心中
著者:森 鴎外 読み手:滝川 ゆきえ 時間:33分51秒
お金がどの客にも一度はきっとする話であった。どうかして間違って二度話し掛けて、その客に﹁ひゅうひゅうと云うのだろう﹂なんぞと、先を越して云われようものなら、お金の悔やしがりようは一通りではない。なぜと云うに、あの女は一度来た客を忘れると云うことはないと云って、ひどく自分の記憶を恃んでいたからである。
それを客の方から頼んで二度話して貰ったものは、恐らくは僕一人であろう。それは好く聞いて覚えて置いて、いつか書こうと思ったからである。
お金はあの頃いくつ位だったかしら。﹁おばさん、今晩は﹂なんと云うと、﹁まあ、あんまり可哀そうじゃありませんか﹂と真面目に云って、救を求めるように一座を見渡したものだ・・・