「慰安婦」問題否認論者に欠けているのは「自由意志」についての常識的な洞察
今年の5月、﹁NEWSポストセブン﹂の﹁慰安婦﹂問題否認論記事について私は次のようにコメントしました。
おそらくこれを書いたライター、および何の疑問も持たずにこれを掲載した編集者、何の疑問ももたずに読んだ読者たちは、人身売買の被害者を買春することにたいして何の後ろめたさも持たないのでしょう。﹁人身売買? 売ったやつが悪いんだろ。えっ? お前も買ったじゃないかって? いや、オレはただフーゾクを“活用”しに来たらたまたまそういう女にあたっただけだって﹂といった具合に。だからこそ、国家が人身売買システムを﹁制度化﹂して公式に利用することのグロテスクさに気づかないわけです。
こういう具合に、歴史修正主義の背後にある発想を推理するエントリを書く度に、ご丁寧にもそれを裏付けてくれるネット右翼が現れるのが恒例のパターンになっていることは、当ブログの常連の読者の方ならよくご存知のことと思います。いまコメント欄に登場しているのも、そうした後ろ弾名人の一人です。
当ブログで﹁慰安婦﹂問題が議論される際には当然の前提として扱われていることを自信満々に振りかざしておりますが、結果として自分が1930年代の日本人にも劣る人権意識の持ち主であることを露呈しているわけです。
当時の日本でも、公娼制が形式的には人身売買による性奴隷制ではないことにするための建て前は整えられていたわけですが、実質的にはその建て前が機能しない、というのが現実でした。前借金を盾に売春を強要してはならない。なるほど。でも売春を形式的には拒否できたからとて、貧困層の女性には通常の手だてではとうてい返しきれない借金は残っているわけです。事実上、売春に応じるしか借金を返す手段はない。だからこそ戦前から内外の廃娼論者は公娼制を﹁事実上の奴隷制度﹂だと批判してきたのですし、敗戦後に全国レベルで公娼制が廃止されるのを待たずに都道府県レベルで公娼制を廃止したり、県会で廃娼決議を通した県が過半数を超え、内務省も1930年代半ばにはいったん﹁廃娼やむなし﹂と判断するに至っていたわけです。
さて、前借金を背負った女性が業者に連れられて﹁領事館で本人が署名捺印して慰安婦営業許可の申請﹂をするという段に至ったとしましょう。形式的には、そこで本人が署名捺印を拒めば売春をせずにすむ。そんなことは﹁慰安婦﹂問題に関心をもってある程度コミットしている人間なら誰でも知っています。裁判所に訴え出れば売春契約に関して︵だけ︶は無効の判決を得ることができる。そんなことも﹁慰安婦﹂問題に関心をもってある程度コミットしている人間なら誰でも知っています。しかし署名捺印を拒んだり、裁判所に訴えたとして、その後はどうなるのか? ﹁その後﹂を考えれば大多数の女性は泣き寝入りせざるを得なかったわけです。
現代の人身売買だって同じことです。海外から人身売買によって日本に送り込まれてきた女性︵とは限りませんが、便宜上こう言っておきます︶が日本に入国する際、﹁私は人身売買の被害者だ﹂と訴え出ればいかに日本の官憲でも彼女を保護せざるを得ないわけですが、そんな申告が誰にでもできるならこの世から国際的な人身売買なんて簡単に根絶できてしまいます。母国で負った借金や、場合によっては家族に加えられている︵あるいは加えられると予想できる︶脅迫のことを考えて保護申請を多くの女性がためらうからこそ、現代日本にも人身売買による強制売春の被害者が存在しているわけです。
こうした事情を背景とした﹁署名捺印﹂を﹁自由意志﹂によるものだとみなすかどうか、というのが日本軍﹁慰安所﹂制度をめぐる争いの重要な争点の1つであるわけです︵というのも、繰り返し指摘してきたことではあるのですが︶。わたしに言わせればこんなものを﹁自由意志﹂によるものだとする主張はたわごとだとしか思えませんが、ここで判断を左右しているのは人間の尊厳についての感覚ですから、﹁領事館で本人が署名捺印して慰安婦営業許可の申請をする人身売買なあ(笑) ﹂などと平気で言い放つ人間にはどんな史料を提示しようが無駄であるわけです。せいぜい、そんな主張が国際社会ではまったく通用しないことに一刻でも早く気づくことを祈るしかありません。
以上は日本軍﹁慰安所﹂制度の背景をなす当時の公娼制についての話であって、日本軍﹁慰安所﹂に限ればよりはっきりと強制性を示すことができる︵なにしろ、強制性を否認する当人がドヤ顔でまぎれもない﹁性奴隷﹂性の証拠を持ち出してきている︶のですが、それについては稿を改めることにします。