被災状況の深刻さ、原発の厳しい状況が報道される中で、東日本︵福島はもちろん、被災した東北地方、北関東、東京中心部など︶から、西日本へ避難している人たちが増えてきました。
まず、私たちすべての人に、いつでもどこへでも、避難する自由があります。東日本から西日本へだけではなく、国外に脱出する自由もあります。私の友人の留学生も帰国しました。そうした姿勢に対し、﹁裏切り﹂や﹁軟弱﹂といった批判をする人たちもいます。しかし、情勢をみて、自分に不利益があると思う場所から、より利益のあると思う場所に行くのは当たり前のことです。
原発の問題に関して、行政や東電の発表を信じて、従うべきだという人もいます。しかし原発がどうなっていくのかは、おそらく誰にもわかりません。悲観的な見方*1もあれば、楽観的な見方*2もあります。しかし、これらは推測であって、どれを信じるかは私たちが選ぶしかありません。どれが、疑似科学で誤りだ、ということも現段階ではいえず、どれも科学的に見えるし、どれも怪しいのです。もともと反原発の人は、悲観的な見方を信じるほうに傾くでしょうし、親原発の人は、楽観的な見方を信じるほうに傾くでしょう。どちらでもない人は、どちらにも傾き、ぐらぐら揺れるでしょう。でも、今回は両者の見方のいいとこどりをして、バランスのとれる位置を選ぶことはできません。﹁逃げる﹂か﹁逃げない﹂かの選択肢しかないのです。
今、逃げることは、あとから見れば、滑稽かもしれないが、万に一つの逃げ道かもしれないのです。﹁大丈夫だ﹂と信じるか、﹁危険だ﹂と信じるか。特に子どもを持つ保護者には、この問いは大きくのしかかります。放射性物質に接した場合、子どものほうが大きな影響を受けやすいことはわかっています。そして、子どもを移動させることができる立場にある人は、自分の決断が子どもの運命を変えるかもしれないと考えます。﹁私の危険﹂なら耐えられても、﹁あなたの危険﹂には耐えられないという気持ちは、こうした決断で﹁安全策﹂をとらせやすいですし、子を保護する人にはより強く起こります。
まず、﹁逃げる﹂選択は、非難されるようなものではないことを確認しておきます。
そして、私は、逃げたい人のために、受け入れ先を行政が確保することには賛同します。今日の会見で、枝野官房長官も、妊婦や高齢者など災害弱者への対応として避難があることをあげていますし、各自治体と連携をとる可能性を示唆しています。また、地方自治体レベルでは、受け入れの表明が次々となされています。以下の掲示板で随時確認することができます。
﹁県外の被災者受け入れ状況﹂
http://ameblo.jp/ikubonbon/theme-10034399280.html
︵﹁緊急掲示板・地震。高速、一般道などの移動情報。南相馬市、いわき市錦、勿来、植田,小名浜、豊間、薄磯、久ノ浜、白河市等﹂http://ameblo.jp/ikubonbon/︶
一方で、こうした状況で被災者に行政主導での﹁疎開﹂を求める声があがっています。
政府や自治体の方からいずれ公式にアナウンスがあると思うけれども、東北関東の大震災の被災地への救援活動を効率的に実施するためにも、被災地や支援拠点となる東北関東の都市部から、移動できる人は可能な限り西日本へ移動することを勧めたいと思う。
いま被災地と、その周辺には限られた資源しかない。特に燃料の不足が顕著である。東日本一円では自動車による移動がしだいにむずかしくなりつつある。東海地方にまで地震が広がって、新幹線をふくむ交通インフラの運転も安定していない。
できれば、移動手段に十分な余力があるうちに、移動できる人は西に移動することが望ましいと思う。
内田樹﹁﹃疎開﹄のすすめ﹂
http://blog.tatsuru.com/2011/03/16_1119.php
今回のような甚大な被害を被っている被災地で被災者全員をサポートすることは無理。周囲の街、ひいては東北全体が機能不全を起こす。50万人とも100万人とも言われる被災者を、出来る限り関西、西日本に疎開させ、東北から被災者サポートの負担を軽減してあげなければならない。
︵橋下徹大阪府知事︶
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/48162820558303232
私はこうした声に対しては、一転、違和感を持ちます。情報判断により、﹁逃げたい﹂と考える人に受け入れ先を確保することは必要です。そのことと、行政主導で<支援の合理化のために>﹁疎開﹂の号令をかけることは別です。支援物資や人材が限られているから、被災者を移動させることは、私が上で述べてきたような避難とはまったく別です。
もし、いま、軍事政権化にあり、国民総動員体制で、国家のために個人が犠牲を払うことが求められる社会であれば、﹁疎開﹂は奨励されるでしょう。実際に、日本は子どもたちを﹁疎開﹂させました。その結果、子どもたちがどのような体験をしたか?遠くない過去です。私たちは彼らの手記を読むことができますし、もしかすると身近な人に経験をした人がいるかもしれません。﹁疎開﹂を楽しんだ子どもたちもいます。親と離れてつらい思いをした子どもたちもいます。そしてすべての子どもたちが共同生活に向いているとは限りません。疎開には疎開のリスクがあります。
こうしたリスクを、﹁分配するためのリソースがないのだから、多少の犠牲は仕方がない﹂という文言の下、被災者に﹁疎開﹂を押し付けることには私は賛同しません。しかし、現地の人々が﹁集団疎開を希望する﹂というのならば、話は別です。希望する人たちや、子どもたちのために、行政が場所や交通手段を用意することは必要です。私が言っているのは単純なことです。﹁当事者の声を聞け﹂と言っているのです。
1995年の阪神淡路大震災で、精神科医として救援活動を行った中井久夫は、今回の地震が起きてから、﹁関西の人間が、調子の良いことは何も言えない﹂という語り出しで、次のように述べています。
日本で一時にこれだけの災害はなかった。空襲も、これだけ広範囲ではなかった。今までの資料に書かれていないことも起きていると思う。阪神大震災の時は、神戸の中から色んな提案がでてきた。僕らは教訓より、現地の中の声に耳を傾けるべきだと思う。
だから分かったようなことは、何も言えない。被災した人たちが切り開こうとする道を尊重していくしかない。
周囲の人は、いま出来ることをやるより他にないと思う。﹁気の毒、かわいそう﹂という言葉は逆に反発を買うこともある。﹁わかってたまるか﹂という気持ちもある。被災者の事は被災者でないと分からない、とも言うから。
失ったものへの思いは人それぞれだし、共感するのが簡単でないくらい、災害は一人ひとり違う。地域によっても集落が全滅した所とそうでない所では、対応も違ってくる。心の傷は回復する力を持っている。だからこそ被災者に敬意を持って、自尊心を尊重するのが大切だと思う。
︵2011年3月15日 朝日新聞 13面︶
中井さんが述べているように、当事者は多様です。一人ひとりにとって、震災は違うものです。避難についても考え方は違う。そうした人たちを尊重する、ということは、何もしない、ということではないのです。私たちにできることは、当事者に選択肢を増やすことです。逃げたい人が逃げられるように、交通手段や受け入れ先を用意すること。それはぜひやるべきことでしょう。だけど、同時に、それを選ばない当事者の意思を尊重することも、大事なのです。
いま、逃げない人は、逃げたくない人ではないのです。受け入れ先や交通手段がないだけでもありません。いま、100パーセント、安全だと考えている人はほとんどいないと思います。たとえば、﹁仕事があるから*3/逃げると仕事を失うから﹂﹁いまあるコミュニティから離れたくないから﹂﹁障害・病気があるから﹂﹁近くに介護が必要な人がおり、おいていけないから﹂……無数の理由があるでしょう。そうした理由と、災害による危険を天秤にかけて、﹁逃げない﹂という選択をしている人が多いのです。﹁逃げる﹂ことで、失うものが多かったり、﹁逃げる﹂ことで得られるものが少なかったりする人は、﹁逃げない﹂のです。そして、逃げにくい場所により強く追い詰められるのはマイノリティです。
先日、ブラジル出身で、日本で暮らしているリリアン・ハタノ・テルミさんからメッセージが発信されました。以下のブログで読むことができます。
﹁リリアン・ハタノ・テルミさんからのメッセージ これからの催し︻開催・中止・延期情報︼︵3月16日配信︶﹂
http://www.freeml.com/kdml/4992/latest?w=true
私が把握している範囲では、ブラジル学校の建物自体は今のところは大丈夫です。ただ、地震以降、あるブラジル学校の校長と話したら、企業、派遣会社、保護者はかなりのプレッシャーを感じているそうです。それがどのようなプレッシャーかお分かりでしょうか。是非想像していただければとおもいます。
燃料が不足している地域で、家と学校の距離が遠く、学校への送迎が原則のブラジル学校の子どもたちを一日も早く、子どもを預かってほしいというのです。保護者はこのような状況の中でも仕事をしなければならないから。会社の方は、労働者がいなければどうしようもないと言います。学校を一日も早くやるようにという電話がくるそうです。燃料が制限されているのに、どうすればいいのか、そういう状況で、子どもをあずかって、責任は大きすぎるというのです。もっともなことでしょう。
ブラジル学校がある周辺では、飲食店、コンビニなどに商品を提供する会社で休めないというのです。会社も生産をつづけなければならなく、あらゆる影響がでます。あらゆるところで外国人がこの社会を支えていることが案外見えていないようです。
では、企業が悪いのでしょうか? そうとは言えません。保護者が出稼ぎだから、お金のことしか考えていないからでしょうか? 本当にそうでしょうか。誰でも生活をしなければならないのです。
学校側は、あらゆる不安を抱えていながら、預からなければ経営が成り立たない、難しい判断をしなければならない。このような非常事態にいわゆる﹁学校﹂ではないから、どう対応していけばいいのか、確かな情報、彼らに多言語化した情報が届かない状況があります。地域差はあるでしょうが、﹁リリアン、原子力発電所は本当に大丈夫なの? どうすればいい?﹂ときくのです。とにかく、私もとにかく落ち着いて、周りの関係者としっかり話し合うようにというしかありません。ここは、責任者をさがしているのではなく、ぜひ、そういう不安な状況で、さらに不安を抱えている子どもたちの存在を忘れないでほしい。 一日も早く日本を出て行きたいと思っている保護者も多くいます。何も準備しないで、このような状況で帰国したとしてもと思ってしまうところもありますが、これは、個々の判断でしょう。
個人的には出て行きたいと思っているブラジル学校経営者でも、先生たちが相次いで辞めていけば、﹁教育の質﹂も保てなくなり、学校を維持できなくなります。
今、例えばブラジル学校が全部閉鎖されたら、日本の学校が本当に暖かく迎え、保護者も安心して預かってくれる場所で、先生方、学校関係者は喜んで受入れてくれるのでしょうか。受けられるのでしょうか。外国人学校が果たしてきた社会的な役割は極めて大きいはずだと理解できると思います。
﹁疎開﹂を呼びかけるとき、こうした人たちは想像されていたでしょうか。家族で結束して生きてきたマイノリティや、日本人社会に対して言葉や文化の違いでなじみにくい子どもたちに対する配慮はどうするのでしょうか。日本では、外国人に就学義務はなく、調査すら行われません。今回でも、逃げた先の心配を、日本人以上に心配しなければならない面があります。だけれど、こうした子どもたちを抱える親たちの労働によって、いま、私たちの食生活は支えられています。﹁逃げろ﹂と言いながら、逃げられない構造は、災害時も平時と代わらず機能しています。
私が、この﹁疎開﹂を勧める文章を見て、想起したのは、DV支援です。かつて、DV被害者は逃げることを支援者から強いられてきました。加害者のそばに居続けることは、確かに危険です。だから﹁あなたのために﹂というかたちで﹁逃げなさい﹂と支援者は言っていたのです。ですが、そうした支援者の支援こそが、被害者の自尊心を傷つけ、回復を妨げることは、今ではよく知られています。
今でも、DV被害者に対し、無理やりでも加害者から引き剥がし、シェルターに入れ、安全な場所でカウンセリングを受けさせることが、最上の支援だと思う人はたくさんいると思います。ですが、実際の支援現場は、変わりつつあります*4。まず、﹁逃げたい﹂という気持ちが、﹁逃げない﹂理由を圧倒するほど強くなるように支援をします。たとえば、﹁逃げた後の生活のためのお金をどうするのか﹂﹁周囲との関係が寸断されることをどうするのか﹂についての解決策を一緒に探すことが一つでしょう。そして、絶え間なく﹁あなたは逃げていいんだ﹂﹁ここで逃げることは悪いことじゃない﹂というメッセージを発し続けることです。
﹁逃げて欲しいと思っているのは、当事者ではなく支援者﹂ということはよくあります。暴力を受け続ける当事者が、死んでしまったら?という切実な心配から、今すぐ当事者を危険な場から引き剥がしたくなる。それは当然の感情だし、生命に危険があるとみなされると﹁介入﹂というかたちで実施されることもあります。そのすべてを否定することはできません。
だけれど、﹁あなたのために﹂という気持ちの裏にある、自分の感情を隠してもならないでしょう。今回の件でもそうです。私は、親しい人たちに、いますぐ東北はもとより、北関東、東京中心部から逃げて欲しい。けれど、そうしない意思を尊重しなければならない。そして、できることは、より逃げやすい環境を作ることです。
きっと﹁そんなことをしていたら、間に合わない﹂﹁状況はもっと切迫している﹂という警告があるでしょう。だけど、自分の不安と、当事者のニーズとを混同していないかについては、繰り返し問うことが必要だと思うのです。﹁避難者の受け入れ先を探すこと﹂から﹁疎開﹂へと、一足飛びに結論を急がないこと。そう注意したいと思っています。
*1:videonews.comの東芝・原子炉格納容器設計者の後藤政志氏の解説(http://www.videonews.com/press-club/0804/001758.php)や、京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏電話インタビュー(http://www.videonews.com/interviews/001999/001761.php)があげられるでしょう)
*2:英国大使館の見解(http://clip.kwmr.info/post/3896045912)があげられますが、伝聞であるため信憑性に欠くとも言われています
*3:金銭的な理由はもちろん、医師、技術者など、さらに公務員など、社会を支える仕事に従事している人は逃げにくいでしょう。公務員というと、何かとバッシングされていますが、こうした災害時に一気に仕事がのしかかる職業でもあります。いま、神戸から市の職員が避難所運営の手伝いのために派遣されています。他地域の人は知りにくいと思いますが、阪神淡路大震災後に遺体の身元確認を市職員の一部は手伝いましたし、体育館が避難所になったので教員が働いていました
*4:と私は信じています