こむろゆい
1999年2月に自作曲がNHK﹃みんなのうた﹄で放送され、CDデビュー。六文銭 '09のメンバー。小室等との親子デュオユニット﹁Lagniappe︵ラニヤップ︶﹂としても活動している。生年月日非公表。また、アニソンとして、﹁たからもの﹂が﹃も~っと!おジャ魔女どれみ﹄(2001年2月から翌2002年1月)のエンディングに使われて、子供のいる家族にまで知られる存在になった。
こむろゆい | |
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出身地 | 日本 |
ジャンル |
J-POP アニメソング |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1999年2月 - |
共同作業者 | Lagniappe(ラニヤップ) |
曲
1999年
2001年
- たからもの(も~っと!おジャ魔女どれみ(テレビ朝日系列)エンディング)(同年2月-2002年1月)
経歴
デビューまで
1970年代初頭[1]、東京生まれ。
1997年10月10日、第11回青山演劇フェスティバルのミュージカル﹁スパイものがたり﹂︵演劇企画集団66、別役実・作︶に楽団として出演。
1999年2月から3月のNHK﹁みんなのうた﹂で自作曲﹁ひとつのドア﹂︵作詞・作曲・歌=こむろゆい、編曲=佐橋俊彦、アニメーション=吉良敬三︶が放送される[2]。ライブで歌ってきた﹃Advance Song﹄という曲のタイトルを﹃ひとつのドア﹄に改めてようやくオンエアにこぎ着けた[3]。同年8月21日﹃ひとつのドア﹄︵清水國明﹁まゆげの唄﹂とのカップリング︶でCDデビュー。
小室等のユニット「まるで六文銭のように」とともに
2000年10月に自然発生的に結成された小室等、四角佳子、及川恒平による音楽ユニット﹁まるで六文銭のように﹂のマネージャーを担当。
2001年2月4日放送開始のテレビ朝日アニメ﹁も〜っと!おジャ魔女どれみ﹂︵2002年1月27日にかけて全50話︶のエンドテーマ﹁たからもの﹂(作詞・作曲=茅原万起) を歌う。同年9月18日、自主制作マキシシングル﹁私も火星に行くんだ!!﹂︵収録曲=私も火星に行くんだ!!/優しい秘密/いちばん遠い還り道)[4]を発売。同月26日発売のオムニバスアルバム﹁フォーエバー・ヤング─トリビュート・トゥ・グレート・フォーク・ソングス─﹂に参加。小室等の﹁夏が終る﹂を歌う。
2002年、﹁神戸新聞﹂の﹁フォークソング、人生、そしてあのとき 〜リレーエッセイ﹂に﹁父と行ったコンサート いつかは、私も武道館へ﹂を寄稿。同年12月22日、坂庭省悟らの呼びかけによる8時間耐久ライブに出演。同年から翌年にかけて、こむろゆいバンドとして活動。
2004年10月23日、横浜・イギリス館での﹁まるで六文銭のように﹂のライブに出演。自作曲が演奏される[5]。
2005年8月から9月にNHK﹁みんなのうた﹂で﹁ひとつのドア﹂再放送[6]。
2006年、﹁坂庭省悟トリビュートアルバム やくそく﹂に参加。﹁銀色のランナー﹂を歌う。
「六文銭'09」から親子ユニット
2008年11月14日、東京初の﹁小室等&こむろゆい﹂ライブ。
2009年1月7日、﹁高田渡生誕会 還暦﹂に出演。同年4月22日、﹁まるで六文銭のように﹂に加入。﹁六文銭'09﹂にユニット名を改め、アルバム﹃おとのば﹄をリリース。﹁ほんとさ﹂でメインボーカルを担当。同年7月、代島治彦監督・撮影・編集のドキュメンタリー﹃日本のアウトサイダー・アート﹄ Vol.1~Vol.10のナレーションを片桐はいり、石川浩司、小室等とともに担当。
同年10月、小室等との親子新ユニット﹁Lagniappe︵ラニヤップ︶﹂結成を発表。11月17日、Lagniappeデビューアルバム﹃ここ﹄完成記念ライブを開催し、12月2日、同アルバムをリリース。
注
- ^ 「六文銭 '09」アルバムのウェブページに「70年代生まれのメンバー」として紹介されている。また、1971年10月に吉田拓郎らがユイ音楽工房を設立した時にこむろゆいの名前から事務所の名前をつけたといわれる。出典=「夢のあがり―ニューミュージックの仕掛人たち―」p60-p63
- ^ 「みんなのうた」放送予定
- ^ 音楽ほっとうえーぶ『放送文化』(日本放送出版協会 1999年2月号 通巻56号)p99
- ^ 「私も火星に行くんだ!!」ジャケット画像[リンク切れ] 及川恒平オフィシャルサイト内
- ^ 秋の、横浜にて hal's room
- ^ 「みんなのうた」放送予定
外部リンク
- オフィス・キーズ
- 「Lagniappe(ラニヤップ)」サイト
- こむろゆい (yui.komuro.90) - Facebook