高田保『ブラリひょうたん』「著者から」


 ぶらりとしていてもひょうたんは、ひょうげて円く世間をわたる、身はたながりの月雪花……。とこれは小唄の文句である。東京日日新聞紙上をかりた一日一文、題して「ブラリひょうたん」としたが、その日その日のうかれ鼻唄、他人からみれば、キザでもあろうしコッケイの骨頂かもしれぬ。けっして月雪花などという風流ではない。

   一九五〇年八月




最終更新日 2005年03月20日 01時08分49秒

高田保『ブラリひょうたん』「入墨コンクール」


 
  ()()
  
  
  
  
  
                          )
 



最終更新日 2005年03月21日 00時09分39秒

高田保『ブラリひょうたん』「闘争」

 けんかに哲学は役立つまい。選挙に知性はどんなものか? 闘争という言葉がしきりに使われるが、それだとしたら頭よりも勇気、精神よりも押しの強さということになる。
 条理だった賢明な演説は人を感心させるが感動させはしない。だから選挙のときには効果がないのだそうである。この前のとき私はある候補者が壇上で、ワイシャツの胸を開き毛むくじゃらを会衆に示しながら「さあここで諸君と命の取引だ。この命売ります。どうぞご投票を願います」とやったのを見て成程とおもった。会衆は感心しなかったが感動したのである。ゆうゆうたる成績で彼は当選した。街頭で「命売ります」の看板をかけた失業青年よりもこの代議士の方がこの商売では先手だったことである。
 選挙戦術で最も大切なことは相手が群衆だという事実である。群衆に知性はない。この説に対しては早速抗議が出るかもしれぬが、むかし映画が活動写臭といったころの有名な弁士が節回しよろしく「月は泣いたかロンドンの花ふりかかるパリの雪」という文句を語ったものだった。場内のだれもがうっとりと酔ったように聞きほれていたものである。これは群衆だからであって、必ずしも無知な連中だけが集まっていたというわけではない。反省してみたまえ。立派に知性の持主である君自身が、芝居小屋の中に入ると下らん新派劇に泣かされて帰ってくるじゃないか。群衆の一人となったからである。
 群衆を説得しようとおもったらイソップ物語がいい、哲学は全く不要である、といった哲学者が西洋にいる。事実あるときのいきり立った国民をなだめるためにローマの執政官はその手を用いた。胃袋だけがうまいしるを吸うのに憤慨した手と足がストライキを起こしたところ、たちまち衰弱して手も足も動けなくなったという今も有名なあのおとぎ話である。なるほどあの「命売ります」の演説も立派におとぎ話だったわけである。
 ある人が来て、今度の国会は国会でなくしてもらいたいものですなといった。同感ですなと私は答えたのだが、現在のような選挙でそれを望むことができるだろうか。闘争的気配が濃くなるらしいのを見ると、さらに国会的なものが出来上がるだけだという気がさせられる。これを防ぐためはに、いかにも国会議員らしい人物には投票するなという運動を起こすより外はあるまい。                          (一二・二八)



最終更新日 2005年03月22日 16時56分18秒

高田保『ブラリひょうたん』「平沢・今昔物語」

 今日からいよいよ平沢公判だが、平沢という名は彼の独占となってしまった。一将功成って万骨枯るという原理はこんなところにも現れる。当時春江さんといえば、あゝあの女かと山下女史(編注1ートラ大臣泉山三六事件で抱きつかれた婦人代議士)に独占されてしまったようなものだろう。同姓あるいは同名の諸君には大迷惑な話である。
 江戸時代にも平沢という名で世間に騒がれた男がいる。金貸しだったともいい、易者だったともいうが、とにかく一筋縄の人物ではなかったらしい。黙って坐ればぴたりと()てるどころではない。千里眼みたいな透視術もやった。
 松平雲州が彼を招いて百色中てというのをやった。九十九まで中てた後、この百番目は陰陽兼え備えた人物だが、尋常のことではないから名前をいうのは許されたいと答えた。小箱の中の紙片に書いてあった問題は当時の名女形瀬川菊次郎だったのだから、なるほど陰陽を兼ね備えている。あっと一座は驚嘆したというのだが、これだけのカンがあったら二十の扉なんぞ可笑(おか)しくってと笑うだろう。
 だが同じ話が別な形で伝わっている。ある日ある殿様が同じように中てさせたところ、これは本当の役に立たぬ下らぬ人物でござると答えた。開けたところ平沢左内と当人の名前が出て来たので「一生の大当り」ととんだ笑い話になったというのである。
 当時の随筆雑記類に彼の名の出て来るものが相当あるところをみると、ともあれ評判の高かったことは確かなのだが「かたはらいたきいやな奴なり」とののしっているのもある。江戸の市中あちこちへ出張所を置き「不意の面会対談謝絶」と書出していたといえばもっ体ぶった形にもとれるが、実はあるときある講釈師からひどくとっちめられ、無知文盲を暴露してしまって以来の警戒策だったのだとも書かれている。万事総合するにハッタリの強いインチキな世渡り師だったのだろう。
 昔のこの平沢左内と、今の世の平沢大障とまさか血筋のつながりがある訳でもあるまいが、昔平沢の方の末路は、馬鹿高利の金を旗本に貸した罪を問われて死罪になったとある。今平沢の方は帝銀事件の容疑だが、ともに金にまつわっている点、まんざら縁がないでもない気がする。好事家は調べてみなさるがよろしい。             (一二・二一)



最終更新日 2005年03月23日 01時42分07秒

高田保『ブラリひょうたん』「所得税撤廃案(上)(下)」

  ()
  使使使
  鹿
  
  
  
  
           )
 
()
  ()
  殿殿
  
  
  ()
                           )
 


最終更新日 2005年03月24日 00時25分06秒

高田保『ブラリひょうたん』「大臣と詩人」

 多分、名前というやつの中に宿命がかくれていたのだろう「泉山」というのがどうも結構でない、というのは
  いっぱいのんで
  ずッこけた
  みのほどしらずだ
  やめさせろ
  まったもなしに首となる
 すらすらと浮んだのだが、この文句の各行の第一音を横に読んで戴きたい。私流の身の上判断である。
 しかし大臣が議場で酔払うとは怪しからんという非難は論理的でない。議場で酔払うような男を大臣にしたのが怪しからんといえば理屈に適ってくるのだが、こうなると泉山殿が悪いのではなくて、悪いのは吉田氏ではござらぬかとなってくるだろう。吉田氏が泉山殿を引出したとき、一体どこで生まれたどんな人物かわからず、各新聞社とも大いにまごついたという話は有名である。この話は酒神バッカスの誕生によく似ている。彼は神々や人間の生まれるところから生まれるだけの値打ちがなかったために、父親ジュピタアの太ももを割いて出て来たのだそうだ。
 生まれ方といえば、堂々としていたのは例のフランス古典の怪物ガルガンチュワだろう。おぎやアと泣くところを、のみたアいと呶鳴(どな)ったものだという。泉山殿としては大臣になりたてのことだったし、つまりはあれも生ぶ声だったのかもしれぬ。だったら生かしてさえ置けばガルガンチュワ級の怪物となれたかもしれぬのに、惜しいことをいたした。
 酒をのむその事は決して悪くはない。孔子は有名な美食家だったが、酒の方も大いやったらしい。無量不及乱とあるから底なしに飲んでなお正体を失わなかったのだろう。酒にも聖賢の道はあるものである。中国のある詩人は彼を讃えて「飲宗」といい、すべからく彼を杷るべしと説いた。孔子に比べると李白などは下の下であるとなるらしい。ぐでんと酔払って「天子呼来不上船」などと(くだ)を巻いたところ、泉山殿の類らしいが、しかし李白はよかったことに大蔵大臣ではなかった。だから酔態がかえって彼の美名に光彩を添えるものともなったのである。どうも大臣になるよりも詩人になった方が人間は幸福のようである。
                           (二三・一二・一七)


○向井敏『贅沢な読書』(講談社現代新書)で言及があります。


最終更新日 2005年03月25日 01時15分28秒

高田保『ブラリひょうたん』「首斬り」

 医者の不養生というが、坊主の不人情ということもあるだろう。電気の検針に来た人をいきなり殴り殺してしまった坊主があった。死人を扱う商売だから人の命など何ともおもわなかったのかもしれない。フランス革命の歴史は殺人惨劇の連続だが、その犯人の中に坊主上がりは沢山いる。
 首斬りの名人浅右衛門にある人がコツを聞いた。すると仏心をもって斬るといったそうだ。斬り損ねれば成仏しにくい。斬り落とされた首が無念の表情を浮かべる暇のないほどに素早くずばりとやってしまうのが名人の腕前というわけである。へびの生殺しぐらい残酷なものはないことになる。殺し方には人情不人情がある。
 ギロチンといえば残酷不人情の大看板みたいにとれるが、あの道具を発明した男はそれまでの死刑の方法が残酷不人情すぎたのでそれを救うつもりだったそうだ。火(あぶ)りとか絞り首とかよりはなるほど人情的かもしれぬ。人殺しのヒューマニズムである。しかし簡便に人殺しができるので大量処刑に役立つという結果になった。
 英語に「ハング・フェイア」という言葉があると聞いている。訳せば「首絞めまつり」となるだろう。罪人処刑の日には見物人が雲集してにぎやかな市が立ったからのことだそうだ。だが一人二人の処刑だから見物の種にもなるので、何百人もの大量となるとそうはいくまい。船の中にすし詰めにしてロワール河に浮かべ、船底を抜いて一度におぼれさせたのは十八世紀のフランスがやったことである。ギロチンではもはや間に合わなかったからだろう。
「首斬り絶対反対」というプラカードを立てて赤旗かざした一隊が歩いて行くのに今日も出あった。東宝の争議はすんだが争議は浜の真砂である。しかし厳密な言葉づかいでいけば「首斬り」ではなく「首斬られ」だろう。引かれ者の小唄というが、これは斬られ者の合唱である。政府はいよいよ行政整理を断行するという。何十万人とか予定も発表したが、一体どんな方法で首を斬るのか。十二月の街を歩いて肌寒い思いをしたのは何も北風ばかりのせいではなかったらしい。                      (一二・一九)



最終更新日 2005年03月26日 23時36分58秒

高田保『ブラリひょうたん』「ブラリズム」

  
  
  !
 
   
  ! ? !     ()
 


最終更新日 2005年03月26日 23時37分30秒

高田保『ブラリひょうたん』「身上判断詩 」

 ()
  殿
  
   
  
  
  西椿
   VIVA
   EMANUELE
   RE
   D'
   ITALIA
 
  
   
   
   
 
 
  ()()                     )
 
 ()
  
  ?  
 ?    ?  
  
  
   
   
   
   
   
   
   
   
  
   
   
   
   
   
   
   
  宿宿                     ()
 


 

最終更新日 2005年03月26日 13時34分29秒

高田保『ブラリひょうたん』「初夢」

 初夢、どんなのをご覧になったか。昔は一富士といったものだが、今は富士山も権威を失くしてしまっている。それにしても人間夢だけはままにみるのがむずかしい。ある新興成金がそれを嘆いていた。豪勢なご殿に住まって絹布のふとんにくるまっているのだが、夢ではやっぱり昔通りに場末のアパートの汚い一室にしおたれているのだそうである。
 うれしい夢、楽しい夢、思いのままを長くも短くも料金次第で、という新商売をはじめた男があって大繁昌をした。件の成金が聞いたら早速自家用車を走らせる気になるだろうが、これは江戸黄表紙作者の夢である。地獄のさたが金次第の世の中にもこればかりはとなったら、硬骨の検察官のことを「夢みたいな奴」だと誰かがいうかもしなない。
 昔は「京の夢、大阪の夢」といったものが、夢にも時勢があるから今では「ワシントンの夢、モスクワの夢」という方がいいだろう。夢に周公を見ずといったのは昔の孔子だが、今の世の賢人たちはマルクスに会ったりレーニンに会ったして大いに談ずることがあるらしい。しかし何をどう談じても寝言ではたよりない。近松門左衛門も寝言の文句には困ったそうだ。
 スタインベックの「戦後ソヴェート紀行」を読むと、キエフの町の人たちが晴々と未来のことばかり語っていたとあった。夢みる人はうらやましい。日本人も未来のことが大いに語りたいのだが、夢をみるどころかまだなかなか寝つかれそうにもないのである。夢にはまず安眠、これは絶対条件である。
 条件が悪ければ悪夢になる。悪夢を見たらバクに食わせてしまえばいいというが、そのバクに食われる夢だったら何に食わせればいいのか。あれこれ考えればいよいよ眼がぎょろりと冴えて来るばかりである。
 古来の秘伝、思うままなる夢を見られる法というのがないでもない。古歌に「いとせめて恋しきときはぬば玉の夜の衣をかえしてぞ寝る」というのがある。ご利益は果たしてどんなものか。男の着てきた外套を裏返して敷いて寝たら、カリコミ夢を見てしまったと唇の真赤な女の子がいった。       (一・四)



最終更新日 2005年03月27日 00時18分08秒

高田保『ブラリひょうたん』「鼠の整理」

  
  
  綿
  
  便
  ()()
                                 ()
 


最終更新日 2005年03月28日 02時33分22秒

高田保『ブラリひょうたん』「知識と時代」

 強力サムソンにとってはライオンぐらい何でもありゃしない。ある日出て来たその一匹をなぐり殺した。幾日かの後に恋人とその死骸を見にいったら、なんと綺麗な蜜蜂がそこから湧いて飛び立っていた……。
 これは聖書の中に出て来る話だが、現代では小学生だって黙って聞いてはいないだろう。それは蜜蜂ではない。きっと蠅にきまっている! だが十七世紀末では誰もそんな異議はとなえなかったというのだ。卑書だからというので遠慮したのではない。蜜蜂というものについて何にも知らなかったからである。
 何でも知っているということは大した徳だ。だが人間は知っている数が多いだけ聞違いも多いものだといわれる。「話の泉」の先生方が時折アヤフヤなのも、だから当然かもしない。アリストテレスは何でも知っている大学者だったが、蜂の巣の支配者が女性であることは知らなかった。
「驚くべき豊富な博物学的知識の持主」とブランデスはシェクスピアのことを賞め上げている。そのシェクスピアが最近映画で有名になった「ヘンリー五世」の中で蜜蜂についての長口上を述べているが、彼にしても同じことだった。自然科学的にいったら一行おきに出鱈目だというのである。
 ところが同じ詩人でもミルトンとなるとそうではない。男蜂が女蜂の養われ者だということがはっきり「失楽園」の中でうたわれている。失明していた筈の彼なのにと誰しも賞めたくなるだろうが、しかし、これには種があるかもしれない。
 実は、自然科学者が蜜蜂の生態を正確につき止めたのはシェクスピアが死んでから五十年の後だったのである。そしてそれから五十年の後にミルトンがあの詩を書いたというわけなのである。シェクスピアの出鱈目も、ミルトンの正確も、だから時代のせいであって詩人たちの責任ではないのである。
 しかし本当の事をいえば、ここに同じく詩人ヴァージルがいるのだ。彼はその詩の中でカルタゴ人の精励を讃えながら蜜蜂について男蜂が怠けものであることや、中性蜂が働きものであることをちゃんと述べているのである。十七世紀中葉に自然科学者がそれを発見したとはいうが、実は紀元前のこのヴァージルの文句に裏書をしただけにすぎないじゃないかともいえる。                               (一・八)



最終更新日 2005年03月28日 02時35分51秒

高田保『ブラリひょうたん』「ト書きと政治」

  
  
  
  
  :
                      )
 


最終更新日 2005年03月28日 02時38分47秒

高田保『ブラリひょうたん』「浮浪児について」

  
  ? 
  
  
  
  
  
                                    ()
 

 


最終更新日 2005年03月29日 01時22分16秒

高田保『ブラリひょうたん』「金精」「再び金精について」

  
  ()
  ()
  
  
  
  
                                    ()
 



 
  
  
  
  
  
                                    ()
 


最終更新日 2005年03月29日 03時26分13秒

高田保『ブラリひょうたん』「演説をタノシむ」

 ハズミというものは恐ろしい。ある代議士が演説し、調子づいたハズミに「板垣死すとも自由は死せず、自由は死すともわが党は死せず」とやってしまったそうである。
 ラジオで各候補者の政見発表というのを聴いているが、聴き手を前にしてのエンゼツではないから、このハズミというものがない。愛嬌のないこっけいに終わってしまっているからちっとも楽めない。
 選挙演説をタノシむなどといったら不真面目といわれそうだが、私の友人で道楽からそれをあちこち聴き廻っているのがある。遊びに来て面白い報告をしてくれた。
「当選の暁には必ず本心に立ち返り……」とやったのがあるそうである。職業は土建となっているが例の何々組であろう。本心に立ち返られたら何をするかわかったものじゃないと友人は笑ったが、日本の国会も今度の選挙で本心に立ち返ってくれぬと困るのだからそれもいいよと私も笑った。
「諸君のご期待に副うべく目下苦戦中であります……」
 その結果落選してお目にかけますとなるのだろうが、いかにも悲痛な声をふり絞って呶鳴つたので、聴衆はたれも笑わなかったそうだ。そこへ行くと次の文句の候補者のときには、堂々とした風釆(ふうさい)でジェスチュア入りのエンゼツだったから一部の者がクスクス笑ったそうだ。
「故にわが輩は(あえ)て、わが党のほかにわが党なしと断言するのである……」
 クスクスという筈はない。当然ゲラゲラと来るべきなのに怪しみたくなるが、友人の説明によると、気の利いた連中はほとんど一人もといっていい程、演説会へはやって来ないそうである。例えばある候補者が次のようなことをいった。しかし聴衆はしずかに、成程そうかという顔で聞いていたのだそうである。
「私は党の公認候補であります。だから私のする約束だけが党の公約であって、他の諸君のとはワケが違うのであります……」
 ハズミは恐ろしいなどと私はいったが、こうなると決してハズミではあるまい。ハズミでなしにこんなことが平気でいえる連中がもしも何かのハズミで当選したら?――ああやっぱりハズミというものは恐るべしである。                 (一・二〇)



最終更新日 2005年03月29日 03時28分40秒

高田保『ブラリひょうたん』「計算読書法」

 さすがに近ごろはカストリ雑誌、売行きがよくないそうだ。編集者たちが渋い顔して、やっぱり確かに購買力が落ちたためですなといった。だが果たして左様か。
 ある青年が来て面白い報告をしてくれた。ある雑誌のある作家の小説を読んで、その中の主人公が女を追い廻すのに使った金、その総額を丹念に計算してみたのだそうである。
 あるキャバレーへ行き女に目をつける。三日目に連れ出し、銀座でハンドバッグを買ってやり新橋から汽車で熱海温泉へ行く。二泊して帰るというお定まりの筋だが、キャバレーの三日間が少く見積もっても一万円、ハンドバッグが上物なので一万円、熱海の温泉支払いが……と色々書出してみて合計したら、総計十万円よりも上へ行ってしまった。寒燈の下にいて徒然(つれづれ)なるままに、ふとこんな読み方をしてしまったら何ともいえぬ気持になってしまいましたーというのである。
 肉体の文学、肉体の解放など作家はうたってくれたのだが、十万円の金が無ければ女は口説けぬのか思うと、読者の方は解放ところではない。さてこの読み方をし始めたら、現代作家の遊興小説はみんな、僕たちにとっては「おとぎぱなし」だと気がつきました。僕らの生活とはどれもこれも余りに遠すぎるんですよ。あきれましたーとこう次にいったのである。
 私は笑ってうなずくより外はなかった。この青年は決して文学好きだったのではない。文学青年ではないからそんな読み方もしたのである。この読み方は決して理屈を述べたのではない。ただ事実をつかまえただけなのである。だから当の作家といえどもこれを反駁したりはできないだろう。
 ただ私はエミイル・フアゲが「読書術」の中でいっていた言葉を思い出したので、それをあたかも自分の説のような顔で取りついでやった。フアゲは愚作悪書というものもたまには読むべきだというのである。なぜならそれは、人間を(そこな)うかもしれぬ危険な感情を浄化し、その後に悪影響を及ぼすことがないようにしてしまうところの、一種のカタルシスとなるからだというのである。私はいった、「つまり君が考案したその計算読書法のごときは立派にそのカタルシスだよ」と。
 とにかく、かくてカストリ雑誌が一人の読者を失ったのは事実である。
                             (一・二一)



最終更新日 2005年03月31日 00時58分50秒

高田保『ブラリひょうたん』「法隆寺」「ふたたび「法隆寺」」

  
 ?
  
 
  
  ()()
 西
  
  ()               ()
 



  ?!
  ? 便
  
 ???
  ? 
  ()
                            ()
 


最終更新日 2005年03月31日 01時10分29秒

高田保『ブラリひょうたん』「節分にちなんで」

  
  
  退?
  姿
  ()調
 ?
  
                        )
 


最終更新日 2005年03月31日 01時12分58秒

高田保『ブラリひょうたん』「当選確実」

  
 
 
 ! 
 
 ? 
 
             ()
 


最終更新日 2005年03月31日 01時04分11秒

高田保『ブラリひょうたん』「審査投票」

 キング・イングリッシュとプレシデント・イングリッシュとを比べたら、プレシデントの方がずっと簡便だが、その簡便をもっと簡便にしたいと考えたプレシデントがあった。鼻眼鏡と虎狩りで有名なセオドール・ルーズヴェルトである。
 動詞の語尾変化をみんなtの字だけつければよいことにしようという説など、相当共鳴者もあったのだそうだが遂に実現しなかった。言葉は生きもの、アメリカのような国でさえ簡便ということだけではどうにも動かせなかったところに微妙なものがある。
 それを政府の方針だけで決め、一片の布告で国民に押しつけてしまったのが日本だから大したものだ、「新体制仮名つかい」とか「漢字制限」とか、まことに政府の権能は大したものである。ところがこれは、憲法学の権威故美濃部博士の説によると、明らかに憲法違反になるのだそうだ。そういわれるとわれわれ素人にもわかる気がする。それでこそ憲法だという気になれる。
 国語をいじくると、これがもしもフランスだったら大騒動だろう。何しろドイツ語は馬の言葉で、英語は犬の言葉で、わがフランス語だけが人間の言葉だと誇っている国民である。事がフランス語に関したらそれはフランスの伝統的道徳につながる問題だとして騒ぎ立てる。その事例なら数え切れぬほどであるだろう。
「ブウルボン宮殿をアカデミイの如くにした」と木下杢太郎がパリ通信の中に書いているのもその事件の一つだ。中学校の必修課目としてラテン語、ギリシャ語を残すべきか除くべか、日本ならば平気で文部省内の一局ぐらいで片付ける問題だが、これが国会の議題となり、甲論乙駁、二十日余りにわたってやっと納まったのだそうだが、国会が、ためにアカデミイの如き観を呈したということ、われわれとしてはただうらやましいと嘆息するだけである。
 最高裁判官の経歴書というのが廻って来たが、これだけではどうにも頼りない。曖昧(あいまい)なものは判定の材料として取上げぬのが裁判の常識だと聞いていたが、これで投票しろというところをみると、裁判と審査とは違うのだろう。それにしても、もしも文芸家協会あたりで「新制仮名つかい」の決定を憲法違反で告訴してくれていたらと思った。
 つまりその判決次第で、私は確信的×印をつけることが出来たろうからである。
                            (一・二三)



最終更新日 2005年03月31日 01時06分06秒

高田保『ブラリひょうたん』「対面」

 同気同質の二人なら、対面して話の末に何か生れることもあるだろうが、異気異質の二人ではどうにもなるはずがない。
 フランスのある高官が――というのだから多分大臣か何かだろう――彫刻家のロダンに会ったとき、そこにあった一枚の素描を取上げて「こんなもの、これは何を表現しているのですか? 一体何のためにこんなものを描くのですか?」と質問した。するとロダンは眼をつむったままで、「何のためでもありません。ただそんなことをやってるというだけですよ!」
 縁なき衆生は度し難しというが、世界が全く別なのだから、どこまで行っても平行線で交わりっこないのである。グラッドストーンは大政治家、ダーウィンは大生物学者、この二人が出会ったときは、二人とも大いに語り合ったものだそうだ。しかしグラッドストーンはそのころに起こったトルコ人の虐殺事件についての政治的見解を弁じ、ダーウィンはそこに生えていた豆の(つる)の巻き方について説いたのだというのである。そこでこの二人は別れた後で同じように首を傾げて
「あの話、あの男にどこまで判っただろうな?」
 ヤルタ会談のとき、スターリンはルーズヴェルトにこう聞いたのだそうだ。
「君のアメリカでの労働者の月収はいくら位かね?」「三百ドル」「で彼等の一ヵ月の生活費は?」「二百ドル」「すると百ドル余る勘定だが、彼等はそれをどんな工合に費っているのかね?」
 そこでルーズヴェルトは、こう答えたのだそうだ。
「そんなことは彼等の問題で、私の知ったことじゃない?」
 さて次にルーズヴェルトの方から聞きはじめたのだそうだ。
「君のソヴェートでの労働者の月収はいくらだね?」「八百ルーブル」「で彼等の一ヵ月の生活費は?」「一千ルーブル」「すると二百ルーブル足らん勘定になるが、彼等はそれをどんな工合にしているのかね?」
 そこでスターリンがこう答えたというのである。
「そんなことは彼等の問題で、私の知ったことではない!」
 これはいつかのタイム誌に出ていた小話だが、もしもスターリンとトルーマンとが、どこかの「お互いに都合のよい」場所で会談したら、きっとまた何かしらの逸話が生まれることになるだろう。それもまた楽みの一つである。                                      (二・四)



最終更新日 2005年03月31日 01時16分19秒

高田保『ブラリひょうたん』「仏の魂」

  
  ()
  使
  ()()()()
  
  ()                          ()
 


最終更新日 2005年04月01日 01時53分27秒

高田保『ブラリひょうたん』「ハッタリ」

 ざっと半世紀も前になることだが「パリのライオン、パデレウスキイ来る」という大きな広告がロンドンの町の辻々に貼り出された。セント・ジェームス・ホールに彼の演奏会が開かれるというのだが、しかしロンドン児たちはこの広告を見るとふふんと鼻で笑った。
 実際にパリの楽壇をうならせたパデレウスキイだったのだし彼の見事な金色の長髪はまったくライオンのような威容でもあった。だからこの広告は決して誇大でないといえばいえるのだが、しかしロンドン児の趣味には合わなかったのだ。
 いやこれはパデレウスキイ自身にとっても鼻持ならぬ悪趣味だったのだ。マネジャーの某がかけたハッタリだったのである。だがこのハッタリのためにパデレウスキイは大変な損をしてしまった。すでに演奏会前に一般が偏見と反感を持ってしまったからである。これを打破るのは容易なことではない。果たして演奏に対する批評は散々だった。
 しかしさすがにパデレウスキイ。二回、三回と会を重ねるにつれて真価を認めさせるに至った。そこで英国内各地への演奏旅行もできることになったのだが、そうなるとロンドンでの反響を抜萃した紹介パンフレットを編集する必要がある。マネジャーがその編集をした。それをバデレウスキイが校閲すると、受けた悪評はすこしも採上げていない。無名の評者のでもそれが少しでも賞めてあれば長々と引用してある。商売的宣伝用のものだしそれが当然なのだが、パデレウスキイはそれを突返していった。
「例えばバーナァド・ショウ氏が、私の演奏を『ピアノ攻撃』と評したこと、鍛冶屋が鉄床の上に置くように、協奏曲をピアノの上に置いてたたきつけて喜んでいるといったあの忘れられない悪口など、是非とも大きく採録してくれたまえ」
「そんなことをしたら……?」
「いや」とパデレウスキイは手を振って「ショウ氏がそれほどに攻撃しているピアニストならというので、人はかえって私を聴きにやってくるだろう」
 ハッタリということを前にいったが、実はこの方が本当のハッタリだったかもしれぬ。結果はパデレウスキイのいった通りだった。到る所で演奏会は満員札止めの盛況だったというのである。                             (二・一〇)



最終更新日 2005年04月01日 02時13分29秒

高田保『ブラリひょうたん』「芸術家」

 映画「愛の調べ」が、ことに若い女性間の人気を博しているようだ。なるほどシューマン夫妻の物語はロマンチック好みの彼女たちにはぴったりするのだろう。女は男を愛しているとき最も美しい。クララは夫シューマンをばかりでなく、彼の音楽をまで愛した。二重の愛だからいよいよ美しくおもえる。
「愛の調べ」の中で、シューマン曲をリストが弾く。するとクララが、ああ弾いてはシューマンでないと非難する。シューマンの事なら何でも誰よりも自分が一等よく知っていると自負したのだろう。彼に対する彼女の愛情を知っていたものはこの自負を是認した。だからクララのシューマン曲演奏は最も正しいものとされ、権威となり、伝統となった。
 ところがこの伝統を破壊し、権威を失わせてしまった男がいる。パデレウスキイである。自分こそが作曲者シューマンの望んだであろう通りの演奏をするものだと宣言した。クララ夫人のシューマンに対する愛情はわかる。が愛情はかならずしも理解ではない。作曲者が思いきりフォルチッシモでと望んだところは、その通りにフォルチッシモでたたきつけなければならない。クララ夫人の演奏は結局女らしいいたわりであるに過ぎないという訳だったのである。これは明らかに音楽家としてクララに対する軽蔑ともいえる。
 さて軽蔑ということになると、その以前に次のような話がある。あるときのパデレウスキイの演奏会ヘクララ女史が現れた。その時にはもう大分の老齢だったのだろうが、人目に立つ派手な衣裳で最前列に陣取った。外の曲のときには拍手したのだそうだが、やがてリストのファンタジアを弾きはじめると、露わに眉をひそめ、肩まですぼめながら、隣席の連れの女性にこう囁いたというのである。「どんなに立派な技法を持っているにしてもリストを選んだというだけでもう判るじゃありませんか!」
 話というやつは組合せによってとんでもないことになるものだ。こう二つ並べるとどうも、クララの軽蔑に対してパデレウスキイが執念深く復讐をしたともなりそうだが、そんな結論は私の知ったことではない。私はただ私の例の悪趣味から「愛の調べ」のロマンチック人気を一寸かき廻してみようとしただけのことである。           (二・一一)



最終更新日 2005年04月01日 03時32分35秒

高田保『ブラリひょうたん』「座談会」

  UP
  
  ×
  
  
  
  ()
  ()()
  
  ()()()li              ()
 


最終更新日 2005年04月02日 00時27分03秒

「高田保『ブラリひょうたん』「浜辺にて」

「漁夫生涯竹一竿」という一休和尚一行物の似せ軸を掛けて置いたら、町の漁場の人が来て、こんな文句はもう通用しませんよと笑った。漁業権というウルサイものがつきまとっているから竹一竿だけで解決がつくものではない。この方面もいよいよ協同組合ということになったので、一休さんみたいな心境ではいよいよいられぬのだと説明をしてくれた。
 さて天にホウキ星というのがある。それが出るとその年はロクなことがない。これはもちろん迷信だが、海の中にもホウキ草というのがあるのだそうだ。下した網にそれがついたりするとその年は駄目だと老人の漁師たちがいっている。私の町の漁場の綱には今年珍しくそれがついた。迷信であってほしいが、とにかくいつもなら毎日ブリ大漁が続く季節なのに、今年はとんとその音沙汰がない。
 漁場の経営は会社で、漁師諸君はそこの従業員という関係になっている。だからブリが入ろうと入るまいとその月給だけはもらうのだが、別に漁獲高の歩合配当金がついているのでほんの知れた額でしかない。だからホウキ草の影響は直接にやってくる。ボーナスが渡らぬ時のサラリーマン諸君の不機嫌よりももっと深刻な顔を彼等がしていても無理はないだろう。
 ところがこの外にオカズという制度がある。日に一、二度ずっ網を締めるのだが、季節物のブリは入らぬにしても、サバとかアジとかの小物は幾分なり入る。獲れ高の如何にかかわらずまずその中から、てんでの台所用に現物配給をするのである。二百目から精々で五百目止まりだろうが、このオカズが果たして誰の胃袋に納まるか、ともかくもこれは収入だといえる。
 この外にも一つ、ドウシンボウというのがある。多分「心を同じくした泥棒」というので「同心棒」とでも書くのかもしれない。乗船している監督の眼を盗んで、船底とか漁具箱の蔭とかに獲ったものの一部を隠しておいて、後で全員でそれを処置しようというのである。もちろんこれは大した分量であり得るはずもない。これは長年の習慣で、だから公然の秘密で、監督もそれが度を越さぬかぎり黙っていなければならない。
 そんな同心棒をするより、もっと余計なオカズなり歩合金なり要求した方がいいだろうとこれは誰でも思うことだが、それでは毎日の仕事の面白味がなくなると漁師諸君はいうのだそうである。この辺にまだ「竹一竿」の漁夫生涯が残っているじゃないかと一休さんは答えるかもしれない。                         (二・二〇)



最終更新日 2005年04月02日 00時59分43秒

高田保『ブラリひょうたん』「国会議員」

  宿?
  ?
  ()()宿
  !!!
  宿                     ()
 


最終更新日 2005年04月02日 12時04分48秒

高田保『ブラリひょうたん』「税金と文化」

 奈良の町に「日吉館」という宿屋がある。古美術研究者だったらだれでも知っている。研究者などというのは大概金持ではない。金持ではないこの連中が泊まってゆっくり研究のための滞在ができるのがこの日吉館である。
 私は何も宿屋の広告をしているのではない。今時に珍しい美談の紹介がしたいのである。学生たちがやって来て、米だけは背負って来たから安く泊めてくれといったところ、五十円でよろしい、その代わり外のお客より一時間早起きをして、できるだけ沢山見て廻りなさいと答えたそうだ。宿屋だから無論商売ではある。だが奈良美術のためにというのでなければこんな(もう)からぬ返事は出来ぬだろう。
 豪勢なホテルに泊まって東大寺境内を自動車で廻るような高級鑑賞家ご連中にとっては、日吉館などどうでもいいだろうが、日吉館の方にとってもそんな連中は必要ない。あるときホテル泊まりの客、この人は現参議院文化委員で時めいている有名な人だが、日吉館泊まりの客を訪ねて来てその帰り際、ホテルまで自動車を呼んでくれといったそうだ。すると主人は落着いて、自動車屋はホテルよりも遠い所にござんすでなと答えたそうだ。有名人はいら立って、僕は歩くのがきらいなんだ! すると主人はいよいよ落着いて、それはまあご不自由なことで!
 国宝保護はもちろん大切、ぜひやってもらわねばならぬが、その国宝を慕ってそこに集まる巡礼者のわらじの脱ぎ場所も大切にしてらもいたい。同じ有名人でも決して金持ではない会津八一先生とか広津和郎先生とかは、日吉館があるからこそしばしば奈良へ行けるのだといっている。名こそ挙げぬが今日立派にその道の学者となっている人で、かつてはこの日吉館に居候みたいにして巣食っていたのもある。一泊五十円で泊めてもらった学生たちの中からもやがてはその後継者が出るかもしれない。
 あそこは奈良古美術大学の学生寮だといった人があったが、これは適評の名言だろう。ところがである。この学生寮へ他の旅館並みの高額税金が課せられたのだそうである。到底今後立行きそうもないと主人が嘆いているという話を聞かされたのだが、自動車乗廻しの客を相手にせぬ日吉館が、それを相手にする他の旅館と区別なしに扱われたら、なるほど日吉館は日吉館でなくならぬ限りやって行けるはずはない。
 この税金のためにも日吉館が無くなったという問題、これは一宿屋のことではない。文化に及ぼす税金の影響の一例として、切に当局に考えてもらいたいのである。共産党の反税運動などに乗って言っているのではない。               (二・二三)



最終更新日 2005年04月02日 17時16分19秒

高田保『ブラリひょうたん』「衆望」

 ワン・マン・パーティーとは何かと人にきかれた。仕方ないからオットセイの話をした。長い冬が終わって海の氷が割れる。その割け目を泳いでやって来たオットセイたちは、島に上陸するなり、わが世の春とばかりワン・マン・パーティーをつくる。
 三百近い群の中に、老大獣というのが一匹いて、それが傲然とうずくまる。側近はすべて従順なる牝どもで、老大獣に不服な若小獣は遠くの方に追いやられている。
 つまりこれはオットセイのハレムなのだが、いささかでも老大獣に隙があると、遠くの方でうかがっていた若小獣がたちまち彼に代わろうとして、争闘の結果、追い出されたり、分裂したり、あるいは乗っ取られたりするのだそうである。
 とここまでいったら、そっくり政党みたいですなと相手が愉快そうに笑った。がデモクラシーの近代にオットセイ的生活があるべきではない。もしあるとしたらそれは何々組とかいうあれで、何々党というようなものではない筈だと、私は強くたしなめた。
 オットセイのハレムは今の世でもあるが、人間のハレムがあったのは古代のアラビヤである。だが人間はハレムを持ってもなかなかオットセイのように傲然とはやれなかったらしい。大聖マホメットはその細君たちからストライキをされたことがある。
 ある日のこと彼は、ふとした出来心で、登録外の女の腕の中で居眠ってしまったというのだ。いかにハレムだからといっても守るべき限界がある。これはハレムにあってもやはり許されぬ浮気だったのだそうだ。一人の細君に発見されるや否や、たちまち問題になった。ハレムの女たちよ結束せよ、この結果がストライキだったわけである。
 が、さすがにそこはマホメット、逆手に出て彼女たちに一切閉め出しを食わせることにした。すなわち、神に裁きを願うとばかり、女人禁制の寺院の奥深く入り込んで、向う一ヵ月間は出て来んぞと宣告したのである。ああ一ヵ月とはまた長い……彼女たちはすっかと悄然としてしまった。
 彼がハレムの王であった面目はここにあるといわれているのである。三十人分の男性であった彼は、だから日に三十人の女性を御し得たというのだが、その彼にして一人よく三十日間を過ごし得たのは人格ではないか。賛むべきかな、とために衆望いよいよ(あつ)かったと昔読んだ駄本にあった。                        (二・二五)



最終更新日 2005年04月02日 18時44分12秒

高田保『ブラリひょうたん』「火の用心」

  調
  
  
  
  ()()
  
  
           ()
 


最終更新日 2005年04月02日 20時08分50秒

高田保『ブラリひょうたん』「自然発生」

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
   
                 ()
 


最終更新日 2005年04月04日 04時19分14秒

高田保『ブラリひょうたん』「浅草歌劇」

  
 
  ()
  
  
  
  
  
  ()()
      ()
 


最終更新日 2005年04月05日 01時41分49秒

高田保『ブラリひょうたん』「犬・猫・人間」

  
  
  
   
  
   
  
   
  ()()
  
                             ()
 


最終更新日 2005年04月05日 01時43分44秒

高田保『ブラリひょうたん』「側近」

  
  
  
    ?
   
  
  鹿鹿
  
  
         ()
 


最終更新日 2005年04月05日 01時45分32秒

高田保『ブラリひょうたん』「裸体画」

 喫茶店へ裸体画をかけといたらワイセツ罪に問われたという話、むずかしい世の中だとおもわせる。ウナギに梅干はつつしめといわれていたが、お茶と裸体画の取合せが毒とは今日まで知らなかった。これだけは心得置くべしが一つ殖えたことになる。
 では逆に、裸体画のある場所で喫茶店を開いても同じ犯罪になるのか。実はある展覧会から相談をかけられた。例の入場税に痛めつけられて四苦八苦やりくりがつかない、何なり外に収入の上る妙案はないか。それに対して、いっそ会場の真ん中を喫茶店にしたらと提案しといたのである。
 当局ではきっと、キッサ店をキッス店と間違えたのだろうという説もあるが、冗談はさておき、お茶というものは元来が和敬清寂、明徳上人が茶徳を説いた中にも「悪魔降伏」だの「煩悩消滅」だのと書いてある。昔の坊さんたちも「不発の効」ありとして強いて飲用した位のものだ。不発とは注するまでもなく、欲情の発動をおさえることである。これからすれば、喫茶店なら裸体画などどう(なら)べてもよろしいとなりそうなものである。
 もっとも現代の喫茶は明徳上人とは大変な距離かもしれない。近ごろの流行歌には「一杯のコーヒーから」というのがある。「夢の花さくこともある」という文句が続くのだが、ヒョータンから駒のように、何から何が飛出すかわかったものでないのが戦後日本なのだろう。キッサ店でなくてキッス店というのもあながち冗談ばかりでもないかもしれぬ。
 いわゆるサービスを心得た喫茶店では、ロマンス・シートといったものまでも設備しているそうである。説明を聞くとどうやら昔の四畳半の現代的ヴァリエーションらしい。しかしあの四畳半というものも、そもそもは維摩居士の方丈にかたどり創められたものだそうである。それがどうした工合で待合の小座敷などに転用されてしまったのか、何事も浮世の変遷である。
 それにしても恐るべきは、犯罪検挙の場合、その裸体画の作者までが一蓮托生という沙汰である。ある友人の画家はいった。肉切り庖丁(ぼうちよう)が間違って人切り庖丁となっても、その庖丁の製造元が殺人罪で起訴されたことは、かつて一ぺんもなかったではないかと。げにもっともな抗議である。しかし私は慰め顔に答えた。それは多分今の役人が、文化に対する理解のほどを示したのかもしれぬ。法隆寺の電気座布団の責任は追究しない。しかしこっちの責任だけは見逃さない。工業と芸術との区別をわきまえたつもりなのだろうと。二人は呵(かか)大笑した。                              (三・九)



最終更新日 2005年04月05日 01時47分35秒

高田保『ブラリひょうたん』「漱石入党」

   
  
 
  
  
   
   
   
   
   
   
   
   
  
  ?
 ?
  
                                    ()
 


最終更新日 2005年04月05日 01時49分41秒

高田保『ブラリひょうたん』「道成寺」「ふたたび道成寺」

  便
  
  ()()
  ()()姿姿()()()()()
  宿宿
                                    ()
 

  ()()()
  麿()()
  殿殿
  西
  ()()()
  ()()                           ()
 


最終更新日 2005年04月06日 11時36分29秒

高田保『ブラリひょうたん』「掘り出し」

 ルノアールやユトリロの絵が抵当物件となって詐欺事件が起こったということ、考えればこれも日本文化の進歩かもしれぬ。以前だったらダ・ヴィンチだろうがレムブラントだろうが、高利貸とのご縁など結びたくても結べなかったものである。
 つい先日、銀座のある画廊にルノアールの小品が出ていた。ある人が値段をきいたら「六つです」といわれたので、六万円ならころ合とおもい買取る契約をした。さて支払いの段になってわかったのは、その十倍の六十万円だということである。高い安いは別として「一つ」を一万円と解するのはわれわれの常識だろう。ところが近ごろの美術品取引では十万円を意味するのが常識なのだそうである。
 こうなるともう美術どこるではない。有価証券的存在で、買う方も売る方も先へ行っての値段の上下を見越した思惑的なものらしい。ここのところ梅原龍三郎は下向きだといわれて、(あわ)てて売りに出たなどという話は決して珍しくない。
 さて最近の事だが、ルーベンスの絵を三千円で売ってしまった夫人があった。亡夫所蔵のものだったが図柄がおもわしくない。裸体の女が短剣を持ってよろけているところで、というので買った古道具屋も気が乗らなかった。で一万六千円のタイプライターと交換してしまった。ところが実はこれがルーベンス中でも傑作の「ヂドーの死」だったのである。たちまち四百万円という値がついたーといってもこれは日本の話ではない、英国でのこと。金額はドル三百円としての計算である。
 ゴッホの自画像といえば有名なのが幾つもあるが、六十年もの間人の目に触れず、さる処にほこりだらけになっていたのが掘り出されたという話もある。掘り出し手はアメリカの画商、最初四百ドルとつけたのだが、それより少し高く買ったというのだから五百ドル位だったのだろう。と以上は一昨年のことなのだが、今年になって初めて展覧され、なんと六十万ドルで売れたというのである。さる処といったが、それはパリの田舎だそうだ。その画商がドライヴをしていると自動車のタイヤがパンクをした。生憎(あいにく)スペヤァを持っていなかったので、近所の飯屋へ入って電話を借りた。すぐ持って来てくれとギャレージへいっといて、それを待つ間のつなぎに何か一皿注文しながらあたりを見廻した。するとそこのすみの暗いところにそのゴッホが隠れていたのだそうである。おもわず息の根が止まりそうだったとその時のことを語っているというが無理はない。
 春の日の散歩、途中でゲタの鼻緒(はなお)でも切らしたら、その辺の家の壁にかけてあるものを探してみなさるがいい。きっと大雅堂のにせもの位はみつかるだろう。   (三・一三)



最終更新日 2005年04月06日 11時39分17秒

高田保『ブラリひょうたん』「白日夢」

「共産党宣言」が発表されて今年は百年目である。この三月十四日はカール・マルクスの死んだ日である。お祖師さまのご命日とあれば、日蓮宗信者など例の太鼓を叩いて、いわゆる「お会式」をやったりするのだが――というのは余計事である。
 ヴィシンスキイはロンドンへ渡ったときまずマルクスのお墓におまいりしたそうだ。カールの墓はその妻エニイと並んでハイゲートの墓地にある。ヴィシンスキイは真赤なカーネーションをカールの墓へ、真白い百合の花をエニイの墓へと捧げたと、当時の新聞に書いてあった。ついでに花言葉に訳しといたら面白かったろう。
 マルクスが万国の労働者を愛したことは紛れもない事実である。だがその労働者よりも一層その妻を愛したことも事実である。彼女の棺を墓穴におろすとき、よろめいて彼も一緒にその中へ落ちようとした。傍にいたエンゲルスが危うく抱き止めたのだそうである。ああこの男もまた死んでしまったかとエンゲルスはそのときおもったと伝えられている。それから十五ヵ月目に彼は彼女の許へ逝った。
 マルクス夫婦の恋物語は極めて清純でしかも熱烈で誰の心をもうつものである。ロマンチック好みの娘たちに聞かせたら即座に彼女たちをファンにしてしまうにちがいない。「資本論」の内容で同志を獲得するばかりが方法ではあるまい。左翼宣伝もこんな手を使うようになれば大人である。
 吉田茂とマルクスと共通の点があるといったら、民自党の諸君あたりから苦情が出るだろうが事実だから仕方がない。吉田氏が葉巻を好むところだけはチャーチルに似ているというが、葉巻が好きなのはチャーチルばかりではない。マルクスもまた大好きで手離したことがなかったのだそうである。葉巻というものは必ずしも貴族の専用ではない。ハヴァナではだれでも喫うのである。
 町を歩くたびにマルクスは煙草屋に気をつけた。安い葉巻を探すためである。ある日、一箱で十八セントも安いのを見つけて喜んだ。これなら日に一箱で十八セントもうかる。それだけ貯金する。精々努力して二箱煙にしたら三十六セントになる。一年経ったらすばらしい額が貯まるぞ! 彼は経済学者として天才であったが、私生活経済では凡人以下だったとみえる。
 わしはそんな安葉巻は喫わんよと、多分吉田さんは苦い顔をするだろうが、もしも、ほうマルクス君もわしと同好だったかと破顔一笑して、親愛の握手を求められるようだったら――とこれは小生の「白日夢」である。                (三・一五)[#昭和24]



最終更新日 2005年04月06日 11時43分36秒

高田保『ブラリひょうたん』「犬馬の労」

  ()()? 
  ()()使()()使! 
  
  
  !                ()
 


最終更新日 2005年04月06日 23時18分30秒

高田保『ブラリひょうたん』「写し時代」

  
  
  
  鹿
  西
  ()()
  ()
               ()
 


最終更新日 2005年04月07日 00時04分32秒

高田保『ブラリひょうたん』「英語」

  
  西
  L
  
  GI(11)GI
  !
                        ()
 


最終更新日 2005年04月07日 21時18分01秒

高田保『ブラリひょうたん』「人間と動物」

 電車の中、「動物愛護デー」のポスターの下で、近ごろめっきりと鼠が殖えて困っていると話していた人があった。鼠は動物の中に入らぬとみえる。
 ある日のこと孔子が琴を弾いていた。彼はその名手だったのだが、そのときの音色がひどく変っていたので、弟子の閔子と曽子が室へ入っていって訳を尋ねると、猫が鼠をねらっていたのでうまく捕らせようとおもったからだよ、と孔子が答えたそうだ。聖人でも動物愛護には不公平があったらしい。
「動物虐待防止会の宴会がありましてね、とあるレストランのコックが笑ったことがある。「メニュウがやっぱりチキンの煮たのやビーフの焼いたんでしたよ。可笑(おか)しなこってさアー」もっとも「取って食ってしまいたいほど可愛いー」ということもある。
「R・S・P・C・Aのこ連中ですって? すると何ですかい、あんた方はビーフステーキ
は食わねえとでもおっしゃるんですかい、そんなら話はわかる!」
 カウボーイの一人がこうタンカを切ったことがある。大英博覧会のときのこと、興行王といわれたコクランが大西洋を越えて本場カウボーイの一団を招き、豪快なロデオをロンドン人士の前に公開した。ところがその演り方があまりにも動物虐待だというので問題になった。R・S・P・C・Aというのはその防止会の略称である。カウボーイの芸は芸のための芸当ではなく、元来は牧畜のための手練なのだから、その手練が非人道的だというのなら、当然ビーフステーキを食うことも、いやミルクを飲むことだって牧畜に関するかぎり非人道的といえるかもしれない、というのでたちまちロンドン中の騒ぎとなった。その結果議会での問題ともなり、最後は法廷の事件とまでなったのだが判決は無罪だったそうである。法律は人間のために存在するのであって動物にまでは及ぼさないという解釈だったのだろう。
 重い荷車をひいてあえぎながら急坂を上って行く牛馬を、無闇にひっぱたく人間はなるほど残酷らしい。しかしそれを責める人が平気で競馬をながめているのはどうしたものか、ゴール寸前の追い込みなどは随分すさまじいものだが、あれについていう人はいない。勝利の栄冠を目前に見ながら、愛馬をいたわって棄権した城戸中佐の佳話が表彰されたそうだが、もしも騎手がそんな真似をしたら最後、ペテンだ、インチキだで馬券連中の大騒ぎになるのはきまっている。
 観護所に放火して少年たちが脱走した。人間だからそれだけの知恵があったので、そこへ行くと動物どもは、と情愛の深い人々は動物園へ行っても泣かれることだろう。
                                   (三・二三)



最終更新日 2005年04月07日 21時24分38秒

高田保『ブラリひょうたん』「誕生日」

 ――私は貧しい。しかし人のもっているものを、一つだけ私ももっている。それは誕生日――だという意味の詩が西洋にあった。
 今日は「三月廿七日」だと括弧(カツコ)をつけてみたところで、だからどうしたと聞き返されるだけだろう。実は私の誕生日なのだ、といってみたところで、ふんそうかいと軽く返事されるだけにきまっている。私みたいな人間が生まれようと生まれまいと、世界の歴史に関わりはないのだから当然である。貧しいものは誕生日だってやはり貧しい。
 スターリンとなれば、今や世界歴史の眼目の一つだろう。だがソ連には天長節がないようである。この前の誕生日のときも、平日通りのクレムリン宮であり、新聞も人民もそれにならって平日通りだった。多分誰彼の産声の日も区別なく一括して共同に人民の誕生日を祝う方が正しいというのであろう。なるほど共産主義とあるからにはその方が理に適っている。
 がほかの国ではそうではない。お祝いの菓子をつくり、その上に年の数だけのローソクを立て、その灯を主人公が一気に吹き消したところで一言、お祝いに答える挨拶を述べる。
「わしの眼の黒いうちに必ず、フィラデルフィヤ・チームに覇権をとらせてみせる」と米国野球界の大長老コニイ・マックは最近の誕生日のとき挨拶をしたそうだ。そのときの菓子は五十ポンドという大きさだったとある。日本流にいえば来年は米寿に当る彼だ。その上に八十何本のローソクが灯っていたら一寸した壮観だったろうと思うが、そうなるといかにマックでも一気には吹き消せまい。そこで人生五十を過ぎた場合は大概まとめて一本の灯にしてしまうようである。
 祝い祝われるのは人間ばかりではない。先ごろハリウッドでは、デズニイが父親役で愉快な宴会が開かれたそうだ。一九二八年に生まれたのだから今年は芳紀まさに二ならびというところ、ミッキイ・マウスの誕生日である。どんな工合にローソクを吹き消したか、どんな挨拶を述べたかは知らない。
 この日友人知己は何かと祝って贈り物をしてくれる。いま私は私の誕生日に当って「外国の習慣であれ、それがいい事だったら遠慮なく真似るべしだ」ということを私の挨拶としたい。現代作曲界の巨匠ジャン・シベリウスは第八十三回の誕生日を、去年故国フィンランドで迎えたが、今問題の北大西洋(編注臼北大西洋条約締結の会議が開かれていた)を距てたアメリカの知己友人から八十三箱の葉巻を贈られたとのことである。葉巻はわしの主食じゃというのが老人の口ぐせだそうだからどんなに喜ばれたことかと思う。さらにその添え状にいわく「今後生涯あなたに葉巻の苦労はさせぬつもり」断って置くが私の主食は葉巻ではない。(三・二七)



最終更新日 2005年04月07日 21時29分32秒

高田保『ブラリひょうたん』「非日的」

「大胆! 刺激的! ときめく性の神秘公開」というような看板で特別な映画が公開された。それ行けと見物が殺到した。整理ができず遂に消防隊にホースを向けてもらった――日本にありそうな話だがアメリカにもあるとみえる。北カロライナ州の出来事というのを米誌で読んで何となくほっとした。
 何かにつけ日本人はよくない、外国では――としかられるのだが、外国を知らぬ私たちはただ頭を下げるばかりである。例えば劇場にしても初日からきちんと時間通りに開幕。観客にしても定刻に集っていて、途中入場などという不体裁は一人もないといわれれば、恥かしくなるだけのことである。だが今年のオペラ・シーズン、わけても評判だったニューヨーク・メトロポリタンの「オセロ」の初夜は開幕がすこし遅れ、それよりも二十分遅れて現大統領の令嬢、一流音楽家のミス・トルーマンがやって来たなどと聞かされると、何だか一寸わからなくなる。ライフ誌にはその二幕目になって堂々と入場して来た紳士の威容が写真になっていた。それぞれそんなの珍しいからキャメラを向けられたのだ。そこのとこを考えろといわれれば恐縮するより外はないのだが。
 PTAの会合へ出たら、英国あたりではという話が出た。子供の教育に対して親たちが熱心で厳格だから、影響のよろしくない映画館へ勝手に行かせるようなことは致しません。なるほどと感心したのだが、次の事件も近ごろ伝わったニュースである。ロンドン、リアルト劇場、西部活劇映画を上場したところわッと子供たちが入場して、おもちゃのピストルをぶっ放すやらナイフを振り廻すやら、始末に困って支配人が「以後危険なものを事務所へ預けぬヨイコドモはお断り」としたというのである。
 しかし、いくら何でも、レストランの卓上にある灰皿だのコショウ入れだのナプキンだのを記念のためにポケットに入れてしまうことはよもあるまい。とおもっていたら「スーヴェニヤリング」という言葉があちらにもあってと教えてくれた人があった。一例をあげればニューヨークで開業したレストランの灰皿七十枚がその翌日には三十四枚になっていた。これはそこの女主人がレストラン経営の体験を述べた本の中にあることだそうだから、まんざらうそでもないのだろう。こうなるとさて、こっちは妙に力が抜ける。
 こんなことをいうと、議会の乱闘だって、先ごろはイタリヤ議会が派手にやったからともなるかもしれぬ。桑原々々。外国は外国。今度の特別国会こそ「非日的」に静粛、冷静、聡明、上品にやってもらいたい。                     (三・二九)



最終更新日 2005年04月09日 00時52分30秒

高田保『ブラリひょうたん』「賢人愚者」

  
  
 便! 調
  ! 
  退! 
  ! !
  
                      ()
 


最終更新日 2005年04月09日 08時46分35秒

高田保『ブラリひょうたん』「私談」

 本紙の「人物採点」に「歯の抜けた青年」として私のことが書いてあったが、私の歯は抜けているのではない。見える所だけが欠けているのである。見えない根元はしっかりしている。その証拠にはビフステーキでもご馳走してみたまえ。はっきり噛んでみせる。
 最初に欠けたのは中学時代だった。キャラメルを噛んだらその中に入った一本がポキリと折れた。キャラメルは溶けたが歯は残った。残ったが、しかし元のところへ接ぐわけにはいかない。人生の失敗というものをその時はじめて私は会得した。
 起ったことはすべて取返しのつかぬものだという悟りが、私の今日までの半生を支配している。歯医者へ行って工作してもらえば人並みの函と見せかけることも出来たが、そんなことは要するにごまかしである。男子たるべきものがなすべき所業ではない。とこう信じたからそれ以後は欠けるに任せた。一見抜けている男とみえても決して抜けているのではないから恥ずるところはない。
 精神の歯が依然として頑丈であるからには、なるほど私も青年だろう。採点者は私に一方ならぬ好意を示したつもりかもしれぬ。だがこれにも抗議を申入れたい。私にはいわゆる客気がない。歯の欠け落ちるに従って野心的な根性が脱落した。この方は文字通りに抜けてしまったのである。その点で私は早くから老成してしまっている。何の功名欲も出世欲もなくなったために今日の私は一介の「ブラリひょうたん」なのである。
 五十にもなって「サンデー毎日」のために「世相寸描」などという一口話を考えているとは――という感慨を採点者にもらしたのは事実だが、それは一口話を大人気ないといったのではない。どうせ私には心血をそそぐべき大事などというものはありっこないのだ。私の理想は全然の無為である。今日まで小金でも貯めて、せめて家賃でも払わぬ身の上になっていたら、書かでもの原稿など一枚だって書かずに済むだろうとの意味なのである。だからこの「ブラリひょうたん」にしても、貧のなせる業であって、止むに止まれずに書く。大文学などというものからは甚だしく遠い。
 とこういったら友人が、今日の時世、貧というのは歯の抜けたのも同然だと笑った。口惜しいからすぐさまに、しかし鈍しては居らぬぞと息張ってみせたら、その息張るところがお若いお若いと冷やかされた。してみるとやっぱり私は「歯の抜けた青年」だとなるわけか。
 愚にもつかぬ私談、たまには許していただきたい。           (四・二)



最終更新日 2005年04月09日 12時21分16秒

高田保『ブラリひょうたん』「緑の週間」

  ()()
  ()
  ()()()
  ()()
  
                  )
 


最終更新日 2005年04月09日 23時28分35秒

高田保『ブラリひょうたん』「夏時刻」

 時計の針を一時間進めて、出勤時刻を三十分遅らせる。何のことやらわからない。なぜ簡明に出勤を三十分早めるとしたのではいけぬのか。この疑問を常識だとすればサンマー・タイムは非常識となるだろう。常識なら申合せでも済むが、非常識となると法律ででも強制するのでない限り守るものはいない。法の煩わしきは国亡ぶるの基と昔の人はいったそうである。
「ここらあたりは出家ゆえ、紅葉のあるのに雪が降る」というセリフが歌舞伎にある。非常識は人間ばかりのものではない。天然自然の理法も狂うことがある。ここらあたりは都会ゆえ、夏時刻だというに氷雨が降る。外套のえりを深く立て、白い息を吐きながら電車を待っている風景――といいたいが、しかし夏時刻法というのは天然自然の理法に従ったものではあるまい。
 小学校で先生がー「今日からはサンマー・タイムですから、何もかも一時間早くなります」
 生徒が手を上げた――「太陽の上るのもですか?」
 先生は答えた――「いえ、太陽だけは、逆に一時間おくれて出ることになります」
 生徒は当然質問した――「なぜですか?」
 先生は何の苦もなく答えた――「サンマー・タイムだからです」
 時間というものは太陽の運行から割出されたものだ、などというものは古代の観念でしかあるまい。近代の時間はただ時計の針の先にだけある。だから人間が自由にそれを動かすことができる、というのだったら、むしろ、いっそ、一時間遅らせてみたらどんなものだろうか? 朝いつもの如くに床を離れる。しかし今日からは夏時刻だから出勤は一時間おくれてよろしい。ゆっくりした気持で新聞が読める。日ごろは及びもつかなかった社説や外電や学芸欄やにまで丹念に眼が届く。これだけだって大したものではないか!
 昼の時間をできるだけ余計に利用させるための方法だというのだが、どうせ利用させるなら朝の新鮮な時間にした方が効果は多い。まさかに朝っぱらからマージャンやダンスをやる連中はあるまい。一日の勤務を終えての疲労しつくした時間では、どう与えられてもしんみり読書したりする気持にはなれぬのが普通である。針の先の動かし方一つで結果は雲泥に分れる。役人にはゆっくりした時間を与えて世界の勉強をさせねばならぬ、とこれは私の説ではない。荻生徂徠が「政談」の中で述べていることである。彼ならきっと一時間おくれの夏時刻の方を採用したにちがいない。                    (四・五)



最終更新日 2005年04月10日 12時18分34秒

高田保『ブラリひょうたん』「拍手」

  
  
  
  調
  ()()()
  
  
 


最終更新日 2005年04月10日 12時33分20秒

高田保『ブラリひょうたん』「非当世風」

 今の東京は住宅難どころではない。アパートの六畳一間を借りる権利金が三万円もすると聞いては地獄という方がいい。「借間借家に不都合はないか」というラジオの街頭録音を聞きながら私は自分の幸運をおもった。
 おなじ大磯の町内だがつい最近に私は引越しをしている。借家から借家へと移ったのだが、権利金などはおろか、敷金さえもなかった。いやそれだけではない。借受けの証文さえも取交わさない。相対ずくの口約束だけである。
 特別な因縁からだろうと誰もいうだろうが、そうでない。これが今度の借家ばかりでなく、前の借家のときもそうだったから例外ともいえない。前の借家へは一昨年に越した。大家とはそれまで一度も顔を合わせたこともない全然の他人だったのである。
 ではその大家がひどく金持で、万事鷹揚(おうよう)な長者でもあったのかと聞きたくなるだろうが、そんなわけでもない。前の大家は左官職の老人で今もって仕事に出ている身分なのである。だから決して世間知らずでもない。
 今度の大家はさる未亡人である。埼玉の実家の方へ保養がてらしばらく引込みたいというので家を空けられた。四、五年してまたこちらへもどるときにはお返しするという条件だけついているのだが、これとても口約束だけである。約束だから私は客観的情勢などというものがどう変ろうと守るつもりでいる。政治家の真似などは断じてしない。
 未亡人の引越しトラックが出たあと、私の荷物が運び込まれた。前の借家の大家が人をよんで来て手伝ってくれたのである。こんなところもまた当世風ではないかもしれない。さてその荷物を納めようと押入れをあけると、そこに何やら小さな紙包みが置いてあった。
 未亡人の方で忘れていったものとばかりおもって、わきへ片づけようとすると私の家内あての名刺がはってあるのに気がついた。家内にあけさせてみると、上等な障子紙が一本と、それに未亡人手作りの雑巾が何枚か入っていた。本来ならば障子の破れもつくろい、きれいに掃除した上でお引渡しをするのですが、こちらも引越しのごたごたゆえに、という行届いたしずかなあいさつが聞えるようだった。ああと家内も深い息をして、りっぱなことを教えられましたといった。ここに至ってはいよいよ当世風ではない。
 前の大家は杉秀吉といって、十七のときすでに下職を指図したという名人で生粋の職人である。今度の大家の未亡人は島崎藤村夫人である。これら当世風でない人たちと因縁のつながる間は私も当世風になるわけには行かない。              (四・七)



最終更新日 2005年04月10日 14時33分14秒

高田保『ブラリひょうたん』「思春期」

 流行歌謡なるものには思春期のにおいがあるといったら、レコード会社の人が喜んで、だから私どもの商売はいつまでも繁昌するので、と心得た返事をした。
 流行歌謡をきらうのは勝手だが軽蔑するのはいけない、とプルウストがいっている。あれは音楽よりももっと情熱的にうたわれるもので、だから人間的な感情に充たされているというのである。人閭全盛の時代とみえ、ラジオを聴いているとこの歌謡曲が続出して来る。希望音楽会などというプロでは、音楽などどこかへ消えてしまってこればかりとなっている。こうまで跳梁(ちようりよう)されてはなるほど軽蔑できるものではない。国に盗賊、家にねずみ、そして人には歌謡曲といった調子である。
 音楽と歌謡曲とを区別することに異議のある人もあるかもしれぬが、もう一度プルウストを引合いに出そう。耳のある人間にとっては耳にしたその途端に耳を(ふさ)ぎたくなるような情ない曲が、百万の人たちにとっては生きた霊感なのだと彼はいうのである。これは私も賛成する。早い話がまずあれを歌っている若い男や女の無心無邪気な顔つきを見たまえ。音楽家は音楽では到底あれほどにうつつをぬかすわけにはいかぬものだ。悲しげな文句を、うきうきうっとりした調子で歌い呆ける。霊感とは巧みにいい得たものだ。つまり彼等にとっては音楽以上なのである。
 思春期のにおいがすると私がいったのも実はその点である。動物というものはすべてその期が来ると何となく特別な声を立てるものだ。恋猫とか妻呼鹿とかはその代表的な例だが、日ごろはひどく取澄ましている動物、たとえば孔雀(くじやく)みたいな鳥でさえ遠くの汽車の汽笛みたいな奇妙な声をたてる。千年万年何の感動もしそうもないような泥亀でさえが()きたてる朴訥(ぼくとつ)仁に近い面つきの駱駝(らくだ)に至っては口の両側から妙な膜みたいなものを垂らしてうなりをたてる。人間にとってはどれもただうるさいだけのものが彼等にとっては生きた霊感なのだろう。つまり彼等の歌謡曲というわけである。といったらすぐ、では(うぐいす)はどうだ、松虫鈴虫はどうだとやられた。てんでにホーホケキョのつもり、チンチロリンのつもりで歌っているのだろう。なるほどノド自慢大会なるものが行われるはずでもある。
 だがあの大会よりもずっと歌謡曲らしい歌謡曲をラジオで聴かせてくれたことがある。あの集団見合の実況中継だったが、一人の青年が大声で喚くように歌っていた。最初は多分気取っていたのだろうが、寄り添って来る相手が出て来なかったので段々夢中になり、やがて悲痛なやけくそになったのだろう。とにかく思春期というものがそうであるように、歌謡曲にも愛すべきユーモアが充ちている。               (四・八)



最終更新日 2005年04月10日 17時03分04秒

高田保『ブラリひょうたん』「欲を出させる」

  
  
  
  
  
  
  
  
  
                           ()
 


最終更新日 2005年04月10日 18時45分44秒

高田保『ブラリひょうたん』「母の話」「ふたたび母の話」

  
  
  ()()()()調
  
  調調
  ! !
                                ()
 


  
  
  ()()
  
  
  ()()
  
                                    ()
 


最終更新日 2005年04月11日 23時40分41秒

高田保『ブラリひょうたん』「ひょうたん話」

  
  ()
  
  ()
  ! ! 
  
  
  
                         ()
 


最終更新日 2005年04月12日 00時19分08秒

高田保『ブラリひょうたん』「署名」

  ()()
  
  
  
                 ()
 


最終更新日 2005年04月12日 02時02分08秒

高田保『ブラリひょうたん』「腕力」

  
  
  
  
  
  
  ()
  
  
                                    ()
 


最終更新日 2005年04月12日 09時05分40秒

高田保『ブラリひょうたん』「外観」

  
  調
  
  調
  
  使
  ()西    ()
 


最終更新日 2005年04月12日 23時44分10秒

高田保『ブラリひょうたん』「穿鑿心持」

  
  調調
  調穿
  
 穿
  
  
       ()
 


最終更新日 2005年04月12日 23時48分24秒

高田保『ブラリひょうたん』「浮浪者」

  貿
  
  
  調姿!
  調
  
  
        ()
 


最終更新日 2005年04月13日 01時06分52秒

高田保『ブラリひょうたん』「五月一日」

  
  
  !
  
  
  ()
  
                                  ()
 


最終更新日 2005年04月13日 23時05分24秒

高田保『ブラリひょうたん』「旧憲法」

 明治神宮絵画館に納められた「憲法審議会の図」の中の明治天皇は、ネクタイをつけて背広姿だった。臣民と同じ服装だったことは珍しい。私たちがいつも見せられていたのは大元帥の軍服姿だった。
 御真影は八方にらみをしていなさる、と小学校のころに教えられた。なるほど右から見ても左から見ても厳然とこっちをにらんでいるかにみえる。貴いお方だからと私たちは感心したものだった。いうまでもなくこれは撮影のときに、レンズの中をにらんでいられたからなのだろうが、果たしてその効果を意識してそうされたのかどうか、側近の誰かの知恵だとしたらなか/\賢明である。
 明治十二年グラント将軍来訪、天皇は浜離宮で対談されたが、題目はまず議会開設についてだったそうだ。意見を求められて将車は代議政治が進歩的なのはいうまでもない。君主国家であってもその方が繁栄の基となるのは明白だろう。しかし問題は時期にある。今直ぐでいいかどうかは貴国の実情を詳しく知ってからでなければ述べられぬが、権利を国民に与えたら最後二度と取りもどせるものではない。だから漸進をよしとする。ことに最初から議会に立法権を与えたりするのは危険である、と答えた。
 このときの将軍の方は市民的なフロックコートだったが、天皇の方は軍服だった。将軍随行の人の手記によると「肋骨をつけただけの略装」となっているが、共和国からの賓客を迎えるのに(いか)めしい正装でもとおもわれたのかもしれない。それにしても軍服だったところに明治日本があったともいえる。
 それから十年後に憲法が制定されたわけだが、その最初の草案には「帝国議会ハ政府ノ提出スル議案ヲ議決ス」とだけにしてあって立法権にまで及んでいなかった。グラント将軍の意見が影響していたものかどうかはしらない。「及ビ法律案ヲ提出スルコトヲ得」とつけ加えられたのは、三考四審の吟味を加えられた末のことだったのだそうである。
 明治二十二年二月十一日、めでたく最初の憲法は発布された。宮中に集まった文武百官、いずれも金ピカの大礼服を着けて新日本の威儀を正していたのだが、その中に一点、これまた何と! 古代日本の象徴たるあの「チョンマゲ」をちょこんと載せて席に(つらな)っていた人があった。薩摩の島津公だったということである。
 このとき、式場の外では文部大臣森有礼が殺されていた。        (五・三)



最終更新日 2005年04月14日 00時43分59秒

高田保『ブラリひょうたん』「若芽の雨」

  
 
  
  !
  姿
  
  
  鹿
  鹿() 鹿            ()
 


最終更新日 2005年04月17日 00時46分53秒

高田保『ブラリひょうたん』「しゃぼん」

  
  
  姿
  ()
  
  ()
  ()()
  
 使
               ()
 


最終更新日 2005年04月17日 00時49分03秒

高田保『ブラリひょうたん』「珍説」

  
  
  
  
  ?
  使使使
  
  ! 使!
  ()
                           ()
 


最終更新日 2005年04月17日 00時54分03秒

高田保『ブラリひょうたん』「菊五郎・ウィル・夢声」

 
  
  ?
  
  ! !
  
  
  
  !
  
  
  
                             )
 


最終更新日 2005年04月17日 00時56分59秒

高田保『ブラリひょうたん』「未完成発明」

 タイプスピーカーというものを発明したいとおもっています、という人があった。どんな機械かと聞いたら、タイプライターのように沢山のキイがあって、それをたたくと、ア、イ、ウ……、とそれぞれの音を出す。だからある文句に従ってたたけばその通りをしゃべることになるというのである。
 だが、どうしてそんな機械が必要なのか、口の利けぬ人のためというならともかくも、たたくよりは自身しゃべる方がずっと完全じゃないかといったら、その人は、実は放送局に使わせたいと考えているのでと答えた。
 ラジオを聴いていると、時折り歯の浮くようなことを乙にすました声でアナウンサーがやっている。どうせ原稿を読んでいるのだろうし、あの調子だって一定の型を教えられてのことだろうから、アナウンサーその人には罪がない、といかにそうおもっても相手が人間の声だからその声の主を軽蔑したくなる。その不快さを救うためにはタイプスピーカーでなければなるまい。
 タイプライターの字はタイプだから何の個性ももっていない。ハンドライチングではどうやってみても完全なタイプにはなりきれない。誰々が書いたものというような差別を無くするために、昔もお家流などという筆法を工夫した。が結局その差別から抜けて出られたのは印刷活字の類を使うようになってだろう。事務的ということは単に能率的というだけのものではない、非人間的ということである。なるほどタイプスピーカーとは面白い発明だと私も賛成した。
 ある若いアナウンサーに、どんな仕事が一番面白くないかと尋ねたら、言下に、株式市況を読まされることですと答えた。何とか紡何百何十円、何十円高、何とかセメント何百何十円、何十円安。なるほどあんなものへは感情も気持もこめられたものではあるまい。非人間のそれこそ全くの事務的でなければやりきれぬとしたら、キイをたたいて出した方がいい。聴く方だってその方が聴きいいかもしれない。
 アナウンサーの読み違えにしたってそうですよと、その発明志望者はいった。手で書いたものの字の間違いはその人を馬鹿にしたくなるものだが、活字になったものの間違いだと、これは誤植だろうで軽く済みますからね。わがタイプスピーカーになれば肩がずっと軽くなりますよ。聴く方にしたって、活字印刷の手紙だと見ても読まずに捨ててしまえるように、これだと聴いて聴かずにいられますよ! 借金の申込みだけはタイプライターではだめだ、と笑ったある実業家のことを私はおもい出した。            (五・一二)



最終更新日 2005年04月17日 00時59分11秒

高田保『ブラリひょうたん』「牡丹」

 今年も牡丹(ぼたん)の花時が来た。前の町長だった船橋さんが毎年、庭で丹精されたのを切って下さる。今年もいただいた。厚情が身にしみるので、咲きすぎてもむざとは捨てきれない。やがて蕪村の句の景色となる。
  牡丹散って打重りぬ二三片
 打重りぬがいい。牡丹でないとこの味がない。衰えたところにまた格別の味があるところはほかの花にないことであろ。腐っても(たい)というが、衰えても牡丹といった方が風流である。
 牡丹花の美しさには権勢がある。権勢ぎらいの私だがこの権勢は天然のものだから敵わない。正岡子規の歌に、
  本所の四つ目に咲けるくれなゐの牡丹燃やして悪き歌を焚け
というのがある。今ならばカストリ雑誌を燃やせというところだろう。昔から楊貴妃にたとえられたりしたくらいだから、相当エロティックなにおいも高いが、現在の好色文学とは全然品を異にしたものである。
 後宮佳人三千。牡丹のような美人を三千も集めておいたらむせ返るばかりだろう。四つ目の牡丹園は有名だったが、全盛の時でも千株ほどだったというから、中国の王者の豪勢にはとおく及ばない。三千となるといかに王者といえども整理がつかなくなる。そこで漢代の元帝は時の肖像画の名人毛延寿に人別の画帖を描かせたものだそうだ。それをめくって今日はどの子を召そうかとお考えになるという趣向である。そこで三千の佳人は競って毛に賄賂を送った。その額に応じて毛は鼻を高くしたり低くしたりした。
 こんな国だから、いざ外敵侵入となると花のように(もろ)い。匈奴に攻められて貢物をささげねばならぬとなったとき、その佳人画帖をめくって中の一人を差出すことになったが、どうせ相手は野蛮人だしというので、一番の醜女を出すことにした。選ばれたのが王昭君である。みるとすばらしい美人だったので元帝はあっといってしまった。彼女は一銭も毛延寿へ贈賄しなかったのである。そうとわかっても後の祭り、怒って元帝は毛を叩き斬ってしまった。側近などといって気を許しているととんでもないことになりやすい。
 蕪村の牡丹句には「波翻舌本吐紅蓮」という前書で   閻王の口や牡丹を吐かんとす
 舌本を波翻するというのは、閻魔大王が口を開いて真赤な舌を見せたところで、昔の仏弟子たちは、自分の言葉に偽りがないという証拠にああして見せたのだそうだ。犬養さんも一度吉田さんの前で長い舌を出して見せておく必要があるだろう。――と話が妙なところへ落ちたが、これは牡丹のせいではない。句がつまらんからである。      (五・一三)



最終更新日 2005年04月17日 01時02分54秒

高田保『ブラリひょうたん』「平凡の喪失」

 税務官吏は悪質、これは今日の定評のようである。が私の知っている一人はそうでない。時折雑談をしに来るのだが、畑で作ったものなどぶらさげて来てくれたりする。こっちからささげ物をするのが定法なのにと笑うと、にがい顔をして、冗談はよして下さいという。その彼がいった。
 ――どうも面白くないのは世間ですよ。小さな例だが、僕が女房をつれて町を散歩する。向うから市会議員の顔役が来る。やあと向うから先に挨拶するのです。奥さんもご一緒なら丁度いい、その辺で一つ冷たいものでもとか何んとかいうんです。振り切って店へ買物に入る。するとすぐイスをすすめる。お茶をもって来たりする。全然特別扱いです。
 ――それで僕はいつも女房に戒めているのです。あれはみんな僕にするのじゃない。税務署に対してしているんだ。おかしい気になったが最後とんでもないことになる。仕合せなことに僕の女房は地味で素直な質ですから安心しているんですが、派手な虚栄的な女だったりしたらとおもうとゾッとします。
 ――可哀想なのは二十歳台の若い連中ですよ。僕なぞは三十を過ぎているから反省もするんですが、彼等は人生的に全く初心ですからね。乗せられればすぐいい気になる。いい気にさせるのが世間のネライです。年功を経た年増女にかかったみたいに、有頂天にさせられて無責任におっぽり出される。
 ――都の税務官吏の汚職という新聞記事、あれだってどれも二十歳台の青年だったとあったじゃないですか、もちろん彼等はよろしくない。だが本当に責められるべきものは外にあるように僕は思うんです。それを衝かないかぎり、次々にと若い罪人を出して行くだけでしょう。取締ると国会で答弁した大蔵大臣に深いところで考えてもらいたいとおもいますよ。
 ――若い同僚が友人の鉄道職員と話しながら「つまり君たちがパス利用しているようなもんさ」と笑っていたのを耳にしたことがありました。何を話していたかは想像できるでしょう。つまり鉄道パスをまず取上げることが税務官吏の粛正になる。しかしこんなことは大臣など夢にも考えていないでしょうね。一方に役得があるならこっちも、というのはしかし人情ですよ。
 ――昨日昭電公判のニュースをラジオで聴いていたら、一人が、これから役得はこの手で行こうと笑いました。金銭は受取ったが趣旨は違うという否認の仕方ですね。もちろん冗談にいったのには違いないのですが、しかし……。
 こんな平凡な感想を吐く税務官吏が、今はどうして平凡な存在ではなくなっている。平凡の喪失、がこれは決して税務署だけのことではないだろう。        (五・一五)



最終更新日 2005年04月17日 01時06分38秒

高田保『ブラリひょうたん』「雑事」

 呉清源が「碁は雑事です」といっている。呉清源だから面白い。将棋の升田八段との対談の際だが、相手にはこの味がわからなかったらしい。升田の方では呉をあわれんでいるのだが、対談記から二人比べると呉の方がずっと人物は上である。
 菊地寛は升田と会って、彼はタケゾウだといったそうだ。まだムサシになれぬのは、勝負を雑事と観じるまでになれぬからだろう。勝負師も極致に到ると勝負を超越する。塚田木村の名人戦もいよいよ二勝二敗で鍔迫(つばぜ)り合いのきびしさとなったが、余計騒いでいるのは見物の方で、当人同士は案外静かかもしれぬ。とそうおもいたい。
 角力季節になったが、双葉山などはやはりあれを雑事と悟ったのだろう。レスラァで鳴らしたハッケンシュタットは完全な肉体を通じて精神を鍛えると人間は対立的な小感情など消えさせてしまうものだ、との説を述べていたそうだ。双葉山は璽光尊へ走ったのだが、ハッケンシュタットは引退してから書斎人になり、カントやニイチェに没頭したとある。悪口屋のショウが面会して長い時間彼の議論を聴いたあとで、あの男は決して馬鹿じゃないといったそうだから、日本だったら一流の思想家になれたかもしれぬ。
 当麻の蹶速(けはや)と野見の宿禰(すくね)の角力といっても今のとは違うだろう。肋骨を踏折り腰骨を踏みくじいて遂に殺してしまったというのだから、スポーツなどといえたものではない。蹶速の方はかねてからの力自慢で、おれにならぶ者がいたら命をかけて戦いたい。これが念願だといっていたというから、当然雑事派ではなかったろう。宿禰の方は召されてはじめて出雲の国から出て来たのである。勅命なればこそ戦ったので、だから雑事派だったわけだろう。
 宿禰の出た出雲は、いわば角力の結果、征服されてしまった土地だろう。大神の命を受けて大国主命に「国ゆずり」の談判をしにいった建御雷神は、大国主命の次男の建御名方神と力競べをした末に取上げたとなっている。国と国との争いをスポーツで解決したと解釈したらこの話も愉快になる。西洋でもローマとどこかの戦争のとき双方から兄弟の選手を出して勝負をさせ、その結果に従って解決したという話がある、がこうなると勝負も決して雑事ではないと言い出す人があるだろう。しかしそれでもなお雑事と笑う人もあるかもしれぬ。
 労働法の改訂が問題になっているが「碁将棋またはスポーツをもってストライキに代うることを得」というような一項、入れてみたらどんなものだろうか。     (五・一七)



最終更新日 2005年04月17日 01時09分23秒

高田保『ブラリひょうたん』「学校演劇」

 見知らぬ青年が来て、俳優になりたいのだが意見を聞かせてくれといった。ある町の工業学校の生徒だったのだが、演劇部に入って一二度実演をしたら面白くなって、学問の方がすっかりいやになった。だからという理由である。
 工業学校だというのに、なんで演劇部なんぞあったのかと聞くと、妙な顔をして演劇部はどこの学校にもありますと答えた。学問がいやになったのは君ばかりではあるまい。部内の熱心な連中はみんなそうだろうと聞くと、はあと素直にうなずいた。
 私は学校演劇というものに賛成しない。ある学校の演劇部から話を頼まれたとき、私の意見は風変りだがいいかと駄目を押した上で出かけたことがあった。
 演劇の劇は劇薬の劇。うっかり素人が扱うととんでもないことになる場合がある。芸術というものは文学にしても美術にしても、自分の感じたままを率直表現することから出立するのだが、俳優の仕事はそうではない。むしろ自分を隠して他になりきることから始めなくてはならない。一方は正直がシンになるのだが一方はウソが骨になる。この相違がそれをやる人間に及ぼす内面的な影響を深く考えなければいけない。元来が演劇というものは一般の人にとって観るべきものであって演るべきものではない。だから諸君の演劇部がいかに演劇を観るべきかで集まっているのだったら結構だが、学校演劇などという下らんことで骨折っているのだったら、即刻解散してまともな勉強に帰るべきだ。とこう話したらみんな変な顔をして聞いていた。
 ここに哀れな犠牲者がいると私は青年と対坐しながら考えた。青年は得意らしく学校演劇のときの写真を四五枚取出して見せたのだが、そのときの喝釆をいまもうつつに耳にしているといった風だった。なるほどその写真でみれば一応演劇の体を成していたかにみえる。これだけ演れれば入場料を取って観せてもぐらいのことを無責任な人たちはいったかしれない。だが私はことさらに冷たくそれをながめて、こんな真似事を演劇だなどといっちゃいかんよと突っ返した。
 俳優志望の青年がやって来たのはこれが最初ではない。一度制服の巡査がやって来たことがある。茨城県に勤務しているというのだが、これはいきなり顔の審査をしてくれと申込んだ。顔などはどうでもいいといったら、急にうれしそうに眼を輝かして、顔以外なら自信を持っているのですといった。体よく追い返したことはいうまでもない。   (五・一九)



最終更新日 2005年04月17日 01時11分54秒

高田保『ブラリひょうたん』「肩書」

  
  
  ()()
  
  ()
  調()
                ()
 


最終更新日 2005年04月17日 18時13分33秒

高田保『ブラリひょうたん』「安井さんの幸福」

   
  
  
  
  
  
  ()
                    ()
 


最終更新日 2005年04月17日 23時07分36秒

高田保『ブラリひょうたん』「非盗難」

  
  便
  
 
  便婿
  ()()
  ()
                                   ()
 


最終更新日 2005年04月17日 23時22分37秒

高田保『ブラリひょうたん』「演出家」

  
  
  
  
                          ()
 


最終更新日 2005年04月18日 00時02分29秒

高田保『ブラリひょうたん』「君死に給ふことなかれ」

 -
  
  
  ()鹿鹿
  
  ()()
                         ()
 

1978
 

最終更新日 2005年04月19日 21時20分43秒

高田保『ブラリひょうたん』「片手落ち」

 絶対多数と衆議院の方は安心しきっていたのだが、参議院の方はそうでなかったので、見事に野党に引きずられた。ある人が笑って「サヴィエル様だよ」といったのだが、何のことかわからない。真面目にその意を質ねると「片手落ちだってことさ!」物固いカソリック信者が聞いたら眉をひそめるだろう。
 聖腕、信者からすれば世にもありがたいものに違いない。本願寺さんが地方へ出かけると、入った風呂の湯までもらいに来るそうである。由来信仰というものには理外の心理が働くものらしい。理外だから不信者にはわかりようがない。迷信排除などと文部省ではいっているが、理外の限界をどこに置くかで迷わせられているだろう。
 サヴィエルの死骸がいつまでも硬直せず、腐敗もしなかったという奇跡は、不信者にはやはりうなずけない。日本ではまず新井白石がそれを疑った。彼は渡来のオランダ人に、かかることはあり得るものかと質問している。オランダ人は合理主義者であったとみえ、何か薬物を用いたからだろうと答えている。聞いて白石は大いに安心したらしい。「世界紀聞」の中に誌されている。
 このオランダ人の答は今もなお正しいかもしれない。われわれもまた白石と同じようにそれで納得するのである。問題はその薬物が何であったかだろう。奇跡は決して非科学的なものではない。科学的に究明されぬ間だけ非科学的におもえるだけである。ラファエルに描かれた「ボルセナのミサ」では、不信の坊さんが聖体パンを割った。するとその中一面に真赤な血がにじんでいたというのである。しかし近代の科学は赤色の細菌を発見している。奇跡の正体はつまり赤カビだったのに違いない。
 長崎でのミサに、永井隆博士が担架で運ばれ出席したと報じられている。この篤信の科学者に白石の質問を向けたら何と答えるだろうか。日ごろ意地悪で残酷なジャーナリズムだから、きっとやるだろうと期待していたが、いまのところまだその話を聞いていない。しかし博士がオランダ人と同じに答えたとしても、別に背信にはならぬだろう。そうでないとわれわれには理解し難いものになる。科学を拒絶した信仰こそほんとの「片手落ち」だろう。
 キリストの奇跡を否定することはすこしもキリストを傷けるものではない。サヴィエルの偉さはその死骸が腐ったか腐らなかったかにあるわけではあるまい。であの話などは当然奇跡ではないとして子供に教えるべきだと、たまたまある人に話したら、その人は心配げな顔をして「しかしそれで外国に対して差支えないでしょうか?」
 日本も妙な国になったものである。                  (六・二)



最終更新日 2005年04月19日 21時22分02秒

高田保『ブラリひょうたん』「叱られて」

 の「片手落ち」では、早速カソリックの信者に叱られてしまった。知合いの美しい夫人なのだが、あんな冒漬(ぽうとく)の文章を自分の友達が書いたのは自分の罪だから、お許しを願うお祈りをささげましたというのである。こういう責められ方はかなわない。
 サヴィエル神父を私もえらいとおもう。だが信者ではないから感心のしどころが違う。たとえ神父がほかの神父たちに注意したという言葉の中に、
「だれからも補助を受けないことが大切だ。補助をしばしば受けると自由を失う。折角の自分の言葉が力を失っては人を訓え導くわけにいかない。そのために自由でなければならぬ」
 現在の仏教の坊さんたちに聞かせたら何というだろう。お布施経済、ギヴ・エンド・テークというが、順序を間違えてどうやらテ!ク・エンド・ギヴ。それならまだ取引でいいのだが、実はテーク・エンド・テークであるらしい。何の下地もない日本に渡来してサヴィエル一行が、たちまちあのキリシタン熱を上げさせてしまったのは、当時の仏教がはや堕落してしまっていたからだろう。
 クリスティの「奉天三十年」はあまりにも有名だが、十六の妙齢の時にマルセイユを出帆して満洲に渡ったきりの、ロージンヌ童貞女などは大したものだ。とにかく私がいつぞや満洲あちこちを歩いたとき、どこでも目に残ったのはあの人々の努力の足跡である。どれを見てもギヴ・エンド・ギヴ、成程これでなければと頭を下げさせられた。水のきれいな吉林の松花江畔、美しい天主会堂を指して、下らん満洲国なんぞ建設するよりも、あれ一つを建てる方がずっと本当の仕事だと放言した覚えがある。
 ギヴ・エンド・ギヴのロージンヌ童貞女ではあったが、、面白い話がある。牛荘から二十数キロほどの董家屯というところで孤児院を開いた時分、一人の若い馬賊が兵隊に追われて逃げ込んで来た。かくまって助けてやってから二十何年か過ぎると、奉天の将軍張作霖から、いともねんごろな招待状が来たそうだ。何事かと出向いてみると、すばらしい歓待をされた上に、当時の金で三千両という大金を、あなたの事業のためにといって差出されたのだそうだ。つまり助けてやった若い馬賊こそが将軍張作霖だったというわけなのである。将軍が爆死したときにはまだ生きていた童貞女だが、現在どうしているかはしらない。
 いかがですか奥さん、と私はつい熱情をこめてしゃべってしまった。すると私を叱りに来た美しいカソリック夫人は、ああ私などはとても罪深くてと、しとやかに十字をお切りなされた。                                  (六・三)



最終更新日 2005年04月19日 21時24分03秒

高田保『ブラリひょうたん』「不断の稽古」

  
 ?
  
  
  ()()
  鹿                 ()
 


最終更新日 2005年04月19日 21時27分20秒

高田保『ブラリひょうたん』「源泉課税」

  
  ()
  稿 
  
  廿
  ?
  
  ()!
  
  ()   ()
 


最終更新日 2005年04月19日 21時31分01秒

高田保『ブラリひょうたん』「ブレイン・トラスト」

  
  
  
  西西
  
  
 
  
  ()()
  
                            (
 


最終更新日 2005年04月22日 01時46分07秒

高田保『ブラリひょうたん』「赤色容疑」

 松前城が焼けたと聞いて、露伴の小説「雪紛々」をおもい出した。少年の頃に一読し、作中のアイヌ英雄シャクシャインに同情の涙をそそいだものである。松前城は異民族征服のための城たったという点で、その由来がほかの城とは大分変っている。
 大酋長コシャマイン父子と戦って遂にこれを(たお)した武田信広が松前家の始祖だが、コシャマイン以後にも有力なアイヌの勇士がいて、始終反逆を企てていたらしい。復讐のため墓を発かれるのを恐れて、信広の死骸は秘密のうちに葬られ、何人にもその場所を明かさなかったという話がある。
 露伴が材料にしたシャクシャインの出現は松前家十代目の時だった。小説では最後に見事割腹するシャクシャインになっているが、彼は日本人ではなかったのだから、そんな真似はしなかったらしい。運尽きたりとみて悪びれずに軍門に降った。松前家それを斬に処す。
 十三代日になってもなおかなりの反乱があったらしいのだから、アイヌ族の没落も一夕だったわけではない。この十三代目は道広といって、文人馬琴と往来があったらしい。馬琴が「兎園小説」で蝦夷に関する奇聞などを書き集めているのはその関係からだといわれる。今ではただの北海道だが鎖国時代はあそこだけが許された外地だっただけに、世人の好奇心が向げられていたらしい。
 この道広はその当時赤の容疑で当局から(にら)まれた。当時も赤といえばロシヤのことだったのだから面白い。紅夷とか赤夷とかと呼んだ。江差の姥神様というお宮へ道広が奉納した扁額の文句が穏かでないということからの事件である。
「降福孔夷」という四字なのだが、草体に崩したために、孔の字が紅と紛らわしくなった。福を降すことハナハダ大いならんことをというのが福を紅夷に降し給えという意味にとられたのである。このそそっかしやは巡察に来た最上徳内。その文字をそっくり摸写して江戸へ帰り訴えた。幕府では事重大なりとその字を林大学頭に読ませたところ、彼もその通りに読んだ。こうなると姥神様なるものの正体も怪しい。あるいは評判のロシヤ女皇カザリンを祭ったものではないかなどという説まで出たそうだ。こんな容疑はいつの場合でも弁明が通らない。道広は隠居を命ぜられ松前家は一時ではあったが陸奥の方へ移封された。このとき松前家では「隆民殿」という額に掲げ換えて他意のないことを示したというのだが、今の世だったら、この文句がまた騒動の種になったかもしれぬ。
 序でにいうが、露伴の「雪紛々」などは映画に撮って十分面白い筋である。好色物には誰も飽きた。変ったものを作ってもらいたい。             (六・九)



最終更新日 2005年04月22日 01時48分07秒

高田保『ブラリひょうたん』「教育宣言取締法」

「教育宣言」という案、果たして各新聞が問題にした。「首相個人の倫埋観に終らねばいいが」とは朝日紙、「一片の美辞麗句だけで空文句に終らねばいいが」とは毎日紙、「国民の自律性を妨ぐるに終らねばいいが」とは読売紙、いずれも一致して無用だと述べている。かくも各紙が見事に一致したところをみれば、これが国民の絶対多数説だとなるだろう。これに対して「絶対多数党」が少数説として何と答えるか、面白いことである。
 真面目な国事を面白がってはいかんとしかられるだろうが、面白いものは誰にも面白い。さてスト中止の大学生が遊びに来て、こんなのはどうですかと書いたものを出した。「教育宣言(試案)」としてある。披いてみると、「吉田惟フニワガ民自党国ヲ治ムルコト公平ニ……」ふざけちゃいかんと、さすがの私も笑いながらだがタシナメて置いた。
「教育勅語に代るもの」などというから大学生に面白がられたりする。いやそればかりではない。勅語ということからついそれを唯一のものと考える。新聞紙の論調も「吉田宣言」だけ存在の場合を考えてのようだが、ファッショ時代の東条「戦陣訓」とはわけが違うべきだろう。「吉田惟フニ」が許されるなら「徳田惟フニ」だって許されるべきだ。各党各派がそれぞれに「教育宣言」となったって別に差支えはあるまい。
 無用なものは幾つあっても無用かもしれぬが、無用同士で競争するところに人気が沸き立つ。流行歌謡ぐらい無用なものはないが、各社の競争でご承知のとおりだ。各党各派が宣伝で競争すれば「教育宣言時代」が現出するかもしれぬ。ラジオがその気勢にのってお好み投票をやる。―今週の第一位は何百何千票で依然「吉田宣言」が……われながら馬鹿々々しい空想だが、こうまでなれば国民も否応なく教育というものをその本質で吟味することになるだろう。無用も扱いようで時には有用の効果を生むものである。
 もちろんこうなれば、いわゆる「好ましからざる」とか「非日的なる」とかの宣言も現れるかもしれぬ。今までは学校だからと曖昧(あいまい)にしていられもしたが、こうなればどの宣言を採用すべきかで、いたるところのPTAで乱闘がはじまったりするかもしれぬ。しかしそんな点は心配になるまい。政府は早速に「教育宣言取締法案」を国会に提出するだろう。その場合は絶対多数党だ。「吉田惟フニ」で押通すことができる。
 金のかかる政治を吉田首相は戒めたそうだ。教室を整備したり教員の生活を安定することは金がかかる。「教育宣言」は金のかからぬ一例を示したつもりかもしれない。
                                   (六・一〇)



最終更新日 2005年04月22日 01時50分50秒

高田保『ブラリひょうたん』「贈りもの」

「時の記念日」今年サヴィエル記念の年であり、あたかもその祭事の時に当っているので、一段と意味あるようにおもあれる。サヴィエル神父はわが国にはじめてキリスト教をもたらしただけではない。はじめて時計というものを輸入してもいるのである。
「大内義隆記」という記録の中に「天竺の贈りもののさまざまなるその内に、十二時を掌るに夜昼の長短を違えず響く鐘の声」と書いてあるそうだが、その天竺の贈りものこそはサヴィエルからだった。クスマンの「東方伝道史」によると、平戸にいたポルトガル人が、大名に会うなら何なり手土産を持ハ、て行かなければ駄目だからと、すすめて持たせて寄越したことになっている。
 伝道一途の神父は、神の道を説くことこそが偉大なる土産だとばかりに全くの手ぶらで山ロへ乗込んだらしい。服装ももちろん粗末なものだった。領主大内義隆と一応は対面できたものの、その貧乏たらしい風体で一顧も与えられず終ったらしい。京都まで行ったのもそのままだったから、果たして時の公方足利義輝には門前払いを食わされてしまった。義隆へ時計を持って行ったのはだから二度目である。一旦平戸へもどり、今度は服装も美々しくし、印度総督からの信書を持った上で出直した。
 時計の外に何か楽器も添えたようだが、この手土産は大いに効果があった。前とは打って変って鄭重に扱い、返礼としてかなりの金子をくれたりした。がサヴィエルは伝道以外は何の望むところもないから、おいそれと許可してさえくれればと、固く断ってそれを受けなかった。義隆大いに感激。日本の坊主とは格段の相違だとばかりに、喜んでその便宜を与えてやった。
 サヴィエルに次いで京都へ入ったのは、カスパル・ビレラという神父だが、前のサヴィエルの時で()りたと見え、やはり手土産を足利家へ差出している。それがやはり時計だったから面白い。もっともこれは自鳴鐘ではなくて砂時計だったそうだ。それでも「日本人の誰一人がそれまで知らなかった珍物」として非常に喜ばれたと伝えられている。お返しとして将軍から盃を賜ったというだが、酒を飲まされたのだろう。一説には茶を下されたともなっている。とにかくこのためにやはり伝道が許可されたのである。
 右の二つの話とも、贈りものをしなければ駄目なのが日本人ということになりそうだ。昭電公判で日野原被告は率直に、将来お世話になりたかったので、と、大蔵大臣への贈賄を告白したが、大臣がそれを受取って望むとおりにしてやったのは、昔からの伝統に従ったのかもしれない。                                                (六・一一)



最終更新日 2005年04月22日 01時53分39秒

高田保『ブラリひょうたん』「山師」

  
  ! ?
  
    
  
   ?
  ()
   
   
  使
  
 ()?
  ()殿
 
 殿
  -                   ()
 


最終更新日 2005年04月22日 01時55分48秒

高田保『ブラリひょうたん』「相違」

  ?
  !
  
  
  ! ?
  
  退
  :
  
   !                        ()
 


最終更新日 2005年04月22日 02時00分33秒

高田保『ブラリひょうたん』「PTA」

 連日の愚文、愛読か憎読か、とにかく熱心に読んでいられる方があるとみえる。所感を述べた手紙を私宛てに下さるのが多い。一々に返事申上げるのが礼だが、生来が不精で、それに存外非社交的なので自然怠ってしまっている。この際改めてここにお詫びを申上げて置く。
 愛読か憎読かといったが、目障りだから即刻止めてしまえというのもあった。行儀正しい書道正格を守った字で、吉田さんの攻撃をもっぱらやるのが怪しからんと書いてある。こんな方へなまじ悪筆で返事など出したら、字さえ碌に書けぬ奴が何ができると、内容も見ずにまず軽蔑されるだろうと恐縮した。考えてみると活字というものは実にありがたい。書くものを内容本位にする。デモクラシーは活字的ということかもしれない。
 吉田さんの攻撃をもっぱらやるなどという意識、毛頭私にはない。が妙な工合で私は妙な憎まれ役を買ってしまっているらしい。同じ町にいるおかげで、吉田さんの土足入場という事件を取上げて説を述べてしまった。ところが世間はかねてから吉田さんの白足袋を何やかやと、漫画的に扱っていたものだから、ついそれと混同して、白足袋を非難したと取ってしまったようである。傘雨久保田万太郎宗匠までが、わざわざ、
  白足袋の余寒の白さ穿きにけり
 という句をものして、似合っても似合わなくても悪くいわれるのが「白足袋」の昔からの運なのだと、味方して弁護したりしている。
 がさすがに地元では、子供だってそんな間違いはしない。先日、町の中学校で吉田さんが子供たちに話を聴かせてくれたのだが、心配して先生側ではあらかじめ、暖かい時でも足袋を穿いているなどに可笑しくおもってはなりませんと、一応の注意を与えて置いたのだそうだが、子供たちは白足袋なんぞはちっとも問題にしていなかった。当日吉田さんが現れると、お互いに耳許で「ゾーリ大臣だよ!」  あなたの責任ですよ、私の許へ言いに来た町の人があった。
 どうも同じ町の内というのがいけない。この学校訪問の日、PTAの人たちが吉田さんに何か訴えかけたら、PTAとは何ですかと説明を求め、輸入されたものですかと重ねて質問をされたので変に落胆させられてしまったなどと、張切ってPTAの仕事をしていた人が心中を述べに来たりする。それに対して妙な返事をすれば、また憎まれ役を買うことになるのだろう。だから警戒して「いや、えらい人はそんな末梢的なことを知らんでもいいのですよ」すると相手は眼をぱちくりさせて、アナタは誰でしょう第一問、といったような顔をした。世に処するの道はむずかしい。                  (六・一五)



最終更新日 2005年04月22日 02時03分36秒

高田保『ブラリひょうたん』「人間危機」

  
  
  ?
  
  
  
  !
  ()
  
  
  !?! 
     ()
 


最終更新日 2005年04月22日 02時06分30秒

高田保『ブラリひょうたん』「早慶戦」

  ()()
 
  
  ()()
  
  
  ? 
  
                                     ()
 


最終更新日 2005年04月22日 02時08分53秒

高田保『ブラリひょうたん』「科学と信仰」

  
  
  ()()
  ()()
  ()()()()()
  
           ()
 


最終更新日 2005年04月24日 18時44分06秒

高田保『ブラリひょうたん』「大感傷」

  帰りける人来れりといひしかばほとほと死にき君かとおもひて
 いまだに異国抑留の身の上の人がいる。家族の方も辛い。引揚再開はとび立つばかりのうれしさだが、船が着くたびに喜び合う人々ばかりではない。「ほとほと死にき君かとおもひて」この落胆の切なさは深い。早くそれの一人もないようにしたい。
 この歌はしかし引揚者家族が読んだものではない。万葉集中、狭野茅上娘子となっている。恋しい夫が北方へ流された。何年が程かを精一杯に待ち暮らした。待つ甲斐(かい)あって後にはめでたく戻って来たことになっている。
  わが背子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまふな
 精一杯に待っているのではあるが、気崩れというものが時にはある。いっそ死ねたらともおもうだろう。いや一目会うまでは何としても生きねばならぬ。が現代は待つだけで生きられた天平の昔ではない。待ちながら生きるためには働かねばならぬ。生きるに足るほどの働ぎとはどんなことか。万葉人などには想像も及ぼぬ人生である。
  ひと/゛\には住み悪しとそいふすむやけく早や帰りませ恋ひ死なむといふに
「異国の丘」という歌を聴いてある夫人がいう。あの歌も現地で現地の方がうたってこそとおもいます。それをのんきそうに、ラジオの素人のど自慢などで聴かされると、ただもう腹立たしくなってたまりません。恋い死ぬばかりに待ち続けている人にとっては確かにそうだろう。しかし歌っている当人は存外あの歌の感傷を自分の感傷として、素直に同情しているつもりかもしれぬ。ということは、世間の同情などというものはいつも、流行歌的感傷ぐらいの度に止まっているものだということである。恋ひ死なむというほどの命がけの大感傷とは、甚しく距離がある。
  あめつちのそこひのうらに吾が如く君に恋ふらむ人はさねあらじ
 万葉娘子の絶唱はこのようにはげしい調子で高鳴りした。が現代の待つ人々の気持も決してこれに劣るものではあるまい。おなじような絶唱がやはりどこかに、ひそかに生れていることであろう。それを掘出して編集しようとする意志のジャーナリストはいないか。カストリ雑誌は不景気のために大分整理されたというが、まだまだ雑誌屋の店頭はにぎわっている。夫婦和合の秘訣などというものばかり集めるのが婦人雑誌の要領でもあるまい。しかしそういっても多分こう答えられるだろう。「そんなもので売れましょうか?」
 そんなことは私にはわからない。私はただ引揚者家族の生のままの感情をそのままスターリン氏へ取次ぎたいの 57である。恋ひ死なむという命がけの大感傷の炎で、鉄の人を()いてみたのである。(六・二三)



最終更新日 2005年04月24日 18時46分26秒

高田保『ブラリひょうたん』「葉隠れ精神」

  ()()()
  
  
  殿()
  殿殿殿!
  ?!
  !
  ()()
 


最終更新日 2005年04月24日 18時49分30秒

高田保『ブラリひょうたん』「書画風流」

 
  
  ()()稿
  
 使
  
 
  
 
 ?
 
              ()
 


最終更新日 2005年04月24日 18時52分57秒

高田保『ブラリひょうたん』「義務・権利」

 外貨保留制度が許可される。業者の海外行きができるようになる。めくら貿易もだんだん明るくなる気配、まことに結構といったら、まだまだ日本人はそんなバカなことをやっていますかと尋かれた。めくら貿易ということを、相手をメクラにしたインチキと勘違いされたのである。
 この勘違はしかしその人の粗忽(そこつ)ばかりでもない。日本人にはメクラ貿易の前科があった。イタリヤで蚕の病が流行し、すっかり根絶やしになってしまったので、種紙の買い付けを日本に向けてした。その注文を受けてそれもうけうとばかりに日本人は、大急ぎにそれの「製造」をやった。製造というのは、紙に糊を引いて芥子粒を貼りつけることである。文久元治の頃だそうだが、一挙にして信用を失ったこというまでもない。
 生糸の束の中へ鉛を入れ、油樽の底へ水を入れ、目方分量を誤魔化したなどということ、昭和の今日ではまさかと言いたいが、火にかければたちまち爆発するマグネシュームの鍋釜(なぺかま)を平気で製造しているのだから、この伝統はすでに亡びたなどとは言いきれない。いつぞやの米誌が、日本というのは大した国だ、粗悪酒の取締りをやったら「一四七五年製ウィスキー」という珍物が現れたと笑っていた。これこそはおそらく、本当に人をメクラにする恐るべき代物だろう。
 かねてからライターの製造をしている人に会ったら、これはどうですかとダンヒル型の製品を見せられた。本物と見比べてちっとも見劣りせぬだけの自信をもっていますといった。使い比べてみたらどんなことになるかと尋いたらイヤな顔をした。
 輸入商品にはすべてその生産国名を明らかに記載すべし、としたのはまずイギリスの商標法だったそうである。粗悪な外国品の流れ込むのはいいが、それに(だま)されて国民が損をしてはいけない。「メード・イン・何々」とされさせて置けば、この品は劣等なりというレッテルになる。真面目な製品を出している国内業者も救われるだろう。
 ところがいつか妙な結果になってしまったそうだ。多くの人たちがことさら「メード・イン・ジャーマニィ」としてあるのを探して買うことになってしまった。この品は優秀なりというレッテルがついていたからである。こうなると生産国名を明らかにということは、ドイツ業者にとっては決して義務ではない。英国商品と区別する大きな権利となったわけだ。
 よろこんで使い比べをしてもらう料簡でないと、義務から権利への飛躍などできるわけのものではない。ライターだけのことではない。            (五一・六・二八)

◎注
差別的言い回しが使われていますが、一九五一年に書かれたものであり、そのまま掲載します。


最終更新日 2005年04月24日 18時57分38秒

高田保『ブラリひょうたん』「サクラ」

 ラジオのお好み投票音楽会中止。理由はサクラの投票がふえるばかりで、今やサクラばかりになったからというのだが、そんな馬鹿なサクラはない。
 スペインの舞姫アルヘンティナが、ロンドンの舞台へ出た。その初日、スペイン大使一行がボックスの客になった。やがて幕が上る。するとそのボックスの辺から舞台へ帽子が飛んた。舞台に対する歓迎声援のしるしである。また飛ぶ、また飛ぶ、舞姫はそれを両手一杯に引っかかえて感謝した。場内一斉に拍手。翌日の新聞が「大使、母国の舞姫の舞台に帽子を投げる」大きく記事になったことはいうまでもあるまい。
 ところで、この新聞記事に間違いはないのだが、真相をいうなら一寸違う。最初の帽子は大使のボックスの隠から飛んだのだそうである。その隠のボックスというので、舞姫をロンドンまで招いた興行師のコクレンの席だったのだそうである。その席にはコクレンの友人のスペイン人が、コクレンに頼まれて坐っていたのだそうである。ここまでいえば順序はわかるだろう。隠のボックスのサクラに釣り出されて、スペイン大使はそれを投げたのである。大使が投げれば一緒にいた館員も投げることになるだろう。
 サクラでないものを引出すのが本当のサクラの働きである。だからサクラは巧みな扇動者である。気転を利かせて急所に火をつける。ばっと大衆が燃え上る。燃え上らせてしまえばそれでもういい。だからサクラの成功は、サクラの必要をなくすところにあるといえるだろう。だんだんとサクラぽかりになってしまったお好み投票などというのは、サクラの名に値しない。ただのインチキというべきである。
 芸人の人気にサクラはつきもの、何もアルヘンティナの場合のコクレンの才覚ぽかりではない。昔の芝居小屋の大向うからの掛声は、すべてツボにはまって見事だった。などと追懐する人があるが、昔はなにがしかの報酬を払ってサクラをつとめさせたものである。だが、いかに「大統領!」などと呶鳴らせても、それに相応するだけの何かを持っている芸人でなければ決して火のつくものではない。サクラはサクラだけに終わるのである。スペイン大使にしても、相手がアルヘンティナだったればこそ、釣り出されたのだろう。
 現在の政党で巧みにサクラを使っているのは共産党だけのようである。ほかに精々がお好み投票のインチキぐらいの知恵しか働かせていない。それにしても現代の政治家を、芸人と考えてみて、サクラをサクラとして有効に使える器量のものは誰々か? 指を折ってみるのも夏の宵の一興かもしれない。                   (六・三〇)



最終更新日 2005年04月24日 19時55分10秒

高田保『ブラリひょうたん』「敬語」

  
  ?
  
  
 
  退()
  
        ()
 


最終更新日 2005年04月25日 00時09分47秒