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'''わび・さび'''︵'''侘︽び︾・寂︽び︾'''︶は、慎ましく、質素なものの中に、奥深さや豊かさなど﹁趣﹂を感じる心、[[日本]]の[[美意識]] == 侘 ==
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侘に関する記述は古く『[[万葉集]]』の時代からあると言われている。『万葉集』では、恋愛におけるわびしさを表す意味で用いられる場合が多い。(「[[#わび・さびの語源と用例|わび・さびの語源と用例]]」参照)
﹁侘﹂を美意識を表す概念として名詞形で用いる例は、[[江戸時代]]の茶書﹃[[南方録]]﹄が初出と言われる。これ以前では﹁'''麁相'''﹂︵'''そそう'''︶という表現が美意識の侘に近く、例えば、茶人の[[山上宗二]]︵1544-1590︶は﹁上をそそうに、下を律儀に︵表面は粗相であっても内面は丁寧に︶﹂︵﹃山上宗二記﹄︶<ref name="Sa">編纂代表者千宗室﹃茶道古典全集第六巻﹄﹁山上宗二記﹂淡交社、1977</ref>と言っていた。もっとも、[[千利休]]︵1522-1591︶などは﹁麁相﹂であることを嫌っていた<ref>井口海仙 ﹃利休百首﹄p.33﹁点前こそ薄茶 侘の語は、先ず﹁侘び数寄﹂という熟語として現れた。これは﹁侘び茶人﹂つまり﹁一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条整うる者﹂︵﹃宗二記﹄︶<ref name="Sa">編纂代表者千宗室﹃茶道古典全集第六巻﹄﹁山上宗二記﹂淡交社、1977</ref>のことを指していた。﹁貧乏茶人﹂のことである。宗二は﹁侘び数寄﹂を評価していたので、侘び茶人すなわち貧乏茶人が茶に親しむ境地を評価していたといえる。[[千宗旦]](1578-1658)の頃になると侘の一字で無一物の茶人を言い表すようになり、やがて茶の湯の精神を支える支柱として侘が醸成されていったのである。 20行目:
ここで宗二記の﹁侘び﹂についての評価を引用しておこう。﹁宗易愚拙ニ密伝‥、コヒタ、タケタ、侘タ、愁タ、トウケタ、花ヤカニ、物知、作者、花車ニ、ツヨク、右十ヶ条ノ内、能意得タル仁ヲ上手ト云、但口五ヶ条ハ悪シ業初心ト如何﹂とあるから﹁侘タ﹂は、数ある茶の湯のキーワードの一つに過ぎなかったし、初心者が目指すべき境地ではなく一通り茶を習い身に着けて初めて目指しうる境地とされていた。この時期、侘びは茶の湯の代名詞としてまだ認知されていない。 一般に﹁[[わび茶]]﹂の創始者と言われる室町時代の[[村田珠光]]︵1422-1502︶は、当時の高価な﹁唐物﹂を尊ぶ風潮に対して、より粗末なありふれた道具を用いる方向に[[茶道|茶の湯]]をかえていった。珠光は浄土宗の僧侶であり、臨済宗の僧[[一休宗純]]︵1394-1481︶の下に参禅し禅の思想に触れた。そして、禅と同様、﹁茶の湯を学ぶ上で一番悪いことは、我慢(慢心︶我執の心を持つことである﹂<ref>倉澤行洋﹃珠光―茶道形成期の精神﹄p.43﹁心の文﹂より淡交社、2002年 ISBN 978-4473019042</ref>︵倉澤行洋﹃珠光―茶道形成期の精神﹄p.43﹁心の文﹂より 淡交社 2002︶として、禅と茶の一致を説いた。いわゆる茶禅一味である。その方向を、[[武野紹鴎|武野紹鷗]]︵1502-1555︶や千利休に代表される堺の町衆が深化させたのである。彼らが侘について言及したものが残っていないため、侘に関しては、彼らが好んだものから探るより他はない。茶室はどんどん侘びた風情を強め、﹁床壁の張付を取り去って土壁とし、木格子を竹の格子とし、障子の腰板も取り去り、床のかまちが真の漆塗りであったのを木目の見える程度の薄塗りにするとか、またはまったく漆を塗らずに白木のままにした。﹂<ref name="Na">熊倉功夫﹃現代語訳 南方録﹄中央公論社、2009年 ISBN 978-4120040276</ref>︵﹃現代語訳 南方録﹄﹁棚 一茶室の発達﹂p.225-226熊倉功夫 中央公論社 2009︶張付けだった壁は民家に倣って土壁﹂﹃南方録﹄︶になり藁すさを見せた。茶室の広さは﹁4畳半から3畳半、2畳半に﹂<ref>武野宗延﹃利休の師 武野紹鴎﹄p.127 宮帯出版社、2010年 ISBN 978-4863660571</ref>、6尺の床の間は5尺、4尺へと小さくなり、塗りだった床ガマチも節つきの素木になった。紹鴎は日常品である備前焼や信楽焼きを好み、日常雑器の中に新たな美を見つけて茶の湯に取り込もうとした。このような態度は、後に[[柳宗悦]](1889-1961)等によって始められた﹁民芸﹂の思想にも一脈通ずるところがある。<ref>柳宗悦﹃民藝の趣旨﹄﹃柳宗悦全集著作篇第八巻﹄筑摩書房、1980年 ﹁それ故民藝とは、生活に忠實な健康な工藝品を指すわけです。・・・その美は用途への誠から湧いて來るのです。﹂</ref> 一方、 利休は自然で無駄のない楽茶碗を新たに創出させた。 侘は茶の湯の中で理論化されていったが、﹁わび茶﹂という言葉が出来るのも江戸時代である。江戸時代には多くの茶書が著され、それらによって、茶道の根本美意識として侘が位置付けられるようになった。武野紹 [[岡倉覚三]]︵天心︶( 大正・昭和時代には茶道具が美術作品として評価されるようになり、それに伴って、侘という表現がその造形美を表す言葉として普及した。[[柳宗悦]](1889-1961)や[[久松真一]](1889-1980)などは高麗茶碗などの美を誉める際に侘という言葉をたびたび用いている。<ref>久松真一﹃わびの茶道﹄︵昭和23年講演筆録︶一燈園燈影舎、1987年 ISBN 978-4924520219 35行目:
'''寂'''︵'''さび'''、'''寂び'''、'''然び'''とも︶は、﹁閑寂さのなかに、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ﹂<ref name=D>﹃日本大百科全書︵ニッポニカ︶﹄小学館</ref>を言い、動詞﹁さぶ﹂の名詞形である。 本来は時間の経過によって劣化した様子を意味している。漢字の﹁'''寂'''﹂が当てられ、転じて﹁寂れる﹂というように人がいなくなって静かな状態も表すようになった。さびの本来の意味である﹁内部的本質﹂が﹁外部へと滲み出てくる﹂ことを表す為に﹁'''然'''﹂の字を用いるべきだとする説もある<ref name="Y">河野喜雄 ﹃さび・わび・しをり その美学と語源的意義﹄ぺりかん社、1983年 ISBN 978-4831503183</ref><ref name=S>森神逍遥 ﹃侘び然び幽玄のこころ﹄桜の花出版、2015年 ISBN 978-4434201424</ref>。ものの本質が時間の経過とともに表に現れることをしか︵然︶び。音変してさ︵然︶びとなる<ref>[[進士五十八]] [http://www.jice.or.jp/cms/kokudo/pdf/tech/reports/24/jice_rpt24_03.pdf ランドスケープの方法~土木家への提案~] [[国土技術研究センター|JICE]] REPORT vol.24 2013.12</ref>。この金属の表面に現れた﹁さび﹂には、漢字の﹁'''錆'''﹂が当てられている。英語ではpatina︵[[緑青]]︶の美が類似のものとして挙げられ、緑青などが醸し出す雰囲気についてもpatinaと表現される。 ﹁さび﹂とは、老いて枯れたものと、豊かで華麗なものという、相反する要素が一つの世界のなかで互いに引き合い、作用しあってその世界を活性化する。そのように活性化されて、動いてやまない心の働きから生ずる、二重構造体の美とされる<ref name=D>﹃日本大百科全書︵ニッポニカ︶﹄小学館</ref>。 本来は良い概念ではなかったが、寂しいという意味での寂は古く﹃万葉集﹄にも歌われている︵[[わび・さび#わび・さびの語源と用例|﹁わび・さびの語源と用例﹂]]参照︶。寂に積極的な美を見出したのは平安時代後期の歌人[[藤原俊成]](しゅんぜい・としなり1114-1204)であると一般に言われる。歌の優劣を競う﹁歌合(うたあわせ)﹂の席で、歌の姿を﹁さび﹂ととらえ、それを評価したのである。歌われる﹁さびしさが重要な要素で、﹂﹁その寂しさを評価﹂<ref name="Fu">復本一郎﹃さび 俊成より芭蕉への展開﹄塙親書57、1983年 ISBN 978-4827340570</ref>(﹃さび ―俊成より芭蕉への展開﹄p.34 復本一郎 塙親書57 1983)した。 俊成の子定家︵さだいえ・ていか1162-1241︶は﹁見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮﹂︵﹃新古今和歌集﹄363番︶と詠み、夕暮れの静けさや寂しさを歌った。ここにも静けさや寂しさのなかに美を見出したことが示されている。またこの歌は、茶の湯の武野紹鴎によって侘び茶の心であると評されてもいる<ref name="Na">熊倉功夫﹃現代語訳 南方録﹄中央公論社、2009年 ISBN 978-4120040276</ref>︵前出﹃南方録﹄﹁わび茶の心﹂p.93︶。 [[ 侘びとともに利休以後の茶道の真髄として語られる寂びだが、意外なことに利休時代の茶の文献には見当たらない。﹁侘び﹂の項に挙げた[[山上宗二]]記の侘びの十ヶ条にも寂びは見られず、同書の他の部分にも﹁寂び﹂﹁寂びた﹂の語は現れない。おそらく江戸時代以降、俳諧が盛んになり寂びの概念が広がるとともに、侘びと結びつけられて茶道においても用いられることになったものであろう。 111行目:
== 海外での"Wabi, Sabi and Shibui"の評価 ==
海外でも“Wabi, Sabi and Shibui”は、日本の美意識の一つとして評価されている。イギリス人の陶芸家であり、[[白樺派]]や[[民 Bernard Leach (Adapter), Soetsu Yanagi (著) (1972) The Unknown Craftsman- Japanese Insight into Beauty. Kodansha International
</ref>、展覧会も開きその理論を解説した。“Wabi, Sabi and Shibui”は、日本のデザインを表現する上で基本的な概念の一つと考えられている<ref>
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== 参考文献 ==
*『[[日本大百科全書]](ニッポニカ)』小学館▼
* 大西克礼『大西克礼美学コレクションⅠ 幽玄・あはれ・さび』「Ⅱ風雅論 ―さびの研究』 p.225 書肆心水 2012年 ISBN 978 4-906917-08-2
* 森神逍遥『侘び然び幽玄のこころ』桜の花出版、2015年 ISBN 978-4434201424
* 鈴木大拙『禅と日本文化』岩波書店、1940年 ISBN 978-4004000204
▲*『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館
* 日本国語大辞典第二版編集委員会・小学館国語辞典編集部編『[[日本国語大辞典]]』第二版、小学館、14巻15冊、2000年12月 - 2002年12月
* 編纂代表者千宗室『茶道古典全集第六巻』「山上宗二記」淡交社、1977
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* 武野宗延『利休の師 武野紹鴎』宮帯出版社、2010年 ISBN 978-4863660571
* 柳宗悦『民藝の趣旨』『柳宗悦全集著作篇第八巻』筑摩書房、1980
* 桑田忠親『日本茶道史』「紹
* 岡倉天心『[[茶の本]] The Book of Tea』IBCパブリッシング、2008年 ISBN 978-4896846850
* 久松真一『わびの茶道』(昭和23年講演筆録)一燈園燈影舎、1987年 ISBN 978-4924520219
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* [[伝統]]
* [[文化]]
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* [[
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