彼岸過迄 夏目漱石

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 停留所
 
 
 
 
 
 
 
 一
 
 敬太郎けいたろう須永すながという友達があった。これは軍人の子でありながら軍人が大嫌だいきらいで、法律をおさめながら役人にも会社員にもなる気のない、至って退嬰主義たいえいしゅぎの男であった。少くとも敬太郎にはそう見えた。もっとも父はよほど以前に死んだとかで、今では母とたった二人ぎり、さみしいような、またゆかしいような生活を送っている。父は主計官としてだいぶ好い地位にまでのぼった上、元来が貨殖かしょくの道に明らかな人であっただけ、今では母子共おやことも衣食の上に不安のうれいを知らない好い身分である。彼の退嬰主義もなかばはこの安泰な境遇にれて、奮闘の刺戟しげきを失った結果とも見られる。というものは、父が比較的立派な地位にいたせいか、彼には世間体せけんていの好いばかりでなく、実際ためになる親類があって、いくらでも出世の世話をしてやろうというのに、彼は何だかだと手前勝手ばかり並べて、今もってぐずぐずしているのを見ても分る。
「そう贅沢ぜいたくばかり云ってちゃもったいない。いやなら僕に譲るがいい」と敬太郎は冗談じょうだん半分に須永を強請せびることもあった。すると須永はさびしそうなまた気の毒そうな微笑をらして、「だって君じゃいけないんだから仕方がないよ」と断るのが常であった。断られる敬太郎は冗談にせよ好い心持はしなかった。おれはおれでどうかするという気概も起して見た。けれども根が執念深しゅうねんぶかくない性質たちだから、これしきの事で須永に対する反抗心などが永く続きようはずがなかった。その上身分が定まらないので、気の落ちつく背景をたない彼は、朝から晩まで下宿のにじっと坐っている苦痛にえなかった。用がなくっても半日は是非出てるいた。そうしてよく須永のうち訪問おとずれた。一つはいつ行っても大抵留守の事がないので、行く敬太郎の方でも張合があったのかも知れない。
糊口くちも糊口だが[#「糊口だが」は底本では「口糊だが」]、糊口より先に、何か驚嘆にあたいする事件に会いたいと思ってるが、いくら電車に乗って方々歩いても全く駄目だね。攫徒すりにさえ会わない」などと云うかと思うと、「君、教育は一種の権利かと思っていたら全く一種の束縛そくばくだね。いくら学校を卒業したって食うに困るようじゃ何の権利かこれあらんやだ。それじゃ位地いちはどうでもいいから思う存分勝手な真似まねをして構わないかというと、やっぱり構うからね。いやに人を束縛するよ教育が」と忌々いまいましそうに嘆息する事がある。須永は敬太郎のいずれの不平に対しても余り同情がないらしかった。第一彼の態度からしてが本当に真面目まじめなのだか、またはただ空焦燥からはしゃぎに焦燥いでいるのか見分がつかなかったのだろう。ある時須永はあまり敬太郎がこういうような浮ずった事ばかり言いつのるので、「それじゃ君はどんな事がして見たいのだ。衣食問題は別として」と聞いた。敬太郎は警視庁の探偵見たような事がして見たいと答えた。
「じゃするが好いじゃないか、訳ないこった」
「ところがそうは行かない」
 敬太郎は本気になぜ自分に探偵ができないかという理由を述べた。元来探偵なるものは世間の表面から底へもぐる社会の潜水夫のようなものだから、これほど人間の不思議をつかんだ職業はたんとあるまい。それに彼らの立場は、ただひとの暗黒面を観察するだけで、自分と堕落してかかる危険性を帯びる必要がないから、なおの事都合がいいには相違ないが、いかんせんその目的がすでに罪悪の暴露ばくろにあるのだから、あらかじめ人をおとしいれようとする成心の上に打ち立てられた職業である。そんな人の悪い事は自分にはできない。自分はただ人間の研究者いな人間の異常なる機関からくりが暗い闇夜やみよに運転する有様を、驚嘆の念をもってながめていたい。――こういうのが敬太郎の主意であった。須永はさからわずに聞いていたが、これという批判の言葉も放たなかった。それが敬太郎には老成と見えながらその実平凡なのだとしか受取れなかった。しかも自分を相手にしないような落ちつき払った風のあるのをにくく思って別れた。けれども五日とたないうちにまた須永のうちへ行きたくなって、表へ出るとすぐ神田行の電車に乗った。
 
 
 
 
 
 
 
 二
 
 須永すながはもとの小川亭即ち今の天下堂という高い建物を目標めじるしに、須田町の方から右へ小さな横町を爪先上つまさきのぼりに折れて、二三度不規則に曲ったきわめて分りにくい所にいた。家並いえなみの立て込んだ裏通りだから、山の手と違って無論屋敷を広く取る余地はなかったが、それでも門から玄関まで二間ほど御影みかげの上を渡らなければ、格子先こうしさき電鈴ベルに手が届かないくらいの一構ひとかまえであった。もとから自分の持家もちいえだったのを、一時親類のなにがしに貸したなり久しく過ぎたところへ、父が死んだので、無人ぶにん活計くらしには場所も広さも恰好かっこうだろうという母の意見から、駿河台するがだいの本宅を売払ってここへ引移ったのである。もっともそれからだいぶ手を入れた。ほとんど新築したも同然さとかつて須永が説明して聞かせた時に、敬太郎けいたろうはなるほどそうかと思って、二階の床柱や天井板てんじょういたを見廻した事がある。この二階は須永の書斎にするため、後からぎ足したので、風が強く吹く日には少し揺れる気味はあるが、ほかにこれと云って非の打ちようのない綺麗きれいに明かな四畳六畳二間ふたまつづきのへやであった。その室にすわっていると、庭に植えた松の枝と、手斧目ちょうなめの付いた板塀いたべいの上の方と、それから忍び返しが見えた。縁に出て手摺てすりから見下した時、敬太郎は松の根に一面と咲いた鷺草さぎそうを眺めて、あの白いものは何だと須永に聞いた事もあった。
 彼は須永を訪問してこの座敷に案内されるたびに、書生と若旦那の区別を判然と心に呼び起さざるを得なかった。そうしてこう小ぢんまり片づいて暮している須永を軽蔑けいべつすると同時に、閑静ながら余裕よゆうのあるこの友の生活をうらやみもした。青年があんなでは駄目だと考えたり、またあんなにもなって見たいと思ったりして、今日も二つの矛盾からでき上ったまだらな興味をふところに、彼は須永を訪問したのである。
 例の小路こうじを二三度曲折して、須永の住居すまっている通りの角まで来ると、彼より先に一人の女が須永の門をくぐった。敬太郎はただ一目ひとめその後姿を見ただけだったが、青年に共通の好奇心と彼に固有の浪漫趣味ロマンしゅみとが力を合せて、引きるように彼を同じ門前に急がせた。ちょっとのぞいて見ると、もう女の影は消えていた。例の通り紅葉もみじ引手ひきてに張り込んだ障子しょうじが、閑静にしまっているだけなのを、敬太郎は少し案外にかつ物足らずながめていたが、やがて沓脱くつぬぎの上に脱ぎ捨てた下駄げたに気をつけた。その下駄はもちろん女ものであったが、行儀よく向うむきにそろっているだけで、下女が手をかけて直したあとが少しも見えない。敬太郎は下駄のむきと、思ったより早くあがってしまった女の所作しょさとをぎ合わして、これは取次を乞わずに、ひとりで勝手に障子を開けて這入はいったきわめて懇意の客だろうと推察した。でなければうちのものだが、それでは少し変である。須永のいえは彼と彼の母と仲働なかばたらきと下女の四人よつたり暮しである事を敬太郎はよく知っていたのである。
 敬太郎は須永の門前にしばらく立っていた。今這入った女の動静をそっと塀の外からうかがうというよりも、むしろ須永とこの女がどんなあやに二人の浪漫ロマンを織っているのだろうと想像するつもりであったが、やはり聞耳ききみみは立てていた。けれども内はいつもの通りしんとしていた。なまめいた女の声どころか、咳嗽せき一つ聞えなかった。
許嫁いいなずけかな」
 敬太郎はまず第一にこう考えたが、彼の想像はそのくらいで落ちつくほど、訓練を受けていなかった。――母は仲働を連れて親類へ行ったから今日は留守である。飯焚めしたきは下女部屋に引き下がっている。須永と女とは今差向いで何か私語ささやいている。――はたしてそうだとするといつものように格子戸こうしどをがらりと開けて頼むと大きな声を出すのも変なものである。あるいは須永も母も仲働もいっしょに出たかも知れない。おさんはきっと昼寝ひるねをしている。女はそこへ這入はいったのである。とすれば泥棒である。このまま引返してはすまない。――敬太郎は狐憑きつねつきのようにのそりと立っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 三
 
 すると二階の障子しょうじがすうといて、青い色の硝子瓶ガラスびんげた須永すながの姿が不意に縁側えんがわへ現われたので敬太郎けいたろうはちょっと吃驚びっくりした。
「何をしているんだ。落し物でもしたのかい」と上から不思議そうに聞きかける須永を見ると、彼は咽喉のど周囲まわりに白いフラネルをいていた。手にげたのは含嗽剤がんそうざいらしい。敬太郎は上を向いて、風邪かぜを引いたのかとか何とか二三言葉をわしたが、依然として表に立ったまま、動こうともしなかった。須永はしまいに這入れと云った。敬太郎はわざと這入っていいかと念を入れて聞き返した。須永はほとんどその意味をさとらない人のごとく、軽く首肯うなずいたぎり障子の内に引き込んでしまった。
 階段はしごだんあがる時、敬太郎は奥の部屋でかすかに衣摺きぬずれの音がするような気がした。二階には今まで須永の羽織っていたらしい黒八丈くろはちじょうえりの掛ったどてらが脱ぎ捨ててあるだけで、ほかに平生と変ったところはどこにも認められなかった。敬太郎の性質から云っても、彼の須永に対する交情から云っても、これほど気にかかる女の事を、率直に切り出して聞けないはずはなかったのだが、今までにどこか罪な想像をたくましくしたというましさもあり、まためんと向ってすぐとは云いにくい皮肉なねらいを付けた自覚もあるので、今しがた君のうちへ這入った女は全体何者だと無邪気に尋ねる勇気も出なかった。かえって自分の先へ先へと走りたがる心をし隠すような風に、
「空想はもう当分やめだ。それよりか口の方が大事だからね」と云って、かねて須永から聞いている内幸町うちさいわいちょうの叔父さんという人に、一応そういう方の用向で会っておきたいから紹介してくれと真面目まじめに頼んだ。叔父というのは須永の母の妹の連合つれあいで、官吏から実業界へ這入って、今では四つか五つの会社に関係をっている相当な位地の人であったが、須永はその叔父の力をりてどうしようという料簡りょうけんもないと見えて、「叔父がいろいろ云ってくれるけれども、僕はあんまり進まないから」と、かつて敬太郎に話した事があったのを、敬太郎は覚えていたのである。
 須永は今朝すでにその叔父に会うはずであったが、咽喉のどを痛めたため、外出を見合せたのだそうで、四五日内には大抵行けるだろうから、その時には是非話して見ようと答えたあとで、「叔父も忙がしい身体からだだしね、それに方々から頼まれるようだから、きっととは受合われないが、まあ会って見たまえ」と念のためだか何だかつけ加えた。余りのぞみを置き過ぎられては困るというのだろうと敬太郎は解釈したが、それでも会わないよりは増しだぐらいに考えて、例に似ずよろしく頼む気になった。が、口で頼むほど腹の中では心配も苦労もしていなかった。
 元来彼が卒業後相当の地位を求めるために、腐心し運動し奔走し、今もなおしつつあるのは、当人の公言するごとくいつわりなき事実ではあるが、いまだに成効せいこう曙光しょこうを拝まないと云って、さも苦しそうな声を出して見せるうちには、少なくとも五割方の懸値かけねこもっていた。彼は須永のような一人息子ではなかったが、(妹が片づいて、)母一人残っているところは両方共同じであった。彼は須永のように地面家作の所有主でない代りに、国に少し田地でんじっていた。もとより大した穀高こくだかになるというほどのものでもないが、ひょうがいくらというきまった金に毎年替えられるので、二十や三十の下宿代に窮する身分ではなかった。その上女親の甘いのにつけ込んで、自分で自分の身を喰うような臨時費を請求した事も今までに一度や二度ではなかった。だから位地位地と云って騒ぐのが、全くの空騒からさわぎでないにしても、郷党だの朋友ほうゆうだのまたは自分だのに対する虚栄心にあおられている事はたしかであった。そんなら学校にいるうちもっと勉強して好い成績でも取っておきそうなものだのに、そこが浪漫家ロマンかだけあって、学課はなるべく怠けよう怠けようと心がけて通して来た結果、すこぶるあざやかならぬ及第をしてしまったのである。
 
 
 
 
 
 
 
 四
 
 それで約一時間ほど須永すながと話す間にも、敬太郎けいたろうは位地とか衣食とかいう苦しい問題を自分と進んで持ち出しておきながら、やっぱり先刻さっき見た後姿うしろすがたの女の事が気に掛って、肝心かんじんの世渡りの方には口先ほど真面目まじめになれなかった。一度下座敷したざしきで若々しい女の笑い声が聞えた時などは、誰か御客が来ているようだねと尋ねて見ようかしらんと考えたくらいである。ところがその考えている時間が、すでに自然をぶちこわす道具になって、せっかくの問が間外まはずれになろうとしたので、とうとう口へ出さずにやめてしまった。
 それでも須永の方ではなるべく敬太郎の好奇心にびるような話題を持ち出した気でいた。彼は自分の住んでいる電車の裏通りが、いかに小さな家と細い小路こうじのために、さいのように区切られて、名も知らない都会人士の巣を形づくっているうちに、社会の上層に浮き上らない戯曲がほとんどごとに演ぜられていると云うような事実を敬太郎に告げた。
 まず須永の五六軒先には日本橋辺の金物屋かなものやの隠居のめかけがいる。その妾が宮戸座みやとざとかへ出る役者を情夫いろにしている。それを隠居が承知で黙っている。その向う横町に代言だいげんだか周旋屋しゅうせんやだか分らない小綺麗こぎれい格子戸作こうしどづくりのうちがあって、時々表へ女記者一名、女コック一名至急入用などという広告を黒板ボールドへ書いて出す。そこへある時二十七八の美くしい女が、ひだを取った紺綾こんあやの長いマントをすぽりとかぶって、まるで西洋の看護婦という服装なりをして来て職業の周旋を頼んだ。それが其家そこの主人のむかし書生をしていた家の御嬢さんなので、主人はもちろん妻君も驚ろいたという話がある。次に背中合せの裏通りへ出ると、白髪頭しらがあたま廿はたちぐらいの妻君を持った高利貸がいる。人の評判では借金の抵当かたに取った女房だそうである。その隣りの博奕打ばくちうちが、大勢同類を寄せて、互に血眼ちまなここすり合っている最中に、ねんね子で赤ん坊をおぶったかみさんが、勝負で夢中になっている亭主をむかえに来る事がある。かみさんが泣きながらどうかいっしょに帰ってくれというと、亭主は帰るには帰るが、もう一時間ほどして負けたものを取り返してから帰るという。するとかみさんはそんな意地を張れば張るほど負けるだけだから、是非今帰ってくれとすがりつくように頼む。いや帰らない、いや帰れといって、往来の氷る夜中でも四隣あたりねむりを驚ろかせる。……
 須永の話をだんだん聞いているうちに、敬太郎はこういう実地小説のはびこる中に年来住み慣れて来た須永もまた人の見ないような芝居をこっそりやって、口をぬぐってすましているのかも知れないという気が強くなって来た。もとよりその推察の裏には先刻さっき見た後姿の女が薄い影を投げていた。「ついでに君の分も聞こうじゃないか」と切り込んで見たが、須永はふんと云って薄笑いをしただけであった。その後で簡単に「今日は咽喉のどが痛いから」と云った。さも小説はっているが、君には話さないのだと云わんばかりの挨拶あいさつに聞えた。
 敬太郎が二階から玄関へ下りた時は、例の女下駄がもう見えなかった。帰ったのか、下駄箱へしまわしたのか、または気をかして隠したのか、彼にはまるで見当けんとうがつかなかった。表へ出るや否や、どういう料簡りょうけんか彼はすぐ一軒の煙草屋たばこやへ飛び込んだ。そうしてそこから一本の葉巻をくわえて出て来た。それを吹かしながら須田町まで来て電車に乗ろうとする途端とたんに、喫煙御断りという社則を思い出したので、また万世橋の方へ歩いて行った。彼は本郷の下宿へ帰るまでこの葉巻を持たすつもりで、ゆっくりゆっくり足を運ばせながらなお須永の事を考えた。その須永はけっしていつものように単独には頭の中へは這入はいって来なかった。考えるたびにきっと後姿の女がちらちらいて来た。しまいに「本郷台町の三階から遠眼鏡とおめがねで世の中をのぞいていて、浪漫的ロマンてき探険なんて気の利いた真似まねができるものか」と須永から冷笑ひやかされたような心持がし出した。
 
 
 
 
 
 
 
 五
 
 彼は今日こんにちまで、俗にいう下町生活に昵懇なじみも趣味もち得ない男であった。時たま日本橋の裏通りなどを通って、身を横にしなければくぐれない格子戸こうしどだの、三和土たたきの上からわけもなくぶら下がっている鉄灯籠かなどうろうだの、あががまちの下を張り詰めた綺麗きれいに光る竹だの、杉だか何だか日光とおって赤く見えるほど薄っぺらな障子しょうじの腰だのを眼にするたびに、いかにもせせこましそうな心持になる。こう万事がきちりと小さく整のってかつ光っていられては窮屈でたまらないと思う。これほど小ぢんまりと几帳面きちょうめんに暮らして行く彼らは、おそらく食後に使う楊枝ようじけずかたまで気にかけているのではなかろうかと考える。そうしてそれがことごとく伝説的の法則に支配されて、ちょうど彼らの用いる煙草盆たばこぼんのように、先祖代々順々にき込まれた習慣をかさに、恐るべく光っているのだろうと推察する。須永すながうちへ行って、用もない松へ大事そうな雪除ゆきよけをした所や、狭い庭を馬鹿丁寧ばかていねいに枯松葉で敷きつめた景色けしきなどを見る時ですら、彼は繊細な江戸式の開花のふところに、ぽうと育った若旦那わかだんな聯想れんそうしない訳に行かなかった。第一須永が角帯かくおびをきゅうとめてきちりと坐る事からが彼には変であった。そこへ長唄ながうたの好きだとかいう御母おっかさんが時々出て来て、すべっこいくせにアクセントの強い言葉で、舌触したざわりの好い愛嬌あいきょうを振りかけてくれる折などは、昔から重詰じゅうづめにして蔵の二階へしまっておいたものを、今取り出して来たという風に、出来合できあい以上のうまさがあるので、紋切形もんきりがたとは無論思わないけれども、幾代いくだいもかかって辞令の練習を積んだ巧みが、その底にひそんでいるとしか受取れなかった。
 要するに敬太郎けいたろうはもう少し調子外ちょうしはずれの自由なものが欲しかったのである。けれども今日きょうの彼は少くとも想像の上において平生の彼とは違っていた。彼は徳川時代の湿しめっぽい空気がいまだにただよっている黒い蔵造くらづくりの立ち並ぶ裏通に、親譲りの家を構えて、敬ちゃん御遊びなという友達を相手に、泥棒ごっこや大将ごっこをして成長したかった。月に一遍ずつ蠣殼町かきがらちょう水天宮様すいてんぐうさまと深川の不動様へ御参りをして、護摩ごまでも上げたかった。(現に須永は母の御供をしてこういう旧弊きゅうへい真似まねを当り前のごとくやっている。)それから鉄無地てつむじの羽織でも着ながら、歌舞伎を当世とうせいくずして往来へ流したにおいのする町内を恍惚こうこつと歩きたかった。そうして習慣にしばられた、かつ習慣を飛びえたなまめかしい葛藤かっとうでもそこに見出したかった。
 彼はこの時たちまち森本の二字を思い浮かべた。するとその二字の周囲にある空想が妙に色を変えた。彼は物好ものずきにもみずから進んでこのうしぐらい奇人に握手を求めた結果として、もう少しでとんだ迷惑をこうむるところであった。幸いに下宿の主人が自分の人格を信じたからいいようなものの、疑ぐろうとすればどこまでも疑ぐられ得る場合なのだから、主人の態度いかんにっては警察ぐらいへ行かなければならなかったのかも知れない。と、こう考えると、彼の空中に編み上げる勝手な浪漫ロマンが急に温味あたたかみを失って、みにくい想像からでき上った雲の峰同様に、意味もなく崩れてしまった。けれどもその奥に口髭くちひげをだらしなく垂らした二重瞼ふたえまぶちやせぎすの森本の顔だけはねばり強く残っていた。彼はその顔を愛したいような、あなどりたいような、またあわれみたいような心持になった。そうしてこの凡庸ぼんような顔のうしろに解すべからざる怪しい物がぼんやり立っているように思った。そうして彼が記念かたみにくれると云った妙な洋杖ステッキ聯想れんそうした。
 この洋杖は竹の根の方を曲げてにしたきわめて単簡たんかんのものだが、ただへびを彫ってあるところが普通のつえと違っていた。もっとも輸出向によく見るように蛇の身をぐるぐる竹に巻きつけた毒々しいものではなく、彫ってあるのはただ頭だけで、その頭が口を開けて何かみかけているところをにぎりにしたものであった。けれどもその呑みかけているのが何であるかは、握りの先が丸くすべっこくけずられているので、かえるだか鶏卵たまごだか誰にも見当けんとうがつかなかった。森本は自分で竹をって、自分でこの蛇を彫ったのだと云っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 六
 
 敬太郎けいたろうは下宿の門口かどぐちくぐるとき何より先にまずこの洋杖に眼をつけた。というよりもみちすがらの聯想が、硝子戸ガラスどを開けるや否や、彼の眼を瀬戸物せともの傘入かさいれの方へ引きつけたのである。実をいうと、彼は森本の手紙を受取った当座、この洋杖を見るたびに、自分にも説明のできない妙な感じがしたので、なるべく眼を触れないように、出入でいりの際視線をらしたくらいである。ところがそうすると今度はわざと見ないふりをして傘入のそばを通るのが苦になってきて、きわめて軽微な程度ではあるけれどもこの変な洋杖におのずとたたられたと云う風になって、しまった。彼自身もついには自分の神経を不思議に思い出した。彼は一種の利害関係から、過去にさかのぼる嫌疑けんぎを恐れて、森本の居所もまたその言伝ことづても主人夫婦に告げられないという弱味をっているには違ないが、それは良心の上にどれほどのくもりもかけなかった。記念かたみとして上げるとわざわざ云って来たものを、快よく貰い受ける勇気の出ないのは、ひとの好意をむなしくする点において、面白くないにきまっているが、これとても苦になるほどではない。ただ森本の浮世の風にあたる運命が近いうちに終りを告げるとする。(おそらくはのたれじにという終りを告げるのだろう。)そのあわれな最期さいごを今から予想して、この洋杖が傘入の中に立っているとする。そうして多能な彼の手によってきざまれた、胴から下のない蛇の首が、何物かを呑もうとして呑まず、吐こうとして吐かず、いつまでも竹の棒の先に、口をいたまま喰付くっついているとする。――こういう風に森本の運命とその運命を黙って代表している蛇の頭とを結びつけて考えた上に、その代表者たる蛇の頭を毎日握って歩くべく、近い内にのたれ死をする人から頼まれたとすると、敬太郎はその時に始めて妙な感じが起るのである。彼は自分でこの洋杖を傘入の中から抜き取る事もできず、また下宿の主人に命じて、自分の目の届かない所へ片づけさせる訳にも行かないのを大袈裟おおげさではあるが一種の因果いんがのように考えた。けれども詩で染めた色彩と、散文で行く活計かっけいとはだいぶ一致しないところもあって、実際を云うと、これがために下宿を変えて落ちついた方が楽だと思うほど彼は洋杖にわざわいされていなかったのである。
 今日も洋杖ステッキは依然として傘入の中に立っていた。鎌首は下駄箱げたばこの方を向いていた。敬太郎はそれを横に見たなり自分のへやに上ったが、やがて机の前に坐って、森本にやる手紙を書き始めた。まずこの間向うから来た音信たよりの礼を述べた上、なぜ早く返事を出さなかったかという弁解を二三行でもいいからつけ加えたいと思ったが、それを明らさまに打ち開けては、君のような漂浪者ヴァガボンドを知己につ僕の不名誉を考えると、書信の往復などはする気になれなかったからだとでも書くよりほかに仕方がないので、そこは例の奔走に取りまぎれと簡単な一句でごまかしておいた。次に彼が大連で好都合な職業にありついた祝いの言葉をちょっと入れて、そのあとへだんだん東京も寒くなる時節柄、満洲まんしゅうしもや風はさぞしのにくいだろう。ことにあなたの身体からだではひどくこたえるにちがいないから、是非用心して病気にかからないようになさいと優しい文句を数行すぎょうつづった。敬太郎から云うと、実にここが手紙を出す主意なのだから、なるべく自分の同情が先方へ徹するようにうまくかつ長く、そうして誰が見ても実意のこもっているように書きたかったのだけれども、読み直して見ると、やっぱり普通の人が普通時候の挨拶あいさつに述べる用語以外に、何の新らしいところもないので、彼は少し失望した。と云って、固々もともと恋人に送る艶書えんしょほど熱烈な真心まごころめたものでないのは覚悟の前である。それで自分は文章が下手だから、いくら書き直したって駄目だくらいの口実の下に、そこはそのままにしてさきへ進んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 七
 
 森本が下宿へ置き去りにして行った荷物の始末については義理にも何とか書き添えなければすまなかった。しかしその処置のつけ方を亭主に聞くのはいやだし、聞かなければ委細の報道はできるはずはなし、敬太郎けいたろうは筆の先を宙に浮かしたまま考えていたが、とうとう「あなたの荷物は、僕から主人に話して、どうでも彼の都合のいように取り計らわせろとの御依頼でしたが、あなたの千里眼の通り、僕が何にも云わない先に、雷獣らいじゅうの方で勝手に取計ってしまったようですからさよう御承知を願います。梅の盆栽ぼんさいを下さるという事ですが、これは影も形も見えないようですから、頂きません。ただ御礼だけ申し述べておきます。それから」とつづけておいて、また筆を休めた。
 敬太郎はいよいよ洋杖ステッキのところへ来たのである。根が正直な男だから、あの洋杖はせっかくの御覚召おぼしめしだから、ちょうだいして毎日散歩の時突いて出ますなどと空々しいうそけず、と言って御親切はありがたいが僕は貰いませんとはなおさら書けず。仕方がないから、「あの洋杖はいまだに傘入かさいれの中に立っています。持主の帰るのを毎日毎夜待ち暮しているごとく立っています。雷獣もあの蛇の頭へは手を触れる事をあえてしません。僕はあの首を見るたびに、彫刻家としてのあなたの手腕に敬服せざるを得ないです」と好加減いいかげん御世辞おせじを並べて、事実をぼかす手段とした。
 状袋へ名宛を書くときに、森本の名前を思い出そうとしたが、どうしても胸に浮ばないので、やむを得ず大連電気公園内娯楽掛り森本様とした。今までの関係上主人夫婦の眼をはばからなければならない手紙なので、下女を呼んでポストへ入れさせる訳にも行かなかったから、敬太郎はすぐそれを自分のたもとの中にかくした。彼はそれを持って夕食後散歩かたがた外へ出かける気で寒い梯子段はしごだんを下まで降り切ると、須永すながから電話が掛った。
 今日内幸町から従妹いとこが来ての話に、叔父は四五日内に用事で大阪へ行くかも知れないそうだから、余り遅くなってはと思って、立つ前に会ってもらえまいかと電話で聞いて見たら、よろしいという返事だから、行く気ならなるべく早く行った方がよかろう。もっとも電話の上に咽喉のどが痛いので、詳しい話はできなかったから、そのつもりでいてくれというのが彼の用向であった。敬太郎は「どうもありがとう。じゃなるべく早く行くようにするから」と礼を述べて電話を切ったが、どうせ行くなら今夜にでも行って見ようという気が起ったので、再び三階へ取って返してこの間こしらえたセルのはかま穿いた上、いよいよ表へ出た。
 曲り角へ来てポストへ手紙を入れる事は忘れなかったけれども、肝心かんじんの森本の安否はこの時すでに敬太郎の胸に、ただかすかな火気ほとぼりを残すのみであった。それでも状袋が郵便函の口をすべって、すとんと底へ落ちた時は、受取人の一週間以内に封をひらく様を想見して、満更まんざら悪い心持もしまいと思った。
 それから電車へ乗るまではただ一直線にすたすた歩いた。考も一直線に内幸町の方を向いていたが、電車が明神下みょうじんしたへ出る時分、何気なく今しがた電話口で須永から聞いた言葉を、頭の内で繰り返して見ると、覚えずはっと思うところが出て来た。須永は「今日内幸町からイトコが来て」とたしかに云ったが、そのイトコが彼の叔父さんの子である事は疑うまでもない。しかしその子が男であるか女であるかは不完全な日本語のまるで関係しないところである。
「どっちだろう」
 敬太郎は突然気にし始めた。もしそれが男だとすれば、あの後姿の女についての手がかりにはならない。したがって女は彼の好奇心をいたずらに刺戟しげきしただけで、ちっとも動いて来ない。しかしもし女だとすると、日といい時刻といい、須永の玄関から上り具合といい、どうも自分より一足先へ這入はいったあの女らしい。想像と事実をぎ合わせる事に巧みな彼は、そうと確かめないうちに、てっきりそうときめてしまった。こう解釈した時彼は、今まで泡立あわだっていた自分の好奇心に幾分の冷水をしたような満足を覚えると共に、予期したよりも平凡な方角に、手がかりが一つできたと云うつまらなさをも感じた。
 
 
 
 
 
 
 
 八
 
 彼は小川町まで来た時、ちょっと電車を下りても須永すなが門口かどぐちまで行って、友の口から事実を確かめて見たいくらいに思ったが、単純な好奇心以外にそんな立ち入った詮議せんぎをすべき理由をどこにも見出し得ないので、我慢してすぐ三田線に移った。けれども真直まっすぐに神田橋を抜けて丸の内を疾駆する際にも、自分は今須永の従妹いとこの家に向って走りつつあるのだという心持は忘れなかった。彼は勧業銀行のあたりで下りるはずのところを、つい桜田本郷町まで乗り越して驚ろいてまた暗い方へ引き返した。さびしい夜であったが尋ねる目的の家はすぐ知れた。丸い瓦斯ガス田口たぐちと書いた門の中をのぞいて見ると、思ったより奥深そうなかまえであった。けれども実際は砂利を敷いたみちが往来から筋違すじかいに玄関を隠しているのと、正面をさえぎる植込がこんもり黒ずんで立っているのとで、幾分かいかめしい景気を夜陰に添えたまでで、門内に這入はいったところでは見付みつきほど手広な住居すまいでもなかった。
 玄関には西洋擬せいようまがいの硝子戸ガラスどが二枚ててあったが、頼むといっても、電鈴ベルを押しても、取次がなかなか出て来ないので、敬太郎けいたろうはやむを得ずしばらくそのそばに立って内の様子をうかがっていた。すると、どこからかようやく足音が聞こえ出して、眼の前の擦硝子すりガラスがぱっと明るくなった。それから庭下駄にわげた三和土たたきを踏む音が二足三足したと思うと、玄関の扉が片方いた。敬太郎はこの際取次の風采ふうさいを想望するほどの物数奇ものずきもなく、全く漫然と立っていただけであるが、それでもかすり羽織はおりを着た書生か、双子ふたこの綿入を着た下女が、一応御辞儀をして彼の名刺を受取る事とのみ期待していたのに、いま戸を半分開けて彼の前に立ったのは、思いも寄らぬ立派な服装なりをした老紳士であった。電気の光を背中に受けているので、顔は判然はっきりしなかったが、白縮緬しろちりめんの帯だけはすぐ彼の眼に映じた。その瞬間にすぐこれが田口という須永の叔父さんだろうという感じが敬太郎の頭に働いた。けれども事が余り意外なので、すぐ挨拶あいさつをする余裕よゆうも出ず少しはあっけに取られた気味で、ぼんやりしていた。その上自分をはなはだ若く考えている敬太郎には、四十代だろうが五十代だろうが乃至ないし六十代だろうがほとんど区別のない一様いちようの爺さんに見えるくらい、彼は老人に対して親しみのない男であった。彼は四十五と五十五を見分けてやるほどの同情心を年長者に対してたなかったと同時に、そのいずれに向っても慣れないうちは異人種のような無気味ぶきみを覚えるのが常なので、なおさら迷児まごついたのである。しかし相手は何も気にかからない様子で、「何か用ですか」と聞いた。丁寧ていねいでもなければ軽蔑けいべつでもない至って無雑作むぞうさなその言葉つきが、少し敬太郎の度胸を回復させたので、彼はようやく自分の姓名を名乗ると共に手短かく来意を告げる機会を得た。すると年嵩としかさな男は思い出したように、「そうそう先刻さっき市蔵いちぞう(須永の名)から電話で話がありました。しかし今夜御出おいでになるとは思いませんでしたよ」と云った。そうして君そう早く来たっていけないという様子がその裏に見えたので、敬太郎は精一杯せいいっぱい言訳をする必要を感じた。老人はそれを聞くでもなし聞かぬでもなしといった風に黙って立っていたが、「そんならまたいらっしゃい。四五日うちにちょっと旅行しますが、その前に御目にかかれる暇さえあれば、御目にかかってもうござんす」と云った。敬太郎はあつく礼を述べてまた門を出たが、暗いの中で、礼の述べ方がちと馬鹿丁寧過ぎたと思った。
 これはずっとあとになって、須永の口から敬太郎に知れた話であるが、ここの主人は、この時玄関に近い応接間で、たった一人碁盤ごばんに向って、白石と黒石を互違たがいちがいに並べながら考え込んでいたのだそうである。それは客と一石いっせきやった後の引続きとして、是非共ある問題を解決しなければ気がすまなかったからであるが、肝心かんじんのところで敬太郎がさも田舎者いなかものらしく玄関を騒がせるものだから、まずこの邪魔を追っ払った後でというつもりになって、じれったさの余り自分と取次に出たのだという。須永にこの顛末てんまつを聞かされた時に、敬太郎はますます自分の挨拶あいさつ丁寧ていねい過ぎたような気がした。
 
 
 
 
 
 
 
 九
 
 中一日なかいちにち置いて、敬太郎けいたろうは堂々と田口へ電話をかけて、これからすぐ行っても差支さしつかえないかと聞き合わせた。向うの電話口へ出たものは、敬太郎の言葉つきや話しぶりの比較的横風おうふうなところからだいぶ位地の高い人とでも思ったらしく、「どうぞ少々御待ち下さいまし、ただいま主人の都合をちょっと尋ねますから」と丁寧な挨拶をして引き込んだが、今度返事を伝えるときは、「ああ、もしもし今ね、来客中で少し差支えるそうです。午後の一時頃来るなら来ていただきたいという事です」と前よりは言葉がよほど粗末ぞんざいになっていた。敬太郎は、「そうですか、それでは一時頃上りますから、どうぞ御主人によろしく」と答えて電話を切ったが、内心は一種いやな心持がした。
 十二時かっきりに午飯ひるめしを食うつもりで、あらかじめ下女に云いつけておいたぜんが、時間通り出て来ないので、敬太郎は騒々しく鳴る大学の鐘にき立てられでもするように催促をして、できるだけ早く食事を済ました。電車の中では一昨日おとといの晩会った田口の態度を思い浮べて、今日もまたああいう風に無雑作むぞうさな取扱を受けるのか知らん、それとも向うで会うというくらいだから、もう少しは愛嬌あいきょうのある挨拶でもしてくれるか知らんと考えなどした。彼はこの紳士の好意で、相当の地位さえ得られるならば、多少腰をかがめて窮屈な思をするぐらいは我慢するつもりであった。けれども先刻さっき電話の取次に出たもののように、五分とたないうちに、言葉使いを悪い方に改められたりすると、もう不愉快になって、どうかそいつがまた取次に出なければいいがと思う。そのくせ自分のかけ方の自分としては少し横風過ぎた事にはまるで気がつかない性質たちであった。
 小川町の角で、はす須永すながうちまがる横町を見た時、彼ははっと例の後姿の事を思い出して、急に日蔭ひかげから日向ひなたへ想像を移した。今日も美くしい須永の従妹いとこのいる所へ訪問に出かけるのだと自分で自分に教える方が、億劫おっくう手数てかずをかけて、好い顔もしないじいさんに、衣食のみちを授けて下さいとなきつきに行くのだと意識するよりも、敬太郎に取ってははるかにうららかであったからである。彼は須永の従妹いとこと田口の爺さんを自分勝手に親子ときめておきながらどこまでも二人を引き離して考えていた。この間の晩田口と向き合って玄関先に立った時も、光線の具合で先方さきの人品は判然はっきり分らなかったけれども、眼鼻だちの輪廓りんかくだけで評したところが、あまり立派な方でなかった事は、この爺さんの第一印象として、敬太郎の胸に夜目よめにもうたがいなく描かれたのである。それでいて彼はこの男の娘なら、須永との関係はどうあろうとも、器量きりょうはあまりいい方じゃあるまいという気がどこにも起らなかった。そこで離れていて合い、合っていて離れるような日向日蔭ひなたひかげの裏表を一枚にした頭を彼は田口家に対していだいていたのである。それを互違にくり返したあと、彼は田口の門前に立った。するとそこに大きな自働車が御者ぎょしゃを乗せたまま待っていたので、少し安からぬ感じがした。
 玄関へ掛って名刺を出すと、小倉こくらはかま穿いた若い書生がそれを受取って、「ちょっと」と云ったまま奥へ這入はいって行った。その声が確かに先刻さっき電話口で聞いたのに違ないので、敬太郎は彼の後姿うしろすがたを見送りながらいややつだと思った。すると彼は名刺を持ったまままた現われた。そうして「御気の毒ですが、ただいま来客中ですからまたどうぞ」と云って、敬太郎の前に突立つったっていた。敬太郎も少しむっとした。
「先程電話で御都合を伺ったら、今客があるから午後一時頃来いという御返事でしたが」
「実はさっきの御客がまだ御帰りにならないで、御膳おぜんなどが出て混雑ごたごたしているんです」
 落ちついて聞きさえすれば満更まんざら無理もない言訳なのだが、電話以後この取次がしゃくさわっている敬太郎には彼の云い草がいかにも気に喰わなかった。それで自分の方からせんを越すつもりか何かで、「そうですか、たびたび御足労でした。どうぞ御主人へよろしく」と平仄ひょうそくの合わない捨台詞すてぜりふのような事を云った上、何だこんな自働車がと云わぬばかりにそのそばり抜けて表へ出た。
 
 
 
 
 
 
 
 十
 
 彼はこの日必要な会見を都合よく済ましたあと、新らしく築地に世帯を持った友人の所へ廻って、須永すながと彼の従妹いとことそれから彼の叔父に当る田口とを想像の糸で巧みにぎ合せつつある一部始終いちぶしじゅう御馳走ごちそうに、晩まで話し込む気でいたのである。けれども田口の門を出て日比谷公園のわきに立った彼の頭には、そんな余裕よゆうはさらになかった。後姿を見ただけではあるが、在所ありかをすでに突き留めて、今その人の家を尋ねたのだという陽気な心持はもとよりなかった。位置を求めにここまで来たという自覚はなおなかった。彼はただ屈辱を感じた結果として、腹を立てていただけである。そうして自分を田口のような男に紹介した須永こそこの取扱に対して当然責任を負わなくてはならないと感じていた。彼は帰りがけに須永の所へ寄って、逐一ちくいち顛末てんまつを話した上、存分文句を並べてやろうと考えた。それでまた電車に乗って一直線に小川町まで引返して来た。時計を見ると、二時にはまだ二十分ほどがあった。須永のうちの前へ来て、わざと往来から須永須永と二声ばかり呼んで見たが、いるのかいないのか二階の障子しょうじは立て切ったままついにかなかった。もっとも彼は体裁家ていさいやで、平生からこういう呼び出し方を田舎者いなかものらしいといっていやがっていたのだから、聞こえても知らん顔をしているのではなかろうかと思って、敬太郎けいたろうは正式に玄関の格子口こうしぐちへかかった。けれども取次に出た仲働なかばたらきの口から「ひる少し過に御出ましになりました」という言葉を聞いた時は、ちょっと張合が抜けて少しの間黙って立っていた。
風邪かぜを引いていたようでしたが」
「はい、御風邪を召していらっしゃいましたが、今日はだいぶ好いからとおっしゃって、御出かけになりました」
 敬太郎は帰ろうとした。仲働は「ちょっと御隠居さまに申し上げますから」といって、敬太郎を格子のうちに待たしたまま奥へ這入はいった。と思うとふすまの陰から須永の母の姿が現われた。背の高い面長おもながの下町風にひんのある婦人であった。
「さあどうぞ。もうそのうち帰りましょうから」
 須永の母にこう云い出されたが最後、江戸慣えどなれない敬太郎はどうそれを断って外へ出ていいか、いまだにその心得がなかった。第一だいちどこで断る隙間もないように、調子の好い文句がそれからそれへとずるずる彼の耳へ響いて来るのである。それが世間体せけんていの好い御世辞おせじと違って、引き留められているうちに、上っては迷惑だろうという遠慮がいつの間にかくなって、つい気の毒だから少し話して行こうという気になるのである。敬太郎は云われるままにとうとう例の書斎へ腰をおろした。須永の母が御寒いでしょうと云って、仕切りの唐紙からかみめてくれたり、さあ御手をお出しなさいと云って、佐倉さくらけた火鉢ひばちを勧めてくれたりするうちに、一時昂奮こうふんした彼の気分はしだいに落ちついて来た。彼はシキとかいう白い絹へ秋田蕗あきたぶきを一面に大きくったふすまの模様だの、唐桑からくわらしくてらてらした黄色い手焙てあぶりだのをながめて、このしとやかで能弁な、人をそらす事を知らないと云った風の母と話をした。
 彼女の語るところによると、須永は今日矢来やらいの叔父のうちへ行ったのだそうである。
「じゃついでだから帰りに小日向こびなたへ廻って御寺参りをして来ておくれって申しましたら、御母さんは近頃無精ぶしょうになったようですね、この間もひとに代理をさせたじゃありませんか、年を取ったせいかしらなんて悪口を云い云い出て参りましたが、あれもねあなた、せんだってじゅうから風邪を引いて咽喉のどを痛めておりますので、今日も何なら止した方がいいじゃないかととめて見ましたが、やっぱり若いものは用心深いようでもどこか我無がむしゃらで、年寄の云う事などにはいっさい無頓着むとんじゃくでございますから……」
 須永の留守へ行くと、彼の母は唯一の楽みのようにこういう調子でせがれの話をするのが常であった。敬太郎の方で須永の評判でも持ち出そうものなら、いつまででもその問題のあと喰付くっついて来て、容易に話頭を改めないのが例になっていた。敬太郎もそれにはだいぶ慣れているから、この際も向うのいう通りをただふんふんとおとなしく聞いて、一段落の来るのを待っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 十一
 
 そのうち話がいつか肝心かんじん須永すながれて、矢来の叔父という人の方へ移って行った。これは内幸町と違って、この御母おっかさんの実の弟に当る男だそうで、一種の贅沢屋ぜいたくやのように敬太郎けいたろうは須永から聞いていた。外套がいとうの裏は繻子しゅすでなくては見っともなくて着られないと云ったり、りもしないのに古渡こわたりの更紗玉さらさだまとか号して、石だか珊瑚さんごだか分らないものを愛玩あいがんしたりする話はいまだに覚えていた。
「何にもしないで贅沢ぜいたくに遊んでいられるくらい好い事はないんだから、結構な御身分ですね」と敬太郎が云うのを引き取るように母は、「どうしてあなた、打ち明けた御話が、まあどうにかこうにかやって行けるというまでで、楽だの贅沢だのという段にはまだなかなかなのでございますからいけません」と打ち消した。
 須永の親戚に当る人の財力が、さほど敬太郎に関係のある訳でもないので、彼はそれなり黙ってしまった。すると母は少しでも談話の途切とぎれるのを自分の過失ででもあるように、すぐ言葉をいだ。
「それでも妹婿いもとむこの方は御蔭おかげさまで、何だかだって方々の会社へ首を突っ込んでおりますから、この方はまあ不自由なく暮しておる模様でございますが、手前共や矢来のおととなどになりますと、云わば、浪人ろうにん同様で、昔にくらべたら、尾羽うち枯らさないばかりのていたらくだって、よく弟ともそう申しては笑うこってございますよ」
 敬太郎は何となく自分の身の上をかえりみて気恥かしい思をした。さいわいにさきがすらすら喋舌しゃべってくれるので、こっちに受け答をする文句を考える必要がないのをせめてものとくとして聞き続けた。
「それにね、御承知の通り市蔵がああいう引っ込思案の男だもんでござんすから、私もただ学校を卒業させただけでは、全く心配が抜けませんので、まことに困り切ります。早く気に入った嫁でも貰って、年寄に安心でもさせてくれるようにおしなと申しますと、そう御母さんの都合のいいようにばかり世の中は行きゃしませんて、てんで相手にしないんでございますよ。そんなら世話をしてくれる人に頼んで、どこへでもいいから、つとめにでも出る気になればまだしも、そんな事にはまたまるで無頓着むとんじゃくであなた……」
 敬太郎はこの点において実際須永が横着過おうちゃくすぎると平生ふだんから思っていた。「余計な事ですが、少し目上の人から意見でもして上げるようにしたらどうでしょう。今御話の矢来の叔父さんからでも」と全く年寄に同情する気で云った。
「ところがこれがまた大の交際嫌の変人でございまして、忠告どころか、何だ銀行へ這入はいって算盤そろばんなんかパチパチ云わすなんて馬鹿があるもんかと、こうでございますから頭から相談にも何にもなりません。それをまた市蔵がうれしがりますので。矢来の叔父の方が好きだとか気が合うとか申しちゃよく出かけます。今日なども日曜じゃあるし御天気は好しするから、内幸町の叔父が大阪へ立つ前にちょっとあちらへ顔でも出せばいいのでございますけれども、やっぱり矢来へ行くんだって、とうとう自分の好きな方へ参りました」
 敬太郎はこの時自分が今日何のためにけ込むようにこの家をおそったかの原因について、また新らしく考え出した。彼は須永の顔を見たら随分過激な言葉を使ってもその不都合を責めた上、僕はもう二度とあすこの門はくぐらないつもりだから、そう思ってくれたまえぐらいの台詞せりふを云って帰る気でいたのに、肝心かんじんの須永は留守るすで、事情も何も知らない彼の母から、さかさにいろいろな話をしかけられたので、おこってやろうという気は無論抜けてしまったのである。が、それでも行きがかり上、田口と会見をげ得なかった顛末てんまつだけは、一応この母の耳へでも構わないから入れておく必要があるだろう。それには話の中に内幸町へ行くとか行かないとかが問題になっている今が一番よかろう。――こう敬太郎は思った。
 
 
 
 
 
 
 
 十二
 
「実はその内幸町の方へ今日私も出たんですが」と云い出すと、自分の息子の事ばかり考えていた母は、「おやそうでございましたか」とやっと気がついてすまないという顔つきをした。この間から敬太郎けいたろう躍起やっきになって口をさがしている事や、探しあぐんで須永すながに紹介を頼んだ事や、須永がそれを引き受けて内幸町の叔父に会えるように周旋した事は、須永のそばにいる母として彼女かのおんなのことごとく見たり聞いたりしたところであるから、行き届いた人なら先方さきで何も云い出さない前に、こっちからどんな模様ですぐらいは聞いてやるべきだとでも思ったのだろう。こう観察した敬太郎は、この一句を前置に、今までの成行を残らず話そうとつとめにかかったが、時々相手から「そうでございますとも」とか、「本当にまあ、の悪い時にはね」とか、どっちにも同情したような間投詞が出るので、自分がむかっぱらを立てて悪体あくたいいた事などは話のうちから綺麗きれいに抜いてしまった。須永の母は気の毒という言葉を何遍もくり返したあとで、田口を弁護するようにこんな事を云った。――
「そりゃあ実のところ忙しい男なので。いもとなどもああして一つ家に住んでおりますようなものの、――何でごさんしょう。――落々おちおち話のできるのはおそらく一週間に一日もございますまい。私が見かねて要作ようさくさんいくら御金がもうかるたって、そう働らいて身体からだを壊しちゃ何にもならないから、たまには骨休めをなさいよ、身体が資本もとでじゃありませんかと申しますと、おいらもそう思ってるんだが、それからそれへと用がいてくるんで、そばからしゃくい出さないと、用が腐っちまうから仕方がないなんて笑って取り合いませんので。そうかと思うとまた妹や娘に今日はこれから鎌倉へれて行く、さあすぐ支度をしろって、まるで足元から鳥が立つようにき立てる事もございますが……」
「御嬢さんがおありなのですか」
「ええ二人おります。いずれも年頃でございますから、もうそろそろどこかへ片づけるとか婿むこを取るとかしなければなりますまいが」
「そのうちの一人のかたが、須永君のところへ御出おいでになる訳でもないんですか」
 母はちょっと口籠くちごもった。敬太郎もただ自分の好奇心を満足させるためにあまり立ち入った質問をかけ過ぎたと気がついた。何とかして話題を転じようと考えているうちに、相手の方で、
「まあどうなりますか。親達の考もございましょうし。当人達とうにんたちの存じ寄りもしかと聞糺ききただして見ないと分りませんし。私ばかりでこうもしたい、ああもしたいといくら熱急やきもき思ってもこればかりは致し方がございません」と何だか意味のありそうな事を云った。一度退きかけた敬太郎の好奇心はこの答でまた打ち返して来そうにしたが、くないという克己心こっきしんにすぐ抑えられた。
 母はなお田口の弁護をした。そんな忙がしい身体からだだから、時によると心にもない約束違いなどをする事もあるが、いったん引き受けた以上は忘れる男ではないから、まあ旅行から帰るまで待って、ゆっくり会ったらかろうという注意とも慰藉いしゃともつかない助言じょごんも与えた。
「矢来のはおっても会わん方で、これは仕方がございませんが、内幸町のはいないでも都合さえつけばけて帰って来て会うといった風の性質たちでございますから、今度旅行から帰って来さえすれば、こっちから何とも云ってやらないでも、向うできっと市蔵のところへ何とか申して参りますよ。きっと」
 こう云われて見ると、なるほどそういう人らしいが、それはこっちがおとなしくしていればこそで、先刻さっきのようにぷんぷん怒ってはとうてい物にならないにきまり切っている。しかし今更いまさらそれを打ち明ける訳には行かないので、敬太郎はただ黙っていた。須永の母はなお「あんな顔はしておりますが、見かけによらない実意のある剽軽者ひょうきんものでございますから」と云って一人で笑った。
 
 
 
 
 
 
 
 十三
 
 剽軽者という言葉は田口の風采ふうさいなり態度なりに照り合わせて見て、どうも敬太郎けいたろうに落ちない形容であった。しかし実際を聞いて見ると、なるほど当っているところもあるように思われた。田口はむかしある御茶屋へ行って、姉さんこの電気灯はほてり過ぎるね、もう少し暗くしておくれと頼んだ事があるそうだ。下女が怪訝けげんな顔をして小さい球と取り換えましょうかと聞くと、いいえさ、そこをちょいとねじって暗くするんだと真面目まじめに云いつけるので、下女はこれは電気灯のない田舎いなかから出て来た人に違ないと見て取ったものか、くすくす笑いながら、旦那電気はランプと違ってひねったって暗くはなりませんよ、消えちまうだけですから。ほらねとぱちッと音をさせて座敷を真暗にした上、またぱっと元通りに明るくするかと思うと、大きな声でばあと云った。田口は少しも悄然しょげずに、おやおやまだ旧式を使ってるね。見っともないじゃないか、ここのうちにも似合わないこった。早く会社の方へ改良を申し込んでおくといい。順番に直してくれるから。とさももっともらしい忠告を与えたので、下女もとうとうに受け出して、本当にこれじゃ不便ね、だいちけっぱなしで寝る時なんか明る過ぎて、困る人が多いでしょうからとさも感心したらしく、改良に賛成したそうである。ある時用事が出来て門司もじとか馬関ばかんとかまで行った時の話はこれよりもよほど念がっている。いっしょに行くべきはずのAという男に差支さしつかえが起って、二日ばかり彼は宿屋で待ち合わしていた。その間の退屈紛たいくつまぎれに、彼はAを一つかついでやろうとたくらんだ。これは町を歩いている時、一軒の写真屋の店先でふと思いついた悪戯いたずらで、彼はその店から地方ところの芸者の写真を一枚買ったのである。その裏へA様と書いて、手紙を添えた贈物のようにこしらえた。その手紙は女を一人雇って、充分の時間を与えた上、できるだけAの心を動かすようになまめかしくくねらしたもので、誰がもらってもうれしい顔をするに足るばかりか、今日の新聞を見たら、明日あしたここへ御着のはずだと出ていたので、久しぶりにこの手紙を上げるんだから、どうか読みしだい、どこそこまで来ていただきたいと書いたなかなか安くないものであった。彼はその晩自分でこの手紙をポストへ入れて、翌日配達の時またそれを自分で受取ったなり、Aの来るのを待ち受けた。Aが着いても彼はこの手紙をなかなか出さなかった。つとめて真面目まじめな用談についての打合せなどを大事らしくし続けて、やっと同じ食卓で晩餐ばんさんぜんに向った時、突然思い出したようにたもとの中からそれを取り出してAに与えた。Aは表に至急親展とあるので、ちょっとはしを下に置くと、すぐ封を開いたが、少し読みくだすと同時に包んである写真を抜いて裏を見るやいなや、急に丸めるようにふところへ入れてしまった。何かいそぎの用でもできたのかと聞くと、いや何というばかりで、不得要領ふとくようりょうにまた箸を取ったが、どことなくそわそわした様子で、まだ段落のつかない用談をそのままに、少し失礼する腹が痛いからと云って自分の部屋に帰った。田口は下女を呼んで、今から十五分以内にAが外出するだろうから、出るときは車が待ってでもいたように、Aが何にも云わない先に彼を乗せてけ出して、その思わく通りどこの何といううちかどへおろすようにしろと云いつけた。そうして自分はAより早く同じ家へ行って、主婦かみさんを呼ぶや否や、今おれの宿の提灯ちょうちんけた車に乗って、これこれの男が来るから、来たらすぐ綺麗きれいな座敷へ通して、叮嚀ていねいに取扱って、向うで何にも云わない先に、御連様おつれさまはとうから御待兼おまちかねでございますと云ったなり引き退がって、すぐおれのところへ知らせてくれと頼んだ。そうして一人で煙草たばこを吹かして腕組をしながら、事件の経過を待っていた。すると万事がうまい具合に予定の通り進行して、いよいよ自分の出る順が来た。そこでAの部屋のそばへ行って間のふすまを開けながら、やあ早かったねと挨拶あいさつすると、Aは顔の色を変えて驚ろいた。田口はその前へ坐り込んで、実はこれこれだと残らず自分の悪戯いたずらを話した上、「かついだ代りに今夜は僕がおごるよ」と笑いながら云ったんだという。
「こういう飄気ひょうげ真似まねをする男なんでございますから」と須永の母も話したあとでおかしそうに笑った。敬太郎はあの自働車はまさか悪戯いたずらじゃなかったろうと考えながら下宿へ帰った。
 
 
 
 
 
 
 
 十四
 
 自動車事件以後敬太郎けいたろうはもう田口の世話になる見込はないものとあきらめた。それと同時に須永すなが従弟いとこと仮定された例の後姿うしろすがたの正体も、ほぼ発端ほったんの入口に当たる浅いところでぱたりと行きとまったのだと思うと、その底にはがゆいようなまた煮切にえきらないような不愉快があった。彼は今日こんにちまで何一つ自分の力で、先へ突き抜けたという自覚をっていなかった。勉強だろうが、運動だろうが、その他何事に限らず本気にやりかけて、つらぬきおおせたためしがなかった。生れてからたった一つ行けるところまで行ったのは、大学を卒業したくらいなものである。それすら精を出さずにとぐろばかり巻きたがっているのを、むこうで引きり出してくれたのだから、中途で動けなくなった間怠まだるさのない代りには、やっとの思いで井戸を掘り抜いた時の晴々せいせいした心持も知らなかった。
 彼はぼんやりして四五日過ぎた。ふと学生時代に学校へ招待したある宗教家の談話を思い出した。その宗教家は家庭にも社会にも何の不満もない身分だのに、みずから進んで坊主になった人で、その当時の事情を述べる時に、どうしても不思議でたまらないからこの道に入って見たと云った。この人はどんな朗らかにとおるような空の下に立っても、四方から閉じ込められているような気がして苦しかったのだそうである。樹を見ても家を見ても往来を歩く人間を見てもあざやかに見えながら、自分だけ硝子張ガラスばりの箱の中に入れられて、外の物とじかに続いていない心持が絶えずして、しまいには窒息ちっそくするほど苦しくなって来るんだという。敬太郎はこの話を聞いて、それは一種の神経病にかかっていたのではなかろうかと疑ったなり、今日こんにちまで気にもかけずにいた。しかしこの四五日ぼんやり屈託くったくしているうちによくよく考えて見ると、彼自身が今までに、何一つ突き抜いて痛快だという感じを得た事のないのは、坊主にならない前のこの宗教家の心にどこか似た点があるようである。もちろん自分のは比較にならないほど微弱で、しかも性質がまるで違っているから、この坊さんのようにえらい勇断をする必要はない。もう少し奮発して気張きばる事さえ覚えれば、当ってもはずれても、今よりはまだ痛快に生きて行かれるのに、今日こんにちまでついぞそこに心を用いる事をしなかったのである。
 敬太郎は一人でこう考えて、どこへでも進んで行こうと思ったが、また一方では、もうすっぽ抜けのあとの祭のような気がして、何というあてもなくまた三四日さんよっかぶらぶらと暮した。その間に有楽座へ行ったり、落語を聞いたり、友達と話したり、往来を歩いたり、いろいろやったが、いずれも薬缶頭やかんあたまつかむと同じ事で、世の中は少しも手に握れなかった。彼はを打ちたいのに、碁を見せられるという感じがした。そうして同じ見せられるなら、もう少し面白い波瀾曲折はらんきょくせつのある碁が見たいと思った。
 するとすぐ須永と後姿の女との関係が想像された。もともと頭の中でむやみに色沢つやを着けて奥行おくゆきのあるように組み立てるほどの関係でもあるまいし、あったところがひとの事を余計なおせっかいだと、自分で自分をあざけりながら、ああ馬鹿らしいと思うあとから、やっぱり何かあるだろうという好奇心が今のようにちょいちょいとひらめいて来るのである。そうしてこの道をもう少し辛抱強く先へ押して行ったら、自分が今まで経験した事のない浪漫的ロマンチックな或物にぶつかるかも知れないと考え出す。すると田口の玄関でおこったなり、あの女の研究まで投げてしまった自分の短気を、自分の好奇心に釣り合わない弱味だと思い始める。
 職業についても、あんな些細ささい行違ゆきちがいのために愛想あいそづかしをたとい一句でも口にして、自分と田口の敷居を高くするはずではなかったと思う。あれでできるともできないとも、まだかたのつかない未来を中途半端に仕切ってしまった。そうして好んでにえきらない思いに悩んでいる姿になってしまった。須永の母の保証するところでは、田口という老人は見かけに寄らない親切気のある人だそうだから、あるいは旅行から帰って来た上で、また改めて会ってくれないとも限らない。が、こっちからもう一遍会見の都合を問い合せたりなどして、常識のない馬鹿だと軽蔑さげすまれてもつまらない。けれどもどの道突き抜けた心持をしっかりつらまえるためには馬鹿と云われるまでも、そこまで突っかけて行く必要があるだろう。――敬太郎は屈託しながらもいろいろ考えた。
 
 
 
 
 
 
 
 十五
 
 けれども身の一大事を即座に決定するという非常な場合と違って、敬太郎けいたろうの思案には屈託のうちに、どこか呑気のんきなものがふわふわしていた。この道をとどのつまりまで進んで見ようか、またはこれぎりやめにして、さらに新らしいものに移る支度をしようか。問題はせんじつめるまでもなく当初から至極しごく簡単にでき上っていたのである。それに迷うのは、一度くじを引きそくなったが最後、もう浮ぶ瀬はないという非道ひどい目に会うからではなくって、どっちに転んでも大した影響が起らないため、どうでも好いという怠けた心持がいつしらず働らくからである。彼は眠い時に本を読む人が、眠気ねむけに抵抗する努力をいといながら、文字の意味を判明はっきり頭に入れようと試みるごとく、呑気のんきふところで決断の卵を温めている癖に、ただうま孵化かえらない事ばかり苦にしていた。この不決断をのがれなければという口実のもとに、彼はあんに自分の物数奇ものずきびようとした。そうして自分の未来を売卜者うらないしゃ八卦はっけに訴えて判断して見る気になった。彼は加持かじ祈祷きとう御封ごふう虫封むしふうじ、降巫いちこたぐいに、全然信仰をつほど、非科学的に教育されてはいなかったが、それ相当の興味は、いずれに対しても昔から今日こんにちまで失わずに成長した男である。彼の父は方位九星ほういきゅうせいに詳しい神経家であった。彼が小学校へ行く時分の事であったが、ある日曜日に、彼の父は尻を端折はしょって、くわついだまま庭へ飛び下りるから、何をするのかと思って、あとからいて行こうとすると、父は敬太郎に向って、御前はそこにいて、時計を見ていろ、そうして十二時が鳴り出したら、大きな声を出して合図をしてくれ、すると御父さんがあのいぬいに当る梅の根っこを掘り始めるからと云いつけた。敬太郎は子供心にまた例の家相だと思って、時計がちんと鳴り出すや否や命令通り、十二時ですようと大きな声で叫んだ。それで、その場は無事に済んだが、あれほど正確にくわを下ろすつもりなら、肝心かんじんの時計が狂っていないようにあらかじめ直しておかなくてはならないはずだのにと敬太郎は父の迂闊うかつをおかしく思った。学校の時計と自分のうちのとはその時二十分近く違っていたからである。ところがその摘草つみくさに行った帰りに、馬にられて土堤どてから下へ転がり落ちた事がある。不思議に怪我けがも何もしなかったのを、御祖母おばあさんが大層喜んで、全く御地蔵様が御前の身代りに立って下さった御蔭おかげだこれ御覧ごらんと云って、馬のつないであったそばにある石地蔵の前に連れて行くと、石の首がぽくりと欠けて、涎掛よだれかけだけが残っていた。敬太郎の頭にはその時から怪しい色をした雲が少し流れ込んだ。その雲が身体からだの具合や四辺あたりの事情で、濃くなったり薄くなったりする変化はあるが、成長した今日こんにちに至るまで、いまだに抜け切らずにいた事だけはたしかである。
 こういうわけで、彼は明治の世に伝わる面白い職業の一つとして、いつでも大道占だいどううらないの弓張提灯ゆみはりぢょうちんながめていた。もっとも金を払って筮竹ぜいちくの音を聞くほどの熱心はなかったが、散歩のついでに、寒い顔を提灯の光に映した女などが、悄然しょんぼりそこに立っているのを見かけると、この暗い影を未来に投げて、思案に沈んでいるあわれな人に、易者えきしゃがどんな希望と不安と畏怖いふと自信とを与えるだろうという好奇心にかされて、面白半分、そっと傍へ寄って、陰の方から立聞たちぎきをする事がしばしばあった。彼の友のなにがしが、自分の脳力に悲観して、試験を受けようか学校をやめようかと思いわずらっている頃、ある人が旅行のついでに、善光寺如来ぜんこうじにょらい御神籤おみくじをいただいて第五十五の吉というのを郵便で送ってくれたら、その中にくもさんじて月重ねて明らかなり、という句と、花ひらいて再び重栄ちょうえいという句があったので、物は試しだからまあ受けて見ようと云って、受けたら綺麗きれいに及第した時、彼は興に乗って、方々の神社で手当りしだい御神籤をいただき廻った事さえある。しかもそれは別にこれという目的なしにいただいたのだから彼は平生でも、優に売卜者うらないしゃ顧客とくいになる資格を充分具えていたに違ない。その代り今度のような場合にも、どこか慰さみがてらに、まあやって見ようという浮気がだいぶ交っていた。
 
 
 
 
 
 
 
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 十六
 
 敬太郎けいたろうはどこのうらないしゃに行ったものかと考えて見たが、あいにくどこというあてもなかった。白山はくさんの裏とか、芝公園の中とか、銀座何丁目とか今までに名前を聞いたのは二三軒あるが、むやみに流行はやるのは山師やましらしくって行く気にならず、と云って、自分でうそと知りつつ出鱈目でたらめいてもっともらしく述べるやつはなお不都合であるし、できるならば余り人の込み合わないうちで、閑静なひげを生やしたじいさんが奇警きけいな言葉で、簡潔にすぱすぱとやぶってくれるのがどこかにいればいいがと思った。そう思いながら、彼は自分の父がよく相談に出かけた、郷里くに一本寺いっぽんじの隠居の顔を頭の中にえがき出した。それからふと気がついて、考えるんだかただ坐っているんだか分らない自分の様子が馬鹿馬鹿しくなったので、とにかく出てそこいらを歩いてるうちに、運命が自分を誘い込むようなうらないしゃの看板にぶつかるだろうという漠然ばくぜんたる頭に帽子をせた。
 彼は久しぶりに下谷の車坂くるまざかへ出て、あれから東へ真直まっすぐに、寺の門だの、仏師屋ぶっしやだの、古臭ふるくさ生薬屋きぐすりやだの、徳川時代のがらくたをほこりといっしょに並べた道具屋だのを左右に見ながら、わざと門跡もんぜきの中を抜けて、奴鰻やっこうなぎの角へ出た。
 彼は小供の時分よく江戸時代の浅草を知っている彼の祖父じいさんから、しばしば観音様かんのんさま繁華はんかを耳にした。仲見世なかみせだの、奥山おくやまだの、並木なみきだの、駒形こまかただの、いろいろ云って聞かされる中には、今の人があまり口にしない名前さえあった。広小路に菜飯なめし田楽でんがくを食わせるすみ屋という洒落しゃれた家があるとか、駒形の御堂の前の綺麗きれい縄暖簾なわのれんを下げた鰌屋どじょうやむかしから名代なだいなものだとか、食物くいものの話もだいぶ聞かされたが、すべてのうちで最も敬太郎の頭を刺戟しげきしたものは、長井兵助ながいひょうすけ居合抜いあいぬきと、脇差わきざしをぐいぐいんで見せる豆蔵まめぞうと、江州伊吹山ごうしゅういぶきやまふもとにいる前足が四つで後足あとあしが六つある大蟇おおがまの干し固めたのであった。それらにはくらの二階の長持の中にある草双紙くさぞうし画解えときが、子供の想像に都合の好いような説明をいくらでも与えてくれた。一本歯の下駄げた穿いたまま、小さい三宝さんぼうの上にしゃがんだ男が、たすきがけで身体からだよりも高くり返った刀を抜こうとするところや、大きな蝦蟆がまの上に胡坐あぐらをかいて、児雷也じらいやが魔法か何か使っているところや、顔より大きそうな天眼鏡てんがんきょうを持った白い髯の爺さんが、唐机とうづくえの前に坐って、平突へいつくばったちょんまげを上から見下みおろすところや、大抵の不思議なものはみんな絵本から抜け出して、想像の浅草に並んでいた。こういう訳で敬太郎の頭に映る観音の境内けいだいには、歴史的に妖嬌陸離ようきょうりくりたる色彩が、十八間の本堂を包んで、小供の時から常に陽炎かげろっていたのである。東京へ来てから、この怪しい夢はもとより手痛く打ちくずされてしまったが、それでも時々は今でも観音様の屋根にこうとりが巣を食っているだろうぐらいの考にふらふらとなる事がある。今日も浅草へ行ったらどうかなるだろうという料簡りょうけんあんに働らいて、足がおのずとこっちに向いたのである。しかしルナパークのうしろから活動写真の前へ出た時は、こりゃうらないしゃなどのいる所ではないと今更いまさらのようにその雑沓ざっとうに驚ろいた。せめて御賓頭顱おびんずるでもでて行こうかと思ったが、どこにあるか忘れてしまったので、本堂へあがって、魚河岸うおがし大提灯おおぢょうちん頼政よりまさぬえ退治たいじている額だけ見てすぐ雷門かみなりもんを出た。敬太郎の考えではこれから浅草橋へ出る間には、一軒や二軒の易者はあるだろう。もしったら何でも構わないから入る事にしよう。あるいは高等工業の先を曲って柳橋の方へ抜けて見ても好いなどと、まるで時分どきに恰好かっこう飯屋めしやでも探す気で歩いていた。ところがいざ探すとなると生憎あいにくなもので、平生ふだんは散歩さえすればいたるところに神易しんえきの看板がぶら下っている癖に、あの広い表通りに門戸を張っている卜者うらないはまるで見当らなかった。敬太郎はこの企図くわだてもまた例によって例のごとく、突き抜けずに中途でおしまいになるのかも知れないと思って少し失望しながら蔵前くらまえまで来た。するとやっとの事で尋ねる商売のうちが一軒あった。細長い堅木の厚板に、身の上判断と割書わりがきをした下に、文銭占ぶんせんうらないと白い字で彫って、そのまた下に、うるしで塗った真赤まっか唐辛子とうがらしいてある。この奇体な看板がまず敬太郎の眼をいた。
 
 
 
 
 
 
 
 十七
 
 よく見るとこれは一軒の生薬屋きぐすりやの店を仕切って、その狭い方へこざっぱりした差掛さしかけ様のものを作ったので、中に七色唐辛子なないろとうがらしの袋を並べてあるから、看板の通りそれを売るかたわら、占ないを見る趣向に違ない。敬太郎けいたろうはこう観察して、そっと餡転餅屋あんころもちやに似た差掛の奥をのぞいて見ると、小作こづくりな婆さんがたった一人裁縫しごとをしていた。狭いへや一つの住居すまいとしか思われないのに、肝心かんじんの易者の影も形も見えないから、主人は他行中たぎょうちゅうで、細君が留守番をしているところかとも思ったが、店先の構造から推すと、奥は生薬屋の方と続いているかも知れないので、一概に留守と見切みきりをつける訳にも行かなかった。それで二三歩先へ出て、薬種店の方をのぞくと、八ツ目鰻めうなぎの干したのも釣るしてなければ、大きな亀の甲も飾ってないし、人形の腹をがらん胴にして、五色の五臓を外から見えるように、腹の中のたなせた古風の装飾もなかった。一本寺いっぽんじの隠居に似たひげのある爺さんはもとより坐っていなかった。彼は再び立ち戻って、身の上判断文銭占ぶんせんうらないという看板のかかった入口から暖簾のれんくぐって内へ入った。裁縫しごとをしていた婆さんは、針の手をやめて、大きな眼鏡めがねの上からにらむように敬太郎を見たが、ただ一口、うらないですかと聞いた。敬太郎は「ええちょっと見てもらいたいんだが、御留守おるすのようですね」と云った。すると婆さんは、ひざの上のやわらか物をすみの方へ片づけながら、御上りなさいと答えた。敬太郎は云われる通り素直に上って見ると、狭いけれども居心地の悪いほどよごれたへやではなかった。現に畳などは取り替え立てでまだ新らしいがした。婆さんは煮立った鉄瓶てつびんの湯を湯呑ゆのみいで、香煎こうせんを敬太郎の前に出した。そうして昔は薬箱でも載せた棚らしい所に片づけてあった小机を取りおろしにかかった。その机には無地の羅紗らしゃがかけてあったが、婆さんはそれをそのまま敬太郎の正面にえて、そうして再びもとの座に帰った。
うらないは私がするのです」
 敬太郎は意外の感に打たれた。このいさい丸髷まるまげった。黒繻子くろじゅすえりのかかった着物の上に、地味なしまの羽織を着た、一心に縫物をしている、純然家庭的の女が、自分の未来に横たわる運命の予言者であろうとは全く想像のほかにあったのである。その上彼はこの婦人の机の上に、筮竹ぜいちく算木さんぎ天眼鏡てんがんきょうもないのを不思議にながめた。婆さんは机の上に乗っている細長い袋の中からちゃらちゃらと音をさせて、穴のいたぜにを九つ出した。敬太郎は始めてこれが看板に「文銭占ない」とある文銭なるものだろうと推察したが、さてこの九枚の文銭が、暗い中で自分をあやつっている運命の糸と、どんな関係をっているか、固より想像し得るはずがないので、ただそこに鋳出いだされた模様と、それがしまってあった袋とを見比べるだけで、何事も云わずにいた。袋は能装束のうしょうぞくの切れ端か、懸物かけものの表具の余りでこしらえたらしく、金の糸が所々に光っているけれども、だいぶ古いものと見えて、手擦てずれと時代のため、派手な色を全く失っていた。
 婆さんは年寄に似合わない白い繊麗きゃしゃな指で、九枚の文銭を三枚ずつ三列みけたに並べたが、ひょっと顔を上げて、「身の上を御覧ですか」と聞いた。
「さあ一生涯いっしょうがいの事を一度に聞いておいても損はないが、それよりか今ここでどうしたらいいか、その方をきめてかかる方が僕には大切らしいから、まあそれを一つ願おう」
 婆さんはそうですかと答えたが、それで御年はとまた敬太郎の年齢を尋ねた。それから生れた月と日を確めた。そのあと胸算用むなざんようでもする案排あんばいしきで、指を折って見たり、ただかんがえたりしていたが、やがてまた綺麗きれいな指で例の文銭を新らしく並べえた。敬太郎は表に波が出たり、あるいは文字が現われたりして、三枚が三列に続く順序と排列を、深い意味でもあるような眼つきをして見守っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 十八
 
 婆さんはしばらく手をひざの上にせて、何事も云わずに古いぜにおもてをじっと注意していたが、やがて考えの中心点が明快はっきりまとまったという様子をして、「あなたは今迷っていらっしゃる」と云い切ったなり敬太郎けいたろうの顔を見た。敬太郎はわざと何も答えなかった。
「進もうかよそうかと思って迷っていらっしゃるが、これは御損ですよ。先へ御出おでになった方が、たとい一時は思わしくないようでも、末始終すえしじゅう御為おためですから」
 婆さんは一区限ひとくぎりつけると、また口を閉じて敬太郎の様子をうかがった。敬太郎は始めからただ先方のいう事をふんふん聞くだけにして、こちらでは喋舌しゃべらないつもりに、腹の中できめてかかったのであるが、婆さんのこの一言いちげんに、ぼんやりした自分の頭が、相手の声に映ってちらりと姿を現わしたような気がしたので、ついその刺戟しげきに応じて見たくなった。
「進んでも失敗しくじるような事はないでしょうか」
「ええ。だからなるべくおとなしくして。短気を起さないようにね」
 これは予言ではない、常識があらゆる人に教える忠告に過ぎないと思ったけれども婆さんの態度に、これという故意わざとらしい点も見えないので、彼はなお質問を続けた。
「進むってどっちへ進んだものでしょう」
「それはあなたの方がよく分っていらっしゃるはずですがね。私はただもう少し先まで御出おでなさい、そのほうが御為だからと申し上げるまでです」
 こうなると敬太郎も行きがかり上そうですかと云って引込ひっこむ訳に行かなくなった。
「だけれども道が二つ有るんだから、その内でどっちを進んだらよかろうと聞くんです」
 婆さんはまた黙って文銭ぶんせんの上をながめていたが、前よりは重苦しい口調で、「まあおんなじですね」と答えた。そうして先刻さっき裁縫しごとをしていた時に散らばした糸屑いとくずを拾って、その中からこんと赤の絹糸のかなり長いのをり出して、敬太郎の見ている前で、それを綺麗きれいり始めた。敬太郎はただ手持無沙汰てもちぶさた徒事いたずらとばかり思って、別段意にもとどめなかったが、婆さんは丹念にそれを五六寸の長さにり上げて、文銭の上にせた。
「これを御覧なさい。こう縒り合わせると、一本の糸が二筋の糸で、二筋の糸が一本の糸になるじゃありませんか。そら派手はでな赤と地味なこんが。若い時にはとかく派手の方へ派手の方へとけ出してやりそこないがちのものですが、あなたのは今のところこの縒糸よりいとみたように丁度ちょうど好い具合に、いっしょにからまり合っているようですから御仕合せです」
 絹糸のたとえは何とも知らず面白かったが、御仕合せですと云われて見ると、うれしいよりもかえっておかしい心持の方が敬太郎を動かした。
「じゃこの紺糸で地道じみちを踏んで行けば、その間にちらちら派手な赤い色が出て来ると云うんですね」と敬太郎は向うの言葉をみ込んだような尋ね方をした。
「そうですそうなるはずです」と婆さんは答えた。始めから敬太郎は占ないの一言いちごんで、是非共右か左へ片づけなければならないとまでせつに思いつめていた訳でもなかったけれども、これだけで帰るのも少し物足りなかった。婆さんの云う事が、まるで自分の胸とかけへだたった別世界の消息なら、もとより論はないが、意味の取り方ではだいぶ自分の今の身の上に、応用のく点もあるので、敬太郎はそこにかすかな未練を残した。
「もう何にも伺がう事はありませんか」
「そうですね。近い内にちょっとした事ができるかも知れません」
「災難ですか」
「災難でもないでしょうが、気をつけないとやりそこないます。そうしてやり損なえばそれっきり取り返しがつかない事です」
 
 
 
 
 
 
 
 十九
 
 敬太郎けいたろうの好奇心は少し鋭敏になった。
「全体どんな性質たちの事ですか」
「それは起って見なければ分りません。けれども盗難だの水難だのではないようです」
「じゃどうして失敗しくじらない工夫をして好いか、それも分らないでしょうね」
「分らない事もありませんが、もし御望みなら、もう一遍うらないを立て直して見て上げてもうござんす」
 敬太郎は、では御頼み申しますと云わない訳に行かなかった。婆さんはまた繊細きゃしゃな指先を小器用に動かして、例の文銭を並べえた。敬太郎から云えばせんの並べ方も今度の並べ方も大抵似たものであるが、婆さんにはそこに何か重大の差別があるものと見えて、その一枚を引っくり返すにも軽率に手は下さなかった。ようやく九枚をそれぞれ念入に片づけたあとで、婆さんは敬太郎に向って「大体分りました」と云った。
「どうすれば好いんですか」
「どうすればって、占ないには陰陽いんようの理で大きな形が現われるだけだから、実地は各自めいめいがその場に臨んだ時、その大きな形に合わして考えるほかありませんが、まあこうです。あなたは自分のようなまた他人ひとのような、長いようなまた短かいような、出るようなまた這入はいるようなものを待っていらっしゃるから、今度事件が起ったら、第一にそれを忘れないようになさい。そうすればうまく行きます」
 敬太郎はけむに巻かれざるを得なかった。いくら大きな形が陰陽の理で現われたにしたところで、これじゃ方角さえ立たないきりのようなものだから、たというそでも本当でも、もう少し切りつめた応用の利くところを是非云わせようと思って、二三押問答をして見たが、いっこうらちが明かなかった。敬太郎はとうとうこの禅坊主の寝言ねごとに似たものを、手拭てぬぐいくるんだ懐炉かいろのごとく懐中させられて表へ出た。おまけに出がけに七色唐辛子なないろとうがらしを二袋買ってたもとへ入れた。
 翌日彼は朝飯あさはんぜんに向って、煙の出る味噌汁椀みそしるわんふたを取ったとき、たちまち昨日きのうの唐辛子を思い出して、たもとから例の袋を取り出した。それを十二分にしるの上に振りかけて、ひりひりするのを我慢しながら食事を済ましたが、婆さんの云わゆる「陰陽の理によって現われた大きな形」と頭の中に呼び起して見ると、まだ漠然ばくぜん瓦斯ガスのごとく残っていた。しかし手のつけようのないなぞに気をむほど熱心なうらない信者でもないので、彼はどうにかそれを解釈して見たいと焦心あせ苦悶くもんを知らなかった。ただその分らないところに妙なおもむきがあるので、忘れないうちに、婆さんの云った通りを紙片かみぎれに書いて机の抽出ひきだしへ入れた。
 もう一遍田口に会う手段を講じて見る事の可否は、昨日きのうすでに婆さんの助言じょごんで断定されたものと敬太郎は解釈した。けれども彼は占ないを信じて動くのではない、動こうとする矢先へ婆さんが動く縁をつけてくれたに過ぎないのだと思った。彼は須永すながへ行って彼の叔父がすでに大阪から帰ったかどうか尋ねて見ようかと考えたが、自動車事件の記憶がまだ新たに彼の胸を圧迫しているので、足を運ぶ勇気がちょっと出なかった。電話もこの際利用しにくかった。彼はやむを得ず、手紙で用を弁ずる事にした。彼はせんだって須永の母に話したとほぼ同様の顛末てんまつを簡略に書いた後で、田口がもう旅行から帰ったかどうかを聞き合わせて、もし帰ったなら御多忙中はなはだ恐れ入るけれども、都合して会ってくれる訳には行くまいか、こっちはどうせひま身体からだだから、いつでも指定されて時日に出られるつもりだがと、この間の権幕けんまくは、綺麗きれいに忘れたような口ぶりを見せた。敬太郎はこの手紙を出すと同時に、須永の返事を明日にも予想した。ところが二日立っても三日立っても何の挨拶あいさつもないので、少し不安の念に悩まされ出した。なまじい売卜者うらないしゃの言葉などに動かされて、恥をいてはつまらないという後悔もまじった。すると四日目の午前になって、突然田口から電話口へ呼び出された。
 
 
 
 
 
 
 
 二十
 
 電話口へ出て見ると案外にも主人の声で、今すぐ来る事ができるかという簡単な問い合わせであった。敬太郎けいたろうはすぐ出ますと答えたが、それだけで電話を切るのは何となくぶっきらぼう過ぎて愛嬌あいきょうが足りない気がするので、少し色を着けるために、須永すなが君から何か御話でもございましたかと聞いて見た。すると相手は、ええ市蔵から御希望を通知して来たのですが、手数てかずだから直接に私の方で御都合を伺がいました。じゃ御待ち申しますから、直どうぞ。と云ってそれなり引込ひっこんでしまった。敬太郎はまた例のはかま穿きながら、今度こそ様子が好さそうだと思った。それからこの間買ったばかりの中折なかおれを帽子掛から取ると、未来に富んだ顔に生気をみなぎらして快豁かいかつに表へ出た。外には白いしもを一度にくだいた日が、木枯こがらしにも吹きくられずに、おだやかな往来をおっとりと一面に照らしていた。敬太郎はその中を突切つっきる電車の上で、光をいて進むような感じがした。
 田口の玄関はこの間と違って蕭条ひっそりしていた。取次とりつぎに袴を着けた例の書生が現われた時は、少しきまりが悪かったが、まさかせんだっては失礼しましたとも云えないので、素知らぬ顔をして叮嚀ていねいに来意を告げた。書生は敬太郎を覚えていたのか、いないのか、ただはあと云ったなり名刺を受取って奥へ這入はいったが、やがて出て来て、どうぞこちらへと応接間へ案内した。敬太郎は取次のそろえてくれた上靴スリッパー穿いて、御客らしく通るには通ったが、四五脚ある椅子のどれへ腰をかけていいかちょっと迷った。一番小さいのにさえきめておけば間違はあるまいという謙遜けんそんから、彼は腰の高い肱懸ひじかけも装飾もつかない最も軽そうなのをって、わざと位置の悪い所へ席を占めた。
 やがて主人が出て来た。敬太郎は使い慣れない切口上を使って、初対面の挨拶あいさつやら会見の礼やらを述べると、主人は軽くそれを聞き流すだけで、ただはあはあと挨拶あいさつした。そうしていくら区切が来ても、いっこう何とも云ってくれなかった。彼は主人の態度に失望するほどでもなかったが、自分の言葉がそう思う通り長く続かないのに弱った。一応頭の中にある挨拶を出し切ってしまうと、後はそれぎりで、手持無沙汰てもちぶさたと知りながら黙らなければならなかった。主人は巻莨入まきたばこいれから敷島しきしまを一本取って、あとを心持敬太郎のいる方へ押しやった。
「市蔵からあなたの御話しは少し聞いた事もありますが、いったいどういう方を御希望なんですか」
 実を云うと、敬太郎には何という特別の希望はなかった。ただ相当の位置さえ得られればとばかり考えていたのだから、こう聞かれるとぼんやりした答よりほかにできなかった。
「すべての方面に希望をっています」
 田口は笑い出した。そうして機嫌きげんの好い顔つきをして、学士のかずのこんなにえて来た今日こんにち、いくら世話をする人があろうとも、そう最初から好い地位が得られる訳のものでないという事情をねんごろに説いて聞かせた。しかしそれは田口から改めて教わるまでもなく、敬太郎のとうから痛切に承知しているところであった。
「何でもやります」
「何でもやりますったって、まさか鉄道の切符切もできないでしょう」
「いえできます。遊んでるよりはましですから。将来の見込のあるものなら本当に何でもやります。第一遊んでいる苦痛をのがれるだけでも結構です」
「そう云う御考ならまた私の方でもよく気をつけておきましょう。すぐという訳にも行きますまいが」
「どうぞ。――まあ試しに使って見て下さい。あなたの御家おうちの――と云っちゃ余り変ですが、あなたの私事わたくしごとにででもいいから、ちょっと使って見て下さい」
「そんな事でもして見る気がありますか」
「あります」
「それじゃ、ことに依ると何か願って見るかも知れません。いつでも構いませんか」
「ええなるべく早い方が結構です」
 敬太郎はこれで会見を切り上げて、朗らかな顔をして表へ出た。
 
 
 
 
 
 
 

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