- 作者: 岡田武史,羽生善治
- 出版社/メーカー: サンマーク出版
- 発売日: 2011/10/05
- メディア: 単行本
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内容紹介 熾烈な勝負の世界で勝つこと、そして勝ち続けること。 身を斬り、骨を削るような厳しさにさらされながら、勝負の綾や不条理、怖さを知り尽くしてもなお勝負に挑みつづける勝負師たち。 彼らが見ている世界、そして戦いに挑む流儀とはどんなものか。 日本のサッカーを世界のベスト16まで導いたサッカー界きっての勝負師・岡田武史氏と、稀代の天才棋士と呼ばれる羽生善治氏。 サッカーと将棋、それぞれの戦いにおける、勝負勘の研ぎ澄ませ方、勝負どころでの集中力の高め方、そしてメンタルの鍛え方――それらをぶつけ合っていただいた熱戦対論。 勝負の世界にのめりこみ、そこで勝ち抜く一流の勝負師たちの話は読み応え十分。 でも、そもそも勝負哲学は一流の勝負師たちだけのものではないはず。 勝負の世界に身を置く方だけでなく、一般ビジネスマンや主婦、学生など、誰しもにとって訪れる﹁ここが勝負どころ!﹂においてヒントとなる珠玉の言葉が満載です。 あの名場面の舞台裏の話も交え、大いに盛り上がった対談。 臨場感そのままにお届けします。
羽生さんと岡田前監督。 日本を代表する﹁数々の勝負に勝ってきた人﹂が、それぞれの﹁勝負哲学﹂について語り合った本です。 僕が羽生さんの著書をかなり読んできたということもあり、この本では、岡田監督︵﹁前﹂は外しちゃいますねもう︶の話に印象的なものが多かったです。 羽生さんは、今回は﹁ホスト役﹂として、岡田監督の言葉を引き出そうとしていたように感じられました。 この本を読んでいると、﹁勝負師﹂というのは、その﹁勝負の場﹂以外にも、たくさんの試練が待ち受けているものなのだな、と考えさせられました。 羽生さんの場合は、﹁個人競技﹂ですが、岡田監督の場合は、﹁日本代表﹂としてのプレッシャーがのしかかります。 岡田監督が、最初に代表監督となったフランスW杯の予選のときの話。 岡田監督‥それで交代直後の試合が敵地で引き分けに終わり、日本へ帰ってきてのホームゲームもまた引き分け。この時点で自力での予選通過は消滅、いきなち崖っぷちに立たされました。 試合後、サポーターの暴動が起きるなど、案の定、世間の評価はひどいものでしてね、﹁代表監督は岡田なんかじゃ務まらない﹂とマスコミにはボロクソに言われるし、サポーターからもじゃんじゃん脅迫電話がかかってきました。自分が有名になるなんて思っていなかったから、当時はまだ、電話帳に電話番号を載せていたんです。脅迫状もたくさん来ましたよ。箱に﹁毒入り﹂と書いてあるサツマイモが送られてきたこともあります。最悪の時期には警察のパトカーが二十四時間、家の周囲をパトロールしていたし、子どもの学校への送り迎えも危ないからと車でしていたんです。 家族にも危害が及ぶかもしれないと思ったら、ほんとうに怖くなりましてね。﹁冗談じゃない。おれが何か悪いことをしたのか、こんなのやってられない﹂、そんな気持ちで、正直、監督なんか辞めたかったです。自分からやりたいと手を挙げたわけでもありませんしね。逃げ出したかった。 あのころは毎日、頭がおかしくなりそうな思いを抱えてのたうち回っていました。プレッシャーは自分を鍛える重力だなんて、いまだからいえることで、あのころはとても、そんな余裕はなかったなあ。
この﹁毒入りサツマイモ事件﹂以来、岡田監督は、﹁しばらく食べものを口にするのが怖かった﹂そうです。 先日のワールドカップ男子の南アフリカ大会や、女子のドイツ大会のように、活躍できれば﹁国民的スター﹂ですが、調子が悪いとこんな目に遭わされるというのでは、正直、﹁割にあわないよなあ﹂と感じずにはいられません。 代表監督というのは、ピッチの中でだけ戦っているわけではないのです。 いや、僕だって日本代表が不甲斐ない試合をすると、テレビの前で悪口を言うことがあります。 でも、選手たちだって、同じ人間なんですよね。
この対談では、ふたりが出会ってきた、さまざなま﹁勝負師﹂たちの話も出てきます。 羽生‥これは余談ですが、加藤一二三先生は対局中に立ち上がって、実際に相手の向こうへ回りこんで、仁王立ちで相手の背中越しに盤をにらむことをします。
岡田‥はは。ただ、それはどうなんですか、かまわないんですか。マージャンとは違って手を盗み見るわけじゃないから、別にいいのか。
羽生‥マナー上、かまわないというわけでもないんですが、加藤先生だから仕方がないということになっています︵笑︶、しかし、そうまでしても中立の目を欲しがる気持ちはよくわかりますね。頭の中で盤をひっくり返すより、実際に、反対側から見たほうがわかりやすいですし。
正直、同じ局面を反対側から見ることに、気分的な問題以外に何の変化があるのだろう?と思うんですよ。 でも、﹁そこまでしてしまうくらいの、勝負へのこだわり﹂ってすごいですよね。 いや、やられる相手は、たまったもんじゃないだろうけど。
岡田監督は、ポジティブ・シンキングの重要性について、こんな話をされていました。 岡田‥ある用事でサッカー協会の人に電話をしたとき、その人の横にたまたまAという選手がいたことがありました。Aは海外でプレーする日本代表の選手で、帰国して自主トレの最中だったようです。その人が﹁Aがそばにいるんですけど代わりますか﹂というので、Aともしばらく話をしてなかったこともあって代わってもらったんです。 そうしたら、Aは開口一番、あっけらかんと﹁ぼくのためにわざわざ電話ありがとうございます﹂なんていうんです。彼と話したくて私が電話をしたと思い込んでいるんですね︵笑︶。Aが海外で結果を残している理由の一端がわかった気がしました。プラス思考で、つねに自分中心で物事を考えているんです。でも、そのくらいのほうが勝負ごとでは力を発揮できますよ。
羽生‥また、それくらいのほうが結果を引きずらないし、気分転換もうまいはずです。 一般的な社会人であれば、﹁空気読めよ……﹂とか思われそうなキャラクターではありますが、海外に出て結果を残せるような選手は、このくらいのポジティブ・シンキングが望ましいのかもしれません。
ふたりの対談を読んでいて感じるのは﹁考え方の柔軟性﹂と﹁適材適所という発想﹂でした。 岡田監督は、いろんなタイプの選手を組み合わせていくことで、﹁チーム﹂をつくっていきました。 羽生さんも、現在は﹁自分の型﹂にこだわるよりも、あえてリスクを取って、自分を高めたい、と語っておられます。 ﹁名監督﹂とか﹁名棋士﹂にも、いろんなタイプがいます。 でも、多くの人は、その幅を狭めてしまっているのです。 岡田‥サッカーの監督にも継続型と変化型の両タイプがいましてね。いまレアル・マドリードを率いているジョゼ・モウリーリョという監督は変化型で、チェルシー、インテルといった欧州の強豪チームを渡り歩いた優勝請負人です。 ﹁おれはナンバーワンの指導者だ﹂と豪語するような強烈な自負とカリスマ性をもった人間ですが、その彼がマンチェスター・ユナイテッドの監督アレックス・ファーガソンをある意味尊敬すると言うのです。﹁あれだけ勝ち続けても、同じチームをまだ勝たそうとしている﹂、それが尊敬の理由なんですよ。 ファーガソンはマンUをもう30年近く率いているんです。貧しい造船工の家庭に生まれた苦労人で、あんな苦労は二度とごめんだという気持ちが、彼をひとつところへとどまらせているのかもしれませんが、モウリーニョとは好対照の継続型の指導者です。どっちも名将で、どっちがいいということでもなく、新しいことにチャレンジする勇気、同じことを継続できる粘り、そのふたつは同価値なんだと思います。 あのモウリーニョ監督でさえも、﹁自分にはないキャラクターを持っている﹂ファーガソン監督に敬意を払っているのです。 そして、﹁チャレンジ﹂と﹁継続﹂は同価値なのだけれども、その一方で、それぞれのチームの状況において、必要とされる指導者のキャラクターは異なります。 まあ、モウリーニョ監督であれば、大概のチームは優勝させてしまいそうな気もしますが、長い目でみたチーム作りという点では、あまり長くひとつのチームに君臨することのないモウリーニョ監督にも弱点があるのです。 ︵あとは、ついつい周囲と衝突してしまう、強烈な性格も︶
最後に、岡田監督の言葉のなかで、いちばん印象的だったものを御紹介しておきます。 緊張感あるコーチングというのはひとつの例にすぎなくて、要するに、環境が人をつくるんです。W杯というすごい環境に見を置いたら、選手はほんとうにびっくりするくらい伸びました。終わってから、いったい何人が海外でプレーするようになったか。長友なんて、あのインテルですよ。そのわりには、あいつ、私に一円も送ってこない︵笑︶。人を育てるのは人じゃありません。環境です。その環境をつくってやるのが指導者の役目であり、コーチングの真髄じゃないでしょうか。 ﹁人を育てるのは人じゃありません。環境です﹂ もちろん、環境をつくるのも﹁人﹂ではあるわけです。 でも、﹁人の力﹂を信じるあまり、﹁環境を整えること﹂に無頓着な指導者というのは、本当に多いですよね。 この言葉、僕も肝に銘じておきます。