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﹃真夜中の遠い彼方﹄の﹁プロローグ﹂において、﹁一九七九年二月、インドシナ半島の北部でまた新たな戦争が始まっていた頃、タイ南部ナラティワットに近い海岸で、ひとりのベトナム人少女が保護された﹂というドキュメント的一文が置かれている。それに続いて、彼女がタイの海賊に襲われたボートピープルで、名前はメイリン、十五歳だと記されている。
それから四年後の一九八三年六月二十五日土曜日、舞台は新宿の歌舞伎町へと移る。郷田克彦にとって、今夜は八年営んできた酒場を閉める日だった。彼は十数年間にわたって、この街に生きてきたのであり、﹁この街、歌舞伎町と、それをとりまく新宿のごく狭い一帯だけが、克彦の世界のすべてだった。きょうまでは﹂と説明される。そのきっかけは彼が頭を割られ、額に血をたらし、歌舞伎町の奥のジャズの店でかくまわれ、介抱されたことだった。﹁その日付を克彦は忘れたことがない。十九歳の年の、十月の二十一日だった﹂。つまりそれは一九六八年の騒乱罪が適用された10・21をさしている。ここに提出されているのは克彦にとって、新宿と歌舞伎町というトポスがアジールであり続けていたが、今日でそれも終わる、いうなれば、アジールとの別れの日だという前提である。
その象徴として、克彦の営む古ぼけた酒場のポートレイトが描かれる。再開発を迫られているような小路に位置し、道の左右には木造二階家の小さな飲み屋や大衆食堂が並び、その突き当りにあった。すでに取り壊しの決まった建物の二階の小さな店で、L字型カウンターに七、八人、奥のボックス席に四人から六人で満杯となる、﹁全体にどこか地下室めいた雰囲気のある、暗い酒場だった﹂。前述の映画にあってはこの二階ではない酒場が主たる舞台となり、そのような雰囲気のセットが﹁遠い時代の残り香﹂を漂わせるように組まれていたことを思い出す。
そこに白いTシャツを着て、腕に傷を負った女が飛びこんできた。彼女は一八、九に見え、歌舞伎町の性産業に従事している女のようではなく、﹁地方都市の女子工員といった風情﹂だった。そうして﹃真夜中の遠い彼方﹄の物語が始まっていく。
彼女が何であるにせよ、と克彦は思った。誰かに追われ、怪我をしているなら、出ていけとは言えまい。追っているのが誰であれ、怪我をした理由がなんであれだ。
克彦自身が十数年前にこの街に逃げこんできたときも、かくまってくれた男はその理由を問いただしたりはしなかった。黙って額の傷を手当てし、熱いコーヒーとピラフを出してくれたのだ。
それを反復するように、克彦は彼女に怪我を手当てし、サンドイッチを作り、コーヒーを入れ、彼女に食べるように勧める。彼女は怯えているにしても、家出少女のようではなかったし、日本語のイントネーションと容姿から沖縄出身のように見えたが、十九歳になるタイ国籍のメイリンで、日本にきて二年余になり、新宿日本語学校に通い、日本語を覚えたという。
彼女の微笑は懐かしさをそそるもので、それは克彦にとって、自分がまだいくつもの夢をもてあましていた昔を想起させた。そうした思いは追われてジャズの店に逃げこんだ、かつての地方出身の、同じく十九歳だった克彦と重なってしまう存在として、位置づけられたことを意味していよう。
リンは食事のお礼に手伝いを申し出る。彼女を外に出すことができない克彦もそれを受け入れ、店を閉じる最後の夜の料理を作ることにする。﹁最後の夜くらいは相棒つきで商売をやってみるのもいいかもしれない﹂と思ったからだ。その最後の夜にふさわしい曲をと考え、克彦は﹁あの時代の曲﹂であるボブ・ディランの﹁ブロウイン・イン・ザ・ウインド﹂を流す。
それを聞いて、リンはいう。わたしはこの歌をタイの難民キャンプで覚えた。教えてくれたのはスウェーデンのボランティアの女の人で、若い頃はパリにいて、この歌は﹁わたしたちの世代の讃美歌﹂だといってました。ここでこのアンナという女性が、パリの五月革命の世代であることが暗示されている。そしてリンは自分がタイ人ではなく、ベトナムのボートピープルで、難民キャンプを脱走し、バンコクで偽造パスポートを入手し、日本へきたと告白する。
だが日本政府にしてみれば、彼女は﹁難民﹂ではなく、自分で脱出し、第三国の旅券を入手し、日本で新生活を始めてしまった者は﹁流民﹂なのだ。それに対して、克彦もいう。﹁別に驚かないさ。歌舞伎町にはタイ人もフィリピン人も韓国人もいる。無国籍者もいるし、きっと殺人犯も、亡命者もいるよ﹂と。リンと克彦はもう一度かけた﹁風に吹かれて﹂を思わず唱和してしまう。ここで邦訳タイトルになっているのは、日本の﹁あの時代の曲﹂をリンと唱和する象徴的意味づけとも考えられる。
リンの語る七九年のベトナムによるカンボジア侵攻と、それに伴う中国のベトナム侵攻、その後に続くベトナム脱出から日本への入国は、﹁難民﹂から﹁流民﹂へと至るプロセスだった。アジールから追われようとしている克彦もまた、﹁難民﹂から﹁流民﹂への過渡期を迎え、リンの話す背後からは六〇年代末の記憶が立ち上がってきて、オーバーラップする。
このような過剰なまでの六〇年代や新宿に対する思い入れ、リンの造型を通じて形成される様々な神話化の問題について、ここでは言及しない。それは佐々木も自覚しているはずだし、それはリンを逃す重要な役割を担う史郎の言葉にも表れているからだ。
史郎はいう。﹁むずかしいことを言うのはやめましょうよ。ヤクザと警察の両方を相手にしてる女の子がいるんだもの、助けてやるのは当たりまえのことじゃないですか﹂。それに加え、克彦にとってリンを助けることは、十数年前の10・21の再現となるのだ。リンと克彦の行方はどうなるのか、タイトルに示された﹁真夜中の遠い彼方﹂とはどこを意味しているのか、これ以上のことは読者となって確認されたい。
この﹃真夜中の遠い彼方﹄を嚆矢として、ミステリ、ノワール、ハードボイルドのかたちをとり、混住小説が書かれていくことになる。それを次回からしばらくたどっていこう。
なお﹃真夜中の遠い彼方﹄は﹃新宿のありふれた夜﹄と改題され、九七年に角川文庫にも収録されている。
![新宿のありふれた夜](http://images-jp.amazon.com/images/P/ASIN/4041998026.09.TZZZZZZZ.jpg)
◆過去の「混住社会論」の記事 |
「混住社会論」22 浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年) |
「混住社会論」21 深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年) |
「混住社会論」20 後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年) |
「混住社会論」19 黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年) |
「混住社会論」18 スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年) |
「混住社会論」17 岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年) |
「混住社会論」16 菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年) |
「混住社会論」15 大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年)) |
「混住社会論」14 宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年) |
「混住社会論」13 城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年) |
「混住社会論」12 村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年) |
「混住社会論」11 小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年) |
「混住社会論」10 ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年) |
「混住社会論」9 レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年) |
「混住社会論」8 デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年) |
「混住社会論」7 北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年) |
「混住社会論」6 大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年) |
「混住社会論」5 大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年) |
「混住社会論」4 山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年) |
「混住社会論」3 桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年) |
「混住社会論」2 桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年) |
「混住社会論」1 序 |