「普通」の親が子供を追い詰める
このブログの中で、私は母と自分との関係の問題点について、沢山エントリを書いてきたけれども、私の母は、ごくごく﹁普通﹂の人だ。母ぐらいの世代の典型的日本人と言ってもいい。表面上は非常に善良な一市民なのだ。
母は﹁普通﹂に依存していると言っても良い。批判されることや失敗を恐れる性格なので、﹁普通﹂の中に住み込むことで、安定と安心を得ようとするのだ。だから、自分のテリトリーを﹁普通﹂に保っておかないと、途端に不安になる。そのテリトリーとは家族だ。ただし、夫は自分より力が強いので、コントロールし切れない。母のコントロールの手は、必然、子供たちに伸びることになった。子供が少しでも、母にとっての﹁普通﹂から外れようとする兆候を見せると、母は無意識的に、子供を﹁普通﹂の枠の中に引き戻そうとした。そうしないと母は不安だったのだ。
私は幼い頃、幼稚園で、他の子は皆一緒に何かをしているのに、別室で一人で黙々と絵を描いているような子供だった。あまり積極的に他の友達と遊ばず、一人遊びが好きな私は、母にとってあまり望ましくない子だったのかもしれない。﹁普通﹂に依存する母は、私の個性や適性をほとんど無視した。普通、お姉ちゃんは下の子の面倒を見るもの。普通、親戚の集まりで、女の子が気を利かせて手伝っていないのは恥ずかしい。しかも母は、他人からの批判を恐れる性格だから、私が他人の前で﹁良い子﹂でいないことに神経を尖らせた。なので私は、母と他の大人の人と一緒にいる時は、余計なことをしないように、できるだけおとなしく振舞った。
母も、私の本来の特性は、頭では理解していたように思う。しかし、本当の意味では理解していなかった。私を尊重するということができず、﹁普通﹂という枠の中に当てはめることしかできない。他人からの批判を恐れる母は、他人に気を遣うということはできるが、他人を尊重することがあまりできないように思う。
私に対する評価軸は、﹁良いお姉ちゃん﹂でいるかどうかでしかなく、それ以外の私の個性は、ほぼ無視された。まるで教育ママが、子供のことを﹁良い成績﹂を取っているかどうかでしか評価せず、それ以外に子供にどんなに良いところがあっても、教育ママの前では意味を成さないかのように。
こういった母の性質は、私の進路を決める段階において致命的に働いた。母はおそらく、このまま娘を放っておくと、娘は﹁普通﹂から外れた進路を選択してしまうと思ったのだろう。しかし、母は直接的に娘に進路を押し付けるというようなことはしなかった。そのような親は、﹁普通﹂に考えても悪い親なのだから。﹁普通﹂の親は、子供の自主性を尊重するものだ。
なので母は、従姉妹の例を出し、﹁ああいう仕事って、よっぽどコネがないと、やっていけないらしいよ﹂と言った。そうすることによって、一度私の頭をまっさらな状態にしておいてから、﹁あんたはこういう仕事に向いてるんじゃないの﹂と言うことによって、私を誘導した。私は非常に素直に、﹁社会のことを全然知らない私より、お母さんのほうが、社会の現実を知ってるだろうなぁ﹂と思ってしまい、また、既に﹁お姉ちゃん﹂として洗脳されていたこともあって、すんなりと誘導されてしまった。母が誘導した進路を、自分で選択したものと思い込んでしまったのだ。
母が誘導した進路は、全く私に向いていなかった。私は精神的にかなり追い詰められていたが、﹁自分が好きで選んだ道なんだ。楽しいからやってるんだ﹂と自己暗示をかけている状態だった。だが、通学途中にふっと線路に飛び込んでしまいたくなる段階になって、好きでもないし楽しくもないと認めざるを得なくなり、その進路は辞めることにした。
しかし、辞めたあとも、﹁結局ダメだったけど、自分で選んだ進路だから、自分の責任なんだ。悪いのは私なんだ﹂という洗脳は解けず、その後の進路も、自分で選択したつもりが、無意識に母がNOと言わない範囲内でしか選ばないことになり、自分に向いていない職業ばかりを選択し続けた。また精神が徐々に追い詰められて、死にたいような気分になり、とうとう働けなくなってしまった。
﹁私は、この社会で生きていけない人間なんだ﹂と思い込んだ。今から思えば、それはある意味では正しい。私は、母が想定する狭い狭い﹁普通﹂という社会の中では、生きていくことができない人間だったのだ。
結局、安心安定を求めたはずの母の行動は、安心安定とは程遠い結果を招いてしまった。そうして子供を壊してしまっても、母は自分に原因があるのだという自覚がない。そもそも、自分が望んで子供を誘導したのだという自覚がない。働けなくなった子供のことを、怠け者の穀潰しとしか思えない。何せ自分は﹁普通﹂なのだから。
母は、﹁子供には、高学歴も高収入も求めないけど、そこそこ安定した仕事に就いて欲しい。もちろん子供の自主性は尊重する。でも、﹃それ、食べていけるの?﹄と思うような道に進まれるのは不安﹂という、親としてごくごく普通の感覚の持ち主なのだ。他人から見ても、母は表面上、どこも悪くないように見えるだろう。どこにでもいる、善良な一市民なのだから。
﹁普通﹂の親は、自分の﹁普通﹂という牙城を守っておくために、家族を巻き込む。家族を自分のために生きさせ、人生を取り上げる。
モラハラ
親が自分の期待を本音で子供にぶつけていれば、子供も﹁私はそうしたくない﹂と、まだ言い返すことができます。しかし、自分から言い出したように誘導されてしまっては、逃げ道をふさがれて、親の期待を拒否(きょひ)することすらできなくなってしまいます。
そういう親は﹁子供のためを思ってしただけ﹂﹁子供のほうから言い出したこと﹂と巧みに自分の期待を偽装し、そういった期待を自分が持っていたということに無自覚、無意識な場合が多い。こういう親子は一度関係がこじれると、なかなか元に戻りません。脅(おど)すつもりはありませんが、﹁親は子供に過剰(かじょう)な期待をしてしまうものだ﹂ということをくれぐれも肝(きも)に銘(めい)じて、子供に接してください。