無関心というテロリストへのそこそこ正しい対抗手段
悲観が気分であり楽観は意志であるとすれば、無関心はクソコラである。
イスラム国﹁人質動画﹂コラ画像に海外反応 仏メディア﹁日本人もまたシャルリーだ﹂と評価 : J-CASTニュース お、おう……でも当人たちは多分そこまで思ってないはず。 複数の海外メディアが、この動きを追った。米3大ネットワークの1つ、NBCニュース電子版は2015年1月23日付の記事で、﹁日本のツイッターユーザーは、風刺イメージを使った全国的な画像加工バトルを仕掛けてISIS︵イスラム国︶をやゆし、人質問題に抗議している﹂と報じた。﹁グランプリ﹂がツイッターで話題に上った回数は、過去数日間で6万回に達したという。 フランスの公共ラジオ﹁フランス・インター﹂電子版は1月22日、﹁フォトショップがジハーディスト︵イスラム過激派︶に対抗﹂との見出しで記事を配信した。﹁フォトショップ﹂は画像加工ソフトの商品名だが、ここでは加工そのものを指しているようだ。人質解放に2億ドルと巨額の身代金を要求したイスラム国に対して、﹁日本のツイッターユーザーは、ユーモアで対抗する道を選択した﹂と紹介。さまざまなコラ画像の投稿には、﹁切迫した状況下では少々恥ずかしい﹂﹁いや、お笑いこそイスラム国の脅しに対するベストな回答だ﹂と賛否出ているという。記事の最後は、こう締めくくられている。 ﹁この点においては、日本人もまたシャルリーだ﹂ ﹁シャルリー﹂とは先日、イスラム過激派に銃撃テロを受けたフランスの週刊紙﹁シャルリー・エブド﹂だろう。編集長をはじめ多くの犠牲者が出た後も、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載しスタイルを曲げなかった。﹁表現の自由﹂に敏感なフランス人は、その姿勢に支持を寄せている。 ﹁日本人もフランス人同様、テロに屈することなく風刺で対抗している﹂。記事の筆者はこんな共感を寄せたのかもしれない。 イスラム国﹁人質動画﹂コラ画像に海外反応 仏メディア﹁日本人もまたシャルリーだ﹂と評価 : J-CASTニュース ただまぁこうした流行は、少なくともテロリズムに対抗する手段としてはそれなりに効果的だとも思うんですよね。ベストではあるとは決して言えないけれども、しかし最悪では決してないし、むしろ現実に望める選択肢においてはモアベターであるかもしれない。
もちろんこうした悲劇的な事件に対して不謹慎なのは言うまでもない。ただ、やっぱりテロリスト側の大目標の一つは﹁ただ金の為﹂ではなくて、相手側への精神的揺さぶりこそが重要な目的であるわけですよね。社会の動揺を誘うことこそ。本当に金目的であるならば、古今東西の誘拐犯が言ってきたように﹁警察には知らせるな﹂から入るものだし。 厳密に言えば日本のクソコラグランプリと、フランスの﹁私はシャルリー﹂は違う。しかしテロリストの思惑に乗らないようにしている、という意味では手段は違えど目的としては正しく適っているのではないかと思います。最初にも書いたように、あの画像で遊んでいる人たちはまず多数がそんなこと考えてもいないでしょうけども、しかしああして――ぶっちゃけ下衆な――笑いのネタにするということはそのまま彼らの存在や発言の﹃重み﹄を徹底的に軽視し侮蔑するという宣言になっている。それはまぁ人間社会で普遍的にある差別感情の表出の一種ですらあります。空気か何かのように相手の存在を徹底的に軽く見てやる。 そりゃISISの彼らも激怒しちゃいますよね。 それこそ﹃9・11﹄の直後のアメリカなんて米国大統領自らが﹁いつも通り仕事に行き買い物に行く、普通の生活を送ることがテロリストへの対抗である﹂なんて国民演説で言ってたりしたわけで。そこに至る要因の多くを占めるだろう﹃自己責任論﹄については是非があるでしょうけど、我らが素晴らしき日本はまさに何も言われずともそうした次元に到達している。イスラム国の脅威なんて遠い海の向こうの出来事であるという、達観というか、諦観というか、他人事感というか、無関心さ。故に人質事件でも、大多数が自分に出来ることなんてほとんどないと良くも悪くも確信している。 誠実な﹃文化論﹄というのはその社会のポジティブとネガティブ両方を説明できるものでなければならないとされていますけど、これって所謂﹃島国根性﹄の閉鎖性の良い面でもあるかなぁと。
無関心というのは、少なくともテロリストを相手に戦う武器としてはそこそこ強力なやり方ではないかと。まぁもちろんそれにだって悪い面=根本的問題解決の議論先送り等の悪い面はあるわけですけど。少なくとも何故かテロリスト側の責任を棚に上げて﹁日本︵政治︶が悪い!﹂とか言い出す人よりはずっとマシじゃないかと。 みなさんはいかがお考えでしょうか?
イスラム国﹁人質動画﹂コラ画像に海外反応 仏メディア﹁日本人もまたシャルリーだ﹂と評価 : J-CASTニュース お、おう……でも当人たちは多分そこまで思ってないはず。 複数の海外メディアが、この動きを追った。米3大ネットワークの1つ、NBCニュース電子版は2015年1月23日付の記事で、﹁日本のツイッターユーザーは、風刺イメージを使った全国的な画像加工バトルを仕掛けてISIS︵イスラム国︶をやゆし、人質問題に抗議している﹂と報じた。﹁グランプリ﹂がツイッターで話題に上った回数は、過去数日間で6万回に達したという。 フランスの公共ラジオ﹁フランス・インター﹂電子版は1月22日、﹁フォトショップがジハーディスト︵イスラム過激派︶に対抗﹂との見出しで記事を配信した。﹁フォトショップ﹂は画像加工ソフトの商品名だが、ここでは加工そのものを指しているようだ。人質解放に2億ドルと巨額の身代金を要求したイスラム国に対して、﹁日本のツイッターユーザーは、ユーモアで対抗する道を選択した﹂と紹介。さまざまなコラ画像の投稿には、﹁切迫した状況下では少々恥ずかしい﹂﹁いや、お笑いこそイスラム国の脅しに対するベストな回答だ﹂と賛否出ているという。記事の最後は、こう締めくくられている。 ﹁この点においては、日本人もまたシャルリーだ﹂ ﹁シャルリー﹂とは先日、イスラム過激派に銃撃テロを受けたフランスの週刊紙﹁シャルリー・エブド﹂だろう。編集長をはじめ多くの犠牲者が出た後も、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を掲載しスタイルを曲げなかった。﹁表現の自由﹂に敏感なフランス人は、その姿勢に支持を寄せている。 ﹁日本人もフランス人同様、テロに屈することなく風刺で対抗している﹂。記事の筆者はこんな共感を寄せたのかもしれない。 イスラム国﹁人質動画﹂コラ画像に海外反応 仏メディア﹁日本人もまたシャルリーだ﹂と評価 : J-CASTニュース ただまぁこうした流行は、少なくともテロリズムに対抗する手段としてはそれなりに効果的だとも思うんですよね。ベストではあるとは決して言えないけれども、しかし最悪では決してないし、むしろ現実に望める選択肢においてはモアベターであるかもしれない。
もちろんこうした悲劇的な事件に対して不謹慎なのは言うまでもない。ただ、やっぱりテロリスト側の大目標の一つは﹁ただ金の為﹂ではなくて、相手側への精神的揺さぶりこそが重要な目的であるわけですよね。社会の動揺を誘うことこそ。本当に金目的であるならば、古今東西の誘拐犯が言ってきたように﹁警察には知らせるな﹂から入るものだし。 厳密に言えば日本のクソコラグランプリと、フランスの﹁私はシャルリー﹂は違う。しかしテロリストの思惑に乗らないようにしている、という意味では手段は違えど目的としては正しく適っているのではないかと思います。最初にも書いたように、あの画像で遊んでいる人たちはまず多数がそんなこと考えてもいないでしょうけども、しかしああして――ぶっちゃけ下衆な――笑いのネタにするということはそのまま彼らの存在や発言の﹃重み﹄を徹底的に軽視し侮蔑するという宣言になっている。それはまぁ人間社会で普遍的にある差別感情の表出の一種ですらあります。空気か何かのように相手の存在を徹底的に軽く見てやる。 そりゃISISの彼らも激怒しちゃいますよね。 それこそ﹃9・11﹄の直後のアメリカなんて米国大統領自らが﹁いつも通り仕事に行き買い物に行く、普通の生活を送ることがテロリストへの対抗である﹂なんて国民演説で言ってたりしたわけで。そこに至る要因の多くを占めるだろう﹃自己責任論﹄については是非があるでしょうけど、我らが素晴らしき日本はまさに何も言われずともそうした次元に到達している。イスラム国の脅威なんて遠い海の向こうの出来事であるという、達観というか、諦観というか、他人事感というか、無関心さ。故に人質事件でも、大多数が自分に出来ることなんてほとんどないと良くも悪くも確信している。 誠実な﹃文化論﹄というのはその社会のポジティブとネガティブ両方を説明できるものでなければならないとされていますけど、これって所謂﹃島国根性﹄の閉鎖性の良い面でもあるかなぁと。
無関心というのは、少なくともテロリストを相手に戦う武器としてはそこそこ強力なやり方ではないかと。まぁもちろんそれにだって悪い面=根本的問題解決の議論先送り等の悪い面はあるわけですけど。少なくとも何故かテロリスト側の責任を棚に上げて﹁日本︵政治︶が悪い!﹂とか言い出す人よりはずっとマシじゃないかと。 みなさんはいかがお考えでしょうか?