国内問題として首相の靖国参拝を考える
靖国神社に行ってきた。
![靖国神社]()
靖国神社
安倍首相の靖国参拝について改めて考えてみたい、と思ったからだ。
昨年末の参拝には、中国や韓国が激しく反発。米政府が﹁失望﹂を表明したほか、欧米のメディアも厳しく批判した。こうした海外の反応を受けて、国内でも外交や経済への影響を懸念する論評がある一方、逆に不当な干渉だと声高に反発する人たちもいる。
海外の視線に対して敏感であることは大切だろう。だが、靖国問題というと、外交的な側面ばかりが強調されすぎるような気がする。本当は、それ以上に、日本人自身が日本のこととして、この問題をもっと考える必要があるのではないか。そんな思いで靖国神社を訪ね、同神社の意義や価値観を示す遊就館の展示を見直した。
![靖国神社の遊就館]()
靖国神社の遊就館
遊就館には、同神社の歴史観に則って様々な資料が展示されている。それは、日本が対外的に行った戦いはすべて正当である、という全肯定の精神に貫かれ、日中戦争は﹁支那事変﹂、太平洋戦争は﹁大東亜戦争﹂と戦時中の名称で呼ばれる。
靖国神社の価値観は、この遊就館で上映されている映画を見ると分かりやすい。次のようなことが語られている。
祀られるのは天皇のために戦った軍人軍属
この神社の歴史は、幕末から明治維新にかけて功績のあった志士らを祀った東京招魂社に始まる。明治天皇の命で、1879︵明治12︶年に靖国神社と改名。以後、日中戦争・太平洋戦争に至る軍人・軍属らの戦没者の霊を祀っている。 祀られるのは、基本的に天皇のために戦って亡くなった人々。なので、幕末の志士である吉田松陰や坂本龍馬は祀られているが、維新に多大な功績があったものの西南の役の指導者となった西郷隆盛は祀られていない。それどころか、遊就館には西郷の似顔絵が描かれた指名手配書が展示されている。他方、西南の役での熊本城籠城の戦いは、高く評価されている。昭和10年代の価値観が今も
日本は満州に「五族協和の王道楽土」を築こうとし、軍事行動を慎んでいたのに、中国の「過激な排日運動」や「テロ」「不当な攻撃」のために、やむなく「支那事変」に至った。そして、「日本民族の息の根を止めようとするアメリカ」に対する「自存自衛の戦い」としての「大東亜戦争」があった。この日本の戦いは、白人たちの植民地支配を受けていた「アジアの国々に勇気と希望を与えた」…。
昭和の初めから戦時中にかけての政府・軍部の宣伝そのものだ。靖国神社では、先の大戦は今なお聖戦扱い。まるで時間が止まったように、戦前の価値観が支配している。
太平洋戦争においては、日本兵の多くが餓死・病死した。その数は死者の6割に上る、との指摘もある。だが、そうした武勇にそぐわない事実や戦争指導者の責任は、ここでは一切無視されている。﹁生きて虜囚の辱めを受けず﹂の戦陣訓のために、捕虜になって生還することができず、民間人まで﹁自決﹂せざるを得なかった理不尽さも記されない。戦争指導者に対して批判的な考えを記した学徒兵の手記なども、示されない。
映画では、﹁黒船以来の総決算の時が来た﹂との書き出しで始まる、高村光太郎の詩﹁鮮明な冬﹂が紹介されている。そこには日米開戦の時の高揚した気持ちと当時の一国民としての使命感が高らかにうたわれている。高村は、その後も勇ましい戦争賛美、戦意高揚の詩をいくつも書いた。しかし、遊就館の映画は、その後の高村については一切触れない。
![高村光太郎「暗愚小伝」より]()
高村光太郎﹁暗愚小伝﹂より
彼は終戦後、己の責任と真摯に向かい合いながら、岩手の山小屋で独居生活を送った。そして、戦前戦中の﹁おのれの暗愚﹂を見つめた﹁暗愚小伝﹂を書いた。それには全く目を向けずに、﹁暗愚﹂の時代の作品だけが高らかに取り上げられ、今なお戦争賛美に使われていることは、泉下の高村の本意ではあるまい。
![遊就館に入るとすぐに零戦の展示がある]()
遊就館に入るとすぐに零戦の展示がある
ただ、そのような思いを、戦争やそれを招いた国策、戦争指導者への肯定に導いていこうとするところに、この神社の危うさがある。
戦後日本の体制づくりの土台には、戦争への反省があった。そのうえに、日本の復興があり、その後の発展があった。この土台を、靖国神社の価値観はそっくり否定してみせる。
反省する必要はない。あの戦いは間違っていなかった。国のために命を投げ出すことこそ尊いのだーーこのような価値観を、感動や感銘と共に心に注ぎ込み、人々の教化に努める。こうした機能を今なお維持している靖国神社は、慰霊のためだけの施設とは言えないだろう。