田原総一朗氏は、﹁記憶遺産登録の﹃南京大虐殺﹄を日本は完全否定できるのか﹂︿週刊朝日﹀と題する記事の中で、南京事件の被害者数について次のような見解を示している。﹁日本人の研究者が示すように、4万人にせよ6万人にせよ大勢の中国市民が旧日本軍に殺されたのは事実なのである。﹂
はたして、これは事実だろうか。おそらく、こうした見解は、中間派とされる秦郁彦氏の不法殺害4万人説︵兵士3万、民間人1万―2007年改訂版﹃南京事件﹄︶の影響が大きいと思う。秦氏は、この本で、軍人捕虜の不法殺害3.0万人、民間人の不法殺害1.0万人、合計4.0万としつつ、この4万の概数はあくまで最高限であり﹁実数はそれをかなり下回るであろう﹂としている。
秦氏の﹃南京事件﹄の初版は1986年で、ここには﹁最高限云々﹂の記述はなかった。しかし、1989年に偕行社より﹃南京戦史﹄が刊行され、﹁南京事件﹂の実相が明らかにされたことで、2007年の改訂版ではこのような﹁但し書き﹂が加えられた。また、﹃南京戦史﹄による﹁不法殺害の規模﹂について﹁単行本はすべて不法殺害とは言えぬがとの条件付きで﹃捕虜や敗残兵、便衣兵を撃滅若しくは処断﹄した兵士を約一万六千、民間人の死者を一万五七六0人と推定した﹂と紹介している。
だが、この紹介だけでは秦説と﹃南京戦史﹄説の違いは分からない。そこで、以下﹃南京戦史﹄の見解を紹介する。これによって、”南京事件では、なぜ軍人捕虜等の殺害の当・不当の判定が困難か”。また”意図的な一般市民の殺害があったかどうか”が明らかになるからである。
﹃南京戦史﹄は、南京戦における中国軍兵力7.6千人、その内訳は、戦死約3万、生存者︵渡江、突破成功、釈放、収容所、逃亡︶約3万、撃滅処断約1.6万としている。この1.6万という数字は、﹁捕虜や敗残兵、便衣兵を撃滅処断した実数を推定したもので、戦時国際法に照らした不法殺害の実数を推定したものではない。これらの撃滅、処断は概して攻撃、掃討、捕虜暴動の鎮圧という戦闘行為の一環として処置されたものである。しかし、これらを発令した指揮官の状況判断、決心の経緯は戦闘詳報、日記等にも記述がないので、これらの当、不当に対する考察は避けた﹂としている。
いうまでもなく、この1.6万というのは、兵士の処断数であって、民間人の虐殺を含まない。では、いわゆる﹁南京大虐殺﹂における一般市民の殺害に関する記録はあるかというと、﹁日本側にも中国側にもなく、第三国人の作った資料として﹃南京地区における戦争被害﹄︵スマイス調査︶が唯一のものであり、学術的かつ比較的公正なものと判断される﹂と言う。
では、このスマイス調査にはどのような数字が書き込まれているか。﹁本調査﹂第四表によると、南京市部における、12月13日~翌1月13日の間の兵士の暴行︵日付不明150を加える︶による死者2,400、拉致され消息不明のもの4,200、合計6,600となっている。この数字は、その大部分が日本軍の掃討期間︵12月14日~24日︶のもので、かつ、﹁その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない﹂。
ここで注意すべきは、この6,600人は、一般市民ではなくこの期間に掃討された兵士の数である可能性が大であること。また、この掃討について﹃南京戦史﹄は、﹁ことに城内安全区掃討︵12月14日~24日︶や兵民分離︵12月24日~13年1月5日頃︶の際、我が軍としては一応選別手段は講じたけれども、便衣兵と誤ったケースもあったようであるが、その最大の原因は安全区の中立性が犯され、便衣の敗残兵と一般市民が混淆してその選別が極めて困難になったことがある﹂としている。
また、スマイス調査における江寧県での死者9,160人という数字は、あくまで城外の︵調査した100日間︶の死者数であり、かつ﹁その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない﹂。また、﹁我が軍の中国一般市民に対する基本的態度は、これを敵視しないことであった。市民の被害は我が軍が中国軍を攻撃し或は掃討などの戦闘行為をとったさい、その巻き添えによってやむなく殺害された場合を除いて、すべて個別的な偶発や誤認の結果生じたものが圧倒的に多い﹂としている。
そして結論として、スマイス調査の6,600人+9,160=15,760人という数字について﹁この中には前述したように、戦闘員としての戦闘死、戦闘行為の巻き添えによる不可避なもの、中国軍による不法行為や、また堅壁清野作戦による犠牲者などが含まれ、さらにスマイス調査実施の際の手違いや作為も絶無とは言えない。また、第四表の拉致4,200人の内、調査の時点では行方不明でも、後日無事帰還した者や、たとえ帰還しなくても生命を完うした者もあるかもしれない﹂ので、﹁一般市民の被害者数はスマイス調査の15.760よりもさらに少ないものと考える﹂としている。
ここで、一般的に南京大虐殺という場合、日本軍が12月13日に南京を占領して後、翌1月までの間に発生した中国軍民の不法殺害を問題にする。従って、上述した城外の江寧県の死者を﹁個別的な偶発や誤認の結果生じたもの﹂と見なして除くと、市部調査の6,600人のみとなり、これは先に述べた通り、城内安全区の掃討等において便衣兵と見なされ摘出された人数と重複していると思われるので、結局、﹁南京事件﹂においては、南京防衛軍司令官の”敵前逃亡”によりパニックに陥り撃滅処断された兵士が相当数いた︵その中には不当なものもあった︶ことは事実だが、一般市民に対する計画的な不法殺害はなかった、ということになる。
『南京戦史』が明らかにした「南京事件」の実相
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