前回のエントリでこの件について書くのは最初で最後にしようと思っていたのだが、あの後散々叩かれているid:sho_taさんのこの記事に三つも長文コメントを入れてしまったし、ここまで言葉でコミットした以上は一度まとめて自分の考えを書いておこうと思う。
はしごたんは一連の記事︵皆さんご存知のことと思うのでリンクははりません︶で、﹁男が欲しい、セックスがしたい、出来ればブロガーが希望﹂といったことを書いていた。 はしごたんが、三流ポルノか出会い系のスパムメールかとも思われるような性描写をしているのに、引いている人も多い。そうした妄想それ自体は自由だけれども、公にするって恥を知らんのか?この展開はグロ過ぎるという。私も正直、見ちゃおれんなとは思った。思いつつ目を離せないので読んでいたのだが。 彼女がそこまで書くのは、恥も外聞もないほどせっぱつまっているのか、書くことで発散しているのか、切実さを伝えたいと思っているのか、みんなの︵特に男性の︶反応を見て面白がりたいのか、ただ構ってもらいたいだけなのか、"読者サービス"のつもりなのか、私にはわからない。たぶんいろんなものが混じっていると思う。 はしごたんも性欲を抱えた女性であると同時に、書く人でもあり、そこにいろいろな計算は入るだろう。それは私も同じことだ。 文章の一部が強いマゾヒズムを感じさせる点については、こちらの方の指摘︵中程﹁●余談だけど﹂以降のセンテンス︶が的確だと思った。私がこないだの記事のブックマークコメントに﹁剣によって受けた傷は剣でしか癒せないのかもね﹂と書いたのも、そのことを指している。
ところで、はしごたんの﹁男が欲しい﹂﹁Masaoさんが無理なら他のブロガーでもいいです﹂で私が思い出したのは、﹃ふしだらかしら - 老嬢ジェーンのセックスとロマンをめぐる冒険﹄という本である。アメリカの66歳のおばあさんが、ある雑誌にセックス相手を募集した顛末を綴って、全米ベストセラーになったもの。 過去に性暴力を受けた30そこそこの女性と、結婚経験のある66歳のおばあさんを比べるのは、いくら何でも無茶だろうと言う人もいるかもしれないが、女性の性、性欲という点で考えて、共通項の方を私は見た。 またまたグロテスクな例を持ち出して‥‥と引かないで下さい。大変に興味深く面白い本で、こちらに詳しい紹介と感想を書いているので、ちょっと長いができれば目を通して頂けますように︵特にid:hashigotanにはお勧めです︶。
はしごたんが﹁セックスできるなら誰でも﹂とはおそらく思っておらず﹁継続的にブログを書いている人﹂という条件をつけているのと、ジェーンという女性が﹁トロロープという作家について会話のできる人﹂という条件をつけていたのは、よく似ている。単に性欲を満たしたいのではない、何らかの精神的交流を求めている。 ウェブ上の︵自分に共感的な文章を書く︶男性に恋愛感情を抱き、もしセックスするならそういう人がいいと思うのは、わりと普通のことだと思う。Masaoさんに親密な言葉をかけられたことをきっかけに、その希望というか妄想が現実味のあるものに思えてきたとしても不思議ではないし、そこにしか自分の突破口が開けないと思い詰めれば、なりふり構わず必死にもなる。 違うのは、ジェーンの方が人生経験を積んでいるだけにさすがにやり方が大人で、はしごたんは稚拙過ぎるということだが、そこだけではない。ジェーンは66歳で後がないと思っているのに対し、はしごたんは30そこそこで後がないと思っている点だ。結婚、出産を希望しているならそろそろ時期かもしれないとは思うが、30で﹁賞味期限が切れかかっている﹂というのは、あまりに世の中の男性の価値観を内面化し過ぎだと思う。 20代であまりモテなくて、30過ぎて︵いわゆる﹁女﹂に磨きがかかり︶モテ出したという女性はよくいる。40代でも充分若々しく魅力的で、歳下の男性とつきあっている人も時々いる。どこにピークがくるかなんて、一概には言えない︵これは男性にも言える︶。そういう人はもともと美人なんでしょ? いやそれが、必ずしもそうじゃないのですよね。
はしごたんは自己評価が低い。過去のことから低くなってしまうのは仕方ないが、﹁こんな私でもよかったら‥‥﹂的な態度をあまり出すと、そこにつけこむ男性は出てくる。幼児期に性的虐待を受けたことは自分の責任ではないのだから、その点で卑下する必要などない。もしする必要があるとしたら、あまりにも﹁弱者﹂に居直り、自己憐憫のあまり他人に暴言を吐き散らしてきたことだ。 もちろんそれだって、はしごたんからしたらやむをえないことになるのだろう。子ども連れの女性などであまり周囲に気遣わないタイプの人に怒りを感じることが私も時々あるので、彼女の文章は共感できる部分もあるが、自分を虐めているわけでもないブロガーに当たるのは筋違いだ。それも多くの人が既に何度も指摘している。 そしてそれらの言葉は、はしごたんには届かない。﹁病院に行け﹂︵彼女がどの程度の精神疾患なのか私には判断できないが︶という言葉も届かない。
誰が言ったら届くのだろうか。 それはおそらく、はしごたんを抱きしめてセックスして、できれば心から愛しいと思ってくれる男性だけだろう。 自分の性欲と承認欲を満たしてくれる男性に、﹁あれはよくないことだった。謝った方がいいよ﹂﹁一緒に病院に行こう﹂と言われない限り、彼女はどんな筋の通った言葉にも心配にも耳を貸さないだろうと思う。少なくとも今は︵もちろんここで私は、これまでのはしごたんの文章を文字通りに受け取って書いている。釣り疑惑は横に置いといて︶。
私は性暴力を受けた女性の苦しみがリアルに伝えられ、皆がそれに耳を傾けることには、賛成だ。しかし本人の拗れた被害者意識の結果、関係ない他人がとばっちりを喰うことには、反対だ。もし自分にとばっちりが飛んできたら、私ははしごたんを強く責める。﹁弱者﹂だったら何をしてもいいと思っているのかと。そしてはしごたんはまた傷つき、私も厭な思いをする。 そういうことにはなってほしくない。ならないためにははしごたんの自省と自制が必要なのだが、それも見るところあまり期待できない。 はしごたんが散々罵倒してきたセックスを楽しむカップルや、セックスして子どもをもうけて幸せそうな人々の立場に、彼女自身が一歩でも近づけない限り、はしごたんはいつまでも暴言を繰り返し、誰にも構われなければそれを加速させていくだろう。そのことでまたいろいろな人が厭な思いをする。こんな不毛で不幸なことはないと思う。
だから、はしごたんが素直に言葉を聞ける異性の出現が待たれるのだ。それも単なる友人ではなく、性的関係を結べて気持ちもかなりの程度汲み取ることのできる異性。普通なら、異性の友達がいるだけでもそれなりに情緒が安定しそうに思えるが、具体的な性的承認を灼けつくような思いで求めていて﹁後がない﹂と焦燥感を募らせている女性には、それでは無意味ということである。 ﹁誰か私を抱いてほしい﹂というメッセージを具体的に発したのは、これまでのことを繰り返していると自滅するしかないかもしれないという不安も若干はあると思う。だからそのやり方があまりに唐突で常識を逸したものであっても、一歩を踏み出したのだと私は思った。それで﹁覚悟はあるの?﹂というエントリを上げたのである。それに対してはしごたんは﹁とりあえず何でもヤってみようと思います﹂とブコメで答えた。覚悟してるということだと私は受け取った。 はしごたんも馬鹿ではないので︵失礼︶、どうやったら周囲の状況を味方につけられるのか、どう出たら自分に有利に事が進むかくらい、しっかり考えているだろう。そのことをもって﹁はしごたんはみんなに注目され、構ってもらって楽しんでいる﹂という見方はできようが、もしセックスできる相手が現れて、それによってこれまでのようなネガティヴな言動が少しでも陰を潜めるならば、彼女の望みに沿ったかたちで事が運んでくれればいいと私は思っている。そしてそれを推進するのは彼女自身だと思う。
﹁それは楽観的過ぎる見方だ。精神病者の怖さを知らないのだ。相手の男性も共倒れになるだろうから、焚き付けるような真似をすべきでない﹂という意見はあろう。でも一歩を踏み出しているのは、はしごたん自身である。﹁もうどんな説教も聞かない﹂とまで言っている。これまでの通りの状況が続いて、はしごたんが増々﹁珍獣﹂扱いになり、﹁被害﹂が出るくらいなら、私は希望のありそうな方を見たい。 無論これだけはしごたんの﹁厄介さ﹂は周知されているのだから、名乗り出る男性も冷やかしでは済まないだろう。また一方で、彼がはしごたんの一生を背負う義務も全然ない。そんな責任は誰にもとれない。はしごたんが求めているのは、性的承認とそれにともなう癒しであって、﹁誰か結婚してくれ﹂と言っているわけではないのだから。そういう要求は、実際につきあってみてから後の話だ。 はしごたんにメールを出したという男性達がどういうつもりなのか知る由もないが、﹁孤独な女性を一時的にでも幸せにできるなら自分がやってもいいよ﹂ということだと思う。それ以上のことを今から期待するのはもちろん間違っている。 その人とウマが合って恋人同士にまでなれるのか、セックスしたことで執着が強まって離れられなくて苦しむのか、セックスはしてみたけど残念な結果に終わるのか、案外憑き物が落ちちゃって自信もついて﹁次のステージ﹂に行けるのか、それはまったくわからないことだ。 恋愛を体験していろいろボロボロになってまた立ち直ってだんだん強くなる人もいるし、同じことを繰り返す人もいる。ただ精神を病んでいる人だからきっとエラいことになると決めてかかるのは、どうかと思う。
id:ululunさんのはしごたんを囲むオフ会︵実質ヤリコン?︶の提案を読んだ時、私はかなり厭な気持ちになったし、ショータさんがそれに乗ったのにも、その書き方を含めて違和感を感じた。セックスの相手を求めている女性を候補者の男性が囲む、それを第三者が金を出してお膳立てしてやるという構図が、感覚的に受け入れられなかった。 しかしその後ではしごたんの﹁男ブロガーに×わされる﹂妄想を読んで、思わず笑ってしまった。はしごたん、妄想はいいけど、そんなこと書くとせっかく真面目な気持ちで立候補しようとした男性︵いるとして︶が引くじゃん、逆効果だよと。いやむしろそれを読んで、﹁俺がいるんだからもうこんなこと書くな﹂と言ってくれる度量の深い人が現れたらいいのだが、舞い上がっての妄想ダダ漏れは、多くの場合自分の利益にならない。 はしごたんが私の記事のブコメに書いた﹁まだハードル越えてません﹂は、私がショータさんところで書いたコメント﹁︵こういう形のオフ会は女性にとって︶普通はかなりのハードルだろなと思います﹂に対応している。一対一で会いたいというのは普通の感覚だと思う。その後、﹁3、4人くらいなら﹂というレベルまで許容範囲を広げた模様だが、こういうことは無理しない方がいい気がする。 オフ会が流れたら流れたで、はしごたんが候補者に会わなかったら会わなかったでそれもいい。野次馬の一人としては、この騒ぎの前と後とで少しでも何かが変わって、何にせよ一歩踏み出した効果があることを期待するだけだ。
ショータさんの言う﹁外で体育座り﹂も﹁口を出すなら金も出そう﹂も﹁各方面﹂への配慮も、私の感覚では理解しにくい。はしごたんはまんざらでもなさそうだが、個人的には何とも言えないグロテスクな感じが拭えない。だから参加はもちろん寄付する気にもなれない。 だが、多くのdisに関わらず、ショータさんは﹁少しはマシに﹂と何度も書いている。それは、私がここで書いたことと多少は重なっているのだろうか。 はしごたんは性的にグロテスクな体験をしたその記憶を梃子に、グロテスクなテキストを書き、己のグロテスクな欲望を露にしてきた人である。それに応えるには、そのグロテスクさに見合った方法しかないということなのだろうか。そしてそれを言うならば、この騒ぎから目が離せない私も含めて何らかのコメントをしたすべての人が、ある意味グロテスクということになろうか。 でも、いったい何がグロテスクで、何がそうでないのだろうか。そこが私にはわからなくなっている。ただ彼女に関するどのような言及も、﹁性﹂というものに対してのその人の認識や感情を、何らかのかたちで浮かび上がらせているのだろうと思う。私のこの文章も。
●関連記事 ﹃女という病﹄を読む ﹃私という病﹄を読む
●﹁グロテスク﹂に反応している人が多いので追記 グロテスクとは、言うまでもなく﹁奇怪﹂、﹁異様﹂という意味です。﹁醜悪﹂というニュアンスも含みます。はしごたんの綴るカップルや家族連れなどへの執拗な憎悪と呪詛は、普通に見れば﹁奇怪﹂﹁異様﹂であるし、自分とは無関係な彼らを不幸に陥れたいというネガティブな欲望も、妻の妊娠について書いた人︵個人的にはあの文章は嫌いだが︶をヒステリックに攻撃する言葉も、友達になろうという男性にいきなりセックスを求める態度も、﹁奇怪﹂﹁異様﹂で且つ﹁醜悪﹂です。66歳の女性が公然とセフレを募集するのも、﹁奇怪﹂﹁異様﹂﹁醜悪﹂と一般には見られるでしょう。これは普通だという見方は、この社会にはありません。 しかし普通とは何か、普通でなくグロテスクとは何かと考えると、その境目はシームレスです。何がグロテスクかを決めているのはその社会の曖昧な基準であって、人の欲望、特に性に関するものはそうした基準だけでは測れないのは当たり前のことです。そして私︵達︶が普通でないものに引きつけられるのは、それがたぶん自分の中にもあるものだからです。 私が﹁グロテスク﹂という言葉を使って言いたかったのはそういうことです。はしごたんを﹁奇怪﹂で﹁異様﹂で﹁醜悪﹂な人と決めつけ、彼女を特別扱いする人々︵声は上げなくてもそういう人はどこにでもいるでしょう︶に対して書いているのです。はてな村の中ではしごたんに共感したり、そのあり方をずっと観察してきて理解を示す人だけに向けて書いている文章ではありません。
はしごたんは一連の記事︵皆さんご存知のことと思うのでリンクははりません︶で、﹁男が欲しい、セックスがしたい、出来ればブロガーが希望﹂といったことを書いていた。 はしごたんが、三流ポルノか出会い系のスパムメールかとも思われるような性描写をしているのに、引いている人も多い。そうした妄想それ自体は自由だけれども、公にするって恥を知らんのか?この展開はグロ過ぎるという。私も正直、見ちゃおれんなとは思った。思いつつ目を離せないので読んでいたのだが。 彼女がそこまで書くのは、恥も外聞もないほどせっぱつまっているのか、書くことで発散しているのか、切実さを伝えたいと思っているのか、みんなの︵特に男性の︶反応を見て面白がりたいのか、ただ構ってもらいたいだけなのか、"読者サービス"のつもりなのか、私にはわからない。たぶんいろんなものが混じっていると思う。 はしごたんも性欲を抱えた女性であると同時に、書く人でもあり、そこにいろいろな計算は入るだろう。それは私も同じことだ。 文章の一部が強いマゾヒズムを感じさせる点については、こちらの方の指摘︵中程﹁●余談だけど﹂以降のセンテンス︶が的確だと思った。私がこないだの記事のブックマークコメントに﹁剣によって受けた傷は剣でしか癒せないのかもね﹂と書いたのも、そのことを指している。
ところで、はしごたんの﹁男が欲しい﹂﹁Masaoさんが無理なら他のブロガーでもいいです﹂で私が思い出したのは、﹃ふしだらかしら - 老嬢ジェーンのセックスとロマンをめぐる冒険﹄という本である。アメリカの66歳のおばあさんが、ある雑誌にセックス相手を募集した顛末を綴って、全米ベストセラーになったもの。 過去に性暴力を受けた30そこそこの女性と、結婚経験のある66歳のおばあさんを比べるのは、いくら何でも無茶だろうと言う人もいるかもしれないが、女性の性、性欲という点で考えて、共通項の方を私は見た。 またまたグロテスクな例を持ち出して‥‥と引かないで下さい。大変に興味深く面白い本で、こちらに詳しい紹介と感想を書いているので、ちょっと長いができれば目を通して頂けますように︵特にid:hashigotanにはお勧めです︶。
はしごたんが﹁セックスできるなら誰でも﹂とはおそらく思っておらず﹁継続的にブログを書いている人﹂という条件をつけているのと、ジェーンという女性が﹁トロロープという作家について会話のできる人﹂という条件をつけていたのは、よく似ている。単に性欲を満たしたいのではない、何らかの精神的交流を求めている。 ウェブ上の︵自分に共感的な文章を書く︶男性に恋愛感情を抱き、もしセックスするならそういう人がいいと思うのは、わりと普通のことだと思う。Masaoさんに親密な言葉をかけられたことをきっかけに、その希望というか妄想が現実味のあるものに思えてきたとしても不思議ではないし、そこにしか自分の突破口が開けないと思い詰めれば、なりふり構わず必死にもなる。 違うのは、ジェーンの方が人生経験を積んでいるだけにさすがにやり方が大人で、はしごたんは稚拙過ぎるということだが、そこだけではない。ジェーンは66歳で後がないと思っているのに対し、はしごたんは30そこそこで後がないと思っている点だ。結婚、出産を希望しているならそろそろ時期かもしれないとは思うが、30で﹁賞味期限が切れかかっている﹂というのは、あまりに世の中の男性の価値観を内面化し過ぎだと思う。 20代であまりモテなくて、30過ぎて︵いわゆる﹁女﹂に磨きがかかり︶モテ出したという女性はよくいる。40代でも充分若々しく魅力的で、歳下の男性とつきあっている人も時々いる。どこにピークがくるかなんて、一概には言えない︵これは男性にも言える︶。そういう人はもともと美人なんでしょ? いやそれが、必ずしもそうじゃないのですよね。
はしごたんは自己評価が低い。過去のことから低くなってしまうのは仕方ないが、﹁こんな私でもよかったら‥‥﹂的な態度をあまり出すと、そこにつけこむ男性は出てくる。幼児期に性的虐待を受けたことは自分の責任ではないのだから、その点で卑下する必要などない。もしする必要があるとしたら、あまりにも﹁弱者﹂に居直り、自己憐憫のあまり他人に暴言を吐き散らしてきたことだ。 もちろんそれだって、はしごたんからしたらやむをえないことになるのだろう。子ども連れの女性などであまり周囲に気遣わないタイプの人に怒りを感じることが私も時々あるので、彼女の文章は共感できる部分もあるが、自分を虐めているわけでもないブロガーに当たるのは筋違いだ。それも多くの人が既に何度も指摘している。 そしてそれらの言葉は、はしごたんには届かない。﹁病院に行け﹂︵彼女がどの程度の精神疾患なのか私には判断できないが︶という言葉も届かない。
誰が言ったら届くのだろうか。 それはおそらく、はしごたんを抱きしめてセックスして、できれば心から愛しいと思ってくれる男性だけだろう。 自分の性欲と承認欲を満たしてくれる男性に、﹁あれはよくないことだった。謝った方がいいよ﹂﹁一緒に病院に行こう﹂と言われない限り、彼女はどんな筋の通った言葉にも心配にも耳を貸さないだろうと思う。少なくとも今は︵もちろんここで私は、これまでのはしごたんの文章を文字通りに受け取って書いている。釣り疑惑は横に置いといて︶。
私は性暴力を受けた女性の苦しみがリアルに伝えられ、皆がそれに耳を傾けることには、賛成だ。しかし本人の拗れた被害者意識の結果、関係ない他人がとばっちりを喰うことには、反対だ。もし自分にとばっちりが飛んできたら、私ははしごたんを強く責める。﹁弱者﹂だったら何をしてもいいと思っているのかと。そしてはしごたんはまた傷つき、私も厭な思いをする。 そういうことにはなってほしくない。ならないためにははしごたんの自省と自制が必要なのだが、それも見るところあまり期待できない。 はしごたんが散々罵倒してきたセックスを楽しむカップルや、セックスして子どもをもうけて幸せそうな人々の立場に、彼女自身が一歩でも近づけない限り、はしごたんはいつまでも暴言を繰り返し、誰にも構われなければそれを加速させていくだろう。そのことでまたいろいろな人が厭な思いをする。こんな不毛で不幸なことはないと思う。
だから、はしごたんが素直に言葉を聞ける異性の出現が待たれるのだ。それも単なる友人ではなく、性的関係を結べて気持ちもかなりの程度汲み取ることのできる異性。普通なら、異性の友達がいるだけでもそれなりに情緒が安定しそうに思えるが、具体的な性的承認を灼けつくような思いで求めていて﹁後がない﹂と焦燥感を募らせている女性には、それでは無意味ということである。 ﹁誰か私を抱いてほしい﹂というメッセージを具体的に発したのは、これまでのことを繰り返していると自滅するしかないかもしれないという不安も若干はあると思う。だからそのやり方があまりに唐突で常識を逸したものであっても、一歩を踏み出したのだと私は思った。それで﹁覚悟はあるの?﹂というエントリを上げたのである。それに対してはしごたんは﹁とりあえず何でもヤってみようと思います﹂とブコメで答えた。覚悟してるということだと私は受け取った。 はしごたんも馬鹿ではないので︵失礼︶、どうやったら周囲の状況を味方につけられるのか、どう出たら自分に有利に事が進むかくらい、しっかり考えているだろう。そのことをもって﹁はしごたんはみんなに注目され、構ってもらって楽しんでいる﹂という見方はできようが、もしセックスできる相手が現れて、それによってこれまでのようなネガティヴな言動が少しでも陰を潜めるならば、彼女の望みに沿ったかたちで事が運んでくれればいいと私は思っている。そしてそれを推進するのは彼女自身だと思う。
﹁それは楽観的過ぎる見方だ。精神病者の怖さを知らないのだ。相手の男性も共倒れになるだろうから、焚き付けるような真似をすべきでない﹂という意見はあろう。でも一歩を踏み出しているのは、はしごたん自身である。﹁もうどんな説教も聞かない﹂とまで言っている。これまでの通りの状況が続いて、はしごたんが増々﹁珍獣﹂扱いになり、﹁被害﹂が出るくらいなら、私は希望のありそうな方を見たい。 無論これだけはしごたんの﹁厄介さ﹂は周知されているのだから、名乗り出る男性も冷やかしでは済まないだろう。また一方で、彼がはしごたんの一生を背負う義務も全然ない。そんな責任は誰にもとれない。はしごたんが求めているのは、性的承認とそれにともなう癒しであって、﹁誰か結婚してくれ﹂と言っているわけではないのだから。そういう要求は、実際につきあってみてから後の話だ。 はしごたんにメールを出したという男性達がどういうつもりなのか知る由もないが、﹁孤独な女性を一時的にでも幸せにできるなら自分がやってもいいよ﹂ということだと思う。それ以上のことを今から期待するのはもちろん間違っている。 その人とウマが合って恋人同士にまでなれるのか、セックスしたことで執着が強まって離れられなくて苦しむのか、セックスはしてみたけど残念な結果に終わるのか、案外憑き物が落ちちゃって自信もついて﹁次のステージ﹂に行けるのか、それはまったくわからないことだ。 恋愛を体験していろいろボロボロになってまた立ち直ってだんだん強くなる人もいるし、同じことを繰り返す人もいる。ただ精神を病んでいる人だからきっとエラいことになると決めてかかるのは、どうかと思う。
id:ululunさんのはしごたんを囲むオフ会︵実質ヤリコン?︶の提案を読んだ時、私はかなり厭な気持ちになったし、ショータさんがそれに乗ったのにも、その書き方を含めて違和感を感じた。セックスの相手を求めている女性を候補者の男性が囲む、それを第三者が金を出してお膳立てしてやるという構図が、感覚的に受け入れられなかった。 しかしその後ではしごたんの﹁男ブロガーに×わされる﹂妄想を読んで、思わず笑ってしまった。はしごたん、妄想はいいけど、そんなこと書くとせっかく真面目な気持ちで立候補しようとした男性︵いるとして︶が引くじゃん、逆効果だよと。いやむしろそれを読んで、﹁俺がいるんだからもうこんなこと書くな﹂と言ってくれる度量の深い人が現れたらいいのだが、舞い上がっての妄想ダダ漏れは、多くの場合自分の利益にならない。 はしごたんが私の記事のブコメに書いた﹁まだハードル越えてません﹂は、私がショータさんところで書いたコメント﹁︵こういう形のオフ会は女性にとって︶普通はかなりのハードルだろなと思います﹂に対応している。一対一で会いたいというのは普通の感覚だと思う。その後、﹁3、4人くらいなら﹂というレベルまで許容範囲を広げた模様だが、こういうことは無理しない方がいい気がする。 オフ会が流れたら流れたで、はしごたんが候補者に会わなかったら会わなかったでそれもいい。野次馬の一人としては、この騒ぎの前と後とで少しでも何かが変わって、何にせよ一歩踏み出した効果があることを期待するだけだ。
ショータさんの言う﹁外で体育座り﹂も﹁口を出すなら金も出そう﹂も﹁各方面﹂への配慮も、私の感覚では理解しにくい。はしごたんはまんざらでもなさそうだが、個人的には何とも言えないグロテスクな感じが拭えない。だから参加はもちろん寄付する気にもなれない。 だが、多くのdisに関わらず、ショータさんは﹁少しはマシに﹂と何度も書いている。それは、私がここで書いたことと多少は重なっているのだろうか。 はしごたんは性的にグロテスクな体験をしたその記憶を梃子に、グロテスクなテキストを書き、己のグロテスクな欲望を露にしてきた人である。それに応えるには、そのグロテスクさに見合った方法しかないということなのだろうか。そしてそれを言うならば、この騒ぎから目が離せない私も含めて何らかのコメントをしたすべての人が、ある意味グロテスクということになろうか。 でも、いったい何がグロテスクで、何がそうでないのだろうか。そこが私にはわからなくなっている。ただ彼女に関するどのような言及も、﹁性﹂というものに対してのその人の認識や感情を、何らかのかたちで浮かび上がらせているのだろうと思う。私のこの文章も。
●関連記事 ﹃女という病﹄を読む ﹃私という病﹄を読む
●﹁グロテスク﹂に反応している人が多いので追記 グロテスクとは、言うまでもなく﹁奇怪﹂、﹁異様﹂という意味です。﹁醜悪﹂というニュアンスも含みます。はしごたんの綴るカップルや家族連れなどへの執拗な憎悪と呪詛は、普通に見れば﹁奇怪﹂﹁異様﹂であるし、自分とは無関係な彼らを不幸に陥れたいというネガティブな欲望も、妻の妊娠について書いた人︵個人的にはあの文章は嫌いだが︶をヒステリックに攻撃する言葉も、友達になろうという男性にいきなりセックスを求める態度も、﹁奇怪﹂﹁異様﹂で且つ﹁醜悪﹂です。66歳の女性が公然とセフレを募集するのも、﹁奇怪﹂﹁異様﹂﹁醜悪﹂と一般には見られるでしょう。これは普通だという見方は、この社会にはありません。 しかし普通とは何か、普通でなくグロテスクとは何かと考えると、その境目はシームレスです。何がグロテスクかを決めているのはその社会の曖昧な基準であって、人の欲望、特に性に関するものはそうした基準だけでは測れないのは当たり前のことです。そして私︵達︶が普通でないものに引きつけられるのは、それがたぶん自分の中にもあるものだからです。 私が﹁グロテスク﹂という言葉を使って言いたかったのはそういうことです。はしごたんを﹁奇怪﹂で﹁異様﹂で﹁醜悪﹂な人と決めつけ、彼女を特別扱いする人々︵声は上げなくてもそういう人はどこにでもいるでしょう︶に対して書いているのです。はてな村の中ではしごたんに共感したり、そのあり方をずっと観察してきて理解を示す人だけに向けて書いている文章ではありません。