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ソフトベンダーTAKERU 30周年 レトロPC/ゲームを振り返る 第4回

『TAKERU』はSteamの始祖!? “同人ソフト”の天国だった

2016年11月15日 11時00分更新

文● 宮里圭介

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PCエンジンから追い始めた日本の文化としてのゲーム

人物紹介

NPO法人ゲーム保存協会
理事長
ルドン ジョゼフ

フランス生まれ。幼い頃より80年代の日本のゲームの歴史に魅了され、その貴重な文化財を護り継ぐ取り組みを行なっている。

TAKERU30周年イベントにジョゼフさんも登壇予定!(詳しくはこちら)

PCエンジンを追いかけ、偶然秋葉原で「TAKERU」と出会った


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現在の秋葉原は当時とだいぶ雰囲気が変わってしまったが、面影が少し残る秋葉原のガード下。この写真は2005年前後のものだが、ラジオセンターや秋葉原ラジオストアーは当時からあった。


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 PC

2TAKERU使Vending Machine

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PC

(C) Nihon Falcom Corporation. All rights reserved.


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Steam!?


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PC

 

アニメーションと音楽とで魅せるメガデモ。今でも動画サイトなどで視聴できるほか、TAKERUでもメガデモ集として売られていたという。

 これに対して日本では、コピープロテクトを破るにしてもデモのようなコンテンツを追加することなく、そのままコピーするのが主流だった。その代りではないが、個人、もしくはサークルでゲームなどのソフトを作る同人文化が活発だった。

 こういった、いわゆる「同人ソフト」はPCショップで販売されていたほか、「コミケ」や「パソケット」といった即売会などで売られていたが、それを購入できるのは現地に行ける人だけ。地方の人にとっては入手すら難しい状況だった。こういった状況を覆し、全国どこでも購入できるようにしてくれたのがTAKERUだ。

「90年代は同人ソフトを配布・販売するシステムがほとんどなく、おそらくTAKERUが世界初です。インターネットの普及もあって、90年代後半ともなればソフトの自動販売機としての将来性はなくなっていきますが、同人ソフトのディストリビューションとしては本当に残って欲しかったですね。もし残っていれば、『Steam』並みに大きな存在になれていたと思います。実際、ビジネスモデルとしては今のSteamとほとんど変わりませんし」

 TAKERUはソフトの購入ができるだけでなく、個人が同人ソフトを販売できたという点でも、同人文化の普及に一役買っていたといえるだろう。

単価が安く、手軽に買えて遊べる同人ソフトはTAKERUユーザーから支持された。簡単に自分がソフトを売る側になれるという点でも画期的だった。

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