惚れたが悪い
今回ははてな匿名ダイアリーのこちらの記事から。
俺と話す時はすごいうれしそうな顔してて
しばらく会わなかったらメールで﹁ねえ、私のこと覚えてる?忘れてないの?﹂
とか送ってきやがって
﹁彼氏にしたい人は家族みたいにいっしょにいて落ち着ける人﹂とか言いやがって
それでこれは99%大丈夫として告白したら
﹁他に好きな人がいるの﹂だと。﹁君の事は大事な友達のつもりだった﹂だと。
この記事には100件を超えるはてなブックマークが付けられ、それらの大部分がこの相手の女性を非難する論調のものでした。もしこれが﹁非モテ﹂の総意なのだとすれば、個人的には何とも暗鬱な気分にさせられます。 ︵※ この部分について追記しました。︶
この記事に関連する発言の中で、唯一完全に同意できたのがjituzon氏の記事でした。
勝手に99%いけると思い込んで告白してんじゃねーよ。いや、まあ告白するのはいいとして失恋は失恋として受けとめろよ。恋愛感情は﹁自己責任﹂だろ。自分の感情には自分で責任取れ!
なぜこの﹁当たり前﹂が当たり前として通らないのか、理解に苦しみます。
この女性への批判として、﹁その気にさせた責任はないのか﹂などといった論調もいくつかありましたが、そんな﹁責任﹂などどこにもありません。このように考える人達は、﹁恋愛﹂という関係性がそもそも人間関係におけるイレギュラーであることを忘れています。
﹁それは違う、恋愛は多くの人が﹃するのが当たり前﹄だと考えているものだ﹂といった反論があるかもしれません。しかし、一般的な﹁恋愛﹂という観念の中には既にモノガミズムが内包されています。﹁恋愛﹂は一般的には、﹁誰かと恋愛している時は他の誰かとは恋愛できない﹂んです。従って、﹁恋愛﹂はその性質上﹁誰とでも出来るものではない﹂と言えます。﹁恋愛﹂は︵モノガミーを前提する限り︶﹁閉じている﹂と言ってもいいかもしれません。
﹁恋愛﹂は通常の人間関係における拡張パッチのようなものです。要は、通常の人間関係の中で﹁恋愛したい人﹂達だけが特別に﹁恋愛関係のステージ﹂に上がればよい、ということです。これが先ほど述べた﹁イレギュラー﹂の意味です。﹁恋愛したくない人は恋愛しなくていいよ﹂ということでもあります。
﹁恋愛﹂が人間関係におけるイレギュラーである以上、一方的に﹁恋する﹂ことは﹁恋した側の問題﹂であり、﹁恋心を抱かせた側﹂には関係のない話です。故に、どれだけ恋で苦しもうと、どれだけ相手が魅力的であろうと、﹁恋愛感情﹂の責任はすべて恋愛感情を抱いた側にあるんです。相手の行動が思わせぶりに見えたとか、そんな話は何のエクスキューズにもなりません。
この話は、﹁恋愛﹂を﹁セックス﹂に変えても一緒です。例えばpal氏のこちらの記事では、次のように述べて件の女性の行動を批判しています。
いい加減わかってください。
男の親友の素っ裸見ても、男は勃ちませんが、
女の親友の素っ裸見たら、海綿体から出撃要請が出ます。
これはどうしようもない男女の非対称性であり、ご理解下さい。
(中略)
ですから、男女の友情は基本的に成立しえないというのです。危険なんですよ。性欲の対象として見られてしまうんだから。
﹁性的に欲情すること﹂と﹁性的な行動を起こすこと﹂の間には大きな開きがあります。pal氏のように両者を混同するなら、例えば小児性愛者は︵何ら小児に関わらなくとも︶存在しているだけで犯罪者になってしまいます。﹁恋していること﹂が﹁恋愛感情を表明すること﹂のエクスキューズにならないのと同様、﹁性的に欲情すること﹂も﹁性的行動﹂のエクスキューズにはなり得ないんです。
太宰治の小説に﹁お伽草子﹂という、日本のおとぎ話をパロディ化した作品があります。太宰はその中の掌編﹁カチカチ山﹂の最後に、兎に恋慕した挙句、諮られて溺死する狸にこんな台詞を言わせています。
ぽかん、ぽかん、と無慈悲の櫂が頭上に降る。狸は夕陽にきらきら輝く湖面に浮きつ沈みつ、
﹁あいたたた、あいたたた、ひどいぢやないか。おれは、お前にどんな悪い事をしたのだ。惚れたが悪いか。﹂と言つて、ぐつと沈んでそれつきり。
件の記事への反応を見て、この﹁惚れたが悪いか﹂という台詞を思い出しました。もちろん狸に対する答えは﹁ああそうだ、惚れたが悪い﹂で充分でしょう。恋愛感情はどこまでも自己責任であるという意味において、常に﹁惚れたが悪い﹂んです。
︵1/17追記︶
この文章を﹁非モテ批判﹂と読んでいる方も少なくないようなので、ちょっと補足。
私自身﹁非モテ﹂の一人でもありますし、﹁非モテ﹂の人達が皆﹁恋愛感情は自己責任﹂と考えていない、とは私は最初から思っていません。しかし、﹁総意﹂という表現のために、非モテ全体を批判しているように受け取った方も居られるようです。
引用元記事の件の女性を批判している人は﹁非モテ﹂に限らないので、﹁非モテ﹂を主に攻撃するような書き方は不適切でした。批判者にたまたま﹁非モテ﹂の人達が目立ったというだけであり、本文の趣旨は﹁非モテ﹂には直接関係がないことをお断りしておきます。