なぜ資本主義社会は未婚にむかうのか
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﹁恋愛は錯覚である﹂というとき、無数の人の中からなぜある一人に﹁感染﹂したのかということの理由がどこにも見いだせないことによる。恋をした理由は、﹁顔がタイプだから﹂、﹁スタイルがいいから﹂、﹁お金をもっていたから﹂などなど、語ることはできる。しかしこれらはいつも事後的であって、感染そのものを説明することはできない。 そしてまたこの説明できないということが、恋をすることの条件でもある。理想の条件を並べて、それを適合する相手を見つけだしても、恋をするとは限らない。むしろ恋をしないだろう。人々は談取られた出会いではなく、偶然的な出会いにこそ、感染するのだ。それこそが﹁恋のマジック﹂である。
貨幣と﹁彼女﹂の神秘
柄谷は﹁探求Ⅰ﹂で、コミュニケーションの神秘性を、ヴィトゲンシュタインの﹁教える−学ぶ﹂の関係、マルクスの﹁売る−買う﹂の関係を例に示したが、もっともわかりやすい例は、恋愛関係だろう。 ﹁恋した僕﹂にとって﹁恋された彼女﹂は、誰とも代えられない唯一の存在﹁女神﹂となる。誰でもない﹁彼女﹂に愛されたいと願うのである。しかし﹁恋された彼女﹂にとって、﹁僕﹂は多くの人々の内の一人でしかない。﹁恋した僕﹂と﹁恋された彼女﹂の関係は非対称性である。﹁恋された彼女﹂の気持ちが決してわからず、疑心暗鬼から、思考はフリーズする。だから﹁命がけの飛躍﹂として勇気を持って告白するしかないのだ。 この﹁恋のマジック﹂は、まさにマルクスが言った﹁貨幣のフェティシズム﹂でもある。単なる紙切れを人々が欲望するのは、貨幣にはなにか超越的な力があるように錯覚されているが、貨幣が貨幣であるのが、単なる紙切れが、一般的等価形態という﹁いついかなる時でもどんな商品とも直接に交換しうる﹂位置にあるからだ。 恋愛において﹁彼女﹂は僕に対する一般的等価形態に位置にいるから﹁女神﹂になるのであって、﹁彼女﹂がそもそも﹁女神﹂でるのではない。しかし﹁恋のマジック﹂はあたかも彼女が生まれてときか、僕の﹁女神﹂であったように捏造するのだ。 恋愛はとても曖昧である。いつどのように感染するかわからないし、いつそれが冷めるかわからない。それに対して今日1万円の価値があった紙幣が、明日はただの紙切れになったのでは、経済が立ちいかない。しかしマルクスがいったのはまさに貨幣の危うさである。たとえばあす恐慌がおこれば、1万円札がただの紙切れになる、ということだ。 マルクスがいったように、商品はもし売れなければ︵交換されなければ︶価値ではないし、したがって使用価値ですらない。そして、商品が売れるかどうかは、﹁命がけの飛躍﹂である。商品の価値は、前もって内在するのではなく、交換された結果として与えられる。前もって内在する価値が交換によって実現されるのではまったくない。P9 マルクスは、この交換関係を価値形態として論じている。すなわち、相対的価値形態と等価形態という関係の非対称性として。卑俗にいいかえれば、それは売る立場と買う立場の非対称性にほかならない。この非対称性は、決して揚棄︵ようき︶されない。それは結局、貨幣︵所有者︶と商品︵所有者︶の関係、あるいは資本と賃労働の関係の非対称性に変形されるだけである。P18-19 一般的等価形態にある商品︵=貨幣︶は、いついかなる時でもどんな商品とも直接に交換しうるのに、他の商品は互いに直接に交換してないと言うことが、貨幣の神秘的な力の源泉である。P129
﹁探求Ⅰ﹂ 柄谷行人 (ASIN:4061590154)
資本主義のマジックは消費者を﹁モテモテ﹂にする
マルクスはこのような﹁貨幣へのフェティシズム﹂が資本主義の原動力になっているという。そしてこのような貨幣の優位性から、マルクスは労働力を買う資本家は労働力をうる労働者に対して優位であると、指摘する。 貨幣蓄蔵の"動機"は、もの︵使用価値︶への欲望−他人の欲望に媒介されたものであろうとなかろうと−にあるのではない。諸共同体の外部に、流通が形成する"世界"において、﹁売る﹂という危うい立場をまぬかれようとする衝動にほかならない。・・・︵貨幣が︶﹁直接的交換可能性﹂︵交換価値︶をもつがゆえに、その﹁可能性﹂のみを蓄積しようとするところから生じている。・・・﹁蓄積﹂こそ、われわれに、必要以上の必要、多様な欲望を与えるのでである。P135-137
﹁探求Ⅰ﹂ 柄谷行人 (ASIN:4061590154) しかし資本主義が示したのは、貨幣の優位を享受するのは資本家に限らない。消費社会において、店頭にあふれる商品、TVから流れる魅惑的な広告は、買ってほしいという、消費者へのラブコールである。そして人々は﹁恋される位置﹂に居続けたいと貨幣を望む。資本主義は、貨幣を持っていることで、﹁恋される位置﹂に居続けることを可能にしたのだ。現代人は多かれ少なかれ、みな﹁モテモテ﹂なのである。これこそが資本主義のマジックではないだろうか。
消費者の臆病
だから消費者は、﹁恋すること﹂に慎重でなければならない。安易に恋でもしようものなら、﹁命がけの飛躍﹂の前で思考はフリーズして、﹁お金で済むならいくらでもだす!﹂と、一気に﹁恋する位置﹂に転落してしまう。若い頃のように、転落しても失うものがない、いつでもやり直せるならいざしらず、貯蓄や立場をもつ大人は、﹁恋すること﹂に臆病になるだろう。 だから消費者は人に﹁恋する﹂ことに臆病に、商品に﹁恋する﹂方を好むようになる。商品に﹁恋する﹂方が、﹁恋する﹂場からの着脱をコントロールしやすい。商品を渡り歩くことで、深い転落を回避する。 実は、ナンパな﹁モテ男﹂が行っていることもこれと同じである。合コンなどの場は、恋愛に真剣でないということではないが、相手を持ち上げ好きであるように振るまうのが儀礼している。これによって、告白して、うまくいかなくても、その場のノリだからと、お互いにとって逃げ道を用意するテクニックである。 それでも﹁恋はマジック﹂であり、偶然的にいつ感染するかわからない。しかし人であれ、商品であれ、情報であれ﹁恋した﹂として、この資本主義という溢れる誘惑の中で、一つのものに恋しつづけることはできるだろうか。マジックは解体されてしまうだろう。
結婚できない/したくない
低収入だから結婚できない/結婚したくないというのは、生存に関わるというよりも、消費者という優位を手放したくないということだ。﹁恋される﹂優越にいること、﹁商品﹂の山に囲まれた消費者は孤独である。だからなおさら消費へ向かう。そして﹁純愛﹂もこのような孤独が産んだ一つの商品なのだろう。 ﹁結婚したくない﹂が急増 成人式調査
結婚情報サービスが8日に成人式を迎える独身男女587人に恋愛・結婚観を聞いたところ、﹁結婚したくない﹂が20.6%を占め、前年の16.5%を大幅に上回った。 理由︵複数回答︶のうち、男性のトップは﹁金がかかる﹂︵52.7%︶だが、女性は﹁一人の方が気楽﹂︵63.6%︶。結婚に興味はあるが金銭面の不安から非婚を選ぶ男性に対し、結婚そのものに興味がない女性像が浮かぶ。 交際中でないのに﹁相手は不要﹂という女性も32.3%を占め男性の20.9%を大きく引き離している。男性が猪突︵ちょとつ︶猛進しても、壁は想像以上に分厚いかも。 http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070107k0000m040029000c.html ﹁童貞連合﹂会員260人
40〜44歳の男性の7・9%が性交渉の経験がない。・・・無回答の5%を含めると、10人に1人が﹁未経験﹂だと推測できるという。 同世代の女性の﹁未経験率﹂は0・6%︵無回答1・4%︶だった。 同協会の北村邦夫常務理事は、男性のコミュニケーション能力の低下が原因とみる。﹁ふられたり、失敗したりして自分を傷つけたくない。だから、あえて女性を口説くこともしなくなる。性交渉に関しても、受験と同じで、常に成功しないといけないと思っている男性が多い﹂ 名古屋のNPO法人﹁花婿学校﹂。結婚できない男性を応援するため、2003年から、東京、大阪、名古屋で、服装や話し方に関するレッスンを開いている。 代表の大橋清朗さん︵37︶は、数百人の受講生と接してきたが、どの世代にも共通する悩みは、女性と何を話していいかわからないということだ。だから、レッスンでは同じことを言い続けている。﹁傷ついてもいいじゃないですか、思い切って一歩踏み出してみてください﹂と。 http://www.yomiuri.co.jp/feature/otokogokoro/fe_ot_07011601.htm?from=os1 *1