貪婪禍
著者:太宰 治 読み手:アン荻野 時間:6分55秒
七月三日から南伊豆の或る山村に來てゐるのだが、勿論ここは、深山幽谷でも何でもない。温泉が湧き出てゐるといふだけで、他には何のとるところも無い。東京と同じくらゐに暑い。宿の女中も、不親切だ。部屋は汚く食事もまづい。なぜこんな所を選んだのかと言へば、宿泊料が安いだらうと思つたからである。けれども、來て見ると、あまり安くもない。一泊五圓以上だ。一日の豫定の勉強が濟んで、温泉へ入り、それから夕食にとりかかるのであるが、ビールを一ぱい飮みたくなつて女中さんに、さう言ふと、
﹁ございません。﹂とハツキリ答へる。けれども、女中さんの顏を見ると、嘘だといふことがわかるので、
﹁ぜひ飮みたいんだ。たつた一本でいいのですから。﹂と笑ひながら、ねだると、・・・