こちらは跡地です。
こちらは2019年春に終了しました、はてなダイアリー版﹁In Jazz﹂、および開店休業してましたサブブログ﹁My Favorite Things﹂の跡地になります。
はてなダイアリーがはてなブログに移行するに当たって、はてなダイアリーのURLがこちらに統合されたので、ここは保管庫扱いです。
ブログの更新自体は以下のアドレスにて行っておりますのでそちらに移動してください。
リンク先でも過去記事は同じように読むことができます。
このブログでは記事の更新はしませんが、はてなダイアリーのリンクがこちらに統合されてますのでここから過去記事を参照していただくのはありかなあと。
今まで非公開にしてましたが、そんな感じで公開することになりました。
https://terry-rice88injazz.hatenablog.jp/
…まあ実を言えば、データ移行する際にサブブログの方にも本ブログのデータを移行してしまっただけなのですが。 ブログ運営自体は新アドレスにて更新中ですので、よろしければそちらをご覧いただければと思います。
https://terry-rice88injazz.hatenablog.jp/
…まあ実を言えば、データ移行する際にサブブログの方にも本ブログのデータを移行してしまっただけなのですが。 ブログ運営自体は新アドレスにて更新中ですので、よろしければそちらをご覧いただければと思います。
「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#9 Act.2 舞台の中心で ”i” を叫んだケモノ
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﹁少女☆歌劇 レヴュースタァライト﹂ トレーラー 第1弾
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*1:舞台であり世界でもある
*2:なな3行→華恋2行→なな1行→華恋2行の順で歌われる
*3:もちろん運命と言い換えていい
*4:というのは、ななの抱える問題以上にひかりとの間にある約束と執着が華恋の中では先に立っているから
*5:先回りすると再生産総集編のパンフレットに転勤族の家庭だったので引っ越しが多かったとの記載アリ
*6:例外はあれど、特段描く必然がないので
*7:再生産総集編のパンフレットでも出身校が大学の教育学部付属中学校となっている
*8:設定は明かされていないので類推すれば、という話
*9:あくまで他の8人と比べて
*10:劇場版では
*11:そうは言っても、きちんと学費は払っているようだけど
*12:前日譚コミックス﹁オーバーチュア﹂でもお互い﹁困った時はいつでも私を頼ってね﹂という所で留まっていた。※この作品でも3話(純那)と9話(なな)とこれも数えでエピソードが7話分離れてます
*13:ななにとっては初めての
*14:ここでの強調部分はそのまま劇場版の伏線です
*15:もちろん書いている時点で
*16:このせいか、舞台#1ではななと純那の絡む場面が全くなかった事もまた無関係ではありません
*17:放映当時にしても1年越しの伏線回収というのは流石にロングパスすぎる
*18:それとは別に9話を経た事でななと純那にはまた別の問題が生まれてるわけですが、それはまた別の話。追って語る事になるでしょう。
「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#9 Act.1 永遠、心、離れて
※こちらは2019年10月27日に本家ブログにて投稿しました、9話前半感想の再録です。※後編、完成しました。なお本家には全長版感想︵※投稿しましたこちらから飛べます︶を投稿いたします。ご了承ください
第9話﹃星祭りの夜に﹄
今回からBD-BOX最終3巻収録内容です。7話から続いていたばななのエピソードと戯曲﹃スタァライト﹄の全体像がおぼろげに見えてきた回でした。最終巻のトップバッター回として、今まで伏せられていた情報が開示されていくのに、こちらの処理が追い付かない程には密度のあるものだったかと思います。
さて、更新の日付を見てもお分かりの通り、この9話の感想はすでにアニメ版最終話が放映された以降に書かれているものになります。筆者も既に最終回まで視聴済みではありますが、延長戦という体で感想を続けさせていただく事をご了承ください。
理由は簡単で、いろいろ考え込んでいたら書くペースがどんどん低下していったという、よくありがちなものです。ここまで続けたのならやはり完走はしたいし、一方でリアルタイムで更新できなかったのが心苦しくもありますが、どちらにせよ最終話まで書いていけたらなと考えております。アニメ放映終了から1年が経過、再放送も先日終了していまいましたが、最後までお付き合いいただければ、と。
なお今回の更新は前編(Act.1)とさせていただきます。書き進めるうちに文章と書きたい内容が雪だるま式に増えていった結果、あまりにも長くなりすぎてしまったので、一旦区切りのいいところで切らせていただきました。この前編の文章だけではてな記法込みで3万字超ほどあります︵本文は多分くらい2万字くらい?︶ので、読む際はそれを踏まえてご覧ください。
物語の結末は知っていますけど、なるべくそこを意識せずに残りの話数を書いていくつもりです︵説明の必要性があって先回りして語るかもしれませんが︶。それにまだ作品展開が完全に終わったわけではないですし、こちらとしてはじっくり納得の行く形で書き上げて行きたいですね。今回の後編(Act.2)ともども、気長にお待ちください。
www.nicovideo.jp
今回も舞台#1の筋なども含むネタバレですので読み進める場合は以下をクリック︵スマホなどで読まれている方はそのままお進みください︶
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Little fragments『東映版Keyのキセキ』没寄稿文(未完成)
※こちらは以下の評論誌﹃東映版Keyのキセキ﹄へ寄稿予定だった論考のアーカイヴ︵未完成︶です。 お話を頂き、書き進めてはいましたがこちらの執筆状況が芳しくなく、書き進められないまま締め切り期限が近付いたこともあって、こちらから取り下げたものとなります。
【告知】『東映版Keyのキセキ』予約販売を開始しました。
東映版『Kanon』『劇場版 AIR』『劇場版 CLANNAD』の合同評論同人誌です!
表紙は磯貝祐司(@tnkwyuji)さんです。https://t.co/J1dlbnBXL6 pic.twitter.com/WRqwdUV1qK
タイトルは﹁出崎統の失敗~劇場版﹁AIR﹂について~﹂ 劇場版﹁AIR﹂を取り上げ、結果的に評価の芳しくない作品︵=失敗作︶となってしまった本作を顧みて、﹁どうしてそうなったのか﹂を検証する論考の予定でした。 ﹃東映版Keyのキセキ﹄主催者のhighlandさんには流用の許可を頂いていますので、とりあえず未完成の形ではありますが、ひとまずサブブログのこちらでアーカイヴしておきます。 いずれ続きを書く機会があるかどうか分かりませんが、完成品を読みたいという奇特な方がいらっしゃればお時間を頂いて、本ブログに記事としての投稿も視野に入れています。キリの良い所まで書いてはありますが、論考としては思い切り途中で終わっていますので、それでも宜しければどうぞご覧ください。
以下より本文です。
■はじめに ﹁劇場版AIR﹂が公開されて15年が経つ。そして同作の監督にして日本の戦後アニメ史における重要人物の一人である、出崎統が亡くなって9年。来年(2021年)には没後10年となる。時の流れの早さを嘆いても、時は止まることはない。進み続ける時計の針に私たちは経過した時間の、残酷なまでの長さを思い知らされるわけであるが。 この文章を読んでいただいている方々は﹁劇場版AIR﹂についてどんな感想を持っているだろうか。原作ゲームに比較的忠実であるだろう京都アニメーション版と比して、出崎統ならではの原作改変が施されている︵なおかつ出崎自身はゲーム自体をプレイしていない、プレイするつもりもなかったということも重なって︶劇場版は多少なりとも原作ゲームを触れている人間においては多かれ少なかれ違和感を禁じえず︵別物として認識される事が多いだろうか︶、極端な意見になれは否定や拒絶、駄作という酷評を受ける映画として現在に至っている。もちろん近年、肯定的な評価も徐々に出てきてはいるが、当時の批判は出崎自身の耳にも届き、実際堪えたと述懐してる。 誤解を恐れずに言うならば、﹁劇場版AIR﹂は失敗作である。しかし失敗作イコール駄作だという安直な結論には持ち込みたくはない、というのが本論の趣旨だ。﹃失敗は成功の母﹄とも言われるように、失敗を得て何かを掴むということはままあることだろう。出崎統という稀代のアニメーション監督がいわゆる﹁泣きゲー﹂の名作として当時すでに評価の定まっていたゲーム作品をどのように演出して、何に失敗したのか。結果的にこのコラボレーションは相乗効果を生み出せず、不発に終わっている点を鑑みて、﹁劇場版AIR﹂という作品を改めて紐解いていきたい。
■﹃映画﹄というモチーフ ︵出崎︶︻ダスティン・ホフマン主演映画﹁卒業﹂を引き合いに︼ 映画は90分の映画で、89分59秒つまらないのがあったとしてね、たった1秒スゴいのがあったらね、全部できちゃうの。だから、その妙な自信がさ、てか確信が、自分がどんどん絵コンテ書いてさ、﹁あ、時間がなくなる!もうわしちゃう!﹂って言いながらね、粘れるのはそれだと思うよ。つまり映画の何かってのいうのが、神様がそこでたった一瞬で全部をひっくり返して、全部をね、こうパァって輝かせてくれるものがあるはずだ! ってなかなかないんだけどさ。でもそれを探しながら行く︵中略︶ すべてがこう飛躍できるっていうか、そういうのがあるんだっていう。それが面白いよ。
~﹁劇場版エースをねらえ!﹂オーディオコメンタリーより抜粋~ 20年現在流通している﹁劇場版エースをねらえ!﹂BD収録のオーディオコメンタリーにおいて、出崎はこのように語っている。氏の映画︵作り︶観がよく表れている発言だろう。たった一秒、一瞬でも冴えたカット、シーン、描写がありさえすれば映画は成立し得るものである、という辺りに創作に対する自負と信念が滲んでいるのが分かる。この発言を引き合いに出したのは﹁劇場版エースをねらえ!﹂と﹁劇場版AIR﹂は極めて近いスタイルの構成がとられている映画であるということだ。﹁劇場版エースをねらえ!﹂は初出の単行本で10巻分、﹁劇場版AIR﹂は総プレイ時間が約20時間程度の原作をそれぞれ一本の映画にまとめているわけだがむろん制作のプロセスは異なる。﹁劇場版エースをねらえ!﹂は一度完結したTVアニメ版をきちんと原作の第一部完まで描く事に主眼が置かれ、ほぼリメイクに近い形で制作されている一方、﹁劇場版AIR﹂は原作のゲームクリアまでにかかる膨大な時間とそれに伴って展開される膨大なシナリオを大胆に削ぎ落として構成している。どちらも90分ほどの映画に収めるには原作内容が長大な量であり、作品として構成するにあたって展開の省略と肉付けが必要された点ではこの二作は共通している。 大きな違いは﹁劇場版エースをねらえ!﹂がほぼTVアニメ版で描かれた展開のリメイク、もしくは再編集版であることだ。一度通過した道である分、作品を俯瞰して捉えることが出来たと言える。対して﹁劇場版AIR﹂は前述したとおり、出崎が原作ゲームをプレイしていない事と、作品の抽出作業を脚本の中村誠に委ねていた事も相俟って、脚本は改稿に改稿を重ね︵オーディオコメンタリーを聞く限りでは6度ほど改稿している?︶、最終的には各稿のアイディアを繋ぎ合わせて、出崎が絵コンテを起こしている。そんな紆余曲折の末に出来上がった映画であり、コメンタリーやビジュアルブックの発言では準備稿での面白さ︵出崎曰く文章に描かれていない﹁間﹂が面白かったそう︶が改稿を重ねるごとに失われていってしまった、と語っていることからも生みの苦しみがあったことは窺えるだろう。 これら二作品についての共通項はこれだけではない。出崎が原作内容から映画というモチーフを形作るにあたって、取り出している物語要素にもその共通性を見出すことは可能である。氏の手がけた作品において、原作を忠実に再現した作品は皆無であるのはよく知られている話だ。原作内容を叩き台にして、出崎自身が作品を向き合う事で原作での描写よりも一歩踏み込んだものとなったり、作品解釈の奥行きを広げたりと、監督独自の解釈が良くも悪くも出来を左右していると言って過言ではない。﹁劇場版エースをねらえ!﹂﹁劇場版AIR﹂はその点でいうと非常に好対照だ。前者は出崎の手法が作品に対して見事に結実しているが、対して後者では出崎の解釈と作品内容が実は噛み合っていないのではという疑念が浮かんでくる。映画を構成する上で原石︵原作︶から切り出された大枠の要素において、両作が共通しているのは﹁男と女﹂﹁相手役との死別﹂あるいは﹁母親﹂の三点だ。同じ監督が手掛けているのだから当たり前だが、物語構造や性質においては重なるどころか、ジャンルすらもまったく異なる作品同士が﹁映画﹂となった際に、描き出された要素が似通うのはまさしく﹁個性﹂といって他ならないものだろう。しかしこれらの作品評価を眺めるに、出崎自身の﹁個性﹂が﹁作品﹂と噛み合ったのが﹁劇場版エースをねらえ!﹂であり、それらが噛み合わなかったのが﹁劇場版AIR﹂だと言える。これは興味深い現象ではないだろうか。かたや出崎の最高傑作のひとつと語り継がれる作品。他方、フィルモグラフィの中でも評価の低い部類に落ち着いている作品。どちらも﹁映画作品﹂であり、︵物語の質感が違えど︶出崎自身の﹁個性﹂がパッケージングされているのにも関わらず、この評価の落差は一体どういう事なのであろうか。 個性が噛み合った映画と噛み合わなかった映画。この二作品がどうしてそうなったかには何がしかの理由があるはずなのだ。元より原作を叩き台にして、自らの感性に基づいて作品を仕立ててしまうことから原作クラッシャーとも揶揄されてしまうことも少なくない出崎作品である。そして両作品ともに原作から離れた描きがあり、なおかつ上記のような共通項も見出せる映画なのだ。この事実から、この二作品は表裏一体の映画であるように筆者には思える。﹁劇場版エースをねらえ!﹂が成功例であるならば、﹁劇場版AIR﹂は失敗例なのである。出崎自身の﹁個性﹂にブレがないと考えるのであれば作り出された﹁成果﹂として、両作品の評価の温度差は面白いほどに違う。 なぜ﹁劇場版AIR﹂という映画は失敗してしまったのか。そこを紐解くために成功例である﹁劇場版エースをねらえ!﹂を踏まえて考えていきたいというのが本稿の趣旨である。
■﹃青春﹄というモチーフ ﹁劇場版エースをねらえ!﹂﹁劇場版AIR﹂の両作はそれぞれ趣の異なった映画だがどちらも青春を描いている。﹁劇場版エースをねらえ!﹂は主人公、岡ひろみがコーチの宗方仁にその資質を見出されて、テニスプレーヤーとしてその才能を開花させていくストーリー。﹁劇場版AIR﹂は旅芸人︵なのだろうか︶である国崎往人がとある海沿いの田舎町で出会った神尾観鈴とのひと夏の出来事を描いた物語として繰り広げられていく。前者は競技テニス、後者は原作のSummer編、平安時代を舞台にした翼人伝説をモチーフにしたエピソードをザッピングしながら、往人と観鈴の交流が主題である。青春を映画で描く、この映画が共通しているのは前項で上げた共通点からも明らかだ。では、反対にどこがどのように違うのか。一番の違いは各作の主要男性キャラであろう。 宗方仁と国崎往人。物語上において、各人ともヒロインを見守る相手役の役割を担っている。作品の性質上、宗方は︵スポ根︶少女漫画の主人公を叱咤する鬼コーチで、往人は美少女ゲームにおける︵プレーヤー︶視点人物である。なおかつ往人は登場するヒロインが抱える問題に︵解決するのではなく︶寄り添う人物としても描かれる、二面性を抱えたキャラクターであるのは言うに及ばない所だろう。宗方と往人の違いもまさにそこである。両作が物語構成的にスタイルが似ていると先にも述べたが、男性キャラの立ち回り方だけを取ってみると全く異なっている。端的に言えば、宗方はひろみの勝利を見届けたのち病床に臥してその命を全うし、対して往人は観鈴の死を胸に刻み、あてどない旅を続ける。これら映画の結末は非常に対照的だ。自分の夢をひろみに託して息絶えた宗方と観鈴の影が心に焼き付けられた往人。登場する男性の、物語の関わり方や主体性が異なるのは重々承知の上であるが、やはり宗方と往人はヒロインの関わり方、影響の与え方が正反対なのである。以下に各作劇中のセリフを引用する。
︻町に訪れた理由︵祭りの開催︶と人ごみの集まるが嫌いなのに祭りならいいのかという観鈴の問いに対して︼ ︵往人︶﹁わからない…でも祭りならなんか、みんな血が燃えてて、本気で笑ってくれそうな気がする…﹂ ︵観鈴︶﹁そうなんだ、本気ならいいんだね……︵往人は無言︶……本気が好きなんだ……﹂ ︵往人︶﹁…せえな! 関係ねえだろ! ……本気の本気なんてのはまだ見たこともない! 存在しないんだよ!﹂
︻サーブ・レシーブの実力テストの説明の後に︼ ︵宗方︶﹁始めろ!! 時間を無駄にするな!! ……時間を無駄にしていかん﹂
これらのセリフは宗方と往人のスタンスを大きく分けるものであるように筆者には感じられる。一口に言ってしまえば、精神的に大人であるか子供であるかの差に過ぎないのであるが、ゆえにこれらのセリフの論点になっているのは、﹁青春﹂というモチーフなのだ。両者のセリフには﹁青春﹂のどこに自分の身を置いているのかが滲み出ている。﹁劇場版エースをねらえ!﹂における宗方はセリフ自体が多くなく、ましてや心情が語られる場面はごく限られているが、上記引用には彼が青春の﹁外側﹂に位置しているのが見て取れる。﹁青春﹂、つまりモラトリアムとは限られた時間の中でしか存在しえない空間なのだ。作中において宗方は20代後半︵死亡時は27歳︶であることからも、すでに﹁青春を通り過ぎた人間﹂として岡ひろみを始め、青春真っ只中の県立西高女子テニス部を﹁俯瞰﹂している。その長いようで短い﹁青春﹂という時間を無駄にするなと叱咤するのは、すでに通り過ぎた者としての﹁義務﹂であると同時に自身の余命に対する自省も覗かせているのが興味深い。それは﹁劇場版エースをねらえ!﹂自体がTVアニメでは描き切れなかった原作第1部を描き切るために物語を﹁俯瞰﹂して構成されている事とも符合している。青春を外側から見つめる宗方と内側からその二度とない凝縮された時間を生きる岡ひろみ。彼らの関係は師弟関係である以前に、そういった青春の内と外によって結ばれる関係性であり、いずれはひろみもまたその外側に出ていくことが運命づけられているといっても過言ではない。無論、映画ではそこに至るまでの描きはないが、いずれは乗り越えなければならない頂が示唆されているのは疑いようのない事実だろう。
(小黒) 出崎さんがこれを作ってるときに﹁光と影で青春を描く﹂と仰ってたという話を聞いた事があるんですが。 (出崎) 覚えてないけど、まあそらそうだろうね。というよりも青春というのは﹁光と影﹂ですよ。多分、自分の若いときのことを思い出してみると、そういう風に思い出としてね、影が恥ずかしいことだったり、光がちょっと得意なことだったりするのかもしれないけど、人によって違うけど、そういうコントラストで残ってるような気がする。
~﹁劇場版エースをねらえ!﹂BD収録オーディオコメンタリー(出崎統・小黒祐一郎)より~
このオーディオコメンタリーにおいて出崎自身が﹁青春﹂を﹁光と影のコントラスト﹂と認識していることが読み取れるが、これを作中に照らし合わせてみてば、ひろみが宗方に見い出され自らも不相応だと認識しながらも、お蝶夫人こと竜崎麗華を始めとした周囲の視線に耐え、テニスの魅力に目覚めていく一連の流れは起伏に富んだ影︵過程︶とその先にある光︵結果︶によって構成されているのが分かるだろう。先ほどの青春の外と内で考えるならば、青春の真っただ中にいるひろみはまばゆい光であり、それを外側に眺める宗方は死を背負う影でもある。宗方とひろみの関係性のみをピックアップしてゆくと、﹁光と影のコントラスト﹂とは二人の師弟関係そのものであるし、宗方に選び出されてしまったひろみの成功と苦悩のコントラストによって、作品が色濃く描かれている。その点からも二人の立ち位置が﹁青春﹂というシチュエーションにおいて、はっきりと分かれているのが作品の明快さにも結び付いているのではないだろうか。 (中村) いわゆる監督の特有の演出方式みたいに世の中で言われていることがあるじゃないですか。たとえば﹁黒み﹂とかもありますよね。﹁黒み﹂はやっぱ意味があってやられているというのはあると思うんですけど、たとえばそれってどういう意味合いっていう。 (出崎︶いや、俺もねどっかでずるいなあと思ってるんだけど、光と影をある程度意識的にね、それを追っていくと映像は光と影でできているんだと思うんだけどさ。いつでも﹁黒﹂になれる。追っていくとね、﹁白﹂にもなれるし、光とつまり影の中で、これは影が、究極の画面なんだけどさ。心の中ってイメージがすごく強くて。そっから少し光が差し込んで﹁画面﹂になっていく。当たり前のことなんだけど、でもそれを心の中を、映像に出来ない時、逆に映像にしたくないって時に﹁黒﹂が来ちゃう。その割には﹁白い画面﹂はないんだけど、光があるとなんかやっぱりものが見えなきゃいけないだろうなっていう感じがしてて、そうなっちゃってるんだけど、変わっていくと思いますけどね。なんとなく自分のところで行き詰ったときに問題救済の一手として﹁黒い画面﹂が来ちゃったりするんですよ。
~﹁劇場版AIR﹂DVD収録オーディオコメンタリー(出崎統・中村誠)より~
﹁劇場版AIR﹂のオーディオコメンタリーでも先ほどの引用と似たニュアンスのことを出崎は発言している。ここでは直接表現と婉曲表現を白と黒、つまり光と影で住み分けているように読み取れるだろう。﹁画面﹂はこれらが混ざり合う形で成立するが、心情を読ませない表現として黒(影)が究極の画面となって表れてくるとしている。それはいわゆる仄めかし、あるいは婉曲表現となって、観客に解釈を委ねる事となるがやはりそこのコントラストがあればこそ、映像は成立していると出崎が言っているようにも思える。無論これらを青春に置き換えても、その事は明白だろう。特に﹁劇場版エースをねらえ!﹂においては、主要人物であるひろみと宗方を中心として、この﹁光と影のコントラスト﹂が作品全体に行き渡っている。﹁光と影で青春を描く﹂のが映画としての主眼であるのならば、恐らくどこから切り取ってもそのコントラストが成立している作品だという印象を持つのだ。では対して﹁劇場版AIR﹂はどうだろうか。再びオーディオコメンタリーでの発言を引用する。 (出崎) ほんとにこう、観鈴という人の若者としての危うさ、みたいのをね? 俺はすごく感じたのよ、最初。それがすごく面白いと感じたのよ。そういうことを映像で表現していく、というのはなかなかないから。ある意味で言うと僕は今まで色々、色んな仕事をやってきたけど、本筋の仕事だな、ってちょっとしたのよ。んで、一所懸命やってみようかなって思ってみてさ。 (中村) 僕もその原作を読んだ時に、その感じたのは若者がみんな殻に閉じこもってるなっていう感じがあって。で、原作だとそれがなんとなく打ち破られないままちょっと終わっちゃうみたいなとこがあったんですよ。で、それはなんかどうなんだろっていうのがちょっと気持ちの中にはあって。そこをこう、破る話みたいな? そういう方がいいんじゃないかって気持ちみたいのを少し入れてった、まあ入れてったんでしょうね。
(出崎) 若者がね?自分の世界の中に逼塞というかね、閉じこもって、で、そんな中で色々判断して、そういうことはね、殻から一見出られないようだけど、その。どっちみち大人になってくわけで。んで、世の中でもっともっと厳しいことに実際に出会ってってすると、その、殻に閉じこもっちゃいらんなくなるはずだと思うのよね。だから、それも描きたかったのよね、俺はね?でなんか人との出会いとか、まあそれはトラブル嫌いな人も多いけどさ。修羅場とか経験していくとそういう殻が死ぬと、﹁あの殻ってなんだったんだろ?﹂って思うぐらいにね、その脆弱なね、なんか薄いものになってってさ。いつの間にかその中から抜け出てる自分とかさ、なんか別のことに集中して、一生懸命に生きようとかすると、その殻が溶けてく、ような気がすんのよ。俺、まだ殻持ってるけどさ(笑︶
~﹁劇場版AIR﹂DVD収録オーディオコメンタリー(出崎統・中村誠)より~
ここでは出崎が﹁劇場版AIR﹂を制作するきっかけを話しているのと、脚本を担当した中村誠の原作に対する印象が語られているのが興味深い。出崎本人が﹁本筋の仕事﹂と感じるに至っているのは、登場人物たちの持っている若者ならではの閉塞感から来る危うさに惹かれて、という所にあるようだ。中村の方も同じように原作ゲームの登場人物たち︵というよりもメインの受け手である、当時の若い世代︶の﹁殻に閉じこもった﹂感覚を掴んでいる。ここでいう﹁殻﹂というのと﹁青春︵=モラトリアム︶﹂は同義であると考えられる。つまり監督と脚本家、その両者ともが原作ゲーム︵出崎は中村の準備稿を読んで、だが︶から感じられる﹁モラトリアムに閉じこもる若者像﹂を打ち破る話として﹁劇場版AIR﹂を手掛けたという事で一致している。ここは﹁劇場版エースをねらえ!﹂がモラトリアムを内外から捉えている物語として描かれているのに対して、大きな違いだと言えるだろう。そういうテーマのもとに作られている作品であるからこそ、﹁劇場版AIR﹂は徹底してモラトリアムの内側の話なのだ。 ゆえに﹁劇場版エースをねらえ!﹂の宗方仁に対して﹁劇場版AIR﹂の国崎往人はモラトリアムの内側に属する人間である。年齢設定も22歳と20代前半であること︵進学していれば大学生の年齢︶からもまだ﹁青春の最中﹂にいるのは間違いない。出崎・中村の言う所の﹁殻に閉じこもった若者﹂であり、その閉塞感から生まれてくる焦燥や行き場のないエネルギーを抱えている人間であるのは、先に引用した劇中のセリフに込められた﹁本気の本気なんて存在しない﹂という斜に構えた諦念からも感じ取れる事だろう。両作の映画としての成り立ち方が異なるのは先に触れているが、﹁俯瞰﹂して捉えることが出来た﹁劇場版エースをねらえ!﹂に比べると、﹁劇場版AIR﹂は極めて主観的な映画だと言える。それはつまり﹁青春﹂の描き方としては当事者性の強いフィルムでもある、ということだ。 往人は青春の渦中にいる。ヒロインである神尾観鈴もそれは同様だ。﹁劇場版エースをねらえ!﹂での宗方とひろみの関係性はテニスという競技においての師弟関係、あるいは青春の内と外に隔てられた上下関係といえるだろう。青春を﹁光と影のコントラスト﹂と出崎の言うように捉えた場合、宗方とひろみではどちらが光でどちらが影であるかが明確に分かれていくが、往人と観鈴の場合はそれぞれに﹁光と影のコントラスト﹂を内包している。同じ渦中にいる男と女として、お互いの欠落を感じ取り、それぞれの内面の深い所で結びついていく物語として出崎は﹁劇場版AIR﹂を仕立てている。 往人が宗方と異なるのはこの部分である。宗方はその身を青春の外に置き、あるいは自らの死期が近いことも察して︵あるいは国内女子テニス選手のレベルを底上げするという使命感から︶か、ひろみとはコーチと選手の関係を超えることはなかった。むしろ彼らを結び付けているのはテニスという球技であり、宗方はひろみに亡き母親の影を見てもそれ以上の感情を起こすこともなかったのだ。岡ひろみの青春に恋愛という比重が大きくかかることはなかったのは、宗方自身が既に青春を過ぎた大人であり、同時に死の影を抱えた人物であったことが大きく起因しているだろう。どちらにせよ、二人の間に恋愛以上の関係が生まれなかった︵ように見える︶のは、感情から生まれる欲求や葛藤をスポーツによって昇華することが出来たからに他ならない。青春という﹁光と影のコントラスト﹂をスポーツという外的な要因で処理できる作品構造である事と、宗方という存在位置がその中心から外れている事、加えて背負わされている物語機能(道半ばでの死︶も相俟って、映画の中ではひろみの青春に影響を与えてもわだかまりを残すことなく去っている。 逆に国崎往人の場合はまだ﹁取り残されて﹂いる人間だ。青春という大枠の中で観鈴と同じ場所に立っている。この二人の場合、間にお互いの感情や葛藤を受け止める緩衝材的要因が物語上に存在しておらず、お互いがお互いの感情や葛藤を受け止めなければならない構造となっている。それは原作が美少女ゲームという性質上、避けられない問題であるし、﹁エースをねらえ!﹂もスポ根ものという性質から映画で抽出された関係性がストイックなものになったとも考えられる。ともかく往人と観鈴はプラトニックな域を抜け出さないが、それぞれの﹁光と影﹂を受け止める格好で深い結びつきを持つに至る。だが﹁劇場版エースをねらえ!﹂とは反対に死別して﹁取り残される﹂のが男性側である往人なのだ。青春という﹁光と影のコントラスト﹂を処理してくれる対象が失われてしまうことで、彼の心の中にはわだかまりを抱えてしまう。観鈴の死という大きな傷を抱えて、往人は再び放浪の旅に出る所で物語は終わるが、その感情の流れは﹁劇場版エースをねらえ!﹂のひろみが宗方の死を引き摺らず︵むしろ知らぬまま︶終わるのと比べても、非常にドロッとしたヘヴィなものに感じられる。たとえわずかな時間でも同じ青春を生き、お互いの﹁光と影﹂を共有しあった者同士だからこそ、死せる者と生きる者のコントラストが色濃く表れてくるのだ。青春の中に死んでいった観鈴と青春は過ぎても人生が続いてゆく往人、それは宗方とひろみの関係とは異なり、一方は青春の中に死を伴って閉じ込められ、他方、青春の中から外へ解き放たれて生きてゆく(もちろん解き放たれるためのダメージは負っている︶という﹁生と死﹂のコントラストも重ねられている。コメンタリーでの発言を拾う限りでは、出崎は映画を通じてそのように作品を捉えていたように思えるのだ。 (以下発言は全て出崎) キャラクターたちがなんかこう変化しようとする時にね、それはその自分の意志と同時に周りの幸運というか、どんな厳しい状況でもね? それは幸運だと思うのよね、それは自分を変えなきゃなんない状況にぶつかったりするとね? だから俺、なんか殻ってそういうものだと思ってるし、大いに固まってるときにね、その殻に入ってる時に自分を見つめてくれればね、絶対溶けてくんだと思うんだよね。だからこの往人くんなんかもね、殻とかね 死んだのか、死に対する考え方って色々とあると思うんだけど、それが残っていくし、なんか誰か人の心に渡していくしっていうのはずるいけどさ、だけどそれがせめてもの救いだよね。だから往人が最後にね、観鈴のキーホルダー持ってるって、つまんねえことだけど! とりあえず俺の心の中にあいつが残ってるよみたいな。一生残れよ、この野郎!とかって思いで、俺はラストシーンつくったんだけど、でもまあ往人の、ねえまたねえ、きっとね、可愛い子なんか出会ったら、忘れちゃうんだろうなあ…(笑) それもまたしょうがないよな?
~﹁劇場版AIR﹂DVD収録オーディオコメンタリー(出崎統・中村誠)より~ 上記引用からも見て取れるが、若者のモラトリアムに閉じこもった状態を﹁殻﹂と出崎・中村両氏は表現している。どちらの認識もそれはいずれ破らなければならないものという点に立脚しているのは明らかだ。 かのヘルマン・ヘッセが代表作﹁デミアン﹂において﹁鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生れようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない﹂と記していることからも分かるように、出崎は青春をヘッセの語っている﹁卵の殻﹂として捉え、往人や観鈴に破らせようとした。それが出崎の狙いであったように感じられる。 しかしその狙いは﹁AIR﹂という作品を考えた場合、やや的外れに思えるのも事実なのだ。﹁青春﹂というモチーフに基づいた映画における登場人物の構図としては物語の定型に則っているのだが、﹁劇場版エースをねらえ!﹂と比べると﹁劇場版AIR﹂、ひいては原作﹁AIR﹂そのものが作品として重層的な構造となっている為に、﹁青春﹂というモチーフだけを取ると﹁劇場版AIR﹂は物語として、﹁ズレ﹂が生じているように見えるのだ。それは先ほども説明したように作品自体が﹁青春﹂の当事者性の強い主観的な内容であり、同時に﹁青春︵モラトリアム)﹂の中で登場人物たちがより内面に向かっていくことで深く結びついてく物語でもあるからだ。そしてそこにまつわるモチーフとして﹁恋愛﹂が絡んでくることとなる。次項では話題をそこへ触れつつ、映画に生じた﹁ズレ﹂を見ていきたい。
話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選
さて、今年もやってまいりました。話数単位で選ぶ、TVアニメ10選です。
毎年、放映されたTVアニメの中から話数単位で面白かった回を選ぼうという企画。
新米小僧の見習日記さんが集計されている、年末の恒例企画です。
﹁話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選﹂参加サイト一覧: 新米小僧の見習日記
大まかなルールは以下の通り。
ルール
・2018年1月1日〜12月31日までに放送されたTVアニメ︵再放送を除く︶から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。
本ブログは8回目の参加です。なお過去の10選は以下のリンクから。 話数単位で選ぶ2011年TVアニメ10選 - In Jazz 話数単位で選ぶ2012年TVアニメ10選+α - In Jazz 話数単位で選ぶ2013年TVアニメ10選+α - In Jazz 話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選+α - In Jazz 話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選 - In Jazz 話数単位で選ぶ、2016年TVアニメ10選 - In Jazz 話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選 - In Jazz 筆者としては﹁記録を残す﹂という点で、企画に参加してます。なお今年に置きましては色々と﹁宿題﹂を残してしまっていますので、10選コメントについては手短にまとめてあります。むしろ全話見てない作品からの選出もしていて、かなり寄せ集めな感じです。ご了承ください。ちなみにスタッフ名等々は敬称略となっております。日付は地上波放映日、Web上の公開日の最速に準拠しています。
︽話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選︾
・DEVILMANcrybaby IX﹁地獄へ墜ちろ、人間ども﹂(1/5)
︵脚本‥ 大河内一楼/絵コンテ‥湯浅政明/演出・作画監督‥小島崇史︶
原作の衝撃回に真っ向勝負をかけた一本。物語全体が不寛容さや人の獣性、死にまとわりつくエロスを描いた生理的嫌悪に背徳を覚える作品だったが、選定話数はその象徴ともいえる回。暴徒に祭り上げられた美樹の生首に艶かしさを感じさせる辣腕を思い知った。
・多田くんは恋をしない 第8話﹁雨女だったっけ?﹂(5/24)
︵脚本‥ 中村能子/絵コンテ・演出‥藤原佳幸/作画監督‥山野雅明、瀧原美樹、凌空凛、伊澤珠美、菊池愛、助川裕彦、市原圭子︶
人が恋に落ちる瞬間を描ききった一話。河口湖に野営し、星空を待つというベタなシチュエーションながら、奇を衒わずヒロインテレサの情緒を見事に活写した。平成末期の東京という舞台において、あえて﹁東京タワー﹂を出してこない試みなどその清新なドラマは地味ながらも冴えていた。
・メガロボクス ROUND3﹁GEAR IS DEAD 絶望の果ての負け惜しみ。機械はハナから息しちゃない﹂(4/20)
︵脚本‥ 真辺克彦/絵コンテ・演出‥和田高明/作画監督‥和田高明、原田大基︶
﹁あしたのジョー﹂を原案にして作られた近未来ボクシング作品。この回で、ジャンクドッグを始めとするチーム番外地が出揃った。アンダードッグ︵負け犬︶どもが明日なき明日を目指して向かおうとする姿は心惹きつけられるが作品がそれを完遂できたかはまた別問題。和田高明によるボクシング描写は流石といったところ。
・働くお兄さん!第10話﹁レンタルDVD屋のお兄さん!﹂(3/9)
︵脚本‥ 高嶋友也/監督‥高嶋友也/シリーズ構成‥宇佐義大/キャラクターデザイン‥小田ハルカ︶
ショートアニメ。2期をまったく見ることができなかったが、やはり映画ファンネタはコメディとして鉄板というか。キャラクターを始めとしてデザイン周りが非常に秀逸だったし、回を増すごとにおとぎ話を絡めたギャグ描写の拍車がかかってたのもドライヴ感があってよかった。この回はさるかに合戦。
・22/7 ﹁あの日の彼女たち﹂day03 立川絢香(5/24)
︵絵コンテ・演出‥若林 信/作画監督‥堀口悠紀子︶
YouTube公式配信作品。秋元康による二次元アイドルグループ﹁22/7﹂の何気ない日々を切り取った内の一編。なんというか、こういう悪戯っぽさやはぐらかし方が思春期の少女らしい描写だが、それを堀口悠紀子という望外の人材によって描かれる作画と気鋭の若手演出家、若林信の競演によって成立させた企画者の慧眼が物を言う。百聞は一見にしかず。以下にリンクを張っておく。同シリーズはどれも必見。
・うちのメイドがウザすぎる! 第1話﹁うちのメイドがウザすぎる!﹂(10/7)
︵脚本‥ あおしまたかし/絵コンテ‥太田雅彦/演出‥守田芸成
/作画監督‥伊澤珠美、杉田まるみ、鈴木絵万、濱口明、山崎淳︶
動画工房によりスクリューボール百合コメディ。とにもかくにも鴨居つばめというアンタッチャブルなキャラクターの一点突破で成立する、心に傷を負った幼女の超克ドラマだがそのアンバランスな物語を有無を言わさぬ作画力で押し切ったのは挨拶代わりの初手としてはこの上ないものだったかと。
・ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風 第4話﹁ギャング入門﹂(10/27)
︵脚本‥ ヤスカワショウゴ/絵コンテ‥木村泰大/演出‥鈴木恭兵
/作画監督‥森藤希子、重本和佳子、岩崎安利︹アクション︺/総作画監督‥田中春香︶
Vsポルポ︵ブラックサバス︶編。5部以降、複雑化の一途を辿ることになるスタンドバトルだがその魅力をアニメで表現する事に注力した話数だと思う。同時に5部の真の意味での﹁始まり﹂が描かれたエピソード。イタリアらしい陰影の濃さにジョルノという﹁黄金の精神﹂のストイックさもまた重なって、5部の凄惨さが浮き彫りになったのも見逃せない。
・青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない第3話﹁君だけがいない世界﹂(10/20)
︵脚本‥横谷昌宏/絵コンテ‥増井壮一/演出‥篠原正寛/作画監督‥宮粼詩織、三木俊明、石毛理恵/総作画監督‥田村里美︶
前年︵Just Beause!︶に引き続き、鴨志田一原作の選出。西尾維新の﹁物語シリーズ﹂フォロワーとも言うべき作品であるが、昨今﹁空気﹂とも呼ばれる、目に見えない﹁圧力﹂をテーマにしている辺りがオリジナルとは一線を画すか。その第一章の完結編。先祖返りしたかのような学園青春ドラマをどストレートに展開して、甦らせた点に目を見張る。青臭くもあり、若さゆえの歪みを調律するという点は非常に電撃文庫らしくもあるが、現代性も携えているのが面白さだろう。
・HUGっと!プリキュア 第38話﹁幸せチャージ!ハッピーハロウィン!﹂(10/28)
︵脚本‥ 横手美智子/絵コンテ・演出‥平池綾子/作画監督‥上野ケン/総作画監督‥山岡直子︶
ハロウィン回。15周年という事もあって﹁お祭り感﹂の否めない今年のプリキュアだが、あえて﹁らしい﹂話数を選んだ。今シリーズは若手である平池綾子が頭角を現した点が個人的に目を引く。﹁らしさ﹂は人によって異なると思うが、15年培ってきたスタイルに新味を加えるという点では、プリキュア初登板となった横手美智子ともども健闘していたように思う。特別なことはしない、﹁いつも﹂のプリキュアを演出することの大事さをこと強く感じた話数だった。
・少女☆歌劇レヴュースタァライト第12話﹁レヴュースタァライト﹂(9/28)
︵脚本‥ 樋口達人/絵コンテ・演出‥古川知宏、小出卓史
/作画監督‥松尾亜希子,小里明花,谷紫織,清水海都,小池裕樹,錦見楽,杉山有沙,大下久馬,小栗寛子,櫂木沙織,角谷知美︶
今年、アニメで一本選べと言われたら、この作品を選ぶ。結果的に﹁舞台演劇﹂をアニメーションで表現することに挑戦していた作品であるし、生の舞台には出来ない表現で追いつき追い越そうとしていた。﹁二層展開式少女歌劇﹂の名目が災いしたのか、間口の狭い作品となってしまった感はあるが、それ以上に一度惹き付けられたファンを逃さない︵逃せられない︶構造は強固でもある。短い文章ではこの作品は語り切れない。やり残した﹁宿題﹂も本作にまつわるものだが、何とか完遂したい所。選んだ話数に一言添えるとしたら、物語そのものが﹃レヴュースタァライト﹄だったという事。どういう事なのかは、別の機会に改めて。
︻次点︼ 少女☆歌劇_レヴュースタァライト第3話﹁トップスタァ﹂,第6話﹁ふたりの花道﹂,第8話﹁ひかり、さす方へ﹂ HUGっと!プリキュア第15話﹁迷コンビ...?えみるとルールーのとある一日﹂、第29話﹁ここで決めるよ! おばあちゃんの気合のレシピ!﹂、第33話﹁要注意!クライアス社の採用活動!?﹂
︽終わりに︾ 今年2018年の総括を書こうと思いましたけど、上手くまとまらないので割愛します。まあ、今年は時代を考えられるほどには作品を見ていないというのもあるので、ともあれ。 昨年の総括で、時代の空気はなにかしら﹁淀み﹂を帯びたものになってきている、と語りましたがこの一年を振り返ってみると、国内ではその﹁淀み﹂が恐ろしい速度で広がり﹁汚染﹂されてしまった、としか言いようのない停滞感あるいは疲弊がそこかしこで目に見えてきた年だったのではないでしょうか。
良くも悪くも今年を象徴したMV、Childish Gambino﹁This Is America﹂で表現されているように﹁この不条理な世界こそ、アメリカだ﹂といわんばかりに各国、内憂外患の状況が続いているし、日本も他人事ではないかと。加えて、﹁平成﹂がいよいよ終わります。そういった時代背景からも色々と岐路に立たされているのは言うまでもないだろう。零細ブログで現状を憂えてもしかたないけど、舵取りひとつでいつ急転直下してもおかしくはない状況であるのは確か。だから注視しなくてはならない、のだと思う。 という風に書いてもいいんですけど、別に政治的なことが書きたいわけではないので。色々くたびれてきているというのが肌感覚としてありますが…。観測範囲ではやはり世間的に百合作品の飛躍した年かなあとも思いますが、バズッた作品を熱心に見ていたわけではないのでそこを語るにしてもなんだかなあという感じが自分の中にあったり。いや、個人的には﹁少女☆歌劇_レヴュースタァライト﹂をずっと追いかけていたわけですが、いかんせん全話感想がまだ終わってないのが心残りといいますか。まだまだ自分の中でケリがつかずにいる作品なので、噛り付いてもやりきりたい所存です。なのでお待ちいただいている人たちはもう少しご辛抱を。時間はかかると思いますが自分でもやり遂げたいと思っていますので。 今年のアニメ鑑賞についてはそんな感じで情熱を傾けすぎたせいで、他が霞んでいるという状態がずっと続いている状況でしたね。こんなのは滅多にないことではありますが、もうしばらく続きそうです。というわけで今回は縮小版という形で記事をまとめてみました。まあなんとか10本かき集められたので良しとします。平成最後の年末がこれでいいのか、という気もしなくはないですが、今年の記録として心に刻めたので悪くはないでしょう。それではひとまず今年の締めとして。 以上が自分の﹁話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選﹂でした。各所で関わりになった方々には本年もお世話になりありがとうございました。来年もまたお付き合いいただければ幸いです。それでは今年も残りわずかですが、よいお年を。
本ブログは8回目の参加です。なお過去の10選は以下のリンクから。 話数単位で選ぶ2011年TVアニメ10選 - In Jazz 話数単位で選ぶ2012年TVアニメ10選+α - In Jazz 話数単位で選ぶ2013年TVアニメ10選+α - In Jazz 話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選+α - In Jazz 話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選 - In Jazz 話数単位で選ぶ、2016年TVアニメ10選 - In Jazz 話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選 - In Jazz 筆者としては﹁記録を残す﹂という点で、企画に参加してます。なお今年に置きましては色々と﹁宿題﹂を残してしまっていますので、10選コメントについては手短にまとめてあります。むしろ全話見てない作品からの選出もしていて、かなり寄せ集めな感じです。ご了承ください。ちなみにスタッフ名等々は敬称略となっております。日付は地上波放映日、Web上の公開日の最速に準拠しています。
︽話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選︾
![f:id:terry-rice:20181222000358j:image:w360 f:id:terry-rice:20181222000358j:image:w360](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/terry-rice/20181222/20181222000358.jpg)
︻次点︼ 少女☆歌劇_レヴュースタァライト第3話﹁トップスタァ﹂,第6話﹁ふたりの花道﹂,第8話﹁ひかり、さす方へ﹂ HUGっと!プリキュア第15話﹁迷コンビ...?えみるとルールーのとある一日﹂、第29話﹁ここで決めるよ! おばあちゃんの気合のレシピ!﹂、第33話﹁要注意!クライアス社の採用活動!?﹂
︽終わりに︾ 今年2018年の総括を書こうと思いましたけど、上手くまとまらないので割愛します。まあ、今年は時代を考えられるほどには作品を見ていないというのもあるので、ともあれ。 昨年の総括で、時代の空気はなにかしら﹁淀み﹂を帯びたものになってきている、と語りましたがこの一年を振り返ってみると、国内ではその﹁淀み﹂が恐ろしい速度で広がり﹁汚染﹂されてしまった、としか言いようのない停滞感あるいは疲弊がそこかしこで目に見えてきた年だったのではないでしょうか。
良くも悪くも今年を象徴したMV、Childish Gambino﹁This Is America﹂で表現されているように﹁この不条理な世界こそ、アメリカだ﹂といわんばかりに各国、内憂外患の状況が続いているし、日本も他人事ではないかと。加えて、﹁平成﹂がいよいよ終わります。そういった時代背景からも色々と岐路に立たされているのは言うまでもないだろう。零細ブログで現状を憂えてもしかたないけど、舵取りひとつでいつ急転直下してもおかしくはない状況であるのは確か。だから注視しなくてはならない、のだと思う。 という風に書いてもいいんですけど、別に政治的なことが書きたいわけではないので。色々くたびれてきているというのが肌感覚としてありますが…。観測範囲ではやはり世間的に百合作品の飛躍した年かなあとも思いますが、バズッた作品を熱心に見ていたわけではないのでそこを語るにしてもなんだかなあという感じが自分の中にあったり。いや、個人的には﹁少女☆歌劇_レヴュースタァライト﹂をずっと追いかけていたわけですが、いかんせん全話感想がまだ終わってないのが心残りといいますか。まだまだ自分の中でケリがつかずにいる作品なので、噛り付いてもやりきりたい所存です。なのでお待ちいただいている人たちはもう少しご辛抱を。時間はかかると思いますが自分でもやり遂げたいと思っていますので。 今年のアニメ鑑賞についてはそんな感じで情熱を傾けすぎたせいで、他が霞んでいるという状態がずっと続いている状況でしたね。こんなのは滅多にないことではありますが、もうしばらく続きそうです。というわけで今回は縮小版という形で記事をまとめてみました。まあなんとか10本かき集められたので良しとします。平成最後の年末がこれでいいのか、という気もしなくはないですが、今年の記録として心に刻めたので悪くはないでしょう。それではひとまず今年の締めとして。 以上が自分の﹁話数単位で選ぶ、2018年TVアニメ10選﹂でした。各所で関わりになった方々には本年もお世話になりありがとうございました。来年もまたお付き合いいただければ幸いです。それでは今年も残りわずかですが、よいお年を。
音楽鑑賞履歴(2018年11月) No.1279〜1286
月一恒例の音楽鑑賞履歴。
8枚。
今月からようやく2016年購入分に突入です。いやあ、長かった。
とりあえずDavid Bowie﹁★﹂の感想がかつてなく長くなってますが、いろいろあった年なので文量も増えた感じです。
気づけば今年も一ヶ月を切りました。今年もなんだかんだありますが、暮れが近づくと思うことも様々です。
とりあえずやらなければいけないことを処理しつつ、新しい年を迎えられればいいなと。
というわけで以下より感想です。
![Bongo Fury Bongo Fury](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/515hvIH3Z3L._SL160_.jpg)
- アーティスト: Frank Zappa
- 出版社/メーカー: Zappa Records
- 発売日: 1995/05/02
- メディア: CD
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・75年発表20th︵通算︶。ザッパが学生時代よりの親友であるキャプテン・ビーフハートと共演した唯一のアルバム。基本的にビーフハートがマザーズのライヴに参加した時の音源で、テリー・ボジオがザッパのアルバムに参加した最初の一枚でもある。内容は下世話な泥臭さと理知的な構成が入り混じっている
この盤を聞くだけでも、ザッパとビーフハートが同じ方向性を見ているようでまったく別方向の方法論で音楽をやっているということがなんとなく察せられ、お互いの仲がどうであれ、資質的には水と油なのは見て取れる。ザッパは理論的であるし、ビーフハートは感性が勝っている。
あくまでビーフハートがザッパのライヴで客演してる体裁なので、がっぷり四つで火花を散らしているわけではないので注意が必要だが、アクの強い両者の個性が絡み合っており、アルバムとしては他とは異なった独特さもある作品だ。全盛期ともいえる70年代中期のマザーズからの移行期でもあるの含めて。
本作はザッパ作品の中でもきわめてアーシーな作品でもある。73年の﹁オーヴァーナイト・センセーション﹂から本作に至るまでは、高度なアンサンブルと楽曲の密度の濃さの一方、土埃っぽい垢抜けないサウンドなのだが、その土臭さが特に濃厚なのだ。ぬかるんだ泥のような粘っこい演奏が聴けるのは珍しい
ビーフハートの影響があるのかは定かではないが、その雰囲気に呑まれて、楽曲もスマートというよりはなにかのた打ち回った印象が強く、ザッパ特有のスマートさが陰に隠れているようにも感じられるか。しかし聞けば、間違いなくザッパサウンドなのは確か。そういう点ではアクがさらに強くなった一枚かと。
![★(ブラックスター) ★(ブラックスター)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/314BbVsiaoL._SL160_.jpg)
- アーティスト: デヴィッド・ボウイ
- 出版社/メーカー: SMJ
- 発売日: 2016/01/08
- メディア: CD
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16年発表28thにして遺作。自身の誕生日︵1/8︶にリリース、その二日後の1/10に亡くなるというニュースは世界に衝撃を与えた。この突然の訃報によって、さまざまな議論や賛否が渦巻き、このアルバムは死というバイアスのかかった過大評価であるという向きもあったが、改めて聞くとその像が見えてくる。もちろんこれはボウイが全世界へと向けた﹁遺言状﹂、あるいはスワンソングであることは疑いようもないし、ボウイはデヴィッド・ロバート・ヘイウッド・ジョーンズではなく、デヴィッド・ボウイとしての最期をこれ以上にない形で表現したのはいうまでもないが、あえてそこから一歩引いて考えたい。作品の内容はジャズバンドのマリア・シュナイダー・オーケストラのメンバーが多数参加したジャズ要素の強い作品という触れ込みであるが、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティによれば、ケンドリック・ラマー、ボーズ・オブ・カナダ、デス・グリップスなどに影響を受けたものであるという。実際聞いてみるとわかるように、このアルバムは少なくとも﹁ロックアルバム﹂ではない。ヒップホップも入っているし、テクノもあれば、演奏陣の出自でもあるジャズも感じる。ヴィスコンティの語った影響先から考えると、これらが統合されたものが本作であると感じる。結果的にではあるが、本作でヒップホップとテクノを繋げたのはロックではなく、ジャズなのだ。いや、ロックもいわゆる新世紀ジャズとして市民権を得る、新しい形のジャズに内包されてしまっていると言い切ってしまってもいいだろう。ことこのアルバムにおいてはロックはまったく主体ではないのだ。
10分近くに及ぶ1曲目だけを聞いても、ビートの感覚、メロディの展開は少なくともロックの格式ばったものとは異なり、非常に自由かつ開放的だ。サビがありギターソロがあり、のようなものではなく、ボーカルと演奏が個々に独立していながらも呼応しており、なにかしらの塊として形作られている。生音と電子音のビートがユニゾンしたり、ギターやサックスなどがアドリヴのように曲空間に旋律を漂わせ、ボウイのボーカルも呼応するように変幻自在に乗っかっていく。もちろん歌詞の内容を見ていくと、迫り来る死に直面したボウイの内面を感じるがそれすらも音楽に導かれて出てきたものにすら思える。アルバム全体を聞いていくと、ジョン・フォードの演劇へのオマージュや、ゲイの間で使われた話法ポラーリ、﹁時計じかけのオレンジ﹂で使われた人工語ナッドサットなどの引用も本作の演奏とまったく等価に扱われており、その全てが有機的につながっている。まるで細胞が入れ替わるように。ボウイの歌唱もバンドの演奏もインプロヴィゼーションでもあり、めまぐるしく変化していく。ともすれば節操もない印象も受けるが、死が生を解き放っていくかの様にありとあらゆるものを呑み込んで収束していく様はマイルスの﹁ビッチェズ・ブリュー﹂で繰り広げられるパッションの逆流を見る思いだ。
そういった自由闊達さは非常にジャズ的であり、ボウイが根ざしてきたロックミュージックもその中のひとつに組み込まれていく。拡散から収斂へ。このアルバムの表現しているのはそういうものであると思う。だからこそ、I Can't Give Everything Awayと結ばれていく、そのプロセスが非常に美しくある。ロックスターからブラックスターへ。そして黒き星は次なるビッグバンに向けて眠る。だからこそ、今、最も生命的な現代のジャズに寄り添っていったのではないかと思う。完全に勝手な憶測ではあるが、最後の最後に﹁種﹂を残していった、んだろうと。今改めて聞くと、その音楽的な自由さに驚くばかりだ。自由とは創造性と置き換えてもいいかもしれない。このボウイの置き土産はそういう可能性を残しながらも、ひとまず﹁葬った﹂一枚でもあると思う。だからこれはロックアルバムではなく今最も自由に満ち溢れた﹁現代ジャズ﹂の一枚として聞いた方がすんなりと聞ける様な気がする。
ボウイの求めていた音楽や表現も本来はそういうものだったんだろうと、おこがましくも思うわけだが、ボウイが末期に表現した音楽がジャズであることはやっぱり皮肉的でもあるし、時代は変わったのだ。しかし、ボウイは最期までボウイだった。それでいいのだと思う。立つ鳥跡を濁さず。R.I.P.
![META META](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51ieGFrIzaL._SL160_.jpg)
- アーティスト: METAFIVE(高橋幸宏×小山田圭吾×砂原良徳×TOWA TEI×ゴンドウトモヒコ×LEO今井)
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2016/01/13
- メディア: CD
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16年発表1st。現状唯一作か。14年1月に﹁テクノリサイタル﹂と称して高橋幸宏がライヴを行った際のスペシャルバンドがそのままグループとして発展して製作されたアルバムがこちら。Leo今井、砂原良徳、テイ・トウワ、ゴンドウトモヒコ、小山田圭吾、高橋幸宏といった錚々たる面子のスーパーバンド。
内容としては10年代型のテクノポップといっても過言ではないもので、YMOのオリジナルメンバーである高橋幸宏とそのYMOチルドレンたるミュージシャンの競演であり、高橋幸宏らしいウェットなメロディが全体を貫く中で、現代のテクスチャーを纏ったエレクトロサウンドがポップに響き渡る。
メンバーがそれぞれの特色を生かしつつ、楽曲によって入れ替わり立ち替わり、Voすらも替わって行く中で不思議と統一感があるのはなんというか、ディレクションが際立っているという印象を持つか。メンバーの砂原良徳自らがマスタリングを手掛けているのもあり、全体にグループの意図が行き届いた良作だ
![curve of the earth curve of the earth](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41qezv9EkeL._SL160_.jpg)
- アーティスト: mystery jets
- 出版社/メーカー: carol
- 発売日: 2016/01/15
- メディア: CD
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16年発表5th。前作から4年ぶりの新作。故スティーブ・ジョブズがスピーチで内容を引用したことでも知られる﹃全地球カタログ﹄の監修者、スチュワート・ブランドの思想にインスピレーションを受けた作品。堅実かつ地に足についた佳作であった前作からスケールアップした印象を受ける。
前作のアーシーさを引き継ぎつつ、サウンドスケープの景色をタイトルのとおり、地球を俯瞰するような視点で捉えており、テンポはミドルが主体ながら、バントの持ち味であるサイケ感と宇宙的な浮遊感が重なって、果てしなく広がる空間を遊泳する心地になる。しかしそれが野放図にならないのがスゴい。
前作までに培った滋味あるメロディに一音一音に重みを感じ、自由に浮遊しているようで、軸足はきっちりと地球に根差している。指針がはっきりとした内容・演奏だからこそ、壮大なサウンドもバンドとして自然な変化に感じられるか。過去の経験の研鑽と積み重ねが結実した、最高傑作といっていい名盤だ。
![ボールルーム ボールルーム](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51H5XWGyiAL._SL160_.jpg)
- アーティスト: TAHITI 80
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2014/09/10
- メディア: CD
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14年発表6th。時代の流行に乗ってか、彼らなりのエレクトロポップスを志向したアルバム。音の感触は3rdに近いが、そちらはヒップホップ色もあり、比較的サウンドがソリッドだったが本作は80s前半オマージュが色濃い、滑らかでソフトなメロディーが際立つ作品。レトロモダンという点でも今風な印象。
しかし、元来のポップマニアな一面が功を奏して、かつてのエレポップが60年代のポップスやR&Bを下敷きに置いたように、過去から現在に至るまでの膨大なデータベースによる練り込まれたメロディを、カドの取れたシンセサウンドで鳴り響かせている。そこに卓越したセンスを垣間見る作り。
シンセの温かみのある音、というと語弊はあるがシンセ音にグルーヴを求める昨今の流れとは一線を画しており、オマージュにオマージュを重ねたウェットなメロディラインをシンセで奏でる心地よさに比重が置かれてる点にポップマエストロたる矜持を感じる一枚。聞けば聞くほどじわじわ染み渡る好盤だ。
![adore life adore life](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41OsgqjSu5L._SL160_.jpg)
- アーティスト: savages
- 出版社/メーカー: matad
- 発売日: 2016/01/22
- メディア: CD
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16年発表2nd。現代ポストパンクガールズバンドの第二撃。ライヴツアーで鍛えたらしい、持ち味の骨太さには拍車がかかった印象。金属質なギターとよりソリッドになったリズムにはメンバーの確信に満ちたアディテュードを感じ、心強くもある。過度な派手さよりも、真に迫ろうとする求道的な趣も強い。
ポストパンクと称してはいるが、本作はバンドサウンド以外のキーボードの演奏やゴシックロックやガレージ、メタル︵ハードロック?︶に接近した楽曲もあり存外、バリエーションにも富んだ作りが目を引く。反面、バンドの演奏が単調なせいか、その主体の演奏よりも、オブリガードに面白い響きを感じた。
この点ではけっこうサウンド等々、バンドそのものが柔軟になったとも考えられて、興味深いが同時にひとつのスタイルにこだわり続ける事も、ことロックという分野においてはかなり困難が伴ってしまうのは時代の流れゆえか。飛躍作だが、まだまだ余白があるはず。今後に期待を持ちたい。
![創世記 創世記](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41XAR6HWK2L._SL160_.jpg)
- アーティスト: アース・ウィンド&ファイアー
- 出版社/メーカー: Sony Music Direct
- 発売日: 2004/09/01
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83年発表12th。二匹目のどじょう狙いというべきか、Prophet 5の分厚いシンセサウンドによるエレクトリックブギーとアースらしいコズミックなディスコブギーとのギリギリの臨界点を見極めた一作。なかなかキワドいバランスで成り立っている印象で、一歩間違えば踏み外していた事も容易に想像できる作り
いずれにせよ、前作の成功再びという面は否めないが楽曲の質は非常に安定しており、サウンドプロダクション的には今、再評価されてもいい内容にもなっている。ホーンズを効果的に使う曲がある一方で、シンセ主体になっている楽曲もあり、方向性を模索していた、ということも見て取れる。
ただそれ以前に、バンド自体のキレと勢いが鈍りつつあるのも感じられるか。一定以上に仕上がっているのは確かなのだが、演奏も非常に﹁手慣れた﹂雰囲気でクリエイトするという面では減退している事は否めない。佳作ではあるが、最前線から足が遠のきつつある事も感じてしまう、翳りのある一枚か。
![ゲット・アウト・オブ・マイ・ヤード ゲット・アウト・オブ・マイ・ヤード](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61K6EV0H3BL._SL160_.jpg)
- アーティスト: ポール・ギルバート
- 出版社/メーカー: WHDエンタテインメント
- 発売日: 2006/07/26
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06年発表6th。意外にもソロキャリアでは初のギターインストアルバム。今まで本人のソロアーティストとしての拘りが、全編インストを頑なに拒否してたという趣旨がライナーにも書かれているが、内容も彼のソロキャリアを反映したようなもので、過度のテクニカル指向には陥っていない。
もちろんギタープレイヤーとしては確固たる実力の持ち主であるのは疑いようも無く、曲によってはテクニカルな趣向を凝らした演奏もしている一方で、彼のポップ志向やルーツのブルース、クラシックなどのエッセンスも抽出されていて、過去のソロ作の作風をインストに落とし込んでいる印象が強く残る。
重低音のへヴィさを押し出すよりかは、カラっとしたハイノートのギターフレーズをポップに響かせることを信条としているプレイヤーと言う印象もあってか、ファンク調の楽曲も重くならずに聴けるのが面白い。ソロとしての彼の魅力はインストアルバムでも変わりないことが確認できる作品。