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'''わび・さび'''︵'''侘︽び︾・寂︽び︾'''︶は、慎ましく、質素なものの中に、奥深さや豊かさなど﹁趣﹂を感じる心、[[日本]]の[[美意識]] == 侘 ==
[[Image:RyoanJi-Dry garden.jpg|thumb|[[龍安寺]]方丈庭園︵石庭︶。ここは曇っていてはだめだ。強い陽射しではない明るい日の中で観る古茶けた塀にこそ侘びを表象し、その塀の微妙なる色合いの変化こそが、この庭の凡てである。然びたる石庭そのものも造りは素晴らしいが、塀の色合いに勝ることはない︵森神逍遥 ﹃侘び然び幽玄のこころ﹄︶<ref name=S /> [[Image:2002_kenrokuen_hanami_0123.jpg|thumb|[[兼六園]]の茶室、夕顔亭。わび茶で使われる茶室は、一般的に写真のように周りに木や竹を生やし、茶室以外の世界から断絶させる。数名が茶を点てて飲むためだけのために設計され、通常、他の建造物からも隔離させて建てる。建材も自然の状態のまま、塗装などをあまりしないものを多く用いる。]] [[Image:Ginkakuji Kyoto04-r.jpg|thumb|[[慈照寺]]庭園と銀閣]]
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侘に関する記述は古く『[[万葉集]]』の時代からあると言われている。『万葉集』では、恋愛におけるわびしさを表す意味で用いられる場合が多い。(「[[#わび・さびの語源と用例|わび・さびの語源と用例]]」参照)
﹁侘﹂を美意識を表す概念として名詞形で用いる例は、[[江戸時代]]の茶書﹃[[南方録]]﹄が初出と言われる。これ以前では﹁'''麁相'''﹂︵'''そそう'''︶という表現が美意識の侘に近く、例えば、茶人の[[山上宗二]]︵1544-1590︶は﹁上をそそうに、下を律儀に︵表面は粗相であっても内面は丁寧に︶﹂︵﹃山上宗二記﹄︶<ref name="Sa">編纂代表者千宗室﹃茶道古典 侘の語は、先ず﹁侘び数寄﹂という熟語として現れた。これは﹁侘び茶人﹂つまり﹁一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条整うる者﹂︵﹃宗二記﹄︶<ref name="Sa">編纂代表者千宗室﹃茶道古典 ここで宗二記の﹁侘び﹂についての評価を引用しておこう。﹁宗易愚拙ニ密伝‥、コヒタ、タケタ、侘タ、愁タ、トウケタ、花ヤカニ、物知、作者、花車ニ、ツヨク、右十ヶ条ノ内、能意得タル仁ヲ上手ト云、但口五ヶ条ハ悪シ業初心ト如何﹂とあるから﹁ 一般に﹁[[わび茶]]﹂の創始者と言われる室町時代の[[村田珠光]]︵1422-1502︶は、当時の高価な﹁唐物﹂を尊ぶ風潮に対して、より粗末なありふれた道具を用いる方向に[[茶道|茶の湯]]をかえていった。珠光は浄土宗の僧侶であり、臨済宗の僧[[一休宗純]]︵1394-1481︶の下に参禅し禅の思想に触れた。そして、禅と同様、﹁茶の湯を学ぶ上で一番悪いことは、我慢(慢心︶我執の心を持つことである﹂<ref>倉澤行洋﹃珠光―茶道形成期の精神﹄p.43﹁心の文﹂より淡交社、2002年 ISBN 978-4473019042</ref>︵倉澤行洋﹃珠光―茶道形成期の精神﹄p.43﹁心の文﹂より ﹁それ故民藝とは、生活に忠實な健康な工藝品を指すわけです。・・・その美は用途への誠から湧いて來るのです。﹂</ref> 侘は茶の湯の中で理論化されていったが、﹁わび茶﹂という言葉が出来るのも江戸時代である。江戸時代には多くの茶書が著され、それらによって、茶道の根本美意識として侘が位置付けられるようになった。武野紹 [[岡倉覚三]]︵天心︶( 大正・昭和時代には茶道具が美術作品として評価されるようになり、それに伴って、侘という表現がその造形美を表す言葉として普及した。[[柳宗悦]](1889-1961)や[[久松真一]](1889-1980)などは高麗茶碗などの美を誉める際に侘という言葉をたびたび用いている。<ref>久松真一﹃わびの茶道﹄︵昭和23年講演筆録︶一燈園燈影舎、1987 「・・・また今日名器として残っている朝鮮の茶碗なんか、ことに向こうでは何もお茶に使ったものではない、
ただ民間の食器であったものを択んだ。それが大した名器になって今日まで残っているのです。そういうものを好んで、
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'''寂'''︵'''さび'''、'''寂び'''、'''然び'''とも︶は、﹁閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ﹂<ref name=D>﹃日本大百科全書︵ニッポニカ︶﹄小学館</ref>を言い、動詞﹁さぶ﹂の名詞形である。 本来は時間の経過によって劣化した様子を意味している。漢字の﹁'''寂'''﹂が当てられ、転じて﹁寂れる﹂というように人がいなくなって静かな状態も表すようになった。さびの本来の意味である﹁内部的本質﹂が﹁外部へと滲み出てくる﹂ことを表す為に﹁'''然'''﹂の字を用いるべきだとする説もある<ref name="Y">河野喜雄 ﹃さび・わび・しをり ﹁さび﹂とは、老いて枯れたものと、豊かで華麗なものという、相反する要素が一つの世界のなかで互いに引き合い、作用しあってその世界を活性化する。そのように活性化されて、動いてやまない心の働きから生ずる、二重構造体の美とされる<ref name=D>﹃日本大百科全書︵ニッポニカ︶﹄小学館</ref>。 本来は良い概念ではなかったが、寂しいという意味での寂は古く﹃万葉集﹄にも歌われている︵[[わび・さび#わび・さびの語源と用例|﹁わび・さびの語源と用例﹂]]参照︶。寂に積極的な美を見出したのは平安時代後期の歌人[[藤原俊成]](しゅんぜい・としなり1114-1204)であると一般に言われる。歌の優劣を競う﹁歌合(うたあわせ)﹂の席で、歌の姿を﹁さび﹂ととらえ、それを評価したのである。歌われる﹁さびしさが重要な要素で、﹂﹁その寂しさを評価﹂<ref name="Fu">復本一郎﹃さび 俊成より芭蕉への展開﹄塙親書57、1983年 ISBN 978-4827340570</ref>(﹃さび 俊成の子定家︵さだいえ・ていか1162-1241︶は﹁見渡せば花も紅葉もなかりけり [[ 俳諧での寂とは、特に、古いもの、老人などに共通する特徴のことである。[[寺田寅彦]]は芭蕉の﹁さびしおり﹂を﹁自我の主観的な感情の動きを指すのではなくて、事物の表面の外殻を破ったその奥底に存在する真の本体を正しく認める時に当然認められるべき物の本情の相貌を指していう﹂<ref name="ter">寺田寅彦﹁俳諧の本質的概論﹂﹃寺田寅彦全集﹄第十二巻 また、内部的本質から外部へと滲みでてくる﹁然び﹂には、エイジング、錆びついていく、古めかしく﹁渋み﹂が出たアンティークの意味合いがある わびさびは一般に茶の湯や俳諧の場面で論じられる。利休も芭蕉も歴史に名を残す。わびさびの境地を深めるため、茶の湯という場を作り、あるいは、旅に出る。そこで侘しさや寂しさを生きるのである。しかし、わざわざ選び取るまでもなく、長い歴史の中で否応なくぎりぎりの侘しさや寂しさの中で日常を送ってきたのが、庶民であった。寂しさや侘しさに浸りきってしまっては生活は成り立たない。生きていくためには、﹁自己の内部における寂しさの質の転換﹂︵同 ▲しかし、わざわざ選び取るまでもなく、長い歴史の中で否応なくぎりぎりの侘しさや寂しさの中で日常を送ってきたのが、庶民であった。寂しさや侘しさに浸りきってしまっては生活は成り立たない。生きていくためには、﹁自己の内部における寂しさの質の転換﹂︵同文前出︶をなさないわけにはいかない。﹁否定されるべきさびしさは、肯定すべき境地としての位置を占める﹂︵同文前出︶しかないのである。﹁諦めと受け入れの意識﹂<ref name=S>森神逍遥 ﹃侘び然び幽玄のこころ﹄桜の花出版、2015年 ISBN 978-4434201424</ref>︵前出﹃侘び然び幽玄のこころ﹄p.51︶の意識の中で生きるのであれば、侘び寂びの生そのものである。日常の生活空間である。しかし、この生は未だ﹁美にまでには昇華されていない。﹂︵同p.52︶ そのためには、そのような侘しさ寂しさの生を生きながら、﹁ふと我に返り達観した思いの中で今を見詰め許容し、その人生乃至その時を愛でる﹂(同p.46 )ことがなければならない。この時の美は歴史の表舞台には現れないが、庶民の生活の中に息づいてきた。日本古来の神道の考え方、ハレとケとの伝統的な区別、仏教の教えなどと共に醸成された意識であろう。 歴史に残る侘び寂びのみならず、庶民の生活の中にも侘び寂びが見出されることによって、侘び寂びは日本の美意識、日本の哲学であるといえる。
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== わび・さびの語源と用例 ==
* わび(動詞「わびる(侘)の連用形の名詞化)
** [[万葉集]]
** 俳諧・田舎の句合〔1680〕二一番 「佗に絶て一炉の散茶気味ふかし」
** [[浄瑠璃]]
** 浄瑠璃
** 咄本・醒睡笑〔1628〕八
** [[南方録]]〔17C後〕覚書 「惣而わびの茶の湯、大てい初終の仕廻、二時に過べからず」
** 俳諧・続の原〔1688〕「梅の
** 上井覚兼日記‐天正二年〔1574〕八月一五日「川上上野守殿藺牟田地頭
** 久松真一﹃わびの茶道﹄︵昭和23年講演筆録︶一燈園燈影舎、1987 * わ・びる 【
** [[続日本紀]]‐宝亀二年〔771〕二月二二日・宣命「言はむすべも無く為むすべも知らに、悔しび賜ひ和備(ワビ)賜ひ」
** [[万葉集]]〔8C後〕四・七五〇「思ひ絶え和備(ワビ)にしものをなかなかに何か苦しく相見そめけむ〈大伴家持〉」
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**仮名草子・仁勢物語〔1639〜40頃〕上・二六「をかし、男、五十余りなりける女を、まうけける事と、わびける人の返しに」
* わぶ・る 【
** 万葉集〔8C後〕一五・三七五九「たちかへり泣けどもあれはしるし無み思ひ和夫礼(ワブレ)て寝る夜しそ多き〈中臣宅守〉」
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** 天正本節用集〔1590〕 「隘 サモシ サミシ」
** 人情本・人情廓の鶯〔1830〜44〕後・上 「エエ見さげ果(はて)たる淋(サミ)しい根情」
** 帰郷〔1948〕〈[[大佛次郎]]〉再会 「きびしさが現れていながら影に変に淋しいものがあるやうに感じた」p.60
** [[自由学校]]〔1950〕〈獅子文六〉悪い日 「後味は、かえって、苦く、寂しい」p.118 ちくま文庫
* うら‐さ・ぶ 【心寂】
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** [[新続古今和歌集]]〔1439〕雑上・一七一八 「秋風の松ふく音も浦さひて神も心やすみのえの月」
* うらさび‐くら・す 【心寂暮】
** 万葉集 一五九 「夕されば あやに悲しみ 明けくれば 裏佐備晩(うらサビくらし)」
** 万葉集 二一〇 「嬬屋(つまや)の内に 昼はも 浦不楽晩之(うらさびくらシ) 夜はも 息づき明(あか)し 嘆けども」
== 海外での"Wabi, Sabi and Shibui"の評価 ==
海外でも“Wabi, Sabi and Shibui”は、日本の美意識の一つとして評価されている。イギリス人の陶芸家であり、[[白樺派]]や[[民 Bernard Leach (Adapter), Soetsu Yanagi (著) (1972) The Unknown Craftsman- Japanese Insight into Beauty. Kodansha International
</ref>、展覧会も開きその理論を解説した。“Wabi, Sabi and Shibui”は、日本のデザインを表現する上で基本的な概念の一つと考えられている<ref>
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== 参考文献 ==
*『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』小学館▼
* 森神逍遥 『侘び然び幽玄のこころ』桜の花出版、2015年 ISBN 978-4434201424▼
* 大西克礼『大西克礼美学コレクションⅠ 幽玄・あはれ・さび』「Ⅱ風雅論 ―さびの研究』 p.225 書肆心水 2012年 ISBN 978 4-906917-08-2
* 鈴木大拙 『禅と日本文化』 岩波書店、1940▼
▲*『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
* 日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『[[日本国語大辞典]]』第二版、小学館、14巻15冊、2000年12月 - 2002年12月
* 編纂代表者千宗室『茶道古典
*
* 倉澤行洋『珠光―茶道形成期の精神』淡交社、2002年 ISBN 978-4473019042
* 熊倉功夫『現代語訳
* 武野宗延『利休の師
* 柳宗悦『民藝の趣旨』『柳宗悦全集著作篇第八巻』筑摩書房、1980
* 桑田忠親『日本茶道史』「紹
* 岡倉天心『[[茶の本]]
* 久松真一『わびの茶道』(昭和23年講演筆録)一燈園燈影舎、1987年 ISBN 978-4924520219
* 河野喜雄
* 復本一郎『さび 俊成より芭蕉への展開』塙親書57、1983年 ISBN 978-4827340570
* 渡辺誠一『侘びの世界』
*『芭蕉文集』「笈の小文」日本古典文学大系46
* 潁原退藏『芭蕉研究論稿集成』第一巻
* [[藤村
* 復本一郎『芭蕉における「さび」の構造』p.49 塙選書77、1973
* 寺田寅彦「俳諧の本質的概論」『寺田寅彦全集』第十二巻
* 寺田寅彦「俳句の精神」『寺田寅彦全集』第十二巻
== 関連項目 ==
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* [[伝統]]
* [[文化]]
* [[
* [[
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[[Category:俳諧]]
[[Category:日本の美学]]
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[[Category:美学の概念]]
[[Category:江戸時代の思想]]
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[[Category:日本庭園]]
[[Category:陶芸]]
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