彼岸過迄 夏目漱石

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 八
 
 若葉の時節が過ぎて、湯上ゆあがりの単衣ひとえの胸に、団扇うちわの風を入れたく思うある日、市蔵がまたふらりとやって来た。彼の顔を見るやいなや僕が第一にかけた言葉は、試験はどうだったいという一語であった。彼は昨日きのうようやくすんだと答えた。そうして明日あすからちょっと旅行して来るつもりだから暇乞いとまごいに来たと告げた。僕は成績もまだ分らないのに、遠く走る彼の心理状態を疑ってまた多少の不安を感じた。彼は京都附近から須磨すま明石あかしを経て、ことにると、広島へんまで行きたいという希望を述べた。僕はその旅行の比較的大袈裟おおげさなのに驚ろいた。及第とさえきまっていればそれでも好かろうがと間接に不賛成の意をほのめかして見ると、彼は試験の結果などには存外冷淡な挨拶あいさつをした。そんな事に気をつかう叔父さんこそ平生にも似合わしからんじゃありませんかと云って、ほとんど相手にならなかった。話しているうちに、僕は彼の思いたちが及落の成績に関係のない別方面の動機からきざしているという事を発見した。
「実はあの事件以来妙に頭を使うので、近頃では落ちついて書斎にすわっている事が困難になりましてね。どうしても旅行が必要なんですから、まあ試験を中途でめなかったのが感心だぐらいにめて許して下さい」
「そりゃ御前の金で御前の行きたい所へ行くのだから少しも差支さしつかえはないさ。考えて見れば少しは飛び歩いて気を換えるのも好かろう。行って来るがいい」
「ええ」と云って市蔵はやや満足らしい顔をしたが、「実は大きな声で話すのも気の毒でもったいないんですが、叔父さんにあの話を聞いてから以後は、母の顔を見るたんびに、変な心持になってたまらないんです」とつけ足した。
「不愉快になるのか」と僕はむしろおごそかに聞いた。
「いいえ、ただ気の毒なんです。始めはさびしくって仕方がなかったのが、だんだんだんだん気の毒に変化して来たのです。実はここだけの話ですけれども、近頃では母の顔を朝夕見るのが苦痛なんです。今度こんだの旅行だって、かねてから卒業したら母に京大阪と宮島を見物させてやりたいと思っていたのだから、昔の僕ならともをする気で留守るすを叔父さんにでも頼みに出かけて来るところなんですが、今云ったような訳で、関係がまるで逆になったもんだから、少しでも母のそばを離れたらという気ばかりして」
「困るね、そう変になっちゃあ」
「僕は離れたらまたきっと母が恋しくなるだろうと思うんですが、どうでしょう。そううまくはいかないもんでしょうか」
 市蔵はさも懸念けねんらしくこういう問をかけた。彼より経験に富んだ年長者をもって自任する僕にも、この点に関する彼の未来はほとんど想像できなかった。僕はただ自分に信念がなくって、わが心の事をひとに尋ねて安心したいと願う彼の胸のうちあわれに思った。上部うわべはいかにも優しそうに見えて、実際はきわめて意地の強くでき上った彼が、こんな弱いを出すのは、ほとんどためしのない事だったからである。僕は僕の力の及ぶ限り彼の心に保証を与えた。
「そんな心配はするだけ損だよ。おれが受合ってやる。大丈夫だから遊んで来るがい。御前の御母さんはおれの姉だ。しかもおれよりも学問をしないだけに、よほど純良にできている、誰からも敬愛されべき婦人だ。あの姉と君のような情愛のある子がどうして離れっ切りに離れられるものか。大丈夫だから安心するが好い」
 市蔵は僕の言葉を聞いて実際安心したらしく見えた。僕もやや安心した。けれども一方では、このくらい根のない慰藉いしゃの言葉が、明晰めいせきな頭脳をった市蔵に、これほどの影響を与えたとすれば、それは彼の神経がどこか調子を失なっているためではなかろうかという疑も起った。僕は突然極端の出来事を予想して、一人身の旅行を危ぶみ始めた。
「おれもいっしょに行こうか」
「叔父さんといっしょじゃ」と市蔵が苦笑した。
「いけないかい」
平生ふだんならこっちから誘っても行って貰いたいんだが、何しろいつどこへ立つんだか分らない、云わば気の向きしだい予定の狂う旅行だから御気の毒でね。それに僕の方でもあなたがいると束縛があって面白くないから……」
「じゃそう」と僕はすぐ申し出を撤回した。
 
 
 
 
 
 
 
 九
 
 市蔵が帰ったあとでも、しばらくは彼の事が変に気にかかった。暗い秘密を彼の頭に判で押した以上、それから出る一切の責任は、当然僕が背負しょって立たなければならない気がしたからである。僕は姉に会って、彼女の様子を見もし、また市蔵の近況を聞きもしたくなった。茶の間にいたさいを呼んで、相談かたがた理由わけを話すと、存外物に驚ろかない妻は、あなたがあんまり余計なおしゃべりをなさるからですよと云って、始めはほとんど取り合わなかったが、しまいに、なんでいっさんに間違があるもんですか、市さんは年こそ若いが、あなたよりよっぽど分別のある人ですものと、ひとりで受合っていた。
「すると市蔵の方で、かえっておれの事を心配している訳になるんだね」
「そうですとも、誰だってあなたの懐手ふところでばかりして、舶来のパイプをくわえているところを見れば、心配になりますわ」
 そのうち子供が学校から帰って来て、うちの中が急ににぎやかになったので、市蔵の事はつい忘れたぎり、夕方までとうとう思い出す暇がなかった。そこへ姉が自分の方から突然尋ねて来た時は、僕も覚えずひやりとした。
 姉はいつもの通り、家族の集まっている真中に坐って、無沙汰ぶさたわびやら、時候の挨拶あいさつやらを長々しくさいと交換していた。僕もそこに座を占めたまま動く機会を失った。
「市蔵が明日あすから旅行するって云うじゃありませんか」と僕は好い加減な時分に聞き出した。
「それについてね……」と姉はやや真面目まじめになって僕の顔を見た。僕は姉の言葉を皆まで聞かずに、「なに行きたいなら行かしておやんなさい。試験で頭をさんざん使ったあとだもの。少しは楽もさせないと身体からだの毒になるから」とあたかも市蔵の行動を弁護するように云った。姉はもとより同じ意見だと答えた。ただ彼の健康状態が旅行にえるかどうかを気遣きづかうだけだと告げた。最後に僕の見るところでは大丈夫なのかと聞いた。僕は大丈夫だと答えた。妻も大丈夫だと答えた。姉は安心というよりも、むしろ物足りない顔をした。僕は姉の使う健康という言葉が、身体に関係のない精神上の意味をっているに違ないと考えて、腹の中で一種の苦痛を感じた。姉は僕の顔つきから直覚的に影響を受けたらしい心細さを額にきざんで、「つねさん、先刻さっき市蔵がこちらへ上った時、何か様子の変ったところでもありゃしませんでしたかい」と聞いた。
「何そんな事があるもんですか。やっぱり普通の市蔵でさあ。ねえ御仙おせん
「ええちっとも違っておいでじゃありません」
「わたしもそうかと思うけれども、何だかこの間から調子が変でね」
「どんななんです」
「どんなだと云われるとまた話しようもないんだが」
「全く試験のためだよ」と僕はすぐ打ち消した。
「姉さんの神経きでんですよ」と妻も口を出した。
 僕らは夫婦して姉を慰さめた。姉はしまいにやや納得なっとくしたらしい顔つきをして、みんなと夕食ゆうめしを共にするまで話し込んだ。帰る時には散歩がてら、子供を連れて電車まで見送ったが、それでも気がすまないので、子供を先へ返して、断わる姉のそばに席を取ったなり、とうとう彼女の家まで来た。
 僕は幸い二階にいた市蔵を姉の前に呼び出した。御母さんが御前の事を大層心配してわざわざ矢来やらいまで来たから、今おれがいろいろに云ってようやく安心させたところだと告げた。したがって旅行に出すのは、つまり僕の責任なんだから、なるべく年寄に心配をかけないように、着いたら着いた所から、立つなら立つ所から、また逗留とうりゅうするなら逗留する所から、必ず音信たよりおこたらないようにして、いつでも用ができしだいこっちから呼び返す事のできる注意をしたら好かろうと云った。市蔵はそのくらいの面倒なら僕に注意されるまでもなくすでに心得ていると答えて、彼の母の顔を見ながら微笑した。
 僕はこれで幾分か姉の心を柔らげ得たものと信じて十一時頃また電車で矢来へ帰って来た。
 僕をむかえに玄関に出た妻は、待ちかねたように、どうでしたと尋ねた。僕はまあ安心だろうよと答えた。実際僕は安心したような心持だったのである。で、あくる日は新橋へ見送りにも行かなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 十
 
 約束の音信たよりは至る所からあった。勘定かんじょうすると大抵日に一本ぐらいの割になっている。その代り多くは旅先の画端書えはがきに二三行の文句を書き込んだ簡略なものに過ぎなかった。僕はその端書が着くたびに、まず安心したという顔つきをして、さいからよく笑われた。一度僕がこの様子なら大丈夫らしいね、どうも御前の予言の方が適中したらしいと云った時、妻は愛想あいそもなく、当り前ですわ、三面記事や小説見たような事が、滅多めったにあってたまるもんですかと答えた。僕の妻は小説と三面記事とを同じ物のごとく見傚みなす女であった。そうして両方ともうそと信じて疑わないほど浪漫斯ロマンスに縁の遠い女であった。
 端書に満足した僕は、彼の封筒入の書翰しょかんに接し出した時さらにまゆを開いた。というのは、僕の恐れをいだいていた彼の手が、陰欝いんうつな色に巻紙を染めた痕迹こんせきが、そのどこにも見出せなかったからである。彼の状袋の中に巻き納めた文句が、彼の端書よりもいかにあざやかに、彼の変化した気分を示しているかは、実際それを読んで見ないと分らない。ここに二三通取ってある。
 彼の気分を変化するにあずかって効力のあったものは京都の空気だの宇治の水だのいろいろある中に、上方かみがた地方の人の使う言葉が、東京に育った彼に取っては最も興味の多い刺戟しげきになったらしい。何遍もあの辺を通過した経験のあるものから云うと馬鹿げているが、市蔵の当時の神経にはああ云うなめらかで静かな調子が、鎮経剤ちんけいざい以上に優しい影響を与え得たのではなかろうかと思う。なに若い女の? それは知らない。無論若い女の口から出れば効目ききめが多いだろう。市蔵も若い男の事だから、求めてそう云う所へ近づいたかも知れない。しかしここに書いてあるのは、不思議に御婆さんの例である。――
「僕はこの辺の人の言葉を聞くとかすかな酔に身を任せたような気分になります。ある人はべたついていやだと云いますが、僕はまるで反対です。厭なのは東京の言葉です。むやみに角度の多い金米糖こんぺいとうのような調子を得意になって出します。そうして聴手ききての心を粗暴にして威張ります。僕は昨日きのう京都から大阪へ来ました。今日朝日新聞にいる友達を尋ねたら、その友人が箕面みのおという紅葉もみじの名所へ案内してくれました。時節が時節ですから、紅葉は無論見られませんでしたが、渓川たにがわがあって、山があって、山の行き当りに滝があって、大変好い所でした。友人は僕を休ませるために社の倶楽部クラブとかいう二階建の建物の中へ案内しました。そこへ這入はいって見ると、幅の広い長い土間が、たてに家の間口を貫ぬいていました。そうしてそれがことごとく敷瓦しきがわらで敷きつめられている模様が、何だか支那の御寺へでも行ったような沈んだ心持を僕に与えました。この家は何でも誰かが始め別荘にこしらえたのを、朝日新聞で買い取って倶楽部用にしたのだとか聞きましたが、よし別荘にせよ、かわらを畳んで出来ている、この広々とした土間は何のためでしょう。僕はあまり妙だから友人に尋ねて見ました。ところが友人は知らんと云いました。もっともこれはどうでも構わない事です。ただ叔父さんがこう云う事に明らかだから、あるいは知っておいでかも知れないと思って、ちょっと蛇足だそくに書き添えただけです。僕の御報知したいのは実はこの広い土間ではなかったのです。土間の上に下りていた御婆おばあさんが問題だったのです。御婆さんは二人いました。一人は立って、一人は椅子いすに腰をかけていました。ただし両方ともくりくり坊主です。その立っている方が、僕らが這入はいるやいなや、友人の顔を見て挨拶あいさつをしました。そうして『おや御免ごめんやす。今八十六の御婆さんの頭をっとるところだすよって。――御婆さんじっとしていなはれや、もう少しだけれ。――よう剃ったけれ毛は一本もありゃせんよって、何も恐ろしい事ありゃへん』と云いました。椅子に腰をかけた御婆さんは頭をでて『大きに』と礼を述べました。友人は僕をかえりみて野趣があると笑いました。僕も笑いました。ただ笑っただけではありません。百年も昔の人に生れたような暢気のんびりした心持がしました。僕はこういう心持を御土産おみやげに東京へ持って帰りたいと思います」
 僕も市蔵がこういう心持を、姉へ御土産として持って来てくれればいいがと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 十一
 
 次のは明石あかしから来たもので、前に比べると多少複雑なだけに、市蔵の性格をよりあざやかに現わしている。
「今夜ここに来ました。月が出て庭は明らかですが、僕の部屋は影になってかえって暗い心持がします。飯を食って煙草たばこを呑んで海の方をながめていると、――海はつい庭先にあるのです。さざなみさえ打たない静かな晩だから、河縁かわべりとも池のはたとも片のつかないなぎさ景色けしきなんですが、そこへ涼み船が一そう流れて来ました。その船の形好かっこうは夜でよく分らなかったけれども、幅の広い底の平たい、どうしても海に浮ぶものとは思えないおだやかな形をそなえていました。屋根は確かあったように覚えます。その軒から画の具で染めた提灯ちょうちんがいくつもぶら下がっていました。薄い光の奥には無論人がすわっているようでした。三味線の音も聞こえました。けれども惣体そうたいがいかにも落ちついて、すべるように楽しんで僕の前を流れて行きました。僕は静かにその影を見送って、御祖父おじいさんの若い時分の話というのを思い出しました。叔父さんはもとより御存じでしょう、御祖父さんが昔の通人のした月見の舟遊ふねあそびを実際にやった話を。僕は母から二三度聞かされた事があります。屋根船を綾瀬川あやせがわまでのぼせて、静かな月と静かな波の映り合う真中に立って、用意してある銀扇ぎんせんを開いたまま、夜の光の遠くへ投げるのだと云うじゃありませんか。扇のかなめがぐるぐる廻って、地紙じがみに塗った銀泥ぎんでいをきらきらさせながら水に落ちる景色は定めてみごとだろうと思います。それもただの一本ならですが、船のものがそうがかりで、ひらひらする光を投げきそう光景は想像しても凄艶せいえんです。御祖父おじいさんは銅壺どうこの中に酒をいっぱい入れて、その酒で徳利とくりかんをしたあとをことごとくてさしたほどの豪奢ごうしゃな人だと云うから、銀扇の百本ぐらい一度に水に流しても平気なのでしょう。そう云えば、遺伝だか何だか、叔父さんにも貧乏な割にはと云っては失礼ですが、どこかに贅沢ぜいたくなところがあるようですし、あんな内気な母にも、妙に陽気な事の好きな方面が昔から見えていました。ただ僕だけは、――こういうとまたあの問題を持ち出したなと早合点はやがてんなさるかも知れませんが、僕はもうあの事について叔父さんの心配なさるほど屈托くったくしていないつもりですから安心して下さい。ただ僕だけはと断るのはけっしてにがい意味で云うのではありません。僕はこの点において、叔父さんとも母とも生れつき違っていると申したいのです。僕は比較的楽に育った、物質的に幸福な子だから、贅沢と知らずに贅沢をして平気でいました。着物などでも、母の注意で、人前へ出て恥かしくないようなものを身に着けながら、これが当然だと澄ましていました。けれどもそれは永く習慣に養われた結果、自分で知らない不明から出るので、一度そこに気がつくと、急に不安になります。着物や食事はまあどうでもいいとして、僕はこの間ある富豪のむやみに金を使う様子を聞いて恐ろしくなった事があります。その男は芸者は幇間ほうかんを大勢集めて、かばんの中から出したさつたばを、その前でずたずたに裂いて、それを御祝儀ごしゅうぎとかとなえて、みんなにやるのだそうです。それから立派な着物を着た[#「着た」は底本では「来た」]まま湯に這入はいって、あとは三助さんすけにくれるのだそうです。彼の乱行はまだたくさんありましたが、いずれも天を恐れない暴慢きわまるもののみでした。僕はその話を聞いた時無論彼をにくみました。けれども気概に乏しい僕は、悪むよりもむしろ恐れました。僕から彼の所行しょぎょうを見ると、強盗が白刃しらはの抜身を畳に突き立てて良民を脅迫おびやかしているのと同じような感じになるのです。僕は実に天とか、人道とか、もしくは神仏とかに対して申し訳がないという、真正に宗教的な意味において恐れたのです。僕はこれほど臆病な人間なのです。驕奢きょうしゃに近づかない先から、驕奢の絶頂に達しておどり狂う人の、一転化ののちを想像して、こわくてたまらないのであります。――僕はこんな事を考えて、静かな波の上を流れて行く涼み船を見送りながら、このくらいな程度の慰さみが人間としてちょうど手頃なんだろうと思いました。僕も叔父さんから注意されたように、だんだん浮気うわきになって行きます。めて下さい。月の差す二階の客は、神戸から遊びに来たとかで、僕のいやな東京語ばかり使って、折々詩吟などをやります。その中になまめかしい女の声もまじっていましたが、二三十分前から急におとなしくなりました。下女に聞いたらもう神戸へ帰ったのだそうです。夜もだいぶけましたから、僕も休みます」
 
 
 
 
 
 
 
 十二
 
昨夕ゆうべも手紙を書きましたが、今日もまた今朝こんちょう以来の出来事を御報知します。こう続けて叔父さんにばかり手紙を上げたら、叔父さんはきっと皮肉な薄笑いをして、あいつどこへもふみをやる所がないものだから、やむを得ず姉とおれに対してだけ、時間をついやして音信たよりおこたらないんだと、腹の中で云うでしょう。僕も筆をりながら、ちょっとそう云う考えを起しました。しかし僕にもしそんな愛人ができたら、叔父さんはたとい僕から手紙をもらわないでも、喜こんで下さるでしょう。僕も叔父さんに音信を怠っても、その方が幸福だと思います。実は今朝起きて二階へあがって海を見下みおろしていると、そういう幸福な二人連が、磯通いそづたいに西の方へ行きました。これはことによると僕と同じ宿に泊っている御客かも知れません。女がクリーム色の洋傘こうもりして、素足に着物のすそを少しまくりながら、浅い波の中を、男と並んで行く後姿うしろすがたを、僕はうらやましそうにながめたのです。波は非常に澄んでいるから高い所から見下すと、おかに近いあたりなどは、日の照る空気の中と変りなく何でもいて見えます。泳いでいる海月くらげさえ判切はっきり見えます。宿の客が二人出て来て泳ぎ廻っていますが、彼らの水中でやる所作しょさが、一挙一動ことごとく手に取るように見えるので、芸としての水泳の価値が、だいぶ下落するようです。(午前七時半)」
「今度は西洋人が一人水につかっています。あとから若い女が出て来ました。その女が波の中に立って、二階に残っているもう一人の西洋人を呼びます。『ユー、カム、ヒヤ』と云って英語を使います。『イット、イズ、ヴェリ、ナイス、イン、ウォーター』と云うような事をしきりに申します。その英語はなかなか達者で流暢りゅうちょううらやましいくらいうまく出ます。僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。けれども英語の達者なこの女から呼ばれた西洋人はなかなか下りて来ませんでした。女は泳げないんだか、泳ぎたくないんだか、胸から下を水にけたまま波の中に立っていました。すると先へ下りた方の西洋人が女の手をって、深い所へ連れて行こうとしました。女は身をすくめるようにしてこばみました。西洋人はとうとう海の中で女を横にきました。女のねて水をる音と、その笑いながら、きゃっきゃっ騒ぐ声が、遠方まで響きました。(午前十時)」
「今度は下の座敷に芸者を二人連れて泊っていた客が端艇ボートぎに出て来ました。この端艇はどこから持って来たか分りませんが、きわめて小さいかつすこぶる危しいものです。客は漕いでやるからと云って、芸者を乗せようとしますが、芸者の方ではこわいからと断ってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意の通りになりました。その時年の若い方が、わざわざ喫驚びっくりして見せるしなが、よほど馬鹿らしゅうございました。端艇がそこいらを漕ぎ廻って帰って来ると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏につないである和船に向って、船頭はん、その船いていまっかと、大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御馳走ごちそうを入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦酒ビールだの水菓子だの三味線だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分達も乗りました。ところが肝心かんじんの御客はよほど威勢のいい男で、はるか向うの方にまだ端艇を漕ぎ廻していました。誰も乗せ手がなかったと見えて、今度は黒裸くろはだかの浦の子僧を一人生捕いけどっていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがてこんかぎりの大きな声で、阿呆あほうと呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇をこっちへぎ戻して来ました。僕は面白い芸者でまた面白い客だと思いました。(午前十一時)」
「僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物数奇ものずきだと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証拠しょうこなのです。僕は自由な空気と共に往来する事を始めて覚えたのです。こんなつまらない話を一々書く面倒をいとわなくなったのも、つまりは考えずにるからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番薬だと思います。わずかの旅行で、僕の神経だか性癖だかが直ったと云ったら、直り方があまり安っぽくって恥ずかしいくらいです。が、僕は今より十層倍も安っぽく母が僕を生んでくれた事を切望してまないのです。白帆しらほが雲のごとくむらがって淡路島あわじしまの前を通ります。反対の側の松山の上に人丸ひとまるやしろがあるそうです。人丸という人はよく知りませんが、ひまがあったらついでだから行って見ようと思います」
 
 
 
 
 
 
 
 

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