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須永の話
一
敬太郎は須永の門前で後姿の女を見て以来、この二人を結びつける縁の糸を常に想像した。その糸には一種夢のような匂があるので、二人を眼の前に、須永としまた千代子として眺める時には、かえってどこかへ消えてしまう事が多かった。けれども彼らが普通の人間として敬太郎の肉眼に現実の刺戟を与えない折々には、失なわれた糸がまた二人の中を離すべからざる因果のごとくに繋いだ。田口の家へ出入するようになってからも、須永と千代子の関係については、一口でさえ誰からも聞いた事はなし、また二人の様子を直に観察しても尋常の従兄弟以上に何物も仄めいていなかったには違ないが、こういう当初からの聯想に支配されて、彼の頭のどこかに、二人を常に一対の男女として認める傾きを有っていた。女の連添わない若い男や、男の手を組まない若い女は、要するに敬太郎から見れば自然を損なった片輪に過ぎないので、彼が自分の知る彼らを頭のうちでかように組み合わせたのは、まだ片輪の境遇にまごついている二人に、自然が生みつけた通りの資格を早く与えてやりたいという道義心の要求から起ったのかも知れなかった。
それはこむずかしい理窟だから、たといどんな要求から起ろうと敬太郎のために弁ずる必要はないが、この頃になって偶然千代子の結婚談を耳にした彼が、頭の中の世界と、頭の外にある社会との矛盾に、ちょっと首を捻ったのは事実に相違なかった。彼はその話を書生の佐伯から聞いたのである。もっとも佐伯のようなものが、まだ事の纏まらない先から、奥の委しい話を知ろうはずがなかった。彼はただ漠然とした顔の筋肉をいつもより緊張させて、何でもそんな評判ですと云うだけであった。千代子を貰う人の名前も無論分らなかったが、身分の実業家である事はたしかに思われた。
「千代子さんは須永君の所へ行くのだとばかり思っていたが、そうじゃないのかね」
「そうも行かないでしょう」
「なぜ」
「なぜって聞かれると、僕にも明瞭な答はでき悪いんですが、ちょっと考えて見てもむずかしそうですね」
「そうかね、僕はまたちょうど好い夫婦だと思ってるがね。親類じゃあるし、年だって五つ六つ違ならおかしかなしさ」
「知らない人から見るとちょっとそう見えるでしょうがね。裏面にはいろいろ複雑な事情もあるようですから」
敬太郎は佐伯の云わゆる「複雑な事情」なるものを根掘り葉掘り聞きたくなったが、何だか自分を門外漢扱いにするような彼の言葉が癪に障るのと、たかが玄関番の書生から家庭の内幕を聞き出したと云われては自分の品格にかかわるのと、最後には、口ほど詳しい事情を佐伯が知っている気遣がないのとで、それぎりその話はやめにした。そのおりついでながら奥へ行って細君に挨拶をしてしばらく話したが、別に平生と何の変る様子もないので、おめでとうございますと云う勇気も出なかった。
これは敬太郎が須永の宅で矢来の叔父さんの家にあった不幸を千代子から聞いたつい二三日前の事であった。その日彼が久しぶりに須永を訪問したのも、実はその結婚問題について須永の考えを確かめるつもりであった。須永がどこの何人と結婚しようと、千代子がどこの何人に片づこうと、それは敬太郎の関係するところではなかったが、この二人の運命が、それほど容易く右左へ未練なく離れ離れになり得るものか、または自分の想像した通り幻しに似た糸のようなものが、二人にも見えない縁となって、彼らを冥々のうちに繋ぎ合せているものか。それともこの夢で織った帯とでも形容して然るべきちらちらするものが、ある時は二人の眼に明らかに見え、ある時は全たく切れて、彼らをばらばらに孤立させるものか、――そこいらが敬太郎には知りたかったのである。固よりそれは単なる物数奇に過ぎなかった。彼は明らかにそうだと自覚していた。けれども須永に対してなら、この物数奇を満足させても無礼に当らない事も自覚していた。そればかりかこの物数奇を満足させる権利があるとまで信じていた。
二
その日は生憎千代子に妨たげられた上、しまいには須永の母さえ出て来たので、だいぶ長く坐っていたにもかかわらず、立ち入った話はいっさい持ち出す機会がなかった。ただ敬太郎は偶然にも自分の前に並んだ三人が、ありのままの今の姿で、現に似合わしい夫婦と姑になり終せているという事にふと思い及んだ時、彼らを世間並の形式で纏めるのは、最も容易い仕事のように考えて帰った。
次の日曜がまた幸いな暖かい日和をすべての勤め人に恵んだので、敬太郎は朝早くから須永を尋ねて、郊外に誘なおうとした。無精でわがままな彼は玄関先まで出て来ながら、なかなか応じそうにしなかったのを、母親が無理に勧めてようやく靴を穿かした。靴を穿いた以上彼は、敬太郎の意志通りどっちへでも動く人であった。その代りいくら相談をかけても、ある判切した方角へ是非共足を運ばなければならないと主張する男ではなかった。彼と矢来の松本といっしょに出ると、二人とも行先を考えずに歩くので、一致してとんでもない所へ到着する事がままあった。敬太郎は現にこの人の母の口からその例を聞かされたのである。
この日彼らは両国から汽車に乗って鴻の台の下まで行って降りた。それから美くしい広い河に沿って土堤の上をのそのそ歩いた。敬太郎は久しぶりに晴々した好い気分になって、水だの岡だの帆かけ船だのを見廻した。須永も景色だけは賞めたが、まだこんな吹き晴らしの土堤などを歩く季節じゃないと云って、寒いのに伴れ出した敬太郎を恨んだ。早く歩けば暖たかくなると出張した敬太郎はさっさと歩き始めた。須永は呆れたような顔をして跟いて来た。二人は柴又の帝釈天の傍まで来て、川甚という家へ這入って飯を食った。そこで誂らえた鰻の蒲焼が甘たるくて食えないと云って、須永はまた苦い顔をした。先刻から二人の気分が熟しないので、しんみりした話をする余地が出て来ないのを苦しがっていた敬太郎は、この時須永に「江戸っ子は贅沢なものだね。細君を貰うときにもそう贅沢を云うかね」と聞いた。
「云えれば誰だって云うさ。何も江戸っ子に限りぁしない。君みたような田舎ものだって云うだろう」
須永はこう答えて澄ましていた。敬太郎は仕方なしに「江戸っ子は無愛嬌なものだね」と云って笑い出した。須永も突然おかしくなったと見えて笑い出した。それから後は二人の気分と同じように、二人の会話も円満に進行した。敬太郎が須永から「君もこの頃はだいぶ落ちついて来たようだ」と評されても、彼は「少し真面目になったかね」とおとなしく受けるし、彼が須永に「君はますます偏窟に傾くじゃないか」と調戯っても、須永は「どうも自分ながら厭になる事がある」と快よく己れの弱点を承認するだけであった。
こういう打ち解けた心持で、二人が差し向いに互の眼の奥を見透して恥ずかしがらない時に、千代子の問題が持ち出されたのは、その真相を聞こうとする敬太郎に取って偶然の仕合せであった。彼はまず一週間ほど前耳にした彼女が近いうちに結婚するという噂を皮切に須永を襲った。その時須永は少しも昂奮した様子を見せなかった。むしろいつもより沈んだ調子で、「また何か縁談が起りかけているようだね。今度は旨く纏まればいいが」と答えたが、急に口調を更えて、「なに君は知らない事だが、今までもそう云う話は何度もあったんだよ」とさも陳腐らしそうに説明して聞かせた。
「君は貰う気はないのかい」
「僕が貰うように見えるかね」
話しはこんな風に、御互で引き摺るようにしてだんだん先へ進んだが、いよいよ際どいところまで打ち明けるか、さもなければ題目を更えるよりほかに仕方がないという点まで押しつめられた時、須永はとうとう敬太郎に「また洋杖を持って来たんだね」と云って苦笑した。敬太郎も笑いながら縁側へ出た。そこから例の洋杖を取ってまた這入って来たが、「この通りだ」と蛇の頭を須永に見せた。
三
須永の話は敬太郎の予期したよりも遥かに長かった。――
僕の父は早く死んだ。僕がまだ親子の情愛をよく解しない子供の頃に突然死んでしまった。僕は子がないから、自分の血を分けた温たかい肉の塊りに対する情は、今でも比較的薄いかも知れないが、自分を生んでくれた親を懐かしいと思う心はその後だいぶ発達した。今の心をその時分持っていたならと考える事も稀ではない。一言でいうと、当時の僕は父にははなはだ冷淡だったのである。もっとも父もけっして甘い方ではなかった。今の僕の胸に映る彼の顔は、骨の高い血色の勝れない、親しみの薄い、厳格な表情に充ちた肖像に過ぎない。僕は自分の顔を鏡の裏に見るたんびに、それが胸の中に収めた父の容貌と大変似ているのを思い出しては不愉快になる。自分が父と同じ厭な印象を、傍の人に与えはしまいかと苦に病んで、そこで気が引けるばかりではない。こんな陰欝な眉や額が代表するよりも、まだましな温たかい情愛を、血の中に流している今の自分から推して、あんなに冷酷に見えた父も、心の底には自分以上に熱い涙を貯えていたのではなかろうかと考えると、父の記念として、彼の悪い上皮だけを覚えているのが、子としていかにも情ない心持がするからである。父は死ぬ二三日前僕を枕元に呼んで、「市蔵、おれが死ぬと御母さんの厄介にならなくっちゃならないぞ。知ってるか」と云った。僕は生れた時から母の厄介になっていたのだから、今更改ためて父からそれを聞かされるのを妙に思った。黙って坐っていると、父は骨ばかりになった顔の筋を無理に動かすようにして、「今のように腕白じゃ、御母さんも構ってくれないぞ。もう少しおとなしくしないと」と云った。僕は母が今まで構ってくれたんだからこのままの僕でたくさんだという気が充分あった。それで父の小言をまるで必要のない余計な事のように考えて病室を出た。
父が死んだ時母は非常に泣いた。葬式が出る間際になって、僕は着物を着換えさせられたまま、手持無沙汰だから、一人縁側へ出て、蒼い空を覗き込むように眺めていると、白無垢を着た母が何を思ったか不意にそこへ出て来た。田口や松本を始め、供に立つものはみんな向の方で混雑していたので、傍には誰も見えなかった。母は突然自分の坊主頭へ手を載せて、泣き腫らした眼を自分の上に据えた。そうして小さい声で、「御父さんが御亡くなりになっても、御母さんが今まで通り可愛がって上げるから安心なさいよ」と云った。僕は何とも答えなかった。涙も落さなかった。その時はそれですんだが、両親に対する僕の記憶を、生長の後に至って、遠くの方で曇らすものは、二人のこの時の言葉であるという感じがその後しだいしだいに強く明らかになって来た。何の意味もつける必要のない彼らの言葉に、僕はなぜ厚い疑惑の裏打をしなければならないのか、それは僕自身に聞いて見てもまるで説明がつかなかった。時々は母に向って直に問い糺して見たい気も起ったが、母の顔を見ると急に勇気が摧けてしまうのが例であった。そうして心の中のどこかで、それを打ち明けたが最後、親しい母子が離れ離れになって、永久今の睦ましさに戻る機会はないと僕に耳語くものが出て来た。それでなくても、母は僕の真面目な顔を見守って、そんな事があったっけかねと笑いに紛らしそうなので、そう剥ぐらかされた時の残酷な結果を予想すると、とても口へ出された義理じゃないと思い直しては黙っていた。
僕は母に対してけっして柔順な息子ではなかった。父の死ぬ前に枕元へ呼びつけられて意見されただけあって、小さいうちからよく母に逆らった。大きくなって、女親だけになおさら優しくしてやりたいという分別ができた後でも、やっぱり彼女の云う通りにはならなかった。この二三年はことに心配ばかりかけていた。が、いくら勝手を云い合っても、母子は生れて以来の母子で、この貴とい観念を傷つけられた覚は、重手にしろ浅手にしろ、まだ経験した試しがないという考えから、もしあの事を云い出して、二人共後悔の瘢痕を遺さなければすまない瘡を受けたなら、それこそ取返しのつかない不幸だと思っていた。この畏怖の念は神経質に生れた僕の頭で拵らえるのかも知れないとも疑って見た。けれども僕にはそれが現在よりも明らかな未来として存在している事が多かった。だから僕はあの時の父と母の言葉を、それなり忘れてしまう事ができなかったのを、今でも情なく感ずるのである。
四
父と母の間はどれほど円満であったか、僕には分らない。僕はまだ妻を貰った経験がないから、そう云う事を口にする資格はないかも知れないが、いかな仲の善い夫婦でも、時々は気不味い思をしあうのが人間の常だろうから、彼らだって永く添っているうちには面白くない汚点を双方の胸の裏に見出しつつ、世間も知らず互も口にしない不満を、自分一人苦く味わって我慢した場合もあったのだろうと思う。もっとも父は疳癖の強い割に陰性な男だったし、母は長唄をうたう時よりほかに、大きな声の出せない性分なので、僕は二人の言い争そう現場を、父の死ぬまでいまだかつて目撃した事がなかった。要するに世間から云えば、僕らの宅ほど静かに整のった家庭は滅多に見当らなかったのである。あのくらい他の悪口を露骨にいう松本の叔父でさえ、今だにそう認めて間違ないものと信じ切っている。
母は僕に対して死んだ父を語るごとに、世間の夫のうちで最も完全に近いもののように説明してやまない。これは幾分か僕の腹の底に濁ったまま沈んでいる父の記憶を清めたいための弁護とも思われる。または彼女自身の記憶に時間の布巾をかけてだんだん光沢を出すつもりとも見られる。けれども慈愛に充ちた親としての父を僕に紹介する時には、彼女の態度が全く一変する。平生僕が目のあたりに見ているあの柔和な母が、どうしてこう真面目になれるだろうと驚ろくくらい、厳粛な気象で僕を打ち据える事さえあった。が、それは僕が中学から高等学校へ移る時分の昔である。今はいくら母に強請って同じ話をくり返して貰っても、そんな気高い気分にはとてもなれない。僕の情操はその頃から学校を卒業するまでの間に、近頃の小説に出る主人公のように、まるで荒み果てたのだろう。現代の空気に中毒した自分を呪いたくなると、僕は時々もう一遍で好いから、母の前でああ云う崇高な感じに触れて見たいという望を起すが、同時にその望みがとても遂げられない過去の夢であるという悲しみも湧いて来る。
母の性格は吾々が昔から用い慣れた慈母という言葉で形容さえすれば、それで尽きている。僕から見ると彼女はこの二字のために生れてこの二字のために死ぬと云っても差支ない。まことに気の毒であるが、それでも母は生活の満足をこの一点にのみ集注しているのだから、僕さえ充分の孝行ができれば、これに越した彼女の喜はないのである。が、もしその僕が彼女の意に背く事が多かったら、これほどの不幸はまた彼女に取ってけっしてない訳になる。それを思うと僕は非常に心苦しい事がある。
思い出したからここでちょっと云うが、僕は生れてからの一人息子ではない。子供の時分に妙ちゃんという妹と毎日遊んだ事を覚えている。その妹は大きな模様のある被布を平生着て、人形のように髪を切り下げていた。そうして僕の事を常に市蔵ちゃん市蔵ちゃんと云って、兄さんとはけっして呼ばなかった。この妹は父の亡くなる何年前かに実扶的里亜で死んでしまった。その頃は血清注射がまだ発明されない時分だったので、治療も大変に困難だったのだろう。僕は固より実扶的里亜と云う名前さえ知らなかった。宅へ見舞に来た松本に、御前も実扶的里亜かと調戯われて、うんそうじゃないよ僕軍人だよと答えたのを今だに忘れずにいる。妹が死んでから当分はむずかしい父の顔がだいぶ優しく見えた。母に向って、まことに御前には気の毒な事をしたといった顔がことに穏かだったので、小供ながら、ついその時の言葉まで小さい胸に刻みつけておいた。しかし母がそれに対してどう答えたかは全く知らない。いくら思い出そうとしても思い出せないところをもって見ると、初から覚えなかったのだろう。これほど鋭敏に父を観察する能力を、小供の時から持っていた僕が、母に対する注意に欠けていたのも不思議である。人間が自分よりも余計に他を知りたがる癖のあるものだとすれば、僕の父は母よりもよほど他人らしく僕に見えていたのかも分らない。それを逆に云うと、母は観察に価しないほど僕に親しかったのである。――とにかく妹は死んだ。それからの僕は父に対しても母に対しても一人息子であった。父が死んで以後の今の僕は母に対しての一人息子である。
五
だから僕は母をできるだけ大事にしなければすまない。が、実際は同じ源因がかえって僕をわがままにしている。僕は去年学校を卒業してから今日まで、まだ就職という問題についてただの一日も頭を使った事がない。出た時の成績はむしろ好い方であった。席次を目安に人を採る今の習慣を利用しようと思えば、随分友達を羨ましがらせる位置に坐り込む機会もないではなかった。現に一度はある方面から人選の依託を受けた某教授に呼ばれて意向を聞かれた記憶さえ有っている。それだのに僕は動かなかった。固より自慢でこう云う話をするのではない。真底を打ち明ければむしろ自慢の反対で、全く信念の欠乏から来た引込み思案なのだから不愉快である。が、朝から晩まで気骨を折って、世の中に持て囃されたところで、どこがどうしたんだという横着は、無論断わる時からつけ纏っていた。僕は時めくために生れた男ではないと思う。法律などを修めないで、植物学か天文学でもやったらまだ性に合った仕事が天から授かるかも知れないと思う。僕は世間に対してははなはだ気の弱い癖に、自分に対しては大変辛抱の好い男だからそう思うのである。
こういう僕のわがままをわがままなりに通してくれるものは、云うまでもなく父が遺して行ったわずかばかりの財産である。もしこの財産がなかったら、僕はどんな苦しい思をしても、法学士の肩書を利用して、世間と戦かわなければならないのだと考えると、僕は死んだ父に対して改ためて感謝の念を捧げたくなると同時に、自分のわがままはこの財産のためにやっと存在を許されているのだからよほど腰の坐らないあさはかなものに違ないと推断する。そうしてその犠牲にされている母が一層気の毒になる。
母は昔堅気の教育を受けた婦人の常として、家名を揚げるのが子たるものの第一の務だというような考えを、何より先に抱いている。しかし彼女の家名を揚げるというのは、名誉の意味か、財産の意味か、権力の意味か、または徳望の意味か、そこへ行くと全く何の分別もない。ただ漠然と、一つが頭の上に落ちて来れば、すべてその他が後を追って門前に輻湊するぐらいに思っている。しかし僕はそういう問題について、何事も母に説明してやる勇気がない。説明して聞かせるには、まず僕の見識でもっともと認めた家名の揚げ方をした上でないと、僕にその資格ができないからである。僕はいかなる意味においても家名を揚げ得る男ではない。ただ汚さないだけの見識を頭に入れておくばかりである。そうしてその見識は母に見せて喜こんで貰えるどころか、彼女とはまるでかけ離れた縁のないものなのだから、母も心細いだろう。僕も淋しい。
僕が母にかける心配の数あるうちで、第一に挙げなければならないのは、今話した通りの僕の欠点である。しかしこの欠点を矯めずに母と不足なく暮らして行かれるほど、母は僕を愛していてくれるのだから、ただすまないと思う心を失なわずに、このままで押せば押せない事もないが、このわがままよりももっと鋭どい失望を母に与えそうなので、僕が私かに胸を痛めているのは結婚問題である。結婚問題と云うより僕と千代子を取り巻く周囲の事情と云った方が適当かも知れない。それを説明するには話の順序としてまず千代子の生れない当時に溯ぼる必要がある。その頃の田口はけっして今ほどの幅利でも資産家でもなかった。ただ将来見込のある男だからと云うので、父が母の妹に当るあの叔母を嫁にやるように周旋したのである。田口は固より僕の父を先輩として仰いでいた。なにかにつけて相談もしたり、世話にもなった。両家の間に新らしく成立したこの親しい関係が、月と共に加速度をもって円満に進行しつつある際に千代子が生れた。その時僕の母はどう思ったものか、大きくなったらこの子を市蔵の嫁にくれまいかと田口夫婦に頼んだのだそうである。母の語るところによると、彼らはその折快よく母の頼みを承諾したのだと云う。固より後から百代が生まれる、吾一という男の子もできる、千代子もやろうとすればどこへでもやられるのだが、きっと僕にやらなければならないほど確かに母に受合ったかどうか、そこは僕も知らない。
六
とにかく僕と千代子の間には両方共物心のつかない当時からすでにこういう絆があった。けれどもその絆は僕ら二人を結びつける上においてすこぶる怪しい絆であった。二人は固より天に上る雲雀のごとく自由に生長した。絆を綯った人でさえ確とその端を握っている気ではなかったのだろう。僕は怪しい絆という文字を奇縁という意味でここに使う事のできないのを深く母のために悲しむのである。
母は僕の高等学校に這入った時分それとなく千代子の事を仄めかした。その頃の僕に色気のあったのは無論である。けれども未来の妻という観念はまるで頭に無かった。そんな話に取り合う落ちつきさえ持っていなかった。ことに子供の時からいっしょに遊んだり喧嘩をしたり、ほとんど同じ家に生長したと違わない親しみのある少女は、余り自分に近過ぎるためかはなはだ平凡に見えて、異性に対する普通の刺戟を与えるに足りなかった。これは僕の方ばかりではあるまい、千代子もおそらく同感だろうと思う。その証拠には長い交際の前後を通じて、僕はいまだかつて男として彼女から取り扱かわれた経験を記憶する事ができない。彼女から見た僕は、怒ろうが泣こうが、科をしようが色眼を使おうが、常に変らない従兄に過ぎないのである。もっともこれは幾分か、純粋な気象を受けて生れた彼女の性情からも出るので、そこになるとまた僕ほど彼女を知り抜いているものはないのだが、単にそれだけでああ男女の牆壁が取り除けられる訳のものではあるまい。ただ一度……しかしこれは後で話す方が宜かろうと思う。
母は自分のいう事に耳を借さなかった僕を羞恥家と解釈して、再び時期を待つもののごとくに、この問題を懐に収めた。羞恥は僕といえども否定する勇気がない。しかし千代子に意があるから羞恥んだのだと取った母は、全くの反対を事実と認めたと同じ事である。要するに母は未来に対する準備という考から、僕ら二人をなるべく仲善く育て上げよう育て上げようと力めた結果、男女としての二人をしだいに遠ざからした。そうして自分では知らずにいた。それを知らなければならないようにした僕は全く残酷であった。
その日の事を語るのが僕には実際の苦痛である。母は高等学校時代に匂わした千代子の問題を、僕が大学の二年になるまで、じっと懐に抱いたまま一人で温めていたと見えて、ある晩――春休みの頃の花の咲いたという噂のあったある日の晩――そっと僕の前に出して見せた。その時は僕もだいぶ大人らしくなっていたので、静かにその問題を取り上げて、裏表から鄭寧に吟味する余裕ができていた。母もその時にはただ遠くから匂わせるだけでなくて、自分の希望に正当の形式を与える事を忘れなかった。僕は何心なく従妹は血属だから厭だと答えた。母は千代子の生れた時くれろと頼んでおいたのだから貰ったらいいだろうと云って僕を驚ろかした。なぜそんな事を頼んだのかと聞くと、なぜでも私の好きな子で、御前も嫌うはずがないからだと、赤ん坊には応用の利かないような挨拶をして僕を弱らせた。だんだんそこを押して見ると、しまいに涙ぐんで、実は御前のためではない、全く私のために頼むのだと云う。しかもどうしてそれが母のためになるのか、その理由はいくら聞いても語らない。最後に何でもかでも千代子は厭かと聞かれた。僕は厭でも何でもないと答えた。しかし当人も僕のところへ来る気はなし、田口の叔父も叔母も僕にくれたくはないのだから、そんな事を申し込むのは止した方が好い、先方で迷惑するだけだからと教えた。母は約束だから迷惑しても構わない、また迷惑するはずがないと主張して、昔し田口が父の世話になったり厄介になったりした例を数え挙げた。僕はやむを得ないからこの問題は卒業するまで解決を着けずにおこうと云い出した。母は不安の裏に一縷の望を現わした顔色をして、もう一遍とくと考えて見てくれと頼んだ。
こういう事情で、今まで母一人で懐に抱いていた問題を、その後は僕も抱かなければならなくなった。田口はまた田口流に、同じ問題を孵しつつあるのではなかろうか。たとい千代子をほかへ縁づけるにしても、いざと云う場合には一応こちらの承諾を得る必要があるとすれば、叔父も気がかりに違いない。
七
僕は不安になった。母の顔を見るたびに、彼女を欺むいてその日その日を姑息に送っているような気がしてすまなかった。一頃は思い直してでき得るならば母の希望通り千代子を貰ってやりたいとも考えた。僕はそのためにわざわざ用もない田口の家へ遊びに行ってそれとなく叔父や叔母の様子を見た。彼らは僕の母の肉薄に応ずる準備としてまえもって僕を疎んずるような素振を口にも挙動にもけっして示さなかった。彼らはそれほど浅薄なまた不親切な人間ではなかったのである。けれども彼らの娘の未来の夫として、僕が彼らの眼にいかに憐れむべく映じていたかは、遠き前から僕の見抜いていたところと、ちっとも変化を来さないばかりか、近頃になってますますその傾が著るしくなるように思われた。彼らは第一に僕の弱々しい体格と僕の蒼白い顔色とを婿として肯がわないつもりらしかった。もっとも僕は神経の鋭どく動く性質だから、物を誇大に考え過したり、要らぬ僻みを起して見たりする弊がよくあるので、自分の胸に収めた委しい叔父叔母の観察を遠慮なくここに述べる非礼は憚かりたい。ただ一言で云うと、彼らはその当時千代子を僕の嫁にしようと明言したのだろう。少なくともやってもいいぐらいには考えていたのだろう。が、その後彼らの社会に占め得た地位と、彼らとは背中合せに進んで行く僕の性格が、二重に実行の便宜を奪って、ただ惚けかかった空しい義理の抜殻を、彼らの頭のどこかに置き去りにして行ったと思えば差支ないのである。
僕と彼らとはあらゆる人の結婚問題についても多くを語る機会を持たなかった。ただある時叔母と僕との間にこんな会話が取り換わされた。
「市さんももうそろそろ奥さんを探さなくっちゃなりませんね。姉さんはとうから心配しているようですよ」
「好いのがあったら母に知らしてやって下さい」
「市さんにはおとなしくって優しい、親切な看護婦みたような女がいいでしょう」
「看護婦みたような嫁はないかって探しても、誰も来手はあるまいな」
僕が苦笑しながら、自ら嘲けるごとくこう云った時、今まで向うの隅で何かしていた千代子が、不意に首を上げた。
「あたし行って上げましょうか」
僕は彼女の眼を深く見た。彼女も僕の顔を見た。けれども両方共そこに意味のある何物をも認めなかった。叔母は千代子の方を振り向きもしなかった。そうして、「御前のようなむきだしのがらがらした者が、何で市さんの気に入るものかね」と云った。僕は低い叔母の声のうちに、窘なめるようなまた怖れるような一種の響を聞いた。千代子はただからからと面白そうに笑っただけであった。その時百代子も傍にいた。これは姉の言葉を聞いて微笑しながら席を立った。形式を具えない断りを云われたと解釈した僕はしばらくしてまた席を立った。
この事件後僕は同じ問題に関して母の満足を買うための努力をますます屑よしとしなくなった。自尊心の強い父の子として、僕の神経はこういう点において自分でも驚ろくくらい過敏なのである。もちろん僕はその折の叔母に対してけっして感情を害しはしなかった。こっちからまだ正式の申し込みを受けていない叔母としては、ああよりほかに意向の洩らし方も無かったのだろうと思う。千代子に至っては何を云おうが笑おうが、いつでも蟠まりのない彼女の胸の中を、そのまま外に表わしたに過ぎないと考えていた。僕はその時の千代子の言葉や様子から察して、彼女が僕のところへ来たがっていない事だけは、従前通りたしかに認めたが、同時に、もし差し向いで僕の母にしんみり話し込まれでもしたら、ええそういう訳なら御嫁に来て上げましょうと、その場ですぐ承知しないとも限るまいと思って、私かに掛念を抱いたくらいである。彼女はそう云う時に、平気で自分の利害や親の意思を犠牲に供し得る極めて純粋の女だと僕は常から信じていたからである。
八
意地の強い僕は母を嬉しがらせるよりもなるべく自我を傷けないようにと祈った。その結果千代子が僕の知らない間に、母から説き落されてはと掛念して、暗にそれを防ぐ分別をした。母は彼女の生れ落ちた当初すでに僕の嫁ときめただけあって、多くある姪や甥の中で、取り分け千代子を可愛がった。千代子も子供の時分から僕の家を生家のごとく心得て遠慮なく寝泊りに来た。その縁故で、田口と僕の家が昔に比べると比較的疎くなった今日でも、千代子だけは叔母さん叔母さんと云って、生の親にでも逢いに来るような朗らかな顔をして、しげしげ出入をしていた。単純な彼女は、自分の身を的に時々起る縁談をさえ、隠すところなく母に打ち明けた。人の好い母はまたそれを素直に聞いてやるだけで、恨めしい眼つき一つも見せ得なかった。僕の恐れる懇談は、こういう関係の深い二人の間に、いつ起らないとも限らなかったのである。
僕の分別というのはまずこの点に関して、当分母の口を塞いでおこうとする用心に過ぎなかった。ところがいざ改たまって母にそれを切り出そうとすると、ただ自分の我を通すために、弱い親の自由を奪うのは残酷な子に違ないという心持が、どこにか萌すので、ついそれなりにしてやめる事が多かった。もっとも年寄の眉を曇らすのがただ情ないばかりでやめたとも云われない。これほど親しい間柄でさえ今まで思い切ったところを千代子に打ち明け得なかった母の事だから、たといこのままにしておいても、まあ当分は大丈夫だろうという考が、母に対する僕を多少抑えたのである。
それで僕は千代子に関して何という明瞭な所置も取らずに過ぎた。もっともこういう不安な状態で日を送った時期にも、まるで田口の家と打絶えた訳ではなかったので、会には単に母の喜こぶ顔を見るだけの目的をもって内幸町まで電車を利用した覚さえあったのである。そういうある日の晩、僕は久しぶりに千代子から、習い立ての珍らしい手料理を御馳走するからと引止められて、夕飯の膳についた。いつも留守がちな叔父がその日はちょうど内にいて、食事中例の気作な話をし続けにしたため、若い人の陽気な笑い声が障子に響くくらい家の中が賑わった。飯が済んだ後で、叔父はどういう考か、突然僕に「市さん久しぶりに一局やろうか」と云い出した。僕はさほど気が進まなかったけれどもせっかくだから、やりましょうと答えて、叔父と共に別室へ退いた。二人はそこで二三番打った。固より下手と下手の勝負なので、時間のかかるはずもなく、碁石を片づけてもまだそれほど遅くはならなかった。二人は煙草を呑みながらまた話を始めた。その時僕は適当な機会を利用してわざと叔父に「千代子さんの縁談はまだ纏まりませんか」と聞いた。それは固より僕が千代子に対して他意のないという事を示すためであった。がまた一方では、一日も早くこの問題の解決が着けば、自分も安心だし、千代子も幸福だと考えたからである。すると叔父はさすがに男だけあって、何の躊躇もなくこう云った。――
「いやまだなかなかそう行きそうもない。だんだんそんな話を持って来てくれるものはあるが、何しろむずかしくって弱る。その上調べれば調べるほど面倒になるだけだし、まあ大抵のところで纏まるなら纏めてしまおうかと思ってる。――縁談なんてものは妙なものでね。今だから御前に話すが、実は千代子の生れたとき、御前の御母さんが、これを市蔵の嫁に欲しいってね――生れ立ての赤ん坊をだよ」
叔父はこの時笑いながら僕の顔を見た。
「母は本気でそう云ったんだそうです」
「本気さ。姉さんはまた正直な人だからね。実に好い人だ。今でも時々真面目になって叔母さんにその話をするそうだ」
叔父は再び大きな声を出して笑った。僕ははたして叔父がこう軽くこの事件を解釈しているなら、母のために少し弁じてやろうかと考えた。が、もしこれが世慣れた人の巧妙な覚らせぶりだとすれば、一口でも云うだけが愚だと思い直して黙った。叔父は親切な人でまた世慣れた人である。彼のこの時の言葉はどちらの眼で見ていいのか、僕には今もって解らない。ただ僕がその時以来千代子を貰わない方へいよいよ傾いたのは事実である。
九
それから二カ月ばかりの間僕は田口の家へ近寄らなかった。母さえ心配しなければ、それぎり内幸町へは足を向けずにすましたかも知れなかった。たとい母が心配するにしても、単に彼女に対する掛念だけが問題なら、あるいは僕の気随をいざという極点まで押し通したかも知れなかった。僕はそんな[#「そんな」は底本では「そんに」]風に生みつけられた男なのである。ところが二カ月の末になって、僕は突然自分の片意地を翻がえさなければ不利だという事に気がついた。実を云うと、僕と田口と疎遠になればなるほど、母はあらゆる機会を求めて、ますます千代子と接触するように力め出したのである。そうしていつなんどき僕の最も恐れる直接の談判を、千代子に向って開かないとも限らないように、漸々形勢を切迫させて来たのである。僕は思い切って、この危機を一帳場先へ繰り越そうとした。そうしてその決心と共にまた田口の敷居を跨ぎ出した。
彼らの僕を遇する態度に固より変りはなかった。僕の彼らに対する様子もまた二カ月前の通りであった。僕と彼らとは故のごとく笑ったり、ふざけたり、揚足の取りっくらをしたりした。要するに僕の田口で費やした時間は、騒がしいくらい陽気であった。本当のところをいうと、僕には少し陽気過ぎたのである。したがって腹の中が常に空虚な努力に疲れていた。鋭どい眼で注意したら、どこかに偽の影が射して、本来の自分を醜く彩っていたろうと思う。そのうちで自分の気分と自分の言葉が、半紙の裏表のようにぴたりと合った愉快を感じた覚がただ一遍ある。それは家例として年に一度か二度田口の家族が揃って遊びに出る日の出来事であった。僕は知らずに奥へ通って、千代子一人が閑静に坐っているのを見て驚ろいた。彼女は風邪を引いたと見えて、咽喉に湿布をしていた。常にも似ない蒼い顔色も淋しく思われた。微笑しながら、「今日はあたし御留守居よ」と云った時、僕は始めて皆出払った事に気がついた。
その日彼女は病気のせいかいつもよりしんみり落ちついていた。僕の顔さえ見ると、きっと冷かし文句を並べて、どうしても悪口の云い合いを挑まなければやまない彼女が、一人ぼっちで妙に沈んでいる姿を見たとき、僕はふと可憐な心を起した。それで席に着くや否や、優しい慰藉の言葉を口から出す気もなく自から出した。すると千代子は一種変な表情をして、「あなた今日は大変優しいわね。奥さんを貰ったらそういう風に優しくしてあげなくっちゃいけないわね」と云った。遠慮がなくて親しみだけ持っていた僕は、今まで千代子に対していくら無愛嬌に振舞っても差支ないものと暗に自から許していたのだという事にこの時始めて気がついた。そうして千代子の眼の中にどこか嬉しそうな色の微かながら漂ようのを認めて、自分が悪かったと後悔した。
二人はほとんどいっしょに生長したと同じような自分達の過去を振り返った。昔の記憶を語る言葉が互の唇から当時を蘇生らせる便として洩れた。僕は千代子の記憶が、僕よりも遥かに勝れて、細かいところまで鮮やかに行き渡っているのに驚ろいた。彼女は今から四年前、僕が玄関に立ったまま袴の綻を彼女に縫わせた事まで覚えていた。その時彼女の使ったのは木綿糸でなくて絹糸であった事も知っていた。
「あたしあなたの描いてくれた画をまだ持っててよ」
なるほどそう云われて見ると、千代子に画を描いてやった覚があった。けれどもそれは彼女が十二三の時の事で、自分が田口に買って貰った絵具と紙を僕の前へ押しつけて無理矢理に描かせたものである。僕の画道における嗜好は、それから以後今日に至るまで、ついぞ画筆を握った試しがないのでも分るのだから、赤や緑の単純な刺戟が、一通り彼女の眼に映ってしまえば、興味はそこに尽きなければならないはずのものであった。それを保存していると聞いた僕は迷惑そうに苦笑せざるを得なかった。
「見せて上げましょうか」
僕は見ないでもいいと断った。彼女は構わず立ち上がって、自分の室から僕の画を納めた手文庫を持って来た。
十
千代子はその中から僕の描いた画を五六枚出して見せた。それは赤い椿だの、紫の東菊だの、色変りのダリヤだので、いずれも単純な花卉の写生に過ぎなかったが、要らない所にわざと手を掛けて、時間の浪費を厭わずに、細かく綺麗に塗り上げた手際は、今の僕から見るとほとんど驚ろくべきものであった。僕はこれほど綿密であった自分の昔に感服した。
「あなたそれを描いて下すった時分は、今よりよっぽど親切だったわね」
千代子は突然こう云った。僕にはその意味がまるで分らなかった。画から眼を上げて、彼女の顔を見ると、彼女も黒い大きな瞳を僕の上にじっと据えていた。僕はどういう訳でそんな事を云うのかと尋ねた。彼女はそれでも答えずに僕の顔を見つめていた。やがていつもより小さな声で「でも近頃頼んだって、そんなに精出して描いては下さらないでしょう」と云った。僕は描くとも描かないとも答えられなかった。ただ腹の中で、彼女の言葉をもっともだと首肯った。
「それでもよくこんな物を丹念にしまっておくね」
「あたし御嫁に行く時も持ってくつもりよ」
僕はこの言葉を聞いて変に悲しくなった。そうしてその悲しい気分が、すぐ千代子の胸に応えそうなのがなお恐ろしかった。僕はその刹那すでに涙の溢れそうな黒い大きな眼を自分の前に想像したのである。
「そんな下らないものは持って行かないがいいよ」
「いいわ、持って行ったって、あたしのだから」
彼女はこう云いつつ、赤い椿や紫の東菊を重ねて、また文庫の中へしまった。僕は自分の気分を変えるためわざと彼女にいつごろ嫁に行くつもりかと聞いた。彼女はもう直に行くのだと答えた。
「しかしまだきまった訳じゃないんだろう」
「いいえ、もうきまったの」
彼女は明らかに答えた。今まで自分の安心を得る最後の手段として、一日も早く彼女の縁談が纏まれば好いがと念じていた僕の心臓は、この答と共にどきんと音のする浪を打った。そうして毛穴から這い出すような膏汗が、背中と腋の下を不意に襲った。千代子は文庫を抱いて立ち上った。障子を開けるとき、上から僕を見下して、「嘘よ」と一口判切云い切ったまま、自分の室の方へ出て行った。
僕は動く考もなく故の席に坐っていた。僕の胸には忌々しい何物も宿らなかった。千代子の嫁に行く行かないが、僕にどう影響するかを、この時始めて実際に自覚する事のできた僕は、それを自覚させてくれた彼女の翻弄に対して感謝した。僕は今まで気がつかずに彼女を愛していたのかも知れなかった。あるいは彼女が気がつかないうちに僕を愛していたのかも知れなかった。――僕は自分という正体が、それほど解り悪い怖いものなのだろうかと考えて、しばらく茫然としていた。するとあちらの方で電話がちりんちりんと鳴った。千代子が縁伝いに急ぎ足でやって来て、僕にいっしょに電話をかけてくれと頼んだ。僕にはいっしょにかけるという意味が呑み込めなかったが、すぐ立って彼女と共に電話口へ行った。
「もう呼び出してあるのよ。あたし声が嗄れて、咽喉が痛くって話ができないからあなた代理をしてちょうだい。聞く方はあたしが聞くから」
僕は相手の名前も分らない、また向うの話の通じない電話をかけるべく、前屈みになって用意をした。千代子はすでに受話器を耳にあてていた。それを通して彼女の頭へ送られる言葉は、独り彼女が占有するだけなので、僕はただ彼女の小声でいう挨拶を大きくして訳も解らず先方へ取次ぐに過ぎなかった。それでも始の内は滑稽も構わず暇がかかるのも厭わず平気でやっていたが、しだいに僕の好奇心を挑発するような返事や質問が千代子の口から出て来るので、僕は曲んだまま、おいちょいとそれを御貸と声をかけて左手を真直に千代子の方へ差し伸べた。千代子は笑いながら否々をして見せた。僕はさらに姿勢を正しくして、受話器を彼女の手から奪おうとした。彼女はけっしてそれを離さなかった。取ろうとする取らせまいとする争が二人の間に起った時、彼女は手早く電話を切った。そうして大きな声をあげて笑い出した。――
十一
こういう光景がもし今より一年前に起ったならと僕はその後何遍もくり返しくり返し思った。そう思うたびに、もう遅過ぎる、時機はすでに去ったと運命から宣告されるような気がした。今からでもこういう光景を二度三度と重ねる機会は捉まえられるではないかと、同じ運命が暗に僕を唆のかす日もあった。なるほど二人の情愛を互いに反射させ合うためにのみ眼の光を使う手段を憚からなかったなら、千代子と僕とはその日を基点として出立しても、今頃は人間の利害で割く事のできない愛に陥っていたかも知れない。ただ僕はそれと反対の方針を取ったのである。
田口夫婦の意向や僕の母の希望は、他人の入智慧同様に意味の少ないものとして、単に彼女と僕を裸にした生れつきだけを比較すると、僕らはとてもいっしょになる見込のないものと僕は平生から信じていた。これはなぜと聞かれても満足の行くように答弁ができないかも知れない。僕は人に説明するためにそう信じているのでないから。僕はかつて文学好のある友達からダヌンチオと一少女の話を聞いた事がある。ダヌンチオというのは今の以太利で一番有名な小説家だそうだから、僕の友達の主意は無論彼の勢力を僕に紹介するつもりだったのだろうが、僕にはそこへ引合に出された少女の方が彼よりも遥かに興味が多かった。その話はこうである。――
ある時ダヌンチオが招待を受けてある会合の席へ出た。文学者を国家の装飾のようにもてはやす西洋の事だから、ダヌンチオはその席に群がるすべての人から多大の尊敬と愛嬌をもって偉人のごとく取扱かわれた。彼が満堂の注意を一身に集めて、衆人の間をあちこち徘徊しているうち、どういう機会か自分の手巾を足の下へ落した。混雑の際と見えて、彼は固より、傍のものもいっこうそれに気がつかずにいた。するとまだ年の若い美くしい女が一人その手巾を床の上から取り上げて、ダヌンチオの前へ持って来た。彼女はそれをダヌンチオに渡すつもりで、これはあなたのでしょうと聞いた。ダヌンチオはありがとうと答えたが、女の美くしい器量に対してちょっと愛嬌が必要になったと見えて、「あなたのにして持っていらっしゃい、進上しますから」とあたかも少女の喜びを予想したような事を云った。女は一口の答もせず黙ってその手巾を指先でつまんだまま暖炉の傍まで行っていきなりそれを火の中へ投げ込んだ。ダヌンチオは別にしてその他の席に居合せたものはことごとく微笑を洩らした。
僕はこの話を聞いた時、年の若い茶褐色の髪毛を有った以太利生れの美人を思い浮べるよりも、その代りとしてすぐ千代子の眼と眉を想像した。そうしてそれがもし千代子でなくって妹の百代子であったなら、たとい腹の中はどうあろうとも、その場は礼を云って快よく手巾を貰い受けたに違いあるまいと思った。ただ千代子にはそれができないのである。
口の悪い松本の叔父はこの姉妹に渾名をつけて常に大蝦蟆と小蝦蟆と呼んでいる。二人の口が唇の薄い割に長過ぎるところが銀貨入れの蟇口だと云っては常に二人を笑わせたり怒らせたりする。これは性質に関係のない顔形の話であるが、同じ叔父が口癖のようにこの姉妹を評して、小蟇はおとなしくって好いが、大蟇は少し猛烈過ぎると云うのを聞くたびに、僕はあの叔父がどう千代子を観察しているのだろうと考えて、必ず彼の眼識に疑を挟さみたくなる。千代子の言語なり挙動なりが時に猛烈に見えるのは、彼女が女らしくない粗野なところを内に蔵しているからではなくって、余り女らしい優しい感情に前後を忘れて自分を投げかけるからだと僕は固く信じて疑がわないのである。彼女の有っている善悪是非の分別はほとんど学問や経験と独立している。ただ直覚的に相手を目当に燃え出すだけである。それだから相手は時によると稲妻に打たれたような思いをする。当りの強く烈しく来るのは、彼女の胸から純粋な塊まりが一度に多量に飛んで出るという意味で、刺だの毒だの腐蝕剤だのを吹きかけたり浴びせかけたりするのとはまるで訳が違う。その証拠にはたといどれほど烈しく怒られても、僕は彼女から清いもので自分の腸を洗われたような気持のした場合が今までに何遍もあった。気高いものに出会ったという感じさえ稀には起したくらいである。僕は天下の前にただ一人立って、彼女はあらゆる女のうちでもっとも女らしい女だと弁護したいくらいに思っている。
十二
これほど好く思っている千代子を妻としてどこが不都合なのか。――実は僕も自分で自分の胸にこう聞いた事がある。その時理由も何もまだ考えない先に、僕はまず恐ろしくなった。そうして夫婦としての二人を長く眼前に想像するにたえなかった。こんな事を母に云ったら定めし驚ろくだろう、同年輩の友達に話してもあるいは通じないかも知れない。けれども強いて沈黙のなかに記憶を埋める必要もないから、それを自分だけの感想に止めないでここに自白するが、一口に云うと、千代子は恐ろしい事を知らない女なのである。そうして僕は恐ろしい事だけ知った男なのである。だからただ釣り合わないばかりでなく、夫婦となればまさに逆にでき上るよりほかに仕方がないのである。
僕は常に考えている。「純粋な感情ほど美くしいものはない。美くしいものほど強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪えられないだろう。その光は必ずしも怒を示すとは限らない。情の光でも、愛の光でも、もしくは渇仰の光でも同じ事である。僕はきっとその光のために射竦められるにきまっている。それと同程度あるいはより以上の輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。僕は芳烈な一樽の清酒を貰っても、それを味わい尽くす資格を持たない下戸として、今日まで世間から教育されて来たのである。
千代子が僕のところへ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦の感情を、あるに任せて惜気もなく夫の上に注ぎ込む代りに、それを受け入れる夫が、彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年のいかない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評して然るべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼で指す事のできる権力か財力を攫まなくっては男子でないと考えている。単純な彼女は、たとい僕のところへ嫁に来ても、やはりそう云う働きぶりを僕から要求し、また要求さえすれば僕にできるものとのみ思いつめている。二人の間に横たわる根本的の不幸はここに存在すると云っても差支ないのである。僕は今云った通り、妻としての彼女の美くしい感情を、そう多量に受け入れる事のできない至って燻ぶった性質なのだが、よし焼石に水を濺いだ時のように、それをことごとく吸い込んだところで、彼女の望み通りに利用する訳にはとても行かない。もし純粋な彼女の影響が僕のどこかに表われるとすれば、それはいくら説明しても彼女には全く分らないところに、思いも寄らぬ形となって発現するだけである。万一彼女の眼にとまっても、彼女はそれをコスメチックで塗り堅めた僕の頭や羽二重の足袋で包んだ僕の足よりもありがたがらないだろう。要するに彼女から云えば、美くしいものを僕の上に永久浪費して、しだいしだいに結婚の不幸を嘆くに過ぎないのである。
僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。しまいにはそれが自分の作った言葉でなくって、西洋人の小説にそのまま出ているような気を起す。この間講釈好きの松本の叔父から、詩と哲学の区別を聞かされて以来は、恐れない女と恐れる男というと、たちまち自分に縁の遠い詩と哲学を想い出す。叔父は素人学問ながらこんな方面に興味を有っているだけに、面白い事をいろいろ話して聞かしたが、僕を捕まえて「御前のような感情家は」と暗に詩人らしく僕を評したのは間違っている。僕に云わせると、恐れないのが詩人の特色で、恐れるのが哲人の運命である。僕の思い切った事のできずにぐずぐずしているのは、何より先に結果を考えて取越苦労をするからである。千代子が風のごとく自由に振舞うのは、先の見えないほど強い感情が一度に胸に湧き出るからである。彼女は僕の知っている人間のうちで、最も恐れない一人である。だから恐れる僕を軽蔑するのである。僕はまた感情という自分の重みでけつまずきそうな彼女を、運命のアイロニーを解せざる詩人として深く憐れむのである。否時によると彼女のために戦慄するのである。