「文章書けない」問題を抱える子供たち(ディスグラフィア)
こんな話を読み、人ごととは思えないので、少々言及しておきたい。
兄が死んだ | Tokyo O life ? ずばぴたテック
このお兄さんの人生が、幸せだったかどうかは余人にはわからない。しかし、お母さんの立場から見れば、数学では天才的な才能があるのに、文章が書けないというだけで、夢をかなえられなかった息子に対し、なんとも複雑な悲しい思いを抱いていたことだろう。
このブログで何度か書いているように、ウチの息子は二人とも、学習困難を抱えている。今や﹁学習障害﹂というほどの障害ではなくなったが、単なる﹁精神論﹂ではなく、﹁サイエンス﹂の角度から見て欲しいので、このタグで書いている。︵念のため・・我が家はアメリカ在住です︶上の息子は、小学校低学年の頃、この記事のお兄さんほど﹁天才的﹂ではないが、他はそこそこなのに読み書きだけが決定的にダメだった。ビジョン・セラピーで﹁読む﹂ほうはだいぶよくなったが、﹁書く﹂ほうは一気にはよくならなかった。まさにこのお兄さんが直面したように、中学以降になると論文を書く場面が多くなり、たとえ科学や数学を専門にしようとしても、文章が書けないと、学校の成績でも試験でも苦労して、やりたいことができない、と心配した。字も汚い。どんなに練習しても漢字は覚えられないので、ついにあきらめた。英語のスペルも全然ダメ。だから、件のお母さんの憔悴が、私には思いやられてしまうのだ。
﹁ディスレクシア﹂︵読字障害︶という言葉は日本でもだいぶ知られるようになったようだが、特に書くほうが困難な﹁ディスグラフィア﹂︵書字障害︶という症状があり、こちらのほうはあまり知られていないように思う。でも、そういう子供/人たちがいて、これは決して怠け者ではなく、一種の学習障害で、自分ではどうにもできない類のものなのだ、ということをまず知ってほしいと思う。
我が家の息子の場合は、﹁読み﹂の問題をほぼ克服した小学校4年の頃から、今度は﹁書く﹂ほうを学校の専門の先生が徹底的に訓練してくださった。このための学区のシステムについては、過去の﹁学習障害﹂カテゴリーのエントリーを参照してほしいのだが、年に3回ほど開催する﹁対策会議﹂で、校長先生・担任の先生・スピーチセラピスト・特別学級の先生・心理カウンセラーなどと親が話しあってプログラムを作成し、普通学級の通常の授業の一部をけずって、特別な指導を受けられるようになっている。
具体的には、﹁単語を入れて埋めればできるような例文を何度も繰り返し作る﹂﹁それを組み合わせてより長い文章を作る﹂﹁テーマと中味を考えたあと、決まったパターンでそれを副テーマに分けて展開して、小論文を書く﹂といった、いわば﹁マニュアルどおりのモジュール的な文章を書く練習﹂を、根気よく繰り返してパターンを頭に叩き込む。息子は、口は達者で言いたいことはいつもたくさんあり、面白いモノの見方や言い方をするので、こうして先生の指導に従って機械的にでも小論文を書くと、驚くほど面白い文章が出来上がった。先生は、本人に向かってそういって褒め、本人が文章を書くのが楽しくなるよう奨励した。
また、手書きの字を書くのもスペルを気にするのもストレスになるので、﹁文章を構成する﹂という本来優先順位の高い頭の使い方にエネルギーをさけるよう、家での宿題は極力パソコンで文章を書かせた。先生も﹁スペルなど、スペルチェッカーを使えばよい。それよりあなたのクリエイティビティのほうが大切です。﹂と言ってくださった。それで、キーボードを両手できちんと打てるように練習し、できるだけパソコンで書かせた。まずは紙に書く前に、頭の中できちんと文章が構成できるようなパターンを焼き付けることが大切で、手書きで書くのはその後でもいい、ということだ。
その後、現在彼は当地でミドルスクールの7年生︵中学1年︶を終えたところである。劇的な効果があったわけではなく、ここまで長いことかかったが、今ではテストのときに、手書きでびっしり紙を埋めることができるようになった。今でも字は汚いし、スペルは間違いだらけだが、それでもなんとか書けるようになった。最近は別の問題が持ち上がり、なかなか﹁これでもう大丈夫﹂とはならないのだが、それでもなんとか、一つ問題を克服できたと感じている。
こういった﹁機械的な文章作成の指導﹂というのは、自分でも日本で受けたことがなく、息子が当時通っていた日本語補習校でもやっていなかったので、多分日本ではあまり行われていないのでは、と感じている。これは見よう見まねで親がやろうと思ってもダメだと思う。きちんと体系だった指導を先生がしないと、うまくいかないと思う。日本でも、広くは行われていなくても、必ずこういう指導法があるだろうと思う。ディスグラフィアだけでなく、多くの文章が苦手な人たちが、こういう指導法で、﹁文章を書くのを最初から避ける﹂状態から抜け出せるのではないかと思う。
ネット時代は、実はこれまで以上に多くの人が、﹁文章を書く﹂ことを余儀なくされる時代でもある。日本でも、﹁モジュール的文章指導法﹂とでも言うべき、機械的文章作成指導がもっと広く行われるようになるといいとかねてから思っている。
もし、こうした指導法でうまくいっていたら、上記のお兄さんは、本当に研究医になって、今頃はサイボーグを開発できていたかもしれない。日本でイノベーションを起こしていくには、もっと﹁人の多様性﹂を奨励せよ、というのが私の持論だが、それは単に﹁変人を放置する﹂のではない。﹁足りないところは、テクノロジーや特別指導で補って、偏って優れた部分を活かせるようにする﹂ということだと思っている。
ちなみに、どのエントリーだか忘れたが、﹁数学障害﹂という症状もある、という話をコメントでいただいた。そういうのもあるらしい。こちらは、﹁書字障害﹂よりもさらに、まだ研究が進んでいない分野であるようだ。
以前書いた参考エントリー→ ﹁日本語が亡びるとき﹂と﹁母の本能﹂と﹁多様性﹂ - Tech Mom from Silicon Valley