稲田朋美と「軍歌を歌う幼稚園」を結ぶ、「生長の家原理主義」ネットワーク ――シリーズ【草の根保守の蠢動 第22回】
2015.11.10
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出典/YouTube「ダイジェスト 第6回東京靖国一日見真会」より(http://youtu.be/LAY2jsefbZA)
前回、﹁椛島有三率いる日本青年協議が運営する日本会議﹂及び﹁安倍晋三の筆頭ブレーンとされる伊藤哲夫率いる日本政策研究センター﹂の両者とも、その淵源は、70年安保の頃に生まれた﹁生長の家学生運動﹂にあることを再度確認した。さらにその上で、﹁日本会議﹂﹁日本政策研究センター﹂だけではない、﹁生長の家学生運動﹂に淵源を持つ、﹁第三のライン﹂があるのではないか?という点を示唆した。
︵動画リンク⇒http://youtu.be/LAY2jsefbZA︶
この﹁第三のライン﹂を考える上で鍵となるのが前回写真を挙げた﹁生長の家﹂の根本教典である﹁生命の實相﹂を振り上げながら講演する稲田朋美と、﹁園児に戦時歌謡を歌わせる愛国幼稚園﹂である塚本幼稚園だ。
再掲した稲田朋美の写真は、YouTubeに残されていた﹁ダイジェスト第6回東京靖国一日見真会﹂という動画のキャプチャ。この動画で、稲田朋美のひとつ前に登場する白髪の老人がいる。
彼の名前は、中島省治。﹁宗教法人生長の家﹂の書籍や月刊誌を出版するために作られた﹁日本教文社﹂の社長をかつて務めた人物だ。しかし中島省治は、この講演で、宗教法人﹁生長の家﹂の月刊機関誌である﹁月刊生長の家﹂第1,000号を取り上げ
﹁︵昭和5年に創刊された︶﹃月刊生長の家﹄は1000号を迎えたが、﹃彼ら﹄はその節目を寿がない。明らかに82年間の生長の家の歴史を否定している。﹂
と、やり玉に挙げている︵動画25:00頃から︶。
自分がかつて社長を務めた会社の母体である﹁生長の家﹂の機関誌を、コテンパンに批判するのだからただごとではない。
さらに中島は続ける。
﹁﹃彼ら﹄は潜在意識の奥底で﹃自分たちには1000号を寿ぐ資格がない﹄と思っているのだろう︵会場拍手︶。その代わり、現在116号を迎えた、﹃谷口雅春先生を学ぶ﹄誌こそが、実相界︵※1︶における、1000号なのだ︵会場大きな拍手︶﹂︵動画26:00頃︶。
つまり彼は、﹁谷口雅春先生を学ぶ﹂誌こそが、昭和5年に谷口雅春によって創刊された﹁月刊生長の家﹂の後継誌だと言っているのだ。そして、中島の言葉をそのまま読み取れば、中島が批判している対象の﹃彼ら﹄とは、とりもなおさず﹁月刊生長の家﹂を刊行している現在の﹁宗教法人生長の家﹂であり、万雷の拍手から見て、会場の人々も中島のこの見解に同意している。のがわかる
現在の﹁宗教法人生長の家﹂は、社会運動や政治運動からは完全に手を引き、﹁エコロジー左翼﹂ともいうべき路線になっている。そして中島の言葉とその言葉に対する会場の反応を見れば、このイベントの出席者たちが、現在の教団の姿勢に反旗を翻すと同時にその月刊機関誌を完全に否定し、﹁谷口雅春先生に学ぶ﹂誌こそが、本物であるとさえ言っている。
そう、これは﹁教団の路線変更を否定し、忠実に﹁生長の家﹂の創始者・谷口雅春先生の教えを学ぶ者だ﹂という﹁生長の家﹂原理主義者︵※2︶のイベント﹂といえるものだ。
そして、この原理主義団体のイベントで掲げられていた機関誌を遡ることで、官邸側のイデオローグ、百地章と稲田朋美と塚本幼稚園の接点が見えてきたのだ。
生長の家原理主義の機関誌創刊号にあった「接点」
この原理主義団体が奉ずる機関誌﹁谷口雅春先生を学ぶ﹂は、中島の言葉からすると﹁116号﹂を迎えているという。書影には平成二十四年五月号とあるので単純に逆算すれば平成14年10月に創刊したことになる。
平成14年といえば、2002年。日韓ワールドカップの年であり、当時の小泉首相が電撃的に北朝鮮を訪問し、日本人拉致被害者5人が24年ぶりに帰国した年だ。そして、この小泉北朝鮮訪問によって、安倍晋三の知名度が急上昇した。つまり2002年は、日韓ワールドカップ、安倍晋三、拉致問題と、現在我々が直面する﹁急激な右傾化路線﹂の端緒を開いた年でもある。
そんな年に﹁谷口雅春先生を学ぶ﹂は創刊された。これは、ぜひとも、創刊号の内容を見てみてみたいではないか。
宗教法人の分派活動が出している機関誌だけに、入手は困難を極めたが、ついに創刊号の内容がわかるものを入手することに成功した。
残念なことに創刊号そのものではない。合本第一集とある。創刊号から第十二号まで、1年分をまとめたものだ。しかし12号分を単純に重ねわせて製本し直し一冊の書籍にしたものでしかないため、各号の奥付まで全てきっちり残っている。資料としての利用価値は充分あるだろう。
創刊号の内容については次回以降詳しく解説するとして、奥付に本連載読者にはお馴染みの名前が登場する。
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発行人は前出の﹁谷口雅春先生を学ぶ誌こそが、生長の家の伝統を引き継ぐものだ﹂と力説していたの中島省治。そしてその横にあったのがーー
編集人 百地章
百地章だ! あの、﹁集団的自衛権を合憲とする憲法学者﹂として、菅官房長官が名前を挙げた百地章が、﹁谷口雅春先生を学ぶ﹂創刊号の編集人だったのだ!
政府が﹁集団的自衛権は合憲である﹂と主張する際には、百地章のコメントが必ず引用されていた。つまり、この夏、百地章は官邸側のイデオローグのような立場にいた百地章が、﹁谷口雅春先生を学ぶ﹂創刊号の編集人だったのだ。そして、冒頭で見たように、﹁谷口雅春先生を学ぶ会﹂の会合で、稲田朋美は﹁祖母から受け継いだ﹂という﹁生長の家﹂の根本教典である﹁生命の実相﹂を振りかざしながら講演している。
﹁官邸側のイデオローグ﹂百地章と﹁安倍後継の最有力候補﹂稲田朋美は、﹁生長の家原理主義運動﹂という同じ志を持つインナーサークルに属するわけだ。残るは、﹁愛国幼稚園﹂・塚本幼稚園と﹁生長の家原理主義運動﹂のつながりだ。
そしてその鍵も﹁谷口雅春先生を学ぶ﹂の合本第1集にあった。それは第五号の告知コーナーだった。
﹁第一回﹃我が師谷口雅春を語る﹄﹂というイベントの告知だ。
講師は仙頭泰。創刊号に収録されたたった2つの論説のうち一つを書いた人物で元生長の家ハワイ教化部長だった人物だ。この人物の講話を聞くのがこのイベントの要旨。注目すべきはイベントの場所だ。﹁塚本幼稚園﹂とある。そう、まさに、あの、﹁愛国幼稚園﹂が会場なのだ。いかに私立幼稚園とはいえ、幼稚園が外部団体に場所を貸し出すとはなかなか考えにくい。
さらに連絡先に﹁籠池﹂という名前が見える。籠池という苗字はそうある苗字ではない。イベントの主催者なのだろう、連絡先の電話番号を掲載している。この籠池なる人物、塚本幼稚園のwebサイト内の﹁園長の部屋﹂というコーナーで執筆をしている人物と同姓なのである。
園児に戦時歌謡を歌わせる塚本幼稚園、そして籠池姓の人物が﹁生長の家原理主義運動﹂と強く関わりがあると言っても過言ではなかろう。
﹁安倍後継の最有力候補﹂稲田朋美や﹁官邸側のイデオローグ﹂百地章、そして園児に戦時歌謡を歌わせる﹁塚本幼稚園﹂を繋ぐ﹁生長の家原理主義﹂運動という一本の線が浮かび上がってきたわけだ。
この連載でこれまで振り返ってきたように、安倍政権を支える﹁日本会議﹂の事務総長・椛島有三も、安倍晋三の筆頭ブレーンと目される伊藤哲夫も、﹁生長の家﹂から出た人々だ。椛島有三や伊藤哲夫を排出した、宗教法人﹁生長の家﹂は、1983年に政治運動から撤退した。しかし、その路線変更を良しとしない古参信徒たちが今、教団に反旗を翻し﹁生長の家原理主義﹂運動を展開中であり、その運動に、稲田朋美や百地章など、安倍政権と深いつながりを持つ政治家・学者が参画している。さらにこの﹁生長の家原理主義﹂運動は、塚本幼稚園の事例のように、政治の世界だけでなく、市民社会の中にあって、ファナテイックな右傾化風潮を醸し出す要素の一つとなっているように思えてならないのだ。
※1﹁生長の家﹂の教義における重要概念の一つ。﹁生長の家﹂では﹁実相界にいたれば、病なし﹂などと説く。本稿ではこの言葉を﹁全ての迷いが払われた究極の境地﹂の意だとだけ解説しておく。この言葉を含め、その他の﹁生長の家﹂の教義用語については、本連載の書籍版にて詳しく解説する予定だ。
※2このイベントの参加者たちは、自分たちの活動や運動を﹁本流運動﹂と呼んでいる。しかし﹁生長の家﹂の分派活動は、この他にも数グループ存在しており、みな﹁本流運動﹂を自称している。本連載では混乱を避けるため、かつまた、このイベントの参加者たちが﹁谷口雅春先生を学ぶ﹂誌を中心にしていることから、このイベントの参加者たちの集団を﹁生長の家原理主義者団体﹂、その主張内容を﹁生長の家原理主義﹂と呼称することとする。
<取材・文/菅野完Twitter ID:@noiehoie︶
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