彼岸過迄 夏目漱石

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 須永の話
 
 
 
 
 
 
 
 一
 
 敬太郎けいたろう須永すながの門前で後姿うしろすがたの女を見て以来、この二人を結びつけるえんの糸を常に想像した。その糸には一種夢のようなにおいがあるので、二人を眼の前に、須永としまた千代子としてながめる時には、かえってどこかへ消えてしまう事が多かった。けれども彼らが普通の人間として敬太郎の肉眼に現実の刺戟しげきを与えない折々には、失なわれた糸がまた二人の中を離すべからざる因果いんがのごとくにつないだ。田口のうち出入でいりするようになってからも、須永と千代子の関係については、一口ひとくちでさえ誰からも聞いた事はなし、また二人の様子をじかに観察しても尋常の従兄弟いとこ以上に何物もほのめいていなかったには違ないが、こういう当初からの聯想れんそうに支配されて、彼の頭のどこかに、二人を常に一対いっつい男女なんにょとして認める傾きをっていた。女の連添つれそわない若い男や、男の手を組まない若い女は、要するに敬太郎から見れば自然をそこなった片輪に過ぎないので、彼が自分の知る彼らを頭のうちでかように組み合わせたのは、まだ片輪の境遇にまごついている二人に、自然が生みつけた通りの資格を早く与えてやりたいという道義心の要求から起ったのかも知れなかった。
 それはこむずかしい理窟りくつだから、たといどんな要求から起ろうと敬太郎のために弁ずる必要はないが、この頃になって偶然千代子の結婚談を耳にした彼が、頭の中の世界と、頭の外にある社会との矛盾に、ちょっと首をひねったのは事実に相違なかった。彼はその話を書生の佐伯さえきから聞いたのである。もっとも佐伯のようなものが、まだ事のまとまらない先から、奥のくわしい話を知ろうはずがなかった。彼はただ漠然ばくぜんとした顔の筋肉をいつもより緊張させて、何でもそんな評判ですと云うだけであった。千代子を貰う人の名前も無論分らなかったが、身分の実業家である事はたしかに思われた。
「千代子さんは須永君の所へ行くのだとばかり思っていたが、そうじゃないのかね」
「そうも行かないでしょう」
「なぜ」
「なぜって聞かれると、僕にも明瞭めいりょうな答はできにくいんですが、ちょっと考えて見てもむずかしそうですね」
「そうかね、僕はまたちょうど好い夫婦だと思ってるがね。親類じゃあるし、年だって五つ六つ違ならおかしかなしさ」
「知らない人から見るとちょっとそう見えるでしょうがね。裏面にはいろいろ複雑な事情もあるようですから」
 敬太郎は佐伯の云わゆる「複雑な事情」なるものを根掘り葉掘り聞きたくなったが、何だか自分を門外漢扱いにするような彼の言葉がしゃくさわるのと、たかが玄関番の書生から家庭の内幕を聞き出したと云われては自分の品格にかかわるのと、最後には、口ほど詳しい事情を佐伯が知っている気遣きづかいがないのとで、それぎりその話はやめにした。そのおりついでながら奥へ行って細君に挨拶あいさつをしてしばらく話したが、別に平生と何の変る様子もないので、おめでとうございますと云う勇気も出なかった。
 これは敬太郎が須永のうち矢来やらいの叔父さんのうちにあった不幸を千代子から聞いたつい二三日前の事であった。その日彼が久しぶりに須永を訪問したのも、実はその結婚問題について須永の考えを確かめるつもりであった。須永がどこの何人なんびとと結婚しようと、千代子がどこの何人に片づこうと、それは敬太郎の関係するところではなかったが、この二人の運命が、それほど容易たやすく右左へ未練なく離れ離れになり得るものか、または自分の想像した通りまぼろしに似た糸のようなものが、二人にも見えない縁となって、彼らを冥々めいめいのうちにつなぎ合せているものか。それともこの夢で織った帯とでも形容してしかるべきちらちらするものが、ある時は二人の眼に明らかに見え、ある時は全たく切れて、彼らをばらばらに孤立させるものか、――そこいらが敬太郎には知りたかったのである。もとよりそれは単なる物数奇ものずきに過ぎなかった。彼は明らかにそうだと自覚していた。けれども須永に対してなら、この物数奇を満足させても無礼に当らない事も自覚していた。そればかりかこの物数奇を満足させる権利があるとまで信じていた。
 
 
 
 
 
 
 
 二
 
 その日は生憎あいにく千代子に妨たげられた上、しまいには須永すながの母さえ出て来たので、だいぶ長く坐っていたにもかかわらず、立ち入った話はいっさい持ち出す機会がなかった。ただ敬太郎けいたろうは偶然にも自分の前に並んだ三人が、ありのままの今の姿で、現に似合わしい夫婦としゅうとめになりおおせているという事にふと思い及んだ時、彼らを世間並の形式でまとめるのは、最も容易い仕事のように考えて帰った。
 次の日曜がまた幸いな暖かい日和ひよりをすべてのつとにんに恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外にいざなおうとした。無精ぶしょうでわがままな彼は玄関先まで出て来ながら、なかなか応じそうにしなかったのを、母親が無理に勧めてようやく靴を穿かした。靴を穿いた以上彼は、敬太郎の意志通りどっちへでも動く人であった。その代りいくら相談をかけても、ある判切はっきりした方角へ是非共足を運ばなければならないと主張する男ではなかった。彼と矢来の松本といっしょに出ると、二人とも行先を考えずに歩くので、一致してとんでもない所へ到着する事がままあった。敬太郎は現にこの人の母の口からその例を聞かされたのである。
 この日彼らは両国から汽車に乗ってこうだいの下まで行って降りた。それから美くしい広い河に沿って土堤どての上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴々はればれした好い気分になって、水だの岡だのかけぶねだのを見廻した。須永も景色けしきだけはめたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのにれ出した敬太郎をうらんだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永はあきれたような顔をしていて来た。二人は柴又しばまた帝釈天たいしゃくてんそばまで来て、川甚かわじんといううち這入はいって飯を食った。そこであつらえたうなぎ蒲焼かばやきあまたるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻さっきから二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢ぜいたくなものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。
「云えれば誰だって云うさ。何も江戸っ子に限りぁしない。君みたような田舎いなかものだって云うだろう」
 須永はこう答えて澄ましていた。敬太郎は仕方なしに「江戸っ子は無愛嬌ぶあいきょうなものだね」と云って笑い出した。須永も突然おかしくなったと見えて笑い出した。それからあとは二人の気分と同じように、二人の会話も円満に進行した。敬太郎が須永から「君もこの頃はだいぶ落ちついて来たようだ」と評されても、彼は「少し真面目まじめになったかね」とおとなしく受けるし、彼が須永に「君はますます偏窟へんくつに傾くじゃないか」と調戯からかっても、須永は「どうも自分ながらいやになる事がある」と快よくおのれの弱点を承認するだけであった。
 こういう打ち解けた心持で、二人が差し向いに互の眼の奥を見透みとおして恥ずかしがらない時に、千代子の問題が持ち出されたのは、その真相を聞こうとする敬太郎に取って偶然の仕合せであった。彼はまず一週間ほど前耳にした彼女が近いうちに結婚するといううわさ皮切かわきりに須永をおそった。その時須永は少しも昂奮こうふんした様子を見せなかった。むしろいつもより沈んだ調子で、「また何か縁談が起りかけているようだね。今度はうままとまればいいが」と答えたが、急に口調くちょうえて、「なに君は知らない事だが、今までもそう云う話は何度もあったんだよ」とさも陳腐ちんぷらしそうに説明して聞かせた。
「君はもらう気はないのかい」
「僕が貰うように見えるかね」
 話しはこんな風に、御互で引きるようにしてだんだん先へ進んだが、いよいよきわどいところまで打ち明けるか、さもなければ題目をえるよりほかに仕方がないという点まで押しつめられた時、須永はとうとう敬太郎に「また洋杖ステッキを持って来たんだね」と云って苦笑した。敬太郎も笑いながら縁側えんがわへ出た。そこから例の洋杖を取ってまた這入って来たが、「この通りだ」とへびの頭を須永に見せた。
 
 
 
 
 
 
 
 三
 
 須永すながの話は敬太郎けいたろうの予期したよりもはるかに長かった。――
 僕の父は早く死んだ。僕がまだ親子の情愛をよく解しない子供の頃に突然死んでしまった。僕は子がないから、自分の血を分けたあたたかい肉のかたまりに対するなさけは、今でも比較的薄いかも知れないが、自分を生んでくれた親をなつかしいと思う心はそのだいぶ発達した。今の心をその時分持っていたならと考える事もまれではない。一言いちごんでいうと、当時の僕は父にははなはだ冷淡だったのである。もっとも父もけっして甘い方ではなかった。今の僕の胸に映る彼の顔は、骨の高い血色のすぐれない、親しみの薄い、厳格な表情にちた肖像に過ぎない。僕は自分の顔を鏡のうちに見るたんびに、それが胸の中に収めた父の容貌ようぼうと大変似ているのを思い出しては不愉快になる。自分が父と同じいやな印象を、はたの人に与えはしまいかと苦に病んで、そこで気が引けるばかりではない。こんな陰欝いんうつまゆや額が代表するよりも、まだましな温たかい情愛を、血の中に流している今の自分から推して、あんなに冷酷に見えた父も、心の底には自分以上に熱い涙をたくわえていたのではなかろうかと考えると、父の記念かたみとして、彼の悪い上皮うわかわだけを覚えているのが、子としていかにも情ない心持がするからである。父は死ぬ二三日前僕を枕元に呼んで、「市蔵、おれが死ぬと御母さんの厄介やっかいにならなくっちゃならないぞ。知ってるか」と云った。僕は生れた時から母の厄介になっていたのだから、今更いまさら改ためて父からそれを聞かされるのを妙に思った。黙って坐っていると、父は骨ばかりになった顔の筋を無理に動かすようにして、「今のように腕白じゃ、御母さんも構ってくれないぞ。もう少しおとなしくしないと」と云った。僕は母が今まで構ってくれたんだからこのままの僕でたくさんだという気が充分あった。それで父の小言こごとをまるで必要のない余計な事のように考えて病室を出た。
 父が死んだ時母は非常に泣いた。葬式が出る間際まぎわになって、僕は着物を着換えさせられたまま、手持無沙汰てもちぶさただから、一人縁側えんがわへ出て、あおい空をのぞき込むようにながめていると、白無垢しろむくを着た母が何を思ったか不意にそこへ出て来た。田口や松本を始め、ともに立つものはみんなむこうの方で混雑ごたごたしていたので、はたには誰も見えなかった。母は突然いきなり自分の坊主頭へ手をせて、泣きらした眼を自分の上にえた。そうして小さい声で、「御父さんが御亡おなくなりになっても、御母さんが今まで通り可愛かわいがって上げるから安心なさいよ」と云った。僕は何とも答えなかった。涙も落さなかった。その時はそれですんだが、両親ふたおやに対する僕の記憶を、生長ののちに至って、遠くの方で曇らすものは、二人のこの時の言葉であるという感じがそののちしだいしだいに強く明らかになって来た。何の意味もつける必要のない彼らの言葉に、僕はなぜ厚い疑惑の裏打をしなければならないのか、それは僕自身に聞いて見てもまるで説明がつかなかった。時々は母に向ってじかに問いただして見たい気も起ったが、母の顔を見ると急に勇気がくじけてしまうのがつねであった。そうして心のうちのどこかで、それを打ち明けたが最後、親しい母子おやこが離れ離れになって、永久今のむつましさに戻る機会はないと僕に耳語ささやくものが出て来た。それでなくても、母は僕の真面目まじめな顔を見守って、そんな事があったっけかねと笑いにまぎらしそうなので、そうぐらかされた時の残酷な結果を予想すると、とても口へ出された義理じゃないと思い直しては黙っていた。
 僕は母に対してけっして柔順な息子むすこではなかった。父の死ぬ前に枕元へ呼びつけられて意見されただけあって、小さいうちからよく母にさからった。大きくなって、女親だけになおさら優しくしてやりたいという分別ができたあとでも、やっぱり彼女の云う通りにはならなかった。この二三年はことに心配ばかりかけていた。が、いくら勝手を云い合っても、母子おやこは生れて以来の母子で、このたっとい観念を傷つけられたおぼえは、重手おもでにしろ浅手あさでにしろ、まだ経験した試しがないという考えから、もしあの事を云い出して、二人共後悔の瘢痕はんこんのこさなければすまないきずを受けたなら、それこそ取返しのつかない不幸だと思っていた。この畏怖いふの念は神経質に生れた僕の頭でこしらえるのかも知れないともうたぐって見た。けれども僕にはそれが現在よりも明らかな未来として存在している事が多かった。だから僕はあの時の父と母の言葉を、それなり忘れてしまう事ができなかったのを、今でも情なく感ずるのである。
 
 
 
 
 
 
 
 四
 
 父と母の間はどれほど円満であったか、僕には分らない。僕はまださいを貰った経験がないから、そう云う事を口にする資格はないかも知れないが、いかな仲のい夫婦でも、時々は気不味きまずい思をしあうのが人間の常だろうから、彼らだって永く添っているうちには面白くない汚点しみを双方の胸のうちに見出しつつ、世間も知らず互も口にしない不満を、自分一人にがく味わって我慢した場合もあったのだろうと思う。もっとも父は疳癖かんぺきの強い割に陰性な男だったし、母は長唄ながうたをうたう時よりほかに、大きな声の出せない性分たちなので、僕は二人の言い争そう現場を、父の死ぬまでいまだかつて目撃した事がなかった。要するに世間から云えば、僕らのうちほど静かにととのった家庭は滅多めったに見当らなかったのである。あのくらいひとの悪口を露骨にいう松本の叔父でさえ、今だにそう認めて間違まちがいないものと信じ切っている。
 母は僕に対して死んだ父を語るごとに、世間の夫のうちで最も完全に近いもののように説明してやまない。これは幾分か僕の腹の底に濁ったまま沈んでいる父の記憶を清めたいための弁護とも思われる。または彼女自身の記憶に時間の布巾ふきんをかけてだんだん光沢つやを出すつもりとも見られる。けれども慈愛にちた親としての父を僕に紹介する時には、彼女の態度が全く一変する。平生僕がのあたりに見ているあの柔和にゅうわな母が、どうしてこう真面目まじめになれるだろうと驚ろくくらい、厳粛な気象きしょうで僕を打ちえる事さえあった。が、それは僕が中学から高等学校へ移る時分の昔である。今はいくら母に強請せびって同じ話をくり返してもらっても、そんな気高けだかい気分にはとてもなれない。僕の情操はその頃から学校を卒業するまでの間に、近頃の小説に出る主人公のように、まるですさみ果てたのだろう。現代の空気に中毒した自分をのろいたくなると、僕は時々もう一遍で好いから、母の前でああ云う崇高な感じに触れて見たいというのぞみを起すが、同時にその望みがとてもげられない過去の夢であるという悲しみもいて来る。
 母の性格は吾々われわれが昔から用い慣れた慈母という言葉で形容さえすれば、それで尽きている。僕から見ると彼女はこの二字のために生れてこの二字のために死ぬと云っても差支さしつかえない。まことに気の毒であるが、それでも母は生活の満足をこの一点にのみ集注しているのだから、僕さえ充分の孝行ができれば、これに越した彼女のよろこびはないのである。が、もしその僕が彼女の意にそむく事が多かったら、これほどの不幸はまた彼女に取ってけっしてない訳になる。それを思うと僕は非常に心苦しい事がある。
 思い出したからここでちょっと云うが、僕は生れてからの一人息子ではない。子供の時分にたえちゃんといういもとと毎日遊んだ事を覚えている。その妹は大きな模様のある被布ひふ平生ふだん着て、人形のように髪を切り下げていた。そうして僕の事を常に市蔵ちゃん市蔵ちゃんと云って、兄さんとはけっして呼ばなかった。この妹は父のくなる何年前かに実扶的里亜ジフテリアで死んでしまった。その頃は血清注射がまだ発明されない時分だったので、治療も大変に困難だったのだろう。僕はもとより実扶的里亜と云う名前さえ知らなかった。うちへ見舞に来た松本に、御前も実扶的里亜かと調戯からかわれて、うんそうじゃないよ僕軍人だよと答えたのを今だに忘れずにいる。妹が死んでから当分はむずかしい父の顔がだいぶ優しく見えた。母に向って、まことに御前には気の毒な事をしたといった顔がことにおだやかだったので、小供ながら、ついその時の言葉までさい胸に刻みつけておいた。しかし母がそれに対してどう答えたかは全く知らない。いくら思い出そうとしても思い出せないところをもって見ると、はじめから覚えなかったのだろう。これほど鋭敏に父を観察する能力を、小供の時から持っていた僕が、母に対する注意に欠けていたのも不思議である。人間が自分よりも余計にひとを知りたがる癖のあるものだとすれば、僕の父は母よりもよほど他人らしく僕に見えていたのかも分らない。それを逆に云うと、母は観察にあたいしないほど僕に親しかったのである。――とにかく妹は死んだ。それからの僕は父に対しても母に対しても一人息子であった。父が死んで以後の今の僕は母に対しての一人息子である。
 
 
 
 
 
 
 
 五
 
 だから僕は母をできるだけ大事にしなければすまない。が、実際は同じ源因がかえって僕をわがままにしている。僕は去年学校を卒業してから今日こんにちまで、まだ就職という問題についてただの一日も頭を使った事がない。出た時の成績はむしろ好い方であった。席次を目安めやすに人をる今の習慣を利用しようと思えば、随分友達をうらやましがらせる位置に坐り込む機会もないではなかった。現に一度はある方面から人選にんせん依託いたくを受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえっている。それだのに僕は動かなかった。もとより自慢でこう云う話をするのではない。真底を打ち明ければむしろ自慢の反対で、全く信念の欠乏から来た引込ひっこ思案じあんなのだから不愉快である。が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持てはやされたところで、どこがどうしたんだという横着は、無論断わる時からつけまとっていた。僕は時めくために生れた男ではないと思う。法律などをおさめないで、植物学か天文学でもやったらまだしょうに合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。僕は世間に対してははなはだ気の弱い癖に、自分に対しては大変辛抱の好い男だからそう思うのである。
 こういう僕のわがままをわがままなりに通してくれるものは、云うまでもなく父がのこして行ったわずかばかりの財産である。もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思をしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦かわなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改ためて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分のわがままはこの財産のためにやっと存在を許されているのだからよほど腰のすわらないあさはかなものに違ないと推断する。そうしてその犠牲にされている母が一層気の毒になる。
 母は昔堅気むかしかたぎの教育を受けた婦人の常として、家名を揚げるのが子たるものの第一のつとめだというような考えを、何より先にいだいている。しかし彼女の家名をげるというのは、名誉の意味か、財産の意味か、権力の意味か、または徳望の意味か、そこへ行くと全く何の分別もない。ただ漠然ばくぜんと、一つが頭の上に落ちて来れば、すべてその他があとを追って門前に輻湊ふくそうするぐらいに思っている。しかし僕はそういう問題について、何事も母に説明してやる勇気がない。説明して聞かせるには、まず僕の見識でもっともと認めた家名の揚げ方をした上でないと、僕にその資格ができないからである。僕はいかなる意味においても家名を揚げ得る男ではない。ただけがさないだけの見識を頭に入れておくばかりである。そうしてその見識は母に見せて喜こんでもらえるどころか、彼女とはまるでかけ離れた縁のないものなのだから、母も心細いだろう。僕も淋しい。
 僕が母にかける心配の数あるうちで、第一に挙げなければならないのは、今話した通りの僕の欠点である。しかしこの欠点をめずに母と不足なく暮らして行かれるほど、母は僕を愛していてくれるのだから、ただすまないと思う心を失なわずに、このままで押せば押せない事もないが、このわがままよりももっと鋭どい失望を母に与えそうなので、僕がひそかに胸を痛めているのは結婚問題である。結婚問題と云うより僕と千代子を取り巻く周囲の事情と云った方が適当かも知れない。それを説明するには話の順序としてまず千代子の生れない当時にさかのぼる必要がある。その頃の田口はけっして今ほどの幅利はばききでも資産家でもなかった。ただ将来見込のある男だからと云うので、父が母のいもとに当るあの叔母を嫁にやるように周旋したのである。田口はもとより僕の父を先輩として仰いでいた。なにかにつけて相談もしたり、世話にもなった。両家の間に新らしく成立したこの親しい関係が、月と共に加速度をもって円満に進行しつつある際に千代子が生れた。その時僕の母はどう思ったものか、大きくなったらこの子を市蔵の嫁にくれまいかと田口夫婦に頼んだのだそうである。母の語るところによると、彼らはそのおり快よく母の頼みを承諾したのだと云う。固より後から百代が生まれる、吾一ごいちという男の子もできる、千代子もやろうとすればどこへでもやられるのだが、きっと僕にやらなければならないほど確かに母に受合ったかどうか、そこは僕も知らない。
 
 
 
 
 
 
 
 六
 
 とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういうきずながあった。けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。二人はもとより天にあが雲雀ひばりのごとく自由に生長した。絆をった人でさえしかとそのはしを握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。
 母は僕の高等学校に這入はいった時分それとなく千代子の事をほのめかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来のさいという観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩けんかをしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟しげきを与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠しょうこには長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、おころうが泣こうが、しなをしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄いとこに過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気象きしょうを受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女なんにょ牆壁しょうへきが取りけられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方がかろうと思う。
 母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞恥家はにかみやと解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題をふところに収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞恥はにかんだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようとつとめた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。
 その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代ににおわした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐にいたまま一人であたためていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたといううわさのあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大人おとならしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭寧ていねい吟味ぎんみする余裕よゆうができていた。母もその時にはただ遠くから匂わせるだけでなくて、自分の希望に正当の形式を与える事を忘れなかった。僕は何心なく従妹いとこは血属だからいやだと答えた。母は千代子の生れた時くれろと頼んでおいたのだから貰ったらいいだろうと云って僕を驚ろかした。なぜそんな事を頼んだのかと聞くと、なぜでもわたしの好きな子で、御前もきらうはずがないからだと、赤ん坊には応用のかないような挨拶あいさつをして僕を弱らせた。だんだんそこを押して見ると、しまいに涙ぐんで、実は御前のためではない、全く私のために頼むのだと云う。しかもどうしてそれが母のためになるのか、その理由はいくら聞いても語らない。最後に何でもかでも千代子はいやかと聞かれた。僕は厭でも何でもないと答えた。しかし当人も僕のところへ来る気はなし、田口の叔父も叔母も僕にくれたくはないのだから、そんな事を申し込むのは止した方が好い、先方で迷惑するだけだからと教えた。母は約束だから迷惑しても構わない、また迷惑するはずがないと主張して、むかし田口が父の世話になったり厄介やっかいになったりした例を数え挙げた。僕はやむを得ないからこの問題は卒業するまで解決を着けずにおこうと云い出した。母は不安のうち一縷いちるの望を現わした顔色をして、もう一遍とくと考えて見てくれと頼んだ。
 こういう事情で、今まで母一人でふところいていた問題を、そののちは僕も抱かなければならなくなった。田口はまた田口流に、同じ問題をかえしつつあるのではなかろうか。たとい千代子をほかへ縁づけるにしても、いざと云う場合には一応こちらの承諾を得る必要があるとすれば、叔父も気がかりに違いない。
 
 
 
 
 
 
 
 七
 
 僕は不安になった。母の顔を見るたびに、彼女をあざむいてその日その日を姑息こそくに送っているような気がしてすまなかった。一頃ひところは思い直してでき得るならば母の希望通り千代子をもらってやりたいとも考えた。僕はそのためにわざわざ用もない田口の家へ遊びに行ってそれとなく叔父や叔母の様子を見た。彼らは僕の母の肉薄に応ずる準備としてまえもって僕をうとんずるような素振そぶりを口にも挙動にもけっして示さなかった。彼らはそれほど浅薄なまた不親切な人間ではなかったのである。けれども彼らの娘の未来の夫として、僕が彼らの眼にいかにあわれむべく映じていたかは、遠き前から僕の見抜いていたところと、ちっとも変化を来さないばかりか、近頃になってますますそのかたむきが著るしくなるように思われた。彼らは第一に僕の弱々しい体格と僕の蒼白あおしろい顔色とを婿むことしてうけがわないつもりらしかった。もっとも僕は神経の鋭どく動く性質たちだから、物を誇大に考え過したり、らぬひがみを起して見たりする弊がよくあるので、自分の胸に収めたくわしい叔父叔母の観察を遠慮なくここに述べる非礼ははばかりたい。ただ一言いちごんで云うと、彼らはその当時千代子を僕の嫁にしようと明言したのだろう。少なくともやってもいいぐらいには考えていたのだろう。が、その彼らの社会に占め得た地位と、彼らとは背中合せに進んで行く僕の性格が、二重に実行の便宜を奪って、ただけかかったむなしい義理の抜殻ぬけがらを、彼らの頭のどこかに置き去りにして行ったと思えば差支さしつかえないのである。
 僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。
いっさんももうそろそろ奥さんを探さなくっちゃなりませんね。姉さんはとうから心配しているようですよ」
「好いのがあったら母に知らしてやって下さい」
「市さんにはおとなしくってやさしい、親切な看護婦みたような女がいいでしょう」
「看護婦みたような嫁はないかって探しても、誰も来手きてはあるまいな」
 僕が苦笑しながら、みずかあざけるごとくこう云った時、今まで向うのすみで何かしていた千代子が、不意に首を上げた。
「あたし行って上げましょうか」
 僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね」と云った。僕は低い叔母の声のうちに、たしなめるようなまたおそれるような一種の響を聞いた。千代子はただからからと面白そうに笑っただけであった。その時百代子もそばにいた。これは姉の言葉を聞いて微笑しながら席を立った。形式をそなえない断りを云われたと解釈した僕はしばらくしてまた席を立った。
 この事件後僕は同じ問題に関して母の満足を買うための努力をますますいさぎよしとしなくなった。自尊心の強い父の子として、僕の神経はこういう点において自分でも驚ろくくらい過敏なのである。もちろん僕はその折の叔母に対してけっして感情を害しはしなかった。こっちからまだ正式の申し込みを受けていない叔母としては、ああよりほかに意向のらし方も無かったのだろうと思う。千代子に至っては何を云おうが笑おうが、いつでもわだかまりのない彼女の胸の中を、そのまま外に表わしたに過ぎないと考えていた。僕はその時の千代子の言葉や様子から察して、彼女が僕のところへ来たがっていない事だけは、従前通りたしかに認めたが、同時に、もし差し向いで僕の母にしんみり話し込まれでもしたら、ええそういうわけなら御嫁に来て上げましょうと、その場ですぐ承知しないとも限るまいと思って、ひそかに掛念けねんいだいたくらいである。彼女はそう云う時に、平気で自分の利害や親の意思を犠牲に供し得るきわめて純粋の女だと僕は常から信じていたからである。
 
 
 
 
 
 
 
 八
 
 意地の強い僕は母をうれしがらせるよりもなるべく自我をきずつけないようにと祈った。その結果千代子が僕の知らない間に、母から説き落されてはと掛念して、暗にそれを防ぐ分別をした。母は彼女の生れ落ちた当初すでに僕の嫁ときめただけあって、多くあるめいおいの中で、取り分け千代子を可愛かわいがった。千代子も子供の時分から僕の家を生家のごとく心得て遠慮なく寝泊ねとまりに来た。その縁故で、田口と僕の家が昔に比べると比較的うとくなった今日こんにちでも、千代子だけは叔母さん叔母さんと云って、うみの親にでも逢いに来るような朗らかな顔をして、しげしげ出入でいりをしていた。単純な彼女は、自分の身をまとに時々起る縁談をさえ、隠すところなく母に打ち明けた。人の好い母はまたそれを素直に聞いてやるだけで、うらめしい眼つき一つも見せ得なかった。僕の恐れる懇談は、こういう関係の深い二人の間に、いつ起らないとも限らなかったのである。
 僕の分別というのはまずこの点に関して、当分母の口をふさいでおこうとする用心に過ぎなかった。ところがいざ改たまって母にそれを切り出そうとすると、ただ自分のを通すために、弱い親の自由を奪うのは残酷な子に違ないという心持が、どこにかきざすので、ついそれなりにしてやめる事が多かった。もっとも年寄のまゆを曇らすのがただなさけないばかりでやめたとも云われない。これほど親しい間柄でさえ今まで思い切ったところを千代子に打ち明け得なかった母の事だから、たといこのままにしておいても、まあ当分は大丈夫だろうという考が、母に対する僕を多少おさえたのである。
 それで僕は千代子に関して何という明瞭めいりょうな所置も取らずに過ぎた。もっともこういう不安な状態で日を送った時期にも、まるで田口の家と打絶えた訳ではなかったので、たまには単に母の喜こぶ顔を見るだけの目的をもって内幸町まで電車を利用した覚さえあったのである。そういうある日の晩、僕は久しぶりに千代子から、習い立ての珍らしい手料理を御馳走ごちそうするからと引止められて、夕飯のぜんについた。いつも留守るすがちな叔父がその日はちょうど内にいて、食事中例の気作きさくな話をし続けにしたため、若い人の陽気な笑い声が障子しょうじに響くくらい家の中がにぎわった。飯が済んだあとで、叔父はどういう考か、突然僕に「いっさん久しぶりに一局やろうか」と云い出した。僕はさほど気が進まなかったけれどもせっかくだから、やりましょうと答えて、叔父と共に別室へ退しりぞいた。二人はそこで二三番打った。もとより下手と下手の勝負なので、時間のかかるはずもなく、碁石ごいしを片づけてもまだそれほど遅くはならなかった。二人は煙草たばこみながらまた話を始めた。その時僕は適当な機会を利用してわざと叔父に「千代子さんの縁談はまだまとまりませんか」と聞いた。それは固より僕が千代子に対して他意のないという事を示すためであった。がまた一方では、一日も早くこの問題の解決が着けば、自分も安心だし、千代子も幸福だと考えたからである。すると叔父はさすがに男だけあって、何の躊躇ちゅうちょもなくこう云った。――
「いやまだなかなかそう行きそうもない。だんだんそんな話を持って来てくれるものはあるが、何しろむずかしくって弱る。その上調べれば調べるほど面倒になるだけだし、まあ大抵のところで纏まるなら纏めてしまおうかと思ってる。――縁談なんてものは妙なものでね。今だから御前に話すが、実は千代子の生れたとき、御前の御母さんが、これを市蔵の嫁に欲しいってね――生れ立ての赤ん坊をだよ」
 叔父はこの時笑いながら僕の顔を見た。
「母は本気でそう云ったんだそうです」
「本気さ。姉さんはまた正直な人だからね。実に好い人だ。今でも時々真面目まじめになって叔母さんにその話をするそうだ」
 叔父は再び大きな声を出して笑った。僕ははたして叔父がこう軽くこの事件を解釈しているなら、母のために少し弁じてやろうかと考えた。が、もしこれが世慣よなれた人の巧妙なさとらせぶりだとすれば、一口でも云うだけがおろかだと思い直して黙った。叔父は親切な人でまた世慣よなれた人である。彼のこの時の言葉はどちらの眼で見ていいのか、僕には今もって解らない。ただ僕がその時以来千代子を貰わない方へいよいよ傾いたのは事実である。
 
 
 
 
 
 
 
 九
 
 それから二カ月ばかりの間僕は田口の家へ近寄らなかった。母さえ心配しなければ、それぎり内幸町へは足を向けずにすましたかも知れなかった。たとい母が心配するにしても、単に彼女に対する掛念けねんだけが問題なら、あるいは僕の気随きずいをいざという極点まで押し通したかも知れなかった。僕はそんな[#「そんな」は底本では「そんに」]風に生みつけられた男なのである。ところが二カ月の末になって、僕は突然自分の片意地をひるがえさなければ不利だという事に気がついた。実を云うと、僕と田口と疎遠になればなるほど、母はあらゆる機会を求めて、ますます千代子と接触するようにつとめ出したのである。そうしていつなんどき僕の最も恐れる直接の談判を、千代子に向って開かないとも限らないように、漸々ぜんぜん形勢を切迫させて来たのである。僕は思い切って、この危機を一帳場ひとちょうば先へ繰り越そうとした。そうしてその決心と共にまた田口の敷居をまたぎ出した。
 彼らの僕を遇する態度にもとより変りはなかった。僕の彼らに対する様子もまた二カ月前の通りであった。僕と彼らとはもとのごとく笑ったり、ふざけたり、揚足あげあしの取りっくらをしたりした。要するに僕の田口でついやした時間は、騒がしいくらい陽気であった。本当のところをいうと、僕には少し陽気過ぎたのである。したがって腹の中が常に空虚な努力に疲れていた。鋭どい眼で注意したら、どこかにいつわりの影が射して、本来の自分を醜くいろどっていたろうと思う。そのうちで自分の気分と自分の言葉が、半紙の裏表のようにぴたりと合った愉快を感じたおぼえがただ一遍ある。それは家例として年に一度か二度田口の家族がそろって遊びに出る日の出来事であった。僕は知らずに奥へ通って、千代子一人が閑静に坐っているのを見て驚ろいた。彼女は風邪かぜを引いたと見えて、咽喉のどに湿布をしていた。常にも似ないあおい顔色もさびしく思われた。微笑しながら、「今日はあたし御留守居よ」と云った時、僕は始めてみんな出払った事に気がついた。
 その日彼女は病気のせいかいつもよりしんみり落ちついていた。僕の顔さえ見ると、きっと冷かし文句を並べて、どうしても悪口の云い合いをいどまなければやまない彼女が、一人ぼっちで妙に沈んでいる姿を見たとき、僕はふと可憐な心を起した。それで席に着くやいなや、優しい慰藉いしゃの言葉を口から出す気もなくおのずから出した。すると千代子は一種変な表情をして、「あなた今日は大変優しいわね。奥さんをもらったらそういう風に優しくしてあげなくっちゃいけないわね」と云った。遠慮がなくて親しみだけ持っていた僕は、今まで千代子に対していくら無愛嬌ぶあいきょうに振舞っても差支さしつかえないものとあんみずから許していたのだという事にこの時始めて気がついた。そうして千代子の眼のうちにどこか嬉しそうな色のかすかながら漂ようのを認めて、自分が悪かったと後悔した。
 二人はほとんどいっしょに生長したと同じような自分達の過去を振り返った。昔の記憶を語る言葉が互のくちびるから当時を蘇生よみがえらせる便たよりとしてれた。僕は千代子の記憶が、僕よりもはるかにすぐれて、細かいところまであざやかに行き渡っているのに驚ろいた。彼女は今から四年前、僕が玄関に立ったままはかまほころびを彼女に縫わせた事まで覚えていた。その時彼女の使ったのは木綿糸もめんいとでなくて絹糸であった事も知っていた。
「あたしあなたのいてくれたをまだ持っててよ」
 なるほどそう云われて見ると、千代子に画を描いてやったおぼえがあった。けれどもそれは彼女が十二三の時の事で、自分が田口に買って貰った絵具と紙を僕の前へ押しつけて無理矢理に描かせたものである。僕の画道における嗜好たしなみは、それから以後今日こんにちに至るまで、ついぞ画筆えふでを握った試しがないのでも分るのだから、赤や緑の単純な刺戟しげきが、一通り彼女の眼に映ってしまえば、興味はそこに尽きなければならないはずのものであった。それを保存していると聞いた僕は迷惑そうに苦笑せざるを得なかった。
「見せて上げましょうか」
 僕は見ないでもいいと断った。彼女は構わず立ち上がって、自分のへやから僕の画を納めた手文庫を持って来た。
 
 
 
 
 
 
 
 十
 
 千代子はその中から僕の描いた画を五六枚出して見せた。それは赤い椿つばきだの、むらさき東菊あずまぎくだの、色変りのダリヤだので、いずれも単純な花卉かきの写生に過ぎなかったが、らない所にわざと手を掛けて、時間の浪費をいとわずに、細かく綺麗きれいに塗り上げた手際てぎわは、今の僕から見るとほとんど驚ろくべきものであった。僕はこれほど綿密であった自分の昔に感服した。
「あなたそれを描いて下すった時分は、今よりよっぽど親切だったわね」
 千代子は突然こう云った。僕にはその意味がまるで分らなかった。画から眼を上げて、彼女の顔を見ると、彼女も黒い大きなひとみを僕の上にじっとえていた。僕はどういう訳でそんな事を云うのかと尋ねた。彼女はそれでも答えずに僕の顔を見つめていた。やがていつもより小さな声で「でも近頃頼んだって、そんなに精出して描いては下さらないでしょう」と云った。僕は描くとも描かないとも答えられなかった。ただ腹の中で、彼女の言葉をもっともだと首肯うけがった。
「それでもよくこんな物を丹念にしまっておくね」
「あたし御嫁に行く時も持ってくつもりよ」
 僕はこの言葉を聞いて変に悲しくなった。そうしてその悲しい気分が、すぐ千代子の胸にこたえそうなのがなお恐ろしかった。僕はその刹那せつなすでに涙のあふれそうな黒い大きな眼を自分の前に想像したのである。
「そんな下らないものは持って行かないがいいよ」
「いいわ、持って行ったって、あたしのだから」
 彼女はこう云いつつ、赤い椿や紫の東菊を重ねて、また文庫の中へしまった。僕は自分の気分を変えるためわざと彼女にいつごろ嫁に行くつもりかと聞いた。彼女はもうじきに行くのだと答えた。
「しかしまだきまった訳じゃないんだろう」
「いいえ、もうきまったの」
 彼女は明らかに答えた。今まで自分の安心を得る最後の手段として、一日いちじつも早く彼女の縁談がまとまれば好いがと念じていた僕の心臓は、この答と共にどきんと音のするなみを打った。そうして毛穴からい出すような膏汗あぶらあせが、背中とわきの下を不意におそった。千代子は文庫をいて立ち上った。障子しょうじを開けるとき、上から僕を見下みおろして、「うそよ」と一口判切はっきり云い切ったまま、自分のへやの方へ出て行った。
 僕は動くかんがえもなくもとの席に坐っていた。僕の胸には忌々いまいましい何物も宿らなかった。千代子の嫁に行く行かないが、僕にどう影響するかを、この時始めて実際に自覚する事のできた僕は、それを自覚させてくれた彼女の翻弄ほんろうに対して感謝した。僕は今まで気がつかずに彼女を愛していたのかも知れなかった。あるいは彼女が気がつかないうちに僕を愛していたのかも知れなかった。――僕は自分という正体が、それほど解りにくこわいものなのだろうかと考えて、しばらく茫然ぼうぜんとしていた。するとあちらの方で電話がちりんちりんと鳴った。千代子が縁伝いに急ぎ足でやって来て、僕にいっしょに電話をかけてくれと頼んだ。僕にはいっしょにかけるという意味が呑み込めなかったが、すぐ立って彼女と共に電話口へ行った。
「もう呼び出してあるのよ。あたし声がれて、咽喉のどが痛くって話ができないからあなた代理をしてちょうだい。聞く方はあたしが聞くから」
 僕は相手の名前も分らない、また向うの話の通じない電話をかけるべく、前屈まえこごみになって用意をした。千代子はすでに受話器を耳にあてていた。それを通して彼女の頭へ送られる言葉は、ひとり彼女が占有するだけなので、僕はただ彼女の小声でいう挨拶あいさつを大きくして訳も解らず先方へ取次ぐに過ぎなかった。それでも始の内は滑稽こっけいも構わず暇がかかるのもいとわず平気でやっていたが、しだいに僕の好奇心を挑発ちょうはつするような返事や質問が千代子の口から出て来るので、僕はこごんだまま、おいちょいとそれを御貸おかしと声をかけて左手を真直まっすぐに千代子の方へ差し伸べた。千代子は笑いながら否々いやいやをして見せた。僕はさらに姿勢を正しくして、受話器を彼女の手から奪おうとした。彼女はけっしてそれを離さなかった。取ろうとする取らせまいとする争が二人の間に起った時、彼女は手早く電話を切った。そうして大きな声をあげて笑い出した。――
 
 
 
 
 
 
 
 十一
 
 こういう光景がもし今より一年前に起ったならと僕はその何遍もくり返しくり返し思った。そう思うたびに、もう遅過ぎる、時機はすでに去ったと運命から宣告されるような気がした。今からでもこういう光景を二度三度と重ねる機会はつらまえられるではないかと、同じ運命が暗に僕をそそのかす日もあった。なるほど二人の情愛を互いに反射させ合うためにのみ眼の光を使う手段をはばからなかったなら、千代子と僕とはその日を基点として出立しても、今頃は人間の利害でく事のできない愛におちいっていたかも知れない。ただ僕はそれと反対の方針を取ったのである。
 田口夫婦の意向や僕の母の希望は、他人の入智慧いれぢえ同様に意味の少ないものとして、単に彼女と僕を裸にした生れつきだけを比較すると、僕らはとてもいっしょになる見込のないものと僕は平生から信じていた。これはなぜと聞かれても満足の行くように答弁ができないかも知れない。僕は人に説明するためにそう信じているのでないから。僕はかつて文学好のある友達からダヌンチオと一少女の話を聞いた事がある。ダヌンチオというのは今の以太利イタリアで一番有名な小説家だそうだから、僕の友達の主意は無論彼の勢力を僕に紹介するつもりだったのだろうが、僕にはそこへ引合に出された少女の方が彼よりもはるかに興味が多かった。その話はこうである。――
 ある時ダヌンチオが招待を受けてある会合の席へ出た。文学者を国家の装飾のようにもてはやす西洋の事だから、ダヌンチオはその席にむらがるすべての人から多大の尊敬と愛嬌あいきょうをもって偉人のごとく取扱かわれた。彼が満堂の注意を一身に集めて、衆人の間をあちこち徘徊はいかいしているうち、どういう機会はずみか自分の手巾ハンケチを足のもとへ落した。混雑の際と見えて、彼はもとより、はたのものもいっこうそれに気がつかずにいた。するとまだ年の若い美くしい女が一人その手巾をゆかの上から取り上げて、ダヌンチオの前へ持って来た。彼女はそれをダヌンチオに渡すつもりで、これはあなたのでしょうと聞いた。ダヌンチオはありがとうと答えたが、女の美くしい器量に対してちょっと愛嬌あいきょうが必要になったと見えて、「あなたのにして持っていらっしゃい、進上しますから」とあたかも少女の喜びを予想したような事を云った。女は一口の答もせず黙ってその手巾を指先でつまんだまま暖炉ストーヴそばまで行っていきなりそれを火の中へ投げ込んだ。ダヌンチオは別にしてその他の席に居合せたものはことごとく微笑をらした。
 僕はこの話を聞いた時、年の若い茶褐色の髪毛をった以太利生れの美人を思い浮べるよりも、その代りとしてすぐ千代子の眼とまゆを想像した。そうしてそれがもし千代子でなくって妹の百代子であったなら、たとい腹の中はどうあろうとも、その場は礼を云って快よく手巾を貰い受けたに違いあるまいと思った。ただ千代子にはそれができないのである。
 口の悪い松本の叔父はこの姉妹きょうだい渾名あだなをつけて常に大蝦蟆おおがま小蝦蟆ちいがまと呼んでいる。二人の口がくちびるの薄い割に長過ぎるところが銀貨入れの蟇口がまぐちだと云っては常に二人を笑わせたり怒らせたりする。これは性質に関係のない顔形の話であるが、同じ叔父が口癖のようにこの姉妹を評して、小蟇ちいがまはおとなしくって好いが、大蟇おおがまは少し猛烈過ぎると云うのを聞くたびに、僕はあの叔父がどう千代子を観察しているのだろうと考えて、必ず彼の眼識にうたがいさしはさみたくなる。千代子の言語なり挙動なりが時に猛烈に見えるのは、彼女が女らしくない粗野なところを内にかくしているからではなくって、余り女らしい優しい感情に前後を忘れて自分を投げかけるからだと僕は固く信じて疑がわないのである。彼女のっている善悪是非の分別はほとんど学問や経験と独立している。ただ直覚的に相手を目当に燃え出すだけである。それだから相手は時によると稲妻いなずまに打たれたような思いをする。当りの強くはげしく来るのは、彼女の胸から純粋なかたまりが一度に多量に飛んで出るという意味で、とげだの毒だの腐蝕剤ふしょくざいだのを吹きかけたり浴びせかけたりするのとはまるで訳が違う。その証拠にはたといどれほどはげしくおこられても、僕は彼女から清いもので自分のはらわたを洗われたような気持のした場合が今までに何遍もあった。気高けだかいものに出会ったという感じさえまれには起したくらいである。僕は天下の前にただ一人立って、彼女はあらゆる女のうちでもっとも女らしい女だと弁護したいくらいに思っている。
 
 
 
 
 
 
 
 十二
 
 これほどく思っている千代子をさいとしてどこが不都合なのか。――実は僕も自分で自分の胸にこう聞いた事がある。その時理由わけも何もまだ考えない先に、僕はまず恐ろしくなった。そうして夫婦としての二人を長く眼前に想像するにたえなかった。こんな事を母に云ったら定めし驚ろくだろう、同年輩の友達に話してもあるいは通じないかも知れない。けれどもいて沈黙のなかに記憶をうずめる必要もないから、それを自分だけの感想にとどめないでここに自白するが、一口に云うと、千代子は恐ろしい事を知らない女なのである。そうして僕は恐ろしい事だけ知った男なのである。だからただ釣り合わないばかりでなく、夫婦となればまさに逆にでき上るよりほかに仕方がないのである。
 僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光にえられないだろう。その光は必ずしもいかりを示すとは限らない。なさけの光でも、愛の光でも、もしくは渇仰かっこうの光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦いすくめられるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸げことして、今日こんにちまで世間から教育されて来たのである。
 千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦てんぷの感情を、あるに任せて惜気おしげもなく夫の上にぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のいかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評してしかるべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼です事のできる権力か財力をつかまなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそう云う働きぶりを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思いつめている。二人の間に横たわる根本的の不幸はここに存在すると云っても差支さしつかえないのである。僕は今云った通り、さいとしての彼女の美くしい感情を、そう多量に受け入れる事のできない至ってくすぶった性質たちなのだが、よし焼石に水をそそいだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望み通りに利用する訳にはとても行かない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女には全く分らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽二重はぶたえ足袋たびで包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。
 僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起す。この間講釈好きの松本の叔父から、詩と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学をおもい出す。叔父は素人しろうと学問ながらこんな方面に興味をっているだけに、面白い事をいろいろ話して聞かしたが、僕をつらまえて「御前のような感情家は」とあんに詩人らしく僕を評したのは間違っている。僕に云わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事のできずにぐずぐずしているのは、何より先に結果を考えて取越苦労とりこしぐろうをするからである。千代子が風のごとく自由に振舞うのは、先の見えないほど強い感情が一度に胸にき出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一人いちにんである。だから恐れる僕を軽蔑けいべつするのである。僕はまた感情という自分の重みでけつまずきそうな彼女を、運命のアイロニーを解せざる詩人として深くあわれむのである。いな時によると彼女のために戦慄せんりつするのである。
 
 
 
 
 
 
 

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