(1934)
昭和9年
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1月、友人、正木不如丘が所長を務める富士見高原療養所に入所。﹁旅中備忘録﹂を﹃若草﹄に連載。﹁病床遺録﹂は、後に藤村によって﹃改造﹄に発表される。
9月1日、結核のため逝去。︵享年49歳︶看護の人々へ﹁ありがとう﹂の言葉を残す。
青島へ行っていた不二彦は、臨終に間に合わなかった。
10月、友人、有島生馬により、雑司ヶ谷霊園︵豊島区︶に、﹁夢二を埋む﹂と刻まれた墓碑が建てられる。
﹃令女界﹄︵11月号︶夢二追悼号では、不二彦は、﹁秋風よ情あらば﹂を寄せる。これ以降、夢二についての回想記述・作品編集、絵画の鑑定に関わる。
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昭和9年
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4月、慈雲堂病院を退院。宮城県石巻の松巖寺に招かれて滞在する。以降、次々に友人宅に居候する。
9月、「辻潤君全快を祝う会」が催される。
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