほど浜辺が混雑し、それほど私の頭が放漫ほうまんであったにもかかわらず、私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人をれていたからである。
 その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るやいなや、すぐ私の注意をいた。純粋の日本の浴衣ゆかたを着ていた彼は、それを床几しょうぎの上にすぽりとほうり出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿猿股さるまた一つのほか何物も肌に着けていなかった。私にはそれが第一不思議だった。私はその二日前に由井ゆいはままで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子をながめていた。私のしりをおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐわきがホテルの裏口になっていたので、私のじっとしているあいだに、大分だいぶ多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕とももは出していなかった。女は殊更ことさら肉を隠しがちであった。大抵は頭に護謨製ゴムせい頭巾ずきんかぶって、海老茶えびちゃこんあいの色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私のには、猿股一つで済ましてみんなの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。
 彼はやがて自分のわきを顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言ひとこと二言ふたことなにかいった。その日本人は砂の上に落ちた手拭てぬぐいを拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなわち先生であった。
 私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿うしろすがたを見守っていた。すると彼らは真直まっすぐに波の中に足を踏み込んだ。そうして遠浅とおあさ磯近いそちかくにわいわい騒いでいる多人数たにんずあいだを通り抜けて、比較的広々した所へ来ると、二人とも泳ぎ出した。彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻って来た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身体からだいて着物を着て、さっさとどこへか行ってしまった。
 彼らの出て行ったあと、私はやはり元の床几しょうぎに腰をおろして烟草タバコを吹かしていた。その時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人かおもい出せずにしまった。
 その時の私は屈托くったくがないというよりむしろ無聊ぶりょうに苦しんでいた。それで翌日あくるひもまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋かけぢゃやまで出かけてみた。すると西洋人は来ないで先生一人麦藁帽むぎわらぼうかぶってやって来た。先生は眼鏡めがねをとって台の上に置いて、すぐ手拭てぬぐいで頭を包んで、すたすた浜を下りて行った。先生が昨日きのうのように騒がしい浴客よくかくの中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時、私は急にそのあとが追い掛けたくなった。私は浅い水を頭の上まではねかして相当の深さの所まで来て、そこから先生を目標めじるし抜手ぬきでを切った。すると先生は昨日と違って、一種の弧線こせんえがいて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。それで私の目的はついに達せられなかった。私がおかへ上がってしずくの垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちゃんと着物を着て入れ違いに外へ出て行った。

   三

 わたくしは次の日も同じ時刻に浜へ行って先生の顔を見た。その次の日にもまた同じ事を繰り返した。けれども物をいい掛ける機会も、挨拶あいさつをする場合も、二人の間には起らなかった。その上先生の態度はむしろ非社交的であった。一定の時刻に超然として来て、また超然と帰って行った。周囲がいくらにぎやかでも、それにはほとんど注意を払う様子が見えなかった。最初いっしょに来た西洋人はそのまるで姿を見せなかった。先生はいつでも一人であった。
 る時先生が例の通りさっさと海から上がって来て、いつもの場所にてた浴衣ゆかたを着ようとすると、どうした訳か、その浴衣に砂がいっぱい着いていた。先生はそれを落すために、後ろ向きになって、浴衣を二、三度ふるった。すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間すきまから下へ落ちた。先生は白絣しろがすりの上へ兵児帯へこおびを締めてから、眼鏡のくなったのに気が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。私はすぐ腰掛こしかけの下へ首と手を突ッ込んで眼鏡を拾い出した。先生は有難うといって、それを私の手から受け取った。
 次の日私は先生のあとにつづいて海へ飛び込んだ。そうして先生といっしょの方角に泳いで行った。二ちょうほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。広いあおい海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人よりほかになかった。そうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしていた。私は自由と歓喜にちた筋肉を動かして海の中でおどり狂った。先生はまたぱたりと手足の運動をめて仰向けになったままなみの上に寝た。私もその真似まねをした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。
 しばらくして海の中で起き上がるように姿勢を改めた先生は、「もう帰りませんか」といって私を促した。比較的強い体質をもった私は、もっと海の中で遊んでいたかった。しかし先生から誘われた時、私はすぐ「ええ帰りましょう」と快く答えた。そうして二人でまた元のみちを浜辺へ引き返した。
 私はこれから先生と懇意になった。しかし先生がどこにいるかはまだ知らなかった。
 それからなか二日おいてちょうど三日目の午後だったと思う。先生と掛茶屋かけぢゃやで出会った時、先生は突然私に向かって、「君はまだ大分だいぶ長くここにいるつもりですか」と聞いた。考えのない私はこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。それで「どうだか分りません」と答えた。しかしにやにや笑っている先生の顔を見た時、私は急にきまりが悪くなった。「先生は?」と聞き返さずにはいられなかった。これが私の口を出た先生という言葉の始まりである。
 私はその晩先生の宿を尋ねた。宿といっても普通の旅館と違って、広い寺の境内けいだいにある別荘のような建物であった。そこに住んでいる人の先生の家族でない事もわかった。私が先生先生と呼び掛けるので、先生は苦笑いをした。私はそれが年長者に対する私の口癖くちくせだといって弁解した。私はこの間の西洋人の事を聞いてみた。先生は彼の風変りのところや、もう鎌倉かまくらにいない事や、色々の話をした末、日本人にさえあまり交際つきあいをもたないのに、そういう外国人と近付ちかづきになったのは不思議だといったりした。私は最後に先生に向かって、どこかで先生を見たように思うけれども、どうしても思い出せないといった。若い私はその時あんに相手も私と同じような感じを持っていはしまいかと疑った。そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。ところが先生はしばらく沈吟ちんぎんしたあとで、「どうも君の顔には見覚みおぼえがありませんね。人違いじゃないですか」といったので私は変に一種の失望を感じた。

   四

 わたくしは月の末に東京へ帰った。先生の避暑地を引き上げたのはそれよりずっと前であった。私は先生と別れる時に、「これから折々おたくへ伺ってもござんすか」と聞いた。先生は単簡たんかんにただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。その時分の私は先生とよほど懇意になったつもりでいたので、先生からもう少しこまやかな言葉を予期してかかったのである。それでこの物足りない返事が少し私の自信をいためた。
 私はこういう事でよく先生から失望させられた。先生はそれに気が付いているようでもあり、また全く気が付かないようでもあった。私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安にうごかされるたびに、もっと前へ進みたくなった。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。私は若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こうとは思わなかった。私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのかわからなかった。それが先生の亡くなった今日こんにちになって、始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素気そっけない挨拶あいさつや冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。いたましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだからせという警告を与えたのである。ひとの懐かしみに応じない先生は、ひと軽蔑けいべつする前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。
 私は無論先生を訪ねるつもりで東京へ帰って来た。帰ってから授業の始まるまでにはまだ二週間の日数ひかずがあるので、そのうちに一度行っておこうと思った。しかし帰って二日三日とつうちに、鎌倉かまくらにいた時の気分が段々薄くなって来た。そうしてその上にいろどられる大都会の空気が、記憶の復活に伴う強い刺戟しげきと共に、濃く私の心を染め付けた。私は往来で学生の顔を見るたびに新しい学年に対する希望と緊張とを感じた。私はしばらく先生の事を忘れた。
 授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、また一種のたるみができてきた。私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分のへやの中を見廻みまわした。私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。私はまた先生に会いたくなった。
 始めて先生のうちを訪ねた時、先生は留守であった。二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。晴れた空が身にみ込むように感ぜられる日和ひよりであった。その日も先生は留守であった。鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、いつでも大抵たいてい宅にいるという事を聞いた。むしろ外出嫌いだという事も聞いた。二度来て二度とも会えなかった私は、その言葉を思い出して、理由わけもない不満をどこかに感じた。私はすぐ玄関先を去らなかった。下女げじょの顔を見て少し躊躇ちゅうちょしてそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまたうちへはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。
 私はその人から鄭寧ていねいに先生の出先を教えられた。先生は例月その日になると雑司ヶ谷ぞうしがやの墓地にあるる仏へ花を手向たむけに行く習慣なのだそうである。「たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます」と奥さんは気の毒そうにいってくれた。私は会釈えしゃくして外へ出た。にぎやかな町の方へ一ちょうほど歩くと、私も散歩がてら雑司ヶ谷へ行ってみる気になった。先生に会えるか会えないかという好奇心も動いた。それですぐきびすめぐらした。

   五

 わたくしは墓地の手前にある苗畠なえばたけの左側からはいって、両方にかえでを植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとそのはずれに見える茶店ちゃみせの中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡めがねふちが日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。
「どうして……、どうして……」
 先生は同じ言葉を二へん繰り返した。その言葉は森閑しんかんとした昼のうちに異様な調子をもって繰り返された。私は急に何ともこたえられなくなった。
「私のあとけて来たのですか。どうして……」
 先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情のうちには判然はっきりいえないような一種の曇りがあった。
 私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。
だれの墓へ参りに行ったか、さいがその人の名をいいましたか」
「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」
「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」
 先生はようやく得心とくしんしたらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるでわからなかった。
 先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々イサベラなになにの墓だの、神僕しんぼくロギンの墓だのというかたわらに、一切衆生悉有仏生いっさいしゅじょうしつうぶっしょうと書いた塔婆とうばなどが建ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈とり付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。
 先生はこれらの墓標が現わす人種々ひとさまざまの様式に対して、私ほどに滑稽こっけいもアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石はかいしだの細長い御影みかげだのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面目まじめに考えた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。
 墓地の区切り目に、大きな銀杏いちょうが一本空を隠すように立っていた。その下へ来た時、先生は高いこずえを見上げて、「もう少しすると、綺麗きれいですよ。この木がすっかり黄葉こうようして、ここいらの地面は金色きんいろの落葉でうずまるようになります」といった。先生は月に一度ずつは必ずこの木の下を通るのであった。
 向うの方で凸凹でこぼこの地面をならして新墓地を作っている男が、くわの手を休めて私たちを見ていた。私たちはそこから左へ切れてすぐ街道へ出た。
 これからどこへ行くという目的あてのない私は、ただ先生の歩く方へ歩いて行った。先生はいつもより口数をかなかった。それでも私はさほどの窮屈を感じなかったので、ぶらぶらいっしょに歩いて行った。
「すぐおたくへお帰りですか」
「ええ別に寄る所もありませんから」
 二人はまた黙って南の方へ坂を下りた。
「先生のお宅の墓地はあすこにあるんですか」と私がまた口を利き出した。
「いいえ」
「どなたのお墓があるんですか。――ご親類のお墓ですか」
「いいえ」
 先生はこれ以外に何も答えなかった。私もその話はそれぎりにして切り上げた。すると一ちょうほど歩いたあとで、先生が不意にそこへ戻って来た。
「あすこには私の友達の墓があるんです」
「お友達のお墓へ毎月まいげつお参りをなさるんですか」
「そうです」
 先生はその日これ以外を語らなかった。

   六

 私はそれから時々先生を訪問するようになった。行くたびに先生は在宅であった。先生に会う度数どすうが重なるにつれて、私はますますしげく先生の玄関へ足を運んだ。
 けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶あいさつをした時も、懇意になったそののちも、あまり変りはなかった。先生は何時いつも静かであった。ある時は静か過ぎてさびしいくらいであった。私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感がのちになって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿ばかげていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまたうれしく思っている。人間を愛しる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分のふところろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。
 今いった通り先生は始終静かであった。落ち付いていた。けれども時として変な曇りがその顔を横切る事があった。窓に黒い鳥影がすように。射すかと思うと、すぐ消えるには消えたが。私が始めてその曇りを先生の眉間みけんに認めたのは、雑司ヶ谷ぞうしがやの墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。私はその異様の瞬間に、今まで快く流れていた心臓の潮流をちょっと鈍らせた。しかしそれは単に一時の結滞けったいに過ぎなかった。私の心は五分とたないうちに平素の弾力を回復した。私はそれぎり暗そうなこの雲の影を忘れてしまった。ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春こはるの尽きるにのないる晩の事であった。
 先生と話していた私は、ふと先生がわざわざ注意してくれた銀杏いちょう大樹たいじゅの前におもい浮かべた。勘定してみると、先生が毎月例まいげつれいとして墓参に行く日が、それからちょうど三日目に当っていた。その三日目は私の課業がひるえる楽な日であった。私は先生に向かってこういった。
「先生雑司ヶ谷ぞうしがやの銀杏はもう散ってしまったでしょうか」
「まだ空坊主からぼうずにはならないでしょう」
 先生はそう答えながら私の顔を見守った。そうしてそこからしばし眼を離さなかった。私はすぐいった。
「今度お墓参はかまいりにいらっしゃる時におともをしてもござんすか。私は先生といっしょにあすこいらが散歩してみたい」
「私は墓参りに行くんで、散歩に行くんじゃないですよ」
「しかしついでに散歩をなすったらちょうどいじゃありませんか」
 先生は何とも答えなかった。しばらくしてから、「私のは本当の墓参りだけなんだから」といって、どこまでも墓参ぼさんと散歩を切り離そうとするふうに見えた。私と行きたくない口実だか何だか、私にはその時の先生が、いかにも子供らしくて変に思われた。私はなおと先へ出る気になった。
「じゃお墓参りでもいからいっしょにれて行って下さい。私もお墓参りをしますから」
 実際私には墓参と散歩との区別がほとんど無意味のように思われたのである。すると先生のまゆがちょっと曇った。眼のうちにも異様の光が出た。それは迷惑とも嫌悪けんおとも畏怖いふとも片付けられないかすかな不安らしいものであった。私はたちまち雑司ヶ谷で「先生」と呼び掛けた時の記憶を強く思い起した。二つの表情は全く同じだったのである。
「私は」と先生がいった。「私はあなたに話す事のできないある理由があって、ひとといっしょにあすこへ墓参りには行きたくないのです。自分のさいさえまだ伴れて行った事がないのです」

   七

 わたくしは不思議に思った。しかし私は先生を研究する気でそのうち出入でいりをするのではなかった。私はただそのままにして打ち過ぎた。今考えるとその時の私の態度は、私の生活のうちでむしろたっとむべきものの一つであった。私は全くそのために先生と人間らしい温かい交際つきあいができたのだと思う。もし私の好奇心が幾分でも先生の心に向かって、研究的に働き掛けたなら、二人の間をつなぐ同情の糸は、何の容赦もなくその時ふつりと切れてしまったろう。若い私は全く自分の態度を自覚していなかった。それだからたっといのかも知れないが、もし間違えて裏へ出たとしたら、どんな結果が二人の仲に落ちて来たろう。私は想像してもぞっとする。先生はそれでなくても、冷たいまなこで研究されるのを絶えず恐れていたのである。
 私は月に二度もしくは三度ずつ必ず先生のうちへ行くようになった。私の足が段々しげくなった時のある日、先生は突然私に向かって聞いた。
「あなたは何でそうたびたび私のようなものの宅へやって来るのですか」
「何でといって、そんな特別な意味はありません。――しかしお邪魔じゃまなんですか」
「邪魔だとはいいません」
 なるほど迷惑という様子は、先生のどこにも見えなかった。私は先生の交際の範囲のきわめて狭い事を知っていた。先生の元の同級生などで、そのころ東京にいるものはほとんど二人か三人しかないという事も知っていた。先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもはみんな私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。
「私はさびしい人間です」と先生がいった。「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」
「そりゃまたなぜです」
 私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。ただ私の顔を見て「あなたは幾歳いくつですか」といった。
 この問答は私にとってすこぶる不得要領ふとくようりょうのものであったが、私はその時そこまで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日とたないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出るやいなや笑い出した。
「また来ましたね」といった。
「ええ来ました」といって自分も笑った。
 私はほかの人からこういわれたらきっとしゃくさわったろうと思う。しかし先生にこういわれた時は、まるで反対であった。癪に触らないばかりでなくかえって愉快だった。
「私はさびしい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かにつかりたいのでしょう……」
「私はちっともさむしくはありません」
「若いうちほどさむしいものはありません。そんならなぜあなたはそうたびたび私のうちへ来るのですか」
 ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。
「あなたは私に会ってもおそらくまださびしい気がどこかでしているでしょう。私にはあなたのためにその淋しさを根元ねもとから引き抜いて上げるだけの力がないんだから。あなたはほかの方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」
 先生はこういって淋しい笑い方をした。

   八

 さいわいにして先生の予言は実現されずに済んだ。経験のない当時のわたくしは、この予言のうちに含まれている明白な意義さえ了解し得なかった。私は依然として先生に会いに行った。そのうちいつの間にか先生の食卓でめしを食うようになった。自然の結果奥さんとも口をかなければならないようになった。
 普通の人間として私は女に対して冷淡ではなかった。けれども年の若い私の今まで経過して来た境遇からいって、私はほとんど交際らしい交際を女に結んだ事がなかった。それが源因げんいんかどうかは疑問だが、私の興味は往来で出合う知りもしない女に向かって多く働くだけであった。先生の奥さんにはその前玄関で会った時、美しいという印象を受けた。それから会うたんびに同じ印象を受けない事はなかった。しかしそれ以外に私はこれといってとくに奥さんについて語るべき何物ももたないような気がした。
 これは奥さんに特色がないというよりも、特色を示す機会が来なかったのだと解釈する方が正当かも知れない。しかし私はいつでも先生に付属した一部分のような心持で奥さんに対していた。奥さんも自分の夫の所へ来る書生だからという好意で、私を遇していたらしい。だから中間に立つ先生を取りければ、つまり二人はばらばらになっていた。それで始めて知り合いになった時の奥さんについては、ただ美しいというほかに何の感じも残っていない。
 ある時私は先生のうちで酒を飲まされた。その時奥さんが出て来てそばしゃくをしてくれた。先生はいつもより愉快そうに見えた。奥さんに「お前も一つお上がり」といって、自分のみ干したさかずきを差した。奥さんは「私は……」と辞退しかけたあと、迷惑そうにそれを受け取った。奥さんは綺麗きれいまゆを寄せて、私の半分ばかりいで上げた盃を、唇の先へ持って行った。奥さんと先生の間にしものような会話が始まった。
「珍らしい事。私に呑めとおっしゃった事は滅多めったにないのにね」
「お前はきらいだからさ。しかしたまには飲むといいよ。い心持になるよ」
「ちっともならないわ。苦しいぎりで。でもあなたは大変ご愉快ゆかいそうね、少しごしゅを召し上がると」
「時によると大変愉快になる。しかしいつでもというわけにはいかない」
「今夜はいかがです」
「今夜はい心持だね」
「これから毎晩少しずつ召し上がるとござんすよ」
「そうはいかない」
「召し上がって下さいよ。その方がさむしくなくって好いから」
 先生のうちは夫婦と下女げじょだけであった。行くたびに大抵たいていはひそりとしていた。高い笑い声などの聞こえる試しはまるでなかった。ときは宅の中にいるものは先生と私だけのような気がした。
「子供でもあると好いんですがね」と奥さんは私の方を向いていった。私は「そうですな」と答えた。しかし私の心には何の同情も起らなかった。子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅うるさいもののように考えていた。
「一人もらってやろうか」と先生がいった。
もらいッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。
「子供はいつまでったってできっこないよ」と先生がいった。
 奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。

   九

 わたくしの知る限り先生と奥さんとは、仲のい夫婦の一対いっついであった。家庭の一員として暮した事のない私のことだから、深い消息は無論わからなかったけれども、座敷で私と対坐たいざしている時、先生は何かのついでに、下女げじょを呼ばないで、奥さんを呼ぶ事があった。(奥さんの名はしずといった)。先生は「おい静」といつでもふすまの方を振り向いた。その呼びかたが私にはやさしく聞こえた。返事をして出て来る奥さんの様子もはなはだ素直であった。ときたまご馳走ちそうになって、奥さんが席へ現われる場合などには、この関係が一層明らかに二人のあいだえがき出されるようであった。
 先生は時々奥さんをれて、音楽会だの芝居だのに行った。それから夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二、三度以上あった。私は箱根はこねから貰った絵端書えはがきをまだ持っている。日光にっこうへ行った時は紅葉もみじの葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。
 当時の私の眼に映った先生と奥さんの間柄はまずこんなものであった。そのうちにたった一つの例外があった。ある日私がいつもの通り、先生の玄関から案内を頼もうとすると、座敷の方でだれかの話し声がした。よく聞くと、それが尋常の談話でなくって、どうも言逆いさかいらしかった。先生の宅は玄関の次がすぐ座敷になっているので、格子こうしの前に立っていた私の耳にその言逆いさかいの調子だけはほぼ分った。そうしてそのうちの一人が先生だという事も、時々高まって来る男の方の声で解った。相手は先生よりも低いおんなので、誰だか判然はっきりしなかったが、どうも奥さんらしく感ぜられた。泣いているようでもあった。私はどうしたものだろうと思って玄関先で迷ったが、すぐ決心をしてそのまま下宿へ帰った。
 妙に不安な心持が私を襲って来た。私は書物を読んでもみ込む能力を失ってしまった。約一時間ばかりすると先生が窓の下へ来て私の名を呼んだ。私は驚いて窓を開けた。先生は散歩しようといって、下から私を誘った。先刻さっき帯の間へくるんだままの時計を出して見ると、もう八時過ぎであった。私は帰ったなりまだはかまを着けていた。私はそれなりすぐ表へ出た。
 その晩私は先生といっしょに麦酒ビールを飲んだ。先生は元来酒量に乏しい人であった。ある程度まで飲んで、それで酔えなければ、酔うまで飲んでみるという冒険のできない人であった。
「今日は駄目だめです」といって先生は苦笑した。
「愉快になれませんか」と私は気の毒そうに聞いた。
 私の腹の中には始終先刻さっきの事がかかっていた。さかなの骨が咽喉のどに刺さった時のように、私は苦しんだ。打ち明けてみようかと考えたり、した方がかろうかと思い直したりする動揺が、妙に私の様子をそわそわさせた。
「君、今夜はどうかしていますね」と先生の方からいい出した。「実は私も少し変なのですよ。君に分りますか」
 私は何の答えもし得なかった。
「実は先刻さっきさいと少し喧嘩けんかをしてね。それでくだらない神経を昂奮こうふんさせてしまったんです」と先生がまたいった。
「どうして……」
 私には喧嘩という言葉が口へ出て来なかった。
「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」
「どんなに先生を誤解なさるんですか」
 先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。
「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」
 先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。

 
 
   十

 二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一ちょうも二丁もつづいた。そのあとで突然先生が口をき出した。
「悪い事をした。怒って出たからさいはさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀かわいそうなものですね。わたくしの妻などは私よりほかにまるで頼りにするものがないんだから」
 先生の言葉はちょっとそこで途切とぎれたが、別に私の返事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移って行った。
「そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽こっけいだが。君、私は君の眼にどう映りますかね。強い人に見えますか、弱い人に見えますか」
中位ちゅうぐらいに見えます」と私は答えた。この答えは先生にとって少し案外らしかった。先生はまた口を閉じて、無言で歩き出した。
 先生のうちへ帰るには私の下宿のついそばを通るのが順路であった。私はそこまで来て、曲り角で分れるのが先生に済まないような気がした。「ついでにおたくの前までおともしましょうか」といった。先生はたちまち手で私をさえぎった。
「もう遅いから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、妻君さいくんのために」
 先生が最後に付け加えた「妻君のために」という言葉は妙にその時の私の心を暖かにした。私はその言葉のために、帰ってから安心して寝る事ができた。私はそのも長い間この「妻君のために」という言葉を忘れなかった。
 先生と奥さんの間に起った波瀾はらんが、大したものでない事はこれでもわかった。それがまた滅多めったに起る現象でなかった事も、その後絶えず出入でいりをして来た私にはほぼ推察ができた。それどころか先生はある時こんな感想すら私にらした。
「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。さい以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対いっついであるべきはずです」
 私は今前後のがかりを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか、判然はっきりいう事ができない。けれども先生の態度の真面目まじめであったのと、調子の沈んでいたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。私は心のうちうたぐらざるを得なかった。けれどもその疑いは一時限りどこかへほうむられてしまった。
 私はそのうち先生の留守に行って、奥さんと二人差向さしむかいで話をする機会に出合った。先生はその日横浜よこはま出帆しゅっぱんする汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋しんばしへ送りに行って留守であった。横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはそのころの習慣であった。私はある書物について先生に話してもらう必要があったので、あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九時に訪問した。先生の新橋行きは前日わざわざ告別に来た友人に対する礼義れいぎとしてその日突然起った出来事であった。先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。それで私は座敷へ上がって、先生を待つ間、奥さんと話をした。

   十一

 その時のわたくしはすでに大学生であった。始めて先生のうちへ来たころから見るとずっと成人した気でいた。奥さんとも大分だいぶ懇意になったのちであった。私は奥さんに対して何の窮屈も感じなかった。差向さしむかいで色々の話をした。しかしそれは特色のないただの談話だから、今ではまるで忘れてしまった。そのうちでたった一つ私の耳に留まったものがある。しかしそれを話す前に、ちょっと断っておきたい事がある。
 先生は大学出身であった。これは始めから私に知れていた。しかし先生の何もしないで遊んでいるという事は、東京へ帰って少しってから始めて分った。私はその時どうして遊んでいられるのかと思った。
 先生はまるで世間に名前を知られていない人であった。だから先生の学問や思想については、先生と密切みっせつの関係をもっている私よりほかに敬意を払うもののあるべきはずがなかった。それを私は常にしい事だといった。先生はまた「私のようなものが世の中へ出て、口をいては済まない」と答えるぎりで、取り合わなかった。私にはその答えが謙遜けんそん過ぎてかえって世間を冷評するようにも聞こえた。実際先生は時々昔の同級生で今著名になっている誰彼だれかれとらえて、ひどく無遠慮な批評を加える事があった。それで私は露骨にその矛盾を挙げて云々うんぬんしてみた。私の精神は反抗の意味というよりも、世間が先生を知らないで平気でいるのが残念だったからである。その時先生は沈んだ調子で、「どうしても私は世間に向かって働き掛ける資格のない男だから仕方がありません」といった。先生の顔には深い一種の表情がありありと刻まれた。私にはそれが失望だか、不平だか、悲哀だか、わからなかったけれども、何しろ二の句の継げないほどに強いものだったので、私はそれぎり何もいう勇気が出なかった。
 私が奥さんと話している間に、問題が自然先生の事からそこへ落ちて来た。
「先生はなぜああやって、宅で考えたり勉強したりなさるだけで、世の中へ出て仕事をなさらないんでしょう」
「あの人は駄目だめですよ。そういう事が嫌いなんですから」
「つまりくだらない事だと悟っていらっしゃるんでしょうか」
「悟るの悟らないのって、――そりゃ女だからわたくしには解りませんけれど、おそらくそんな意味じゃないでしょう。やっぱり何かやりたいのでしょう。それでいてできないんです。だから気の毒ですわ」
「しかし先生は健康からいって、別にどこも悪いところはないようじゃありませんか」
「丈夫ですとも。何にも持病はありません」
「それでなぜ活動ができないんでしょう」
「それがわからないのよ、あなた。それが解るくらいなら私だって、こんなに心配しやしません。わからないから気の毒でたまらないんです」
 奥さんの語気には非常に同情があった。それでも口元だけには微笑が見えた。外側からいえば、私の方がむしろ真面目まじめだった。私はむずかしい顔をして黙っていた。すると奥さんが急に思い出したようにまた口を開いた。
「若い時はあんな人じゃなかったんですよ。若い時はまるで違っていました。それが全く変ってしまったんです」
「若い時っていつ頃ですか」と私が聞いた。
「書生時代よ」
「書生時代から先生を知っていらっしゃったんですか」
 奥さんは急に薄赤い顔をした。

   十二

 奥さんは東京の人であった。それはかつて先生からも奥さん自身からも聞いて知っていた。奥さんは「本当いうとあいなんですよ」といった。奥さんの父親はたしか鳥取とっとりかどこかの出であるのに、お母さんの方はまだ江戸といった時分じぶん市ヶ谷いちがやで生れた女なので、奥さんは冗談半分そういったのである。ところが先生は全く方角違いの新潟にいがた県人であった。だから奥さんがもし先生の書生時代を知っているとすれば、郷里の関係からでない事は明らかであった。しかし薄赤い顔をした奥さんはそれより以上の話をしたくないようだったので、私の方でも深くは聞かずにおいた。
 先生と知り合いになってから先生の亡くなるまでに、私はずいぶん色々の問題で先生の思想や情操に触れてみたが、結婚当時の状況については、ほとんど何ものも聞き得なかった。私は時によると、それを善意に解釈してもみた。年輩の先生の事だから、なまめかしい回想などを若いものに聞かせるのはわざとつつしんでいるのだろうと思った。時によると、またそれを悪くも取った。先生に限らず、奥さんに限らず、二人とも私に比べると、一時代前の因襲のうちに成人したために、そういうつやっぽい問題になると、正直に自分を開放するだけの勇気がないのだろうと考えた。もっともどちらも推測に過ぎなかった。そうしてどちらの推測の裏にも、二人の結婚の奥に横たわる花やかなロマンスの存在を仮定していた。
 私の仮定ははたして誤らなかった。けれども私はただ恋の半面だけを想像にえがき得たに過ぎなかった。先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨みじめなものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。
 私は今この悲劇について何事も語らない。その悲劇のためにむしろ生れ出たともいえる二人の恋愛については、先刻さっきいった通りであった。二人とも私にはほとんど何も話してくれなかった。奥さんは慎みのために、先生はまたそれ以上の深い理由のために。
 ただ一つ私の記憶に残っている事がある。る時花時分はなじぶんに私は先生といっしょに上野うえのへ行った。そうしてそこで美しい一対いっつい男女なんにょを見た。彼らはむつまじそうに寄り添って花の下を歩いていた。場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼をそばだてている人が沢山あった。
「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。
「仲がさそうですね」と私が答えた。
 先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線のほかに置くような方角へ足を向けた。それから私にこう聞いた。
「君は恋をした事がありますか」
 私はないと答えた。
「恋をしたくはありませんか」
 私は答えなかった。
「したくない事はないでしょう」
「ええ」
「君は今あの男と女を見て、冷評ひやかしましたね。あの冷評ひやかしのうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声がまじっていましょう」
「そんなふうに聞こえましたか」
「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。わかっていますか」
 私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。

   十三

 我々は群集の中にいた。群集はいずれもうれしそうな顔をしていた。そこを通り抜けて、花も人も見えない森の中へ来るまでは、同じ問題を口にする機会がなかった。
「恋は罪悪ですか」とわたくしがその時突然聞いた。
「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。
「なぜですか」
「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」
 私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何にもなかった。
「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」
「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」
「今それほど動いちゃいません」
「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」
「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」
「恋にのぼ楷段かいだんなんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」
「私には二つのものが全く性質をことにしているように思われます」
「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないでいるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」
 私は変に悲しくなった。
「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方がありませんが、私にそんな気の起った事はまだありません」
 先生は私の言葉に耳を貸さなかった。
「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」
 私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった。いずれにしても先生のいう罪悪という意味は朦朧もうろうとしてよくわからなかった。その上私は少し不愉快になった。
「先生、罪悪という意味をもっと判然はっきりいって聞かして下さい。それでなければこの問題をここで切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然解るまで」
「悪い事をした。私はあなたに真実まことを話している気でいた。ところが実際は、あなたを焦慮じらしていたのだ。私は悪い事をした」
 先生と私とは博物館の裏から鶯渓うぐいすだにの方角に静かな歩調で歩いて行った。垣の隙間すきまから広い庭の一部に茂る熊笹くまざさ幽邃ゆうすいに見えた。
「君は私がなぜ毎月まいげつ雑司ヶ谷ぞうしがやの墓地にうまっている友人の墓へ参るのか知っていますか」
 先生のこの問いは全く突然であった。しかも先生は私がこの問いに対して答えられないという事もよく承知していた。私はしばらく返事をしなかった。すると先生は始めて気が付いたようにこういった。
「また悪い事をいった。焦慮じらせるのが悪いと思って、説明しようとすると、その説明がまたあなたを焦慮せるような結果になる。どうも仕方がない。この問題はこれでめましょう。とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」
 私には先生の話がますますわからなくなった。しかし先生はそれぎり恋を口にしなかった。

   十四

 年の若いわたくしはややともすると一図いちずになりやすかった。少なくとも先生の眼にはそう映っていたらしい。私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであった。とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただひとりを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。
「あんまり逆上のぼせちゃいけません」と先生がいった。
めた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があった。その自信を先生はうけがってくれなかった。
「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめるといやになります。私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります」
「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」
「私はお気の毒に思うのです」
「気の毒だが信用されないとおっしゃるんですか」
 先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿つばきの花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよくながめる癖があった。
「信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しないんです」
 その時生垣いけがきの向うで金魚売りらしい声がした。そのほかには何の聞こえるものもなかった。大通りから二ちょうも深く折れ込んだ小路こうじ存外ぞんがい静かであった。うちの中はいつもの通りひっそりしていた。私は次のに奥さんのいる事を知っていた。黙って針仕事か何かしている奥さんの耳に私の話し声が聞こえるという事も知っていた。しかし私は全くそれを忘れてしまった。
「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。
 先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。
「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分をのろうよりほかに仕方がないのです」
「そうむずかしく考えれば、誰だって確かなものはないでしょう」
「いや考えたんじゃない。やったんです。やった後で驚いたんです。そうして非常にこわくなったんです」
 私はもう少し先まで同じ道を辿たどって行きたかった。するとふすまの陰で「あなた、あなた」という奥さんの声が二度聞こえた。先生は二度目に「何だい」といった。奥さんは「ちょっと」と先生を次のへ呼んだ。二人の間にどんな用事が起ったのか、私にはわからなかった。それを想像する余裕を与えないほど早く先生はまた座敷へ帰って来た。
「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分があざむかれた返報に、残酷な復讐ふくしゅうをするようになるものだから」
「そりゃどういう意味ですか」
「かつてはその人のひざの前にひざまずいたという記憶が、今度はその人の頭の上に足をせさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬をしりぞけたいと思うのです。私は今より一層さびしい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立とおのれとにちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう」
 私はこういう覚悟をもっている先生に対して、いうべき言葉を知らなかった。

   十五

 そのわたくしは奥さんの顔を見るたびに気になった。先生は奥さんに対しても始終こういう態度に出るのだろうか。もしそうだとすれば、奥さんはそれで満足なのだろうか。
 奥さんの様子は満足とも不満足ともめようがなかった。私はそれほど近く奥さんに接触する機会がなかったから。それから奥さんは私に会うたびに尋常であったから。最後に先生のいる席でなければ私と奥さんとは滅多めったに顔を合せなかったから。
 私の疑惑はまだその上にもあった。先生の人間に対するこの覚悟はどこから来るのだろうか。ただ冷たい眼で自分を内省したり現代を観察したりした結果なのだろうか。先生はすわって考えるたちの人であった。先生の頭さえあれば、こういう態度は坐って世の中を考えていても自然と出て来るものだろうか。私にはそうばかりとは思えなかった。先生の覚悟は生きた覚悟らしかった。火に焼けて冷却し切った石造せきぞう家屋の輪廓りんかくとは違っていた。私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。けれどもその思想家のまとめ上げた主義の裏には、強い事実が織り込まれているらしかった。自分と切り離された他人の事実でなくって、自分自身が痛切に味わった事実、血が熱くなったり脈が止まったりするほどの事実が、畳み込まれているらしかった。
 これは私の胸で推測するがものはない。先生自身すでにそうだと告白していた。ただその告白が雲のみねのようであった。私の頭の上に正体の知れない恐ろしいものをおおかぶせた。そうしてなぜそれが恐ろしいか私にもわからなかった。告白はぼうとしていた。それでいて明らかに私の神経をふるわせた。
 私は先生のこの人生観の基点に、る強烈な恋愛事件を仮定してみた。(無論先生と奥さんとの間に起った)。先生がかつて恋は罪悪だといった事から照らし合せて見ると、多少それが手掛てがかりにもなった。しかし先生は現に奥さんを愛していると私に告げた。すると二人の恋からこんな厭世えんせいに近い覚悟が出ようはずがなかった。「かつてはその人の前にひざまずいたという記憶が、今度はその人の頭の上に足をせさせようとする」といった先生の言葉は、現代一般の誰彼たれかれについて用いられるべきで、先生と奥さんの間には当てはまらないもののようでもあった。
 雑司ヶ谷ぞうしがやにあるだれだか分らない人の墓、――これも私の記憶に時々動いた。私はそれが先生と深い縁故のある墓だという事を知っていた。先生の生活に近づきつつありながら、近づく事のできない私は、先生の頭の中にある生命いのちの断片として、その墓を私の頭の中にも受け入れた。けれども私に取ってその墓は全く死んだものであった。二人の間にある生命いのちの扉を開けるかぎにはならなかった。むしろ二人の間に立って、自由の往来を妨げる魔物のようであった。
 そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差し向いで話をしなければならない時機が来た。そのころは日のつまって行くせわしない秋に、誰も注意をかれる肌寒はださむの季節であった。先生の附近ふきんで盗難にかかったものが三、四日続いて出た。盗難はいずれも宵の口であった。大したものを持って行かれたうちはほとんどなかったけれども、はいられた所では必ず何か取られた。奥さんは気味をわるくした。そこへ先生がある晩家をけなければならない事情ができてきた。先生と同郷の友人で地方の病院に奉職しているものが上京したため、先生はほかの二、三名と共に、ある所でその友人にめしを食わせなければならなくなった。先生は訳を話して、私に帰ってくる間までの留守番を頼んだ。私はすぐ引き受けた。

   十六

 わたくしの行ったのはまだくか点かない暮れ方であったが、几帳面きちょうめんな先生はもううちにいなかった。「時間におくれると悪いって、つい今しがた出掛けました」といった奥さんは、私を先生の書斎へ案内した。
 書斎には洋机テーブル椅子いすほかに、沢山の書物が美しい背皮せがわを並べて、硝子越ガラスごし電燈でんとうの光で照らされていた。奥さんは火鉢の前に敷いた座蒲団ざぶとんの上へ私をすわらせて、「ちっとそこいらにある本でも読んでいて下さい」と断って出て行った。私はちょうど主人の帰りを待ち受ける客のような気がして済まなかった。私はかしこまったまま烟草タバコを飲んでいた。奥さんが茶の間で何か下女げじょに話している声が聞こえた。書斎は茶の間の縁側を突き当って折れ曲ったかどにあるので、むねの位置からいうと、座敷よりもかえって掛け離れた静かさをりょうしていた。ひとしきりで奥さんの話し声がむと、あとはしんとした。私は泥棒を待ち受けるような心持で、じっとしながら気をどこかに配った。
 三十分ほどすると、奥さんがまた書斎の入口へ顔を出した。「おや」といって、軽く驚いた時の眼を私に向けた。そうして客に来た人のように鹿爪しかつめらしく控えている私をおかしそうに見た。
「それじゃ窮屈でしょう」
「いえ、窮屈じゃありません」
「でも退屈でしょう」
「いいえ。泥棒が来るかと思って緊張しているから退屈でもありません」
 奥さんは手に紅茶茶碗こうちゃぢゃわんを持ったまま、笑いながらそこに立っていた。
「ここは隅っこだから番をするにはくありませんね」と私がいった。
「じゃ失礼ですがもっと真中へ出て来て頂戴ちょうだい。ご退屈たいくつだろうと思って、お茶を入れて持って来たんですが、茶の間でよろしければあちらで上げますから」
 私は奥さんのあといて書斎を出た。茶の間には綺麗きれい長火鉢ながひばち鉄瓶てつびんが鳴っていた。私はそこで茶と菓子のご馳走ちそうになった。奥さんはられないといけないといって、茶碗に手を触れなかった。
「先生はやっぱり時々こんな会へお出掛でかけになるんですか」
「いいえ滅多めったに出た事はありません。近頃ちかごろは段々人の顔を見るのがきらいになるようです」
 こういった奥さんの様子に、別段困ったものだというふうも見えなかったので、私はつい大胆になった。
「それじゃ奥さんだけが例外なんですか」
「いいえ私も嫌われている一人なんです」
「そりゃうそです」と私がいった。「奥さん自身嘘と知りながらそうおっしゃるんでしょう」
「なぜ」
「私にいわせると、奥さんが好きになったから世間が嫌いになるんですもの」
「あなたは学問をするかただけあって、なかなかお上手じょうずね。からっぽな理屈を使いこなす事が。世の中が嫌いになったから、私までも嫌いになったんだともいわれるじゃありませんか。それとおんなじ理屈で」
「両方ともいわれる事はいわれますが、この場合は私の方が正しいのです」
「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。からさかずきでよくああ飽きずに献酬けんしゅうができると思いますわ」
 奥さんの言葉は少し手痛てひどかった。しかしその言葉の耳障みみざわりからいうと、決して猛烈なものではなかった。自分に頭脳のある事を相手に認めさせて、そこに一種の誇りを見出みいだすほどに奥さんは現代的でなかった。奥さんはそれよりもっと底の方に沈んだ心を大事にしているらしく見えた。

   十七

 わたくしはまだそのあとにいうべき事をもっていた。けれども奥さんからいたずらに議論を仕掛ける男のように取られては困ると思って遠慮した。奥さんは飲み干した紅茶茶碗こうちゃぢゃわんの底をのぞいて黙っている私をらさないように、「もう一杯上げましょうか」と聞いた。私はすぐ茶碗を奥さんの手に渡した。
「いくつ? 一つ? 二ッつ?」
 妙なもので角砂糖をつまみ上げた奥さんは、私の顔を見て、茶碗の中へ入れる砂糖のかずを聞いた。奥さんの態度は私にびるというほどではなかったけれども、先刻さっきの強い言葉をつとめて打ち消そうとする愛嬌あいきょうちていた。
 私は黙って茶を飲んだ。飲んでしまっても黙っていた。
「あなた大変黙り込んじまったのね」と奥さんがいった。
「何かいうとまた議論を仕掛けるなんて、しかり付けられそうですから」と私は答えた。
「まさか」と奥さんが再びいった。
 二人はそれを緒口いとくちにまた話を始めた。そうしてまた二人に共通な興味のある先生を問題にした。
「奥さん、先刻さっきの続きをもう少しいわせて下さいませんか。奥さんにはからな理屈と聞こえるかも知れませんが、私はそんなうわそらでいってる事じゃないんだから」
「じゃおっしゃい」
「今奥さんが急にいなくなったとしたら、先生は現在の通りで生きていられるでしょうか」
「そりゃ分らないわ、あなた。そんな事、先生に聞いて見るよりほかに仕方がないじゃありませんか。私の所へ持って来る問題じゃないわ」
「奥さん、私は真面目まじめですよ。だから逃げちゃいけません。正直に答えなくっちゃ」
「正直よ。正直にいって私には分らないのよ」
「じゃ奥さんは先生をどのくらい愛していらっしゃるんですか。これは先生に聞くよりむしろ奥さんに伺っていい質問ですから、あなたに伺います」
「何もそんな事を開き直って聞かなくってもいじゃありませんか」
「真面目くさって聞くがものはない。分り切ってるとおっしゃるんですか」
「まあそうよ」
「そのくらい先生に忠実なあなたが急にいなくなったら、先生はどうなるんでしょう。世の中のどっちを向いても面白そうでない先生は、あなたが急にいなくなったら後でどうなるでしょう。先生から見てじゃない。あなたから見てですよ。あなたから見て、先生は幸福になるでしょうか、不幸になるでしょうか」
「そりゃ私から見れば分っています。(先生はそう思っていないかも知れませんが)。先生は私を離れれば不幸になるだけです。あるいは生きていられないかも知れませんよ。そういうと、己惚おのぼれになるようですが、私は今先生を人間としてできるだけ幸福にしているんだと信じていますわ。どんな人があっても私ほど先生を幸福にできるものはないとまで思い込んでいますわ。それだからこうして落ち付いていられるんです」
「その信念が先生の心にく映るはずだと私は思いますが」
「それは別問題ですわ」
「やっぱり先生から嫌われているとおっしゃるんですか」
「私は嫌われてるとは思いません。嫌われる訳がないんですもの。しかし先生は世間が嫌いなんでしょう。世間というより近頃ちかごろでは人間が嫌いになっているんでしょう。だからその人間の一人いちにんとして、私も好かれるはずがないじゃありませんか」
 奥さんの嫌われているという意味がやっと私にみ込めた。

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