スコットランド狂想曲:経済とスピリットはどちらが重いのか
ほんの1カ月前、別所で﹁スコットランド独立の是非を決める住民投票まで1カ月を切ったというのに、メディアはガザとイラクばかり報道してスコットランド独立問題は小ネタ扱いだ。首相もバカンス三昧である。﹃どうせ独立なんかしないだろう﹄とみんなタカを括っているようだ﹂という記事を書いたのだったが、投票まで1週間を切った今、様相は一変している。
They are shitting themselves︵彼らはうっかり粗相をしそうなぐらいビビっている︶
と書いたメディアがあった。保守党のキャメロン首相、自由民主党のクレッグ副首相、労働党のミリバンド党首の三羽烏が急遽スコットランド入りしたのである。最新の調査でもYESに投票するという人とNOに投票するという人の差はわずか2%だ。スコットランドはマジで独立するかもしれない。
なんか風向きが変わるかも。と思ったのは、一か月ほど前、それまで頑なに沈黙を守って来たスコットランドの歴史学者トム・デヴィーンが鮮やかなYES派支持論をガーディアン紙で発表した時だった。彼はこう書いた。
﹁1750年代から1980年代まで、イングランドとスコットランドの関係は安定していた。しかし、イングランドは1980年代から我々とは別の道を歩き出した。もはや両者の関係の安定の基盤は失われている﹂
1980年代というのは、サッチャーの登場を意味している。
英国では終戦の年1945年に大革命が起きた。国を勝利に導いた名首相チャーチルが選挙でなぜか大敗を期し、﹁富裕層ではなく、庶民の生活を助ける政治﹂、﹁貧者がスラムで餓死することのない社会﹂を求めた民衆のパワーが労働党政権を誕生させたのである。このあたりはケン・ローチ監督の﹃The Spirit of 45﹄に詳しいが、かの有名な﹁ゆりかごから墓場まで﹂の英国の福祉制度を作ったのはこの政権である。NHSという医療費無料の国家医療制度を作り、貧しい子供や老人が医者に診てもらえずに死んでいた時代を終わらせたのもこの政権だし、大学の学費を無料にして庶民の子供も進学できるようにしたのもこの政権だ。
が、﹁ゆりかごから墓場まで﹂を憎悪した保守党のサッチャーが登場すると英国の﹁1945年のスピリット﹂は粉々に破壊される。労働党のトニー・ブレアも同じことをやって﹁彼が私の一番できのいい息子﹂とサッチャーに褒められた。
一方、スコットランドでは、大学の学費は今でも無料(イングランドではブレアが有料にし、キャメロンが値上げした)だし、NHSで処方される薬も無料(イングランドでは料金一律ながら有料になった)だ。﹁スコットランドの政治理念は、1940年代後半から1950年代にかけての英国の福祉国家の精神を引き継ぎ、今なおそれを維持している﹂とトム・デヴィーンが書く所以である。
キャメロン首相は、自分が政権を握っている時に国土の3分の1を失ったなどという理由で歴史に名を残したくないと半泣きになっている。﹁スコットランドがUKを去ったら責任を取ってやめろ﹂という声も上がっているので、﹁英国の現政権が嫌いだからという理由でYESに投票するのはやめてください﹂などという必死の呼びかけを始めている。
一方、労働党のミリバンド党首は半泣きのキャメロンを見て﹁ふふふ。来年の総選挙はもらったぜ﹂とほくそ笑んでいるかと思えば、そうではない。こちらもスコットランドでNO投票を呼びかけている。﹁スコットランドが独立したら、英国では労働党はもう2度と政権を取れなくなるかも﹂と言われるほど、スコットランドはレフトな土地柄だからである。終戦後、これまでに英国では18回の総選挙が行われているが、スコットランドでは労働党が15回も勝っている(英国全体では9回)。
YES派のリーダー、SNP︵スコットランド国民党︶は青地に白いX字型十字のスコットランドの国旗をシンボルに掲げており、名前からして極右政党のようだ。が、この政党の基本的な政治理念はまるで昔の労働党のような社会主義。というところにスコットランド独立問題のおもしろさというか複雑さがある。国旗をはためかせたスコットランド国民党のもとに左翼や緑の党が集まり、YES陣営が構成されているのだ。
そしてこの右翼なんだか左翼なんだかさっぱりわからなくなった集団は主張する。
﹁我々は格差を広げ、貧困家庭を増加させる保守党の政治に賛同しない。それはスコットランドの精神に反するからだ。我々は福祉と公平さに重きを置いたスコットランドらしい国家を建設したい﹂と。
興味深いのは左派新聞のガーディアンの論調が今日まで千々に乱れてきたことであり、9月12日の社説では﹁ナショナリズムは社会の不平等性を正す答えにはならない。その根本的な理由において、我々はスコットランドの人々にNOと投票して欲しい﹂と呼びかけている。
反格差、反キャピタリズム、反保守党、反サッチャリズム、反戦、反核。YES派が掲げている政治理念は基本的にすべて同紙のスタンスに合致するが、﹁愛国精神が鼻につく﹂という、それだけの理由で同紙はNO派に回った。というか、レフティスト新聞の彼らも労働党と同じで、スコットランドが独立したら大きな支持基盤(読者)を失うという事情もあるかもしれない。
保守党、自由民主党、労働党の三大政党︵+勢力を伸ばしているUKIPの党首もスコットランド入りした︶はすべて独立反対派を支持しているが、彼らの呼びかけを聞いていると、﹁通貨、EU加入といった基本的な金融方針が不透明なのに独立すれば、経済が大混乱して、銀行だってスコットランドから引き揚げちゃいますよ﹂、﹁あなたたちが望んでいるような福祉国家を目指せば、大幅に税金が引き上げられますよ﹂、﹁住宅ローンを組むのが困難になりますよ﹂、﹁物価だって上がりますよ﹂みたいな経済的なことを言うばかりで、要するに﹁独立すれば経済的に損をしますよ﹂という脅し文句のオンパレードだ。﹁UKに留まって、一緒に金儲けを続けようじゃないですか﹂と言っているようにしか聞こえない。
が、スコットランドの人々が﹁それがもう嫌なんじゃ。金のことばっかり考える社会じゃなくて、オルタナティヴな社会を俺らは目指したいんじゃ﹂と言っているときに、この引き止め方は効かない。というか逆効果だ。
現在のUK側の政治家や政党に致命的に欠如しているのは、理念。である。スコットランドのYES派が経済的なリスクを冒してでも追求したいと主張するイデオロギーというか美意識というか、﹁国家とはこうあるほうがクールだろ﹂というスピリットに対して、UK側が提示できるのが﹁経済的影響﹂だけなのである。﹁UKに留まってください。一緒にこういうクールな国にしましょう﹂という対抗理念がUKの政党にはない。
今回のスコットランド独立投票が、マネーとスピリットの戦いと言われているのはそのせいだ。
﹁お金はとても大事。だけど、人はそれだけでは生きられないからね﹂と人はよく言う。が、それだけではないものを政治がずっとなおざりにしてきたために噴出したレフトな地域のパワーがスコットランド独立問題だとすれば、それは単なる民族主義の高まりではない。
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昨日、街のパブで人を待っていた。
隣のテーブルで4人組の青年たちが飲んでいた。
店内のTVスクリーンでSKYニュースが北アイルランドのイアン・ペイズリーの訃報を伝えていた。昔、教皇ヨハネ・パウロ2世に向かってペイズリーが﹁アンチ・クライスト﹂と叫んだ時の映像が流れると、青年たちがどっと笑った。
﹁すげー。ダイ・ハード﹂
﹁なんか今死んでいる年齢の人たちって、凄い信念を持ってたんだね﹂
﹁こんな政治家、今いないよな﹂
ニュース映像がスコットランド独立投票の話題に切り替わった。
黙ってスクリーンを睨みながらパイントを飲んでいた青年が言った。
﹁なんか、彼らが独立するのを見てみたい気もする。そうすれば、国境のこちら側でも政治が変わり始めるかもしれない﹂。