日本人の知らない天皇制の隠された恐ろしさ
m_debugger氏の﹁日本人でもわかる天皇制の耐えられないキモさ﹂2009-04-29
http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090429/1241015076
はいいエントリだと思った。でも説明がまったく足りないと思ったのでコメントしたが後で承認制なのに気づいた。そうこうしている間にブックマークがどんどん増えたので、とりあえずコメントを再掲しておくことにする。
私の意図を追記して、はっきり書けば ﹁その実際的な有り様を観察すれば現在も天皇を中心とする宗教︵国家神道︶は日本人全ての中で生きているが、日本人はまったくそれを自覚していない。自分が天皇を尊敬する事の意味をわかっていない。それに対し一部の人間︵例えば阪本是丸のような人︶はそれが戦前と同じなのだとを明確に意味づけようとしているし、西尾幹二のような人は今も戦前と同じように天皇が主権者なのだと公式に確認しようとしている﹂という事です。こういう恐ろしい事態とそれへの国民の無理解・無関心を思えばm_debugger氏の言う﹁キモイ﹂はまったく納得できます。 ともかく天皇の祭祀なんぞを見て、同情したり感心したりして欲しくないという事だ。また﹁天皇を尊敬する事の意味﹂を歴史的に問うべきだ、という事だ。国家神道というわずか63年前の制度が、今ではまったく理解されないまま忘れられた。しかしそれだけでは済まず、今は天皇崇拝者や国家主義者、あるいは愛国心強要をはかる政府によって、勝手に違う意味づけをされかねない。
それを防止するには、国家神道とは何か?天皇の宮中祭祀は我々国民にとってどんな意味を持つのか?を知り、その上での議論が必要だろう。 ︵追記︶なお島薗進氏は、国家神道に関し多くの論文を発表しているが、そのほとんどは宗教関係の学術誌に掲載されているので世間に流布していない。島薗氏は自分のHPでその一端を公開しアピールしている。 ﹁国家神道は解体されたか?﹂2008-3-16︵http://shimazono.spinavi.net/index.php?itemid=77︶ ﹁国家神道はどのようにして国民生活を形づくったのか?﹂2008-8-13︵http://shimazono.spinavi.net/index.php?itemid=82︶
︵以下はm_debugger氏へのコメント再掲︶ m_debuggerさんこんにちわ。なかなかグッドな記事ですね。最近これについて他人を批判した事もありコメントさせてください。 1まず宗教学者の島薗進氏は現在も国家神道は継続しており、ほぼ全ての日本人は実質的にはその信者である、と問題を提起していますね。 ◆﹁国家神道‥無宗教の国に多くの支持者﹂島薗進︵朝日新聞2008年2月11日︶ ﹃日本人の多くは無宗教だと言われる︵略︶では戦前はどうか?問題を解く鍵の一つは﹁国家神道とは何か﹂を明らかにすることだ。︵略︶﹁解体﹂されたのは国家と神社神道の結合であり皇室神道の中核は維持された。その後皇室神道と神社神道の関係を回復し、神社の国家行事的側面を強めようとする運動が活発に続けられてきた。︵略︶1945年以後も広い意味で国家神道は存続している。︵略︶無宗教と言われる日本人だが国民が否応なく国家神道への関与を強いられ、思想や信教の自由を失いかねないという不安には最もな理由がある。︵略︶﹄
2また天皇研究者である原武史氏は、天皇の重要性は宮中祭祀の執行にあり、それは戦前と今でまったく変わっていない、つまり天皇から見て国家神道は戦前と変化はない。しかしその儀式は研究者さえ見たことがなく又それの日本国民に対する意味はまったく議論されない、と◆その著書﹁昭和天皇﹂で指摘していますね。
3そしてつい最近NHKが天皇結婚50周年を記念した番組の中で、その天皇の宮中祭祀の様子を少しだが放映した。そしてなんとそれを見て畏敬の念に捉われたという愚か者が出ています。◆﹁NHKスペシャル 象徴天皇 素顔の記録、見たよ﹂http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090411/1239408289︶。
これは恐ろしい事態だと思う。しかしこの番組を見て天皇に尊敬の念を覚えたid:finalventなど多数の日本人も、その意味を理解していないと思うと、より一層違う意味で本当に恐ろしい。 私は島薗、原両氏の示した事柄がもっと議論されるべきだと思う。最近出た﹃宗教と現代がわかる本2009﹄︵平凡社 2009.4︶での両者の対談は非常に参考になると思う。国家神道はなくなったのか?天皇を尊敬するというのは宗教なのか?戦前に信教の自由はあったのか?天皇は今も元首なのか?など、もし日本人が真面目にこれに向き合えば驚くべき議論が展開されるでしょう。そしてその議論の結果によって宮中祭祀がきちんと日本人から拒否され、天皇が本当に象徴︵ただのお飾り︶になることを願っています。 上記追記してid:emesh他にTBする
私の意図を追記して、はっきり書けば ﹁その実際的な有り様を観察すれば現在も天皇を中心とする宗教︵国家神道︶は日本人全ての中で生きているが、日本人はまったくそれを自覚していない。自分が天皇を尊敬する事の意味をわかっていない。それに対し一部の人間︵例えば阪本是丸のような人︶はそれが戦前と同じなのだとを明確に意味づけようとしているし、西尾幹二のような人は今も戦前と同じように天皇が主権者なのだと公式に確認しようとしている﹂という事です。こういう恐ろしい事態とそれへの国民の無理解・無関心を思えばm_debugger氏の言う﹁キモイ﹂はまったく納得できます。 ともかく天皇の祭祀なんぞを見て、同情したり感心したりして欲しくないという事だ。また﹁天皇を尊敬する事の意味﹂を歴史的に問うべきだ、という事だ。国家神道というわずか63年前の制度が、今ではまったく理解されないまま忘れられた。しかしそれだけでは済まず、今は天皇崇拝者や国家主義者、あるいは愛国心強要をはかる政府によって、勝手に違う意味づけをされかねない。
それを防止するには、国家神道とは何か?天皇の宮中祭祀は我々国民にとってどんな意味を持つのか?を知り、その上での議論が必要だろう。 ︵追記︶なお島薗進氏は、国家神道に関し多くの論文を発表しているが、そのほとんどは宗教関係の学術誌に掲載されているので世間に流布していない。島薗氏は自分のHPでその一端を公開しアピールしている。 ﹁国家神道は解体されたか?﹂2008-3-16︵http://shimazono.spinavi.net/index.php?itemid=77︶ ﹁国家神道はどのようにして国民生活を形づくったのか?﹂2008-8-13︵http://shimazono.spinavi.net/index.php?itemid=82︶
︵以下はm_debugger氏へのコメント再掲︶ m_debuggerさんこんにちわ。なかなかグッドな記事ですね。最近これについて他人を批判した事もありコメントさせてください。 1まず宗教学者の島薗進氏は現在も国家神道は継続しており、ほぼ全ての日本人は実質的にはその信者である、と問題を提起していますね。 ◆﹁国家神道‥無宗教の国に多くの支持者﹂島薗進︵朝日新聞2008年2月11日︶ ﹃日本人の多くは無宗教だと言われる︵略︶では戦前はどうか?問題を解く鍵の一つは﹁国家神道とは何か﹂を明らかにすることだ。︵略︶﹁解体﹂されたのは国家と神社神道の結合であり皇室神道の中核は維持された。その後皇室神道と神社神道の関係を回復し、神社の国家行事的側面を強めようとする運動が活発に続けられてきた。︵略︶1945年以後も広い意味で国家神道は存続している。︵略︶無宗教と言われる日本人だが国民が否応なく国家神道への関与を強いられ、思想や信教の自由を失いかねないという不安には最もな理由がある。︵略︶﹄
2また天皇研究者である原武史氏は、天皇の重要性は宮中祭祀の執行にあり、それは戦前と今でまったく変わっていない、つまり天皇から見て国家神道は戦前と変化はない。しかしその儀式は研究者さえ見たことがなく又それの日本国民に対する意味はまったく議論されない、と◆その著書﹁昭和天皇﹂で指摘していますね。
3そしてつい最近NHKが天皇結婚50周年を記念した番組の中で、その天皇の宮中祭祀の様子を少しだが放映した。そしてなんとそれを見て畏敬の念に捉われたという愚か者が出ています。◆﹁NHKスペシャル 象徴天皇 素顔の記録、見たよ﹂http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090411/1239408289︶。
これは恐ろしい事態だと思う。しかしこの番組を見て天皇に尊敬の念を覚えたid:finalventなど多数の日本人も、その意味を理解していないと思うと、より一層違う意味で本当に恐ろしい。 私は島薗、原両氏の示した事柄がもっと議論されるべきだと思う。最近出た﹃宗教と現代がわかる本2009﹄︵平凡社 2009.4︶での両者の対談は非常に参考になると思う。国家神道はなくなったのか?天皇を尊敬するというのは宗教なのか?戦前に信教の自由はあったのか?天皇は今も元首なのか?など、もし日本人が真面目にこれに向き合えば驚くべき議論が展開されるでしょう。そしてその議論の結果によって宮中祭祀がきちんと日本人から拒否され、天皇が本当に象徴︵ただのお飾り︶になることを願っています。 上記追記してid:emesh他にTBする