DBエンジニアを中心に取材を重ねてきた本コーナー。今回登場するのは日本、否、世界のデータベース界のラスボスと呼んでも過言ではない、おなじみ喜連川優教授。喜連川教授といえば、超巨大データベースに関する研究。これは、内閣府の最先端研究開発支援プログラムで採択された課題の中で、唯一IT分野からのプロジェクトである。研究者の立場でずっとデータベースに携わってきた喜連川教授は「ビッグデータ」という言葉が出る前からビッグデータを研究している。時折「スモールデータで何が悪いねん」「なんぎなもんですわ」と関西弁でユーモアを交えながら話してくれる、喜連川教授のデータベース観をうかがった。
亜流だったコンピュータを選んだ理由は?
「コンピュータは正しいプログラムさえ書けば
正しく動く。裏切らない」
﹁喜連川といえばデータベース。ずーっとデータベースをやってきました﹂とデータベース一筋の喜連川先生。その出発点を探ろうと、専攻を選んだ当時を尋ねようとすると﹁いまより悲惨でしたよ﹂と言う。
当時コンピュータに関係する学科となると﹁Electrical Engineering﹂で、主流は通信だった。中学生のころ﹁“体育館一面に並ぶコンピュータと書いた記事”を新聞で目にした﹂という世代である。人工知能や仮想現実などまだまだ先のこと。当時はコンピュータを専門にしようとすること自体が亜流だった。﹁未来がどれだけあるか分からない﹂―当時はそのくらい注目度や期待が薄いという意味で﹁悲惨﹂だそうだ。
そんなに不確実なものを選んだのはなぜかと尋ねた。先生は﹁人生、思い通りになるものは少ないですから﹂と話し始めた。
﹁ぼくは車の運転が下手でね。車は“こうやって動かす”と分かっていても、雨が降ったら滑ったりするわけですよ。機械も化学も思った通りに動かないことがある。しかしコンピュータは正しいプログラムさえ書けば正しく動く。まだ当時はそんなに大きなプログラムはなかったですけどね。何よりも裏切らない。“平和”な気がしました﹂
・・・ちょっと不器用なところもあるらしい。
亜流、そして未知の世界。データベースの道案内となったのはクリス・デイト︵Christopher J. Date︶の書籍だった。デイトはリレーショナルデータベース解説ではわかりやすさで定評があり、なかでも﹁An Introduction to Database Systems﹂は多くの大学で教科書として採用されている。日本では訳書として﹁データベースシステム概論﹂が出ている。
先生曰く、初期のコンピュータといえばミサイルの弾道など、計算が主な用途だった。大学内だと建造物の強度計算などをしていたりする。一方企業ではそうした計算はさほど興味の対象にはならない。﹁企業にとって本当のアセット︵資産︶となるのはデータ︵情報︶です。コンピュータはいずれ計算からデータの管理へと向かうだろう﹂と喜連川先生は考え、この信念で歩んできた。そして﹁いまようやくそういう時代になってきました﹂と話す。
本流と亜流の道はどう違うか。本流、つまり人気で花形となるような道はある程度先人が確立しているのでライバルがひしめく。競争が激しい世界とも言える。一方、亜流の道だと競争は少ないかもしれない。しかし前人未到ゆえに開拓していかなくてはならない。ゆえに﹁孤独ですよ﹂と喜連川先生。しかし﹁誰もやらないことをやる﹂、そこに研究者としての意義や使命を感じながら歩んできたように見える。
﹁昔からへなちょこでね。競争したら負けるんですよ﹂
そんな風に笑って謙遜する。