上大岡が副都心に選ばれた理由、そして副都心の定義とは?
ココがキニナル!
上大岡って横浜市からすると、副都心という扱いらしいのですが、なぜ上大岡が副都心という位置付けになったのか、そもそも副都心の定義はなんなのか調べて下さい。(タッカーさんのキニナル)
はまれぽ調査結果!
生活圏としての拠点という概念で設定されたのが副都心だが、現在その位置付けはなくなっている。上大岡も含め、交通網等を理由に指定されていた
ライター:田中 大輔
ご存知の通り、日本一人口の多い市として知られる横浜。
玄関口である巨大な横浜駅から、新しい横浜の顔・みなとみらい地区、さらには開港当時からの中心地である関内辺りが、全体の中心だということは誰でも知っている。
横浜の中心と言えば、横浜駅 ましてや国内有数の大都市となれば、大きく栄える地域だってひとつやふたつではない。 横浜駅から関内周辺を“都心”とすれば、その周りには“副都心”とされる地域もできてくるわけだ。 キニナルによれば、上大岡もそのひとつ。 とは言え、確かにそこまで大きな駅というわけでもない。いったいなぜ、上大岡が副都心に選ばれたのだろうか。
上大岡駅は、京浜急行と市営地下鉄ブルーラインが通る駅。 駅ビルは﹁ゆめおおおか﹂と呼ばれ、京急百貨店のほか、ウィング上大岡やオフィスタワーが設置されている。 駅を出て、鎌倉街道をはさんだ向こう側には﹁camio︵カミオ︶﹂と﹁mioka︵ミオカ︶﹂があり、家電量販店や映画館が利用できる。
こちらはcamio。おなじみのチェーン店も多く入っている でも、駅から少し歩き、大岡川を渡った先は昔からの住宅街になっていて、都会という印象はまったく受けない。 駅前のごくごくせまい範囲だけが、“副都心”と言われても納得できるにぎわい方をしている街なのだ。 また、キニナルの通り、港南区役所があるのはひとつ隣の港南中央駅。 その辺りも、一般にイメージする“副都心”とはちょっと違うような感じがする。
さてさて、そんな上大岡がどうして副都心に選ばれたのか。 市庁舎を訪れ、都市整備局市街地整備推進課のみなさんにお話をうかがった。 白井さん、古屋課長、岡部さん︵左から︶の3人に対応してもらった そもそも、副都心とはどういう場所を目指して設定されていたんだろうか。 横浜市では、横浜駅と関内方面に加え、新幹線の停まる新横浜も“都心”と定義している。これらは言わば商業や業務の中心地ということになる。 それらを補完する形で﹁生活圏としての拠点という概念で設定されたのが副都心﹂と古屋さんは話す。 住宅街があって、駅前に行けば必要なものが揃うような街。それが副都心の目指した形だったというわけだ。 そのため、﹁市域や区域を基準にするのではなく、鉄道や道路のネットワークを中心に﹂考慮されたんだそうだ。 上大岡で言うと、京急は昭和5年から走っていたし、ブルーラインも昭和47年に開通、昭和51年には横浜まで延伸している。また、駅前を鎌倉街道が通っていることも大きな要素だったと言える。
駅の目の前を通る鎌倉街道。バスターミナルも作られている さらに上大岡では、横浜のスカーフで知られる大岡川を利用した捺染︵なっせん︶と呼ばれる染物業が盛んだった。 そのため工場が多く、かつ需要が減ってきていたこともあり、工場移転で土地の確保が比較的しやすかったこともあった、と古屋さん。 そういった理由から、1981︵昭和56︶年に発表された﹁よこはま21世紀プラン﹂において副都心に指定された上大岡は、駅ビルを皮切りに、camio、miokaと再開発が進み、現在のような駅前になっているわけだ。 ちなみに、camioとmiokaにはさまれたアーケード街が次の再開発の対象になるそうだ。
上大岡駅前開発の仕上げは、このアーケード街
横浜の中心と言えば、横浜駅 ましてや国内有数の大都市となれば、大きく栄える地域だってひとつやふたつではない。 横浜駅から関内周辺を“都心”とすれば、その周りには“副都心”とされる地域もできてくるわけだ。 キニナルによれば、上大岡もそのひとつ。 とは言え、確かにそこまで大きな駅というわけでもない。いったいなぜ、上大岡が副都心に選ばれたのだろうか。
現在の上大岡駅って……
上大岡駅は、京浜急行と市営地下鉄ブルーラインが通る駅。 駅ビルは﹁ゆめおおおか﹂と呼ばれ、京急百貨店のほか、ウィング上大岡やオフィスタワーが設置されている。 駅を出て、鎌倉街道をはさんだ向こう側には﹁camio︵カミオ︶﹂と﹁mioka︵ミオカ︶﹂があり、家電量販店や映画館が利用できる。
こちらはcamio。おなじみのチェーン店も多く入っている でも、駅から少し歩き、大岡川を渡った先は昔からの住宅街になっていて、都会という印象はまったく受けない。 駅前のごくごくせまい範囲だけが、“副都心”と言われても納得できるにぎわい方をしている街なのだ。 また、キニナルの通り、港南区役所があるのはひとつ隣の港南中央駅。 その辺りも、一般にイメージする“副都心”とはちょっと違うような感じがする。
上大岡が選ばれたのは
さてさて、そんな上大岡がどうして副都心に選ばれたのか。 市庁舎を訪れ、都市整備局市街地整備推進課のみなさんにお話をうかがった。 白井さん、古屋課長、岡部さん︵左から︶の3人に対応してもらった そもそも、副都心とはどういう場所を目指して設定されていたんだろうか。 横浜市では、横浜駅と関内方面に加え、新幹線の停まる新横浜も“都心”と定義している。これらは言わば商業や業務の中心地ということになる。 それらを補完する形で﹁生活圏としての拠点という概念で設定されたのが副都心﹂と古屋さんは話す。 住宅街があって、駅前に行けば必要なものが揃うような街。それが副都心の目指した形だったというわけだ。 そのため、﹁市域や区域を基準にするのではなく、鉄道や道路のネットワークを中心に﹂考慮されたんだそうだ。 上大岡で言うと、京急は昭和5年から走っていたし、ブルーラインも昭和47年に開通、昭和51年には横浜まで延伸している。また、駅前を鎌倉街道が通っていることも大きな要素だったと言える。
駅の目の前を通る鎌倉街道。バスターミナルも作られている さらに上大岡では、横浜のスカーフで知られる大岡川を利用した捺染︵なっせん︶と呼ばれる染物業が盛んだった。 そのため工場が多く、かつ需要が減ってきていたこともあり、工場移転で土地の確保が比較的しやすかったこともあった、と古屋さん。 そういった理由から、1981︵昭和56︶年に発表された﹁よこはま21世紀プラン﹂において副都心に指定された上大岡は、駅ビルを皮切りに、camio、miokaと再開発が進み、現在のような駅前になっているわけだ。 ちなみに、camioとmiokaにはさまれたアーケード街が次の再開発の対象になるそうだ。
上大岡駅前開発の仕上げは、このアーケード街