web上で、「美人」というトピックが話題になっている。
雨宮まみ「美人という職業」(http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20080328)
北原みのり「よしもとばなな」(http://www.lovepiececlub.com/kitahara/2009/12/post-188.html)
ohnosakiko「『ブスなのに何故』問題」(http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20091223/1261494706)
関係のない記事を二本書いた。
1 誰を美人だと名指せばいいのか?
私は大学生の時に、美学の授業を受けていた。美学とは、﹁美とは何か﹂を問う学問である。授業で男性教師は、
﹁君たち、︵有名人で︶誰が美人だと思う?﹂
と学生に向かって質問を投げかけた。おそらく教師は、学生の心をつかみ、学問に興味を持たせるために、聞いたのだろう。そして、﹁美人の定義は時代により変わっていく。美が何であるかは、社会状況に依拠して構築される﹂という話をしたかったのだと思う。他愛もない質問だった。だが、私はいまでもその情景をはっきりと思い出すことができる。
私はそのとき、胸のつまるような思いをしていた。必死で﹁もし指名されたら、誰の名前を挙げればいいのだろうか﹂と考えていた。教師は、私ではなく、別のある女子学生を指名した。私は彼女が当てられてほっとした。なぜなら、モデル事務所でアルバイトしている、﹁美人﹂だったからだ。彼女は、モデルのジゼル*1の名前を挙げた。教師は﹁そんなん知らんわ、顔もわからん﹂と言い、授業を続けた。
教師は男性であり、指名された学生は女性だった。そしてこれは﹁教師―学生﹂間の問答であり、授業という場で行われている。私は、それ以降、この授業には出なかった。*2当時は、ただただ胸がつまるばかりで、自分が﹁嫌な思いをしている﹂ことすらわからなかった。授業には﹁行きたくないから、行かなかった﹂のである。他の学生に、授業に出ない理由を聞かれても﹁なんとなく﹂としか答えられなかった。
私は、なぜ、﹁誰が美人だと思う?﹂という問いに、胸をつまらせたのだろうか。﹁美人﹂という言葉は女性に向けてつかわれることが多い。私はそのとき、慣用に従って、女性の名前を挙げなければならないと考えた。しかし、私自身も女性というカテゴリーに入る。私にとっては、ただの対象として女性を見ることが難しい。なぜならば、女性を対象として見ようとした瞬間に、自意識はブーメランのようにベクトルを変え、女性として﹁見られる<私>﹂へと私を志向させるからだ。そして、﹁見る<私>﹂の視線の先にある女性と、﹁見られる<私>﹂とが、比較の俎上にあがってしまう。あるときには、私は対象の女性と自分の容姿とを比べ、優劣の判断をつけるだろう。またあるときには、対象の女性にあこがれ、自らを彼女の容姿に近づけようと努力するだろう。﹁ただ見る﹂のではなく、対象の女性と自分を、﹁女性であること﹂により通約し、関係づけてしまう。私が女性を見るとき、その隣に自分の幻影を並べてしまうのだ。私は、自己像を意識することなしに、女性を見ることができない。*3
この関係づけの中で、私は自分の容姿を採点している。ナルシシズムに酔うときには、﹁美人寄り﹂に評価する。自己嫌悪に陥るときには﹁ブス寄り﹂に評価する。美人とブスの評価軸の間を、上げたり下げたりしながら、他人と自分の容姿を比較しているのだ。もはや、このとき多くの女性は男性の視線を忘却している。﹁あの女性﹂と﹁この女性﹂と私と……女性像の中で、自分の女性美のヒエラルキーを構築していく。かならずしも﹁美人﹂の極は、一極ではない。多極化され、一言では﹁○○さんが美人﹂とは述べられないような、複雑な美人観が作られていく。誰を美人だと名指そうとしても、その美は、自分と彼女との比較が基準点になっている。﹁誰が美人であり、誰がブスなのか﹂という評価は、﹁私は美人なのかブスなのか﹂という自己評価と、表裏一体になっている。
私は自分が﹁美人﹂だと思う学生が当てられてほっとした。そのときの私は、﹁彼女ならば、誰を名指しても、美人であることには変わりがない﹂と思ったからだ。また、彼女が挙げたのが世界的に活躍するコレクションモデルであったことで、さらに﹁やはり美人は、美を求める高度が違う﹂と感心した。*4ほとんどの有名な女性が、自分より美人に見えていた私にとっては、誰もが﹁美人﹂であった。そして、その﹁自己評価が低い﹂こと自体がコンプレックスであり、﹁普通の人﹂に合わせようと必死だった自分こそを隠したかった。言葉だけを見れば﹁誰が美人だと思う?﹂という問いの答えは、私のコンプレックスとは関係がない。しかし、︵少なくとも当時の私にとっては︶動揺するような問いであった。
また、こうした、女性の自己撞着的な﹁見る行為﹂の仕方は、ともすれば揶揄的に扱われる。私は胸をつまらせたとき、﹁誰が美人だと思う?﹂という問いに答えると、上のような自分の﹁見る行為﹂の仕方が暴かれるのではないか、と恐れていた。さらに、この問答は授業中に行われている。私が、客観的に対象を見ることができず、その原因が﹁女性であること﹂であったならば、﹁私は学問に向かない﹂ひいては﹁女は学問に向かない﹂と言われるのではないかと思った。今なら、そのときの教師はそれほど馬鹿ではなかったかもしれず、こうした私の胸中の不安と混乱は、被害妄想だったかもしれない、とも思う。なぜならば、その授業は﹁客観的に見る﹂という言説の欺瞞を暴くことを、一つの課題にしていたのだから。私が、社会的に﹁見られる対象﹂として構築された女性像を内面化し、そうした﹁見る行為﹂の仕方に縛られていたのとしても、揶揄されることではない。むしろ、その内面化を強いる規範を批判すべきである。この問題を、学生も教師も共有する授業であるべきだった。だが、私は異議申し立てもせず、この教師を恐れ、黙って授業に行かなくなった。なぜなら、教師がどのような学説を支持していても、女子学生に対する蔑視がないという証明にはならないと知っていたからだ。不信があったのだ。*5
いま振り返ると、そういうふうに思う。
2 彼女が美人だったということ
中島みゆきの「Tell Me, Sister」という歌がある。
「短編集」という2000年に発売されたアルバムに収録されているが、作曲されたのはずいぶん昔らしい。
私はこの曲を聞くと、いつも泣いてしまう。似たようなことがあったからだ。
4年前に、﹁彼女﹂に出会った。彼女は賢くて、行動力があって、他人から信頼を得、自分を犠牲にして弱い者を救える人だった。そして、美人だった。4つ上で、私にたくさんのことを教えてくれた先輩であり。友人でもある。﹁こんな人がいるなんて﹂と心底びっくりした。嫉妬もできず、﹁この人の友人であること﹂が誇らしかった。
彼女は、児童ポルノの問題に取り組んでいた。海外にも研修に行き、被害者の支援にも携わっていた。そして、加害経験のある人や、﹁加害をしてしまうのではないか﹂と悩んでいる人とも連絡を取っていた。私のいまの児童ポルノに対する考え方も、彼女との議論が下地になっている部分がある。
出会ってから2年後、彼女は、事情があって活動をやめ、連絡がとれなくなった。外国でパートナーと暮らしているという話も聞いた。私は彼女が生きて、元気でいると信じている。そして、活動に戻ることがなくても、その場所で幸せになって欲しいと思う。
それでも、﹁いま、ここに、彼女がいてくれれば﹂と思うことがある。誰も彼女にはなれない。私も彼女の意志を継ぐつもりはない。だから、彼女のやりたかったこと、できなかったことは、ただ私の思い出として残しておくべきだ。でも、私は彼女のようになりたかった。彼女はとても美人だった。