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{{Otheruses|シェイクスピアの戯曲|オットー・ニコライ作曲のオペラ|ウィンザーの陽気な女房たち (オペラ)}}
[[Image:FirstFolioMerryWives.jpg|thumb|right|200px|[[ファースト・フォリオ]]([[1623年]])の『ウィンザーの陽気な女房たち』のタイトルページ]]
{{Portal|文学}}{{Portal|舞台芸術}}
『'''ウィンザーの陽気な女房たち'''』(ウィンザーのようきなにょうぼうたち、''The Merry Wives of Windsor'')は、[[ウィリアム・シェイクスピア]]作の[[喜劇]]である。
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出版は[[1602年]]だが、書かれたのは[[1597年]]より前だと考えられている。
『ウィンザーの陽気な女房たち』のいくつかの要素はセル・ジョヴァンニ・フィオレンティーノ(Ser Giovanni Fiorentino)の短編集『愚か者(Il Pecorone)』の翻案から取られている。その中の1つは、ウィリアム・ペインター([[:en:William Painter|William Painter]])の『快楽の宮殿(The Palace of Pleasure)』の中にも含まれている<ref>Van Santvoord, George, editor, The Merry Wives of Windsor (New Haven: Yale University Press, 1922): 119.</ref>。▼
太っちょ[[騎士]][[フォルスタッフ]]が主人公で、フォルスタッフは既に『[[ヘンリー四世 第1部]]』と『[[ヘンリー四世 第2部]]』に登場している。
==創作年代とテキスト==▼
タイトルに含まれている「ウィンザー」は[[イングランド]]、[[バークシャー]]にある[[ウィンザー城]]への言及である。
[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]の治世頃を扱っているはずであるが、一切辻褄合わせなどはせずに同時代の[[エリザベス朝]]イングランドの中流階級の生活を扱っており、シェイクスピアとしては唯一の「現代劇」である。
[[Image:Merry Wives of Windsor.jpg|thumb|left|200px|1602年の四折版(Q1)の表紙]]▼
[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]『[[ファルスタッフ]]』([[1893年]])、[[オットー・ニコライ]]『[[ウィンザーの陽気な女房たち (オペラ)|ウィンザーの陽気な女房たち]]』([[1849年]])など、たびたび[[オペラ]]化されている。
== 登場人物 ==▼
[[1602年]][[1月18日]]は『ウィンザーの陽気な女房たち』が[[書籍出版業組合]]の[[書籍出版業組合記録|記録]]に登録された日付で、その後、書籍商アーサー・ジョンソンによって粗悪なテキストの最初の四折版(Q1)が出版された。第二の四折版(Q2)は[[1619年]]にウィリアム・ジャガードによって「[[フォールス・フォリオ]]」に収められた。優れたテキストである[[ファースト・フォリオ]]が出版されたのは[[1623年]]のことである。▼
Q1の表紙には、この劇が「女王陛下の御前で、それ以外の場所で」宮内大臣一座([[:en:Lord Chamberlain's Men|Lord Chamberlain's Men]])によって演じられたと書かれてある。はっきりわかっているうちで最も早い公演は[[1604年]][[11月4日]]の[[ホワイトホール宮殿]]である。他にも、[[1638年]][[11月15日]]にコックピット座([[:en:Cockpit Theatre|Cockpit Theatre]])で上演された。▼
『ウィンザーの陽気な女房たち』はイングランドの王の空位期間([[:en:English Interregnum|English Interregnum]])後の[[1660年]]に再開された劇場で上演された最初のシェイクスピア劇の1つである。[[サミュエル・ピープス]]は、1660年12月6日、[[1661年]]、[[1667年]]にキングス・カンパニー([[:en:King's Company|King's Company]])で上演されたのを見た(しかしどれも好きではなかった)と書いている。1702年、デニスがこの劇の脚色(それは「改悪」と呼ばれた)を依頼され、『滑稽な伊達男(The Comical Gallant, or the Amours of Sir John Falstaff) 』を書いたが、それは失敗作だった。[[1824年]]はフレデリック・レイノルズが[[ヘンリー・ローリー・ビショップ]]とのオペラ翻案シリーズに『ウィンザーの陽気な女房たち』を加えた。チャールズ・キーン([[:en:Charles Kean|Charles Kean]])は[[1851年]]にシェイクスピアのテキストに戻して公演した<ref>F. E. Halliday, A Shakespeare Companion 1564-1964, Baltimore, Penguin, 1964; p. 314.</ref>。▼
[[第一次世界大戦]]中のイングランドの反独感情の時代には、王家の[[ザクセン=コーブルク=ゴータ家|サクス=コバーグ=ゴータ家]]が[[ウィンザー朝|ウィンザー家]]になるなど、多くの[[ドイツ語]]名とタイトルが[[英語]]的な響きのものに改められた。[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]は、「ザクセン=コーブルク=ゴータの陽気な女房たち」の公演を見るために出かけた、という冗談でそれに対抗した。▼
▲==登場人物==
[[Image:Eduard von Grützner Falstaff mit Handschuhen.jpg|thumb|right|200px|フォルスタッフ([[:de:Eduard von Grützner|Eduard von Grützner]]画)]]
*[[フォルスタッフ|サー・ジョン・フォルスタッフ]](Sir John Falstaff)
*フェントン(Fenton) - 若い紳士。
*シャロウ(Shallow) - 治安判事。
*スレンダー(Slender) - シャロウの従兄弟。
*フォード(Ford) - ウィンザーに住む紳士。
*ペ
*ウィリアム・ペ
*サー・ヒュー・エヴァンズ(Sir Hugh Evans) - [[ウェールズ]]人牧師。
*キーズ(カイアス)医師(Doctor Caius) - [[フランス人]]医師。
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*ラグビー(Rugby) - キーズ医師の召使い。
*フォード夫人(Mistress Ford)
*ペ
*アン・ペ
*[[ク
*ペ
== あらすじ ==
この劇では、[[中世]](1400年頃)が舞台の『ヘンリー四世』の登場人物だったサー・ジョン・フォルスタッフを、執筆当時(1600年頃)に登場させている。
ウィンザーにやってきたフォルスタッフは金に困っている。そこで、ウィンザーの裕福な女房たち、フォード夫人とペ ▲ウィンザーにやってきたフォルスタッフは金に困っている。そこで、ウィンザーの裕福な女房たち、フォード夫人とページ夫人に言い寄ることにする。フォルスタッフは名前だけ変えて内容はまったく同じラブレターを送ることにし、子分のピストルとニムに届けさせようとしたが、2人がそれを拒んだので首にする。ピストルとニムはフォルスタッフの企みを夫のフォードとページにばらす。ページはさほど心配しないが、嫉妬深いフォードは気にする。そこでフォードは﹁ブルック﹂と偽って、フォルスタッフに紹介してくれるようガーター亭の主人に頼む。 ペ
ウェールズ人牧師のヒュー・エヴァンズはスレンダーのために、アンと親しいキーズ博士の使用人[[ク [[Image:Johann Heinrich Füssli 039.jpg|thumb|left|260px|[[ヨハン・ハインリヒ・フュースリー]]画『洗濯籠のフォルスタッフ』(1792年)]]
フォルスタッフから恋文を受け取った女房たちは、そのことをお互いに打ち明ける。そして、名前を除けば手紙がまったく同じものだと知る。女房たちは年老りででぶのフォルスタッフにはなから興味がなかったが、懲らしめてやろうと、フォルスタッフの誘いに乗ったふりをする。フォード夫人は夫の留守中に家に訪ねるよう、[[ク ﹁ブルック﹂に化けたフォードはフォルスタッフに会って、フォード夫人に恋していると嘘を言う。そして、自分とフォード夫人をとりもってくれるよう、大金を渡してフォルスタッフに頼む。女房の浮気を立証するためである。フォルスタッフはフォード夫人から誘われていることをブルック=フォードに打ち明ける。 74 ⟶ 60行目:
女房たちは自分たちのやったことを夫たちに打ち明け、今度は全員でフォルスタッフを懲らしめることにする。
フォード夫人から、﹁狩人ハーン︵[[:en:Herne the Hunter|Herne the Hunter]]︶﹂の恰好をして、ウィンザーの森︵現在のウインザー・グレート・パーク [[:en:Windsor Great Park|Windsor Great Park]]︶のオークの木の下で待つように言われ、やってきたフォルスタッフだが、そこに[[フェアリー]]に変装したアンや子供たちが現れ、仰天する。この時、ペ ==
▲『ウィンザーの陽気な女房たち』のいくつかの要素はセル・ジョヴァンニ・フィオレンティーノ(Ser Giovanni Fiorentino)の短編集『愚か者(Il Pecorone)』の翻案から取られている。その中の1つは、ウィリアム・ペインター([[:en:William Painter|William Painter]])の『快楽の宮殿(The Palace of Pleasure)』の中にも含まれている<ref>Van Santvoord, George, editor, The Merry Wives of Windsor (New Haven: Yale University Press, 1922): 119.</ref>。
﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄の鍵となるテーマは、﹁[[愛]]﹂﹁[[結婚]]﹂﹁嫉妬﹂﹁[[報復]]﹂﹁[[階級]]﹂﹁富﹂である。[[イロニー|アイロニー]]、性的ほのめかし、嫌み、階級や国民性に対するステレオタイプな見方が試みられ、シェイクスピア劇によく見られるテーマ以上に現代的なテーマかも知れない。▼ ▲== 創作年代とテキスト ==
作品が作られた時期はわかっておらず、出版の登録がされた[[1602年]]より数年前だったと思われる。劇中でミストレス・クィックリーによる[[ガーター勲章]]への言及があり、さらに1592年イングランドを訪れ、1597年にガーター勲章を受けたドイツの公爵[[ヴュルテンベルク公]][[フリードリヒ1世 (ヴュルテンベルク公)|フリードリヒ1世]]についての言及がある<ref name="DJ2001" />。このため、1790年に[[エドモンド・マローン]]はこの芝居はガーター騎士団の叙任式のために書かれ、上演されたのではないかと考えた<ref>{{cite book|last=Craik |first=T. W. (ed.) |editor-last=Shakespeare |editor-first=William |title=The Merry Wives of Windsor |year=2008 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |isbn=978-0-19-953682-5 |page=3 |chapter=Introduction}}</ref>。ウィリアム・グリーンは、シェイクスピアの一座のパトロンであった宮内大臣ジョージ・ケアリーが1597年4月にガーター勲章を授かった時のために書かれたと考えている<ref>{{cite book|last=Green|first=William|title=Shakespeare's 'Merry Wives of Windsor'|year=1962|publisher=Princeton|pages=58–59}}</ref>。もしそうなら、おそらくこの劇は[[4月23日]]の祝宴に[[エリザベス1世]]が出席した際に上演されたのであろう。しかし、それは初演でなかったかも知れない。一般の劇場で上演されたことも考えられる。
本作がガーター勲章の式典のために書かれた芝居であるという説は推測でしかないが、[[1702年]]にジョン・デニス([[:en:John Dennis (dramatist)|John Dennis]])が『ウィンザーの陽気な女房たち』を脚色した劇(後述)の序文に書いた記述もそれを裏付けている。さらに最初の現代版シェイクスピア全集を編集したニコラス・ロウ([[:en:Nicholas Rowe (writer)|Nicholas Rowe]])によると、『ヘンリー四世』二部作を見て「恋するフォルスタッフ」を見たいと願ったエリザベス1世の依頼でシェイクスピアがこの劇を書いたことになっている。しかし、これは100年後の記述なので疑わしくもある。登場人物の設定における矛盾や、結末のいい加減なところは、エリザベス1世がシェイクスピアに劇を書かせたという説を裏付けるものだが、『[[ヘンリー五世 (シェイクスピア)|ヘンリー五世]]』以降に書かれたことを意味しているようにも見える。たとえば、登場人物ページのファーストネームは、ある箇所では「トーマス」ある箇所では「ジョージ」と呼ばれている。同様に第5幕でアン・ペイジが着る妖精の衣裳にも「白衣」と「緑衣」がある。韻文の台詞もシェイクスピアにしては出来が良くない。T・W・クレイクは、エリザベス女王に関する逸話はクォート版のタイトルページに御前上演の記述があることから生まれた単なるファンタジーであると考えている<ref>{{cite book|last=Craik |first=T. W. (ed.) |editor-last=Shakespeare |editor-first=William |title=The Merry Wives of Windsor |year=2008 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |isbn=978-0-19-953682-5 |pages=4–5 |chapter=Introduction}}</ref>。しかし、ケアリーは女王の望みを役者たちに伝えることができる立場ではあったので、このせいでこうした伝説が生まれたのかもしれない<ref name=DJ2001>{{cite book|last=Duncan-Jones|first=Katherine|title=Ungentle Shakespeare: scenes from his life|year=2001|publisher=[[Arden Shakespeare]]|location=London|isbn=1-903436-26-5|pages=97–8}}</ref>。
▲[[Image:Merry Wives of Windsor.jpg|thumb|left|200px|1602年の四折版(Q1)の表紙]]
ガーター勲章の式典節をどう解釈するかは意見が分かれている。もしこの説が正しいなら、シェイクスピアは﹃[[ヘンリー四世 第1部]]﹄と﹃[[ヘンリー四世 第2部]]﹄の間に﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄を書いたことになる。批評家たちにとってそれが信じ難いのは、﹃ヘンリー四世﹄と﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄の間にあるいろいろな矛盾のせいである。例えば、ピストルとシャローは﹃ヘンリー四世 第2部﹄で初めて出てくるキャラクターだが、﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄ではフォルスタッフとこうした人々のつながりは当然のものとして描かれている。さらに、反乱︵﹃ヘンリー四世 第1部﹄︶、あるいは[[フランス王国|フランス]]の[[イングランド]]侵入︵﹃ヘンリー四世 第2部﹄︶のような、15世紀にフォルスタッフがかかわり、史劇でも言及があるような大事件の気配が一切ない。T・W・クレイクは、﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄を非常に早く仕上げる必要があったため、シェイクスピアは﹃ヘンリー四世 第2部﹄をほぼ書いたところで中断してそちらに移ったのだと示唆している<ref>T.W. Craik (ed.), The Merry Wives of Windsor (Oxford: Oxford University Press, 1990), 1–13. See also H.J. Oliver (ed.). The Merry Wives of Windsor (London: Arden, 1972), lv and Leslie Hotson Shakespeare versus Shallow (London: Kessinger, 2003), 111–122.</ref>。もうひとつのありうる説明としては、﹃ヘンリー四世 第2部﹄のエピローグでフォルスタッフの再登場が約束されているにもかかわらず、﹃[[ヘンリー五世 (シェイクスピア)|ヘンリー五世]]﹄にはサー・ジョンが登場しないため、﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄はこの約束を守って埋め合わせするために書かれたというものである<ref name="Bate2011">{{cite book|last1=Bate|first1=Jonathan|last2=Rasmussen|first2=Eric|title=The Merry Wives of Windsor|year=2011|publisher=Macmillan|location=Basingstoke, England|isbn=978-0-230-28411-1|pages=5–6}}</ref>。 少なくともこの芝居の一部は1597年の『ヘンリー四世 第1部』初演の前後に書かれた。フォルスタッフは当初、歴史上の人物であるサー・[[ジョン・オールドカースル]]の名をもらうはずであったが、おそらくこれがオールドカースルの子孫の気分を害したため議論が巻き起こり、シェイクスピアはキャラクターの名前を変更した。第五幕第五場85-90行目や、第四幕第五場6行目あたりに、おそらく「オールドカースル」という名前を想定して書かれたと思われる形跡があるからである<ref>Scoufos, ''Shakespeare's Typological Satire,'' p. 191.</ref>。
▲[[1602年]][[1月18日]]は『ウィンザーの陽気な女房たち』が[[書籍出版業組合]]の[[書籍出版業組合記録|記録]]に登録された日付で、その後、書籍商アーサー・ジョンソンによって粗悪なテキストの最初の四折版(Q1)が出版された。第二の四折版(Q2)は[[1619年]]にウィリアム・ジャガードによって「[[フォールス・フォリオ]]」に収められた。
▲Q1の表紙には、この劇が﹁女王陛下の御前で、それ以外の場所で﹂宮内大臣一座︵[[:en:Lord Chamberlain's Men|Lord Chamberlain's Men]]︶によって演じられたと書かれてある。はっきりわかっているうちで最も早い公演は[[1604年]][[11月4日]]の[[ホワイトホール宮殿]]である。他にも、[[1638年]][[11月15日]]にコックピット座︵[[:en:Cockpit Theatre|Cockpit Theatre]]︶で上演された。 == 分析と批評 ==
[[File:Falstaff and the Wives.jpg|thumb|[[1902年]]、ハーバート・ビアボーム・トゥリーがフォルスタッフ、[[エレン・テリー]]がペイジ夫人、マッジ・ケンダルがフォード夫人を演じた再演の絵]]
﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄ == テーマ ==
▲﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄の鍵となるテーマは、﹁ ﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄はイングランド中流階級の階級偏見を中心に置いている。下層階級を代表するのはバードルフ、ピストル、ニム︵いずれもフォルスタッフの仲間︶であり、上流階級を代表するのはサー・ジョン・フォルスタッフ、フェントンらである。作品の中でシェイクスピアは[[ラテン語]]と英語の誤用を使って、フランス人やウェールズ人の語り口を表現している。 この ==
▲『ウィンザーの陽気な女房たち』はイングランドの王の空位期間([[:en:English Interregnum|English Interregnum]])後の[[1660年]]に再開された劇場で上演された最初のシェイクスピア劇の1つである。[[サミュエル・ピープス]]は、1660年12月6日、[[1661年]]、[[1667年]]にキングス・カンパニー([[:en:King's Company|King's Company]])で上演されたのを見た(しかしどれも好きではなかった)と書いている。1702年、デニスがこの劇の脚色(それは「改悪」と呼ばれた)を依頼され、『滑稽な伊達男(The Comical Gallant, or the Amours of Sir John Falstaff) 』を書いたが、それは失敗作だった。[[1824年]]はフレデリック・レイノルズが[[ヘンリー・ローリー・ビショップ]]とのオペラ翻案シリーズに『ウィンザーの陽気な女房たち』を加えた。チャールズ・キーン([[:en:Charles Kean|Charles Kean]])は[[1851年]]にシェイクスピアのテキストに戻して公演した<ref>F. E. Halliday, A Shakespeare Companion 1564-1964, Baltimore, Penguin, 1964; p. 314.</ref>。[[アーサー・サリヴァン]]は1874年、ロンドンのゲイエテイ座の公演で第五幕で使用するための付随音楽を作曲し、これは1889年の[[ヘイマーケット座]]の公演でも使われた<ref>[http://math.boisestate.edu/GaS/other_sullivan/windsor/index.html Sullivan's incidental music to ''The Merry Wives of Windsor''], The Gilbert and Sullivan Archive, accessed 5 January 2010</ref>。
▲﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄をシェイクスピアの作品の中でも出来が良くない作品の1つで、この作品のフォルスタッフは﹃ヘンリー四世﹄のフォルスタッフより劣っている、と考える批評家が多い。ガーター説を信じるなら、ガーター勲爵士の祝宴で上演するため、厳しい時間的制約の中、たった14日で急いで書かれたことが理由かも知れない。 ▲[[第一次世界大戦]]中のイングランドの反独感情の時代には、王家の[[ザクセン=コーブルク=ゴータ家|サクス=コバーグ=ゴータ家]]が[[ウィンザー朝|ウィンザー家]]になるなど、多くの[[ドイツ語]]名とタイトルが[[英語]]的な響きのものに改められた。[[ドイツ皇帝]][[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]は、﹁ザクセン=コーブルク=ゴータの陽気な女房たち﹂の公演を == アダプテーション(脚色・翻案) ==
*『滑稽な伊達男』(1702年) - ジョン・デニスによる改訂・脚色版。
*『[[ファルスタッフ (サリエリ)|ファルスタッフ]]』([[1799年]]) - [[アントニオ・サリエリ]]作曲の[[オペラ・ブッファ]]。台本はCarlo Prospers Defranchesi。
*『フォルスタッフ』(1838年) - [[マイケル・ウィリアム・バルフ]]のオペラ。
*『[[ウィンザーの陽気な女房たち (オペラ)|ウィンザーの陽気な女房たち]]』([[1849年]]) - [[ドイツ]]の[[作曲家]][[オットー・ニコライ]]作曲の[[ジングシュピール]]。このオペラ(ジングシュピール)はドイツ語の台詞を多数含み、登場人物の場前もドイツ風に変えられている。物語はフェントンとアンのロマンスをより強調している。フォルスタッフの女装の場面を含む唯一の翻案である。
*『[[ファルスタッフ]]』([[1893年]]) - [[ジュゼッペ・ヴェルディ]]の最後のオペラ。台本は[[アッリーゴ・ボーイト]]。この劇を基にしたものだが、大部分のオペラ同様に登場人物と筋に相違がある。例えば、アン(ナネッタと呼ばれている)はペイジ夫人ではなくフォード夫人の娘で、父によってカイアス医師と婚約させられており、フォード夫人とペイジがフェントンとの駆け落ちを手助けしようとたくらむ。ペイジ氏、スレンダー、シャロー。サー・ヒュー・エヴァンズなどの多くの人物は出てこない。フォルスタッフのキャラクターを具体的にするため、台本作家のボーイトは『ヘンリー四世』二部作からいくつか素材をとってきており、『ヘンリー四世 第1部』第一幕第二場の「名誉」に関する有名な独白なども台本に含んでいる。本作は広く『ウィンザーの陽気な女房たち』の最良のオペラ化であり、偉大な喜劇的オペラのひとつと広く見なされている。
*『恋するサー・ジョン』([[1924年]] - [[1928年]]) - [[イギリス]]の作曲家[[レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ]]のオペラ。台本の大部分はシェイクスピアのテクストから直接とられており、オペラ化としては最も原作に忠実である。全てのキャラクターを登場させ胃、カイアス医師とサー・ヒュー・エヴァンズの決闘などの脇筋も保持している唯一の版である。
* 『法螺侍』(1999年) - [[高橋康也]]による[[狂言]]への翻案であり、新宿のスペース・ゼロで1999年に[[野村万作]]及び[[野村萬斎]]の出演で初演され、2009年に[[東京芸術劇場]]で再演された<ref>{{Cite web|和書|date=2009-07-22 |url=http://www.mansaku.co.jp/news/2009/07/10-1.html |title=シェイクスピア×狂言『法螺侍』 10年振りに再演! |publisher=万作の会 |accessdate=2016-04-29}}</ref>。
*2012年、ロンドンの[[シェイクスピアズ・グローブ]]で実施されたグローブ・トゥ・グローブ・フェスティバルで、ジョシュア・オグトゥによる[[スワヒリ語]]版が上演された。
*2012年の[[オレゴン・シェイクスピア・フェスティバル]]で、アリソン・ケアリが本作を政治諷刺劇『[[アイオワ州]]ウィンザーのとても陽気な女房たち』(''The Very Merry Wives of Windsor, Iowa'')として翻案し、上演した。
*2012年、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|ヴァンクーヴァー]]のバード・オン・ザ・ビーチのシーズンに、演出家のジョナ・ライトが1968年の[[オンタリオ州]][[ウィンザー (オンタリオ州)|ウィンザー]]に設定を移して上演した。
*『不破留寿之太夫』(2014年) - 『ヘンリー四世』二部作及び『ウィンザーの陽気な女房たち』をもとにした文楽の新作で、[[河合祥一郎]]が脚本を執筆し、[[国立劇場]]で2014年9月6日から22日まで上演された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu/h26/falstaff.html |title=不破留寿之太夫 |publisher=[[日本芸術文化振興会]] |accessdate=2016-04-29}}</ref>。
*﹃[[クリミナル・マインド FBI行動分析課]]﹄のエピソード﹁ヒースリッジ・マナー﹂ ("Heathridge Manor") で、行動分析課が女性を[[ニコチン]]にひたしたドレスで殺害する[[シリアルキラー]]を追う。行動分析課は後でドレスが﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄を上演した地元のプロダクションで使われたものに基づいていることことをつきとめる。ドクター・スペンサー・リードは被害者の顔の化粧がふつうは上流階級のメンバーがするようなものであったこと、﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄は[[ミドルクラス]]についての芝居であることに気付く。さらなる調査で、殺人犯の母は同じ劇団の﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄の上演で小さな役を演じたことがあり、テキスタイル業界の女相続人であったことがわかる。殺人犯の母は精神的に問題をかかえており、芝居に出演している他の女優が悪魔の女房であるという妄想を抱いてこの芝居で共演した女優を刺殺していた。この妄想を息子と娘にもうつしていたことがわかる。母は触法精神障害者として病院に収容され、子どもたちは悪魔の女房だと信じて、ニコチンにひたした舞台衣装に基づくドレスを使って女性たちを殺し始めた。 == 参考文献 ==
=== 日本語訳テキスト ===
*ウィンザーの陽気な女房 - 訳:[[坪内逍遥]]([[中央公論社]] 1934 [[新樹社]])
*
*訳:[[大山敏子]]([[旺文社文庫]])1978
*
*
== 脚注 ==
{{Reflist}}
== 外部リンク ==
{{wikiquote|en:The Merry Wives of Windsor|ウィンザーの陽気な女房たち (英語)}}
{{wikisource|en:The Merry Wives of Windsor|ウィンザーの陽気な女房たち (英語)}}
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{{シェイクスピア}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ういんさあのようきなにようほうたち}}
[[Category:
[[Category:
[[Category:1590年代の戯曲]]<!--上演-->
[[Category:イングランドを舞台とした作品]]
[[Category:不倫を題材とした戯曲]]
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