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'''ウィリアム・プリムローズ'''︵'''William Primrose''', [[1904年]][[8月23日]] [[スコットランド]][[グラスゴー]]-[[1982年]][[5月1日]] [[アメリカ]][[ユタ州]]プローヴォ︶は[[ヴィオラ]]の独奏楽器としての地位を確立した演奏家である。がっちりとしたボーイングによって[[ヴァイオリン]]とは明らかに違うヴィオラの魅力を示し、その後のヴィオラ独奏者のパイオニアとなった。また、[[ベンジャミン・ブリテン]]ヴィオラ協奏曲﹁ラクリメ﹂、[[ベラ・バルトーク]]ヴィオラ協奏曲はプリムローズのためにかかれた曲であり、近代以降のヴィオラ独奏曲の誕生にも貢献している。 ==略歴==
[[1904年]][[8月23日]][[スコットランド]][[グラスゴー]]の生まれ。父ジョーン・プリムローズはオーケストラのヴァイオリン・ヴィオラ奏者であり、弦楽器の鑑定家でもあった。ウィリアム・プリムローズはもともとは[[ヴァイオリニスト]]として活動を始めるが、ブリュッセルで師事した[[イザイ]]のすすめでヴィオラに転向する。ロンドン弦楽四重奏団のヴィオラ奏者を担当したあと、1937年に、[[NBC交響楽団]]の結成にあたり、[[トスカニーニ]]に招かれてアメリカに渡り、首席ヴィオラ奏者に就任する。その後、ソロヴィオラ奏者として活動する一方、プリムローズ弦楽四重奏団(シェムスキー、ギンゴールド、シャピロ)を結成し演奏活動を行った。晩年は教育活動にも熱心で、インディアナ大学教授を務めるほか、来日した際には[[東京芸術大学]]や[[桐朋学園大学]]でも後進の指導にあたった。
==著書==
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