総務省は6月末、法制執務業務支援システム︵通称e-LAWS︶を本格稼働させた。4000以上にのぼる国所管の法令をインターネット上で参照でき、二次利用もしやすくなる。記者や弁護士には非常に有り難いシステムなのだが、このシステムが登場したことの本質的な意味は省庁の働き方改革にある。﹁国会審議の前には、職場に缶詰め﹂﹁資料の書式を間違えると、破り捨てられる﹂――。あまりに前時代的、儀礼的な霞が関の﹁伝統芸能﹂に、働くママたちが終止符を打ったのだ。
e-LAWSは約4000の国所管の全法令を収録している。これまでもオンラインデータベースは存在していたのだが、旧式と新式では大きな違いが2つある。
まず一つ目の違いは、データの作成主体だ。旧式のデータベースは総務省だけで作成していた。新式では各省庁が所管する法律のデータベース化を担当する。業務負担を分散することにより、正確性と更新頻度が大幅に向上するという。
一次資料として使えない旧式データ
実際、旧式データベースには誤りが頻出していた。2005年には戸籍法施行規則の人名に使える漢字に誤りがあり、これを参照していた自治体が過って出生届を不受理にするケースが相次いだ。使う方にしてみれば「国が作成しているデータベースなのだから間違いはないはずだ」と考えてしまうだろう。e-LAWSのプロジェクトを担当した総務省行政管理局の白石牧子さん(34歳)と小泉美果さん(32歳)は「旧式データベースを一次資料として使えないことを知らなかった弁護士も多かったようです」と話す。
新式データベースのプロジェクトを担当した白石牧子さん(左)と小泉美果さん
また、旧式の更新頻度は月1回程度だった。つまり、改正法が施行されていても、オンラインデータベース上では最大1ヶ月も旧法が表示されていたのだ。今後は施行から遅くても1週間程度で改正部分が反映されるという。
もう一つの違いはデータベースに用いるプログラム言語を、検索や編集が容易なものに変更したことだ。単純に法令のテキストを表示していただけの旧式と違い、条文の中身を示す﹁タグ﹂をデータベース内に埋め込んだ。これにより、罰則に関する条文だけを抜き出すことなどが可能になる。
これは事件取材を長く経験してきた記者にとっては吉報だ。特定の行為を禁じる条文と、それに応じた罰則の内容は別々に書かれることが多い。禁止事項に罰則があるのかどうかを確認するのは面倒な作業だったのだ。
とはいえ、今回のデータベースの変更は、一般の国民にとってさほど大きな意味はない。恩恵を受けるのは記者や士業など限られた立場の人だけだ。むしろ主眼は霞が関に脈々と残っていた不毛な労働慣習を一掃し、働き方改革につなげることにあった。
「伝統芸能」に苦しむ官僚
霞が関の官僚が最も忙しくなるのが、担当法案の国会審議が迫っている時期だ。この際、﹁新旧改め文﹂と呼ばれる法改正の案文や、改正前後の条文を並べる﹁新旧対照表﹂をつくることが官僚にとって苦痛になっていた。
前述したように、旧式のデータベースは一次資料として使えなかった。そのため、担当官僚は法令の原典である﹁黒本﹂がずらっと並ぶ通称﹁タコ部屋﹂に缶詰になって資料を作成していたのだ。チェックのために担当官僚同士の読み合わせも必要なので、黒本を持ち帰って自宅で作業することもできない。
更に悩ましいのが、資料の書式だ。例えば、改め文の文章の出だしを何マス空けてから書き出すか、文章の性質によって細かく決められている。新旧対照表も条文によって施行のタイミングが違う場合、順番に応じて文字を色分けしなければならない。﹁ルールをちょっとでも間違えると、内閣の担当官に提出したその場で書類を破られることもあった﹂と小泉さんは振り返る。
30時間の作業が10秒に
このルールは省庁によって異なることもあるのでさらに厄介。人事異動の度にルールを覚え直さなくてはならない。しかもマニュアルがなく﹁口伝﹂でのみルールが伝えられる部署もあった。それゆえに、改め文や新旧対照表の作成は官僚の間で﹁霞が関の伝統芸能﹂と揶揄されていたのだ。このルールは見た目の美しさを追及する意味があったとみられるが、若手の官僚にとっては実質的な利点が理解し難い代物になっていた。
ところが、新しいデータベースは、プログラム言語の変更により、改正部分を旧法令と自動で照合して、資料を自動作成してくれるようになったのだ。以前は30時間ほどかかることもあった作業が10秒程度で完了する。
e-LAWSのメリットはほかにもある。正確性が担保されてオンラインデータベースを一次資料として使えるようになったことにより、黒本のコピーを手作業で切り貼りすることで作っていた法案作成用の資料も、パソコン上で作成が可能。子育てや介護を抱える官僚が自宅で作業もできるようにもなった。
それにしても、なぜこんな前時代的な慣習が長く続いていたのか。小泉さんと白石さんは﹁誰に改善を申し出ればいいのかも分からなかったためではないか﹂と推測する。資料をチェックする内閣法制局は5つのグループに分かれており、それぞれルールの解釈が微妙に異なる。前述したように省庁毎にもルールの違いがある。つまり、誰かが責任をもってルールを所管しているわけでもないのに、ルールの実行だけは強制されるという状況だった。これでは一体誰に文句を言っていいやら分からない。
しかし、2014年に女性のキャリア官僚が糾合して﹁霞が関で働く女性有志﹂が結成されたことで潮目が変わる。立ち上げ直後だった内閣人事局に対し、優秀な女性官僚が継続して働き続けられる環境整備のための提言書を提出。政権が女性の活躍推進を掲げていたことが後押しになり、人事局内に現場からの改革案を募る窓口ができた。妊娠中の白石さん、7歳の子を持つ小泉さんも﹁これまで受け流されていた女性のための職場改善の提案を、真剣に検討してもらえる風土が出来上がった﹂と喜ぶ。
この記事を読んでくれている読者は﹁意味のない伝統を残し続けたいかにもお役所らしい話だ﹂と苦笑するかもしれない。記者も同感なのだが、民間企業だって笑ってばかりはいられない。記者は働き方改革の本質を見誤っている企業は存外多いのではないかと感じている。
働き方改革は、ダイバーシティ(働くヒトの多様性)やQOL(生活の質)の向上といった面から語られることが多い。改革の目標もしばしば「女性幹部比率●%」とか「残業時間●%削減」などと設定されている。ダイバーシティもQOLも重要だが、記者には目的と結果が整理されていないように思えるのだ。
働き方改革の本質は、労働人口減少への対策だと記者は考える。つまり、労働生産性を向上させることを第一義に考えなくてはならない。女性幹部比率や残業時間の削減はその結果生まれる副次効果ではないだろうか。
ダイバーシティやQOL向上そのものを目的とすることを否定するわけではない。成功すれば、いずれは優秀な︵=労働生産性の高い︶人材を会社に呼び寄せることにつながるだろう。しかしこれは、一時的に会社の収益を落とす可能性があることを覚悟しなくてはならない。経営トップだけではなく、中間管理職までその意識が浸透していなければ意味がない。
例えばある医療関連の上場企業は、夜8時にオフィスを消灯する制度を導入したところ、一部の社員はまるで炭鉱作業員のようなライト付きヘルメットを持ち込んで残業をし始めたそうだ。それ以外の社員もきっとパソコンを持ち帰って自宅で作業をしていることだろう。上司から指示される仕事の中身と量が変わらないのに、労働時間だけ削れるわけがない。
﹁労働時間を削減することで、集中力が高まり労働生産性が上がる﹂という主客転倒の論理展開を耳にすることも多い。この理論は労働生産性が目に見える形で管理されていなければ説得力をもたないはずだが、生産性を推算するモデルを構築している企業は非常に少ない。
企業が働き方改革においてまずすべきは徹底的に非効率作業を排除し、労働生産性を向上することではないだろうか。その結果、会社の業績もダイバーシティもQOLも向上するのだ。そういった意味で、総務省の取り組みは、先進的であるかどうかはさておいて的を射ている。
働き方改革に手応えを感じない企業は、例えば上申書や費用精算などの場面で現場の若手が﹁伝統芸能﹂と皮肉るような作業が残っていないか、洗い出しをすべきだ。若手社員は﹁残業時間をどうこう言う前に、やるべきことがあるはずだ﹂とかえってモチベーションを低下させているかもしれない。
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