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'''アルド・プロッティ'''(Aldo Protti, [[1920年]][[7月17日]] - [[1995年]][[8月10日]])は、[[イタリア]]の[[バリトン]]歌手。1950年代から
[[クレモナ]]の貧しい家庭に生まれる。はじめ[[大理石]]細工、のちには鉄道員の職に就いたが、歌の巧さに感心した知人の尽力で、[[パルマ]]の音楽院での声楽勉強の機会を得た。 1948年、[[ジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニ|ロッシーニ]]の生地[[ペーザロ]]で、﹃[[セビリアの理髪師]]﹄フィガロ役で舞台デビュー、1950年には[[ミラノ]]・[[ プロッティの歌唱に対しては、しばしば﹁大声量に頼るのみで性格付けに乏しい﹂といった批判がなされることもあったが、その幅広いレパートリー、器用な演技力が多くのオペラ・ハウスで重宝がられたのもまた事実であった。彼の全盛期である1950年代-60年代はちょうど[[レコード|LPレコード]]によるオペラ全曲録音が盛んに行われた時期に重なり、[[イギリス|英]][[デッカ・レコード|デッカ社]]と契約していたプロッティはここでも多くの録音を残している。そのうち1960年のカラヤン指揮、[[マリオ・デル=モナコ|デル=モナコ]]、[[レナータ・テバルディ|テバルディ]]出演のヴェルディ﹃[[オテロ (ヴェルディ)|オテロ]]﹄全曲録音では、イヤーゴ役を予定していた[[バリトン]]歌手の[[エットーレ・バスティアニーニ]]がカラヤンと衝突したため、デッカ社は急遽プロッティに差し替える形で録音を完成させている。 1959年からは[[日本]]にも[[日本放送協会|NHK]]イタリア歌劇団の一員などとしてたびたび訪問、﹃オテロ﹄イヤーゴ役、﹃[[椿姫 (オペラ)|ラ・トラヴィアータ]]﹄父ジェルモン役、﹃[[アンドレア・シェニエ]]﹄ジェラール役、﹃[[リゴレット]]﹄︵[[タイトル・ロール]]︶などを歌った。中でも1961年10月、[[東京文化会館]]での[[ルッジェーロ・レオンカヴァッロ|レオンカヴァッロ]]﹃[[道化師 (オペラ)|道化師]]﹄トニオ役では舞台上で軽やかにとんぼ返りを披露するさまが映像として残されており、その芸達者振りがうかがえる。おそらく、これは器械体操の競技歴のおかげであろう。後年、1989年の首都オペラの旗揚げ公演﹃オテロ﹄でイヤーゴ役、1993年の同じく首都オペラの﹃道化師﹄でトニオ役で健在ぶりを示した。 1970年代からは舞台上での活動をほぼ終え、もっぱら後進指導にあたったが、1985年には65歳の高齢で[[ニューヨーク]]・[[メトロポリタン歌劇場]]に
1995年に生地クレモナで死去した。
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[[Category:1995年没|ふろつてい あると]]▼
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[[Category:イタリアのバリトン歌手]]
[[Category:クレモナ出身の人物]]
[[Category:デッカ・レコードのアーティスト]]
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