1997年5月27日、土師淳︵はせじゅん︶君︵当時11︶が殺害された事件の第一報が報道され、酒鬼薔薇聖斗︵さかきばらせいと︶と名乗る者の犯行声明が列島を震撼︵しんかん︶させた。マスコミは、この事件一色に染まる。ひと月後14歳の少年が逮捕された。新潮社の﹁フォーカス﹂は加害少年の顔写真を掲出し、16歳未満の犯罪は刑事処分されないとする少年法に抗︵あらが︶った。少年法の精神を踏みにじる行為と叩︵たた︶かれたが、被害者家族を取材する中でその果てしない絶望に触れた編集部の意志は揺るがなかった。
1年後、淳君の父親、守さんは深い哀︵かな︶しみの中から、手記の発表を決意する。
98年夏、単行本を編集していた私と﹁週刊新潮﹂の鬼デスクKさんは神戸のホテルで守さんと毎週落ち合い、手記を少しずつ戴︵いただ︶いた。絶望の底にいて言葉を絞り出していく守さんの誠実な姿に私たちは震えた。最愛の我が子が被害に遭うことの衝撃と絶望が込められた﹃淳﹄は、9月に刊行された。
守さんの鎮魂の言葉は、制度を動かす。
2000年、少年法が改正された。刑事処分の可能年齢が﹁14歳以上﹂に引き下げられた︵07年にはさらに改正︶。そして、16歳以上の少年の故意の殺人の場合は、検察へ逆送されることとなった。04年には、犯罪被害者等基本法が制定された。被害者やその家族の権利がはじめて認められた。
哀しみの中で編集した本書は、私の編集者人生の誇りとなった。=朝日新聞2019年10月9日掲載
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