バンコクの渋滞は世界的にも悪名高い。
わずか1.5kmのソイ(通り)を抜けるのに1時間かかることもざらだ。BTS(高架鉄道)やMRT(地下鉄)が開通し、利用者は年々増えているのに、渋滞はいっこうに緩和する気配がない。聞けば、バンコクの車の数は約600万台。1日あたり1000台、年間35万台ペースで増え続けているという。
巨大なオフィスビル、インターチェンジタワー。NPDタイランドはここをはじめ、バンコクで有名ビルの駐車場を30カ所以上運営している。
駐車場の供給量も壊滅的に乏しくて、その数わずか36万台程度。増える一方の車と、絶対的に不足している駐車場。タイが長年抱えるこの社会問題に敢然と挑んでいるのが、駐車場に関する各種コンサルティングを手掛けるNPD(日本駐車場開発)のタイ法人の社長、川村憲司氏だ。
「渋滞という難問を解決して、タイの教科書に載るのが僕の夢。しかも、しっかりと儲けながらね」
必要とあらばキャバクラのお姉ちゃんたちの本音を徹底的に洗い出し、ビルオーナーにも直談判し、駐車場運営によってタイの社会を変えようとしている川村氏。その第一歩は、2008年、バンコク中心部にある駐車場の徹底的な洗い出しから始まった。
NPDタイランドの社長、川村憲司氏。「儲ける」と「社会に貢献する」の同時実現がモットーだ。
夜はガラガラのビジネス街の駐車場を、キャバクラ嬢向けに!
﹁日本だとあちこちにコインパーキングがありますよね。ところがバンコクはまずどこに駐車場があるのか誰もわからない。ポルシェやベンツのような高級車から大衆車まですべて同じ入口から入って同じ出口から出るのもおかしいと思いました。飛行機にファースト、ビジネス、エコノミー、さらにはLCCまであるように、駐車場も選択できるようすればいいじゃないか。そう思って駐車場をランク分けしたんですよ﹂
ランクの一番上がVIPクラス。料金は月額4500バーツ︵約1万5000円︶とし、入り口から一番近い2階のスペースを固定で利用できるようにした。この駐車スペースには大きく﹁VIP﹂と表示。警備員が登場し、利用客はVIPとしての扱いを受ける。金持ちは金持ちらしく振る舞い、金持ちとして扱われるのがタイの社会。それを駐車場にも当てはめた。
ビル駐車場はランク分けし、トップのVIPスペースには専任の警備員を配置。VIPはVIPとして丁重にもてなしている。
その下のクラスの利用料は月額4000~5000バーツ︵約1万3000円~1万6000円︶。3Fや4Fのエレベーター近くの固定スペースが割り当てられる。さらにその下は月額2000~3000バーツ︵約6500円~約1万円︶。決められた場所ではなく、空いているスペースに駐車してもらうが、川村氏はセンサーをつけ、空きがあれば入り口などに設置したランプがグリーンに光り、利用者に分かるようにした。安いからといって、駐車場に入ってみれば﹁満車﹂では不便この上ない。安いなりにも使い勝手の良いサービスをつけるのが川村流だ。
昼間は満車で、夜間はガラガラ。車で通勤する人があまりに多いために起きるこの極端なアンバランスを解消しようと、川村氏は、バンコクで一、二を争う繁華街のタニヤやパッポンで働く女性たちの需要にも目をつけた。
タニヤとは女性の接待付きカラオケクラブ、つまりキャバクラのような店が集積している一帯だ。パッポンも同様だが、タニヤがほぼ日本人専用の通りなのに対して、パッポンは日本人以外の客も訪れる。2つ合わせて、歌舞伎町をイメージしてもらうとわかりやすい。
川村氏の仮説はこうだ。
NPDタイランドが最初に駐車場の運営を手がけたラマランドビルとチャーンイサラビルは、このエリアのすぐ近くにある。カラオケクラブで働く女性たちが車を持っていれば、夜間にがら空きになる2つのオフィスビルの駐車場を利用してもらえるのではないか?
その読みは当たっていた。
﹁タニヤとパッポンのお店をすべて回り、お店で働く女性1800人にアンケートに答えてもらいました。ホステスさんからチーママまで、それこそ全員です。車の所有の有無、住所、店を書いてもらうと、360人が車を持っていることがわかった。そこで、この360人に直接会いに行ったんですよ。3カ月かかったかな。残念ながら伝説のホステスと呼ばれる10人は超売れっ子で会えずじまいでしたが︵笑︶、ほかの350人にはみな会って、尋ねてみました。﹃夕方5時~朝の7時まで、いくらぐらいだったら駐車場を利用したい?﹄ってね﹂
彼女たちの希望は1日60~80バーツ︵約200円~260円︶。だが、川村氏はあえて価格を30バーツ︵約100円︶に設定︵現在は60バーツ︶。彼女たちが喜んで利用したことは言うまでもない。﹁NPDすごいよ﹂︵タニヤで働く女性はそこそこ日本語ができる︶と噂が口コミで広がり、利用者は200人におよんだ。利用者ゼロの時間帯に丸々利益がオンした格好だ。
︵なお、車で来ている女性たちは、基本、お店でお客にお酒を飲ませても自分では飲まない。飲んだ場合は酔いが抜けた朝に車を取りに来る。そのために夕方5時から朝7時までの固定料金を用意しているのだ︶
NPDタイランドのオフィスも入居するラマランドビル。この駐車場の夜間のヘビーユーザーがタニヤで働く女性たち。
電車通勤はまっぴらごめんだし、ガラが悪い運転手が多いタクシーも夜間にはあまり使いたくない。できれば車で通いたい。でも車を停める場所がないのでタクシーを使うしかない。そう諦めていた彼女たちのニーズを川村氏はコツコツと掘り起こした。約束を破られることも多かっただろうに、1人ひとりに直接会って丁寧にリサーチしようとする意志と行動力には平伏するしかない。
﹁いや、僕は地道な営業が得意なんですよ。ひとりまたひとりと、お客さんが増えていくのが大好きでして﹂
川村氏が言う﹁地道な営業﹂。それは、NPDの創世記から培われている。舞台をバンコクから大阪に移し、時計の針も少し戻そう。
タイの事業のベースに大阪での経験あり
NPDはいまでこそ新丸ビルのような巨大オフィスビルやホテル、百貨店、商業施設など約1000件の駐車場を運営する東証1部上場企業だが、91年に代表取締役社長の巽一久氏が設立した頃は社員3人の小さなベンチャー。川村氏が99年に入社した当時も、﹁駐車場は儲からないビジネス﹂とされていた。
﹁オフィスビルも商業ビルもとりあえず条例があるので駐車場は作るけれど、それで儲けようという発想がなく、可哀想な商材でした。でも、困っている人はたくさんいた。当時、ビルの駐車場はそのビルのテナントしか使えないところばかりだったので、どんなにその駐車場がガラガラでも、周囲のビルの利用者は月極を借りるしかない。僕たちはこうしたミスマッチを解消してきたんです﹂
ミスマッチ解消の武器となったのが相対での営業活動だ。
99年に入社した川村氏は、大阪中心部の法人300社をピックアップし、ビルオーナーに﹁空いている駐車場をうちに貸してくれませんか。行儀の良い客を集めて貸しますから﹂と説得。ビルの半径300m以内、徒歩5分の距離にあるビルの上から下まで回っては、﹁駐車場が近くにあれば、いくらだったら借りたいですか﹂と尋ねまくった。
結果は上々。オーナーからは﹁借りてくれればありがたい﹂、近くのビルの利用者からは﹁近くの駐車場を借りられるなら助かります﹂という声が殺到した。これは、タニヤパッポンでの取り組みそのものだ。
オーナーと駐車場利用者のニーズが合致することはわかった。あとは価格設定だ。川村氏は周辺の相場を見ながら、例えば空いている20台分の駐車場を1台2万円で借り受けたら、それを3万5000円で貸し出した。これならじゅうぶんに利益が出る。
﹁すみません、そちら、ヤクザですか?﹂
問題は行儀の良い客だけにどう絞り込むか。言葉を変えれば、筋の良くない客をどう排除するかだ。
﹁それも一軒一軒、聞き回りましたよ。﹃すみませんが、そちらはヤクザではないですよね﹄﹃準構成員でもお貸しできないんですが﹄と質問をぶつけてみるんです。答えてくれるかって? 普通の人だったら﹃違いますよ﹄と即、言いますよね。でもヤクザの場合、﹃うーん、うちはヤクザかな。難しいな﹄とか﹃オジキがそういう商売かも…﹄みたいな話になるので、わかるんですよ﹂
しらみつぶしに尋ねた結果は地図にプロットして情報を集約。万が一、知らずにヤクザが関連する会社と契約し、後でそれが判明した場合には即、解約を申し出た。トラブルもあったというが、一度つけこまれてしまうとズルズルになる。特別対応をすることなくNPDはヤクザ排除を徹底した。
﹁駐車場ビジネスは当時、汚れたイメージが強かったので、清潔感を大事にしました。ベンチャーでお金もなくてね。警察OBも雇えないから正直大変でしたよ。難癖をつけられて、事務所で数時間にもわたり土下座を強いられたこともあります。でも、上場して、警察OBのコンサルを採用したらヤクザ絡みのトラブルはなくなった。トヨタさんに奇跡的に出資してもらったのも大きかったですね。出資者に名前が入ってからヤクザがこなくなりましたから︵笑︶﹂
トヨタ自動車本体がグループ企業以外で出資している例は、極めて少ない。それだけトヨタがNPDの将来を買っていた表れだが、それをヤクザも知っていたのか、世界一の車メーカーの名前に恐れをなしたのか。ともあれ、トヨタ効果はNPDの成長を後押しした。
川村氏は、客筋を良くするだけでなく、ハードにも力を入れている。
死亡事故が何度も起きている立体駐車場の仕組みを見直し、センサーをつけて﹁死亡事故のない駐車場﹂を率先して実現してきたのはNPDだ。いまでは立体駐車場の安全確率は99.9%。ヤクザを締め出すのも、機械を整備して安全を確保するのも、目的は同じ。駐車場ビジネスを清潔で安心、かつしっかりと収益があがる仕組みに変えていくためだ。
そのポリシーはタイでの事業にも貫かれている。
タイでは駐車場料金の精算はほとんど機械化されていない。機械より人を使った方が安いと考えられているからだが、仮に24時間3シフトで3人の従業員が必要なところにオートペイ︵事前精算機︶を入れれば、3人分のコストが浮く。これは大きい。まずは実績を作ろうと、川村氏はNPDのオフィスが入っているラマランドビルから出入口の自動無人化を試みた。
黄色いボックスが事前精算機のオートペイ。導入で人件費は大きく浮く。現在、4カ所のビル駐車場に設置している。
﹁各フロアに2人の警備員がいたんですが、何かあったら困るという理由で雇われていただけで、勤務時間中、ほとんど寝ているか博打をしているかでした。おまけに、このビルの駐車場に車を止めているタニヤのお姉ちゃんが﹃警備員が怖い﹄というしね。でもオートペイなら、警備員のようにポケットに小銭を入れることもない︵笑︶。計算ミスもなく、24時間365日働き続けてくれます﹂
オートペイの導入と同時に、川村氏は死角が生まれないよう、各フロアに10数台のカメラを設置した。このカメラの監視業務を任せられる優秀な人材を高給で雇い、定期的に駐車場内を巡回させている。非常時用にフロアに数カ所エマージェンシーコールも備え付けた。結果、全体のコストは下がり、収益はアップしている。
渋滞の解消にも真剣に取り組んでいる。
﹁このままのペースで車が増えたら本当に大変ですよ。車を売る人はその責任を負うべきだと、トヨタモビリティファンドが立ち上げた都市中心部の交通渋滞を緩和するプロジェクトに共鳴して、弊社もその一員として﹃パーク&ライド﹄を推進しています﹂
﹁パーク&ライド﹂は、地方の公共交通機関の駅まで自動車で来たら、駅近くに開設した駐車場に車を駐めてもらい、そこから公共交通機関に乗り換えて通勤してもらおうという試みだ。現在、15カ所で3000台の駐車場を用意している。
が、すべてが軌道に乗っているとはいいがたい。駅に直結するような駐車場であれば利用者は多いが、100m以上距離があると利用者は極端に減る。シャトルバスで結んでも効果は薄い。タイ人の﹁徒歩嫌い﹂は重症だ。
現在はトヨタのサポートがあるため、利用料も月額1250バーツ︵約4000円︶で済んでいるが、いずれは2000バーツ︵約6400円︶に上げられる。値上げ時に利用者はどれだけ残るのだろう。
改革は、まず経験値を上げることから始まる
そう尋ねると、川村氏はきっぱりとこう言った。
﹁いまは経験値を増やす段階なんですよ。車で通って、途中で電車に乗り換えるという通勤方法がはじめてライフスタイルのオプションに加わった。こういう生活もいいなという人を増やすことがこの国にとって大事だと思います﹂
巨大交差点のマネジメントも川村氏のミッションの一つ。バンコク市内に渋滞で悪名高いサトーンという大通りがある。その中でも大渋滞の元凶といえる交差点を舞台に、川村氏は壮大な計画を進めている。
川村氏が推進する「交差点マネジメント」の舞台、サトーン交差点。四つ角のビルから連日、5000台以上の車が吐き出される渋滞の名所。
この交差点の4つの角にはそれぞれ巨大なオフィスビルが並び、すべてのビルの駐車場台数をトータルすると5700台におよぶ。毎日、夕方になるとこれだけの車が一斉に交差点から吐き出されるのだから渋滞が起きるのも当然だ。
だが、もしこの交差点の四つ角にあるビルに入居するテナントが、他の角のビルの駐車場も利用できれば、事情は変わる。4つのビルはべデストリアンデッキでつながっている。出やすく帰りやすいビルの駐車場に車をとめ、そのビルから自分が勤務するビルにデッキを通って移動すれば、帰宅時の渋滞はかなり緩和するはずだ。
﹁それには、4つのビルのオーナーを説得しなければなりません。が、OKの返事をもらったのは1つだけ。でも諦めませんよ。これは街全体にプラスになる夢のパーキングマネジメントプラン。渋滞がひどい他の交差点にも応用できますからね。バンコク都内200箇所で駐車場の満空情報を作りたいという計画もあります。がら空き、空いている、満車の3種類だけの情報でいい。それを見て車を駐車場に停め、電車で移動する人が増えれば、渋滞の度合いはまったく違ってきます﹂
﹁儲けることをベースに、世の中に役に立つことを考える﹂
川村氏がタイにやってきたのは、﹁43才で上場企業の副社長になり、富と名誉を手にしたと勘違いして調子に乗っていた自分﹂と決別し、また一から事業を立ち上げたいと考えたからだ。タイを選んだのは、自動車は多く、駐車場は未整備ながら、駐車場にお金を払う民度があったため。
﹁この民度が大切なんです。何より、いろいろ見て回った中でタイは心から好きになれた国だったので、ここで貢献したいと思いました。そして儲けたい。弊社は﹃YES! プロフィットなカンパニー﹄。儲けることをベースに世の中に役に立つことを考えて、良かったと思ってもらいたい。で、教科書に載る︵笑︶﹂
儲けたいというセリフをこれほど連発しつつ、社会が抱える問題を解決に導く事業をまっすぐに推進している人を初めて見た。そう、儲けと社会貢献は矛盾しない。同時に実現できるのだ。欲を隠さず、潔くて豪快、かつ生真面目な川村氏なら、本当にタイの教科書に登場するかもしれない。
川村氏は本気だ。私も本気でその日が楽しみになってきた。
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