![援デリの少女たち 援デリの少女たち](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ZZxXm3-SL._SL160_.jpg)
- 作者: 鈴木大介
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2012/11/21
- メディア: 単行本
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内容紹介 いま大手出会い系サイトで﹁女性からの援助交際のカキコミ﹂の9割は、﹃援デリ﹄と呼ばれる﹁素人を装った業者﹂だと言われている。﹁打ち子﹂と呼ばれる統括者の男が出会い系サイトのメールのやり取りで客を取り、実働部隊である女に客を振り分けて売春させるというもので、数年前から都市部を中心に全国区で激増している売春組織である。 著者は6年半にわたり、複数の援デリ業者の内部に密着し丹念に取材してきた。その内情は凄まじく、18歳に満たないホームレスの少女や、施設を脱走した障害者の女の子、組み抜けしたヤクザ、雇い止めをされた元派遣労働者の男らによる経営……。それは少女たちにとって決して﹁高額バイト﹂などというものではなく、まさに命がけの戦いだった。 暴力団による援デリ狩り、少女を喰う買春男たち、そこで生き抜く少女たちの押しつぶされそうになる不安と、自由……。日本社会の末端をえぐる迫真のルポルタージュ。 制服姿の女の子の大きな写真と﹁援デリ﹂の文字が目立つ表紙。 書店でレジに持っていくのがちょっとためらわれて、結局、Amazonで買いました。 2000年代前半から、家出少女や売春で生計を立てる未成年をテーマに取材をしてきた僕にとって、援デリという売春組織の業態は、ごく自然に耳に入ってきたように思う。 業態の誕生は2005年末頃から。昨今では新聞報道などでもたびたび援デリの文字を見ることができるが、﹁援助交際デリバリーヘルスの略である﹂とする報道に反して、当初から援デリは新興の性風俗ではなく、あくまで個人的に売春をする少女・女性の延長線上にあった。そして取材をするほどに、そこには様々な社会問題が凝縮していることに気づいた。 貧困、虐待、様々な家庭問題を抱え、もう二度と帰らない覚悟で家出をしてきた少女たちにとって、援デリは一つの受け皿になっていった。 住民票を移すこともできず、アパートも借りられず、何の資格も身分証明書も持たず、自分用の携帯電話すら持てないという少女たちにとって、﹁援デリ﹂というのは、﹁お金と居場所を確保するための、もっともわかりやすい手段﹂なのです。
もちろん、18歳に満たない女性が風俗で働くことは﹁違法﹂です。 しかし、18歳以上なら、﹁風俗で働くのも職業選択の自由﹂と言い切っていいのかどうか? その一方で、﹁風俗で働くのは不幸なことだし、そんな仕事をするくらいなら、極貧生活を送っていたほうがマシ﹂なのか?
著者は﹁現場﹂で、さまざまな少女たちを取材しています。 そして、この業界で働いている少女には家庭に問題を抱えているだけではなく、知的障害、精神障害、薬物中毒などの障害を持つ場合も多いのだそうです。 坂巻さんが言うには、障害のある女性といっても程度はさまざま。容姿は批評に優れていても、勤める風俗店で次々と血生臭いトラブルを起こす女性もいれば、今回取材したみぃちゃんたちのように﹁歩く姿からして普通じゃない女性﹂もいる。注意しながら都心の街中を歩いていれば、このようなターゲットはいくらでも見つかるという。 ﹁そういう女は、頼れる身内があるほうが珍しい。知的障害の親はだいたい知的障害だし、精神障害や薬物中毒はみんな家族から見放されているから、誰にも頼れない。若いうちはカラダを売れるけど、特に知的障害がひどい女はカラダが売れない年齢になったら、あとは施設に入って生きていくしかない。俺は売れるうちに、売るのを助けてるだけです﹂ ﹁知的障害者の親も知的障害というのは、ずいぶん乱暴ですね﹂ ﹁実際そうなんだからしょうがねーだろ。親が知的障害で、同じ障害を持った娘にガキの頃から売春させてるなんて、当たり前の話ですよ、俺が見てる世界では。でもそういう子、全部施設に突っ込んで、パン焼かせたり小細工教えて、中坊の小遣いにもなんないような端金やって、それが人道的なんですか? 障害者はそういうところに入れろっていうほうが、差別じゃないですか。障害者だって、自分でウリでもやって働いて、自分の欲しいもの買いたいって思ってるなら、やらせてやんのが人道的なんじゃないですか?﹂ 巻き舌の不良口調から出た、思いも寄らぬ﹁人道的﹂という言葉に、僕は返す言葉がなかった。
彼女たちには﹁正社員になれるような仕事﹂は、ほとんどありません。 というより、﹁安全で、安定した収入を得られる仕事﹂がほとんどないし、あったとしても、それを淡々と続けていくのが難しい。 でも、食べていかなければならないし、少しくらいはオシャレをしたり、美味しいものも食べたい。
風俗というのは、女性にとって﹁究極のセーフティネット﹂だという人もいます。 資格も不要で︵﹁接客﹂には、それなりの技術が必要みたいですが︶、身体ひとつで働けて、けっこう高収入。
しかし、この本を読んでみると、﹁違法な業者の指示に従い、見知らぬ男の前で二人きりの状態で裸になり、性行為をする﹂というのは、なんと危険な行為なのだろう……と考えずにはいられません。 仮に、利用客の9割が﹁普通のおじさん﹂だとしても、ひとりの人間が回復不能なまでに傷つけられるのは﹁残りの1割の異常性癖や無理を強要する男﹂がいれば十分なのですから。
僕はこの本を読むまで、﹁こんなことを未成年の女の子がやっている日本社会は狂っている、絶対にやめさせるべき﹂だと思っていました。 いまでも﹁こんなことをやらないで、みんなが幸せに暮らしていけるのなら、無いほうがいい仕事﹂だと考えてはいます。 ﹁障害を持つ人たちを﹃利用﹄する業者﹂に嫌悪感もあります。 でも、その一方で、﹁障害者だからという理由で、この世の中で﹃清貧﹄であることを強要される、あるいは、そうならざるをえない﹂というのも、やはり﹁差別的﹂ではあるんですよね。 彼女たちにだって、﹁あれが欲しい﹂というような欲望はある。 しかしながら、﹁稼ぐための方法﹂は、売春しかない。 未成年はもちろん﹁アウト﹂ですが、18歳以上なら、障害を持つ女性でも﹁それで稼ぐことを選ぶ﹂のを全否定できるのか? ﹁知的障害者だから、選択する力がない﹂と決めつけて、施設で﹁清貧な生活﹂を送らせるべきなのか?
本当は﹁清貧か売春か﹂しか選択肢が無いことそのものが問題なのだけれど。
また、著者は﹁買う側の男﹂にも取材をしています。 ﹁いったい、どんな人が﹃援デリ﹄で買春をしているのか?﹂ 援デリマニアともいうべき、中井さんという人は、取材のなかで、こんなことを言っていたそうです。 再び、中井さんの言葉が、汚物じみたものになった。中井さんが援デリ業者の少女にハマっている理由は﹁不幸だから﹂だというのだ。 ﹁援デリの子、なんていうか、不幸な子が多いじゃん。ああいうの、いいよね。なんていうか、不幸な子って美味しいんだよ。業者の子って基本、マグロじゃん? セックスで気持ちいいとか知らない子も多いしさ。人間不信じゃん。なんか、ただ金のためにやってますとか、この時間我慢したら金になるみたいに考えている子って、分かるんだよ、俺最近。業者の子は普通の子より金稼いでるけど、金銭感覚麻痺してんのは逆に普通に学校とか行きながら下着とか売るような、バイト感覚の援交やってる子だよ。業者の子って、金のありがたみ分かってるしさ。前は、仕事ですからみたいな感じで、金払ったらプイッてしてるみたいな子をヒイヒイ言わすのが好きだったけど、いまは業者の子で﹃もうアタシはゴミだ﹄みたいな感じになってる子をベタベタに甘やかして、ヒイヒイ言わすのがいいなって。そういえばこの間会った子、十七歳でさ。片方の耳が奇形だか虐待で切られたかわかんないけど、耳がないって子がいてさ。多分肋骨とか移植して耳作ったんだろうけど、胸とかに何箇所か切った跡があってさ。子供産めないから生でいいって言われて、一万五千円で。︵以下略︶﹂
正直、こういう﹁武勇伝﹂に共感するのは、僕には難しい。 こういう大人がいるから……とも思う。 著者は、﹁現場﹂をみてきて、こんなふうに述べています。 ﹁買う男がいるから売る﹂というのはよく耳にする正論だが、これには賛同しかねる。売らなければ生きていけないほど困窮していたり、売ることが当たり前という環境に生きてきた少女たちの生活再建について、代案がないからだ。ややもするとこうした声は、冷たい視線とセットになっているようにすら思えるのは、少々悲観的すぎるだろうか。 だが確かに、﹁買う男﹂は残念な人々だった。なぜ彼らはセックスの代償として金を渡すのか。なぜ出会った少女たちの身の上話を聞いて。カラダの関係抜きで支援してやろうという気にならないのか。 ﹁行為のあとで、﹃こんなことしてちゃいけないよ﹄と説教するオジサン﹂の話はよく耳にします︵そういう人が、実際に大勢いるのかどうかは知りませんが︶。 でも、こういう大人がいなければ、この少女たちが売春をやめて勉強したり、家族と仲良く暮らしたり、地道に働いたりできるかというと、それはかなり難しいことのようにも思われます。 もともと﹁そういう生きかたに絶望的に向いていないからこそ、﹃援デリ﹄に流れ着いてきた﹂のでしょうし。
著者は福祉の専門家たちと何度も意見交換をし、現状の把握と、支援の手段を検討しています。 まず、東京都内や近郊で援デリなどに雇用されながら﹁毎日売春しないと生きていけない﹂というほどの窮状にある未成年の少女は、リアルタイムで多くとも数十人というごくごく小さな規模に過ぎないということだ。 数十人ならば、本腰を入れれば、﹁保護﹂できそうな気がします。 ただ、彼女たち自身が、それを望んでいるのか、という問題もあって。 ﹁息苦しい施設での生活﹂よりも、﹁刹那的でも、自分で自由を買える﹃援デリ﹄生活﹂を選ぶ女性たちもいるのです。
著者がずっと取材してきたある少女は、こんな言葉を投げかけてきます。 ﹁金だよ。鈴木さんたち大人は、絶対、金が全てじゃないって言う。でもそれは、絶対間違ってる。確かに私も、金があったら幸せになるかわかんねえ。でも、その子たちの親は、金がねえから自分の娘のこと売ったわけだろ? 金持ちの親が自分の娘に援交なんかさせねえよ。私も事情は違うけど、金があったら家族バラバラにならなかった。あのね、私が好きな言葉教えてあげるよ。金に、綺麗も汚いもない。いま私、援デリと風俗で稼いだ金で、翔人のこと育ててるよ。恥ずかしいとか絶対思わねえ。だから稼げ。カラダが売り物になるなら、金持ってる大人からカラダで金、奪い取れよ。メチャメチャ稼いで、もう二度と地獄に戻るな。自分の親と同じ親になるな。その金を遣わないで貯めろ。無駄に遣うな。ホスト行くな。歩ける場所行くのにタクシー使うな﹂ この言葉を聞いても、彼女に﹁カラダを売るな﹂と言えるだろうか? ﹁売春﹂によって、﹁負の連鎖﹂に巻き込まれてしまう女性もいる。 その一方で、﹁売春﹂が、思いつくなかで、現実にできることのなかで、唯一の﹁負の連鎖を断ち切る手段﹂の女性もいる。
僕は、彼女になんと言っていいのかわからないのです。 ﹁金が全てじゃない﹂って言えるのは、たぶん、金のせいでいろんなものを失った経験がないから、なのだよね。