-祭り-
ラブライブ!フェスがなんのお祭りなのか。
実のところふたを開けるまでは未知数であったし、終わって1週間経った今なお全容は良く分かっていないのかもしれない。
タイトルには大体的に﹁9周年﹂が謳われていて、然るにラブライブ!にとって﹁9﹂という数字は大切な数字なのだから、”9周年を祝う祭り”でいいのだ、といわんばかりではあるけども、いやいやちょっと待て、﹁お祝い﹂という意味を軸とするならば切りが良いのはどう考えても﹁10﹂であり、その言い分はなんだかちょっぴり無理筋な感じも否めなかった。
で、蓋を開けるとやっぱり実際のところ﹁9周年﹂がどうこうというのはそんなに大事なことではなくて、一番大切なのは﹁9周年という”いい感じ”の数字を軸としてラブライブ!シリーズのお祭りを開催したい﹂という部分にあり、焦点は﹁祭り﹂そのものにあったように思える。
じゃあこの﹁祭り﹂はなんのための祭りなのか!?という問いかけおよび解答に関して、ここから考察し論じていくべきなのかもしれないのだけど、﹁祭り﹂そのものを終えた今の心境としては﹁まぁそれは良くね?﹂みたいな感じになっている自分がいる。
μ'sのファン・Aqoursのファン・Saint Snowのファン・虹ヶ咲のファン。ラブライブ!というコンテンツを形作るそれぞれのグループとそのファンが一同に会して合同ライブを行う。ラブライブ!のこれまでを祝う﹁祭り﹂を行う。その現場にはまぁちょっとした諍い︵主にビカビカ光るオレンジ色の棒に関して︶の火種と後日談はあったものの、現地では目に見える戦争のようなものはなく、概ね平和と祝福をもってイベントは終わった。参加した人々は目視した限り大きな満足感と幸福感を同居させ帰宅の途についているように見えたし、このイベントが持たされた役割を考えるに、まぁそれで十分だろうと思えたし、僕もそれ以上の感想のようなものは持てそうになかった。︵A-RISEの不在だけは残念ではあったが綺羅ツバサは会場内でライブを高みの現物をしていたようで、それはそれで”味だなぁ”と思ったのであった︶
ということで﹁ただただ楽しかった﹂ので﹁祭り﹂として大満足!で終われば良いのだけど、まぁちょっとだけこの﹁祭り﹂に関して意義深かったことを個人的に感じたので、そこだけ書き記しておきたいと思う。
— 魂@lovelive aftertalk✨ (@tamashiill) 2020年1月19日
というオマケ付なのだった。
TVアニメにおいてそれぞれのグループがそれぞれの輝きを見出した場所へ向かう電車。
いつもだったらセンチメンタルにかまけて終点まで向かってしまいそうだったけど、この日はそういうわけにもいかず、僕は真面目に本来の目的地へと向かったのであった。
僕は僕の人生を真っ直ぐに進まないといけない。それが僕のラブライブデイズだし、そうじゃないと肯定してくれた作品に足を向けて寝られない。
国府津に行くのはまたいつの日か。
多分その内行けるはず。レールはどこまでも繋がってるからね。
ラブライブ!9周年おめでとうございました!
これまでも、これからもずっと大好きです。
-μ'sの時間とAqoursの時間を繋ぐ-
意図的なのか、そうではなくて偶然そうなってしまっただけなのか。 何も﹁確かなもの﹂が無いので、全ては憶測になってしまうけれど、それでも実際μ'sとAqoursの間には目に見える明確な﹁断絶の壁﹂があった。 この理由に関して詮索したところでせんないものとなってしまうので止めておこう。 とりあえず実感として分かっているのは、μ'sキャストとAqoursキャストは互いに言及することはおろか、交わることが出来なかった時期がある、という事実だけだ。 本来﹁ラブライブ!﹂という看板においてこの両者に貴賤は無い。あろうはずがない。 けれどこの不思議な﹁断絶の壁﹂が﹁ラブライブ!﹂と﹁ラブライブ!サンシャイン!!﹂という二つのプロジェクトを繋げて語る際に不思議なギクシャク感へ繋がっていたことも確かだ。 テレビアニメではAqoursは明確にμ'sの背中を追って夢を追いはじめ、その物語は1期13話までずっと続くにも関わらず。キャスト自身が互いの作品に対する思いなんかを交換することは本当に少なかった。これは本当に不思議だった。 だからこそ、今回Aqoursが﹁届かない星だとしても﹂を背に登場した時には思わず立ちすくんでしまった。 2ndシングル﹁恋になりたいAQUARIUM﹂のカップリング楽曲として収録されたこの曲は、これまでのAqoursのディスコグラフィ上においても殊更強調されたことが無い楽曲だ。もちろんAqoursのファンたちにとっては知る人ぞ知る楽曲ではあるものの、Aqoursを代表するメジャー曲ではない。にも関わらず、このラブライブフェスというお祭りにおいて、Aqoursの一曲目に選ばれたというのはとても意図的であり、そこにはメッセージを強く感じた。 ﹁届かない星だとしても﹂は、決して手が届かないと分かっていても、そこに手を伸ばそうとする意志や夢を持つことの価値を問うた曲だ。これは説明するのが野暮なくらい、Aqoursというグループそのものを表現した楽曲でもある。 生まれた瞬間から偉大な先代と比較されることを義務付けられ、元々ラブライブ!がμ'sが好きだからこそ始めたにも関わらず、その﹁憧れ﹂だっておおっぴらに出来なかった彼女達。そんな彼女達の思いが役柄とクロスオーバーしながら、どこまでもリアルに描かれたのがこの﹁届かない星だとしても﹂だ。 歌っているのは高海千歌や黒澤ルビィなのかもしれないけど、その中にはキャストである伊波杏樹や降幡愛の︵もちろん他のキャストの思い︶リアルだって詰め込まれている。そのなんともいえないビターな味わいがこの楽曲の味であり、魅力だった。 そんな彼女達の﹁足掻き﹂の象徴でもある楽曲が、この日初めて共演する﹁届かない星﹂本人たちへ向かって解き放たれるという事実は、Aqoursをずっと追いかけてきた身としてもなんとも堪らない思いがあった。 ﹁そうか、この二日間はAqoursとμ'sの”不本意な断絶”を、綺麗に埋める二日間になるのかもしれないな﹂ それまでなんとなくぼんやりしていたラブライブ!フェスに対する印象が、ここでようやく輪郭を帯びてきたような、そんな気持ちになった。 そこから、Aqoursの披露する楽曲がまた違う意味合いを持って聞こえてくるようになった。 矢継ぎ早に披露されるAqoursの楽曲のほぼ全てが。 ﹁届かない星﹂に追いつかないと分かっていても、自分達は同じ存在になれないと分かっていても。それでもガムシャラに駆け抜けてきたAqoursの5年間に、思いを馳せるスイッチになっていった。 テレビアニメ1期、テレビアニメ2期、劇場版。その合間で繰り広げた数多のライブ、"現場"で鍛え抜かれ、磨かれた最強のパフォーマンス。その先での海外ライブ、TV出演。どんどんと高まる需要とそれに伴い彼女達が得た確固たる自信。﹁星﹂を目指した彼女たちは、いつしかそれとは別の価値を持つ﹁光る風﹂になって、憧れた存在と肩を並べられるだけの存在となった。 ユニットを含め、この9人でしか見せられないもの、この9人じゃなければ見せられないものを彼女たちは間違いなくこの5年間で作り上げて見せた。その自負を、ただただ実感させられる見事なパフォーマンスだった。 2日目に披露された﹁未来の僕らは知ってるよ﹂。その一角にあるパンチラインを僕はその瞬間が来るまである種忘却していた。故に準備がままならなかった。 ﹁あ、あの歌詞来るじゃん﹂ と思った時には時すでに遅し。久々に発した﹁I live I live Love live Days!﹂という歌詞の破壊力は想定していた以上であった。 この祭りに至るまでに駆け抜けた時間の全てを誇り、肯定していくようなその言葉に、そしてその歌詞を会場全体が大合唱する声に、僕は﹁あぁ届いたんだな﹂と強く実感して、胸がギュっとするのを感じた。個人的には、この瞬間がラブライブ!フェス二日間通して最大のハイライトだったように思う。 Aqoursの5年間と、μ'sの9年間が交わって、 こうして9年間は改めて見事に、滞りなく、一つに繋がった。 そう思った。ーこの道はどこへー
また肯定されてしまった二日間を終え、僕は急ぎ帰路に向かっていた。 いつもとはちょっと違うイレギュラーな方向へ。なるべく早く向かいたい。そんな中チョイスされた電車がえ、俺国府津行きに乗るの?
エモ過ぎないか? pic.twitter.com/qj74Drpu5d
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