﹁血のバレンタイン﹂
2017年2月14日は、東芝関係者の間で、長くそう記憶されることだろう。
この日、東芝は、米国原発サービス子会社の減損損失額は、7125億円になったと発表した。
自己資本3600億円の東芝は、そのままでは債務超過︵事実上の倒産︶に陥るため、唯一残った成長事業の半導体事業を分社化し、株の一部を売却する。これで東芝本体の主力事業は原発のみとなり、自力再生の可能性は限りなくゼロに近づく。
つまり2月14日は、日本を代表する名門企業、東芝が消える日なのだ。
すべてはWH買収から始まった
東芝を解体に追い込んだ原因は、2006年に6600億円を投じて買収した米原発メーカー、ウエスチングハウス(WH︶を核とする原発事業の不振だ。歴代3社長が引責辞任した粉飾決算はそれを隠すための﹁化粧﹂だった。
WH買収を決めたのは当時社長の西田厚聰。実際の交渉に当たったのは当時、原子力事業の担当役員で西田の次に社長になる佐々木則夫だ。
米国で初めて商用原発を作ったWHはゼネラル・エレクトリック(GE︶と並ぶ重電の名門企業。だが1979年のスリーマイル島の原発事故以来、34年間、米国内では新規の原発を建設しておらず、東芝が買収した時点で、その経営状態はボロボロだった。
そこに2011年3月の東京電力福島第一原発事故が追い打ちをかけた。東芝とWHが30年ぶりに米国で受注した4基の原発は、安全基準が大幅に厳格化されたことで、当初の見積もりを大きく上回ることが確実になった。
本来ならこの時点で、事業計画を見直し減損損失などを計上するべきだった。米国の監査法人は減損処理を要求したが東芝は拒否。﹁原発事業は順調﹂と言い続けた。この時期の東芝社長が田中久雄だ。
東芝を解体に追い込んだのは、西田、佐々木、田中の歴代3社長である。粉飾決算が発覚すると、怒った株主は東芝に対し、彼らと、彼らに仕えた2人のCFO︵最高財務責任者︶の5人に損害賠償を求めることを要求した。東芝が5人を訴えなければ株主が代表訴訟を起こすことになる。東芝は止むを得ず5人を提訴した。
︽ 4︾ではパソコン用の部品を下請けの組み立て会社に高く買わせて見せかけの利益を計上し、完成品を買い取る時に帳尻を合わせる﹁バイセル取引﹂が問題になっている。
バイセル取引の温床になったパソコン事業は西田厚聰のテリトリーだ。西田は東大大学院で西洋政治思想史を研究し、在学中に出会ったイラン人女性と結婚してイランに渡った。現地で東京芝浦電気︵現東芝︶とイラン企業の合弁会社に入社し、1975年に東芝本体に入社し直したという珍しい経歴の持ち主。東芝の保守本流である重電、新興勢力の半導体のいずれとも縁がなく、社内ベンチャーに近いパソコン事業でのし上がった。
法廷で見せた歴代三社長の厚顔
こうして2015年11月、東芝が歴代社長・副社長の5人を訴える異例の裁判が東京地方裁判所で始まった。事件番号は﹁平成27年︵ワ︶31552﹂。当初の損害賠償請求額は3億円だったが、証券取引等監視委員会の勧告により73億7350万円の課徴金を支払ったことから東芝は2016年1月、請求額を32億円に引き上げた。均等に割ると一人6億円強。負ければ退職金も水の泡になりかねない金額だから、被告の5人は必死である。 2015年11月7日に始まった裁判は被告の希望により非公開とされており傍聴できない。しかし裁判の記録は東京地裁に残されており、閲覧は可能だ。 血のバレンタインを招いた歴代3社長。彼らが法廷で見せた厚顔ぶりをとくとご覧いただこう。 訴状によると争点は4つ。 ︽1︾インフラ関連事業にかかる会計処理 ︽2︾テレビ等映像機器の製造販売事業における経費計上にかかる会計処理 ︽3︾ディスクリート、システムLSIを主とする半導体事業における在庫の評価にかかる会計処理 ︽4︾パーソナルコンピューターの製造販売事業における部品取引等にかかる会計処理 これらの事案で東芝は﹁不適切な会計処理﹂︵粉飾決算を指す東芝用語︶が行われていたことを認め、5人に対し﹁取締役としてそれを止める義務があったのに責任を果たさなかった﹂という﹁善管注意義務違反﹂を問うた。﹁西田マジック﹂への疑惑
︽1︾のインフラ事業の中にはWHなどの原発事業も含まれている。
2004年3月6月、専務に就任するとその期の第3四半期まで営業赤字だったパソコン事業を最後の四半期で黒字に転換し社内外から﹁西田マジック﹂と賞賛される。その勢いで2005年6月に社長に就任した。しかし東芝関係者によると西田率いるパソコン部隊は、この時期からバイセル取引に手を染めていた疑いがある。このころ資材調達を担当していたのが、西田の次の次に社長になる三悪人の一人、田中久雄だ。